《 国際社会では兵器を使わない戦いが常に行なわれている。日本はナショナルアイデンティティーの戦いに敗れ続けている。》

日露戦争は日本の国家予算が2億4千万円の時、18億円の戦費をかけて勝利した。戦費は世界中のユダヤ人社会が貸してくれた。世界が注目した日本の勝利はユダヤ人のお陰で実現したと言っても過言ではない。この勝利により日本は数々の利権を得た。満州の支配権もそのひとつであった。

1905年、小村寿太郎が米国のポーツマスでロシア帝国とポーツマス条約を結んだ。

ポーツマス条約
1)韓国を日本が支配することを認める。
2)ロシアは旅順、大連を日本に譲る。
3)南満州鉄道を日本に譲る。
4)南樺太を日本に譲る。

日本の満鉄の経営は順調に伸びていた。そこに米国の鉄道王 E・ハリマンが日本人にしてみれば虫の良い横槍を入れてきた。満鉄の経営権を半分買収したい。そして共同経営しようと言うのだ。世論も日露戦争で多大な犠牲を払って手に入れた利権を米国人に分け与える事には反対した。

併しハリマンはただの欲張りではなかった。米国の鉄道王でありグレートノーザンの社長でもあったハリマンは、東アジアに興味を持つ事に於いて、米国国務省とその思惑を同じくする米国式の企業家であり、日露戦争の際、日本が公債をウォールストリートに求めるや、ニューヨークの金融界の覇王ヤコブ・シフ(ユダヤ人)と共に、大いに日本の為に尽力し、自身もまた数100万ドルを引き受けたのだった。

天才と謳われた外交官 小村寿太郎は、日露戦争後の1905年(明治38年)、ポーツマス会議日本全権としてロシア側の全権ウィッテと交渉し、ポーツマス条約を調印。その後、帰国してハリマンが満洲に於ける鉄道の共同経営を提案(桂・ハリマン協定)したのを、首相や元老の反対を押し切って拒否した事の評価は、後世でも賛否が分かれる。

私はユダヤ資本を敵に回したという一点で大失敗であったと評価する。この明治時代に遺した禍根は、昭和の日本に仇為(あだな)す事になる。日本が世界中の白人列強諸国に殊更、疎まれ、憎まれて、無理矢理に大東亜戦争に追い込まれていくのを、既に白人社会で支配的地位を占めていたユダヤ人資本家達は黙って観ていた。

日本人は裏を読むという事が大の苦手である。と言うよりそれを良しとせず一切しない。正義感が強く誠実な国民だが、裏読みができないというのは、国際社会を生き抜く上では致命的である。この点で支那人とは大人と子供以上の実力の違いがある。

昭和13年12月6日、日本はドイツとの間で防共協定を結ぶが、閣議決定の際、ユダヤ人迫害には一切 与(くみ)しない事を明確にしている。事実、リトアニアのカウナス領事館に副領事として赴任していた杉原千畝は多くのユダヤ人難民にビザを発給し続け、日本人は満州鉄道を利用して日本経由で3〜4万人ものユダヤ人の命を救った。当時の満鉄総裁は松岡洋右、関東軍参謀長は東条英機である。

国際連盟を脱退した松岡洋右は馬鹿者呼ばわりされ、東条英機に至っては日本人ですら間違った戦争指導者で好戦的人物と酷評されているが、両名とも実際は誠実で心優しい日本人である。イスラエルにはゴールデンブックというものがある。ナチスの迫害からユダヤ人を救ってくれた恩人の名前が記してある。杉原千畝も、東条英機もそこに名を遺す英雄である。

東条英機は戦勝国の私刑(リンチ)で A級戦犯とされ絞首台の露と消え、日本人にすら国を誤った好戦的な極悪人として記憶されている。否、現代の子供たちは東条英機の名前すら知らない。『東京裁判史観』に塗(まみ)れた戦後教育を受けた日本人は歪曲された昭和史を信じ込まされている。日本人としては、刷り込まれた偽りの贖罪意識と共に生きる事はとても悲しい事であり、このままでは将来、『本来の日本』が消えていってしまうのは目に見えている。

イスラエル建国の時にも、日本人は鈍かった。初代イスラエル大使には杉原千畝が適任であったろうに、日本人にはイスラエル人の感謝に付け入る事など思いもよらなかった。杉原千畝の大使就任が実現していたら、イスラエル人の日本への印象は一変していただろう。日本人は、相手の歓心を買ったり策を弄すると言う事を良しとしない。それで国際社会では大損をしている。その頃、杉原千畝は言葉少なに外務省を寂しく去って行った。

GHQの7年弱に及ぶ洗脳統治の効果は絶大であった。自己主張を禁じられた日本人はGHQが去った後も自己主張の自制が身についてしまっていた。「捏造慰安婦問題」は今や〈穢れた韓国の国家意思〉である。国際社会では武器、兵器を使わない戦いが常に行なわれている。確たるナショナルアイデンティティーを持たない日本人は、その戦いに敗れ続けている。そんな事態を繰り返さない為にも「正しい歴史教育」はとても重要である。

国際社会では、正直者より卑怯者が優位に立つ場合が多いという事を、日本人は身に染みて叩き込まれた筈である。醜い感情論で嘘をつき続ける韓国や、支那の見え透いたプロパガンダに、激昂せず物静かに誠実に証拠を示して理屈で反論する日本は苦戦を強いられている。米国の身勝手かつ露骨で高圧的な内政干渉には、反論もできずに自制してしまう。日本人も時には感情論で反論する事を身に付けても良いだろう。時として人の心の裏を、隙をつくのは国際社会を生き抜く外交の場では悪い事ではない。寧ろ不可欠なテクニックである。