《 F・ルーズベルトの悪意と、D・マッカーサーの意志薄弱な罪深さ》

1936年(昭和11年)、F・ルーズベルト米大統領は米国として初めて〈日本に敵対する政策を打ち出した〉。 ルーズベルトは日本に対して根深い悪意を抱いており、中華民国の蒋介石政権を通して、米国の鉄道王ハリマンに満州権益を与えなかった日本を潰す事を企んでいた。 

1937年(昭和12年)に日支事変が始まると、米国は中立国である為に「中華民国援助事務所」をわざわざ“民間に”設立させて、蒋介石が日本と対戦する為の巨額資金を提供した。中立国が軍事介入するのは重大な国際法違反である。

更に米国の航空兵(フライングタイガース-飛虎隊)が中華民国軍人として、米国が提供する戦闘機に中華民国空軍の青天白日旗を描いて日本兵と戦わせる計画を立てた。これも重大な国際法違反である。併し、この計画は英首相W・チャーチルの救援要請により頓挫する。

中華民国は米国から、多くのキリスト教宣教師を受け入れ、同時に米国民も支那大陸の市場からの巨大な儲けを目論んでいた。日本は米国に媚びる事なく、伝統文化を頑なに守ってキリスト教文明に同化しなかった。これが白人狂信者から見て異質な憎しみの対象に映ったのだろう。 

ルーズベルトは幼少期から、アヘン戦争で大儲けした母方の祖父の影響を受けて、支那に大いなる幻想を抱いていた。不運な事にルーズベルトの側近たちは、支那の政治バランスや軍事状況について全く無知であった為、ルーズベルトの悪意ある行動に従うしかなかった。

1931年(昭和6年)に満洲事変が勃発した時も、ルーズベルトは日本が満州を侵略したものと決めつけた。続く日支事変、第二次上海事変についても同様で、ルーズベルトは他の米国民と共に、満洲事変も盧溝橋事件も第二次上海事変も、日本が支那全体を計画的に侵略したものであると思い込み、吹聴した。 

この頃、ルーズベルト一派は日本爆撃計画に熱中していた。ルーズベルト政権は対日禁輸を製造・輸出業者に要請し、日本が米国に対して「二心無しとの姿勢を示す為に明かした外交暗号の解読法」を得、日本海軍の暗号の一部をも解読していた。対立を避けたいとの日本の姿勢を他所に1940年(昭和15年)には日米通商航海条約を延長しない事を決定した。

1940年(昭和15年)以降のルーズベルト政権の外交政策は「参戦外交」と呼ばれている。同時に米国の国防力を高める為に、平時に於ける初の徴兵法案を通過させ、議会から戦争準備であると猛烈に批難されている。 

日独伊三国同盟が締結されると、ルーズベルトは小躍りして喜んだといわれている。これは日本が宣戦布告を行なうと選挙公約を破る事なく容易に世界大戦に参戦する事ができると考えたからである。 

ルーズベルトは駐米英国公使ロナルド・キャンベルとの私的な会話で、スミソニアン博物館の研究者による、日本人の頭蓋骨は「我々のより約2000年、発達が遅れている」という見解を紹介した上で、「人間は異人種交配によって文明が進歩する」と語り、「インド系やユーラシア系とアジア人種、欧州人とアジア人種を交配させるべきだ。だが日本人だけは除外する」とキャンベルに語ったという。

更に、海軍情報部極東課長のアーサー・マッカラムが、上司を通じて大統領に、日本をどのようにして対米戦争に追い込めるかという提案書を提出した。ルーズベルト大統領はこれを直ちに承認した。マッカラムはキリスト教に改宗する事を拒む日本に対して、強い嫌悪感を抱いていたのである。 

1941年(昭和16年)、マッカラムが大統領に対して、日本を苛立たせて対米戦争におびき寄せる為に、米国の巡洋艦を使って、日本の領海を侵犯させるという提案を行ない、これが検討された。勿論、これは国際法違反である。 ルーズベルトは同年、日本本土爆撃作戦計画書を承認している。〈日本が南部仏印進駐を決行するより10日も前、真珠湾攻撃の5箇月前〉の事である。 

これは自らに投票した米国民を欺き、日本を「騙し討ち」にする事であり、もし日本側がこの計画を察知していれば、真珠湾攻撃は自衛権の発動に基づいた反撃になるところであった。この計画が実施されていれば、無警告の完全な奇襲であるから、京浜地帯、大阪、京都、神戸が、大きな被害を蒙っていた筈である。 

同年11月、ハル国務長官は、自らが起草したハルノートをルーズベルトに棄却され、ハリー・デクスター・ホワイトが起草した第二のハル・ノートを日本の野村・来栖両大使に突如手交したが、これは従来の交渉経緯をまったく度外視したもので、日本の政府と軍の誰もが、米国の最後通牒、宣戦布告と判断した。第二のハル・ノートは米国議会にも伏せられていた。これはルーズベルト個人の狂信振りを如実に示している。

ルーズベルト政権は日本がハルノートを受諾する事は始めから全く期待していなかった。戦後、ホワイトはコミンテルンのスパイである事が判明している。 日本は万策尽きて対米開戦を決定せざるを得なかった。国家存亡をかけて必死になって立ち上がったが、人道に悖る悪意で本土を焦土化され、310万人以上を犠牲にして敗れた。 

戦時中、日本に対する激しい憎しみに沸き立ち、米国世論は13パーセントが「日本民族を絶滅させる」事を支持していたという。1944年(昭和19年)ルーズベルトはスミソニアン博物館の文化人類学者アールス・ヒルデリカをホワイトハウスに招いて「日本人全員を、温和な南太平洋の原住民と強制的に交配させて、無害な、やる気がない民族につくり替える計画を立てたい」と語った。

また同年、英国のオリバー・リトルトン工業大臣が『日本は米国により謀られて真珠湾を攻撃した。米国が戦争に追い込まれたというのは、歴史を歪曲したものだ』と講演で語ったが、この発言は米国の強い要請によって〈終戦まで公表を禁じられた〉。 

ルーズベルトは大統領選を戦って4選を果たした。この時に僅差で敗れた共和党のトマス・デューイ候補は、ルーズベルトが事前に日本による真珠湾攻撃の情報をハワイの太平洋軍司令部に伝えなかった事を取り上げて攻撃しようとしたが、その件の公表は利敵行為になるとしてルーズベルトに口を封じられた。 

その後、ルーズベルトは1945年(昭和20年)4月、ジョージア州ウォームスプリングスの別荘で自らの肖像画を描かせている最中に脳内出血により戦勝を目前にして急死した。 

戦後、H・フーバー元米大統領はD・マッカーサーと会って、ルーズベルトを「狂人」と呼び、「日本との戦争の全てが、戦争を仕掛けたいという狂人の欲望だった」と語っている。 マッカーサーもこの意見に同意したという。それでは、GHQによる悪辣な「洗脳統治」をマッカーサーはなぜ完遂したのか。

F・ルーズベルトの後を継いだ副大統領H・トルーマンも戦況に関係なく原子爆弾投下を急いで命じた狂人であるが、二人の狂人大統領の意のままに動いたD・マッカーサーとは何と〈意志薄弱で罪深い人物〉であろう。

1951年(昭和26年)5月3日の上院外交委員では、ぬけぬけと日本の戦争について「従って、彼等が戦争を始めた目的は、主として安全保障上の必要に迫られての事だったのです。Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security.」…と述べている。自らの罪科がこんな告白で許されるとでも思ったのであろうか?

1952年に国際社会に復帰して以降、日本は、この重大な「マッカーサー証言」を自国の弁護に使おうとすらせず、自ら日本国民に「日本は侵略戦争を引き起こした悪い国だった」と未だに教え込んでいる。敗戦後71年、日本は米国の思惑通り〈完全に牙を抜かれた恭順な国〉に成り果てている。自らの意思で、戦勝国と戦勝国を騙る国どもだけに都合が良い、所謂「戦後世界秩序」に敢然と立ち向かおうともしない歴代自民党政権に、この大切な日本の未来を託し続けようとする「国民意識」が変わらない限り、日本人の子々孫々に幸福な未来は訪れない。