《三笠宮崇仁親王殿下の薨去を機に、ひしひしと考えさせられる我が国の在り方について》

三笠宮崇仁親王殿下が薨去(こうきょ)された。これで皇族の人数は19人となられた。皇位継承者に至っては僅か4人となってしまった。これでは我が日本の皇族は何れ自然消滅されてしまう。安倍政権は今上陛下の「譲位問題」を有識者に検討させるのも良いが、〈真に急ぐべきは旧皇族12宮家の皇族復帰をご検討頂く事〉ではないか? 「皇室典範」もGHQに貶められたままである。日本が日本である為には「皇室制」は何としても護っていかなければならない事を、安倍首相には改めて認識していただきたい。

併し、呆れるのはNHKを始めとしたマスメディアが揃って「薨去」(こうきょ)という言葉を避けて「逝去」という言葉を使用している事だ。NHKのアナウンサーに至っては「亡くなられました」と一般人と同じ扱いである。皇族・三位(さんみ)以上の人が死亡された場合は「薨去」という決まりがある。記者たる者、言葉選びは慎重にするべきであるのに、記事を書く前に調べもしないのか? 或いは反皇室のイデオロギーが皇族を特別視する事に抵抗しているのか? これでは韓国が天皇陛下を〈日王〉と蔑称するのと同じではないか? 全くマスメディアの皇室に対する不敬、在日汚染は深刻である。米国が71年〜64年前に悪意を持って仕込んでいった〈敗戦利得者・反日左翼〉〈在日韓国朝鮮人〉という癌細胞は今、至る所に転移して日本を蝕んでいる。

大東亜戦争に勝利した米国は、日本を弱体化させる為に「皇室改革」を日本占領政策の重要な柱として考えていた。天皇を含む皇室全体を廃止するか否かについては、GHQだけでなく米国本国を巻き込んで大きな議論を巻き起こした。そしてマッカーサー元帥は最終的には皇室制を維持した。GHQはその一方で、皇室から多くの特権を取り上げ、皇室が政治に関与する事ができない体制をつくり、更には、皇室の規模を縮小させた。

皇族方が最も恐れたのは、皇族としての身分を失う事だった。皇族が皇籍を離脱して臣籍に降りる事、詰まり皇族の身分を離れて民間人になる事を「臣籍降下」といった。但し、新憲法の発布をもって「臣籍」が無くなった為、皇族が皇族の身分を離れる事を現在では「皇籍離脱」と呼んでいる。
 
併し、臣籍降下論に強く反発した皇族も居られた。閑院宮は臣籍降下に強く反対したお一人である。後に著書で「私も、皇族には皇族としての使命も役割もあるのであって、臣籍降下の如きは、その使命を軽んじ自ら卑下して時勢に阿るものであるとして、反対した」と記している。閑院宮の他、皇族の殆んどは臣籍降下に反対だった。

皇族たちの不安をよそに、GHQは皇室縮小への圧力を徐々に強めた。皇室財産の解体に着手したのである。GHQは昭和20年9月22日付「降伏後に於ける米国初期の対日方針」の中で、皇室財産についての方針を明らかにしている。「日本の商工業の大部分を支配した産業上及び金融上の人コンビネーションの解体を指示すべき事」と、財閥の解体に言及した上で「皇室の財産は占領の諸目的達成に必要な措置から免除せられる事はない」と、皇室財産についても財閥と同様に解体されるべきであると明示したのである。

昭和20年10月に始められた皇室財産の調査は、皇室財産解体の第一歩だった。調査は現金・土地・株式から、宝飾品や漆器に至るまで換金性のあるもの全てに及び、詳細なリストが作成された。調査を終えたGHQは10月30日、皇室財産を発表した。現金、有価証券、土地、森林そして建物の総額は15億9061万5500円だった。尚、この数字には美術品、宝石、金銀塊などは含まれず、また14宮家の財産も計上されていない。11月20日、GHQの指令により皇室財産は凍結された。GHQの事前の承認のない限り、経常費を除く全皇室財産の取引を封鎖する事、8月15日に遡り、これまでの皇室財産の移動を無効とする事などが指令された。

GHQは昭和21年5月23日、皇族の財産上に於ける特権の剥奪を指示する。これまで皇族は天皇から歳費および特別賜金を賜わり、日々の生活が保障されていた。加えて必要な邸地は 天皇から賜る事になっており、皇族付職員も宮内省から派遣され、更に免税特権など、数々の経済的な特権も与えられていた。然も終戦後は宮内省からの食糧配給もあり、皇族は食糧難による生活苦もある程度緩和されていただけでなく、不足していた自動車用のガソリンの特別配給も受けていた。

併しGHQの指令により、それらの特権が剥奪され、歳費も打ち切られた。昭和22年(1947年)5月3日に新憲法と同時に施行される事になる皇室経済法で新たに皇族の歳費が規定され、歳費は国庫から支出される事になった。だがこの皇室経済法は12宮家が臣籍降下する事を前提として組み立てられたもので、残る少数の皇族に対して定額を支給する事になった為、皇族費の総額は著しく減額される事になった。

皇族に対する締め付けはそれだけではなかった。占領直後からGHQは、日本政府に対して財産税の立案を求めていた。政府は昭和20年11月16日、立案計画書を提出したが、GHQは24日、昭和21年の最初の議会で関係法案の成立を図る事、及び皇室財産についてもこの計画から除外されてはならぬ事を条件として政府案を承認した。これは、既に凍結してある皇室財産の大部分を、財産税によって国有化する方針であり、日本政府はこれに反対するも、結局GHQには受け容れられなかった。
 
GHQは皇室財産を調査し、凍結した上で、莫大な財産税を課税、そしてついに新憲法の公布により、皇室財産のほぼ全てを国庫に収めさせるという計画を立てていた。昭和21年9月30日、財産税法案が衆議院に提出され、その時点に於ける個人所有の財産について課税するというもので、10万円未満を免税とし、累進税率が採用された。1500万円を超える財産を所有している場合は〈最高税率に90%〉が適用された。

これにより全体で約43億円の税収が見込まれた。財産税法は昭和21年10月11日に議会で可決され、11月12日に公布、20日に施行された。財産税の申告期日は昭和22年1月31日とされ、納付期限は申告期日の1箇月後とされた。斯くして、皇室財産は約9割が主に物納により国庫に帰属する事になったのである。

天皇家の財産は評価総額、37億4712万円となり、財産税として納税された金額は33億4268万円となった。十四宮家の中で最も多額の財産税を納入したのは高松宮だった。三井、岩崎、住友などの大財閥の資産が、凡そ3億円から5億円だった事と比べると、37億円を超える天皇家の財産がどれだけ大きかったかが理解できよう。

凡そ70年前に断行されたGHQによる〈日本弱体化計画〉は着々と効果を現し、日々現実のものとなっている。〈謂れ無き贖罪意識〉を負わせて、日本国民から自信と誇りを奪い去り、〈皇室縮小の断行〉は皇室の存続そのものを脅かして、我が国から「日本なるものの根本」を消し去ろうとしている。今、人気絶頂の安倍政権は、この〈重大な日本の危機〉に気付いている様には見えない。

先ず、「皇室典範」を有識者などでは無く「皇族会議」を以って充分にご検討いただき、その上で皇族を交えた有識者会議で〈あるべき姿〉に再構築していくべきである。旧宮家の方々に皇族に復帰していただく事も重要な選択肢である。皇室の存続、在り方には日本の国柄が掛かっている。〈反日左翼や在日韓国朝鮮人〉に内部から蝕まれたこの日本を、再び力強く蘇らせる為には「皇室」は絶対的に重要であると、日本人たる者、肝に銘じるべきである。