《「大日本帝国憲法」は法的に破棄されていない。GHQが違法に占領時統治法とすり替えていっただけ。これを正さないのは日本の恥である。》

私は筋の通らない事が大嫌いである。憲法改正論議も然り。多くの日本人保守層は〈現行憲法 改正を是としている〉。併し、それは間違いである。嘗て石原慎太郎氏が東京都知事をされていた頃、「日本国憲法? あんなものは破棄すればいい」と発言された事がある。何れのマスメディアも「極論」と決めつけ、大きく取り上げる事もなく国民の保守層に敢えて忘れ去られるに任せた。私はその「極論に賛成」である。それしか正しい道は無いと考えている。

戦後の混乱冷めやらぬ1946年(昭和21年)12月21日、何処からとも無く現れた「憲法普及会」という組織が活動を開始した。勿論、裏にはGHQが居たのだが、この「憲法普及会」の『洗脳活動』は凄まじかった。ガリ版刷りのビラを毎日毎日配り、路上で辻説法を行ない、学校教育にまで口出しをした。子供を洗脳するには「教科書と教員」を使うのが一番だという事をよく知っていた。如何にもGHQらしい気の配りようである。

現代の日本人は「憲法」と聞くと瞬時に自動的に「占領時統治法」を連想するようになっている。GHQの洗脳が行き渡っている証拠である。「憲法普及会」の洗脳工作は食生活にまで及んだ。「米を喰うと頭が悪くなる」とかいう噂が、何処からともなく知れ渡り、パン食を普及させ小麦の需要を増やしていった。それが米国の食料安全保障 戦略であるとも知らず、日本人は難なく受け容れてしまった。

ルソーを翻訳して「自由民権運動」を日本に紹介したのは中江兆民である。「国民主権思想」は現代に於いて大多数の国民に良しとされているが、実はこの思想こそGHQが占領中に日本国民に刻み込んだ「危険思想」=「共産主義思想」である。

殆んどの人間は18〜22歳までは親の脛を齧(かじ)り、75歳ぐらいになると子の世話になるのが一般的だろう。誰の世話にもならずひとりの力で生きていけるのは凡そ50年くらいである。若者には俄かに理解し難いだろうが、50年など過ぎてしまえば一瞬である。「国民主権思想」とは〈この一瞬を絶対視する思想〉である。

「国民主権」「主権在民」とは、この一瞬の個人の自由を絶対視し、個人が国家を監視すると言い、主権無き天皇陛下をも見下ろす存在であるかのような傲慢な錯覚を齎らす。「占領憲法改正」論者、「自主憲法制定」論者は、自らの傲慢に気づいていない。「国民主権」主義者、「占領憲法改正」論者、「自主憲法制定」論者は、自分が『共産主義思想』に毒されている事に気付いていない。僅か50年という一瞬の「自立生涯」を超越するものを完全に見失っている。

それこそ『家族』である。「ご先祖様」と「自分」と「子孫」である。連綿と続く命のリレーを一体と考えた時、「一瞬の自分だけを絶対視する小ささ、狭量さ」に気付くべきだ。連綿と受け継がれてきて、始めて自分が今ここに在り、自分の後もまた連綿と受け継がれていく命を祀るのが『祭祀』の道であり、これに感謝の気持ちを持って日々欠かす事なくお祈りされているのが「最高位の祭司」=『天皇陛下』であらせられる。

誤解されたくないのが、天皇陛下ご個人を現人神(あらひとがみ)と崇めよと言っているのではない。それでは争いの尽きない「一神教」と同じである。飽くまでも、万世一系2676年の長きに亘り、唯ひたすら「国民の安寧と平安、ご先祖様への感謝、全世界の平和」をお祈りし続けてくださる『祭祀』の道の最高位の祭司としての天皇陛下を敬い奉(たてまつ)るのが本来の日本人の姿である。

憲法に話を戻すが、国会で初めて〈自主憲法制定〉を主張したのは共産党であった。憲法9条に対しては、現行憲法の制定に関する1946年(昭和21年)の衆議院本会議に於いて、共産党の野坂参三議員が、共産党を代表して占領憲法に反対している。野坂は「我が国の自衛権を放棄して民族の独立を危うくする危険がある。それ故に我が党は民族独立の為にこの憲法に反対しなければならない。」と述べている。

日本共産党はコミンテルンから資金援助を受けていた。その共産党員が占領憲法に反対して〈自主憲法制定〉を主張していた。野坂参三と同じく衆議院議員であった志賀義雄も「憲法改正を周知徹底させる為には、議会の会期を延長するよう強く主張した。その日その日を喰うや喰わずの国民には憲法の事など考える余裕は無かった。そんな国情を見計らっての違法な憲法改正論議であった。

【これは〈簡単には理解できない難しい話〉であろうが、「国民主権」「占領憲法改正」「自主憲法制定」論は、押し並べて日本を壊滅させかねない危険思想である事を理解していただきたい。】一国の最高法規「憲法」とは〈飽くまでも憲法の条文に則った方法で改正されなければならない〉。現行憲法は大日本帝国憲法の規定を無視して、無意味な、形式的手順を踏んだ振りをして押し付けられたのである。

従って、〈「大日本帝国憲法」は現在も厳然と生きている〉。正統な憲法が存在しているのに、勝手に都合よくつくり直そう、或いはゼロから新しくつくってしまおうというのは文明国、法治国家のする事ではない。それではGHQの横暴不遜な所業と同じである。

一部の方々を除く多くの政治家の憲法に関する知識は中学生の社会科終了程度としか思えないくらい無知である。どうして「日本国憲法」という「占領時統治法」が「無効」であるかを理解できないまま、96条を手直しするとか、最終的に9条を変更するとか、自主憲法を制定するとかの議論をするのであろうか。もし〈改正手続きなど始めたら、サンフランシスコ講和条約の後、64年を経て、改めて現行の違法な占領時統治法「日本国憲法」に法的根拠を与えてしまう〉ではないか。

例えば「交戦権は、これを認めない」とあるが、「誰が」認めないのか?「GHQ は」なのである。本来の日本語の条文であれば「交戦権を放棄する」と書けば充分ではないか。1952年(昭和27年)のサンフランシスコ講和条約の第1条には「GHQとの戦争状態は終結する」と書いてある。つまり「戦争状態・占領統治中に現行の憲法と言われているものができた」のだから、戦争状態が集結したから元に戻って宜しいと言っている。

【占領統治中は「憲法はつくれない」。これはハーグ陸戦協定の説明をするまでもなく国際法上の常識である。そして、『大日本帝国憲法第73条の改正条項』には「天皇に改正発議権がある」と明記されている。その時、天皇陛下は事実上GHQに人質として捕らえられておられた。同じく第75条には『摂政が置かれる間は、憲法改正発議はできない』と書いてある。「摂政が置かれる間」とは、天皇陛下が『御不例』(正常な状態でない)であられる事を言う。人質として捕らえられておられる事は正に御不例である。】

よって、【大日本帝国憲法、第73条、第75条により現行の占領時統治法「日本国憲法」は日本の国内法に照らしても無効。国際法に照らしても無効】なのである。

〈同じ敗戦国、ドイツでは暫定法である「ボン基本法」で乗り切って、後に自らの憲法に則って新憲法に改正した〉。日本だけが恒久法として所謂「日本国憲法」(占領時統治法)を無理矢理、違法に呑まされた。それどころか日本政府は「平和憲法」を盾に、米国による朝鮮戦争参戦要求を断り続けた。明治憲法改正の一大チャンスを日本人自らの手で遠退けたのである。

GHQと今の政治家・憲法学者・識者たちが何を言おうとも上述した通り、〈現行の占領時統治法である「日本国憲法」は無効で、今もって『大日本帝国憲法』は厳然と生きている〉のである。所謂「日本国憲法」を飯の種にしている憲法学者はこれを認めない。占領時につくられた現行の似非憲法に権威を見出す憲法学者は皆、反国家的愚か者である。そして彼等も憐れな敗戦利得者という事が言えよう。

今、日本国民がやるべき事は唯ひとつ。【所謂「日本国憲法」を無効として、『大日本帝国憲法』に基づいて、時代の要請に応えたものに改正すれば良い】のである。これを〈心ある国会議員に訴える〉事だ。これを理解できる真面な政治家が居なければ、国民が真面な政治家を育てる事だ。その為には、国民が、これを理解しなければならない。〈この道を進むのが「独立国」足らんとする「法治国家」日本の在るべき唯一の姿である〉と私は堅く信じている。

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▪️伊藤博文著『憲法義解』の現代語訳
http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/kenpou_gikai.htm