《「日本の戦争」が持つ人類史的意義。全世界に欧米植民地支配への反転攻勢の戦いを引き起こさせたのが「日清・日露戦争〜大東亜戦争」である。》

白人諸国による500年に亘る植民地支配の歴史は、人類に「悲劇の連鎖反応」を引き起こした。悲劇の発端は、1494年6月7日にスペイン、ポルトガルによって結ばれた「トルデシリャス条約」により世界全域を2分割し、互いの進出範囲を決めた事だ。この範囲はローマ教皇アレクサンデル6世の追認するところとなった。この2箇国は人類にとって余りにも傲慢な条約を思い付いたものである。つい最近では中共が太平洋2分割論を米国に持ち掛けて、支那人が如何に傲慢で前時代的かを全世界に知らしめた。

白人による植民地支配は、実に急速に広範に展開した始めた。イギリスは産業革命の勢いによってインド全域を支配すると共に東南アジア、支那、オセアニアなどへの進出を強化していった。アジア全域に及ぶ白人たちの進出と支配は、イギリスに空前の経済発展を齎らし、それが他のヨーロッパ諸国を大いに刺激し、ヨーロッパ全体の産業革命に繋がった。これによりアフリカに熾烈な植民地争奪戦が展開された。ヨーロッパの産業革命がアフリカに悲劇を引き起こしたのである。

多くの有色人種にとって悲劇であった白人による植民地主義の犠牲という「影の部分」は、白人社会に一大繁栄を齎らした産業革命と表裏一体のものであった。言い換えれば、「産業革命とは植民地搾取の上に成り立っていた」のである。

このように白人たちは、物産資源の獲得の為には、手段を選ばない非人道的な方法で、原住民の有色民族を抑圧・支配し、必要とあらば民族絶滅へと追い込んだ。このような非人道的行為は、日本人から見れば、およそキリスト教的博愛精神とは結び付かないが、見境のない物産資源の獲得欲の為には、その非人道的行為さえも、キリスト教の教義によって正当化されたのである。キリスト教とは白人に好都合な誠に血生臭い宗教である。

第1次世界大戦が引き起こされた過程は、先ずヨーロッパ産業革命の勃興によってアフリカに於ける植民地争奪戦が激化し、19世紀末から20世紀初頭にかけてアフリカが一気に植民地支配されていったものである。

それに並行して、亡国寸前にあったオスマン トルコの利権を求めて、諸勢力が中近東及びバルカン半島地域に介入。そして、アフリカに於ける植民地状況が飽和点に達し固定化されるのを機に、この地域の諸勢力の対立が一気に深刻化していった。

更に、日露戦争に敗北し、この地域に主力を転換したロシアが、この対立構造に加わる事によって、その対立は一層深刻化し、ここに第1次世界大戦の原因が胚胎していたのである。第1次大戦後、パリ講和会議でドイツは徹底的に貶められた。それが結果的にドイツに激しい復讐心を植付け、第2次世界大戦のヨーロッパ戦の大きな要因となった。

一方、第2次世界大戦、とりわけ大東亜戦争の場合は、第1次世界大戦後、中近東・中央アジア及び東欧の利権固定化によって、全世界の中で新たな植民地支配の可能性のあった地域が支那大陸だけになったところに大きな原因があった。他の殆んどのアジア諸国は既に白人植民地主義の手に落ちていた。

新大陸発見以降の500年間、世界の殆んどの国が、白人による植民地支配を受けた。植民地支配を受けなかった国は、アジアでは日本、タイ、ネパールの3箇国、アフリカではエチオピアの1箇国、ヨーロッパではイギリス、フランス、ロシア、スペイン、ポルトガル、ドイツ、イタリア、オーストリア、デンマーク、スイスの10箇国、合計14箇国である。

植民地支配を受けなかった14箇国の内、植民地支配を自ら行った国は、イギリス、フランス、ロシア、スペイン、ポルトガル、ドイツ、イタリア、オーストリア、デンマークの9箇国である。そしてイギリスから独立したアメリカも植民地政策をとった。

植民地支配を受けなかった15箇国の内、植民地支配をしなかった国、則ち、植民地支配を受けず、且つ植民地支配をしなかった国は、日本、タイ、ネパール、エチオピア、スイスの僅かに5箇国だけである。尚、日本の台湾、朝鮮統治については欧米の植民地支配と同じ「植民地」という言葉で一括りにして論じられるべきものではない。「植民地」と「併合・合邦」の違いは別の機会に述べる。ここでは「植民地支配」とされる日本の行為が、白人ヨーロッパ諸国の「植民地支配」とは全く別物であった事のみ強調しておく。

日本が国際社会に参入したのは明治維新以後からであるが、この明治維新の時期は、アジアの殆んどの国が欧米の植民地主義に飲み込まれていった。日本の明治維新は、この緊迫した状況の中で、欧米植民地主義の圧力から如何にして日本の独立を保持し得るかという危機意識から断行された。日本は欧米に対抗し得る国家体制を実に賢明に迅速に整えたのである。

その後の日清1894~95年(明治27~28年)・日露1904~05年(明治37~38年)の2つの大戦の時代は、アジア、アフリカが完全に欧米植民地主義に飲み込まれていった時代であり、欧米の圧倒的な植民地政策の波が、支那大陸、朝鮮半島に集中していった時代である。そのような中で日本が自らの独立を護る為には、近隣諸国、極東アジアの安定と平和が必要不可欠であった。

このように考えると、日本は明治維新から一貫して自存自衛の戦いと欧米植民地主義に対する反転攻勢との戦いとを一体的に融合して続けて来た事が見えてくる。日本の戦いは、これまで欧米500年の世界植民地支配の流れの中で捉え直してみると、欧米植民地支配の最終段階にあって欧米植民地主義の波が、宿命的に支那大陸、朝鮮半島、日本に集中してくる事によって、正に日本の自存自衛の戦いが、単なる局所的戦いに終わるのではなく、全世界を席巻した欧米植民地主義に対する反転攻勢の戦いに昇華されていったと言えるのである。

換言すれば日本の周辺に集中して来た欧米500年の植民地主義の最終戦を、日本がアジア・アフリカでただ1国、宿命的に我が身に引き受ける事によって、局所的な日本の自存自衛の戦いの形をとって、正に人類史的使命を果たすべく、白人による世界的に拡がった植民地支配を終焉せしめたのである。

ここに日本の日露戦争が、日本の予想を越えて、欧米植民地支配下、影響下にあった中近東、中央アジア、東南アジア、東欧、北欧の諸民族に多大な勇気を与え、自主・独立の気運を醸成させた所以があり、また、昭和の初期から始まった支那大陸に於ける日本の権益を巡っての自存自衛の戦いが、大東亜戦争に至るにあたって一気にアジアに於ける独立解放の全面展開の戦いに展開していった所以があるのである。

大東亜戦争前では、世界で独立国は69箇国であったのが、現在では196箇国に増加している。このように大東亜戦争以降は、欧米植民地下にあった殆んどの諸民族が独立を達成していった。東南アジアからアジア、アフリカの全域に及び、更にアジア系・アフリカ系の住民の比較的多い一部の中南米の地域に及び、遂にはソ連邦の崩壊によって旧ソ連地域に及んで、全世界の諸民族が独立するに至った。則ち、日本が明治維新以降ずっと堅持して来た欧米植民地主義に対する反転攻勢の戦いは、確実に全世界に広がり再現されていったと言えるのである。

このように見てくると日本が国家の命運を賭けて戦い続けて来た明治維新、日清・日露、大東亜戦争は、明らかに、これまでの欧米植民地主義によって形作られて来た世界史の流れを大きく変えるものであった。特に大東亜戦争は、2つの世界大戦を立て続けに引き起こすまでに、行き着く所まで行った欧米の世界植民地支配の野望を、ものの見事に打ち砕き、それを大きく後退させた点で、誠に計り知れない人類史的意義を有していたのである。