《失ないつつある日本人の心意気が残されているうちに、真の日本人として復活できなければ、我が日本は抜け殻となり、特亜と何の変わりもない国に堕してしまう》

歴史を読んでいると、あの時こうしていれば、結果は違ったかも知れないと思うのは、誰でも経験する事だろう。あの時「桂・ハリマン協定」を結んでいれば、大東亜戦争は避けられただろうか?おそらく戦争は避けられなかっただろうが、敗戦の仕方は変えられたかも知れない。それを考えても、現在は変わらないが、教訓として学ぶべき事はある。

E・H・ハリマンは、ニューヨーク出身の銀行家であり、ユニオン・パシフィック鉄道及びサザン・パシフィック鉄道の経営者(鉄道王)であった。ヤコブ・シフと共に日露戦争中には日本の戦時公債を1人で100万ドルも引き受け、ポーツマス条約締結直後に訪日して、1億円という破格の財政援助を持ちかけて、南満州鉄道の共同経営を申し込んできた。

ハリマンは単なる鉄道王ではなく、東アジアに興味を持つ事に於いて、米国務省とその思いを同じくする米国式の企業家であり、自分は日露戦争の際、大いに日本の為に尽力した日本の大恩人でもあるという自負もあっただろう。

日本側も乗り気で1905年(明治38年)にポーツマス条約で獲得した奉天以南の東清鉄道の日米共同経営を規定した「桂・ハリマン協定」を結んだが、満州から帰国したばかりの天才的外交官と謳われた小村寿太郎外相の反対により破棄された。

大変な犠牲を払って手に入れた権益を、名は日米合弁でも、資金も米国、技師も米国に与えてしまうつもりか。これは万難を排しても、断乎反対してぶち壊すべきだ、というのが小村の意見であった。

日本への帰途の小村の胸中とは裏腹に、来日したハリマンは、非常な歓迎を受けた。彼は東京滞在中 総理大臣 桂太郎はじめ、政界、実業界の巨頭などと会見し、己れの夢「世界一周鉄道計画」なるものについて、その成算とその実現後の世界交通の大飛躍に関して、熱心な勧説をなし、その結論として、この計画を遂行する為に、南満州鉄道を「日米共同管理」でやりたいという事を、桂首相はじめ諸元老に申し出たのである。

この触れこみは、ハリマンの胸中に事実上存在した計画であったには相違ないが、まず眼前の、そして現実の目的は、南満州鉄道を獲得する事による米国の満州支配にあったのであり、その大風呂敷は、目的の中核をぼかして世界を煙に巻き、日本を甘く誘う為の偽装とも解せられた。

ハリマンの正体こそ、実にロシアの退却を契機として、支那の鉄道利権争奪戦に立ち遅れていた米国が、正に東アジアに大攻勢を展開しようとする「前衛」であり、彼はルーズベルト大統領の「密使」ともいうべき男であったのである。

諸元老中、ハリマンの申し出に対して、一番熱心に賛意を表したのは井上馨であった。井上が何故このような提案に賛成したかというと、財政上の困難に伴う戦後経営の消極退嬰主義から、南満州鉄道の復旧に莫大な資金を要するとの懸念、ロシアの復讐に対する強い警戒感にあった。

南満州鉄道を、日米の共同管理にしておけば、それは日露の緩衝地帯になるばかりでなく、万一ロシアが数年後に立ち直ったとしても、日本と米国を相手に戦争は出来ないから安心だ。米国の歓心を買い、戦後経営の資本を、米国から借りようとの下心もあった。

ロシアという東亜に対する前門の虎を撃退した小村は、ロシアに代わって東亜を窺おうとする米国という後門の狼を、断乎として一蹴したのである。手に入れたかに思われた巨大利権を取り逃した狼(米国)が、その執念の炎を燃やしながら、狂いはじめる事は、必然の趨勢であった。この時以来、米国の遺恨は膨らみ続けたと言っていい。

「桂=ハリマン協定」が実を結んだとしたら、大東亜戦争は避けられただろうか?日本人が誇りを捨て去り、よほど卑屈に米国につき従えば、米国は日本人を殊更、恐れず、憎まず、戦争にまで引きずり出しはしなかったかも知れない。日本人が、他のアジア人と同様に白人には鼻から勝てないものと諦め、誇りと道義を打ち捨てていれば、大東亜戦争は起きなかっただろう。

もしそうしていれば、当然、アジア諸国の白人宗主国からの独立も無く、米国の属国としての惨めな大日本帝国の姿が残る事になる。併し、日本人は飽くまでも日本人である。米国に巣食うユダヤ人資本家の資金援助があっからとはいえ、ロシア帝国を撃滅せしめた大日本帝国である。そんな屈辱的な道など選択しよう筈はない。白人は強欲にして傲慢、やはり大東亜戦争は人類史の必然であった。

こう考える事ができれば、靖國神社は総ての有色人種の旧植民地国家の「聖地」と考えるべき神聖な場所である。白人宗主国はアジアの植民地を悉く失った。代償として、大東亜戦争に惨敗した日本人は、米国人に徹底的に、負け犬根性を叩き込まれた。今の日本人は、GHQの公職追放令により空けられた大きな穴に入り込んだ敗戦利得者や在日により、穢れを吹き込まれて育った日本人である。戦前の日本人ではない。

然も、今の日本人の中には、本来の日本人とは相入れる筈もない朝鮮人が数多く成り済ましている。GHQの策謀により、意図的に在留を許された「穢れ」が、この日本に数知れず紛れ込んでいる限り、嘗ての誇り高く、品格ある日本を取り戻すのは至難の技である。

日本の復活。米国の属国から抜け出る為には日本に敵愾心を滾らせる「穢れ在日、反日帰化人、反日劣化日本人」の「駆逐」は避けて通れない。これからは静かなる内乱の時代を覚悟しよう。事なかれ主義は国を滅ぼす。過ぎた歴史は変えられない。サンフランシスコ講和條約 以来の失われた64年間の国民的無作為を嘆いても仕方ない。

過ぎた歴史は、嘆かず、忘れず、戒めとして、果敢に日本復活を信じて邁進しよう。〈我が先人は人類史を塗り変えた〉。いつの日か、真の独立国となって「靖國神社を人類の誇り」と宣言してみせよう。賛同者は世界中に沢山居る筈だ。日本が真面(まとも)な国になりさえすれば実現する。見果てぬ夢としない為の30年間はもう始まっている。敗戦後100年というのは間違いなく一つの節目であるから。

嘗て、米内(よない)光政海軍大臣が「日本民族は優秀だから50年経てば必ず蘇る」と上奏したところ、昭和天皇は「朕はそうはおもわない。300年はかかるだろう」と言い切られたという。日本を取り巻く国際環境は当時の予想を遥かに上回る速度で変化している。敗戦後の71年間を振り返ると、このままの無為無策を後230年程も続けていては日本人の心棒は更に穢れて無くなってしまう事が容易に想像できる。せめて敗戦後100年目には、敗戦前の〈清貧を恥じず無垢で果敢で思い遣りある日本人の心意気〉を取り戻して居たいものである。