《 国家政策として反日教育を実施している国と少しでも友好を深めようと努力する誇り無き思慮浅い日本政府 》

反日教育と言えば特亜三国に決まっている。他に国策で反日教育をしている国など世界広しと雖(いえど)も何処にも無い。中共政府はプロパガンダとして活用する価値があるから反日教育を続けている。韓国政府はファンタジーを盲信する国民を今更裏切れないから反日教育を止められない。北朝鮮はプロパガンダとファンタジーのミックスが統治に都合が良いのだろう。

中共の反日政策が始まったのは江沢民氏が主席になってからだから反日教育の歴史は比較的浅い。中共が反日政策を打ち出したのは、1989年の天安門事件やベルリンの壁崩壊、ソビエト崩壊などによる世界的に共産党政権からの民衆の離反による政権崩壊を目の当たりにして、中共がそれを回避する為だと思われる。

1989年は丁度、江沢民氏が中国共産党中央委員会総書記に就任した年でもある。天安門事件での自国民虐殺の指令は就任したての江沢民主席ではなく、前任の最高実力者 鄧小平氏だと言われている。江沢民氏は困難な時期に国を任されたものだ。

前述した通り、中共が反日政策をとりだしたのは国際環境の変化に依るところが大きいのだが、度を越した反日教育に固執したのは実は江沢民氏の日本に対する個人的憎悪感情に依るところが大きい。 興味深い事に、中共では国父扱いされている毛沢東氏は、周恩来氏の堅実な補佐もあり、露骨な反日政策はとっていない。

江沢民氏の日本憎悪を理解する為には、日本では殆んど教育されていない近現代史の真実を知る必要がある。我々日本国民は歴史の授業で「汪兆明の南京政権」について学んだ筈だが、実はその実態についての真実を学ぶ機会が無い。精々「汪兆明の南京政権は日本軍の傀儡であった」ぐらいだろう。さほど重要な歴史として教育されないから記憶している人も少ない。大学入試にも必要無い知識だから受験勉強でも飛ばされてしまうのが実情だろう。

併し、当時の日本と支那の関係を理解する為にはこの時代の事は非常に重要である。当時の日本軍と汪兆明政権が支那人たちの生命・財産を必死で守ろうとしていた事も見えてくる。文科省は反日教育などに加担せずに、この時代の事を未来を担う子供たちに事細かに真実を教育するべきだろう。

汪兆明の南京政権ができたのは1940年である。日本軍の南京入城が1937年12月13日。注目すべきは「南京大虐殺」があったとされる、わずか4箇月後の1938年3月28日に北洋軍閥系の要人であった梁鴻志氏によって、「中華民国維新政府」が南京市で樹立され、南京を首都にしたのである。中共政府が言うように「南京で30〜40万人もの支那人が日本軍に虐殺された」のなら、こんな事は有り得ない。

更に重要な事は、南京は江蘇省にあったという事である。江蘇省揚州市で1926年に江沢民氏は生まれた。日本軍の南京入城が1937年だから江沢民氏は当時は11歳。江沢民氏が必死で隠している事に、江沢民氏の父、江世俊氏は「日本軍の協力者」であった事実がある。江沢民氏はこれだけは絶対に公にされては困る筈だ。日本軍の協力者である父の勧めで江沢民氏は「南京中央大学日本語専攻」に入学している。

この事実を隠す為に、江沢民氏は殊更 反日政策に邁進し、愛国教育という名の反日教育を徹底する事になる。江沢民氏の内面は憶測するしか無いが、彼の胸中は、日本軍の協力者であった父を憎み、大学で日本語を専攻した自分を恥じ、何としても過去を消し去りたいという果たせぬ願望で充ち満ちている事だろう。それが過剰な反日政策の原動力となった事は容易に推察できる。

実際に、江沢民氏は日本のスパイと言われた実父江世俊氏ではなく、既に故人であり中国共産党員であった江世侯氏という別人の戸籍に入る事によって自らの過去を隠蔽し、人一倍、反日姿勢を強調する事で自らの生命と地位を守ってきた。反日政策の推進は何よりも江沢民氏の保身になった。こうして中共の反日教育は殊更過激に始められたのだ。

中共が反日教育を開始してから僅か27年である。27年と言えば凡そひと世代である。抗日戦争で日本軍を支那から追い出したという虚偽のストーリーで自らの統治の正統性を強調する必要のある中国共産党は、これからも反日教育を止めはしないだろうから、支那人・中共人民は今後何世代にも亘って日本を憎み続けるだろう。日本政府は中共政府と友好関係を築けるなどと夢々考えてはいけない。中共政府との外交交渉は全ての場面が生きるか死ぬかの決戦なのである。まぁ、国家間の外交とは元々そういうものだろうが、中共のような国が相手の場合は特に厳しいという事だ。政治家・外務官僚・教育者は、日中間の近現代史を何度でもおさらいする必要があるのではないか?