《自分で自分を洗脳する日本人。嫌日に拍車をかける日本政府とマスメディア…日本人よ、そろそろ目を醒ましてもいいのではないか?》

捏造作家ピエール・ブールは、フランス政府からレジオンドヌール勲章、軍功章およびレジスタンスのメダルを受章した。戦後暫くの間はマレーシアで農園の仕事を続けたが、その後パリに戻り、獄中日誌や小説を書き始めた。代表作であり映画化もされた『戦場にかける橋』や『猿の惑星』は、仏印での経験を基に描かれたといわれている。

中学生の頃、私は新宿のテアトル東京という映画館の指定席で「猿の惑星」を観た。主演のチャールトン・へストンの大ファンだったからだが、掌に悪い汗をかいて、とても後味の悪い印象の映画だったと覚えている。勿論、中学生の私には「猿」=「日本人」という白人の認識は直ぐには理解できなかったが、後で知って非常に腹を立てた記憶がある。

映画「猿の惑星」の日本での興行成績の良さに、白人社会は陰で嘲笑していたというが、私もその嘲笑の対象であったのが何とも悔しい。映画公開当時も公開から数十年経った比較的最近も続編が幾つもつくられ、現にTSUTAYAなどに未だに並んでいるのを見ると、罪悪感にも似たほろ苦い記憶と共に日本人として何とも情けない気持ちになる。

ピエール・ブールは、1936年から1939年まで英領マラヤにあるゴム園の監督者として働いていた。日本軍による被害者意識が強い人物だが、何の事はない、典型的な植民地主義者で、然も、監督者となれば、現地人に数々の暴行を働いても心を痛めない差別主義者であった事が容易に想像できる。

1939年に第二次世界大戦と呼ばれる戦争が始まるとブールはフランス領インドシナ(仏印)でフランス軍に徴兵される。 併し、ナチス・ドイツのフランス本国占領を受けて、本国に発足した親ナチス・ドイツ政権(ヴィシー政権)の側に仏印植民地政府が付くと、彼はシンガポールに逃れ、ナチス・ドイツとの抗戦を訴える自由フランス軍に加わっている。

ブールは自由フランス軍の一員として支那・雲南省に赴き、中国国民党と接触、ゲリラとして仏印に戻り、1943年に日本軍の捕虜となる。翌1944年に捕虜収容所を脱走し、英国軍の水上機で脱出。カルカッタで特殊作戦執行部(SOE)のフォース136に志願し、現地で終戦を迎えたと自称している。

併し、実際には仏印で工作活動を行っていたブールを捕えたのは日本軍であったが、親ナチス・ドイツのヴィシー政権側に付いた仏印植民地政府と仏印駐留日本軍との協定により、フランス人であるブールの身柄は、日本軍から植民地政府軍に引き渡されたであろうと推測するのが妥当だ。

日本軍による捕虜虐待というのは、人種差別主義者ブールの勘違いである可能性が高い。ブールにしてみれば、植民地政府軍の手先として使われた現地人であろうが、日本軍であろうが、見分ける必要もない「猿」だったのだろう。

「戦場にかける橋」は1943年のタイとビルマの国境付近にある捕虜収容所を舞台に、日本軍の捕虜となった英国軍兵士らと、彼らを強制的に泰緬鉄道建設に動員しようとする日本人大佐との対立と交流を通じ、極限状態に於ける人間の尊厳と名誉、戦争の惨さを表現したという触れ込みの戦争映画だ。

劇中に登場する英国軍兵士への数々の懲罰は、原作者ブールが実際に体験したものであると述懐している。おそらく、かなり誇張したのだろう。第30回アカデミー賞 作品賞を受賞し、主題歌も大ヒットした。

舞台となった橋が架かる川の旧来の名称はメークロン川であったが、この映画によって「クワイ川」が著名となった為に、クウェー・ヤイ川と改名され、クウェー川鉄橋は映画公開後半世紀経過した現在でも観光名所となっている。

「戦場にかける橋」の脚本は日本人としては噴飯物である。最近テレビの洋画番組からはすっかり姿を消した、洋画好きの自称映画評論家達が口を揃えて「名作」「大作」と好評価した映画だが、所詮、連合国側のプロパガンダ映画でしかない。

描かれているのは、気高い英仏両軍捕虜と、無能で国際法違反をものともしない、頑迷、無知、残虐な日本兵の姿である。橋を建設する知識も能力もない日本軍に、数々の軋轢や不当な扱いを乗り越えて、最終的には英国人が、橋造りの能力を見せつけるのだが、プロパガンダ映画の例に漏れず、史実無視も甚だしい。

実際には、橋は日本軍が設計し、日本軍がコンクリート製の橋頭を幾つも造り上げている。英国人捕虜の知識など、この時点では要らない筈だ。

完成の日の夕刻、英国軍将校と日本人大佐は橋の上で、苦心の末に完成させた橋を照らす夕陽の美しさに感慨に浸っていた。そして英国人将校は、明日で入隊して28年を迎えると言い、28年間の人生を振り返った。「28年の月日の中で本国にいたのは精々10箇月。併し、その中でインドという国を好きになった。今、人生が終わりに近づいているのが分かる。自分の人生は誰かにとって有意義なものであったか。」とどうでもいい事を言う。

インドでの英国人の悪行は数知れない。教育もしなければ、たまたま優秀そうに見え、将来 英国人に逆らいそうな若者は、文字を書けないように両手首を切り落としたという。そうして支配してきたインドという国を、この将校は「好きになった」と染みじみ言ってのけるのだ。現実には日本が統治した地域には教育が施され、言語も統一されているが、英国が統治したインドでは今でも何十という言語が活きており、国の近代化の足を引っ張っている。英国はインドでは教育も言語の統一も何も現地の為になる事はしなかった。

英国人将校は、橋の完成を祝った催しの中でスピーチをした。橋ができた事で兵士らを新しい収容所に移せる。所長の計らいで傷病兵は特別に汽車で移動できるようになった。また「陸の孤島のジャングルという僻地で苦難を乗り越え大事業を成し遂げた事は、捕虜となり誇りを失っていた兵士たちに名誉を取り戻し、敗北を勝利に変える事ができた」という話をする。そしてスピーチの終了後、一同は英国国歌を高らかに歌い上げる。あぁ美しい!

併し、この橋の完成は、英領インドへの日本軍侵攻を容易にする事を意味し、インドを長年植民地支配してきた英国軍としては甚だ厄介な事になる。従って連合国が爆破する。めでたしめでたし…。

子供の頃から、こんな映画を数多く観せられれば、日本に誇りなど持てる筈がない。テレビ局も、番組前後にわざわざ映画評論家を登場させるなら、「映画ではこう描かれているが、真実はこうなんだよ」と解説させて欲しかった。マスメディアの力は甚大だ。日本政府は長年、マスメディアの使い方を間違えてきた。マスメディアを支配する偽善者と在日は戦後一貫して国民を嫌日に導いてきた。

私は、たった一年間でもいいから、マスメディアが真実を語り続ければ、日本国民は目醒めるのにと、つい叶わぬ妄想に耽ってしまう。実際には、日本政府もマスメディアも国民が自国に誇りを持てるような啓蒙活動など何もしていない。それどころか文科省は史実を捏造して子供たちが日本に誇りを持てないような教科書を放置し、マスメディアは極端に偏向している。最近はSNSの世界でさえも在日の為の検閲が横行してきた。

政権政党はあろう事か「ヘイトスピーチ禁止法」なる天下の悪法まで成立させてしまった。国会議員・中央と地方の官僚・マスメディアなどから「在日韓国朝鮮人、反日帰化人、反日左翼という劣化日本人」を排除する実効的法律をつくるべき時であるのに、今の日本は在るべき姿からは明らかに逆行している。政権与党議員には明確な使命感を持って日本の為になる真面な仕事をしていただきたい。