《在日たちはあの手この手で自らの悪に塗れた過去を消し去ろうと嘘を発信し続ける。反日左翼の多くは捻じ曲げられた過去を史実と信じている。》

駅前一等地に在日が経営するパチンコ店が多いのは「在日が悪い事をして手に入れたのではない。敗戦直後、鉄道は電化されておらずSLが中心で『駅前=線路の近く』は煙や火の粉が舞う、人が敬遠する土地だった」だから「在日が悪事を働いて土地を占有した」というのは「無知なネトウヨが作った都市伝説」だ。…という意見がネットに流れている。在日側に立った愚かな言説である。

実際は、民間の住宅地としては不向きであったが、物流の集積地としての価値は高かった。鉄道の電化が進めば更に地価が高騰する事は、目端の効く商売人には簡単に見通せた筈である。何れにせよ「悪い事をして日本人の土地を占有した」事にはかわりがない。ここに弁解の余地は無い。日本政府・日本国民は、いい加減に偽りの贖罪意識を捨て去るべきだ。

----------(以下、引用)
【朝日新聞記者の証言-戦後混乱期の目撃者-】(菅野長吉 朝日ソノラマ)
第三国人はその立場を利用してあらゆる物資を動かす。場所には困らない。大都市の要所は殆んど焼け野原となっていたから、集団のカによれば簡単に占有できた。こうして東京では、上野、新橋、新宿、池袋、渋谷などに急造のマーケットが建った。闇物資の市「闇市」である。ここには、配給では手に入らないあらゆる物資が公然と氾濫したから庶民は目の色を変えて集まった。
(中略)
第三国人というのは、日本のポツダム宣言受諾によって、日本の帰属から離れる事になる朝鮮、台湾などの出身者で、戦前から日本に居住していた人達に対して、講和条約の発効まで一般的に使っていた非公式な呼称で、この人達は日本人ではないが、かといって外国人(戦勝国人…投稿者注)でもないという特殊な立場にあった。講和条約発効までの限られた期間ではあったが、これら第三国人に対しては、日本の裁判権行使も曖昧だったから、彼らの一部に〈治外法権があるかのような優越感を抱かせ〉社会の混乱に乗じて徒党を組み、統制物資のヤミ売買、強・窃盗、 土地建物の不法占拠などの不法行為を欲しいままにし、戦後の混乱を拡大した。

当時の港には、引揚げ目的の朝鮮人も集まっていた。
その実態は、

【興安丸 33年の航跡】(森下研 新潮社)
併し、金さえあれば食料は、駅員のいる博多港駅近く僅か200mほどの所にも溢れていた。石堂川の川口には引込み線の鉄橋があるが、そこから上流へかけ岸側の水の上に、バラックが連なっている。小屋はいずれも川底に打ち込んだ杭の上に建てられていて、住むのは韓国人達だ。(敗戦直後は韓国は建国されていなかったから朝鮮人とするべき…投稿者注)ここには、米はもちろん魚や缶詰など、当時の日本で手に入れる事のできる食品は何でもあった。駅員達が普通ではまず口にする事もできない牛肉さえ、ふんだんに、かつ安く売られている。夜、どこからともなく引いてこられた牛が、翌朝までには解体され、角つきの頭などが小屋の中でぐつぐつ煮られていたりする。牛は、たいていが近郊の農家から盗み出し、売られたものだが、この一角には警察官も容易に立ち入れない雰囲気があった。

(朝鮮へ引き揚げる船に乗る為に)敗戦とともに博多へ集まってきた韓国人達は最初の頃、少しでも港近くにいたいと博多港駅を半ば占拠する形で船を待った。彼らは駅舎の板壁をはがして煮炊きするなどの傍若無人ぶりだったが、駅員達はどうする事もできないでいた。やがてアメリカ軍が進駐し、また引揚援護局が設けられるに従い、韓国人達は近くの寺院などへ分宿するようになった。そのうち、目端の効いた者たちが川沿いに住みつき、一種の租界をつくって商売を始めたのである。これが、興安丸(引揚船)がきた頃の博多港界隈の状況だった。

【一億人の昭和史-日本占領 ゼロからの出発】(毎日新聞社)
昭和25年当時、国際港神戸はまた日本一の密貿易の根拠地でもあった。巨大な国際密輸シンジケートが至る所張り巡らされ、瀬戸内海へ何十隻もの密輸船が出航…
(中略)
ところで、当時の神戸の密貿易は、大半が台湾、朝鮮などの旧外地との間で行なわれていた。神戸が第三国人の根拠地となっており、東京、横浜に比べ旧外地に近かった事もあり、密輸量は日本一。(中略)国際密輸組織の中核は一貫して第三国人だった。

敗戦後、神戸に三宮駅から神戸駅まで約2kmに及ぶ全国に例をみない大闇市場ができたが、密輸品の多くはここでさばかれた。そこに大きな勢力を張っていたのが数万人の第三国人で、戦勝国意識を誇示するため腕章(朝鮮進駐軍など…投稿者注)をつけ、日本の警察権を一切認めようとしなかった。こうした特権をフルに利用、密輸団を操る黒幕になった三国人もでた… 黒幕だった三国人の中には、密輸の巨利で今は正業に就き、実業家として幅をきかしている者もいるといわれる。

【コリアン世界の旅】 (野村進 講談社)
『こんな事を話す人間は、他におらんだろうね』と前置きしてキムが語る。
『闇市で儲けて、それからパチンコ(店経営)に走った人が多いんですよ。じゃあ闇市で何をして儲けたかというと、結局、ヒロポンと贓物故買(ぞうぶつこばい)だよね』 密造した覚醒剤を売りさばいたり、盗品の横流しをしたりして、短期間のうちに大金を作り、それをパチンコ店開業に振り向けたというのである。
(中略)
戦争直後、韓国・朝鮮人がいくらかの元手ができるとすぐパチンコ店経営に乗り出したのは、日銭が確実に入り、その額がほかの廃品回収や焼肉といった職業よりも格段に良かったからである。一日の売り上げだけを見ても〈数字のゼロが一つかニつ多かった〉のだ。
----------(引用、ここまで)

敗戦後の混乱期に朝鮮人が如何に日本人にとって迷惑な存在であったかは明らかである。多くの朝鮮人が徒党を組んで犯罪に手を染め、如何に失意のどん底に居た日本人を侮蔑し蔑ろに扱ったかが明確に分かる。彼等は戦勝国人ヅラして、おとなしい日本人に乱暴狼藉を働いた。

小悪党から一転して実業家を転じた在日は、甘い汁を吸う環境を手放す訳もなく、一向に帰国しようとしなかった。同時に定職に就かず悪事を生業(なりわい)とする者も多く居座った。「マッカーサーへの吉田書簡」の通りである。帰国事業が行なわれていたにも関わらず、当時295万人の内100万人もの朝鮮人が日本に居座っていた。その後も日本に密航して来る者が後を絶たなかった。よく強制連行されてきたなどと言えたものだ。朝鮮人・在日は〈被害者〉などではなく常に〈加害者〉であった。

在日朝鮮人は敗戦後の「再スタート」の時点から、経済的成功者(パチンコ屋)を多く排出し、その金で政治屋たちを取り込んでいった。また、その子弟達の内、優秀な者は積極的に法曹界、教育界、メディア界に潜り込ませた。帰化した者は政界にも多く潜む。米国が仕込んだ「癌細胞」である。今、日本は国中に転移した癌細胞に蝕まれている。大手術をせねば再起できないほどに日本の内実はボロボロである。今をおいて手を下すチャンスは無いのだが…政府は常にこの問題には及び腰で何もしない。