《「日韓併合」前の李氏朝鮮時代は地獄だった。南北朝鮮人は「歴史を直視せず」被害妄想による歴史捏造で日本を「酷い事をした反省すべき国」だと信じ込んでいる。そして日本国民は歴史の無知により南北朝鮮人につけ込まれている 》

大東亜戦争で敗れ、7年弱の長きに亘りGHQの厳しい検閲と洗脳統治により、日本国民は大日本帝国が大東亜戦争で何を為したか虚偽の歴史を教え込まれた。そのGHQが去った後も、敗戦利得者をのさばるに任せ、マスメディアは変節し、やはり日本国民の多くは真実を知らされなかった。左翼教師は日本の未来を担う子供や若者に対して未だに〈嘘の歴史〉を教え込んでいる。現在も文科省の検定を通った中学校の歴史教科書には「日本は武力により朝鮮を植民地支配しました」などと〈嘘の歴史〉が記述されている。

『東京裁判史観』という捻じ曲げられた歴史観を脱して曇りのない目で顧みれば、日本は朝鮮半島に侵略して過酷な植民地搾取などしていない事は容易に解る。歴史を直視すれば、現在〈日本を蝕む在日韓国朝鮮人は日本人が強制連行してきたのではない〉し、況してや、日本人は〈朝鮮人の少女を20万人も50万人も強制連行して戦地で性奴隷〉になどしていない事も簡単に理解できる筈だ。韓国政府・韓国国民は歴史を見つめ直し、妄想に基づく捏造を今直ぐ止めるべきだ。全ての韓国人・朝鮮人は日本に「歴史を直視せよ」などと言い掛かりをつける前に自分たちこそ『歴史を直視すべきである』。『歴史を反省しない民族に未来を語る資格は無い』という言葉はそっくりそのままお返ししたい。

以下に外国人や朝鮮人自身が書き綴った〈李氏朝鮮の真実の姿〉を記述する。そして〈日韓併合の真実の姿〉も解り易く説明したい。

▪️「都会であり首都であるにしては、そのお粗末さは実に形容しがたい。礼節上二階建ての家は建てられず、従って推定225万人の住民は迷路のような道の「地べた」で暮らしている。路地の多くは荷物を積んだ牛同士が擦れ違えず、荷牛と人間なら辛うじて擦れ違える程度の幅しかない。

おまけに、その幅は家々から出た糞、尿の汚物を受ける穴か溝で狭められている。酷い悪臭のするその穴や溝の横に好んで集まるのが、土埃に塗れた半裸の子供たちと疥癬もちで霞み目の大きな犬で、犬は汚物の中で転げまわったり、日向で瞬きしている。

ソウルの景色のひとつは小川というか下水というか水路である。 蓋のない広い水路を黒く淀んだ水が、嘗ては砂利だった川床に堆積した排泄物や塵の間を悪臭を漂わせながらゆっくりと流れていく」
『朝鮮紀行』イザベラ・バード(1894年~1897年)

▪️両班たちが国を潰した。賎民は両班たちに鞭打たれて、殺される。殺されても、殴られても、不平は言えない。少しでも値打ちがあるものを持っていれば、両班が奪っていく。妻が美しくて両班に奪われても、文句をいうのは禁物だ。両班の前では、全く無力な賎民は、自分の財産、妻だけでなく、生命すらその気ままに委ねられている。口一つ間違えればぶっ叩かれるか、遠い島へ流される。両班の刃にかけられて、生命すら保つ事ができない。
『血の涙』李人稙(1862年~1916年)

▪️朝鮮の両斑は、至る所で、まるで支配者か暴君の如く振舞っている。大両斑は、金が無くなると、使者を送って商人や農民を捕らえさせる。その者が手際よく、金を出せば釈放されるが、出さない場合は、両斑の家に連行されて投獄され、食物も与えられず、両斑が要求する額を払うまで鞭打たれる。

両斑の中で最も正直な人たちも多かれ少なかれ自発的な借用の形で自分の窃盗行為を偽装するが、それに欺かれる者は誰もいない。
何故なら両斑たちが借用したものを返済した験しが、未だ嘗て無いからである。彼らが農民から田畑や家を買う時は、殆んどの場合、支払い無しで済ませてしまう。然も、この強盗行為を阻止できる守令は一人もいない。
『朝鮮事情』マリ・ニコル・アントン・ダブリィ主教

▪️李氏朝鮮の残酷な死刑や拷問に対して、「こんな状況がまだこの地球の片隅に残されている事は、人間存在そのものへの挑戦である。取分け、私たちキリスト教徒が一層恥じるべきは、異教徒の〈日本人が朝鮮を手中にすれば真っ先にこのような拷問を廃止するだろう〉という事だ」
『悲劇の朝鮮』スウェーデン人 アーソン・グレブスト

▪️日本の統監統治時代
李氏朝鮮時代の賎民の扱いは家畜以下で、拷問は酷かったが、1905年に日本の保護国となり、統監統治が始まると朝鮮に於いても日本と同じようにすぐに拷問は廃止された。

朝鮮での拷問禁止は島村忠次郎(1907年、水原の京畿道地方裁判所の「法務補佐官」)が在職中に伊藤博文統監に申し入れて法令となった。1908年の法令改正によって、拷問した取調官は3年以下の懲役と定められた。これにより、長年続いていた朝鮮での残虐な拷問は廃止となった。

▪️日韓併合(日本統治)時代
併合前の監獄には「1坪に15~16人」詰め込まれていたが、1910年の後半には「1坪当りの収監者数を5人以内」にし、1922年頃には「約2. 9人」まで大きく改善された。日本人によって囚人はいつでも横になって寝る事が可能になった。

更に、日本人は、階級による身分差別を撤廃し、両班による搾取・虐待から農奴を救った。移住の自由を認めさせ、残酷な拷問や刑罰や一族の罪人連座法なども廃止させた。また、女性の再婚の自由を保障し、人権尊重などの法治国家の基礎をつくり、学校教育制度を導入し、読み書きを教え、忘れ去られていたハングル文字を復活・普及させた。

李氏朝鮮時代の賎民は全くの文盲であった。現在の資料では、朝鮮の識字率は4%程度となっているが、文字を読めたのは両班の中にしか居なかった。然も、読めた文字は漢字で、諺文(ハングル)文字は、賤しい文字として両班は蔑み、朝鮮の社会から完全に消えていた。日本人が掘り起こし、研究し、体系化しして復活・普及に努めるまで、朝鮮人はハングル文字そのものを忘れていたのだ。

両班の子弟だけは書堂と呼ばれる私塾で漢籍の教育を受けていた。その数、朝鮮全土で40校未満。朝鮮総督府は学校建設にも力を入れて、1943年(昭和18年)には4,271校を建設していた。これにより朝鮮賎民の識字率は0%から65%にまで上がった。

同時期の植民地台湾では、運動が起きても1~2%にしか許可しなかった日本式姓名への変更だが、日本が併合した朝鮮には85%の朝鮮人には〈創氏改名を許可〉した。強制なら100%創氏改名させた筈である。朝鮮総督府は朝鮮人を日本人と同等に扱ったのである。

だから厳しい国庫から持ち出し(凡そ国家予算の30%)になっても、上下水道を整備し、鉄道網、道路網を整備し、橋をかけ、港の開設工事をし、水力発電所を建設し、重化学工業を興し、緑化政策によって山野を甦らせ、不毛の地を開拓し、河川大事業で洪水を減少させた。どれ一つとして李氏朝鮮時代には無かったもので、朝鮮人の想像を超えたものだった。今の韓国人が「日本は朝鮮の産業を奪い、搾取した」などと恨み言をいうが、朝鮮に搾取すべき産業など全く無かった。

日本人はこの地を訪れた外国人に〈世界一不潔〉と言われた町々を日本のように清潔にする努力を一生懸命にした。平均寿命を24歳から45歳に延ばし、人口が2倍になったのは、灌漑を整備し水田を倍増させ、食糧増産に成功したと同時に、日本の近代医療制度を導入したからである。内地(日本)への渡航規制を犯して来る密航者にも寛容に対処した。

密航者に対する日本人の寛容さは、朝鮮人を日本人と分け隔てなく処遇するという、大日本帝国政府の方針によるものであった。当時から日本は人道的見地に立って〈難民を受け入れていた〉という事だ。併し、戦後の在日韓国朝鮮人たちの不埒な傍若無人ぶりを見ると、在日たちには自分たちが〈難民〉だという意識は皆無のようだ。何しろ〈強制連行〉されて来たと被害者ぶっているのである。全く大嘘つきで図々しい連中である。

日韓併合中に来日していた朝鮮人は、2,965,000人に上る。彼等を来日朝鮮人と呼ぶ。その内、自由渡航者は2,208,000人。留学、結婚、就職など自由意志で渡航してきた者だ。統計にあがらない、残り約25%は密航者である。彼らの殆んどが元 白丁(最下位の奴隷)であり、日本により禁じられたとはいえ根強く残る偏見からの逃亡者である。

日本の敗戦時、在留朝鮮人は、2,100,000人も居た。帰国事業で、1,500,000人が半島に帰って行ったが、残り600,000人は帰国に応じなかった。何が〈強制連行〉だと問い質したい。当時の首相、吉田茂は『朝鮮人の7割は職にも就かず、悪い事ばかりする。日本人の子孫にツケを残したくないから、帰国費用は日本が負担するので、朝鮮人は全員、半島に帰したい』…とマッカーサーに陳情したが、聞き容れられなかった。

1959年の朝日新聞には、外務省の調査による当時の「徴用朝鮮人」の人数の記事がある。そこにはハッキリと245人とある。この245人は自由意志で帰国事業に応じなかった600,000人に含まれる。これの何処が「強制連行」などと言えるのか? 近現代史を識る日本人が本気で問い詰めれば、在日韓国朝鮮人は誰ひとり真面には答えられまい。「ヘイトスピーチ禁止法」などという偏向した偽善的悪法に護られ、悪意を振りかざす在日と反日左翼は、多くの日本国民の無知につけ込んでいるのである。