《 今年の日本の報道の自由度ランクは180箇国中72位だそうだが、戦後一貫して日本には報道の自由どころか「言論の自由」すら規制する偽善的風潮が残っている 》

今年4月末に、国連人権理事会のデビッド・ケイ特別報告者なる人物が、外国人記者クラブに於いて、「日本の報道の独立性は重大な脅威に直面している。放送法そのものが政府の規制を許している時点で問題だ」などと偉そうに批判したが、決して日本の報道の現実を理解しての問題提起ではない。

デビッド・ケイ特別報告者は自称ジャーナリストの鳥越俊太郎氏と青木理氏の二人の日本人を選んで事情聴取したという。真面なジャーナリストは他にも居そうなものだが、なぜ歴史観の狂った出来の悪いこの二人を選んだのかは不明である。鳥越俊太郎氏は東京都知事戦に立候補して、ジャーナリストとしても人間的にも論理破綻している事を露呈したが、青木理氏も決して真面なジャーナリストとは言えない。この二人には〈日本に対する愛が欠落〉している。他には反日的な在日本外国人ジャーナリスト7名ほどとの食事会で事情聴取をしたそうだ。

その程度の調査で我が国の「報道の自由度」を国際比較して欲しくはないが、日本のマスメディアが支那・韓国、特に在日韓国朝鮮人に異常な配慮をして自己規制の枠を超えて雁字搦めになっている事は憂慮すべき事態である。併し、デビット・ケイ氏はこの部分には全く気付かず、似非ジャーナリストと外国人ジャーナリストの反日的偏見に基づいて国際的順位を決めたに過ぎない。「報道の自由度」に対する問題意識の在り方が全く異なるのだから真っ当な日本人には意味のないランキングであり無視して良いだろう。

正しい尺度による「報道の自由度」は重要な問題だが、実は日本は「報道の自由」どころか「言論の自由」すら危機に瀕している事に気付いている日本人は少ない。「ヘイトスピーチ禁止法」という片務的な悪法の成立が「言論の自由」の束縛推進に拍車をかけている。比較的〈言論の自由度〉の高かったネットの世界でも「言論の自由」は堂々と無視されるようになってしまった。具体的には日本のFacebookには「言論の自由」は無くなってしまった。Facebookは韓国人の立場からしか歴史を観ようとしない、あからさまな検閲による言論統制が行なわれている。然も、如何にも遡求法が罷り通る韓国らしく、過去に遡求しての検閲を行ない、それに引っかかるとアカウントを停止するという徹底ぶりの言論封殺である。

日本全体が前々から「言論の自由」を軽視しがちだったが、特に〈真実の近現代史〉に触れる事は益々困難になってきた。皆さんは、公共の図書館の〈ある一定の傾向〉にお気づきだろうか。公共の図書館の多くは未だにGHQの言論統制、禁書、検閲の名残が在り、偽善的正義感による自己規制が罷り通っている。

これは親しい近現代史の研究者に聞いた話で、自ら検証した訳ではないが、ここ数年、公共図書館から渡部昇一氏の著作がどんどん姿を消しているそうだ。これは、一人 氏の著作物に限った事ではないだろう。そういう傾向に徐々に変容しているという事だ。〈日本に関わる近現代史の真実〉を語る事は在日韓国朝鮮人に対する差別を助長するとの偽善を良しとする傾向が確固たるものになりつつあるという事だ。

公共に限らず図書館というものは、展示できるスペースに限りがある為、一定のサイクルで、消耗の激しい書籍、汚れた書籍を、新しい書籍に換えて行く。古く汚れた本は、需要のある新品の書籍に場所を譲り、あるものは閉架保管となり、あるものは寄贈されたり廃棄される。これを決めるのは図書館司書の仕事である。

前述の研究者によれば、以前は在った渡部昇一氏の著作物がまるで見つからないので調べて貰ったら、閉架保管もされずに廃棄されてしまったようだという。蔵書に埋もれた生活を送りながら、尚 図書館通いとはご苦労な事だが、これが事実なら、笑い事では済まされない由々しき事態である。

1946年(昭和21年)、GHQは「宣伝用刊行物の没収」と題するタイプ打ちの覚書を日本国政府に送りつけた。書物の没収は全国的に行なわれたものの、一般家庭や図書館にある書物は没収対象にはせず、書店や出版社から、或いは政府ルートを通じて国民に知られないよう秘密裏に廃棄されたという。

西尾幹二氏らは批判的立場からこれを「焚書」と呼んだが、この「焚書」とは、近代では必ずしも書物を言葉通り焼き払う行為ではなく「没収宣伝用刊行物への指定」であったりと所謂「禁書」に近いものだ。西尾幹二氏はGHQが7,769点の指定リストをつくったと記している。

大東亜戦争敗戦後、敗戦利得者らが占めた地位は、大学教授やジャーナリストなど、安定的に日本に害毒を及ぼすような地位が多かった。日本の主要大学の総長、学部長クラスの多くが占領軍民生局による公職追放令によってポストが空けられ、その席は偽善的反日左翼たちに分け与えられた。…といった内容で、日本人の裏切り者について触れている。

表向きは自由を高らかに謳う米国による検閲には、主にそういった日本人が従事した。検閲はいつしか〈マスメディアとGHQとの共犯関係〉をつくり、記事は文字通りの〈GHQ製〉となり、国民は手紙まで検閲され不安を煽られた。検閲に従事した日本人は自分が悪い事をしているとの意識は持っていた。後に胸を張って検閲をしていたという日本人が現れないのが何より彼等の罪悪感を証明している。

1952年(昭和27年)に日本が主権を回復しても、マスメディアは〈共犯〉による〈罪過〉を隠す為、素知らぬ顔で〈GHQ製〉の記事を垂れ流し続け、やがて、それはマスメディアの風土になってしまった。その代表格が今のNHKと朝日新聞である。自分だけは真面だと偉そうな顔をしている他のメディアも、大なり小なり同じ様なものだ。

学校では〈GHQ製の歴史〉が教えられ、戦前を知らない世代は所謂〈自虐史観〉に染まっていった。これらはウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WQIP 戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつける為の宣伝計画)に基づいたものである。情けないのは「それは嘘だ」という大人たちが後々も大きな勢力として出てこなかった事である。

あれから65年近く経とうとするのに、正に今以て日本人はGHQの亡霊とでも呼ぶべき劣化再生産された偽善的反日左翼の亡者たちに蝕まれ続けている。それは売国奴の素顔を暴かれた朝日新聞が、戦後71年間、日本のクォリティペーパーと言われ続けている事実が裏付けている。朝日新聞は未だに真面な謝罪もできない始末だ。何より朝日新聞はあれだけ日本を貶める嘘を海外にまで発信しておきながら、形ばかりの訂正をしたのは国内版だけで、海外には謝罪も訂正もしていない。

近現代史で日本人が為した美徳を讃える事は憚られ、悪い事なら捏造でも何でも反省し、謝罪し、賠償する事が正義であると〈歪んだ美徳〉を刷り込まれて育った日本人の何と多い事か。マスメディアには、ほぼこの間違った思想が蔓延している。反日左翼教師が正統性を主張する教育界も《教育者追放令》の傷跡から回復していない。

この悪弊が〈公共図書館にまでも蔓延〉しているとしたら、余りにもこの国は救いがないではないか。比較的自由度が高いと思われるネットの世界にも、目を向ければ〈日本悪しかれ論〉こそが正義であるなどという害毒が撒き散らかされている。

メディア界、教育界のみならず、こういう時こそ頼りにしたい政治家すら多くが在日汚染されている現状を見るにつけ、この国を救うのは〈真性日本人による独裁〉しか無いのではないかとすら思ってしまう。勿論、これは極論である。政界にも、まだまだ志の高い政治家が沢山いると信じたい。少なくとも我が国は今、存亡の危機ともいうべき大きな分水嶺に差し掛かっている事は確かである。