《我々日本国民は、24時間体制で自衛隊に護られて、平穏に暮らせる事、災害時には自衛官が不眠不休で救助活動をしてくれる事に感謝しなければならない。何よりも自衛隊とは他国からの侵略に際しては命懸けで我が国を護ってくれる唯一の存在である事を忘れてはならない》


2013年から滋賀県大津市で「自衛隊の戦闘服通勤はやめての会」なるものが結成されている。滋賀県以外でもこのような馬鹿げた会が幾つかあるという。この国の平和呆け反日左翼はどこまで愚かなのだろう。真っ当な日本人の感覚では理解できない。


地域により異なるが、自衛隊の制服もしくは迷彩服での通勤は、各駐屯地の司令官の裁量により決められているという。これだけ災害の多い日本である。大災害が起きて自衛官が召集された時、着替え用のロッカールームが壊滅的被害を受けていたら着替えもままならないだろうから、即応性を考えると制服や迷彩服での通勤は極めて合理的である。


ネットで「自衛隊 制服通勤」と検索すると、この大津市の問題に限らず、自衛官の制服通勤を問題視する市民が少なからず居て、なぜ戦闘服で通勤するのか質問するコーナーがあったりする。丹念に見ていくと、とんでもないベストアンサーに出くわした。曰く「ただ目立ちたいだけでしょ」とか「自分たちの存在をアピールしたいから」だとか頓珍漢な答えに納得する質問者も多い。


陸上自衛隊大津駐屯地(滋賀県大津市際川)の隊員が2013年から迷彩服で通勤を始め、地元住民らが「戦争の象徴の服で日常生活に不安を感じる」と反発したそうだ。そして、住民有志約20人が「自衛隊の戦闘服通勤はやめての会」(高田敬子代表)を結成したという。同会は自衛官の「戦闘服通勤の中止」を求めるよう大津市長に文書で要請したというから驚きである。

同駐屯地によると、迷彩服での通勤は災害派遣に迅速に対応するのが狙いで、今までは制服着用で通勤していたが、着替えに時間がかかるとし、1月から約350人が徒歩や自転車、バイクなどで迷彩服通勤しているという。

一方、地元学区の「九条の会」や「新日本婦人の会」を中心とする「やめての会」側は、「異様だ」「緊急性が求められる消防隊員も常に消防服を着ていない」と反発した。説明会開催が年末だった事も「唐突だ」としている。

「やめての会」の高田直樹さん(66)は「夜は交通事故の危険性も高まる。住民との合意がないまま強行するのはおかしい」と憤っているという。同駐屯地の上原敏彦広報室長は「災害はいつなんどき起こるか分からない。全国の駐屯地でやっている事で、一部の人が反対しているだけ」としている。

陸自陸上幕僚監部広報室は「全国に迷彩服通勤を指示しているわけではなく、各駐屯地司令の裁量だ。地元で必要だと判断したのだろう」と説明した。
http://mainichi.jp/select/news/20130209mog00m040 …

あれだけ大震災で自衛隊に助けて貰って、その即応性が上がるならこれほど良い事はないだろうに 消防服は耐火性はあるが重量もあり、それを引き合いに出すのはどうかと思う。「やめての会」を作るなら「災害救助もやめての会」をつくってからにしたら良い。


こういう事に苦情をぶつける市民たちは、いったい誰に護って貰って、のほほんと平和な暮らしを貪(むさぼ)って居られるのか考えた事はないのだろうか。第一、市民市民と名乗る輩は自分が日本国の国民である事実から目を背けている者が多い。市民である前に日本国民だろうに。


昔、制服姿の自衛隊員を街で見かけない事を不思議に思った記憶がある。併し、阪神淡路大震災などで登庁して来たら、ロッカーとかが倒れてたりして、必要品を発掘するのに時間がかかった教訓から、今の陸上自衛隊では即応性堅持の為に戦闘服通勤に改善されつつあるそうだ。至極もっともな話である。


「自衛隊員に本当の休みはない。『休暇中も休息という任務』だと自覚せよ。勤務以外の時間も職務中だから常に有事の際に備えよ」と教えられるそうで、一般人は会社にいない特はOFFだが、自衛隊員は常にONなのである。通勤とはいえそれは職務遂行中だから、自衛官が迷彩服でいるのは至極当然の事である。


「九条の会」や「新日本婦人の会」、「やめての会」とやらの、お気楽なお花畑連中は、温順しく夢でも見ているなら害毒は少ないが、やたらと「会」を立ち上げて、役所に抗議したり、集会などを開くから厄介だ。教育上も甚だ宜しくない。


自衛隊法施行規則には「自衛官は、常時制服等を着用しなければならない」と明記されている。何故こういう規則があるのか、得意の想像力を働かせて貰いたい。そして、我々日本国民は常時自衛官に護って貰っている事に感謝の気持ちを忘れてはならない。