《米中露の狭間で、今こそ日本の真価が問われる時を迎えた。この機会を逃さず、日本は米国の属国の立場から自立して独立自尊を目指す時》


中共と米国の本質は「双子」のように似ている。両国とも人工的につくられた国家で歴史が浅い。

中華人民共和国は1949101日に「共産主義」の名の下に建国された、僅か68年の歴史しか持たない国であり、アメリカ合衆国は177674日に「自由と民主主義」を理念に建国された、こちらも241年の歴史しか持たない国である。


両国とも、1%の富裕層が他の99%の貧困層に支えられる国づくりに勤しんでいる。米国はウォールストリートの支配層に、中共は僅か8,000名余りの共産党幹部に、13億人以上の人民全体が支配されている。現在の中共は国富の62%1%の特権階級(共産党幹部)が占め、米国では1%の富裕層が国富の33%を所有している。富の極端な偏在は深刻な社会問題である。


また、両国とも「公」を蔑ろにし「個」を前面に出す国民性である。問題は多々あったようだがその精神には共感できた「オバマケア」の廃止など、自分さえ、或いは自分たちさえ良ければ貧困層などどうでも良いという、貧困層以外の個人主義の我が儘が悪い方に働いている見本である。中共の人民は「文化大革命」の時代を経験している。普通の人間なら文革のような過酷な時代を経験したら、そう簡単には立ち直れない。恐怖と猜疑心が個人主義に輪をかけて、自分と金の事しか考えられない人間になってしまったからこそ乗り切れたのだろう。中共人民の拝金主義は深刻である。


最近はすっかり失われてしまったとは言え、本来の日本は、先ず「家族」があり、次に「先祖・祭祀・国体」と四つの基軸を古来より持ち、殊更 個人の権利を強調しない。本来の日本は寧ろ滅私の心を美徳と考えていた。対して、米中両国は飽くまでも「個」に始まり「個」に終わる。


占領時統治法(所謂 日本国憲法)が謳う「個人の尊厳」とは自己愛の行き着く先であり、自分独りの存在など如何に小さなものであるかという自覚から遠いところに自己を置く。連綿と続く、先祖・自己・子孫の時間軸に比べて、己れひとりの生涯など極めて短かく儚いものだ。そのうち自立して生きていられる期間など、およそ50年、過ぎてしまえば一瞬である。その短い生涯を絶対視するのが「個人の尊厳」を殊更強調する考え方である。


米国も、中共も、長い歴史の中に自己が抱かれているという考え方をしないから、日本人の生死観・歴史観が理解できない。だから平気で歴史を好き勝手に捏造して憚らない。歴史が嘘でも意に介さない。日本人とはここが決定的に違う。


戦後、米国が日本に押し付けたものの中に「国民主権」という考え方がある。国民主権とは国家を自己に従わせるもの、自己が神の如く振る舞うシステムである。特に戦後日本に押し付けられた「所謂 日本国憲法」には、個人の権利は高らかに謳い、個人が国に負う義務は最小化されている。「所謂 日本国憲法」は、自分を包み込んでいる国家への愛や忠誠を否定し、その歴史を軽んじ、自己の我が儘を最優先する「愚民化憲法」である。


中国共産党は宗教を否定しているが、共産党そのものが絶対視され宗教化している。そう考えると、米中両国はともに一神教の国である。一神教は他教と相容れない。だから血生臭い争いや戦争を繰り返す。トランプ新大統領のイスラム教徒やメキシコ人、そして帰る国さえない難民たちへの敬意の欠落は争いしか生み出さない。本来の日本は宗教に振り回される事無き「祭祀の国」である。先祖を祀る祭祀では、争いは起きよう筈がない。


従わなければ投獄される中国共産党教、信じなければ救われない米国が良しとする一神教的考え方は、共に地獄を見せて人を脅して従わせる。イスラムの教えを暴力に転化させるテロ行為も、人を脅して敵対させる。脅しに屈して生まれる信心にはどうしても嘘がある。共産党教・一神教は歴史的に異教徒を殺害してきた血塗られた歴史の側面を持つ。祭祀は平和を、行き過ぎた宗教は戦争を志向する。


米中両国の基本理念と、我が国は元々精神性で相容れない。社会システム・経済システムでも、厳密には相容れようがない。


昨今の日本人は〈本能が劣化〉している。「本能」には幾つもの段階がある。生存本能や睡眠・食欲・性欲などに代表される「低次の本能」もあれば、例えば、身を呈して我が子を救う、自己犠牲という、誰もが持つ生存本能に反する「高次の本能」もある。


家族・民族を身を呈して護る「高次の本能」は、嘗て「神風特別攻撃隊」の行動に表出された。米中両国などには狂気の行動としか理解できないであろう。現代の日本人にすら、なかなか理解できず、当時の戦争指導者を非難する者がいる。平和な現代に生きて、その感覚で過去を断罪するのは間違いであり卑怯である。個人主義が蔓延した現代社会では、当時の追い込まれた日本人の信条など想像も及ばない「崇高な行動」である事が理解されない。


9.11米同時多発テロの際には、米国メディアに限らず日本のマスメディアですら「自爆テロ」と「神風特別攻撃隊」を同列に置く表現が見られたが、両者が全く異なる事を日本人ですら現在は理解できない者がいるのは悲しむべき事である。テロリストは自己の政治的・宗教的主張の為に自爆する。自爆するテロリストには来世での幸福が約束される。一方「神風特別攻撃隊」として散華された英霊には何も約束されず、ただ日本国の歴史・文化、そして何よりも家族を護ろうとの追い詰められた自己犠牲の精神あるのみであった。勿論、人間である以上皆死にたくはない。自分が置かれた状況に納得できないまま無念のうちに死に追いやられたと考えた方も居られただろう事は否定しない。


併し、日本の「日本的なるもの」には、他国には理解の及ばない崇高な価値がある。これが、「米中両国の基本理念と、我が国は先ず精神性で相容れない。社会システム・経済システムも、最終的には相容れない」という所以である。


グローバリストが推進してきた「何か」は、日本人を本当に幸せにするのだろうか? 極一部の共産党幹部や、極一部のウォールストリートの大立者に、日本を蹂躙させてはいけない。実社会に生きる多くの支那人や米国人、そして99%の人々が幸福に生きられないような、極一部の金融資本家などが夢見る世界は、日本人のみならず世界の人々を不幸にする。


今、悪しきグローバリズムと正面切って戦っているのがロシアである。日本がロシアにできる事は、プーチン氏が求める「北方スラブ系文化を毀す事なきロシアの技術立国化・工業立国化」への手伝いである。ロシアが日本にできる事は「領土返還」と「石油資源の安定供給」そして、日本の「安全保障への寄与」である。トランプ新大統領のプーチン氏への秋波によりプーチン氏が日本の真価を見逃している事は誠に残念である。


オバマ氏が率いた米国に配慮して、ロシアに対して制裁強化しプーチン氏を日本から遠ざける事は、ロシアと中共を接近させ、結果的に危機に瀕する日本をつくる悪い方向づけであった。プーチン氏はそれを望んでいないが、日本の行動如何により、望まぬ選択肢を取らざるを得ないだろう。


大東亜戦争敗戦の直前直後に旧ソ連が日本に為した数々の許されざる行為は、北方領土問題に象徴されるように現在のロシアが負の遺産として受け継いでいる。今の日本が現在のロシア政府に謝罪や賠償を求める必要はないが、日本政府は「歴史の正義」をプーチン氏に問い糺す必要がある。「歴史の正義」を蔑ろにしては、国家間の友好も親善も成り立たない。日本は筋を通した上で、ロシアとの平和友好条約締結を模索するべきである。筋を通さぬままで北方四島の返還を要求する事は愚かな行為である。


トランプ氏のアメリカファーストという言葉の裏にはアメリカ一国主義・保護貿易主義・アメリカさえ良ければいいという以外の好ましからざる陰の意図があるのだが、長くなるので本稿では触れない。


中露両軍事大国 欧米(日)自由主義連合の睨み合いの構図は、各国の防衛費を必要以上に上げ、米国軍産複合体を肥え太らせ、結果的にウォールストリートを潤す。万一、戦争が勃発すれば軍需産業は大儲けをし、下手をすれば世界人口の減少を齎らす。正に悪魔の手先、限られた金融資本家たちの夢が叶う事になる。トランプ新大統領が掲げる保護主義は、多くの米国民を喜ばせる経済的効果を一時的には上げる事ができるだろうが、世界中で地域紛争を招き、米国軍産複合体を潤し、ウォールストリートに活況を齎らすだろうが、行き着くところは多くの米国民を不幸に導くだろう。


日本は日本が古くから持つ、日本の国柄を正しきものと信じて、護り通さなければならない。未だ米国の属国である日本には大変厳しい選択ではあるが、臆していては世界平和と日本の自主独立の道は閉ざされてしまう。今こそ日本は国際社会で全方位(地球儀を俯瞰する外交)に目を向け、日本の真価を示す時である。難しいがトランプ氏の米国と無用な軋轢を生む事態は危険である。嘗て経験したような米国による日本に対する経済制裁だけは何としても避けなければならないのは言うまでもないが、今こそ米国からの自立の絶好の機会であると捉えたい。安倍首相の政治手腕の真価が問われる。