《何でもかんでも強引に韓国発祥文化としてしまう韓国には毎度辟易とさせられる。どうしたら、あんなに幼稚で拙劣、他国を不愉快にする文化が国民性となってしまうのだろうか?》


唐辛子の起源ははるかな昔、南米の先住民たちによって数世紀もの間栽培されていた。嘗て「アヒ」と呼ばれていた唐辛子は15世紀末、新大陸を発見したコロンブスと共に海を渡り、初めてヨーロッパに紹介された。当時のヨーロッパで貴重な香辛料として植民地生産され、金塊と同等と言われるほど珍重されていた胡椒(ブラックペッパーやホワイトペッパー)と比べて香りは少ないが、唐辛子独特の強烈な辛さはヨーロッパ人にとっては驚きだったようだ。併し、胡椒ほど肉の臭みを消す効果が少なかった為、一般には中々広まらなかったという。それでも胡椒の一種として英語ではレッドペッパー(Red Pepper)の名が定着した。フランス語では胡椒全般をプアヴル(Poivre)と呼び、胡椒の種類により様々に細分化して呼び名をつけている。


唐辛子はその後インド、マカオ、マレー半島と僅か100年の間に世界中に拡まる。文献によれば、日本への渡来は1552年 ポルトガル人宣教師バルタザール・ガゴが大友義鎮(よししげ、出家後は宗麟〔そうりん〕と改名)に種を献上したとある。また1577年 ポルトガル人宣教師ルイス・フロイスが来日する同僚宣教師宛の手紙に、「〈酢漬けトウガラシ〉が珍重される」と記述している。当時の日本では「南蛮胡椒」や「番椒」と呼ばれていた。


〈唐から伝来したから唐辛子〉と呼ぶと思い込んでいる日本人が多いが、文献によれば支那に唐辛子が伝わったのは17世紀前半で然も〈唐ではなく明の時代〉である。日本への渡来の方が100年以上も早かった。当時の日本では野蛮な国と考えられていた南蛮より先進的な〈唐〉を用いた方が洒落て聞こえたから〈唐辛子〉と名付けたのだろう。


江戸時代の18世紀に書かれた文献には「唐辛子は朝鮮半島から渡ってきた」と書かれたものもあり、京都あたりには〈高麗辛子〉という名が残っている。片や、朝鮮半島で両班が残した文献では「日本から伝わった」という記述が多く〈倭辛子〉と呼ばれていたそうだ。朝鮮人ご自慢のキムチの歴史など紐解いてみると、「日本から朝鮮半島に伝来した」と考えるのが理にかなう。


併し、当時の日本では余り流行らず、生存欲求を満たすだけで動物的に生きるのが精一杯だった絶対的後進国、朝鮮の庶民は、副菜にキムチ(塩漬けの白菜)しか無かったから、日本から伝来し朝鮮でも栽培できる唐辛子は瞬く間に定着した。日本から唐辛子が伝来する前のキムチは〈塩漬け〉が普通で、両班などが時々塩漬けキムチに山椒を加えて目先を変えたくらいで、現在の唐辛子キムチは当時の朝鮮人にとっては未知の食べ物であった。


1613年に両班が記した朝鮮文禄『芝峰縲絏』には「倭国から来た南蛮椒には強い毒が有る」と書かれ、1614年の『芝峰類説』では「南蛮椒には大毒があり、倭国から初めてきたので、俗に倭芥子(倭辛子)というが、近頃これを植えているのを見かける」と書かれており、李盛雨(イ・ソンウ)が『高麗以前の韓国食生活史研究』(1978年)に日本からの伝来説を示して以降、それが日韓共に通説となっていたが、今の韓国人は頑なに日本伝来説を否定している。キムチの韓国起源を主張したい為だろう。後述するが、韓国人ご自慢のキムチは支那四川省の漬物のパクリである。


これを暴かれる事は余程韓国人の虚勢を傷つける事なのだろう。キムチが支那からのパクリである事を投稿すると、Facebookでも、このLivedoorブログでも、知らぬ間に削除されてしまった。Facebookなどは決まり文句の「コミュニティ規定に違反している」との警告文すら送ってこない。Facebookも、このLivedoorブログも大義名分が見つからないのか、どちらも連絡なしでひっそりと削除した。在日にとって面白くないだけだからこそこそ削除するのだろう。


日本・朝鮮両国の文献により確定した伝来形態としては、豊臣秀吉の朝鮮出兵の時に武器(目潰しや毒薬)または血流増進作用による凍傷予防薬として日本からの兵(加藤清正)たちが持ち込んだものとされている。日本の古い文献である『花譜』や『大和本草』(貝原益軒著)などには「昔は日本に無く、秀吉公の朝鮮伐の時、彼の国より種子を取り来る故に俗に高麗胡椒と云う」などと朝鮮から渡来したと書かれている。これは史実と相反するが、日本に唐辛子が伝わった当初は、西日本を中心にしか広まっておらず、その後、「豊臣秀吉の朝鮮出兵に従事した兵士により日本へ唐辛子が逆輸入された事で、朝鮮から日本へ来たものと錯覚した日本人がいた」と解釈する事ができる。


何よりも当時の両班たちによる朝鮮の文献を見る限り、朝鮮には日本伝来の唐辛子が無かった事が窺い知れる。1460年に朝鮮で発刊された『食療纂要』にチョジャン(椒醤)という単語が見られ、それがコチュジャンを意味するもので、日本伝来の唐辛子とは違う韓国固有の唐辛子は既にあったと主張する韓国の研究者も存在するが、椒は一般に唐辛子(ナス科)ではなく花椒(ミカン科山椒)を指す。だから唐辛子などではない。併し、頑なに日本伝来説を否定するこの説があるものの、1670年の朝鮮の料理書『飲食知味方』に出てくる数多くのキムチにも唐辛子を使用したものは一つも見られず、 韓国の食品に唐辛子を使用した記録は19世紀になって漸く少し出てくる程度である事から〈唐辛子日本伝来説〉を否定するのには無理がある。


朝鮮キムチについてよく調べてみると、朝鮮の唐辛子キムチは実は支那四川省の漬物「包菜(パオツァイ)」の丸パクリである事は明白である。キムチより古い時代に四川省で生まれた包菜と19世紀頃登場した朝鮮キムチは見た目も味もほぼ同じである。「キムジャン文化」が韓国の強引な捏造工作でUNESCO世界文化遺産とされてしまった事は四川省の人々にとってはさぞ悔しい事だろう。


韓国は他国の文化を自国起源とする捏造工作に力を入れているが、白菜キムチを自国発祥の文化とする為に白菜の英訳であるチャイニーズキャベツをコリアンキャベツと呼称するように国際的な働きかけを進めている。全く子供じみた我が儘な国である。


因みに、UNESCOに世界文化遺産として登録されたのは韓国がイメージ操作しているように「キムチ」そのものではない。「ご近所同士の複数の家庭が助け合って漬物をつくる」というキムジャン文化が登録されただけだ。韓国はそれを歪曲して「キムチ」が世界遺産になったと大喜びしているが、UNESCOから世界文化遺産を歪曲して商用利用すると「キムジャン文化」の遺産登録を取り消すと何度も警告を受けている。有頂天になって嘘をつき続けていると、虎の子のご自慢さえ失なってしまうという悲惨な目にあう事になる。