《日露戦争以降、米国の太平洋戦略では、対日戦が国家目標だった》


18461848年、米国は対メキシコ戦争に勝利してカリフォルニア州を獲得し太平洋へ面する広大な領土を手に入れ、1867年、ロシアからアラスカを購入した。1898年、太平洋ではハワイ王国を滅ぼし併合、同年、米西戦争(米国・スペイン戦争)勝利によりフィリピン、グアム、キューバなどを手に入れると、対フィリピン戦争を経てフィリピンを騙して植民地化した事により、約半世紀をかけて太平洋での覇権を確立した。


日露戦争(19041905年)後の満州に於ける権益への米国資本の「強欲な参入」について、日本は非積極的な態度を示し米国の不興を買った。また、国際連盟からドイツ領であったパラオ・サイパンなどの、太平洋の島々の信託統治を委ねられるようになり、日本は直接、米国領と接するようになった。


米国の呼びかけで行なわれたシベリア出兵(19181922年)では、日本は米軍の撤兵後も駐留を継続するなど、米国との利害のずれが生じるようになっていった。日米の軍事的関係については、〈米国の強い働きかけにより日英同盟が解消される〉一方で、米国が日本に優位となる形で「ワシントン会議に従った軍縮」が行なわれるなど日本は劣勢を強いられた。この頃から既に米国は日本に対する悪意を実行に移していた。


また、パリ講和会議での日本による人種差別撤廃案の米大統領ウィルソンによる廃案化や、カリフォルニア州に於ける排日移民法などで人種的な対立が生じるようになった。米国による日本人への人種的な対応が、後の大東亜戦争への遠因となっていったと言われている。


併し、私は日本が仮に白人国家であったなら、大東亜戦争は勃発せず、絶対に原子爆弾は投下されなかったと確信している。人種差別は「遠因」ではなく「根底」に流れていたのである。


日露戦争後、米国は敵対的対日戦略を明確化し、1906年に対日戦争計画「オレンジ計画」を作成した。実に大東亜戦争勃発の35年前の事である。1938年には「新オレンジ作戦」を策定した。新オレンジ作戦では、開戦した場合、日本は先ずフィリピン攻撃を行なうと予想し、これに対し米国海軍主力艦隊は太平洋を西進し、同時に対日海上封鎖を実施、日本経済を枯渇させ、太平洋制海権を掌握した上で、日本海軍と艦隊決戦するという戦略を構想していた。


日本による真珠湾攻撃の35年も前に対日戦争を計画していた米国は、目前に迫った対日戦に備えて開戦の3年ほど前に主力艦隊をハワイの真珠湾に移動させてきた。本来米国の主力艦隊は西海岸のロングビーチに置き、修理工場はサンディエゴで問題なく稼働していた。それをわざわざハワイ・オアフ島に持ってきたのは日本と戦う為である。


1932年(昭和7年)2月(真珠湾攻撃の83箇月前)には米国海軍作戦部は真珠湾防備演習を実施している。攻撃指揮官の役を担当したヤーネルは、当時の常識を破って戦艦では無く新空母「サラトガ」および「レキシントン」と4隻の駆逐艦を機動部隊として編制し、悪荒天をついてオアフ島北東60マイルに接近、27日の日曜日未明、2隻の空母から150機の攻撃機を出撃させ、真珠湾を空襲した。この時、防衛軍からの迎撃機は1機も出撃できずに奇襲は完全に成功した。米国は航空機による奇襲には真珠湾基地が脆弱である事を重々承知していたのである。


更に、日本の暗号も解読しており真珠湾攻撃を前もって察知していたのは明白である。アカデミズムは勝者が記録した正史に修正を加える事を嫌がり、下らぬ陰謀論と一笑に伏し闇に葬ろうとするが、数々の状況証拠も米国が日本による奇襲を事前に察知していた事は間違いない。米国は大艦巨砲主義に拘っていた日本よりも余程これからの戦闘で雌雄を決するのが航空機であると知っており、だからこそ真珠湾からは最も重要な空母艦隊などを完全に退避させていた。


ここまで用意周到な軍事大国が日本を戦争に引きずり出そうと決意していた限り、どのような外交努力をしようとも、日本には米国の毒牙から逃れる術は無かったのだ。これを考えると、必死に米国との戦争を避けようと努力した、当時の日本人の努力が虚しく思え、祖国を思い命を投げ出した先人達の胸中を察すると深い悲しみに襲われる。米国人にとって日本人はアメリカインディアン同様に、滅ぼしても何の痛痒も感じない生き物であったのだろう。


『人種差別撤廃を白人に持ちかけ・アジア植民地国家群の独立を語り・実際に白人国家 帝政ロシアを打ち負かし・有色人種の身でありながら米国の要求に従わなかった国家』である日本を白人国家の大統領フランクリン・ルーズベルトが許すわけがなかったのである。


この白人たちの根底に流れる日本人に対する蔑視と遺恨ともいえる感情は確実に今も変わらず脈々と流れている。昨年の〈安倍首相による真珠湾訪問で日米は和解した〉と信じたい気持ちは多くの日本人に共通する願望にも似た認識であるが、人種的偏見はこの世界から簡単には無くなりはしない。特に、白人に対して従順に従わなかったのは近代では日本人だけであった。日本人により世界の植民地を失なってしまった事実は白人たちのトラウマとなって残っている。米政権が民主党から共和党に変わったから日本人への認識が根本的に変わると考えるのは早計である。


オバマ政権時代まで日本に対する強い発言権を持っていた、R・アーミテージ氏もM・グリーン氏・ケビン・メア氏も知日派ではあっても決して真の親日派ではない。米国人のDNAには消す事のできない、日本人に対する敵愾心にも似た警戒心が刻み込まれてしまっている。


トランプ新大統領の外交の指南役と思しきH・キッシンジャー氏は、2014年に「日本は放置しておくと恐ろしい国になる」と発言している。まだ全員は確定していないトランプ政権の閣僚級人事には既にキッシンジャー氏の愛弟子が参加している。トランプ政権へのキッシンジャー氏の影響力は計り知れないものがある。


ニクソン大統領の訪中準備のため1971年に行なわれたキッシンジャー(当時)米国家安全保障問題担当大統領補佐官と中共の周恩来(当時)首相の極秘会談録が公開されている。米中国交正常化交渉に於ける中共の最大関心事が〈日米軍事同盟解体〉と共に〈台湾独立の可能性〉にあったが、交渉の中でキッシンジャー氏は「日本の経済発展を許した事を後悔」などと周恩来氏に同調し、将来の日米安保解体にも言及するなど、日米から米中へと東アジアの枠組みが変身する可能性のあった事を示唆している。


この会談は19722月のニクソン氏訪中の前年1022日に北京の人民大会堂で行なわれた。会談は約四時間に及び、日本、台湾のほか朝鮮半島、南アジア、ソ連などがテーマとなったが、このうち日本問題は四十分以上にわたって協議された。


キッシンジャー氏が「最も気になる問題から始められては如何だろう」と水を向けたところ周恩来氏は日本に関する討議から始めた。周恩来氏は先ず「日本の経済発展がこのレベルで続くと、いずれは日本を押さえられなくなる心配がある。そうなれば憂慮すべき事態となる」と対日警戒感を露わにした。その上で「中国は報復の政策をとらず、平和と友好で接したが、対照的に日本は挑戦的だった。第二次大戦の賠償金も払わず戦後二十五年間、国防支出の必要もなかったのに今は(経済発展と共に)国防支出を増加させている」として、日本の非武装中立化の必要性を強調した。


これに対し、キッシンジャー氏も「中国は伝統的に世界的視野があるが、日本は部族的で視野が狭い」と述べ、周氏も「その通り。日本は偏狭で島国根性の国民だ」と頷くなど厳しい対日観で一致、日本の軍事力制限の必要性でも同意したという。


現在93歳にもなるキッシンジャー氏は、安倍首相とトランプ大統領の首脳会談と並行して中共を訪れて習近平国家主席と会談している。米中両大国の間で日本が置かれる立場に関してキッシンジャー氏の認識が45年前と変わっていないとしたら、日本にとっては苦慮すべき事である。キッシンジャー氏の外交観がトランプ政権に与える影響力は無視できないほど大きいからだ。


日米首脳会談では、日本の予想以上に歓待された安倍首相だが、トランプ政権を甘くみてはいけない。米国は日本にとって常に全幅の信頼を置ける国ではない。長い歴史の中では、心強い軍事同盟国にして表面上、最大の友好国となってからまだ70年ほどしか経っていないのだから。パーマストンの言葉を引くまでもなく、日本は自国の国益だけを考えれば良い。


何かと日本には不安材料の多いトランプ新政権の誕生を機に、日本はいい加減に米国から自立したらどうだろうか? これは日本が真の主権国家に立ち直る千載一遇の機会でもある。米国との友好関係は重要だが、我が国が自力で自分の国を護れる国に成長する事は日米友好より重要である。独立自尊、自主防衛可能な主権国家になる事こそ日本が進むべき道である。アメリカ・ファーストに対してはジャパン・ファーストで対すれば良い。


最後に、現在の日本にとって「反米思想は国益を毀損」する。米国人の多くが日本人をどの様に見ようとも「日米友好の路線を外れてはいけない」。肝心なのは相手の国が何処であろうと、完全に腹の内を見せずに「国益に照らして」付き合う事である。米国の過去の仕打ちを責める事には何の建設的意義もない。日本を快く思っていなかった中共の周恩来首相は嘗て日本に対して「忘れる事は出来なくとも、許す事は出来る」との名言を発した。本心ではないにしても、良い言葉である。