現在の日本は所謂「ヘイトスピーチ対策法」が国会を通過して以来、人種偏見や差別的言論ではない「正当な言論を統制する言論弾圧」ともいえる前近代的行為が横行している。悪しき差別感情に基づいた表現を、ある程度規制する事には反対しないが、法律は飽くまでも全ての人間に公正であるべきだ 


私が「悪法」と断言する、所謂「ヘイトスピーチ対策法」が、この日本に求められるべくして求められた悪しき風潮は、潜在的には随分昔から存在した。日韓併合以来、日本に定住した朝鮮人や、大東亜戦争敗戦後も日本に居座ったり密航してきた在日韓国朝鮮人の存在が大きい。本来、この法律が理想としたであろう「人種的差異・民族的差異・肌の色の差異・国籍別差異・宗教や思想信条の差異などに対する偏見や差別的言動はあってはならない」とする考え方は、決して間違ったものではなく、そういう偏見や差別的言動が人間社会から無くならない性質のものである以上、必要とされる法律であった。だからこそ特定の民族を念頭に置いた偏向した法律になってしまった事が残念でならない。


その理想とする概念は正しいもので、現実問題としては何某かの方法で規制する必要があった事は私も認める。併し、この法律の正式名「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」(平成2863日法律第68号)が示す通り、本来、必要とされるこの規制を〈本邦外出身者に限ってしまった〉事が、この法律を〈悪法〉と呼ばざるを得ない所以である。これでは〈本邦外出身者ではない日本人〉だけがこの法律の適用対象外にされてしまう。なぜ地域社会の構成員全員に適用しなかったのかを考えると、この法律を世に送りだした国会議員たちの中にこそ偏見や逆差別的感情があったのではないか?


差別的感情の裏返しとして生まれた、この法律が言うところの〈本邦外出身者〉とは〈在日韓国朝鮮人たち〉が主たる対象である事は明白である。この法律に関わった国会議員たちも、保護されるべき対象として在日を念頭に置いていた事は否定できないであろう。もし違うと言うならば、何故、地域社会に存在する日本国民を含む全ての住民を保護されるべき対象としなかったのか? 私に言わせれば、こういう公正であるべき法律そのものが恣意的に捻じ曲げられた事で、却って差別を助長するという皮肉な結果を生んでいる。在日たちが言い募る虚言は多くの日本国民を傷つけ苛んできた。その被害者である日本人だけを保護対象から外したのは特定の意図を持った怠惰と断じざるを得ない。


そもそも所謂「ヘイトスピーチ対策法」が必要とされた背景について、誰もはっきりとは言わないが、都知事選にも立候補された桜井誠氏が率いる一団が、新大久保などの韓国人街で、在日に対する今までの日本人には見られなかった過激な「ヘイトスピーチ」を始めた事が問題視されたのだろう。私は〈在日たちによって闇に葬られた昭和史の真実〉を識っているから、桜井誠氏が体現する思想には賛同こそすれ反対はしないが、街中で露骨に「ヘイトスピーチ」を繰り広げる彼の活動には古いタイプの日本人としては違和感を覚える。日本人としての品位に欠ける活動自体が日本人として護り続けてきた誇りを傷つけているとも思う。


併し、その後のネットで公開された写真や映像などを確認すると、明らかに日本人ではない、恐らく在日韓国朝鮮人や支那人ではないかと思われる集団が、桜井氏の行動を真似て、更に醜く過激に「韓国人を殺せ!」などと明らかにおかしな漢字や平仮名・片仮名のプラカードを掲げて日本人に成り済まして、見るに耐えないデモ行進をしている姿を幾つも確認した。そこには明確に日本に対する悪意があった。彼等を本当の日本人だと思った外国人旅行者や、真実を直視したがらない善良だが怠惰な日本人は、「ヘイトスピーチ」に恐怖感にも似た感情を抱いただろう。「ヘイトスピーチ対策法」が生まれた背景にはこう言う風潮もあった事を明記しておきたい。繰り返すが「偽ヘイトスピーチ」には明らかに日本人に対する悪意があった。


公正であるべき法律は全ての住民に等しく適用されなければ、適用対象外の住民(日本人)が不利益を被るのは最初から分かり切っていた事である。有り体に言えば、在日たちの虚言に反論する機会を日本人から奪ってしまったのがこの法律である。この法律により日本に於ける「言論の自由」は危機に瀕している。在日の虚言に対して日本人は口封じをされてしまったのだから。よくよく読めば偏向していても、悪い事を悪い事と表面上仕上がっている法律には、正面切って反論するには信念と勇気が要る。何事も事を荒立てまいとする日本人の性格を考えると、この法律の悪しき影響力は甚大である。悪意を以って日本人を貶めようと工作活動する在日たちには好都合な法律である。


話を「差別」それ自体に広げると、左翼系の人は中国人を支那人と、韓国人を朝鮮人と呼ぶ事を差別だと誤解しているようだがそれは違う。中国人は世界的にChinaと呼ぶ事を許しているし、自国製品にMade in Chinaと印刷している。支那はChinaの音を基にした日本語名に過ぎないし、朝鮮人自身が「朝鮮日報」とか「朝鮮労働党」と自ら朝鮮の文字を冠したり名付けたりしている。だから支那人や朝鮮人が差別語と言うのはおかしい。中華人民共和国は日本や韓国などに対してだけ「中国」とか「jung-gug」と呼ぶ事を強要し、欧米諸国がChinaと呼ぶ事には異を挟(さしはさ)まない。これは支那人の中華思想に基づいた日本人や朝鮮人に対する差別感情の発露ではないのか?


韓国が大韓民国と名乗りだしたのは1948年からで今から僅か69年前の事である。だからと言って朝鮮民族がいきなり韓民族になる訳ではないし、だいいち北朝鮮は朝鮮半島を韓半島などと呼ぶのには反対だろう。建国69年の若い国が「韓国半万年の歴史」などと他国に「韓」の字を強要する方がおかしい。勿論、韓国の産物をMade in Koreaというから韓国産というのは止めろなどと無粋な事を言うつもりはない。


私は支那人や朝鮮人の多くを軽蔑しているが、自分を人種差別主義者だと思った事は一度もない。軽蔑すべき思想や行動をとるから軽蔑されるのであって、軽蔑されて当然の事柄を軽蔑する事を否定したら、尊敬すべき事柄を尊敬すると言う概念も成り立たなくなってしまう。何事にも裏表があって然るべきである。だから「日韓併合」の歴史にも立場によって明暗がある事は当然であるとも思っている。どこの国から見ても歴史というものには明と暗があって当然だ。私は日本人の立場からできるだけ客観的に史実を理解しようと勉強してきたし、人間である以上、完全などあり得ないが、自分の中で積み上げてきた近現代史の知識はほぼ間違ってはいないとある程度の確信は持っている。


私は、今後も朝鮮人や支那人、そして白人諸国の中でも主にアメリカ人に対する批判を発信していく積りだが、「人種的差異・民族的差異・肌の色の差異・国籍別差異・宗教や思想信条の差異などに対する偏見や差別的言動はあってはならない」との基本的考え方を変更する気は無い。彼等の中にある醜き心や言動を軽蔑する事はあっても、後天的努力ではどのような努力をしても解決できない持って生まれた性格のものにあれこれ批判をする気もない。そして一人の愛国者として日本の国益を毀損する悪意ある言動や工作活動には臆する事なく批判していく積りである。