《現代日本人も少しは歴史を学んで、確かな歴史観を持たなければ、国際社会では尊厳ある日本国民としては生きて行けない。日中近代史を語る時、出発点は尼港事件、済南事件、通州事件である。日本人たる者、所謂「東京裁判」は言うに及ばず、最低限これくらいは目を通しておくべきだ。「無知ゆえの沈黙」は「冤罪是認」と見做される》


大日本帝國による世界侵略を裁くという荒唐無稽な名目で設(しつら)えられた戦勝国側による私刑(リンチ)である、所謂「東京裁判」に於いて、松井石根大将率いる旧日本軍は、南京で一般市民20万人を大虐殺したとされた。これは、戦勝国である米国の「原子爆弾の実験投下」という「生体実験」の被害者数を相殺し、米国による人道に悖る大罪を矮小化する為に、米国と中華民国(アングロサクソンと漢民族)が共謀して急拵(きゅうごしら)えで捏造した架空の出来事、「冤罪」である。


その後、この所謂「南京大虐殺」の被害者数は、語られる度にその数を増やしていき、中共政府は公式に30万人と言い、習近平時代になって35万に増え、日本人である作家の村上春樹氏はつい最近の発言で何と40万人だと言いだした。これだけでも充分胡散臭い事件と言えるが、東京裁判に於いて正式な証言をしたベイツ博士という人物は「スミス教授及び私は、色々な調査・観察の結果、我々が確かに知っている範囲内で、城内で12000人の男女及び子供が殺された事を結論といたします」と証言している。


また、南京安全区国際委員会秘書で金陵大学社会学部教授のルイス・SC・スマイスは、南京占領後の19383月から4月にかけて、南京市部と農村部の戦争被害調査を実施し、南京城区の一般市民の不法殺害は2400人、男性で日本軍に拉致されて殺された市民が4200人と算出した。城内と城壁周辺の埋葬資料調査からの推測で市部でおそらく12000人の民間人が殺害されたと予測。近郊区の農村地域に於ける被害者数は26870人と算出した。


ベイツ博士もルイス・SC・スマイス教授も共に「便衣兵」の存在を無視している。「便衣兵」とは制服を脱ぎ、民間人の服装に着替えて敵対行為を働く敵軍の事である。


米国陸戦訓令(リーバー法)は、世界に先駆けて陸戦の法規慣例を明文化したもので、後の戦争法に大きな影響を及ぼした。1863年に作成され1914年に改定されるまで、米国で実際に運用されている。その評価は非常に高く、『その規定事項は当時にありて戦時国際法上の一般周認の陸戦関係の重要な諸原則を網羅して漏らさず』(戦時国際法提要(上)信夫淳平著P353)とある。


リーバー法では、「パルチザンは武装し彼らの軍隊の制服を着用する兵士であるが、敵占領地域に侵入する為、主要部隊から離れて行動する部隊に属する。彼らはもし捕えられれば捕虜の全ての特権の資格を有する」(81条)としつつ、委任も受けず組織された敵軍に属さず、また戦争に継続的に参加するのでもなく、然も様々の方法で敵対行為を行なう者またはその分隊は「公の敵ではなく、それゆえ捕えられれば、捕虜の特殊な資格を有せず、公道での盗賊または海賊として即決処分されねばならない」(82条)としている。


所謂「東京裁判」に於いて、この裁判を主導した米国は、自らの戦争行為に適用した、このリーバー法を、日本にだけは適用しようとしなかった。先述した、ベイツ博士とルイス・SC・スマイス教授が「民間人」とした者たちこそ、この「便衣兵」である。本当の民間人が生活する地区に於ける戦闘であったから、便衣兵ならぬ本当の民間人犠牲者が皆無であった筈はない。それは南京市に限らず戦闘が行なわれた凡ゆる地域で言える事である。


日本軍による南京攻略もそうであった。併し、特筆すべきは「戦闘開始前に日本軍は時間を切って、民間人を脱出させるよう国民党軍を説得」した事実も無視されている事である。南京市の城壁内に立て籠もった国民党軍は、日本軍の警告を無視するどころか寧ろ、民間人を盾にとって戦闘に突入したのである。


民間人がいる場所での熾烈な白兵戦であるから、戦闘に巻き込まれた民間人の犠牲者数と考えれば、日本軍が「民間人を大虐殺した」と言うには無理がある。然も、民間人どころか正規の国民党軍や日本軍の犠牲者総数でさえ20万人も出た筈がない。然るに、東京裁判に於いては中国国民党政府が主張した20万人が正史として受け入れられた。その後、中華人民共和国は30万人と被害者数を増加させたが、日本人研究者の間では、国民党や中共が言うような大虐殺は無かったと結論づけられている。勿論、この結論に異論を挟む研究者もいる事はいる。


問題なのは、当時は建国すらしていなかった中華人民共和国が、この「冤罪」被害者数を年々増加させて、日本に対して道徳的優位に立とうと、現在に至るも政治利用している事である。如何にプロパガンダとはいえ、中共の主張は余りにも辻褄の合わない数字である。併し、国際社会には真実よりもプロパガンダの方が浸透し、史実として定着し易いものだ。本来なら、日本政府は国際社会に対して頑なに無実を訴え続けていかなければならないのだが、日本政府は完全に冤罪を晴らす努力を諦めてしまっている。


国会でも、国会以外の場でも、日本の政治家は、この「南京大虐殺」について語らないし、民間研究者の方々の研究成果をマスメディアは一切取り上げない。名古屋の河村たかし市長は「南京大虐殺」など無かったと公言されているが、この件についてはマスメディアは真剣に取り上げようともしない。意図的に無視しているのだろう。国会議員といい、マスメディアといい、日本人としては本当に情けない限りである。政権与党にある自民党議員たちは本当にこのままでいいと考えているのだろうか?


敗戦後72年、サンフランシスコ講和条約発効後65年というもの日本人は、まるで別人格に精神改造されてしまったようである。やられた事は一切口にせず、愚か者とはいえ一国の首相が「アジアの人々にご迷惑をかけた」と閣議決定までして「植民地支配と侵略によって諸国民に多大の損害と苦痛を与えた事を再確認し、謝罪を表明」してしまう。村山富市(当時)首相は、何の根拠も示さず、口だけで責めてくる相手を疑う事を知らず、先ず、自分の世代と父の世代の日本人を信じようともしなかった。


この1995年の「村山談話」の3年前に当たる1992年には細川護煕(当時)首相が個人的発言とはいえ首相在任中に「日本が起こした戦争は侵略戦争であった」とはっきりと発言している。後は現在の安倍政権に至るも、この両首相の「侵略戦争発言」を訂正していない。寧ろ、公式の場で「村山談話」を引き継ぐとしている。


日本国民は、所謂「南京大虐殺」や所謂「日本軍性奴隷」を鵜呑みにする前に、何故それが真実とされているのか検証する(疑ってみる)事もできなくなってしまったのだろうか。GHQSCAPが敗戦国民に施したウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)とは、実に絶大な効果をあげたものだ。その後の米国による国際紛争への介入と撤退の歴史を見ると、WGIPという洗脳工作は日本人にだけ格別相性が良かったようだ。日本人以外の国民相手には悉く失敗している。


今の日本人に決定的に欠落しているのは、日本人が国際社会で生きていく為には絶対に必要な、日本人としての正しい「歴史観」を持っていない事ではないだろうか。(「歴史認識」という違和感のある言葉は極力つかいたくない。)現代の日本人は、日本建国の歴史も知らず、近現代史も知らないで、日々くだらぬバラエティ番組を観て生活している。これでは、先進国は愚か新興国、後進国の国民にも馬鹿にされてしまうだろう。


我々が日々安穏と生活していられるのは、日本の為に戦い、苦労の末に復員された嘗ての日本軍の方々と、散華された方々のお陰である。日本国民として最低限知っておきたい歴史くらいは覚えておいていただきたい。ほんの一部ではあるが、先人が近代になって受けた蛮行を時系列で検証してみる。先ず、外せない出来事、「尼港(にこう)事件」から説明すべきだろう。

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▫️尼港事件は、ロシア内戦中の1920年(大正9年)3月から5月にかけてアムール川の河口にあるニコラエフスクで発生した、赤軍パルチザンによる大規模な住民虐殺事件である。


港が氷結して孤立した状況のニコラエフスクをパルチザン部隊4,300名(ロシア人・朝鮮人・支那人の混成部隊)が占領し、ニコラエフスク住民に対する略奪・処刑を行なうと共に日本軍守備隊に武器引渡を要求し、これに対して決起した日本軍守備隊を支那海軍と共同で殲滅すると、老若男女の別なく数千人に及ぶ市民を虐殺した。


殺された住人は総人口の約半分、6,000名を超えるともいわれ、日本人居留民、日本領事一家、駐留日本軍守備隊を含んでいた為、国際的批判を浴びた。日本人犠牲者の総数は判明しているだけで731名にのぼり、ほぼ皆殺しにされた。


1917年のロシア革命以後は、共産革命を名乗るだけで、ロシア共産党からふんだんな資金と武器が提供された時代である。兵匪(盗賊団)もそうして蛮行を働いていた時代である。

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▫️済南事件は1928年(昭和3年)53日、中国山東省の済南に於ける、国民革命軍の一部による日本人襲撃事件、及び日本の権益と日本人居留民を保護する為に派遣された日本軍と、北伐中であった蒋介石率いる国民革命軍との間に起きた武力衝突事件。藤田栄介青島(チンタオ)総領事は、国民革命軍による組織的に計画された衝突と述べている。


日本人居留民12名が殺害され、日本側では「膺懲」気運が高まったが日本は報復などしなかった。一方、日本軍により旧山東交渉公署の蔡特派交渉員以下16名が殺害されたが、支那側はこれを重く見て、日本軍の「無抵抗の外交官殺害」を強く非難した。更にこれを機に、日本軍は増派を決定した。


注目すべきは、先にやられた日本人より、国際社会に向けて大騒ぎしたのは支那人の方であった事だ。


衝突は一旦収まったものの、58日、軍事当局間の交渉が決裂。日本軍は司令部と城壁に限り、砲撃を開始。安全地帯と避難路を指定した為、国民革命軍は夜陰に乗じて城外へ脱出し北伐を続行した。511日、日本軍は抵抗なく済南を占領した。支那側によれば、その際、支那軍民に数千人の死者が出たとされる。藤田栄介青島総領事によると、支那商民らは日本軍の正確な砲撃によって被害のなかった事に感謝していたという。

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▫️通州事件とは、1937年(昭和12年)729日に支那の通州に於いて冀東(きとう)防共自治政府保安隊(支那人部隊)が日本軍部隊・特務機関及び日本人居留民を突然襲撃し、大量虐殺した事件である。日本軍は壊滅され、日本人居留民のうち女性は殆んど強姦されて殺害され、殺害方法も猟奇的なものが多かった。


冀東政府保安隊は日本軍を全滅させると、日本人居留民の家を一軒残らず襲撃し、略奪・暴行・強姦などを行なった。


730日午後、通州に急行した天津歩兵隊長及び支那駐屯歩兵第2連隊長の萱島高の証言によれば、飲食店の旭軒では40歳から178歳までの女78名が強姦後、裸体で陰部を露出したまま射殺され、うち45名は陰部を銃剣で刺されていた。日本人男子の死体は殆んど全てが首に縄をつけて引き回した跡があり、「血潮は壁に散乱し、言語に絶したもの」であった。


2連隊歩兵隊長代理の桂鎮雄の証言によれば、旅館の近水楼では、入り口で女将らしき女性の遺体があり、着物がはがされ、銃剣で突き刺され、また陰部は刃物でえぐられていた。帳場配膳室での男性の遺体は目玉をくりぬかれ上半身は蜂の巣のように突き刺されていた。女性遺体は裸体で、局部などに刺突の跡があった。カフェの裏で殺害された親子の子は、手の指を揃えて切断されていた。南城門の商店の男性遺体は、胸腹の骨が露出し、内臓が散乱していた。


また支那駐屯歩兵第2連隊小隊長の桜井文雄の証言によれば、守備隊の東門には、等間隔に居留民男女の惨殺死体が横たわっていた。鼻に針金を通された子供や、片腕を切られた老婆、腹部を銃剣で刺された妊婦等の死体が、ゴミ箱や壕から続々発見され、ある飲食店では一家全員が首と両手を切断され惨殺されていた。


145歳以上の女性は殆んど強姦され殺害され、旭軒では陰部に箒(ほうき)を押し込んであったり、口に土砂を詰めてあったり、腹を縦に断ち割った遺体があった。東門近くの池には、首を縄で縛り、両手を合わせて鉄線を貫き、6人数珠繋ぎにして引き回された形跡のある死体もあり、池は血で赤く染まっていた。

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余談であるが、通州事件の写真の多くは中共の「南京大屠殺 記念館」に日本軍の仕業として展示されている。「南京大虐殺」は実際には無かった事件であるから、展示写真の殆んどは、日本人被害者のものと見て間違いない。日本人被害者の方々に対する冒涜であるが、日本の現政権は興味も示さないのだから、私のような者は現状に虚脱感さえ覚える。


なぜ日本人ばかりが、こういう蛮行を度々受けるのかを考える必要がある。私見だが、一口に言って「日本政府」が弱腰だったからではないか。政府が弱腰なのは、何も大東亜戦争に敗れた時からではない。白人列強諸国に比べて、大日本帝国政府の外交官・軍隊は、良く言えば「礼儀正しく・心優しい」集団であった。


併し、弱肉強食の国際社会では、これが「弱味」と誤解されてしまう。白人列強や亜細亜で唯一亜細亜を裏切って白人側に付いた支那人たちは、先ず、軍隊が、残酷に、徹底的に住民を痛め付けてから、一般の白人や支那人が住み始めるから、現地人に恐れられ、白人居留民や支那人入植者の安全は確保された。下手な事をしたら後で大変な目に遭う。これが立派な「抑止力」として機能した。


チベット、東トルキスタン、南モンゴル、そして今は消失してしまった満州などで、支那人(漢民族)は、実際に人民解放軍が身の毛もよだつ蛮行を働いてから、支那人を入植させた。そしてなお残存する本来の住民に対して弾圧を続け、民族の種を断つ政策を実行しているのだから、支那人というのは白人以上に野蛮で恐ろしい民族である。


大日本帝国陸軍は、前もってそういう残酷な痛め付けなどしないし、外交官も横柄な態度は取らない。端的に言えば「舐められていた」のである。「尼港事件」や「済南事件」の時に、〈徹底的に残酷に報復して恐れられて〉いれば、「通州事件」は起きなかったかも知れない。私の識る限りこういった日本人居留民の大量惨殺事件は軽く10を超える。


「南京大虐殺」を本当にやって退けるくらいに、大日本帝国陸軍は残虐だと恐れられていれば、これらの事件は無かっただろう。併し、『日本人には、民族性としてそういった残虐性は皆無』であった。日本人居留民が惨殺されても、大日本帝国陸軍は凄惨な報復などしなかったのである。


その「心優しき我々の先人たち」が、謂れのない冤罪を被せられているのである。それらの汚名を雪ぐのは、日本人の子孫たる我々の使命である。事を荒立てまいと、取り敢えず謝罪しておく従来の日本のやり方は決して正しくはない。


それにしても、戦後日本に生まれた政権がとる政策は、現政権も含めて、日本の真実の近現代史を封印してしまい、自らも学び、国民には学ばせようとしないのは嘆かわしい事である。何より、先人の無念に見向きさえしようとしないのは政治と教育の在り方は捨て置けない。この上は、日本国民自らが、できる限り史実を掘り起こして、記録に残すと同時に、一人でも多くの同胞に注意を向けて貰う努力を続けるしかないだろう。