現行の「日本国憲法」は、このまま生きながらえさせてはいけない「亡国憲法」である。現実主義的政治手法も結構だが、憲法を護り通す事で、大和民族の気高き精神性が滅び去ってしまうのでは意味がない。現行憲法改正を自己目的化するのは本末転倒である。喫緊の課題は飽くまでも、「この日本を日本人の手に取り戻す」事であり、「本来の日本を子々孫々に伝え続けていく事である」。その為に、越えるべき障害を避けて現行憲法改正のみにひた走るのは早計の誹りを免れない


敗戦直後から現在に至るまで、朝鮮民族が日本人にした恩を仇で返すという恩人への裏切りともいうべき残虐非道な行為は決して許されるべきものではない。朝鮮人たちは、朝鮮半島で日本人引揚者を少なく見積もって10万人以上は暴行の果てに大殺戮しているし、敗戦直後の数年間というもの、長年日本人と苦楽を共にしてきた在日朝鮮人たちは、昨日まで友であった日本人に対して、筆舌に尽くし難い蛮行を働いた。これは今も残る数々の歴史的資料が嘘偽りなく語ってくれる真実であるが、何故か現在の日本では、この真実を語る事がタブー視されている。


日本人の誰もが敗戦日として記憶している天皇陛下の「玉音放送」当日の、1945815日から、連合国軍最高司令官総司令部(GHQSCAP)による占領統治が始まる1945102日までの空白のひと月半の在日たちの乱暴狼藉は特に酷かった。これは朝鮮半島でも言える事で、朝鮮半島の38度線以南の現在の韓国にあたる地域は、「在朝鮮米国陸軍司令部軍政庁」が3年ほど統治したが、矢張り米軍政庁の統治が始まるまでの空白の23日間の無政府期間に在朝邦人が被った被害もまた筆舌に尽くし難いものであった。特筆すべきは、無政府状態終結後も朝鮮人の蛮行が続いた事である。


余り語られる事は少ないが、朝鮮半島の38度線以北の現在の北朝鮮地域には、日本の敗戦日である815日より前の81011日には旧ソ連軍が侵攻してきて、多くの在朝邦人がソ連兵に襲われ、集団的に略奪・暴行・強姦・殺戮などの凶行を受けたが、ソ連兵の暴虐の直後からは、自称「朝鮮保安隊」による鬼畜の蛮行が生き残った在朝邦人に襲い掛かった。朝鮮北部に居た日本人が受けた蛮行は、現代日本人には想像を絶するものであっただろう。治安を維持するべき組織が襲いかかってくるのだから在朝邦人は只々逃げ惑うしかなく、朝鮮半島は宛(さなが)ら地獄絵図と化した。


こうして命を落とした在朝邦人や日本人引揚者の遺骸は誰にも弔われる事なく野晒しにされ風化するに任せられ、現在に至るも朝鮮民族が土足で踏み荒らしている。朝鮮半島は日本人にとっては永遠に「不浄の地」なのである。日本は朝鮮半島で落命した同胞の無念を絶対に忘れてはいけないし、同胞の遺骨収集と無念を晴らす目的以外では、日本政府と日本人は、今後は何があろうと朝鮮半島に関わってはいけない。現在は韓国の地で実業に励む日本人や旅行者も多いが、彼等の無知による先人の無念に対する鈍感さは、史実を知る日本人としては許しがたい行為であり、本人たちはそれと意識せずとも、自らが先人の魂を冒涜している事に気付くべきである。(真実を隠す日本政府の責任は重い!)


ソ連軍の統治や米軍の統治が始まったからといって、朝鮮半島に於ける朝鮮人や、日本に於ける在日南北朝鮮人たちの蛮行の取り締まりが始まった訳ではない。ソ連軍は邦人保護などしなかったし、米軍MPは意図的に在日の悪行を見逃した。寧ろ、米軍は配給統制品の優先的割り振りや、米軍払い下げ物資の横流しなどで在日たちを優遇した。それは日本の実情に精通した在日たちに「公職追放対象者の名簿」をつくらせる事などへの報酬であった。そうして手に入れた物資を闇市で売り捌く事で在日たちは小金を貯めると、駅前一等地の日本人の土地で勝手にパチンコ店や貸金業を始めて更に金儲けに励み一端の実業家を気取った。焼肉屋や風俗業を始める在日も多かった。


併し、真の在日たちの悪行とはそんなものではなかった。闇市で商売をする為には、日本人商人の物品を強奪する為に殺人も犯したし、付近の農家から盗んできた牛をその日のうちに解体して飢えた日本人に牛鍋を高値で売りつけて暴利を貪った。在日は危険な麻薬や密造酒なども日本人に売り付けたりもした。何よりも疎開中の日本人の家屋に勝手に住み着いて、帰ってきた一家に対しては「ここ私の家」などと言い放ち、強硬に居座り、酷いケースでは住人を徒党を組んでの暴力で追い出して我が物とした。武器携行を許されない日本の警察など舐め切っていたから、役場や警察署、刑務所などへの襲撃も数限りなく起こして命までも奪う凶悪な在日たちが大勢居た。


今では「朝鮮進駐軍」という存在を否定する日本人さえ居るが、自分たちを戦勝国民と言い張り、戦勝国民なのだから我々は「進駐軍」だと言って、旧日本軍の特攻服から日の丸を剥ぎ取った物を好んで身に着けて街中を闊歩し、目が合ったと言っては暴力を振るい、目に止まった婦女子への暴行などを平然と繰り返した。朝鮮人の眼に余る行動を注意して撲殺された日本人もいたが、殆んどの日本人は朝鮮人を恐れて逃げるばかりだった。長い歴史上初の敗戦というパラダイムの大転換は日本人を押し並べて臆病者に変えてしまった。日本中で大暴れした「朝鮮進駐軍」を僭称する者たちは軽く3万人を超えたと言われている。


彼等の余りの暴挙に手を拱いている丸腰警官たちに痺れを切らした任侠ヤクザが立ち上がり、街中で米軍払い下げの小火器や手榴弾を使っての市街戦まで繰り広げたが、流石にその時は米軍MPも見兼ねて鎮圧に出動した。皇居襲撃を企てた不逞鮮人暴動の際にもMPが出動して事無きを得たが、在日による数々の暴挙によりGHQSCAPが関わって米軍側の記録に残った事件だけでも、在日朝鮮人の手にかかって命を落とした日本人は4,000名はくだらない。


日本政府は現在に至るも、こういった朝鮮民族が日本人に対して行なった過去の朝鮮半島に於ける蛮行や、日本本土での犯罪行為について一切明らかにしようとしない。在日たちが不当に居座った日本人所有の土地は、焼け野原になって再度区画整理された時には在日の名前で登記されてしまったが、それも日本政府は本格調査をする事なく追認した。如何に敗戦したからと言ってこのような暴挙が許されて良い筈はない。ところが日本政府と各自治体は、事を荒だてまいと臆病風を吹かした自らの罪を恥じてか、現在では在日たちと共謀して必死に真実を隠蔽している始末である。


日本を大東亜戦争に追い詰めた米国の陰謀や、言うに言われぬ深い事情が有ったとは言え、独立を果たした後も、自らの戦争責任の総括もせず、自国民が外国人から受けた鬼畜にも劣る数々の蛮行の一切を不問に付す、戦後の日本政府の恣意的な不作為は、正に卑怯な臆病者がとる行為で、タブー視したからといって不都合な真実を歴史から消し去れるものではない。日本政府は起きた事は起きた事として韓国政府や在日たちの反発など恐れずに、潔く真実を公表するべきだ。日本国民は先ず何もしてこなかった日本政府の責任放棄とも言える不作為を黙認せず、少々事を荒立ててでも糾弾すべきである。憲法改正問題など、こういった不条理を放置した日本政府がけじめをつけてからで良い。


綿密で用意周到な200余りの都市部への米軍による絨毯爆撃や、広島・長崎に対する人体実験である原子爆弾の投下は、無辜の民に対する大量焼殺であり大量爆殺に止まらず、民間人犠牲者90万人に加えて、現在に至るも被曝した日本人を17万人以上も苦しめ続けているが、日本政府は、米国政府にも、韓国政府にも、旧ソ連にも、ソ連の跡を継いだロシア政府に対しても、日本人被害者についての責任を問う事は一切していない。戦争である以上、人的被害が出るのは致し方ないとしても、上述した被害者たちは、所謂「戦争被害者」と一括りに語ってはいけない、本来なら被害を受けるべき謂れのない人々である。それは敗戦後に武装解除した後にシベリアなどに抑留され、極寒の地で果てた元日本兵の方々にも言える事である。


戦勝国たる米国の傲慢さや、戦後の安全保障を米国に頼む敗戦国の立場が弱いのは分かるが、日本政府は毅然と抗議するべき諸問題には一切口を噤んできた。国家として、人間として、言うべき事は堂々と相手にぶつけるべきではないか? 本当に糾弾されるべき戦争犯罪や、朝鮮民族や、ソ連兵による蛮行に時効などない。見て見ぬ振りをし続け、史実を無かった事と済ませようとする日本政府には国家を預かる資格すらないと言わざるを得ない。歴代の政権は本当に情けなく、自らが重大な責任放棄をしている事実を恥じるべきだ。日本が誇りある主権国家として立ち直る為には、「過去の総括」は絶対に避けては通れない道である。


米国も日本も戦場に散った兵士たちの遺骨収集は現在に至るも決して疎かにしてはいないが、日本政府は朝鮮半島で大虐殺された民間の在朝邦人や引揚げ途中に被害を受け、無念のうちに命を絶たれた民間人の遺骨収集には全く興味を示さず、精々、北朝鮮から呼びかけられた遺骨販売ビジネスに対応してきただけである。何も韓国のように薄汚い被害者ビジネスをしろというのではない。「国家としての、人間としての、けじめ」を付ける必要があると言いたいのだ。相手国の建前や国民感情がある事だから、謝罪も賠償も全く期待できはしないが、「国家としての、人間としての、けじめ」から目を背けていては、日本という国家、大和民族、そして一人ひとりの人間としての、誇りある未来は無いと断言できる。


今でこそ米国は白人のみに依らない多民族国家に変容しつつあるが、トランプ新政権の「アメリカ・ファースト」には、少数化しつつある白人支配を取り戻したいとの実現不可能な裏の真意が透けて見えるし、白人たちの意地ましいささやかな抵抗とも思える。


日本を統治したGHQSCAPの遣り方は、白人宗主国独特の型通りの分割統治であった。被占領国民同士を互いに憎しみ合わせ少数の白人で統治する伝統的やり方、則ち、日本国民と在日朝鮮人を意図的に敵対させ、日本の占領統治を容易にしたのである。下衆な朝鮮民族は米国の期待に如何なく応えて、日本国民に対して有らん限りの鬼畜にも劣る行ないを為し、今では、その史実を隠蔽しようと日夜画策している。史実隠蔽には偽りの戦後教育を放任する日本政府の無責任ほど重宝なものは無いし、マスメディアの在日支配はほぼ完了し、今ではネットの世界にまで在日たちの言論統制は広まっている。


ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)、3R5D3H政策、公職追放令、検閲による言論統制や、東京裁判の強行による自虐史観の押し付け等々、これら総ては所謂『東京裁判史観』という言葉・概念に収斂される。『東京裁判史観』は、日本人に偽りの贖罪意識を植え付けているから、『東京裁判史観』を肯定する戦後教育を受けた国民は、米国と特亜三国、そして在日たちの嘘を丸々信じるように仕向けられている。


米国の悪辣な占領政策と在日たちの反日敵対工作により、日本国民の精神はほぼ完全に破壊されてしまった。極め付けが『日本国憲法』の事実上の強要であった。日本国民の総意に基づくとされる「日本国憲法」であるが、当時の日本国民は餓死者が出るほど皆、飢えていて、憲法どころでは無かった。庶民はその日を生き抜くのに必死で、憲法や政治の事など考えるゆとりなど無かった。苦しい総力戦の戦争が終わり、朝鮮人たちが暴虐の限りを尽くしていたが、米軍により日本国民には自由が告げられ、皆、これからは民主的で平和に暮らせる世の中になると信じてその日暮らしに追われていたのである。


「日本国憲法」の条文に注意を向ける庶民など皆無であった中での憲法制定であり、国民無視の中での「日本国憲法」の誕生であった。現在の日本の似非保守勢力は現行憲法改正を良しとしているが、頭脳明晰である筈の識者たちは、占領期間中の占領国側が、憲法制定などの重要法を敗戦国・被統治国に強いる事を禁じている国際法を無視している事を恣意的に見過ごしている。このような「亡国憲法」など、さっさと破棄していれば、北朝鮮による日本人拉致事件なども起こらなかった。これは自衛隊の特殊部隊幹部の切実な感想である。


現行の「日本国憲法」は、敗戦国統治中は重要な法律を押し付けてはいけないという国際法違反の産物なのである。66年間、問題なく機能してきたのだから、「日本国憲法」誕生の違法性など、もうとやかくいうのは止めにしようなどというのは、「憲法」というものが我が国の最高法規である以上、あってはならない考え方である。「憲法」というものは、その国家とその下に置かれる国民の生涯を左右する。だから米国は、日本を二度と再び白人列強国に逆らえない腑抜けた国民に、一人前の主権国家として再起できない国家に貶めておく為に、愚民化憲法・亡国憲法とも呼ぶべき「日本国憲法」を日本に押し付けて行ったのである。


戦前の国際社会を維持してきたウェストファリア体制の精神に反し、然も、明確なハーグ陸戦協定違反であり、何よりも敗戦段階に於いても機能していた「大日本帝国憲法」に抵触する形で、実施不可能な状態での「偽装改正」なる如何わしい手順を踏んで日本に押し付けたのが、僅か1週間でつくりあげた英文の日本国憲法草案である。66年間、手付かずにしてきた事実を以って現行憲法を正統化するなどという考え方は成り立たない。「日本国憲法」は習慣法などではないのだから。


現行憲法に慣れ親しんだ現在の日本社会が容易に認めはしないからといって、搦め手からお茶を濁すような遣り方での現行憲法改正を進めるのでは、政治家は怠惰の誹りを免れない。それどころか、愚民化しきった日本国民の多くは、安倍政権に対して「日本に軍国主義を復活させるのか」などという愚かな非難を浴びせるだろう。憲法論議の前に「歪んだ国民意識の正常化」こそが必要なのである。憲法改正それ自体を目的化しては本末転倒である。道は遠く、壁は高くとも、日本人の国民意識を変える手間を避けてはいけない。それこそが本来の目的であるのだから。


先に述べた、日本に不当に居座り続けている『在日韓国朝鮮人問題』と『東京裁判史観』に捻じ曲げられた国民意識の改革もせず、現行憲法の条文を変える、或いは加えたところで、「大和民族の気高き精神性」の再生には何も資するものはない。最も大切なものは、形骸的国家概念でも紙に書かれた憲法でもない。これからも連綿と続いていく日本国民の生き方こそが重要なのである。


今、日本は未曾有の危機に晒されている。則ち、「漢民族と華僑ネットワーク」による歴史戦の果てに待ち構えている「日本侵略」であり、朝鮮民族による遣りたい放題の「日本乗っ取り行為」である。この危機の前には、現行憲法改正などに政治的労力に割ける時間などない筈である。識者ぶった不勉強な者たちには、日本が置かれている危機的状況も、現行憲法改正の無意味さも、理解できないのだろう。


先ず、最低限の予備知識として理解するべきは、所謂「日本国憲法」制定過程の違法性であり、戦後の日本一国の平和を護ってきたのは「日本国憲法」などではない現実である。現行憲法の改憲論議を始める前に政府は日本国民に「ウェストファリア体制の精神」や「ハーグ陸戦協定」の存在を説明し、『大日本帝国憲法第73条の改正条項』と『第75条』の意味を正しく解説するべきである。


また、国民の多くが「憲法の条文が平和を護ってくれる」というのなら「尖閣諸島・竹島・北方四島は日本の領土である」と明記すれば領土問題など簡単に解決する筈だが、現実にはそんな事は有り得ない事なのだと諭すべきだ。同様の理屈で、憲法九条を少しばかり改変したところで、一番大切な「日本国民の意識」は何も変わりはしないと気付くべきだろう。


些か乱暴な言い方をすれば、仮に中共が尖閣諸島に侵略してきた場合、自衛隊は凡ゆる手段を用いてそれを阻止するだろう。凡ゆる手段の中には「超法規的措置」も含まれる。国際社会に於いて主権国家には自衛権が認められているのは周知の事実であり、それを行使する行為に反対する主要国など存在しない。その時に備えて兵器体系を抜本的に見直して置く事は言わずもがなである。「アメリカ・ファースト」の米国など、大和民族の命運を賭けるに値しない。嘗て、米国がフィリピンに為した裏切りの歴史から日本人は米国という国の本質を学ぶべきだ。


駐留米軍の自衛隊への期待や具体的要求は時々刻々変化してきている。日本だけが「日米安保」に全幅の信頼を置いて「専守防衛」などと生温い言説を弄しているが、仮に、米国と中共が手を握った場合、旧態依然としがみつく「米軍と自衛隊の盾と矛の関係」など何の意味も為さない事は火を見るよりも明らかである。


最近は遣わなくなった言葉らしいが「策源地攻撃能力」を日本は一刻も早く備えるべきであるし、外交上の抑止力については文字通り抜本的に見直すべきである。軍事の専門家ではないから詳細な具体的戦略立案はできないが、「自国が攻撃されない為には相手が恐れをなすほどの報復手段を持つべきだ」という事くらいは理解できる。それが抑止力というものではないのか? 


繰り返すが、最も大切な事は「大和民族の気高き精神性の再生と継続」である。在日韓国朝鮮人たちに穢された現実に気づきもしない今の日本人が、延々と生き延びて韓国化した日本を子々孫々に伝えて行くのでは何の意味もない。それでは、日本という気高き国の存在価値は消滅してしまう。「大和民族の気高き精神性」を子々孫々に伝えていく事にこそ日本という国の存在意義が活きるのである。


現状のように平和呆けして、朝鮮民族に穢されてしまった日本人の国民意識を「本来の日本人、大和民族だけが持つ資質」の再生にまで高めていくのは決して容易い事ではなく、様々な困難を乗り越えなければ為し得ない事である。併し、先人が命懸けで護ろうとしたものは何であったのかを現代の日本人は真剣に考え抜き、それこそが「大和民族の気高き精神性」であったとの真理に辿り着くべきではないか? そうでなければ散華された英霊が浮かばれない。


現在の日本は、政・財界は言うに及ばず、法曹界・教育界・メディア界・芸能界など、驚くべき広範に亘って朝鮮民族に蹂躙されてしまっている。フォーブスの長者番付を見ると日本の資産家の殆んどはパチンコ業者とサラ金業者ばかりなのに驚くし、韓国朝鮮系が支配する一流企業の多い実態にも目を見張る。まるで戦前の財閥と労働者階級を彷彿とさせる貧富の二極分化の再現を狙っているかのようだ。在日一人で日本人庶民50万人分の資産を保有しているとの例え話もあながち大袈裟な表現ではない気がしてくる。


国会議員と官僚(=立法府と行政府)、教育機関、そしてマスメディアを韓国朝鮮系に抑えられているという恐ろしい実態に日本人が気づかないように我々は日々洗脳され続けている。実際、在日汚染の実態を知ると、今となってはもう日本は駄目なのではないかとの無力感にさえ襲われる。日本人が日本企業だと思って疑わないような一流企業の数々も韓国朝鮮系の資本や人材で占められている。


帰化一世に国会議員の被選挙権を与えている現状は大問題であるし、教員や公務員に日本国籍を持たない在日が簡単に就けるのも見直さなければならない。国民世論を如何様にも誘導できるマスメディアの在日汚染の実態にも慄然とする。日々視聴しているテレビ局も、ニュースキャスターも、女性局アナたちも、今では日本人より圧倒的に在日が多い。日本は国民が気づかぬうちに立法府も行政府も教育もメディアも韓国朝鮮系に抑えられてしまっているのだ。


こんな惨憺たる状態を放置して、この「日本を日本人の手に取り戻す」試みも努力もしないまま、国民意識をミスリードされた状態での、現行憲法の改正にどれほどの意味があるのか、心ある日本人は真剣に考え、行動するべきではないか? 現状の韓国朝鮮系の日本の中枢支配の実態を知ると、もはや躊躇している猶予はない事に気付くだろう。