今の日本は、韓国が押し付けてくる虚偽の歴史に正当な反論をしてこなかった為に、国際社会で日本が一方的に悪者にされている。毅然と反論すると韓国政府も韓国国民も怒り狂ったように大騒ぎをする。日本政府の「事勿れ主義」は、こうした韓国の反発を恐れて、肝心な時に有効な反論をしてこなかった。併し、真実はひとつである。日本の政治家は反発を恐れて、相手の言いなりになるのをやめて、真実を国際社会に向けて堂々と発信していくべきである


1910年、日本は大韓帝国からの正式な要請(四度に亘る懇願)と、米国大統領セオドア・ルーズベルトの後押しで、国際法に則って大韓帝国併合を受け容れた。日本との併合で特権を失なう両班などの特権階級の一部を除いて、当時の大多数の朝鮮人は大喜びしたと記録は語る。併し、1945年に大日本帝国が大東亜戦争に敗戦し、日本による朝鮮半島の統治は終了した。その3年後に朝鮮半島南部は在朝戦米国陸軍司令部軍政庁から棚ぼた式に独立を許され、1948813日に首都ソウルで大韓民国樹立の宣布式が行なわれた。


併し、その後いつからか韓国は、日本と戦って独立を勝ち取ったと嘘を言うようになり、建国記念日を「光復節」と呼び、建国日も二日ずらして日本の敗戦日である815日に変更した。今では「光復節」は、日本から解放された日、独立を獲得した日として祝日とされている。併し、流石に米国陸軍司令部軍政庁に3年間統治されていた事実までは誤魔化せずに、建国年は1948年のままとしたが、日本と戦って独立を勝ち取ったという虚偽の歴史に真実味を持たせる為に、日本の敗戦日を「光復節」などと読んで祝っている。このような幼稚な嘘を史実とするくらいに韓国の歴史は嘘に塗れている。


現在の韓国は絶対に認めようとはしないが、日本に併合を懇願してきた時の大韓帝国は、日本が清国を破り下関条約で清国から独立させた、謂わばよちよち歩きの独立国家であった。


大韓帝国が、民王朝の冊封国であった時の国名が李氏朝鮮(李朝)である。李朝は、1392年に高麗の武将李成桂太祖が恭譲王を廃して、自ら高麗王に即位した事で成立した。李成桂は翌1393年に明から権知朝鮮国事(朝鮮王代理、宗主国から「代理」の称号を与えられるのが当時の朝鮮王の意味なのである)に封ぜられた。朝鮮という国号も李成桂が明の皇帝朱元璋から下賜されたものであり、明から正式に朝鮮国王として冊封を受けたのは太宗の治世の1401年であった。支那の王朝が明から清に変わった17世紀以降も、引き続き李氏朝鮮は清王朝の冊封体制下に移行した。


1894年の日清戦争に日本が勝利した後に、日本と清国との間で結ばれた「下関条約」が、李氏朝鮮に清王朝を中心とした冊封体制からの離脱と近代国家としての独立を齎らした。これにより李氏朝鮮は1897年に国号を大韓帝国、君主の号を皇帝と改め、以後日本の影響下に置かれた。大韓帝国の国家主権は事実上、冊封体制下に於ける清朝から日本へと影響を受ける主体が変化するものであった。


1904年の第一次日韓協約で日本人顧問が政府内に置かれ、翌1905年第二次日韓協約によって日本の保護国となり、1907年の第三次日韓協約によって内政権が日本に移管された。こうした過程を経て19108月の「韓国併合ニ関スル条約」調印によって大韓帝国は日本に併合され、朝鮮民族の国家は消滅した。今の韓国政府や日本政府・文科省がいうような旧日本軍による武力侵攻などどこにもなかった。


日本や支那を始めとした国際社会では、朝鮮半島に嘗て存在した朝鮮を国号に持つ王朝と当時の朝鮮が全く別の国家であった為、混同を避ける意味から「李氏朝鮮」或いは「李朝」と呼び慣わした。併し、現在の韓国政府は自国が古い歴史を持つ国家でありたいとの願望に真実味を持たせる為に、古朝鮮と李氏朝鮮という全く関係のない国を同一のものと主張し、日本で見られるWikipediaの記述も、おそらく在日たちの工作なのであろう、古朝鮮と韓国の連続性を認めるような記述になっている。


対外関係を主体にみると、244年に及ぶ明の朝貢国であった時代(1393年~1637年)と、257年に及ぶ清の朝貢国であった時代(1637年~1894年)、清と欧米の列強および日本が朝鮮に対する影響力を巡って対立した末期(19世紀後半~1910年)という3つの時代区分に大きく分けられる。


日本は1910年に、大韓帝国と国際法に則った併合条約を締結したが、そもそもその併合は清からの圧力やロシアに侵略されそうな危機的状況だった大韓帝国側に求められてのもの。更に、当時の大韓帝国は自国の国家経営もまともにできず、諸外国から手当たり次第に借金を重ね、自国の力では到底返済できない破綻状態にあった。併合により日本はその借金を全額返済した。現在の韓国はこのような史実を必死で隠蔽しようとしている。


日本としても、当時、南下政策を取っていたロシア帝国の脅威に、日本単独で対峙するよりも、大韓帝国に確りとした主権国家になって貰い、共にロシアに対峙したいところであったが、大韓帝国の余りの不甲斐なさに、大韓帝国側からの併合要請を受けざるを得なかった。欧米列強諸国は朝鮮半島を手に入れても得する事は何もないと見抜いていたから、軒並み「日韓併合」に賛成した。


当時の朝鮮は赤貧状態で、500年以上、社会は全く進歩していなかった。学校も病院も警察署もなく、平均寿命も二十代後半で、入浴の習慣も、上下水道もない悪臭漂う不衛生な未開の蛮国だった。一方、日本はその頃からモンゴルや清、そしてロシアに対しても戦争で勝利し、軍事的強国となっていた。当時は戦争が国際法で認められていた時代である。従って、日本が大韓帝国を侵略する気になれば、当時の常識に照らしても、いちいち朝鮮半島の原住民の承認を得る必要などなかった。ただ単純に武力制圧すれば済む。それが合法的で最も効率的な方法であったが、日本はそうはしなかった。


日本は欧米列強諸国の賛同を得て、正式に日韓両国が同意できる内容の条約をつくって調印した。勿論、併合は大韓帝国議会も大韓帝国皇帝も公式に批准・支持したし、米国や英国などの列強諸国もそれを歓迎した。要するに、当時の日本人は「白人が土人扱いしていた朝鮮人」を同じ人間として扱い同胞として迎えたのである。その日本の慈愛に満ちた優しさが後に韓国を増長させる原因になった。当時ここまで平和的・合法的な併合など世界的にも類を見ないものであった。


当時、朝鮮半島を我が物にしようとしていた清国とロシアにしてみれば、大韓帝国が強国日本に保護されてしまっては内政干渉も侵略も諦めざるを得なかった。清露という大国ですら併合に反対できないほど、日本の力は強く、国際社会も認める完璧に合法的な条約により「日韓併合」は為されたのである。


このような経過を経て朝鮮半島は日本の一部になった。以後、日本は「内政の一環として」莫大な資金と人的資源と技術を投じて、朝鮮半島の発展、繁栄に尽力した。当時は日本も決して豊かな国ではなかったが、新しく日本国民となった朝鮮人の為に、毎年国家予算(血税)の2030%を朝鮮半島近代化の為に投入した。今の韓国政府や韓国人は日本が韓国を侵略し、収奪をし、産業を奪ったなどと言うが、当時の朝鮮半島には収奪できる資産も奪う産業も何も無かった。


李朝時代、朝鮮全権大使として米国に渡った政府高官に李成玉という人物がいたが、彼は他民族に接して、朝鮮人は米国人に軽蔑されているインディアンより劣り、その他メキシコ、インドなどの民族より劣っていると見做されている現実を肌で感じ取り、衝撃を受け、次のように述べている。


「現在の朝鮮民族の力量を以ってすれば、とても独立国家としての体面をもつ事はできない。亡国は必至である。亡国を救う道は併合しかない。そして併合相手は日本しかない。欧米人は朝鮮人を犬か豚のように思っているが、日本は違う。日本は日本流の道徳を振り回して小言を言うのは気に入らないが、これは朝鮮人を同類視しているからである。そして、日本人は朝鮮人を導き、世界人類の文明に参加させてくれる唯一の適任者である。それ以外に我が朝鮮民族が「豚の境涯」から脱して、人間としての幸福が受けられる道はない。日韓併合が問題になるのは、変な話だ。我輩の併合観は欧米人の朝鮮人観を基に考察したものだ。」

(朝鮮全権大使 李成玉『李完用侯の心事と日韓和合』)


併し、「当時は国民総出で歓迎し、日本により齎らされた近代的・人間的生活を享受できた併合時代」も「日本が敗戦して米国に統治され、そこから棚ぼた式に独立して主権国家となった韓国にとっては、自尊心を傷つける恥ずかしい過去」という事になるようだ。


朝鮮民族の側から併合を希望した事を認めてしまうと「当時の大韓帝国が世界で最も貧しく弱かったという恥ずかしい過去を認める事になる」為、「日本が大韓帝国の親日内閣に強要して、平和で幸福に暮らしていた我が民族の国権を強奪した」という今の韓国に都合のいい嘘を教科書に書いて国民を欺く事に徹した。韓国の国史(歴史)教科書には真実をそっくりそのまま逆に書かれている。国史教科書に限らず、虚偽に満ちた反日の記述は国語教科書や音楽の教科書などでも徹底されている。


自国民に真実を裏返しに教育して隣国を憎むように仕向けるなど、韓国という国は実に罪深い国家である。歴史こそは、それを学んだ人物の人生観を決定づける教科であり、様々な教訓に満ち溢れている。嘘しか教育される機会のない韓国国民は可哀想である。斯くいう日本も、戦後教育という『東京裁判史観』に捻じ曲げられた歴史観を独立後65年経っても続けており、強硬に虚偽の歴史を押し付けてくる韓国に「配慮」して、韓国の歴史観をなぞるような教育をしている。日本は何としても『東京裁判史観』を克服しなければならない。


韓国や日本の文科省がどんな嘘の歴史を教育しようとも「朝鮮人が日本国民に迎えられ、米国や支那と戦争をした」事は、世界中の誰にも否定できない史実である。日韓併合条約にはこのようにある。


日韓併合条約 1910(明治43)年822日調印

第一条 大韓帝国皇帝陛下は大韓帝国全部に関する一切の統治権を、完全且つ永久に日本国皇帝陛下に譲与す。

第二条 日本国天皇陛下は前条に掲げたる譲与を受諾し、且つ大韓帝国全てを日本帝国に併合することを承諾す。

(以下省略) 


要するに「大韓帝国皇帝の申し出」を、日本の天皇陛下が「承諾」したのである。


彼等はこんな明白な史実や条約ですら強引に否定しようと躍起になっている。甚だしくは「日韓併合条約そのものが無効だ」と強弁する者まで出る事には唖然とする。彼等は自分たちが嘗て日本人になった事を喜んだ事実や、大東亜戦争が始まると、朝鮮人は7.3倍~50.6倍の狭き門に我先にと群がって日本兵になるべく志願した史実には知らぬ顔を決め込んでいる。そして、現在では中共の支援を受けて、中共と一緒になって日本の歴史を筋違いに非難しているのである。韓国人は自分たちが「敗戦国の戦争当事者」であったという事実は絶対に認めたくないようだ。


同じ敗戦国ドイツに併合されていたオーストリアも敗戦直後は韓国同様に「自分たちは被害者だ」と筋の通らない事を主張したが、ヨーロッパ諸国に窘められると、当時のカール・レンナー大統領は「我が国の若者もドイツ軍に志願した加害者である」と認めて、ヨーロッパ諸国に好意的に評価された。フランツ・フラニツキー(当時)首相もイスラエルを訪問した際、「我が国もナチスに協力してユダヤ人を迫害した」として国家として正式に謝罪した。これがまっとうな国が取るべき態度である。


併し、責任逃れの為ならばどんな卑劣な嘘も辞さないのが朝鮮民族である。韓国人が言う「日帝強占・植民地搾取」が嘘である証拠は幾らでも示す事ができる。


▪️日本統治時代、面(村)では、日本人100人に対して朝鮮人44,000人であった。こんな少人数で強圧的な政治などできる筈がない。朝鮮人たちの協力があって初めて朝鮮半島の統治が成果をあげたのである。

▪️朝鮮総督府を始め、道庁知事・議員・役人・警察官などは、80%以上が朝鮮人であった。この実態を韓国人たちは知らないし、認めようとしない。

▪️朝鮮総督府は、朝鮮人から土地を奪った事実はなく、耕地可能な農地面積を倍増し、朝鮮人に所有させた。これのどこが土地収奪になるのか?

▪️朝鮮総督府では治山事業の一環として「火田民」対策も行なった。「火田民」とは原始的な焼畑農民の一種。各道庁に担当部署を設け、火田民500戸を単位とする「山農指導区」を組織し、一般の農業や酪農の技術指導に当たった。

朝鮮半島に於ける日本政府の善行をいちいち挙げていったら切りがないほどである。


昭和30年代、日本人の優しさに漬け込んで、保護を求めて「火田民」が密航して来て子供を「大村収容所」に残して帰ってしまうという事件が続発した。戸籍が無いから国籍が無い。そういう朝鮮人が30万人以上も日本に密航してきて、現在の「在日」の先祖の一部となっている。そういう彼等が、日本を憎み、貶める事に喜びを見出しているのだから、本当に迷惑な話である。


韓国は「日韓併合」が不法であったと国際社会に認めてもらおうと様々な画策をしてきた。以下に産経新聞の記事を部分引用する。


「日韓併合不法論」支持せず 国際会議で英の学者ら 韓国主張崩れる


日韓併合について合法だったか不法だったかの問題をめぐり、平成1311月に、米ハーバード大で開かれた国際学術会議で第三者である英国の学者などから「日韓併合」合法論が強く出され、国際舞台で不法論を確定させようとした韓国側の目論見は失敗に終わった。(中略)


この学術会議は米ハーバード大アジア・センター主催で1617日、開かれたが、韓国政府傘下の国際交流財団が財政的に支援し、韓国の学者の主導で準備された。これまでハワイと東京で二回の討論会を開き、今回は韓日米の他、英独の学者も加え、謂わば結論を出す為の総合学術会議であった。(以下略)

20011127日『産経新聞』東京朝刊)


このように「日韓併合」は国際法上、何の問題もなく合法的であったと各国の国際法学者が結論付けている。日本政府・外務省の無策により、国際社会ではとかく韓国の捏造が史実として定着してしまう事例が多い。併し、きちんとした証拠を示して第三者に公平な判断を仰げば、韓国の主張が嘘であると明確に証明される事例もあるという事だ。日本政府は、外務省や文科省のやる気のない役人を場合によっては総入れ替えするくらいの覚悟で、貶められた日本の名誉回復に努めていただきたい。