《現代の日本人は、悪しき『東京裁判史観』に塗れた、「偽りの贖罪意識」を植え付ける内容の「戦後教育」しか受けていないから、日本と韓国の関係性を正しく理解できなくされてしまっている。日本政府(自民党政権)がこの悪しき戦後教育を改める兆しはない。我が大和民族の国家「日本」と、朝鮮民族の分断国家である「韓国・北朝鮮」は、何の共通点もない国である。勿論、ついこの間まで日本政府が韓国に対して真顔で言っていた「価値観を共有する国」であった事など歴史上一度足りともない。当時は分からなかったが、「日韓併合」中も、日本人と朝鮮人は全く別の生き物と言っても良いほど懸け離れた価値観・人生観を持っていた》


戦後の日本人は韓国という反日国家に不用意に接近し過ぎた余り、忌まわしき朝鮮民族の本質を見失なっている。敗戦後、間も無く始まった、事実上、米国一国による68箇月に及ぶ「洗脳統治」と、彼等が凡ゆる法を犯して押し付けて行った「亡国憲法」にしがみついてきた余り、日本人は次第に「大和民族としての気高き精神性」という人類史的に稀有な資質を失ないつつある。米国は大東亜戦争開戦前に企てた通りに、日本を二度と白人に逆らわない腑抜けた国にしてしまった。現代の日本では、米国が悪意を持って埋め込んで行った腐った種が開花したかのように、国家の枢要な部分を韓国朝鮮系の帰化人や在日たちに支配されてしまっている。


大和民族は、敗戦後72年の歳月をかけて着実に朝鮮民族に蝕まれてきた。近年、「日本の韓国化」が著しいという実態に気づいている日本人がどれだけ居るだろうか? 日本の最高学府の中でも取り分け一流と言われる大学の大学院の「憲法学者」が「亡国憲法」について、在日にほぼ支配されているテレビ局の在日キャスターの質問に答えて、神妙な面持ちで自らの護憲思想を開陳する姿は、日本を愛する者としては見るに耐えない。また、彼等、優秀な筈の日本人が賛成し推進する女系天皇を容認したら、「万世一系の歴史」を失ない、日本は日本では無くなってしまうだろう。半世紀以上の歳月をかけて歴代自民党政権が、恐らく意図せず、単なる怠惰や臆病や利権への欲得によるで有ろう不作為で蝕んできた、この日本は、何れ「つぎはぎだらけの亡国憲法」を押し戴き、本来の資質を失なった事実上の大和民族ではなくなってしまった日本人が住む、本来の主人なき国家に成り果てるのだろう。


そんな暗澹たる気持ちに苛まれながらも、一人でも多くの日本国民に、米国の悪辣さと朝鮮民族の鬼畜さと劣等性と卑劣さ故に、この日本が危機の淵に追い詰められている実態を知って貰いたい一心でこのBlogを書いている。


大和民族と朝鮮民族、そしてアングロサクソンなどの白人たちとの違いを推し量る材料としては、「奴隷制度や階級差別」を「悪しきもの」として自国の文化に定着させるのを拒んだか否かである。余り知られていないが、奴隷制度は古代の日本にも短期間ではあるが存在した。併し、古代の日本人は「声無き心の声」に従って、奴隷制度は悪しきものであると悟り、排除した。以来、日本人は一度も奴隷制度を持たなかったし、階級差別による虐待の歴史も経験していない。併し、朝鮮民族である在日たちを悪意を持った米国に仕込まれると、短期間のうちにいとも簡単に、朝鮮民族系の帰化人や在日たちに国の中枢を明け渡しつつある始末。これは敗戦後の日本を預かった歴代自民党政権の取り返しのつかぬ迂闊である。


李氏朝鮮の歴史を観ると、奴隷制度や階級差別が厳然と存在し、下層民を苦しめ抜いた。王族を頂点として、一番上に両班があって、その下に一般人である中人、その下に常民(小作人)、その下に賤民(奴婢・白丁)がいた。賤民は明らかに奴隷であり、常人にも人権はなかった。両班の息子 朴泰赫が書いた「醜い韓国人」(光文社)という本には、小作人の素行が生意気だという理由だけで、両班に打ちのめされ、足を折られたりして一生の不具者にされてしまうような、常民・賤民に対する壮絶な虐めが記されている。

 

李朝の身分制度の人口比は、両班・中人が約60%。常民・賤民が約40%。下層階級の比率が非常に高く、奴隷階級が40%に及ぶ国家など世界広しと雖(いえど)も李朝しか存在しない。金日成・金正日・金正恩と三代続く独裁政権下、多くの国民が飢餓に苦しんでいると言われる今の北朝鮮でも、最下層民の比率は、矢張り40%と見られる。社会主義国家に偽装したところで、身分制度を含め、中身は李氏朝鮮時代のままである。自由主義国家と見做されている韓国も、実態は財閥系の資産家たちを頂点に、その財閥企業に勤める高所得者階級、彼等の優雅な生活とは縁遠い下層民に分けられる。韓国には、所得による「身分差別」に加え、「地域差別」も厳然と存在する。国内の差別から逃れる為に、韓国は世界一の移民供給国家となっている。


日本の敗戦時に米国が日本を占領統治をしようがしまいが、在日朝鮮人たちの内の「被差別民」は、差別が待ち構えている母国には決して帰ろうとはしなかっただろう。そうした在日たちが帰国事業にも応じずに不当に日本に居座ったのである。ロサンゼルスに行くと沢山の朝鮮人がいて、コリアンタウンを形成している。彼等に出身地を聞くと、異口同音に「ソウル」と答えるが、実際は全羅道や済州島あたりの出身者である。彼等、全羅道や済州島の出身者は、母国では手酷く差別され人生に未来はない。それを恥じて「ソウル出身」と嘘をつく。嘗て、自民党の幹事長を勤めて権勢を欲しいままにしていたが、今ではすっかり落ちぶれてしまった小沢一郎氏も済州島出身者で年に一度の済州島への墓参りを欠かさないと聞く。被差別民である朝鮮人たちは先ず日本に来て、運がいいとそこから米国やカナダなどの欧米先進国に渡って行く。国を捨てたくなるほどの凄まじい階級差別があるからだ。


朝鮮民族の国家には、「奴隷制度」というものが常態として存在し、それに加えて様々な「差別」が存在する。韓国は、支那の真似をして韓国独立記念館を造ったが、そこでは日韓併合中に日本人が為したという朝鮮人拷問の様子が再現されている。例えば「ボウダ」という拷問は、足を結わえて足と足の間に棒を入れて抉(こじ)るというものだ。それで足を骨折させたりしたという。「残酷な日本人」がやったという紹介文がついているが、そんな拷問道具や方法など日本には存在しなかったし知りもしない。同じものが両班記念館にも、「両班が小作人を折檻した道具」として保存してある。朝鮮人にはこういう間抜けたところがあり、彼等は直ぐバレる嘘をつく。「醜い韓国人」を読まなくとも、朝鮮ではそういう虐待が行なわれていたという事が誰にでも分かる。


李朝では女性差別も甚だしかった。日本が1910年に朝鮮人の懇願を受け容れて大韓帝国を併合して驚いた事は、先ず人口動態を調べようとしたら、全く統計がない事だった。戸籍すらない。然も、女性には「名」もない事が分かった。「姓」はあるが、個々の名前がない。そこで日本が名前を付けさせ、戸籍を作った。それほど朝鮮人女性というのは差別されていた。李朝の文献を見ても、「閔妃」などの妃の名は出てくるが、下層階級の女性の名は一切出てこない。朝鮮総督府が戸籍をつくってから、「芳子」とか「君子」とか、日本式の「子」のつく名前が急増した。彼女たちは自ら望んで「創氏改名」をした訳だ。


また、日本の統治が始まる前の朝鮮人は染色技術を知らなかたったから、日本女性の和服姿を初めて目にして、目を輝かせた。それまで虐げられていた朝鮮人女性たちはこぞって和服を着たという。数世紀もの間、白い韓服しか身に着けていない事から、彼等は「白い民族」と呼ばれていた。今の韓国や北朝鮮の女性たちが、原色を多用した悪趣味なチマチョゴリを好むのは、色彩感が伝統的に養われてこなかったからだろう。


福田徳三は、李朝は日本より1,000年遅れていたとしているが、その計算だと李氏朝鮮の発展段階は日本の平安時代に相当する。福田徳三は経済学者だから、飽くまでも経済的観点からの意見だろう。1,000年前の日本といえば、紫式部や清少納言という女性作家・歌人が活躍して、独自の文化を成熟させていた平安時代である。女性差別が激しく、文学などの芸術の発展も全く見られなかった李氏朝鮮の遅れは文化面では1,000年どころの遅れではない。女性文学が11世紀に成立していた日本は西欧諸国よりも500年は先駆けていた。江戸時代には自然発生的に寺子屋制度も発展するが、寺子屋の先生の3分の1は女性だった。教育の普及に加え、有職の女性が既にそれだけ存在した事は世界の奇跡と言っていいほどである。


朝鮮民族を語る上で欠かせないのが、「言葉の貧しさ」である。これも日本とは大きく異なる。「華夷秩序」に組み込まれていた朝鮮の唯一の文化といえば「中華の真似ごと」であった。漢字・漢語を入れて、それを大事にし過ぎた余り、朝鮮由来の言語を殆んど失なってしまった。この朝鮮のケースは世界でも珍しいと言える。例えばフィリピンはスペインに占領されてスペイン語を強要され、次に米国に占領されて英語を教えられても、自分たちの言葉であるタガログ語は捨てなかった。ベトナムもフランスの統治を受けたがベトナム語を捨てなかったし、インドネシアは350年間もオランダに支配されながらも多数の現地語を護り通し、その後の3年間の日本統治中に国語を一本化された。


朝鮮民族は、支那という隣の国に文化的侵食を受けるや、自ら進んで言語まで放棄してしまった。筑波大学の吉田教授が一生懸命に朝鮮古語を研究されているが、現在までに僅か180語しか確認されていない。文化は言葉がないと育まれない。朝鮮半島には文化が全く残っていないから、今の韓国は他国の文化を剽窃して自国起源と言い張るような真似をする。彼等は自分たちの先祖がどんな名前をつけていたのかも全く分からない有様なのだ。今の朝鮮人の名前は「支那風の名前」であって、1,000年前に彼等は自ら「創氏改名」していた訳だ。


15世紀になって、李氏朝鮮の4代目国王 世宗が諺文(ハングル)をつくったとされる。漢字のみでは庶民に教育が普及しないので、大陸の覇者であったモンゴルが残していったパクパ(パスパ)文字を真似たと言われている。併し、漢字・漢語を権威として使っていた支配階級である両班が、女子供の卑しい文字だと抵抗して、ハングルは普及の努力もされず、忘れ去られた。それを1876年の日朝修好条規締結の為に帯同した日本の学者が発見して、研究し、体系化して朝鮮人に教育した。


併し、1910年に大韓帝国皇帝純宗の懇願に応じて「韓国併合」を天皇陛下が承認された時には、またもハングルは埋もれ、忘れ去らていた。日朝修好条規から僅か34年後の事である。そこで福沢諭吉が門下生の井上角五郎を朝鮮に派遣して、ハングル普及に尽力させた。そして韓国併合後は、朝鮮総督府が精力的に小学校を建設しながら「普通学校用諺文綴字法」(1912年)という正書法をつくってハングルを普及させていった。


韓国人は、よく「日本人は我々から言葉までも奪った」などというが、ハングルは日本人が発見し、体系化させ、無学な庶民層に教育を普及させる為に、両班の私塾が数校しかなかった朝鮮に何千校もの学校を建てながら、大変な努力の末に定着させたのである。韓国人が語る歴史は「正反対」に理解するのが正しい。併し、ハングルの基礎となっている支那の言葉も元々語彙不足だった為、支那は近代社会の概念に対応できず、「民主主義」や「共和主義」や「社会」「株式会社」などといった西洋近代文明の新しい概念を理解するのに欠かせない言葉を日本から輸入している。況してや支那の漢字を基礎にした朝鮮の文化に於いては、更に語彙が足りない。韓国人が短気で、カッとなり易いのは語彙不足による、「意思が伝わらないもどかしさ」が根底にあるという言語学者もいる。


日本の隣国は、以上述べたように日本とは文化的に全く縁もゆかりもない民族の国なのである。日本人が様々な外来文化の影響を受けながらも、それを独自に昇華させて日本独自の近代化を成し遂げたのとは、正に対照的な民族の国が韓国なのである。世界的に隣国同士というものは、とかく仲が悪いものだ。まともな国同士であっても上手くやって行くのは難しいのだから、朝鮮民族のような異常な民族とは、関わり合いにならないのがいちばん良いのである。これは歴史が証明してくれているのに、日本人は米国の圧力と情にほだされ、近年になってもずっと韓国を援助してきた。そして援助するたびに恩を仇で返され続けてきた。


最近の韓国のマスメディアの論調は「日本は韓国がいちばん苦しい時には、いつも突き放し、決して助けてくれない」というものだ。韓国の二度に亘る経済危機の時に、最も援助したのは日本であるし、日本は世銀、IMF、共に第2位の出資国であるから、直接援助に加えて間接的にも韓国にとっては最大の援助国である。それでも日本を恨み続ける韓国人など日本政府も日本の経済界も相手にするべきではない。韓国の三度目の経済危機に救いの手を差し伸べるようでは、流石に自民党政権は愚か者の誹りは免れまい。


高山正之氏は、韓国との付き合い方の一番いいお手本が、「米国のキューバ外交」だと述べられている。米国にしてみればキューバは自国に向けられた匕首(あいくち)のようなもので、日本にしてみても朝鮮半島は脇腹に突き付けられた匕首なのである。14921027日、キューバ島はコロンブスの第一次航海でヨーロッパ人に「発見」され、1511年にスペインのベラスケスが率いる遠征隊によって征服された。原住民のインディオは虐殺され、女は強姦されて、メスティソという混血児の島になる。また、殺戮の結果、人手不足となってアフリカ人奴隷を大勢買い入れ、奴隷だらけの島になってしまった。その後、1890年代頃から、その奴隷たちが宗主国スペインに対して反乱を起こすようになる。


米国はキューバが混乱している時はずっと無関心だった。キューバで何が起きようと国内で争っている限り、米国にとってはどうでもいい。併し、1898年の米西戦争の時にそれまでキューバに無関心だった米国が突然介入してきた。理由は、メスティソやアフリカ人奴隷の反乱軍が、支配層のスペイン人たちを殆んど駆逐するところまできていたからだ。自分の脇腹にまとまった「意思をもった国」ができるというのが国家にとっては一番怖い。米国が米西戦争でキューバに介入したのは、あと少しでこの島に「独立した意思ある国」が出来そうになった為だ。


18982月、米国の「自作自演」といわれる、米戦艦メイン号のハバナ湾爆沈事件が起きる。米国はこれを口実にキューバに介入した。米国の卑怯なところは、必ず相手に手を出させてから戦争を始める。「米国は悪く無い。相手が悪いのだ」という国際世論をつくってから攻撃する。嘗ての日本もその手で遣られた。米国は、軟弱なスペイン軍を破ってキューバに進駐すると米軍の傀儡政権をつくった。然も、キューバにも国際法を無視して米国製憲法を押し付け「プラット条項」というのを入れた。これは「外交は米国の承認のもとでやれ」という条項であった。そして外交も貿易も全て米国の承認の下に行なう状況が、カストロ政権の誕生まで続く事になる。


米国のこの「キューバ外交」を大日本帝国は見習うべきだった。カストロ政権のキューバがどんなに苦しんでいても米国は一切助けなかった。日本にとってみれば朝鮮は日本の安全保障を脅かす存在なのだから米国のように力づくで手に入れて傀儡政権をつくれば良かったのだ。日清戦争が終わったのとほぼ同時期に「米国とキューバ」という、格好の良い見本があったにも関わらず、日本は「傀儡政権をつくる」よりも「まともな独立国家になって貰って共存共栄を図ろう」という外交政策をとった。自国の安全保障を第一に非情な朝鮮潰しをやる事に躊躇いがあったからだろう。併し、高山氏は「本来の外交の遣り方」という意味では米国流が正しいという。敗戦により朝鮮半島に「意思ある国家」ができた時、日本は米国に倣って韓国を一切助けなければ良かったのである。


日清戦争のあと日本が躊躇っている内に李氏朝鮮の高宗は、ロシアの公使館に籠って一年余り執務するという日本に対する背信行為を働く。そして更にロシア軍を引き込み馬山浦を提供し、閔妃に至ってはロシアに税関権を渡してしまうという暴挙にでた。日本が日清戦争で朝鮮の独立を求めていたにも関わらず、朝鮮は自らロシアを引き込み、その植民地になろうとしたのである。日本にすれば、少し危ない「匕首」が「大鉈」になりそうになった。この危機感が日露戦争に繋がる。言ってみれば日露戦争も「朝鮮」という「災の国」が呼び込んだようなものだ。日露戦争で日本人は97,000人、そして日清戦争では30,000人が死んでいる。朝鮮の処理を誤った為に、延べ130,000人もの日本人が犠牲になった。外交には同情や憐憫は禁物なのである。


日本の「韓国併合」には米国大統領セオドア・ルーズベルトの陰謀の存在も否定できない。日露戦争が終わった後に米国がとった行動は朝鮮にある在外公館の引き上げだった。ルーズベルトは「もはや朝鮮は国家の体を成していない」と発言しているが、その時にこうも言っている。上智大学教授の長田彰文氏の「セオドア・ルーズベルトと韓国」(未来社)に「私は日本が韓国を手に入れるところを見たい。日本はロシアに対する歯止めの役割を果たす事になる」というT・ルーズベルトの言葉である。ルーズベルトは日本にとって「いい事」は、ただの一つもやっていない。日露戦争の講和でロシアの対日賠償金をゼロにしたのがいい例だ。彼自身、日本は「仮想敵国」だと公言してもいた。そう考えれば彼の行動は「この一番処理が難しく、一番タチの悪い朝鮮という国を日本に押し付けてしまえば、日本は混乱に陥るだろう」という悪意があったとみるべきだ。だから対日戦略の一環として、公館を引き揚げたのである。

 

キューバ統治に於いて「隣国への対応の仕方」を百も承知な筈の米国が、朝鮮を日本に渡して公館を引き揚げてしまう。これには必ず裏がある筈だ。「行かないでくれ」と泣いて縋(すが)る朝鮮人に対し、「お前の国は留まるに相応しくない。日本を頼れ」と言い放って米国は出て行った。それが結局、日本による「韓国併合」の布石となった。日本が韓国を併合せざるを得ないように画策したとすれば、これは米国の「最大の陰謀」と言っていいだろう。


我々日本人が「正しい外交関係」の為の視点を持つには、寧ろ、T・ルーズベルトのような目を持たねばならない。やたらと日本に入ってきている韓流と称するドラマやK-POPを始めとした韓国や在日に支配された日本のマスメディアが垂れ流す「韓国情報」に惑わされるのは日本にとっては極めて危険な事なのである。


韓国についてはこんな話もある。ベトナム戦争時に韓国軍がベトナムで何をしたかを「Newsweek誌」(2000412日号)がベトナム支局のレポートを載せている。韓国がベトナムに派兵していた1965年~73年の間、韓国軍は理由なき無差別殺人を行なった。立ち退きを拒否したベトナム人住民たちを生きたまま井戸や防空壕に押し込め、手榴弾を投げ込んで殺す。残忍なやり方で女性をレイプしてから殺す。子供も腕を切ったり首を落として殺す。「韓国兵に会ったら死に出会ったのも同然だった」というベトナム人の証言がある。


そして、もうひとつ「竹林はるか遠く~日本人少女ヨーコの戦争体験記」(So Far From The Bamboo Grove)を忘れてはならない。著者のヨーコ・カワシマ・ワトキンスさんは米国人と結婚して現在は米国に住んでいる。彼女は朝鮮半島で終戦を迎え、家族と共に日本へ引き上げる際に多くの同胞が朝鮮人に襲われ、強姦され、虐殺される場面に遭遇した。その事実を11歳の少女だった著者が淡々と綴った作品である。


この本は米国のほぼ全州の中学校で副読本として採用されていたが、2006年に在米韓国人が「歴史の歪曲」だと騒ぎ出した。朝鮮人を残虐な民族のように偽って描いたというのだ。騒ぎは全米に広がり、ついには、当時73歳だった著者が「記者会見に引きずり出され、怒号の中で吊るし上げられ、謝罪を求められた」と「ボストン・グローブ」紙が伝えている。会見場には韓国紙の特派員・韓国領事は居たものの、日本の外交官・特派員は姿を見せなかった。日本の政治家や国から高給を取っている外務官僚、そして正義漢ぶった日本のマスメディアは、こういう肝心な時には絶対に姿を現さない。日本政府にこの事件が伝わらない訳が無いが、日本政府(自民党政権)もダンマリを決め込む。その後、在米韓国人たちのボード・オブ・スクール(教育委員会)への圧力によって、この本は副読本から外されてしまった。


併し、「竹林はるか遠く~日本人少女ヨーコの戦争体験記」は真実を伝えている傍証がある。当時、朝鮮半島から博多湾に引き揚げてきた女性たちの中で、強姦による妊娠をしてしまった女性の実態が、上坪隆「水子の譜」(社会思想社)に描かれている。それによると、ある特定の時期に堕胎手術をした女性が47人いた。その加害者の内訳をみると、朝鮮人が28人、ソ連人が8人、支那人が6人、米国人が3人、台湾人・フィリピン人が各1人、とある。


この数値によって日本人避難民を襲った暴漢の内訳が分かる。多くの日本人には、日本人への加害者の主体が「旧ソ連人」だという思い込みがある。併し、実際は過半数を大きく超える暴漢が朝鮮人であった。それが「竹林はるか遠く~日本人少女ヨーコの戦争体験記」を読むとよく分かる。日本の敗戦後、朝鮮人は掌を返して、ケモノのような蛮行を日本人に対して行なったのである。日本人は終戦時によくよく朝鮮人の残忍さを知る事になった。危険なのは、現在の日本人の多くが、戦後教育という嘘っぱちを教えられて、朝鮮人の蛮行を知らない事だ。それで韓流だP-POPだと在日汚染されたマスメディアに「不浄なもの」を押し付けられているのだから堪らない。


戦後、韓国は「竹島」を強奪し、日本人漁民4,000人近くを人質に取って、テロリストと同じやり方で日本との戦後処理交渉を進め、「謝罪」と「日本を破産させてしまうほどの巨額な賠償支払い」(15億ドル~100億ドル)を要求してきた。日本統治時代、日本が行なった植林、鉄道敷設、港湾設備、灌漑設備開発を始めとした「インフラ施設」、そして「公的・私的財産」合計53億ドル相当を全て没収した上にである。オランダは350年もの間、インドネシアから搾取し続けた上に、インドネシアから撤退する時には「俺たちが町を作って、運河を造ってやった」と、植民地だったインドネシアに60億ドルを請求している。韓国は日本の「請求権」を認めないばかりか、公的・私的財産を不当に没収した上に、「巨額な賠償支払い」までを要求した。米国の圧力があったとはいえ、韓国の脅しに屈した日本もだらしがないが、現代に生きる我々は、つい52年前にそういう出来事があった事を決して忘れてはいけない。


日本に帰化された元韓国人、呉善花氏によれば「あの国は馴れ馴れしい」という。例えば「南北統一」の問題ひとつとっても「日韓が一緒になって取り組みましょう」と言う。潘基文 元国連事務総長も、嘗て彼が外相をしていた時代に日本に来て同様の事を言っていた。併し、朝鮮半島の統一など100%朝鮮人同士の問題である。日本は韓国に必要のない戦後賠償として莫大な資金を渡す時、当時の朴正煕大統領が、「北朝鮮には韓国が渡す」からと、北朝鮮の分まで経済援助金を寄越せと言って、日本から北朝鮮の分まで援助金を巻き上げた。「日本人拉致被害者の問題」は重要課題として取り組まなければいけないが、それ以外で北朝鮮などに日本人が関わってはいけない。


東西ドイツは冷戦終結後にベルリンの壁を崩して統一を遂げた。ベトナムも、東西冷戦に付き合って分断している必要はないと、30年間の戦争の末に南北統一を成し遂げた。ベトナム人には「これはベトナム人の問題であって、自分たちが解決する」という「統一への強い意思」と「民族の誇り」があった。翻って、南北朝鮮はどうか? 韓国は「自分たちだけじゃ統一できない」と散々悪し様に口撃しながら日本を頼ったり、「6箇国協議」に便乗したりして「自国の統一」に必要となる資金を他国に集(たか)ろうとしている。T・ルーズベルトの言葉を借りれば、日本の隣国は未だに「国家の体裁をなしていない」のである。