《世界では未だ「人種差別」が横行しており、元からと言えばそれまでだが、欧米白人諸国では「宗教・民族・肌の色」などに対する「非寛容精神」が再び台頭し、歴史的に「人種差別」や「民族差別」をする白人たちの身勝手が近年また鎌首を擡げてきた。それとは対照的に日本では「寛容精神」こそ善なるものとばかりに益々「民族差別」を絶対悪と見做す風潮が強まっている。これは、日本人本来の善なる精神の発露か、自己欺瞞の蔓延か、悪意あるマイノリティ(=在日)の自己保身、或いは史実隠蔽工作か。日本国民は、一部の人権派やマスメディアの偏向報道に付和雷同するのではなく、一度立ち止まって冷静に考えてみる必要を強く感じる》

「民族差別」を「悪」であると決めつけるのは簡単だが、短絡的に結論に飛びついて、それ以上考えない今の風潮は、日本国民が長年をかけて「思考停止」の陥穽に陥った状態と言える。これは、米国の「占領政策」(=洗脳政策)や、その後の間違った「戦後教育」を放置し続けた歴代自民党政権と、自民党に代わる保守政党の出現を望まなかった日本国民の怠慢の結果である。そういう今の日本国民の置かれている精神状態こそが、「東京裁判史観」により歪められた「戦後教育」を改善してこなかった為の、「人間の感情や行動の裏に潜む本質」について考える能力を奪われた戦後の日本国民の成れの果てなのである。

正しい人間性を養う為には、正しい人生観が必要なように、正しい国家観や社会環境を育む為には、「正しい歴史観」が絶対的に必要である。我々日本国民は長らく日本政府を牽引してきた歴代自民党政権による、怠惰や偽善に起因する不作為と、反日的教育を積極的に進めようとする勢力により、「正しい歴史観」とは程遠い教育を受けてきた。これは安倍政権への批判などという近視眼的な主張ではない事をはっきりさせた上で「差別の良し悪し」について論を進めたい。日本が関わる「戦後史」と日本国民が問われている「ある価値観」についての考察である。その価値観とは、「朝鮮民族」に対して持っていると言われる「日本国民の民族差別」という感情である。

「差別」と一口に言っても、世の中には正当化可能な「差別」と、決して許されるべきではない「差別」がある。それを正しく峻別する事こそが、成熟し、独立した大人の人間が備えるべき能力と言える。併し、現代の日本社会を見ると、日本人の殆んどが「差別」というレッテルの前に「思考停止」してしまう愚か者か、意図して本心を隠す偽善者である。「差別感情」を一切持たない人間などいる筈はないと断言できるし、この問題の考察を避けて単純に「悪」と決め付けたり、或いはより深く考える事を拒否する者は、実は自らの偽善性に気付いている卑怯者である場合が多い。

殆んどの善良なる日本国民が信じ込まされている「差別=悪」という短絡的な図式を覆すのは簡単である。性別や先輩後輩という明らかな「差」があるのに、結果平等を求めるのが間違いである事は、既に別稿でも述べた。即戦力にならない新入社員が長年の努力で高い技能を身に付けた先輩社員と同じ給料を要求するのが間違いである事は誰にでも理解できる。これは個人が備える「差」に着目して「別」に扱う好例と言える。俊足の子が鈍足の子を抜き去り、運動会などで高順位を付けられるのは当たり前だし、受験勉強で努力した者と怠けていた者が、受験で成功したり失敗したりするのも当然の「差」である。それが往々にして将来の「収入の差」となって現れる現実は「差別」でも何でもない。また、犯罪者と被害者を「区別」して「差」を付け「別」に扱う事は当然である。このように「差別」と言っても様々なものがあるのに、戦後の日本人、特に現代の日本人は、在日韓国朝鮮人に「差別された」と言われると、その途端に「思考停止」してしまう。そして「差別=悪」のレッテル貼りに対抗できずに自らの素直な感情を「悪」と認めてしまう。

何の罪も無い人々に対して、「宗教・民族・肌の色」や「思想・信条」「能力や知性の高低、或いは、出身国の後進性」などで「差別」するのは、人として恥ずべき感情である事は言うまでもない。併し、そのような明確な「悪」である「差別」とは別に、必ずしも「悪」とは言い切れない「差別」がある事を日本人は見逃している。「人の道に反する行為や許されざる蛮行を働いた罪人」ともいうべき者たちが、その報いも受ける事なく、自らの罪深さを自覚も反省もしないで、シラをきり通しているとしたら、彼等は善良なる人々から見れば「軽蔑」の対象となって当然であり、その場合は「憎悪」される事すら正当な感情と言える。彼等は「差別」されて当たり前なのである。良きに付け悪しきに付け、人間社会から「差別」が無くなる事は決してない。

私は、敗戦直後の日本人に人間性の欠片も感じられない蛮行を働いておきながら、一貫して自分たちを「被害者」だと主張し続け、不当に日本に居座り続け、日本国民より日本という国家から優遇されている「在日韓国朝鮮人」たちが、真っ当な日本国民から「差別視される」のは当然の結果であると考える。きちんと謝罪を済ませたり、日本の社会に融和的に溶け込もうと努力するなら未だしも、史実隠蔽に狂奔し、天皇陛下を侮辱したり、旭日旗を戦犯旗だなどと思いつきの嘘を主張し、一貫して「被害者詐欺」を働く朝鮮民族(≒ 在日)が差別されるのは当然なのである。彼等が敗戦直後の日本人に何をしたか、真実の歴史を全く明らかにせずに「在日は可哀想な人たちだ」と嘘の教育をしてきた日本政府(=歴代自民党政権)は明らかに間違っている。その「嘘の教育」は今も平然と続けられている。

話は些か遠回りになってしまうが、日本は、欧米列強に遅れて帝国主義を唱え、白人諸国を見習って植民地主義国家に仲間入りしたが、日本と白人諸国の植民地主義の決定的な違いは、原住民を肌の色や文明の後進性ゆえに「差別」したか否かである。当時の国際社会では、帝国主義も植民地主義も合法であった。現在の価値観で歴史を断罪するのは愚かな行為である。それを承知の上で言うならば、日本を含む、当時の帝国主義国家の行為は所詮「強者の論理の弱者への押し付け」であった。それでも日本は、1919年のパリ講和会議の国際連盟委員会に於いて、白人列強諸国の代表に向かって、人類史上初の「人種差別撤廃提案」をした。日本人は古来より「故なき差別」を悪しきものとしてきたからである。

有色人種国家である日本の「人種差別撤廃提案」には、ブラジル、ルーマニア、チェコスロバキアが理解を示したが、大英帝国とその自治領であるオーストラリア、カナダが猛反対し、米国のウィルソン大統領の議長権限により、いとも簡単に退けられてしまった。英国と米国は当初はこの理念に理解を示す素振りを見せたが、それは本心ではなく結局は反対に回った。米国のウィルソン大統領は、この前年に「民族自決」を訴える演説をしていたが、所詮白人の仲間内に限っての事で、有色人種など念頭に無かったという事だ。

そもそも米国という国家は、メイフラワー号で渡ってきた英国人を始めとしたオランダ人などの白人たちにより建国された国である。初めて見る白人たちに対して先住民族であるアメリカ・インディアンは、彼等が飢えに苦しまずに厳しい冬を越せるように、ジャガイモやトウモロコシの栽培方法を手解きしてあげた。ところが、そんな大恩あるアメリカ・インディアンに対して、次々に入植してきた無法者の白人たちは、アメリカ・インディアンが奴隷に適さない誇り高さを持っていたが故に、彼等をほぼ殲滅してしまった。

そして、15世紀から19世紀の前半まで、取り分け16世紀から18世紀の時期に、主にヨーロッパ(スペイン、ポルトガル、オランダ、イギリス、フランス、デンマーク、 スウェーデン、アメリカ州を含むヨーロッパ系植民者)と、アフリカ大陸と、アメリカ大陸を結んで、約3世紀に亘ってアフリカ原住民を対象とした奴隷貿易が展開され、西インドのプランテーション経営に必要な労働力として拉致してきたアフリカ人を奴隷として売買した。これを「三角貿易」という。

こういう白人たちの、人を人とも思わない「差別的行為」は、当時、白人の仲間内での法律上は合法であったとはいえ、人道的に許されるべきものではない。これらは「法の不遡及」云々で罪過が取り消されるものでもない。米国人たちはインディアンの代わりに1600万人ものアフリカ人奴隷を買い付けて、家畜の如く使役して、綿花や小麦の栽培で富を増やした。白人女性はアフリカ人奴隷に平気で肌を晒して、湯浴みや着替えをしたと言う。ペットや動物に恥じらいを見せる人間がいないように。ついこの間まで盛んにつくられていた米国製西部劇では、頭の皮を剥ぐという自らの蛮行をインディアンの所為にするという卑劣なプロパガンダ映画やTVドラマを世界中に発信してもいた。映像というものは嘘に真実味を与える格好のプロパガンダ媒体なのである。

フランス人作家ピエール・ブールの小説で映画化され世界的な大ヒット作となった「猿の惑星」は、日本軍の捕虜になった著者の戦争体験を基に、「日本人を猿に置き換えて」制作されたものであるし、名作と謳われる「戦場にかける橋」では、橋梁を造れない日本軍が技術力に優れた連合国軍の捕虜を酷使したという設定だが、大日本帝国陸軍には工兵聯隊という部隊もあり、技術的に白人より劣っていたという事実はない。併し、「東京裁判史観」により歪曲された歴史を刷り込まれた戦後の日本人の多くは、これらの映画を観る為に劇場に詰めかけ、何の疑問も持たずに描かれた偽りの世界観を堪能して、ハリウッド映画を礼賛したものだ。

そんな、戦後の日本人には眩しいほどに輝いて見えた米国は、近年までアフリカ系米国人には公民権すら与えず、公民権活動と名演説で知られるマーチン・ルーサー・キング牧師が暗殺されたのは、つい最近の1968年の事である。また、1960年のローマ・オリンピックのボクシング・ヘビー級で金メダルを獲得したカシアス・クレイ選手は、帰国後、白人用のレストランに入店を拒否され、金メダルを川に投げ捨てたと自伝に書き遺している。その後、彼は急進的なブラックムスリムに改宗し、奴隷の名前であるカシアス・クレイを棄て、モハメッド・アリとしてボクシング界で世界的偉業を成し遂げている。そんな米国では現在に至るも「人種差別」に基づく白人警察官によるアフリカ系米国人への発砲事件に対する暴動事件が頻発している。米国を始めとした白人諸国には「民族差別」は悪い事だ、などと日本人を糾弾する資格はない。

第二次世界大戦の敗戦国であるドイツと日本は、中共や韓国により戦後処理の対照的な例として好んで比較される。ドイツは立派に戦後処理をしたが、日本は全く反省していないと、よく非難される。併し、これは甚だしい恣意的事実誤認である。日本政府は戦後、誠意を以って何度も正式に(時に不必要な)謝罪をし、(不必要な)賠償要求にも過分に応じてきた。併し、ドイツは国家としては一度も謝罪をしていない。ドイツの謝罪とは、被害者であるドイツ国民と国家がナチスに成り代わって謝罪・賠償をしているのであり、当時のドイツ政府とドイツ国民は道義的責任の一切を全面的にナチスによるものとの立場を崩していない。日本人から見れば卑怯この上ない欺瞞的責任回避である。ドイツは過去の「民族差別」(ユダヤ人抹殺計画)を国家として総括し反省した事は一度もない。

ユダヤ人を生きる価値のない劣等民族として「差別」し、「民族浄化を図ったナチス」は、「民主的な選挙によりドイツ国民が選出した政治勢力」であり、ドイツ政府・ドイツ国民はナチスを圧倒的に支持していた。「ドイツ政府・ドイツ国民」と「ナチス」は不可分の存在である筈だが、ドイツ政府は現在に至るもその史実を認めていない。如何に莫大な金額を賠償に当てようとも、それはドイツ政府と国民からの誠意ある賠償などではなく、建前上は飽くまでも「ナチスが犯した罪を、ナチス無き後、行き掛かり上、ナチスの被害者でもあるドイツ政府がナチスに成り代わって賠償を代行している」という立場なのである。中共や韓国などは、国家としては一切謝罪していないこのドイツを見習えと折に触れ日本に迫っているのである。中共は史実を恣意的に曲解しているし、韓国は歴史を理解する能力に欠けている。

戦後のドイツ政府の巧妙なところは、日本のように中途半端な言い訳を一切していない事である。ドイツ政府の立場は、被害を受けた諸外国と同じであり、ひたすら「ナチスのみを絶対的な悪」として、徹底的にナチスに成り代わって謝罪パフォーマンスを繰り広げ、日本と同等かそれ以上の賠償金をふんだんに支給し続けてきた。ドイツ政府は、ヨーロッパ諸国と一緒になってナチスを悪魔化し、未だに自動車のナンバープレートにナチス親衛隊を意味する「SS」の使用を禁じているほどだ。「加害者」でありながら「被害者」を演じきる事で「加害責任」を逃れようとする行為は、韓国政府や在日と同様に、誠に卑劣という他ない。

日本がらみの理不尽ついでに言わせて貰うが、中国国民党も中華人民共和国も日本からの謝罪は受けたが、賠償を受け取る権利は正式に放棄した。その上で、経済的・技術的援助を受けた方が実利が大きいと判断したからだろうが、実際その思惑通りに日本は莫大な援助をした。併し、賠償放棄を申し出た中共の周恩来(当時)首相は、後に米国の国家安全保障担当大統領首席補佐官キッシンジャー氏に「日本は謝罪も賠償もせずに自分たちだけ経済発展を謳歌している」と影で非難していた。現在の中共政府の立場もその考えを基に、殊更、日本に過去の反省を強いている。これは後々、「日本を侵略する時の大義名分として、道徳的優位の立場を手放さない遠大な国家戦略の一環」と見て間違いない。「不道徳な日本を道徳的に優れた漢民族が支配するのは当然」という訳だ。これを見抜けずに、中共に莫大なODAを与え続け、それとは別途に植林事業への援助に100億円を拠出した安倍政権と、親中派を気取る国会議員は単なる愚か者であるばかりか、国賊と呼ばれても仕方がない。

こんな状態でも、有権者には当面は安倍政権を支持せざるを得ない今の日本の政治状況は正に危機的と言える。この危機的状況からは誰も救い出してはくれない。我々日本国民自身が、正しい歴史観に裏打ちされた国家観を持つ重要性に目醒めて、もっと真剣に政治と向き合い、時間が掛かるのを覚悟でこの国の政治状況を自ら変えていくしかない。自分以外は誰も助けてはくれない現実に一刻も早く気付くしかないのだ。

ドイツを含めたヨーロッパ諸国では「SS」の文字と同時に「ハーケンクロイツ」も悪の象徴として忌避し、法律で禁じている。韓国人が「旭日旗」を「ハーケンクロイツ」と同一視するのには多くの日本国民が腹を立てているのではないか? 韓国人が「旭日旗」を戦犯旗と言い出したのは、2011年にサッカーの奇誠庸(キ・ソンヨン)選手が試合中に日本人を馬鹿にして猿真似パフォーマンスをしたのを後から記者に咎められて、咄嗟に「観客席に『旭日旗』を発見して怒りが込み上げてきたからだ」などと言い訳をしたのが始まりである。それ以来、韓国人は「旭日旗」=「戦犯旗」と信じ込めてしまえるのだから凄い思考回路の持ち主である。ついでに言えば、(不必要な)謝罪も賠償もとうの昔に最終決着しているという史実を無視して、際限なく強請りたかりを蒸し返してくる神経にも辟易とする。

韓国政府は1948年の建国以来、「日韓併合」を「人類史上稀に見る過酷な植民地搾取」とか「日帝強占」などと、日本が武力により悪辣な「差別的」植民地政策をしたと非難しているが、日本は朝鮮半島とは別に植民地を幾つも統治していたが、朝鮮半島は日本の「植民地」ではなく、朝鮮半島で原始的な生活を送る原住民に対しては、お人好し過ぎるほどの好条件で「条約による併合」をしてあげたのである。まだまだ貧しかった当時の日本政府は、朝鮮半島に35年間に亘り、毎年国家予算の20〜30%もの血税を注ぎ込んだ。韓国政府が建国以来続けている反日教育とは「歴史を逆さまに教える事」に他ならない。併し、何故か歴代自民党政権は、日本を恨み事実無根の反日教育を続ける韓国政府に一度たりとも反論してこなかったし、在日汚染された日本のマスメディアは、現在に至るも韓国国内で、日本国と日本人、そして天皇陛下などを侮辱し続ける教育と報道が公然と為されている事実を全く報道しない。

「日韓併合」は強者の論理ですらなく、弱者の意を汲んで強者である日本が損を覚悟で大韓帝国皇帝の度重なる懇願を受け容れたものである。人類史上初の「人種差別撤廃提案」をした日本人が、朝鮮の原住民をその後進性ゆえに「差別」などする筈がないのは日本人なら体感として理解できる。35年の併合期間中に、朝鮮人の寿命と人口が倍増している史実は、日本が白人たちとは全く異なる統治をしていた証である。ところが韓国政府の言う「日帝強占」を数々の証拠で否定できるのに、長年日本を統治してきた歴代自民党政権による日本政府と文科省は、日本が軍事力を以って朝鮮半島を植民地支配したと公教育で日本国民に教えている始末だ。歴代自民党政権は韓国政府が主張する「虚偽の歴史」を思春期の日本の少年少女に刷り込んでいるのである。

韓国以外は、例えば台湾やパラオのように植民地として統治したが、日本の統治に批判的なのはそれらの植民地ではなく、自らの懇願により対等併合を望み、喜んで日本国民の地位を獲得した朝鮮民族だけである。韓国政府は歴史を直視せず、日本により齎された発展後に生まれた「自尊心ですらない歪な見栄」により、恥ずべき嘘をついているのである。それを嘘と承知で日本国民に虚偽の歴史を教育する歴代自民党政権を動かし続けてきたのは一体何者なのだろうか? 私は、米国政府の信任を受けた自民党内の隠れ朝鮮人勢力の存在は否定できないと思っている。文在寅政権に代わっても韓国外交部の趙俊赫(チョ・ジュンヒョク)報道官は相変わらず、「日本は歴史を直視しなければならない」とのブーメラン発言を恥ずかしげもなくしている。これに対しても安倍政権は抗議ひとつしていない。外交に於ける「沈黙」とは相手の主張を認める意思表示である事は常識である。

日韓併合中の一時期であった大東亜戦争中の日本には、約265万人の朝鮮人が在留していた。内、75%が留学・婚姻・就職などの自由渡航者で、統計で把握できない残り25%は恐らく密航者であろう。単純計算で66万人以上の朝鮮人が密航してきたのに、何でわざわざ強制連行しなければならないのか? 朝鮮人の本国送還をマッカーサーに書簡で懇願した吉田茂は、当時の在留朝鮮人を100万人と書いているが、それは間違いである。日本の敗戦時の在留朝鮮人は、約2,100,000人も居たというのが統計的に正しい。彼等は敗戦と同時に日本国籍を喪失した為に、台湾人などと一緒に第三国人と呼ばれ、帰国事業により約1,500,000人が半島に帰国し、残り約600,000人は自由意志で帰国に応じなかった。頑として応じなかった。

それは、彼等が母国では最下層民(日韓併合前は奴隷)であった為に、母国に帰るのを拒んだからである。そして日本に安定的な生活基盤を持ち、今更差別感情の激しい朝鮮になど帰りたくなかったのである。決して嫌々強制連行されてきた訳ではない。在日の主張通り日本軍が強制連行してきたのであれば、なぜ旅費を日本が負担するとまで言って推奨した帰国を拒んだのか? 答えられる在日は居まい。韓国では、現在でも「階級差別」に加えて激しい「地域差別」が存在する。だから在日は絶対に帰国したがらない。様々な「差別」と共に「兵役逃れ」も在日が帰国したがらない理由というから、在日たちの祖国愛も底が知れるというものだ。

当時の首相、吉田茂からマッカーサーに送った書簡で、『朝鮮人は7割は職にも就かず、悪い事ばかりする。日本人の子孫にツケを残したくないから、帰国費用は日本が全額負担するので、朝鮮人は全員、半島に帰したい』…という趣旨の陳情をしたが、マッカーサーには聞き容れられなかった。これは書簡という動かぬ証拠として残っている。マッカーサーにとって占領統治を容易にするには日本人に敵愾心を燃やす朝鮮人の存在は不可欠なものであったのだ。英国を始めとした当時の白人列強の植民地統治の方法は、少人数の白人で大勢の原住民を支配する為に、原住民同士を互いに争わせる「分割統治」と言う手法をとった。マッカーサーはそれを敗戦国、日本の統治に活用した。則ち、日本国民と国籍を喪失した朝鮮人をいがみ合わせる為に、圧倒的に少数の朝鮮人を殊更優遇し、反日感情を煽り、在日の乱暴狼藉を見て見ぬ振りをして、日本国民にも朝鮮人を憎むように仕向けたのである。

日本国民はその手には乗らなかったが、下賎な朝鮮民族は日本国民に暴虐の限りを尽くし、マッカーサーの期待に如何なく応えた。敗戦からサンフランシスコ講和条約発効までの7年弱の朝鮮人による鬼畜の蛮行を証明する当時の新聞記事や証言には事欠かない。併し、日本に勝手に居座った在日たちは、日本が独立し、自らの力で治安を回復すると、「自分たちは強制連行されてきた」とか「日本人に激しい差別を受けた」と言う嘘をつき始め、今では多くの在日がその嘘を自ら信じ込んでいる様子だ。併し、在日の中には自分たちの主張が捏造である事を知っている者も少なからずいる筈である。

こうして現代日本が抱える大問題である「在日」が生まれた。正確に表現すれば、「在日」自体の存在も問題であるが、日本政府(=歴代自民党政権)と多くの日本国民が「在日の存在を問題視できないでいる現実」の方が大問題と言える。人間も生き物である以上、生存本能を備えているが、危機察知能力も生存本能の重要な要素である。ところが、今までの自民党政権と殆んどの日本国民は、「大和民族の気高き精神性の継続」(=大和民族の存亡)にとって、この上なく危険な「在日」の存在を「危機」と認識できないでいる。これは「生存本能の劣化」と見るしかない。今や「大和民族は絶滅危惧種」なのである。

これまでの説明で「在日」たちが日本軍に強制連行されてきたというのが真っ赤な嘘である事を理解いただけたと思うが、『東京裁判史観』と『戦後教育』は、朝鮮人の嘘を追認し続けて、日本国民から民族の生存本能を消し去ってしまったのである。これはGHQ/SCAPの悪意ある政策を起点としてはいるが、独立後の65年間の大半を政権政党の座に就いていた歴代自民党政権の外交・内政が取り返しがつかないほど間違っていた証である。自民党政権を信任し続けた日本国民の選択が間違っていたのである。『東京裁判史観』と『戦後教育』、そしてそれを追認し続けた歴代自民党政権は、ここまで日本国民の歴史観を狂わせてしまったのである。

随分遠回りをしたが、ここで本稿の命題である「差別に対する偏見と思考停止」について論じたい。

歴史的に朝鮮民族や在日たちが日本の「被害者」であった事は一度もない。これは多くの証拠を提示した上で断言できる。彼等は一貫して日本人に対する「加害者」であり続けたが、「在日」たちは、階級差別と地域差別が激しく、兵役義務も課される母国に帰るよりも、差別も殆んどなく、兵役もなく、日本国民よりも様々な優遇策を享受できる、「在日」という中途半端で有利な立場にしがみついているのである。それも卑劣な嘘をつき通して「被害者詐欺」とも言うべき生き方を身につけて、代々日本に在留する理由を捏造により正統化しているのである。

自ら望んだ「日韓併合」により、散々日本人の世話になりながら、朝鮮人たちは、敗戦と同時に大恩ある日本人に対して、筆舌に尽くし難い鬼畜の蛮行を働き、半島では日本人を10万人以上も暴行・略奪・強姦の挙句に殺戮を繰り返し、在日たちは「朝鮮進駐軍」を僭称して、日本人の土地家屋を奪い、これまた婦女子と見るや強姦し、平然と暴行の末に殺戮した。安倍政権が擁護する在日とは、「そんな大罪を犯しながら償いもせず、被害者を偽り、不当に日本に居座り続けている者たち」なのである。大恩ある日本を散々嘘で貶めておきながら、二言目には「差別」されたと言い募る。そう言う嘘を民団や総連の弁護士と共に強硬に主張して、数々の「在日特権」を手中に収めてきた。歴代自民党政権は、そういう在日優遇措置を見咎める事もなく、寧ろ積極的に在日を擁護してきた。

最近の安倍政権による在日擁護の好例が昨年5月に自民党が国会に提出し、自民党と公明党・民進党・共産党などの絶対多数で国会を通過させ、昨年6月3日に施行(しこう)された悪法、所謂「ヘイトスピーチ対策法」である。正式名称を「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」と言う。名称の示す通りこの法律の対象に「日本国民」は含まれない。この悪法により、在日たちが「日帝強占」だ、「過酷な植民地搾取をされた」とか、「強制連行されてきた」「性奴隷にされた挙句に口封じに殺された」とか「在日ゆえ不当に差別された」と言う、明らかな虚偽に対して日本国民が反論すると「ヘイトスピーチ」だと認定されてしまう。

また、戦後の混乱期に「朝鮮半島で日本人が朝鮮人に塗炭の苦しみを味合わされた」とか、「10万人以上の在朝邦人や満州などからの引揚者が朝鮮人に暴行・強奪・強姦された挙句に殺戮された」とか、「朝鮮進駐軍に土地家屋を奪われた」と日本人が真実を主張する事も、この法律は規制している。謂わば、日本人は何を言われても言い返してはいけないが、在日は嘘をつき通し、真実を突きつけられる事を回避できると言う「偏向した人権(在日)擁護思想に基づく法律」=「悪法」と言える。

西田昌司議員(自民)は、「ご不満の方もおありと思うが、日本国憲法下で、表現の自由という最大の守るべき人権の価値をしっかり担保した上で、ヘイトスピーチを根絶させるというバランスを考えると、最善の法案ができた」と評価し、「ヘイトスピーチをする方は、ただちに国会が許さない(という意志を示した)。ヘイトスピーチするなどという考えは、直ちに捨てて頂きたい」と述べた。矢倉克夫議員(公明)も「まずはヘイトスピーチ、恐怖にかられている方々にしっかり国の意志を示す事を早急(さっきゅう)にやらなければいけない」と評価した。

「表現の自由が担保された」というのは全くの嘘か現実を知らない希望的観測である。この悪法が施行された3箇月後には、Facebook 日本法人からセキュリティを任された在日企業により、Facebook は投稿記事を数年遡って検閲し始め、投稿文削除やアカウント停止を乱発する事で、朝鮮民族による日本国民への蛮行を証拠と共に糾弾する行為を徹底的に封じた。最近では米国に対する歴史的断罪も禁じられ始めた。西田昌司議員の「表現の自由という最大の守るべき人権の価値をしっかり担保した」などという発言は全くの偽りである。歴代の自民党政権は韓国人に日本を蹂躙させるような政策ばかりとってきた「似非保守政党」の色合いが強い。

有田芳生議員(民進)は、「適法に居住する」「本邦外出身者」という定義が含まれたという与党案を受け入れ賛成した経緯について「現場で体を張って戦ってきた人たちと被害者、長年にわたって取り組んできた研究者の判断が基本に置かれなければならない。もっとできなかったのかという思いもあるが、現場で戦った人たち、研究者やNGO、そして当事者の思い、それを魂として今回の法に入れていくことだ」と課題を示したというから呆れる。

有田芳生議員が言う「適法に居住する本邦外出身者」が「在日韓国朝鮮人」を指すならば、史実歪曲も甚だしい。「在日は日本に適法に居住している」のではないし、在日が「被害者」というのも嘘である。寧ろ、捏造と言っていい。「現場で戦った人たち、研究者やNGO、そして当事者の思い、それを魂として今回の法に入れていく」と言う言葉の意味するところは、日本人に対する言論封殺を更に強化して、在日たちが不当に日本を貶め、自分たちの罪過を隠蔽し続けて日本社会を牛耳っていく事を益々助長していくと言っているに等しい。売国奴の面目躍如である。

「ヘイトスピーチ根絶に向かう立法府の意志が示された」と述べたのは仁比聡平議員(共産)。「在日一世の、戦前戦後ずっと苦労を重ねてきたハルモニ(おばあさん)に『日本から出て行け』というヘイトは、人生まるごとの否定。そうした皆さんに罵詈雑言を浴びせて日本社会から排除しようとする。ニタニタ笑うのを警察が守っている。そうした事態が、これまで多くの痛みと戦いと共に積み重ねてきた共生そのものを否定することが明らか。その根絶に私たちが何が出来るかが焦点だった」と、法案に賛成した背景を述べた。

仁比聡平議員が言う「戦前戦後ずっと苦労を重ねてきたハルモニ(おばあさん)」とは、自由意志で公募に応じた高給取りの追軍売春婦の事かどうか定かではないが、「在日一世が苦労を重ねてきた」と言う意見には、在日一世たち以上に、彼等に暴行を受け、強姦、略奪、殺戮された多くの日本国民の無念への配慮は全く感じられない。これでも日本国民を代表する代議士と言えるのだろうか?

さて、日本人は在日たちや上述の日本人とも思えない国会議員たちが言うような「根拠もなく激しい」「差別」などしてはいないが、日本人が在日たちを「根拠に基づいて」「差別」するのは、果たして不当と言えるだろうか? 私はそうは思わない。「在日」たちは、戦後の混乱期に散々日本人を苦しめておいて日本が主権を回復した途端に、何も悪い事はしていないのに日本人に「差別」されたと言い出した嘘つきである。晴らされぬ先人の無念を思うと彼等は「差別視」どころか「敵対視」されて当然の存在なのである。もし在日たちが、このままこれからも日本に住み続けたいならば、在日一世たちが犯した罪を認めて、日本国民に許しを乞い、日本という国家に忠誠を誓った上で、日本国民に日本在留の許可を乞うべきである。

在日三世・四世ともなると、史実を逆さまにした民族教育の結果、本当に自分たちが被害者だと信じ込んでいる者がいても不思議ではないが、在日一世や二世が真実を知らぬ筈はない。反日活動家の新淑玉氏などは在日二世であるから、真実を知った上で嘘の言説を振りまいているのである。朝鮮北部ご出身の田原総一朗氏なども、自分たちの親や自分自身が日本人に酷い仕打ちをして、在日ゆえに有利に世渡りをしてきた体験者として真実を百も承知の上で、嘘の上塗りをしている不届き者である。田原総一朗氏は、在日たちに主導権を奪われたマスメディアを最大限に活用して、文化人ヅラで日本国民を欺く工作員のような者である。

在日たちは、日本に住まわせて貰う以上、天皇陛下を冒涜する事など許される筈もなく、国旗、国歌、そして旭日旗にも、真っ当な日本人同様に敬意を払うべき事は言うまでもない。朝鮮半島北部の血を引く衆議院議員の辻元清美氏は、「天皇と同じ空気を吸うのも虫酸が走る」と公言している。同じく衆議院議員の福島瑞穂氏は、帰化人だと指摘されて「侮辱だ」「法的措置を講じる」と息巻いたが、事実である証拠がネット上に拡散され、本名まで暴露されるとだんまりを決め込んだ。在日活動家の新淑玉氏は嘗てテレビ朝日で田原総一朗氏が司会を勤める「朝まで生テレビ」に出演して、スタジオに居並ぶ日本人学生に向かって「在日は貴方たちが強姦してできた子」と、とんでもない嘘を言って退けた。帰化人の田原氏は、それこそニタニタ笑って見ていただけである。私は生でその放送を観ていた。「ヘイトスピーチ対策法」は、こういう嘘を突き通す在日たちへの正当な反論を日本国民から奪ってしまったのである。

先頃、ハワイのホノルル空港が「ダニエル・イノウエ空港」と改名されたが、日本人が移民先の国家に忠誠を尽くした好例(ダニエル・イノウエ氏は日系移民の二世)である。併し、日本に大部分が不当に移民してきて、全員が不当に居座っている在日たちは、決して移民先である日本という国家に忠誠を尽くさず、反日工作ばかりに励んでいる。彼等・彼女等を真っ当な日本国民と「区別」して「別に扱う」(=差別)する感情は、本当に人間として恥ずべき感情だろうか? 在日擁護法ともいうべき悪法で禁止されて然るべき事だろうか? 私は「在日差別」は、在日たちが受けるべき当然の報いですらないと思っている。在日一世と二世は正統な罪状で裁かれ、相応の償いをするべきである。

法的な裁きを全うすれば「罪」は贖(あがな)われたとされ、それ以上の責めを負う必要は無くなるのが法治国家である。併し、犯罪者は刑期を終えて出所してもなかなか社会復帰するのは難しいと聞く。これを日本では「社会的制裁」と言う。日本人に鬼畜の蛮行を働いた半島の朝鮮人や、同じく敗戦に打ち拉がれていた日本国民に筆舌に尽くし難い蛮行を振るい、多くの財産や人命を奪った挙句に不当に日本に居座った在日たちは、世間から白眼視される刑期を終えた前科者のように、正当な裁きを受けた事もなく、加害者でありながら被害者を演じ、過去をひた隠しにしている卑怯者の犯罪者たちである。彼等に対する日本国民の差別感情は、罪の償いも済ませていない犯罪者への社会的制裁として正当化できる。

政権政党である自民党は、彼等を擁護する法律をつくる前に、歴史を直視し、史実を明らかにした上で、韓国や北朝鮮政府に対して正当な抗議をし、少なくとも戦争終結後にも関わらず、無念の内に朝鮮人に命を奪われた数知れない日本国民の無念を晴らす努力をするべきだ。してもいない「強制連行」や「性奴隷」などと嘘で貶められておきながら「謝罪して償い金まで支払う」など以ての外である。安倍政権には、現代の日本国民に対する言論弾圧ともいうべき、所謂「ヘイトスピーチ対策法」を即刻改正するよう求めたい。

人類史上初の「人種差別撤廃提案」を白人に向かって提案し、ナチスの「ユダヤ人を差別しろ」という要求を撥ね付けてユダヤ人を護り通した実績のある日本人が、理由もなく朝鮮半島の原住民を差別したりはしない。それは、大韓帝国の度重なる懇願に応じて35年と半月の間、朝鮮を併合し、朝鮮の近代化に必死で尽くした先人の行ないを見ても明らかな事である。敢えて言うが、大恩ある日本に感謝もせず、多くの日本人の命を奪い、人質を取って国交開始を迫った韓国に自由意志で帰還する事を拒み、敗戦後の日本人に対して日本人に成り済まして数限りない犯罪を犯し、その事実にシラを切る嘘をついて、不当に日本に居座り、日本人を侮辱し貶める事に情熱を滾らせる「在日」たちは、真っ当な日本国民に「差別」されて当然なのである。

勿論、彼等の中にも日本人の価値基準に照らして善良な人は少なからずいる。彼等の先祖が悪事を犯したからと言って、現在の日本で不当にとはいえ善良に暮らし、日本人と仲良く暮らそうと努力する子孫である人々まで「差別」する行為には一考の余地はあるが、勝手な妄想や捏造に塗れた民族教育を盲信し、日本を憎み蔑み、反日活動に明け暮れる「在日」は、日本国民から「差別」されて当然である。

「悪法」も「法」である以上、法治国家に暮らす日本国民としては従わざるを得ないが、日本を悪し様に反日活動をする「在日」たちを「差別」する事は、日本を愛し、日本に誇りを持とうとする日本人にとっては当然の感情である。「社会的制裁としての差別」は、本当の被害者である日本人が行使すべき権利ですらある。「ヘイトスピーチ対策法」を、朝鮮民族が犯してきた史実を隠蔽する道具に使う事は許されるべき事ではない。この投稿が、日本人が「差別」という言葉の前に「思考停止」し、「付和雷同」するのではなく、人間社会からは決してなくなりはしない「差別」という感情について、改めて深く考える契機となれば幸いである。