今の日本ほど「非現実的」と思われる思い切った処方が必要な病んだ国は少ない。米国も、中共も、韓国も、北朝鮮も、病んではいるが、それらの国は国民自らか、或いは国民から支持された指導者の下で勝手に病んでいる。併し、日本は望まぬ戦争に引きずり込まれ、占領され、洗脳され、日本悪しかれとひたすら捻じ曲がった精神を持つ朝鮮人と、その陰に隠れて日本から搾取し続けようと企てる米国を始めとした世界支配層の手により病に苦しめられている。日本国民とその国民に選ばれた国会議員たちには、現実の世過ぎ身過ぎから離れて大局を見渡せば、自ずと見えてくるこの真実と、今ある間違えた現実から日本を解放するという自らに課せられた使命が見えていない。

保守を自認する国民たちも押し並べて真実と自らの使命を見失なっている。「日本には二度目の公職追放令が必要だ」と主張すれば、気持ちはわかるが「非現実的だ」と乗り気にはならないし、国際法違反で押し付けられた「占領憲法」を無難なところから改憲しようとする行為は、単なる弥縫策(びほうさく)で、「本来的には『大日本帝国憲法』を時間をかけて日本が目指すべき平和国家の理想に相応しい新憲法に『改憲』すべきだ」と理論立てて説明しても、これまた「非現実的だ」と本気で考えようとしない。真実に忠実であろうとすれば、何事にも困難はつきものだが、虚偽が罷り通るこの世界で真実を実現しようとは考えもせず、試みも努力も、何もしないで「非現実的だ」と諦めてしまう事は、ただの敗北主義でしかないと、私は再三再四主張してきた。

今の日本を駄目な国にしたまま放置しているのは、反日左翼や在日朝鮮人や背乗り朝鮮人、そして戦後教育に汚染されたお花畑の住人ではなく、実は保守を自認する多くの国民である事に気付いている者は少ない。コテコテの反日左翼や在日朝鮮人や背乗り朝鮮人は、それはそれで大変危険な存在ではあるが、国民の内に未だ確かに存在する真の保守勢力が、真実を自覚し自らの使命を本気で果たそうと結集し、立ち上がれば、今の日本はまだまだ本来のあるべき日本に立ち戻る力を決して完全には失なってはいない。膨大な歳月を積み重ねて我が物とした「大和民族の本質」とは、そう簡単に無に帰するものではない。併し、似非保守は「大和民族の本質」を取り戻す為に必須の行為を「非現実的だ」と簡単に諦めてしまう。

大東和戦争 敗戦直後に、米内(よない)光政海軍大臣が「日本民族は優秀だから50年経てば必ず蘇るでしょう」と上奏したと言うが、昭和天皇は「朕はそうはおもわない。300年はかかるだろう」と即座に言い切られたという。この話は当Blogで再三取り上げた先帝陛下のお言葉である。軍部や政府の高官たち、そして私たちと私たちの祖父母たち一般国民には見えない遠い彼方の日本の姿を昭和天皇は見渡しておられたのだろう。今年は敗戦後72年目に当たる。先帝陛下の300年というお言葉に甘えてはいけないが、少なくとも我々国民は容易に実現可能な事のみに取り組んで些細な成果を上げる事だけに満足せずに、時には非現実的と思われるほどの困難な課題にも果敢に挑戦していかなければならない。

私はそれが「東京裁判史観からの脱却」であり、具体的には「二度目の公職追放令」や、占領憲法を否定した上での「大日本帝国憲法の改憲」であると信じている。ある著名な方が「大日本帝国憲法改憲の意義」を投書してきた大学生に対して、「着実に現行憲法改憲に向けて努力してきた人々の苦労を無にするものだ」と言下に否定し、叱りつけたのを聞いた事がある。私はその著名人を批判したが、相当数の方々が「あれは愛の鞭だ」などと反論のコメントを寄せてきた。保守を自認する者たちの仲間内での話であるが、同じ保守でもこれだけ理解度や感覚が違う。「抵抗の少ないところから一歩一歩正して行こう」と理解すれば聞こえは良いが、本質を見失なって簡単な部分にしか手をつけようとしない怯懦は、無駄な努力の空回りでしかない。

現行憲法改憲を党是としながら、歴代自民党政権が結党以来62年間も「改憲」に着手せず、敗戦利得者と、それと同様に「公職追放令」により美味い汁を吸い続けてきた在日朝鮮人を放任どころか日本国民より優遇してきた事実が示すように、簡単と思われる抵抗の少ない事だけをしてきたからこそ、今の日本の惨状があるのである。日本国民の感覚は、日本という国が置かれている惨状に今や完全に麻痺してしまっているとしか思えない。保守を自認する国民ひとり一人に問いたい。保守を名乗るなら保守に相応しい行動を何故とらないのか? 皆が賛成してくれるような無難な課題は誰にでも簡単にできる。無知無理解な左翼勢力や日本を憎悪する在日朝鮮人が大声で反対すればするほど、その行為が齎らす結果が日本を利するものと何故気が付かないのか? 長年間違った戦後教育を受けてきた為に真実を知らない大部分の日本国民の賛同が得られないからといって、「非現実的」という言葉で逃げてばかりいては本当に必要な事は成し遂げられない。

日本は望まぬ戦争に敗れ、人道的見地から見ても意図的に必要以上に非戦闘員である一般国民が大量に殺戮された。道義的に考えても許されぬ占領統治(=洗脳統治)も受けて日本人としての精神の背骨を抜き取られてしまった。主権国家に返り咲いた後も、戦勝国 米国の思いのままに国のシステムをその場その場で都合の良いように変えられても、時の内閣は嫌と言えずに従ってきた。日本国民がエコノミックアニマルなどと蔑まれながら汗水流して稼いだ国富を取り上げられても、米国という国家に日本政府は常に唯々諾々と従ってきた。1993年の細川護煕首相による日本新党 他の連立政権や、2009年に樹立した鳩山・菅・野田の三氏が率いた民主党政権という馬鹿馬鹿しい政権は例外としても、敗戦後の1955年から殆んどずっと政権政党の座に就いていた自民党政権は、十年一日の如く「現実的」な「無理に困難に挑戦しない政策」しかとってこなかった。今の日本の惨状は身勝手な米国と歴代自民党政権が無難な「現実的」な政策しかとってこなかった結果ではないのか?

GHQ/SCAPは大東亜戦争の3年8箇月に亘る戦闘期間の約二倍近い6年8箇月に及ぶ占領政策とその後の介入により、日本はガタガタにされてしまった。共産主義独裁国家に占領されるよりマシであった事には異論はないが、GHQ/SCAP(実質的には米国一国)の占領だったからといって感謝するのはお門違いというものだ。確かに過不足ない食糧援助や、曲がりなりにも自由主義陣営で独立できた事は幸運であった。併し、そもそも日本を大東亜戦争に引き摺り込んだのは米国だったではないか? 日本はギリギリまで米国との戦争だけは避けようと奔走した。併し、米国が日本を仮想敵国として第一次オレンジ計画を立案したのは大東亜戦争開戦の実に35年前の事であり、日露戦争終戦直後から米国は日本を第一の仮想敵国として滅ぼそうと企てていた。真珠湾攻撃の4箇月前にはF・ルーズベルト米大統領とW・チャーチル英首相はニューファンドランド島沖で、日本が敗戦した後は完全に武装解除してしまおうと約束してほくそ笑んでいた。

日本という国が立ち行かなくなるように仕向け、望まぬ戦争へと追い込み、非戦闘員である無辜の日本の民間人を90万人以上も殺戮した米国は、原子爆弾投下で日本人の生身の体で生体実験をした国である。占領中に食料を恵んでくれたからといって、それを過大に評価して感謝し続ける事は間違いである。史上初の敗戦のショックと、明日をも知れぬ生活と、飢えに苦しむ当時の日本国民が、食料を恵んでくれた米軍に心から感謝したのは偽りのない人間的な感情の発露だが、史実を冷徹に調べれば、そもそも日本人を飢えさせたのは米国ではなかったではないか? 難癖をつけてきて完膚なきまでに弱い者虐めをして勝ち誇り、その後、食べ物を与えて洗脳工作をした米国に感謝する事が正統な事と言えるだろうか? 私はそうは思わない。相手が共産主義独裁国家でなかっただけマシであった。また、分割統治されて分断国家とならなかっただけマシであった。ただそれだけである。

念の為に言っておくが、今の日本にとって反米主義は国益に反する。飽くまでも知っておくべき史実を説明しているだけだ。歴代自民党政権は、そういう米国に付き従い、八方美人的な無難な政策しかとってこなかった。日本人から「民族の誇り」を奪い、二度と白人に逆らえない国にする為に、GHQ/SCAPは、日本が敗戦の焼け野原から心身ともに復興を遂げる為に必要な各界の指導者を悉く追放し、そこに本来の日本が冷や飯を喰わせていた反日左翼と、併合により日本人同然の知識を得ていた在日朝鮮人をあてがった。彼等は米国の悪意を如何なく実行していった。先ず、国際法違反の「占領憲法」を金科玉条の如く敬わせ、悪意ある外国に日本の行く末を託すように日本国民から日本人の矜持を奪い去った。そして、朝鮮人たちに日教組を組織させて、日本の青少年に自分たちの親が悪い事をしたとの偽りの贖罪意識を植え付ける事に成功した。これらの「日本無力化計画」を目の当たりにしながら、日本の政治家たちは手を拱(こまね)いてきたのである。それが55年体制といわれるものだった。

その怯懦な国家運営の所為で日本国民は未だに「東京裁判史観からの脱却」さえできていない。分かり易く言い換えると、GHQ/SCAPが天皇陛下の御命と引き換えだと脅迫して日本に押し付けた現行の「日本国憲法」と、GHQ/SCAPが強行した「公職追放令」、そして彼等が日本に恣意的に残していった組織された在日朝鮮人たちが、日本という国家の屋台骨をガタガタに壊してしまったのである。これまでの説明で、日本を破壊した悪の元凶が明確に、具体的に理解できたなら、日本の立て直しの為に何をすれば良いかは自ずと解るだろう。悪の元凶をなくしてしまえば良いのである。則ち、「占領憲法」を破棄し、公職につくべきではない「反日左翼や朝鮮人を公職から追放」し、日本に悪意しか持っていない「在日朝鮮人たちを、この日本から駆逐」すれば良いのである。これを実行しない限り日本は絶対に蘇る事はできない。この必須要因への挑戦を「非現実的だ」などと言って避けているうちは日本は決して息を吹き返しはしない。

日本人はもともと馬鹿ではないのだから、これをできるだけ事を荒立てずに巧妙に実現するだけの潜在力は持っている。結党以来62年間も一度として自浄能力を発揮できなかった自民党政権には、この大仕事は手に余るだろう。自称保守層に人気の高い安倍政権と雖(いえど)も無理であろう。今までの自民党の中には保守もいれば革新もいる。右も左も選り取り見取りだ。選良と呼ぶに相応しい人材もいれば、政治家以前に人間として失格と言わざるを得ない者もいる。母国に忠誠心を残したまま形骸的に帰化した朝鮮人も何人もいる。もしかしたら背乗り朝鮮人もいるかも知れない。おそらくいるだろう。自民党はさながら日本国民全体の縮図のようなものなのである。国民以上に賢い政権は現れない。政権政党は国民の鏡のようなものである。だから自民党政権がこれほど長らく続いてきたのである。

自民党を変えるには、或いは、自民党以上の政党に現れて欲しければ、日本国民が今のままでは駄目だ。もっと国民ひとり一人が賢くならなければならない。そして、朝鮮人たちに乗っ取られてしまっている余りにも不自然で歪(いびつ)なマスメディアの在り方や、明らかに間違った戦後教育にノーと言わなければならない。一例を挙げれば日本の小中学校の歴史教科書には、「日本は武力で朝鮮を植民地支配しました」との誤った記述の教科書が文科省の検定を通っている。韓国の主張を丸々受け容れ、史実と全く異なる歴史を教えているのだ。こういう嘘を日本人に教え、偽りの贖罪意識を植え付けてきたのがGHQ/SCAPの意を受けて組織された在日朝鮮人たちが興した「日教組」の主張である。おかしいと思いながらも真実を主張すると、「非常識だ」とか「軍国主義を復活させる気か?」などと非難され、悪者にされてしまうのが今までの日本の風潮なのである。こういう嘘をひとつ一つ覆していかなければならない。国民の内にそういう正しい畝(うね)りが現れれば、先ず、政治家が変化するだろう。変化の兆しを捉え、それを消滅させずに大きな大きな畝りに押し上げ拡大させていければ、腐り始めた日本も蘇る機会を得る。

我々に必要な事は、真実をありのままに言葉にする事を「悪い事だ」などと否定する風潮を改める努力である。最初は「非現実的」に見えても、日本人ひとり一人が当たり前の事を当たり前に主張できるようになれば社会は変わる。日本を日本人の手に取り戻す行為に対しては「非現実的だ」などという否定的な言葉は禁句だ。我々日本人にとって、今の「日本人が日本に誇りを持とうとする行為」を非難する風潮はどう考えてもおかしい。おかしいと思ったらそれを言葉に出す事だ。自民党が主導して成立させた、所謂「ヘイトスピーチ対策法」は、在日が日本を悪し様にヘイトする行為は何ら問題視せずに、日本人が在日の居直り様をおかしいと指摘するなどの日本人の言論のみを封じる片手落ちな法律である。嘗ての桜井誠氏たちの「在特会」が繰り広げた、余りにもあからさまな在日非難は、戦後教育を受けて偽りの贖罪意識を刷り込まれた普通の日本人にとっては刺激的過ぎた。そもそもヘイトスピーチなどするべきではない。日本人に備わっているある種の美学にも反する。史実を知らない日本人から見たら桜井氏の行為は非日本的で悪い行為に見えて当たり前だった。

併し、「そんなに日本が大嫌いなら、朝鮮人よ、日本から出て行ってくれ」と主張する事は至極真っ当な言い分で、悪い事でも何でもない。寧ろ、不当に居座る悪質な外国人である在日朝鮮人に、日本政府や日本の先人を悪し様に言わせ放題の現在の風潮の方がおかしい。今の日本人の大部分は真実を教えられていないから、正当な主張をする行為が悪い事と理解されてしまう。桜井誠氏は正当な主張を叫ぶ前に日本国民にもっと丁寧に真実を啓蒙するべきであったのかも知れない。「日本の文科省が教育している歴史が史実と異なる事、日本政府が何かにつけて特亜の国々に謝罪してしまう事が間違いである」と先ず国民に丁寧に訴え、国民にふと立ち止まって耳を傾けさせる事から始めるべきであったのだろう。そういう下地づくりを一切省いて、いきなり「在日は出て行け」と言っても、間違った贖罪意識を植え付けられた普通の日本人には聞き入れて貰えないのは当たり前である。私は桜井誠氏の主張には全面的に賛成である。手法が先鋭的過ぎた余り、多くの国民に支持されなかった事が残念でならない。

何をやるにも物事には相応しい手順というものがある。「占領憲法」の違法性と、「公職追放令」の不当さ、理不尽さ、を丁寧に説明し続け、今、日本政府に不当に優遇されて不法に居座っている在日朝鮮人たちの本性を根気強く暴く努力を続ける事が重要である。併し、ヘイトスピーチと見做される行動はお勧めできない。そういう丁寧な努力を重ねつつ、「東京裁判史観からの脱却」の機運を高めてから、「大日本帝国憲法の改正」こそが正道であると主張し、GHQ/SCAPが強行した理不尽な「公職追放令」の恩恵を受けた敗戦利得者が、現在に至るも劣化再生産されている現実を問えば耳を傾けてくれる国民もきっと現れる。その上で、日本の教育界やマスメディアが反日左翼や在日朝鮮人に支配されている現実を白日の下に晒せば良い。それでも目醒めなければ、目醒めない日本国民は滅びて当然である。これを実現しようとする努力を「非現実的だ」などと批判的に論じる者は保守でも何でもない。ただの怯懦な絶滅を決定づけられた民族の一員に過ぎない。日本をより良く正していく行為に対して「非現実的」という言葉は絶対禁句である。