日本人の気質を考える時、山本七平氏が1977年に文藝春秋から出版された「『空気』の研究」は欠かせない。ここで言う「空気」とは何か? それは、何かを決定する時も、後から振り返った時も、決して論理的とは言えないような決定をさせてしまう、「日本人を影で支配している力」の事である。私たち日本人は、常に「論理的判断の基準と、空気的判断の基準という」、一種のダブルスタンダードの下に生きている。ダブルスタンダードなら、支那人も欧米人も持っているが、彼等は「空気」に支配されたりはしない。彼等が持つ二重基準は「論理的判断基準と、欲望という感情的判断基準」である。そして、彼等は相反する判断基準の一方に支配されるどころか、寧ろ実に巧妙に使い分けて見せる。ある時は普遍的正義を語り、ある時は欲望の赴くまま行動する。我々日本人は彼等のダブルスタンダードには、歴史的に散々翻弄されてきた。

日本人と、支那人や欧米人とは全く別次元とも言える判断基準を持ち、それに支配されているのが朝鮮人である。ダブルスタンダードと言った場合、二つの判断基準は一般的に相反するものだが、朝鮮人には「論理的判断基準」と言うものは無く、彼等がいうところの「恨(はん)に穢れた判断基準と、妄想に基づく判断基準」しか無い。そして日本人が論理的判断基準とは相反する「空気に支配される」ように、朝鮮人は「恨と妄想」という、およそ論理とは掛け離れた、どちらも「感情的な判断基準」に支配されている。感情的判断基準とは相反する「論理的判断基準」というものを全く持っていない朝鮮人には、ダブルスタンダードは厳密には無いと言える。そこが、朝鮮民族が朝鮮民族以外の民族とは全く異なる特徴と言える。彼等は、「恨が生み出す薄汚れた感情を、原始的感情である妄想により肥大化させて」、その感情的判断基準にのみ支配されているのである。嘘をついている時も、本性を表している時も、朝鮮人には情念こそが全てなのである。これにも日本人は歴史的にずっと悩まされてきた。

「朝鮮民族には論理的判断基準というものが全く無い」と言い切ってしまうと、良識ある日本人の殆んどは、「そんな考えは間違っている」と、たいして深く考えもせずに反発するだろう。それこそは「一方的な人権擁護こそ善である」という「歴史的にはつい最近になって生まれた価値基準」を本音とは裏腹に、表向きは熱心に喧伝する現代国際社会の「趨勢」、現代日本社会の「風潮」という、「空気」に支配されて、真実を見誤っているからである。私が嘗てFacebookで主張してきた数々の朝鮮民族に関わる史実や、このBlogで主張している事柄の大部分に賛同していただける方々も、朝鮮民族だけを特別視する、私の主張には「賛成できない」という良識、或いは常識という、偽善という言葉にさえ言い換えてもいい「空気」に支配されている可能性が高い。立派な学歴や経歴を持ち、知的水準も平均以上の方であれば尚の事、「朝鮮民族は我々とは起源を異にする『黒い山葡萄原人』の末裔である」という、私の主張には眉を顰めるだろう。

この「朝鮮民族亜人種論」は、恐らくこの先もずっとアカデミズムには受け容れられないだろう。学術的にも充分に信頼に足る研究成果が発表されても、アカデミズムや権威主義的な人々、そして常識的な人々の考え方は、なかなか変える事はできないものである。私が若い頃、スイスの研究者、エーリッヒ・フォン・デニケンという人物が書いた古代文明に関する、当時思えばかなり胡散臭い書籍には、「数万年も昔に人類は『乾電池』をつくっていた」などと、炭素年代測定の結果と共に、幾葉もの写真が添えられていたが、そういう異端の研究成果は、アカデミズムの中心勢力が積み上げてきた研究成果と辻褄が合わないという、ただそれだけの理由だけで、完全に無視されてきた。「朝鮮民族は我々とは起源を異にする『黒い山葡萄原人』の末裔である」という、確たる研究成果も、結局はデニケン氏の研究成果同様に無視されてしまうのだろう。現代国際社会は、この研究成果を異端というよりは、悪しき「民族差別」として退けるだろう。

2017年2月2日、韓国 中央日報によると、蔚山(ウルサン)科学技術院(UNIST)ゲノム研究所は国際学術誌「Science Advances」で、韓民族(=朝鮮民族)は、3~4万年前に東南亜細亜から支那東部の海岸を経て極東地方に流れ込み、北方人となった南方系の狩猟採集民と、新石器時代が始まった1万年前に同じ経路で入ってきた南方系の農耕民族の血が混ざって形成されたと発表した。これまで人類学、考古学界の一部では、言語・風習・容姿などの共通点が多い事から、朝鮮民族がアルタイ山脈に始まり、モンゴルと満州の原野を越えて朝鮮半島に入ってきた北方民族であると推定してきた。併し、科学界の判断は違っており、2009年、UNISTは国際学術誌「Science」に「朝鮮民族が東南亜細亜から北東へ移動した南方系の巨大な流れに属している」と発表、今回の発表はこれを更に具体化した事になる。併し、この新説では、元々存在した朝鮮民族が、北方の原始人に入れ換わった事までは説明できない。また、朝鮮半島には、人類が生活していた証拠となる化石が一切発見できない、空白の年代が長く続いた事も全く不明なままである。韓国人が言うところの「古代朝鮮」の存在は、現在のところ、よく言って只の仮説、はっきり言えば只の妄想なのである。

古代朝鮮の妄想はともかく、比較的新しい朝鮮人の手掛かりは、ロシア・ウラジオストックの上方にある沿海地方の「悪魔の門(Devil’s Gate)」という名の洞窟で発見された7700年前の20代と40代の女性の頭蓋骨にあった。ここは朝鮮の歴史上、嘗ての高句麗・東夫余(ふよ)・沃沮(よくそ)の地と言われている。ゲノム研究所がスーパーコンピュータを利用してこの頭蓋骨のゲノムを解読・分析したところ、「悪魔の門の洞窟人」は3~4万年前に現地に定着した南方系人で、朝鮮人のように茶色い目とシャベル型切歯(shovel-shaped incisor)の遺伝子を持っていた事が明らかになった。また彼等は、牛乳を消化できない遺伝変異や、高血圧に弱い遺伝子、体臭が少ない遺伝子、耳たぶの薄い遺伝子など、現代の東亜細亜人の典型的な遺伝特性も持っていたという。悪魔の門の洞窟人は近くに住む「ウルチ(Ulchi)」族の先祖とされており、近くの原住民を除く現代人の中では朝鮮人がこれと最も近い事が判明した。

UNISTゲノム研究所のパク・ジョンファ所長は「ミトコンドリアDNAの種類が同じである事実は、母系が同じであるという事を意味する。長い時間差を考慮しても2つの人類の遺伝子は非常に近く、悪魔の洞窟人は韓国人(=朝鮮人)の祖先とほぼ同じだと言える」と明言した。「悪魔の門」と呼ばれた、当時の人々に恐れられていた暗い洞窟に潜んで生き延びていた者たちこそが、所謂「黒い山葡萄原人」である事は言うまでもない。このような、「学術的発見」と、それに基づく「研究成果」は、2008年から国際研究チームにより、幾度も発見・研究され、学術界に公式に発表されてきたが、史実として歴史教育に取り入れられる事は未だにタブー視されている。唯一、北朝鮮だけが子供たちに「我々は他の人類とは異なる『悪魔の門の洞窟人』の末裔で、それ故、他の人類より優れている」と学者が史実を広め、国家が教育しているのである。

何故、そのような名前を付けたのかは不明だが、いつしか「黒い山葡萄原人」と言われだしたのである。人類の進化の過程で、ホモ・サピエンスが誕生するまで様々なヒト科が出現した。ネアンデルタール人、ジャワ原人、北京原人、アウトラロピテクス・アフリカヌス、等々。新しいヒト科が出現すると、以前のヒト科は滅びるという繰り返しが何度となく続いた。最終的に残った現代人を人類とするならば、現代の人類に一歩近いところまできて絶滅したと思われていたヒト科がいた。それが「黒い山葡萄原人」と呼ばれる亜人種である。「黒い山葡萄原人」は、ホモサピエンスとは明確に起源を異にする。朝鮮民族は現代人と約950万個の遺伝子が異なると証明されている。遺伝子解析により明確になったのは、単に遺伝子が人類と異なると言うだけでなく、近親相姦の繰り返しでしか生じない遺伝子異常が400万個も発見された事である。暗い洞窟に隠れ棲み、狭い洞窟の中だけが全てであった原人たちは、糞尿に塗れながら、近親相姦を繰り返して生き延びたのである。

UNISTゲノム研究所のパク・ジョンファ所長が言う「悪魔の門の洞窟人」こそが、「黒い山葡萄原人」の事であり、朝鮮民族以外の人類は朝鮮民族とは起源を異にするのである。朝鮮民族が原人の末裔、つまり「亜人種」で、本来なら今の人類が出現した事で滅亡してしまう筈の原人の生き残りなのである。パク・ジョンファ所長が言う「ミトコンドリアDNAの種類が同じであるという事は、母系が同じである」と言う事で、「黒い山葡萄原人」たちが、最終的には朝鮮半島を支配してしまう過程で、そこに住んでいた男たちを皆殺しにして、女たちだけを凌辱目的で生かしてきた証である。韓国人が日本を指して、「組織的性奴隷制度を持った戦犯国家」と嘘に基づく非難をやめようとしないが、本来、朝鮮半島に暮らしていた原住民を殺戮し、性奴隷としたのは、今の朝鮮民族の祖先なのである。朝鮮半島南部は、嘗て倭人(日本人)が支配していた事は、古事記や日本書記に記されている。倭人の国と友好関係を結んでいた百済は、唐を後ろ盾とした高句麗・新羅軍に滅亡された。文字通り、一人残らず殺された為に、日系百済の血統は朝鮮半島には受け継がれなかった。倭人は少数の百済人と共に日本に逃げ帰ってきた。新羅は後に高句麗に滅ぼされるが、新羅人も高句麗人も共に「黒い山葡萄原人」に入れ換わった。

「黒い山葡萄原人」は、最初にエヴェンキ人の男を殺し、エヴェンキの女を襲ってエヴェンキ人に入れ換わり、その「偽エヴェンキ人」が、新羅人と高句麗人にも同様に成り済ましたのである。だから古代の支那やモンゴルと同様に、新羅も高句麗もそれなりの文化文明を持っていた筈なのに、「黒い山葡萄原人」に取って代わられた途端に、一切の進化・発展ができなくなってしまったのである。その「黒い山葡萄原人」に取って代わられた汚染された血脈を受け継ぐ朝鮮民族こそが、李氏朝鮮である。李氏朝鮮は大日本帝國により清から独立させて貰うまでの518年間と言うもの、一切発展できなかった。よく言われるように衣服を染色する技術も、木材を円形にする技術も、文字すらも無かった。王族と両班と言われた貴族階級だけが、支那の漢文を用いた。王族と両班を合わせても、朝鮮半島の住民の僅か4〜6%に過ぎず、その他の所謂「一般国民」は、100%の無学文盲のまま518年間、支配階級から奴隷扱いされ、洞窟生活こそしていなかったが、文字通りの原始生活を何の疑問も持たずに送っていた。明日をも知れぬその日暮らし。原始人の彼等にはそれが当たり前であった。

朝鮮民族のルーツは「黒い山葡萄原人」に取って代わられたエヴェンキ人なのである。百済や新羅の時代に半島南部に居住していた民族と、その滅亡後に北方から侵略してきた民族は全く別の民族なのである。その北方からの侵略民は、元の時代にモンゴル人とも混血が進み、現在の朝鮮民族のDNAが固まったのは精々14世紀以降である。韓国半万年の歴史などと、韓国人は何の根拠もなく胸を張るが、今の朝鮮民族はどう贔屓目に見ても、精々700年程度しか歴史を遡れないのである。韓国は日本に対し、日本人と韓国人はもとは同族で、 天皇も朝鮮からきたという無理な理屈を押し付けてくるが、日本人は真実に目醒め、朝鮮民族の妄想に付き合ってはいけない。本来の朝鮮民族など、とっくにこの地球上から滅び去ってしまい、今 朝鮮半島の南北と中共の一部に暮らす朝鮮族は、原始人である「黒い山葡萄原人の末裔」なのである。昔の支那人は、エヴェンキ人を指して「穢族(わいぞく)」と呼んだ。「穢」とは何と汚い呼び名であろう。他民族に付ける呼び名としては最低のものであろう。

併し、この呼び名が付けられたのには、それ相応の理由がある。彼等の日常生活は本当に汚く穢れていた。謂わば糞尿塗れ。糞尿を喰らい、糞尿を汚いとも感じない生活ぶりから、当時の支那人は「黒い山葡萄原人の末裔」を「穢族」と呼んだのである。事実、韓国には有名な「トンスル」や「ホンタク」がある。言うまでも無く「トンスル」とは、人糞を原料とした「酒」で、「ホンタク」とは、ガンギエイに人糞を擦り付けて漬け込んだエイの漬物である。世界広しと雖も「人糞を喰らう」民族は朝鮮民族以外には聞いた事がない。そして物理的な汚れとは別物の精神的穢れが朝鮮民族には歴然と存在する。犬猫を虐め抜いた挙句に喰らうのである。韓国人によると、犬猫は、苦しませ、虐め抜くほど美味になると言う。こういう非人間的行為を未だにやめる事ができない彼等を、私は日本人と同じ人類などとは思いたくないし、実際、彼等は普通の人類ではなく「亜人種」なのである。内面も外見も、日本人や支那人、その他の亜細亜人とは全然別物である。有名なところでは、美容整形前のキムヨナさんの写真をネットで検索してみると良い。牛乳が苦手かどうかまでは知らないが、典型的なシャベル型切歯(shovel-shaped incisor)の持ち主である。

「黒い山葡萄原人」たちは、今の人類が現れると、ロシアのアムール川下流一帯に存在する暗く淀んだ洞窟に隠れ棲むようになった。知らずに近づく人間を捕らえて洞窟に引き摺り込んで、人肉を喰らった。やがて、狭い洞窟内には糞尿が溢れたが、原人どもは気にする風もなく、糞尿に塗れながら近親相姦を繰り返し、時々手に入る人肉を貪った。現実と妄想の区別もつかぬ、そういう生活を続けていた彼等の遠い記憶が、今の韓国人には確かに伝わっている。「トンスル」や「ホンタク」という糞尿食の習慣、犬猫を苦しめてから喰らう悪癖、「試し腹」や「近親相姦」に見られる性風習の乱れ、「病身舞」に見られる障害者を人と見做さず笑い物にする悪癖、入浴習慣の無さ、埋葬・規律・言葉の軽視 …等々、これらの悪習は、彼等が懇願してきた「日韓併合」時に、日本人が悉く禁止したが、大東亜戦争の敗戦と同時に日本という道徳的重石が外れると、朝鮮民族の野獣性は剥き出しになった。在日一世どもによる、所謂「朝鮮進駐軍」や、朝鮮半島に於ける残留日本人や満州などからの引揚者に対する蛮行の数々に彼等の原始的野獣性が如実に現れた。

今の日本に不当に居座る在日どもは、「日本軍に強制連行されてきた」と嘘をついて、高給取りだった追軍売春婦を「性奴隷」と呼び、当時は日本人だった朝鮮徴用工すらも強制連行と言う。当時は生粋の日本人も徴用されたが、朝鮮人は大東亜戦争末期になってからの徴用であった。要するに、大日本帝國政府は生粋の日本人より朝鮮人に配慮していたのである。その国に潜り込むと何としても居座り、嘘をついてでも帰ろうとしないのは、「黒い山葡萄原人」がエヴェンキ、新羅、高句麗と民族乗っ取りを繰り返してきた歴史的習性をよく表している。何よりも、韓国本国は元より、在日どもと日本国籍を取得してしまった朝鮮人どもの性犯罪と凶悪犯罪の多さといったら、日本に居住する外国人の中でも飛び抜けて高い。年配者なら忘れる事のできない「金嬉老事件」、そして近年では「神戸連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇聖斗事件)」や、日本人と見れば見境無く殺傷に及ぶ獣どもが起こす数々の事件、最近では「相模原障害者施設大量殺傷事件」や「座間市9人殺害事件」が記憶に新しい。

「神戸連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇聖斗事件)」では、犯人の名は未成年の為に少年Aとされたが、仮に未成年で無くとも在日の犯人の名は通名である東慎一郎とだけ公表されただろう。「相模原障害者施設大量殺傷事件」でも、犯人ハンヨンイルは植松聖容疑者としかマスメディアは報じなかったし、「座間市9人殺害事件」も通名である白石隆容疑者としか報じない。東慎一郎と白石隆には見逃してはならない共通点がある。それは、性犯罪と人肉食というおぞましい共通点で、どちらも亜人種朝鮮民族に見られる悪しき民族性である。マスメディアを朝鮮民族に支配されてしまった日本では、このように朝鮮民族の同胞による犯罪を、あたかも日本人の犯罪としか報じないが、これからの日本人はマスメディアの隠蔽報道に騙されっ放しになってはいけない。朝鮮民族の狂った価値観によれば、日本人が被害者であってはならない。被害者は飽くまで朝鮮人であり、日本人は加害者であらねばならない。こういう狂った価値観に支配された在日が、この日本には公称で総国民数の凡そ1%弱居座っている。併し、その少数民族が、実は日本の支配的地位に就いているのである。

在日朝鮮人もしくは日本国籍朝鮮人は、既にその地位に就いている朝鮮人同胞の必死の工作活動により、優先的に日本の支配層に潜り込める構造が完成してしまっている。そこで、また今回も書かずにはいられないが、日本の「政界、財界、法曹界、教育界、マスメディア界、金融界、IT業界、通信業界、アミューズメント業界、芸能界、運輸業界、タクシー業界、風俗業界、ポルノ産業、広域暴力団、その他の殆んどの大企業」は朝鮮人の支配下にある。然も、この惨憺たる状況に公然と警鐘を鳴らす知識人がほぼ皆無であるという現実にも、呆れるが、呆れるなどと言って済まされる問題ではない。これを知った日本人は呆れたり、諦めたりするのではなく、「大和民族存亡の機」と確りと認識し、慄然と迫り来る危機を感じ取らなければならない。今の日本人は眠っているも同然である。生存本能を呼び醒まして、闘争心を掻き立てなければ、我々は生き残っても、子々孫々に素晴らしいこの日本を遺してあげられない。

外来の支配者は先住民を殲滅するか、或いは隷属させるのが常である。動物界でも植物界でも外来種は常に元々そこに生きる種に取って代わろうとする。サッカーの名監督であり、数々の名言を遺してくれているアーセン・ベンゲル監督は、ヨーロッパに移籍したがる日本人選手に対して、「狼たちが生存競争を繰り広げる国際社会に在って、日本人ほど清くかよわい者はいない」と忠告してくれた。だから挑戦をやめよと言うのではない。「安全が空気のように当たり前の日本の環境から、世界という修羅場に挑戦するなら、それ相応の覚悟と準備が必要だ」と忠告してくれているのである。そして私はベンゲル監督の忠告を思い出す度に、「安全が当たり前の日本の環境」など、既に過去のものであり、「安全な日本に凶悪な外来民族が棲みつき、あらゆる悪徳の果てに、日本人を奴隷の如き存在に貶めようとしている」という現実を思い知る。繰り返すが、「我々日本人はいい加減に目を醒まさなければ、大切なこの日本は獣どもに蹂躙され尽くしてしまう」のである。

昨年(2017年)ドイツに端を発した、「悪しき趨勢」である、「浅はかな民族差別反対と人権擁護の概念」に日本人は騙されてはいけない。善でも正義でも有り得ない、「国連人権理事会の勧告」になど、まともにかかずらわっていては、日本人は、やがては国を失なう羽目になりかねない。冒頭で、「日本人は『空気』に支配される」という話をしたが、日本人のこの弱点に着目したのは、何も山本七平氏だけではない。山本七平氏が「『空気』の研究」を出版された1977年を遡る事凡そ30年、既に白洲次郎氏が「日本人は自分の意見を持たない」と喝破された。戦争に負けた途端に、皆、戦勝国の言いなりになる日本人は、その場の状況に合わせて如何様にも態度を変える。その悲しい姿を言い得た巧妙な言葉である。正に、日本人はその場の「空気」に支配されるという、悲しき民族性を備えていると嘆いたのである。

現在も業績を伸ばし続けるSOFT BANKのテレビCMが描く、「犬のお父さん」シリーズは、その白洲次郎氏を揶揄して白戸家と一文字だけ変えて、白洲次郎氏の奥様の名前まで利用して樋口可南子演じる犬の奥様は白戸信子だそうである。兄には朝鮮人が最も差別する黒人を起用し、残りは娘役の上戸彩やSMAPと、全員を朝鮮人で固めている。日本人に絶大な人気のある全員が通名のSMAPの連中が歌い踊りながら出てくるところは、巨大な犬を模した建物のちょうど犬の肛門である。「犬のお父さん」シリーズの中でもこのCMは、在日朝鮮人が大いに溜飲を下げる傑作だそうな。全く朝鮮民族という奴は、この日本でやりたい放題である。朝鮮人が散々苦しめてから喰らうという犬は、韓国では軽蔑の対象であり、他人を罵る時に「この犬野郎っ!」というらしい。このCMシリーズの発案と最終決定権は当然、日本国籍朝鮮人の孫正義氏にある。この御仁は余程日本がお嫌いらしい。よくもまぁ、こんなCMを堂々とつくったものである。私に言わせれば「頭がおかしい」。このCMに込められた日本人蔑視を報じないマスメディアも狂っているが、知らぬとはいえ、このCMが日本人に大人気で、今度は劇場版の「犬のお父さん」が制作されるという。

在日の悪意もここまでくれば見上げたものである。それにしても、日本人の知恵遅れ的無邪気さとでも言おうか、この騙されっぷりは見事である。事程左様に日本人は在日朝鮮人の思いのままに操られているのである。テレビは地上波は元より、BSでは韓国ドラマが嫌と言うほど垂れ流されている。この状況を不審に思わない日本の大衆は、もはや救いようがないのではないかと諦めたくもなる。JRの駅名表示や高速のインターチェンジの標識、そして朝鮮人以外も多く訪れる観光地に氾濫するハングルを醜いと思うのは、本当に私だけなのだろうか? 在日朝鮮人には未だに日本に居住する正統性は無いと断言するが、声の馬鹿でかいマイノリティへの過敏なほどの配慮は、同じ日本人にとっては痛ましいと思えるほどの卑屈な日本人の態度である。Facebookなどでは、朝鮮人を朝鮮人と書いただけで、例え3年前の投稿文でも、コミュニティ規定とやらに抵触したと、直ぐに全文が削除され、在日の胸先三寸で、1週間とか30日間のアカウント停止処分を科してくる。全ては、ドイツの所謂「Facebook法」と、国連人権理事会を忖度した安倍政権が、所謂「ヘイトスピーチ対策法」などと言う「悪法」をつくったが為である。

日本に於いては「空気」なる無言の圧力は、立法府までも思いのままにコントロールするのである。異常な事を「異常」と言えない日本人は、本当に偽善的で臆病者の国民である。「国連人権理事会の勧告」には、日本では文字通り在日朝鮮人を指すマイノリティへのヘイトスピーチ禁止要求と共に、性的少数者、所謂「トランスジェンダー」への配慮も要求している。病としてのトランスジェンダーには、それなりに配慮は必要だろうが、テレビのバラエティ番組などでオカマを売りにしている芸人には、私は昔から嫌悪感を隠さなかった。それこそ美輪明宏が丸山明宏と名乗っていた頃から、気持ち悪い奴には「気持ち悪い」と堂々と言ってやった。「男らしい」とか「女らしい」と言う表現まで「言葉狩り」の対象になるに至っては、もはや「この国は狂っている」としか言いようが無い。黒いランドセルを男の子用に、赤いランドセルを女の子用に販売促進する行為さえも、モンスタークレーマーを気にして憚るデパートの販売促進部の気の遣いようも狂っている。

私が何よりも嫌う「東京裁判史観」と、そこから生まれた「戦後教育」は、日本の何もかもを狂わせてしまった。「東京裁判史観」は一時期、「自虐史観」とも言われた。「自虐史観」の対局には「皇国史観」があるが、「皇国史観」などという歴史観は、戦後の売国偽善左翼が考え出した歴史観であり、戦前には「皇国史観」などという歴史観は無かった。「東京裁判史観」に塗れた歴史学者が、戦前の在り方を批判的に攻撃する表現手段が無かったから、明治維新から大東亜戦争敗戦までの日本を悪し様に表現する道具として「皇国史観」なる歴史観を考え出したのである。白洲次郎は、非常に興味深い事を、事も無げに言っている。「日本人は、『空気』には支配されるが、その『空気』を簡単に切り替える事もできる」のだと言う。「欧米に見習え」、「産めよ増やせよ、お国が第一」という「空気」の下では、一丸となって大日本帝國を国際社会の一等国につくりあげ、敗戦により「お前たちが悪いのだ」と戦勝国に言われれば、必死になって先人を悪し様に言う材料を探し回り、無ければ捏造してでも戦前戦中の日本は悪かったと足並みを揃える。今の朝日新聞やNHKによる、異常なほど熱心な日本の粗探しが何よりの証拠である。白洲次郎は戦後日本の浅ましさを見事に見抜いていたのである。

「皇国史観」なる言葉は無かったが、「皇国」という言葉なら戦前もあった。天皇陛下を中心に戴いた国の在り方の事である。西暦2018年、平成30年の今年は、皇紀2678年である。人類史上これほど長く続いた王朝とも言える「皇室」は、日本を置いて他の何処にも存在しない。万世一系の皇統(男系男子の皇統)を、これほど長く続けた尊さを、日本を戦争で打ち負かした米英両国が一番よく知っている。米国大統領がタキシードにホワイトタイという最上級の出で立ちでお迎えするのは、日本の天皇陛下と英国のエリザベス女王のおふたりに対してだけである。その英国のエリザベス女王が下座に座るのは、日本の天皇陛下とお会いする時だけである。日本以外の国の元首には絶対に英国女王は上座を譲らない。米国大統領も英国女王の下座に座らざるを得ない。こう言う何気なく執り行なわれている皇室外交も、注意深く観察すれば、フランスもオランダも、米英両国の立ち居振る舞いを踏襲している事実に気付く筈である。残念な事に「戦後教育」では、これほど大切な「他国の国家元首が天皇陛下にどのように接しているか」すら教育しない。天皇嫌いのマスメディアも決して報じない。「東京裁判史観」に歪められ、「戦後教育」という偽りの贖罪意識に歪められた教育しか知らない現代の日本人より、戦勝国である米英両国を始めとした主要国の国家元首の方が余程 天皇陛下の尊さを理解しているというのだから皮肉な事である。勿論、特亜三国だけは例外であろう。

こんな事だから、日本にはまともな歴史学者は先ず見つけられない。いる事はいるのだろうが、そういう信念を貫き通す歴史学者は、所謂「戦後教育」が幅を利かす偽りの平和を謳歌する日本では絶対に陽の目を見ない。マスメディアに持ち上げられたり、何処ぞの大学の教授職を得たり、書籍の売り上げでメシが喰える歴史学者は、要は反日主義を是とするマスメディアの御用学者である。そういう「空気に過敏なほど目敏い」歴史学者にとっては、朝鮮民族が我々とは起源を異にする「亜人種」である「黒い山葡萄原人の末裔」であるなどという真実は実に都合が悪い。だから、例え真実と分かっていても「朝鮮民族亜人種論」を、日本のアカデミズムが受け容れる事は先ず無いのである。権力や、権威や、攻撃的なマイノリティに対する過度な遠慮や、ダブルスタンダードを恥とも思わない国連人権理事会の勧告などは、日本の歴史学会どころか、教育界も、政財界も、法曹界も、さながら絶対的な強制力を伴なう「空気」と見做し、それに逆らう者の出現を阻み続ける。況してや、朝鮮民族に半ば以上支配されてしまっている日本では尚の事である。この「空気」の中では、私のBlogを読んでいただいている方々の「常識」を変える事も、恐らく至難の技であろう。だから、私は自分の考え方を無理に他人様に押し付けたりはしない。心の何処かに引っ掛かってくれればそれでいい。

白洲次郎は、またこうも言っている。「日本の人はよく、ジイドはこう言った、ボオドレエルはこう言ったなんて言うけど、どうだっていいじゃないか、ジイドが何を言おうと。昔は盛んに、カントは、ゲエテは、と言ったもんだ。それじゃお前は何だって訊くと、何にも持ってないんだ。日本人のものの言い方は、もっと直接に、ダイレクトに言わなきゃいけないよ。そういう言い方を習わなきゃいけないよ」…と。白洲次郎とは、実に良い事を言うものだ。先日「自殺」された西部邁さんは、自説を論じる時、或いは反論された時、いつも議論を楽しんでいるかのように、悪戯っぽく笑みを浮かべながら、よく、プラトンはこう言っただとか、オルテガがどう言っただとか、やたらと偉人の言葉を引用されていた。また必要もないのに日本語で説明すれば済むものを、わざわざ英単語に置き換えて、英単語の語源に遡って日本語の議論をけむに巻いておられた。知の巨人を貶すのは烏滸がましいが、私は西部さんのそう言うところが何となく鼻について嫌いだった。勿論、どのような経緯があったにせよ、色々学ばせていただいた先生が、ああいう形で亡くなられた事は、悼むべきであるし、ご冥福を祈らずにはいられない。

併し、前回も書いたが、西部氏は「女系天皇」容認論者でもあった。私は日本人として、それだけは容認してはならないと思う。凡そ2700年も先人が護りに護ってきた男系男子の万世一系の皇統を、寿命僅か100年に満たない現代人の浅知恵で断絶させては、絶対にいけないと考える。西部氏は尊敬すべき知識人ではあったが、この一点に於いて間違った知識人であった。西部氏ご本人曰く、第一次安倍政権が世間から猛バッシングを受けて退陣した後、約一年間、「保守とは何か?」と言うテーマで月一回のペースで勉強会を開いて、安倍晋三氏を励ましたそうだ。そして、その西部氏が、第二次安倍政権以降の安倍首相の言動を批判して「真の保守では無い」と断言されていた。仄聞するに、安倍首相は「男系男子の皇統をお護りする」事にこだわっておられると言う。西部邁と言う今は亡き知の巨人に難癖をつけるのは、日本人として心が痛むが、西部氏より安倍首相の方が、天皇の在り方、皇室の在り方については、間違いなく保守の立場を大切にしていると思う。

安倍政権を含む歴代自民党政権という存在は、日本にとっては甚だ困った売国的政治集団であると、私は頭を抱える日々を送っている。併し、日本という国を大切に思う一人の日本人として、長い長い日本の歴史を宿命的に背負われた「天皇陛下あっての日本という国と日本人である」と確信している。その日本が、穢れた外来の寄生虫である「在日朝鮮人、日本国籍朝鮮人、背乗り朝鮮人」などに取って代わられようとしている逼迫した国難に遭っている正にその時代に、生を受けた日本国民が、2700年も続いた皇統を絶やして良い訳が無い。どんなに日本という国家が蝕まれようと、天皇陛下が在わす限り、日本は必ず復興する。敗戦からの「復興に費やす期間を米内光政は50年と見積もったが、それを聞いた昭和天皇は言下に300年はかかると言い切られたという。日々欠かす事なく、日本と日本国民の安寧に加えて、全世界の平和まで祈願されていた昭和天皇のお言葉である。安倍政権の韓国贔屓の売国政策には、いつもはらはらさせられるが、安倍晋三という政治家が男系天皇のお血筋を絶やすまいとされているなら、それを支持しないなどという選択肢は無い。

日本人は、「人権擁護第一主義」とも言える現状の「空気」に支配されてはならない。我々の祖父母や曾祖父母に鬼畜の蛮行を、朝鮮半島でも、この日本でも働いておきながら、その罪を償うどころか、史実を捏造し、先人を貶め、現代の日本をも呪うように貶め続ける朝鮮民族という「亜人種」などに負けてはならない。「被害者ビジネス」に味をしめさせたのは、我々日本人の落ち度でもある。その誤ちは、我々今を生きる世代で終わらせねばならない。「在日朝鮮人」は、弱くて保護を必要としたマイノリティなどでは決してない。我々生粋の日本人こそが真の被害者なのである。朝鮮民族が「黒い山葡萄原人の末裔」である「亜人種」だからと言って、総て死んでしまえなどとは思わないが、少なくとも大迷惑のかけ通しの、この日本からは積極的に追い返すべきである。国際社会や国連人権理事会、そして戦後の日本人を惑わす「悪しき常識」など、「間違った『空気』の支配から逃れよ!」という使命は、今を生きる我々が完遂して、次世代に伝えてはならない。その為にも、日本人ひとり一人の覚醒を切に願わずにはいられない。今年を、重要な勝ち戦の初年度と位置付けようではないか!