今の日本は間違いなく主権国家ではなく、米国の属領でしかない。戦後の日本国民は、私に言わせればごく一部の「英勇的な、はみ出し者」を例外として、殆んど総ての者が、この現実に気付きもせず、世過ぎ身過ぎに追われて日々を送って生涯を終える。アカデミズムの一員や評論家などという所謂「識者」たちの中には、日本が置かれている危機的状況に気付いている者もいるのだろうが、彼等は生活の為に、「特定の真実」についてだけは、語る事を恣意的に避けている。歴史学者や大学教授は勿論の事、日本では無責任な発言で名を売る評論家や、日本の在り方を変える権力を託された政治家までも皆、「在日朝鮮人に国の中枢を半ば支配されている現実の打破を訴える」どころか、この現実を批判的に発言する事さえも憚かる腑抜け者ばかりなのである。


戦後の日本では、とにかく朝鮮人を批判的に言うのは厳然たるタブーと化している。形振り構わぬ反日侮日に邁進する在日朝鮮人と、彼等の母国韓国に対して、日本人は何故これほど腫れ物に触るような特別扱いをするのだろうか? 在日一世は日本に強制連行などされてきた訳でもないのに、未だに自分たちは強制連行されてきたと嘘を突き続けている。20141114日のNHK「ニュースウォッチ9」の元キャスター兼編集責任者の大越健介氏(在日)は、嘗て堂々と番組中で、「在日コリアン1世は、韓国併合後に強制的に連れてこられた」と堂々と嘘をついた。明らかなる冤罪である「慰安婦強制連行」も河野洋平(当時)官房長官が認めてしまった為に、韓国人は日本を「性奴隷国家」と世界中に言い触らし、至る所に「売春婦像」を建てまくっている。


駐韓日本大使館前に「売春婦像」を建てられた段階で、そんな物を撤去するまで大使を召還し、「売春婦像」を撤去するまで、大使を帰任させなければ良いのに、日本は「遺憾の意を表明」しただけであった。毎週水曜日には日本大使館前で「性奴隷抗議集会」を開かれても、ただひたすら我慢し続ける日本政府の対応は、余りにも事勿れ主義の腑抜けた対応である。大使館の尊厳を護る「ウィーン条約違反」は明確であるのに、条約の存在を韓国政府に指摘すらしない。「実際の行為は民間がやっている事」だとの韓国政府の言い訳は通らない。韓国政府には駐韓大使館の尊厳を護る責任があるのに、その責任を全うせず「民間がやっている事」だとの、通らない筈の「逃げ口上」を日本政府は認めてしまっている。日本政府は「朝鮮民族に握られてもいない弱味を握られているかのよう」な対応を、戦後ずっと続けてきた。


実際、自民党議員を中心に、ODA利権やハニー・トラップに嵌った政治家は大勢いるようだが、長年政権政党の座に就いている自民党所属議員の総てが、在日朝鮮人や韓国に対して、一言の言葉も返せず、彼等の横暴をやめさせようともしないのは、一体どうしてなのであろうか? 平成2381日には、自民党の新藤義孝衆議院議員、稲田朋美衆議院議員、佐藤正久参議院議員が、韓国の鬱陵島等を視察しようとしたが、ソウルの金浦空港に於いて、韓国側より韓国出入国法に基づき入国を認められない旨を通知された。韓国への入国は単なる視察目的であり、且つ合法的な手続を踏んでいるにも関わらず、我が国の国会議員に対してこのような措置が取られた事に、我が国は外交ルートを通じて口頭抗議しただけである。入国拒否をされた自民党の国会議員三人には、韓国側からは入国拒否の法的根拠の充分な説明も未だに為されないままになっている。その後、韓国からは韓国の国会議員が堂々と何回も日本への入国を許されている。日本の国会議員の入国拒否などまるで無かったかのようである。


河野洋平(当時)官房長官の売国談話を取り消しもせず、小泉・村山両首相の自虐談話を踏襲すると国際社会に宣言した安倍首相は、冤罪を二重三重どころか四重五重に認めるに等しい「日韓慰安婦合意」を(口頭とは言え)取り交わし、先人に負わされた冤罪に対して、全く必要の無い「謝罪と賠償」をまたも繰り返してしまった。「不可逆的」なる聞き慣れない言葉を用いて、「謝るのはこれで最後だぞ」と韓国に約束させたという。韓国が国と国との約束を守れないと見越した上での「日韓慰安婦合意」なのだから、これを「安倍政権の外交勝利だ」などと言う、愚かな評論家が何人もいるのは信じ難い事である。日頃から立派な評論をする事で、私も尊敬している櫻井よしこ氏も、「日韓慰安婦合意」を安倍首相の外交勝利だと褒め讃えている。「不可逆的」な国家同士の約束を反故にして、この問題を蒸し返そうとする韓国は、実際に櫻井よしこ氏が指摘した通り、国際社会からの信用を落としてはいるが、韓国を貶めたところで、日本が何度も冤罪を認めた損失は計り知れない。「冤罪を晴らしたい」のか、「韓国を貶めたい」のか、日本は本来の目的さえも見失なった外交をしている事に気付いてもいない。


「度重なる日本政府の不必要な謝罪や、名目を変えた実質的な賠償金の支払い」に追加して交わされた「日韓慰安婦合意」により、日本の為に散華された英霊と、ご苦労の末に生還された旧日本兵の方々の名誉は穢され放題である。それにも増して、外国で暮らす日本人の子供たちが、日本政府の愚か過ぎる自虐外交のせいで、どれだけ故無き虐めに遭っているかを考えようともしない政治家と評論家の無責任な想像力欠如は白痴的と言っても過言ではない。韓国の道徳観の欠如としか思えない、国家的民族的被害者詐欺行為を助長しているのは、こういう日本という国家の誤った歴史観に歪められた行為なのだという事に、為政者たる者気付くべきであるし、地に落ちた先人の名誉を一刻も早く取り戻す行動を起こさねばならない。今のままでは、心ある民間の研究者が、「慰安婦の強制連行など無かった」、「慰安婦は高給取りの追軍売春婦であった」と研究成果を幾ら発表しても、肝心の日本政府が謝罪や実質的賠償を繰り返すのだから、何をか言わんやである。河野、小泉、村山の売国奴たちと並んで、安倍晋三という政治家の歴史観・国家観を疑わざるを得ない。


1999年に日本でも公開されたハリウッド映画に「ダブル・ジョパディ(Double Jeopardy)」と言うのがあった。これは「一事不再理」という「一度有罪判決を受けた者は、同じ事案では二度と裁かれない」という、米国の法律を逆手にとった実に良く考え抜かれた復讐劇である。実際、面白い娯楽映画であったが、我が国の売国姿勢に当て嵌めて考えると、面白かったなどと呑気な事は言ってはいられない。我が日本の恥ずべき現行憲法の第39条でも、「何人も、既に無罪とされた行為については、 刑事上の責任を問はれない。 又、 同一の犯罪について、 重ねて刑事上の責任を問はれない」と謳っている。安倍政権は、存在自体が馬鹿ばかしい、この「日本国憲法」の改憲を目指しているが、これから改憲しようという「日本国憲法」の、「二重処罰の禁止」という概念すら理解していないと非難されても仕方あるまい。我が国が被っている冤罪に対して、「これが最後だ」と言って、一体何回謝罪し、幾らカネを払えば気が済むのだろうか?


日本を「道徳的に劣る国」だとの、特亜三国が望む誤った既成事実など、日本人として看過すべきではない事は言うまでもない。この日本に生まれた以上、この国の歴史と自分の生き方にだけは、誇りを失なってはならないと思うのが、日本人ではないだろうか? 米国の属領の状態を変えようとしない日本は、面と向かってこそどの国からも言われはしないが、本心では半人前の国家、米国の子分と見做されている。そんな風に見下されたまま、子供たちや孫たちにこの国を受け継がせるなど、私は絶対にあってはならない事だと思う。この国の在り方を変えようとしたところで、私ひとりにできる事など無きに等しいが、「継続は力なり」と言うではないか。気力と体力が続く限り、私は信念に基づく主張を続けて行きたい。この考えに同意してくれる日本人は、実際は大勢いると思う。


今の私を突き動かしている力は、百歳近くまで長生きした、今は亡き父の最晩年の一言である。「つい昨日まで、未だ未だ若いと思っていたのに、気がついたら、こんな爺じいになっていた」、誰に言うでもなく、ぽつんと呟いた父の言葉に私は衝撃を受けた。人生は短い。人間の生涯など一瞬で過ぎ去ってしまう。人によって受け止め方はそれぞれだろうが、善良でごく普通に、誠実に生きた人間にとって、生涯の終わりに感じる事は「自分が生きてきた人生を省みて、実にあっという間に過ぎ去ってしまったものだ」という、切ない真実であるのだと私は思い知らされた。年寄りの説教じみた事を、敢えて言わせていただくが、今の若い人には、何ものにも代え難い「若さ」を思う存分に、後悔しないように、活かし切っていただきたい。若い時期を無為に過ごす行為は、この世に産み出してくれたご両親と自らに対する罪である。


数十年も経った今でも、私は父のあの言葉を思い出さない日はない。だから今の私が、この国の在り方について、あれこれ理屈を捏ねる原動力となっているのは、間違いなく、あの時の父の言葉なのだと思う。あれ以来、「それまで自分が好き好んで選択し、専門としてきた分野は、果たして日本人にとってどれほど有意義と言えるだろうか?」という疑問が払拭できないまま悶々としていた。いい歳をして、いきなり、それまで打ち込んできた、職業としての専門分野を変える事は、責任ある男として軽々にするべき事ではないのは言うまでもない。併し、そういう言い訳で、自分を誤魔化して生きるのは、前述の、「生活の為の保身で、真実を語らない腑抜けた識者や評論家、政治家たち」と同じではないか。私は、日本の恥ずべき現状、日本の悪いところを、これからも徹底的に指摘し続ける事で、日本人の覚醒を促して行きたい。


平昌五輪では、竹島が描かれた南北朝鮮の統一旗が使われるというが、我が国の対応は十年一日の如く、言葉による虚しい抗議だけである。国が本気で自らの領土領海を取り返す気概が無いから、抗議したという事実を以って、この理不尽な統一旗問題は終わりである。「抗議した」という言い訳は立派につくったと言う訳である。長年、血の滲むような努力を続けられた選手の方々には耐え難いものだろうが、日本が本気で竹島の領有を主張するなら、開催国のそのような理不尽は、口頭での抗議だけに留めずに、迷う事なく出場ボイコットという行動を起こすべきである。戦後の日本は、「可は可、不可は不可」という、国家としての意思表示を一貫して避けてきた。勿論、口頭や文書での抗議なら何回もしてきたが、「武力以外にできる事は何でもする」という、国家としての毅然たる意思表示は一貫して避けてきた。


敗戦後以来の日本は、臆病な事勿れ主義に徹し過ぎている。嘘や偽善に目を瞑る事になんの痛痒も感じない国家に成り果ててしまった。一切の反論すら許されなかった、あの忌まわしい「東京裁判」に於いて問われた冤罪である、所謂「南京大虐殺」が、当時の南京市民総数の二倍にもなる40万人の犠牲者数を出したとして、中共により、UNESCOの世界記憶遺産とされた時も、中共に反論するどころか、UNESCOに対してだけ「分担金支払いを検討する」と、口頭で脅しただけで、結局はその分担金も、後から平然と支払うのである。これから登録申請を控えている、日本各地の世界遺産候補はたくさんある。UNESCOに世界遺産として登録されるのと、されないのとでは、地域住民の誇りや経済効果は全く違うだろう。併し、護り通すべき国家・民族の誇りを捨ててまで、世界遺産を増やして何になるというのだろうか? 今の日本と日本国民は、日本人としても「誇り」とか「名誉」の大切さを、余りにも簡単に投げ打ってしまう誤ちに思いを致すべきである。


国の為に散華された先人の魂が帰還されているという靖國神社への、首相を始めとした重要閣僚の参拝には、毎年決まって韓国と中共が猛抗議してくるという理由で、安倍首相は(私の記憶では)首相に就任されてから靖國神社への参拝を、外交的配慮の名の下にしていない。北朝鮮の核ミサイル開発問題で日米韓が共に力を合わせる必要に迫られている今の状況では、米国が日韓協調を求めてくるのは当然としても、そもそも何故、「靖國参拝が政治問題化したのか」を真摯に考える必要がある。実にくだらない理由から「靖國参拝」は政治問題化された。先ず、三木武夫(当時)首相が「私的参拝」などと言う必要のない言い訳をした為に、朝日新聞が中共にご注進報道をしたのが発端である。その後、中共の胡耀邦(当時)国家主席が、日本への弱腰外交を非難されないように、中曽根康弘(当時)首相が「靖國神社への参拝を自粛」した。「靖國参拝」を先頭だって政治問題化させたのは、例によって朝日新聞であるが、三木武夫、中曽根康弘の両首相の軽率な発言と行動の責任は決して少なくは無い。


その時点では既に、日本は国会で全会一致で、所謂「A級戦犯」の罪を赦免し、戦勝国総てを回って「A級戦犯の法的赦免」に賛同を得ていた。朝日新聞が騒ぎ、三木武夫首相が失言をし、中曽根康弘首相が胡耀邦中共主席に配慮した段階で、日本には所謂「A級戦犯」なる犯罪者は存在しなかったのである。更に、マスメディアはひた隠しにしているが、ブッシュJr.(当時)米大統領が日本訪問に際して、小泉純一郎(当時)首相と「靖國神社に共に参拝してもいい」との申し出をしてきたにも関わらず、外務省の所謂チャイナスクールたちが、「とんでもない」と断わってしまったという事実もある。この事実は、当然、小泉首相にも伝わった筈だが、彼も外務省の意見に従って、ブッシュ米大統領には明治神宮に参拝していただくという歴史的大失態を演じた。日米両首脳が共に靖國神社に参拝していれば、朝日新聞がどう騒ごうが、首相・閣僚の靖國神社参拝の政治問題化は、今とは全く異なった様相を呈していただろう。


信頼の置ける複数の情報によれば、小泉純一郎氏は日本国籍朝鮮人である。朝鮮民族とは、例え日本に帰化しても、一世にとどまらず、二世・三世~五世・六世になっても、所詮は朝鮮民族で、日本に好感など決して持ちはしない。その意味では、自民党のホープ的存在と持て囃されている小泉進次郎氏も要注意人物である。小泉進次郎氏は、信念なき渡鳥政治屋、小池百合子氏が「希望の党」を立ち上げた直後の自民党が苦しい時に、自民党を散々貶(けな)して、街頭で喝采を浴びていた人物である。如何にも朝鮮人らしいではないか? 朝鮮民族ならずとも、こういう人物に日本を任せてはいけない。公にされてはいないが、戦後の日本国 内閣総理大臣で、日本国籍朝鮮人と言われている人物は大勢いる。実は生粋の日本人の方が極めて少ないと知れば、呑気な日本人も事の重大性を無視できないだろう。


序でに言えば、石破茂、野田聖子の両氏も絶対に首相になどしてはならない人物である。野田聖子氏は中共に行っても、中共に言うべき領土問題や人権問題は一切口にせず、また、朝鮮人ヤクザの夫の子を米国人女性から卵子をカネで買い、体外受精で高齢出産している。韓国の統計によれば、朝鮮民族の半数近くは精神障害を持って生まれてくるが、野田氏のご子息も知能障害とダウン症だと言う。障がい者を貶めるつもりは更々無いが、野田氏の行為は余りにも身勝手で私は人間として容認できない。石破茂氏は、民族云々ではなく歴史観・国家観の欠如が政治家の要件を満たしていないから日本の首相には相応しくない。


野田聖子氏に対する評価で、誤解を避ける為に重ねて説明するが、障がい者を貶めたり、差別したりする気は、私には全く無い。嘗て、日本には「優生保護法」という法律が施行(しこう)されていた時期があった。立法された当時は、「劣性な日本人は予め生まれてこないようにした方が良い」と、そういう考え方が罷り通っていた時代であった。私が常々説いてきたように、常識とは、時代と共に変遷する。今の常識では「優生保護法」の考え方は明らかなる差別主義で間違っている。今、優生保護法の考え方を押し付けたら、障がい者施設に於ける大量殺人犯の在日朝鮮人ハン・ヨンイル(通名植松聖)なる畜生と同じである。誇りある日本人の端くれとして、私はハン・ヨンイルの考え方が狂っていると断言する。だから、野田聖子氏のご子息を問題視しているのではなく、人間としての野田聖子氏の身勝手さを嫌っているという事を強調したい。朝鮮人ヤクザの妻にして、カネにモノを言わせて母の座を手に入れた野田聖子氏の首相就任には絶対反対である所以である。


人生とは本当に短いものである。私は、父のあの言葉を聞いて以来、この短い人生で、自分は何を為すべきかを問い続けてきた。最終的な答えはまだまだ見つかってはいないが、あの言葉を聞いて以来、私は自分が追求してきた分野が、果たして日本人の為にどれほど役に立ってきたかを疑問視するようになった。そして、「歴史」と出会った。学ぶ環境にいた時は、歴史などつまらない学問だと思っていたが、歴史とは、真面目に勉強すればするほど、今の日本という国の在りようが間違っていると、嫌が上にも気付かされる、非常に大切な学問である。公教育では決して教えられない、自ら探求する者にしか理解できない、日本の有難さを知るようになり、この日本の為に余生を捧げようとの志を持つに至った。


日本が国家主権を失ったのは、今から七十数年前の大東亜戦争に敗戦した時からである。サンフランシスコ講和条約を結んで、占領軍が日本を去って、日本が国際社会に復帰した後も、日本は主権国家には戻らなかった。情けない事に、日本は自ら、米国に押し付けられた亡国憲法を有難く押し戴いて、日本を無力化した張本人である米国に軍隊を持てと促されても、亡国憲法を盾に断り続け、経済にのみ特化した歪な国家への発展を選んだ。自らを護ろうともしない日本は主権国家としての最低限の要件を満たしていない。そんな当たり前の事に、多くの日本国民は未だに気付いてもいない体たらくである。日本が正真正銘の主権国家に返り咲く為には、今ある「日本国憲法」を「破棄」するしか方法はない。これは断言できる。「軍隊無き国家など主権国家である筈がない」。主権侵害を排除する武力が無いでは、他国に生かされているだけの、風前の灯である。他国の胸先三寸で簡単に蹂躙されてしまう。


安倍首相は、所謂「保守層」の期待を一身に受けて、「現行憲法の改憲」を実現しようと努力されているようだが、そんな方法では、幾ら主権国家だと宣言しても、日本以外の国際社会は、日本の主権を尊重などしてはくれない。占領を解かれた直後から、在日朝鮮人たちに好き放題させてきた日本は、今では半ば以上を在日朝鮮人に支配されてしまっている。敵性外国人に国の中枢を明け渡したままでは、日本は決して甦りはしない。在日朝鮮人ではなくとも、例え生粋の日本人であっても単なる敗戦利得者の子孫には、この日本を復興させる事はできない。何故なら彼等は日本の行く末など何も案じてはいないのだから。在日朝鮮人に至っては、益々日本人に対する支配構造を盤石なものにしようと日夜画策し、その悪意を堂々と実行に移しているではないか。


主権国家の要件が「自国を独力で護れる軍事力を保持している事」であるのは、疑いようのない真実である。事実、北朝鮮の工作機関である朝鮮総連の存在と工作活動を許し、彼等の手引きの下、北朝鮮工作員に、この日本国内に於いて、大勢の日本国民を拉致されても、手も足も出せないという事実が、国家主権を侵害されても国民の生命すら護れない日本という国家が、主権国家ではないという事を如実に示しているではないか? 日本が軍隊さえ持っていたら、「北朝鮮による拉致事件」など決して起きなかった筈である。北朝鮮は、「日本の警察は滅多な事では発砲しない」、「日本は、例え国民が拉致されたという事が露呈しても、決して報復する力は無い」、という事を見透かされたからこそ「拉致事件」は起きたのである。「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、我らの安全と生存を保持しようと決意」しても、中共と韓国、北朝鮮などに、日本に対する「公正と信義」など微塵も無いのである。


百害あって一利なしの「亡国憲法」など、「一部改憲」したところで、日本はまともな国家になど生まれ変われはしない。「亡国憲法」など破棄するしか、これからの日本が、慌ただしく様々な価値観が転換しようとしている国際社会の荒波を乗り切って行く事はできない。安倍首相には、そんな簡単な現状認識もできないのであろうか? 「亡国憲法」に指一本触れようとしてこなかった、「自主憲法制定を党是とした、歴代自民党政権」よりは、改憲を訴えるだけ、安倍政権には救いがあるとは言え、現状認識が余りにも甘過ぎる。韓国贔屓が過ぎる安倍首相には、いい加減にここらで正気を取り戻して貰いたいものである。このままでは、日本は日本では無くなってしまう。必要な正しい憲法を制定し、正しい教育を復活させ、日本の中枢から朝鮮民族を排除し、政財界や法曹界、そして何より優先して教育界とマスメディア界を日本人の手に取り戻さない限り、今の日本に降り掛かる大国難は決して乗り切れはしない。


現行憲法の破棄を、非現実的だなどと否定する事しか頭に湧かない日本人には、日本を立て直し、波乱に向かう国際社会を乗り切る日本など絶対につくれはしない。「非現実的だなどという否定論」は、平時の戯論である。現状に不満のない愚か者の空論である。例え平時であっても、否定論から入っては、何事も成し得ない事は、大昔から変わらぬ普遍的事実である。私は、数年前は現行の「日本国憲法」を破棄して、「大日本國帝國憲法」を時間を掛けて改憲すれば良いと考えていた。併し、その考えは間違っていた。在日朝鮮人にここまで日本という国を荒らされてしまった今では、時間など掛けてはいられない。在日朝鮮人は日本人の精神的支えである皇室にまで潜り込もうとしている。また、今の皇室会議の委員たちの顔ぶれは絶望的である。このまま息を飲んで見守るだけでは、この日本は変質させられてしまう。日本が日本である本質的所以だけは、護り通さねばならない。


今から半世紀近く昔、三島由紀夫は、この日本を復興できるのは、政治家などではなく、本来は軍隊であるべき自衛隊だけであると信じて、東京都新宿区市ケ谷本村町の陸上自衛隊東部方面総監部の総監室に於いて割腹自刃を遂げた。自らの病と日本の行く末に絶望して自殺を遂げた老保守言論人とは本質の異なる自殺であった。「戒厳令」を敷く事で亡国憲法を停止できるのは、背水の陣を敷いた軍人のみである。併し、47年前の自衛隊は既に軍隊では無かった。檄を飛ばす事で理解を得ようとした三島に罵声を浴びせた自衛隊員たちに、三島は日本人の魂を遺すべく敢えて劇的な方法で自ら命を絶った。現行憲法は破棄するしかないと気付いた私は、あの時の三島の心情が理解できる気がする。憲法破棄や大日本帝国憲法を持ち出すと、「今まで改憲努力されてきた方々の努力を無にしてしまう」などと叱って観せる今時の保守言論人になど、絶対に日本は変えられはしないと確信する。


過激な憲法破棄という手法は、国際社会からは理解を得られず、日本国民は日本の魂を取り返す為の高い代償を支払う羽目になるだろう。新しい時代に則した「新しい平和憲法」が制定されるまでの「戒厳令」の期間中は、国際社会から厳しい経済制裁を受け、多くの国民が苦しむだろう。併し、それこそは「産みの苦しみ」である。「新しい本当の平和憲法」が、国際社会に受け容れられるまでの期間すら、その「産みの苦しみ」から逃げようとするようでは、本当の日本は再生し得ない。私には、今の日本の異常性の中で暮らす方が、ここでいう「産みの苦しみ」より余程つらく苦しい。今の異常な日本社会の方が、私が訴える「産みの苦しみの後にくる新生日本」より居心地が良いと、日本国民の総意が断ずるのならば、日本はこのまま滅びに向かうしかあるまい。「意志弱き民族」は「悪意強き外来民族」により、滅ぼされるべくして滅ぼされるのである。


忌まわしき「東京裁判史観」に歪められた「戦後教育」を、教えられるままに信奉し、歴史的のはころころ変わる価値観のひとつにしか過ぎない、今流行りの瞬間風速でしかない、「民族差別反対」や、「マイノリティ擁護」の美名の裏に隠された本質を見抜けずに、在日朝鮮人と日本国籍朝鮮人を、このまま野放しにして、好き放題させている限り、この日本は必然的に滅びる。「差別」されて当然の悪しき民族は確かにいる。日本にはそういう悪意を持った民族がうじゃうじゃ居座っているではないか? 私たちの祖父母や曾祖父母に対して鬼畜の蛮行を働き、その罪を償いもせず、日本に強引に居座って「被害者詐欺」を続ける在日朝鮮人や、帰化しても日本を憎み続ける日本国籍朝鮮人など、「差別」される原因をつくっているのは彼等の方である。真実は「日本人こそ被害者」なのである。私には、余りにも残された時間は少な過ぎるが、誤解を受ける事を恐れず、これからも信念に基づく主張を続けて行きたい。