日本人の欠点のひとつに、相手の考えを先回りして想像し、それに無自覚のうちに配慮してしまうという精神作用がある。これを今流行りの言葉で言えば「忖度」というのだろう。相手より鋭敏な感性を働かせて、想像力を巡らせながら、どうすれば有利になるのかを瞬時に判断するのだから、これは馬鹿にはできない。鈍感な民族には「忖度」などという芸当は先ずできない。日本人は自らに、こうした優れた能力が備わっているのに、何故かその力で自分の立場を、有利どころか、逆に不利に追い込んでしまった事が、今までに何回もある。前回のBlogで、「日本に売国政治家が数多く現れ、現実に内閣総理大臣や内閣官房長官などという要職に就いている者が、売国行為を働くのは、敵対的且つ攻撃的な交渉相手が思うところを『忖度』してしまうからだ」という趣旨の仮説を述べた。日本人は、「大東亜戦争」に敗れて以来、「自信満々で攻撃的な民族を相手に『忖度』してしまう」という、本来なら優秀である筈の国民性が、悪い方向に現れてしまっているのではないだろうか。この「鋭敏な感性」という力を戦略的に活用すれば、外交交渉などで、より有利な立場を得られるのだろうが、敗戦後の日本人には、誇りとか自信、そして、時には必要とされる攻撃性という、謂わば「強さ」が一貫して欠けていた。

民族史上初めての、総力戦に破れて、居並ぶ勝者たちに「白を黒と無理矢理認めさせられて」、それでも何とか「天皇陛下のお命とお立場」だけはお護りしようとしたのだから、それまで過剰なほど持っていた自信とか、誇りなどはズタズタに引き裂かれてしまったのは、仕方がない事であった。併し、そのままで終わるか、そこから這い上がって、また民族の誇りを取り戻すか、という選択を迫られた時、日本人は「結論の先延ばし」という致命的な失敗をしてしまった。朝鮮戦争を境に、東亜細亜の赤化を防ぐ要衝のひとつにしようと、米国は軍事力保持を禁止した筈の日本に対して再軍備を要求してきたが、時の宰相吉田茂は、日本国憲法第九条を盾に、再軍備を断わってしまった。そして、経済発展に特化した歪な日本が生まれた訳である。戦後七十数年というもの、日本人は、「敗戦国のまま、自国の安全保障を米国に丸投げするという、戦勝国に隷属する」に等しい道を選んでしまったのである。なまじサンフランシスコ講和条約などというものを契機として、中身の伴わない主権国家として国際社会に復帰してしまったから、「戦争責任を自ら裁く機会さえも失なってしまった」のである。サンフランシスコ講和条約の正式名称は、「対日平和条約」(Treaty of Peace with Japan)という。1951年9月8日、米サンフランシスコ市内のオペラハウスで調印された事から、こう呼ばれるようになったこの「対日平和条約」は、敗戦から7年も経った、1952年4月28日に発効した。

なぜ戦勝国は完全勝利を果たした後速やかに、対日講和を提起しなかったのだろうか? 歴史とは、後から振り返ってみるものだから、不備や失敗に気づいても、気付いた時点では、もはや変えようがない。敗戦してしまった事は、開戦当時も国力が十倍以上も開きがあると分かっていながら、その米国が仕組んだ罠と知りながらも、「江戸時代への逆行と、米国への隷従」の道より「一か八かの勝負」に出て、あわよくば「程良いところで講和に持ち込む」という、万に一つも無い「可能性」に賭ける道を選んだ。「自分たちは例え死しても、後の子孫に日本人としての矜恃を伝える」、という覚悟の戦争突入であった。その先人の期待を裏切って「米国の属領となった日本」に何の疑問も感じずに生きている、現代の日本人には、先人の決断に対して、つべこべ文句を付ける資格は無い。「大東亜戦争」の敗戦は、「戦争を始める前から分かっていた」と言ったら、先人を美化し過ぎだろうか? 併し、何と言われようと、私には、そうとしか考えられない。そして何より、敗戦よりも解せないのは、実際の戦闘期間の倍近い占領統治中に、なぜ日本人は、唯々諾々と従うばかりで、占領軍に反抗ひとつしなかったのか? という疑問である。

「敗戦の詔勅」と同時に、軍部も民間も、一斉に戦う事をやめたのは、日本人がそれほど天皇陛下のお言葉に忠実であった証、と理解もできようが、七年近くもの期間、我が物顔の占領軍に無理難題を次々と命じられても一切抵抗せず、況んや戦勝国民を僭称する第三国人の暴挙に対しても、全く為す術も無かった当時の日本人の無抵抗振りは、敗戦覚悟の戦争に突入して行った同じ日本人であるとは、とても思えない程の腑抜け振りである。敗戦国日本人の、米国さえも予期しなかった、勝者への徹底した恭順姿勢は、後の米国の世界戦略をも大きく狂わせた。日本人の負けっぷりの良さに味をしめた米国は、武力で圧倒しさえすれば、何人(なんぴと)も思い通りになるとの錯覚を真実と勘違いして、朝鮮戦争でも、ベトナム戦争でも、その後の中東諸国への介入でも、悉く無残な失敗を繰り返した。国と国の戦争とは、当事国の強弱で決まるものではなく、陰で戦争を金儲けの手段として蠢(うごめ)く「国際金融資本家ども」の存在を理解しなければならないのは、少し真面目に歴史を追求する者にとっては、今や公然の秘密と言えるが、「国際金融資本家ども」と雖(いえど)も、敗戦国民の「根性」までも自由にできるものではない。

現に、日本よりも国力の劣る、旧北ベトナムや中東諸国は、例え戦力で劣っても、心が折れる事は無かった。北朝鮮や旧北ベトナムを負けさせなかった陰の力は、「国際金融資本家ども」であり、敵対する中東諸国の双方に高価な武器を売り捌いて紛争を長引かせて、大儲けした武器商人を陰で操っていたのも、「国際金融資本家ども」であった。併し、戦いは必ず勝者と敗者を生み出したが、心まで負け犬根性にどっぷりと浸かり、そこから脱却する事を拒み続けているのは日本人だけである

ベトナム人は、後進国だと韓国人に馬鹿にされた時、「我々は戦乱に荒廃した国の再興に際して、韓国のように日本にカネや技術をタカったりはしない。ベトナムは自分の力で復興を目指しているのだ」と言って、見下してきた韓国人を逆に蔑んだという。また、韓国はベトナム戦争に際して、カネと米国の韓国人移民受け入れ枠を目当てに、当時のケネディ大統領に再三に渡って韓国軍の参戦を働きかけたが、ケネディ大統領は韓国の申し出を断り続けた。そのケネディ大統領が暗殺されると、跡を継いだR・ジョンソン大統領にも、執拗にベトナム戦争参戦を働きかけた。根負けしたジョンソン大統領に参戦を許可されると、韓国軍は戦火のベトナムの地で鬼畜の蛮行を働き、ベトナム人少女を韓国軍用の慰安婦として弄んだ。戦後、一度だけベトナム政府は、韓国軍の蛮行に抗議したが、交渉の場に居合わせた韓国軍の蔡命新将軍は、「あれは戦争だったっ!」と椅子を跳ね除けて謝罪を拒んだという。それ以来、ベトナムの政府も国民も、韓国に対して、謝罪も賠償も一切要求しなかった。何という誇り高い振る舞いと抑制心だろう。ベトナムの振る舞いを見せつけられた韓国政府は自らの卑しさを思い知るべきだろう。大東亜戦争に破れて、冤罪を負わされた先人の名誉を護ろうともしない我が国の為政者も、ベトナム人の誇り高い姿勢を見習うべきではないだろうか?

七十年以上も昔の日本に対して、冤罪と分かり切った偽りの罪を責め続け、受ける資格もない謝罪と賠償を、何度も何度も飽く事無く蒸し返しては、日本に甘やかされる韓国をみて、昨年頃から、ベトナム国民が韓国政府に対して、当時の戦争犯罪を断罪する姿勢を見せ始めた。その行為は、「自分も韓国人のように、謝罪と賠償のお代わりをしよう」という卑しい心根から生じたものではなく、卑しい韓国人に「日本に強請りタカりを繰り返す、お前たちこそ本当の戦犯国家ではないか!」と思い知らせる為だというから、恐れ入る。同じ亜細亜の一員で在りながら、ベトナム、韓国、そして日本の、それぞれの民族としての誇りの持ちよう、示しようは、これほどまでに異なるのである。「東京裁判史観」に歪められ、偽りに満ちた「戦後教育」を、未だに変えようともせず、根拠なき贖罪意識に慣れ切って、先人が負わされた冤罪に対して、いつまでも謝罪し続ける、日本政府と日本国民の在りようは、このままで良い訳がない。韓国からも、ベトナムからも、経済大国となった日本には、留学生が大勢来ている。ベトナムからは企業研修の名目で低賃金労働を強いられる若者も沢山来ている。外国人が長期間、外国である日本に滞在すれば、中には不届き者も現れる。韓国人は言わずもがなであるが、ベトナム人も日本で犯罪に手を染める者が少なからずいる。併し、日本人はベトナム人を、韓国人のように見下すのではなく、彼等の誇り高さを見習うべきではないだろうか?

米国の悪意の塊とも言える「亡国憲法」押し付けられた事も認めずに、やれ「平和憲法」こそ世界の至宝だと本気で盲信して、後生大事に押し戴く、芯からお目出度い連中は、考慮のほかに置くとしても、心の底では日本人たるもの、日本国たるもの、これではいけないと気付いている者さえも、半世紀以上も日本に仇なす「亡国憲法」を放置し、漸く動き出す者も、「一部のみ改憲」という弥縫策(びほうさく)にしか取り掛かろうとしない様は、とても世界でも稀有な賢さを受け継いできた日本人の真の姿とは思えないし、思いたくもない。限りなく馬鹿に近い程の律儀さという、本来なら民族の美徳とも言える資質は、ここでも裏目に出てしまっている。日本の為に資する部分より、仇なす要素の方が多い現行憲法など、さっさと破棄すれば良いだけの話ではないか。何故そんな単純な事も、日本人は理解できなくなってしまったのだろうか? 自らを護る行為を制限する憲法など、主権国家の憲法ではない。そんな自明の真理を理解できなくなってしまった日本人は、先人に顔向けなどできない事にすら思い至らないほど堕落してしまっている。

今からおよそ三十年ほど前、小説家の鬼才、三島由紀夫は、その真理に気付き、行動を起こした唯一の逸材であったが、三島の止むに止まれぬ心情を理解する者は、現代の日本にはごく少数しか見当たらない。三島由紀夫が、東京都新宿区市ケ谷本村町の陸上自衛隊東部方面総監部の総監室に於いて割腹自殺を遂げたのは、「亡国憲法」を改めようともしない政治家たちに業を煮やして、旧大日本帝國陸軍の魂を受け継いでいる筈の、陸上自衛隊に直接語りかけた末の行為である。私は、一般論としては、決して自殺など容認しないが、三島由紀夫が日本を思って、最後の手段に訴えた末に、己れの主張に賛同を得られずに割腹自殺に及んだ心情は、全てとは言わないが、おおよそは理解できる。政治家に期待しても「自主憲法制定」などできはしない。この上は軍による「戒厳令」しか、日本を蘇らせる道はない。三島は、恐らくそう判断したのだろう。併し、三島の檄に応える自衛隊員は皆無であった。賛同されるどころか、バルコニーで檄を飛ばす三島に、自衛隊員はヤジを浴びせた。それを三島は当然、予想していたからこそ、日本刀を持参したのである。言葉が聞き入れられずば、己れの一命を投げ打って「魂」を遺す。そういう悲壮な心情だったのだろう。己れの信念の行動とはいえ、二十歳そこそこの若者を道連れにする必要は無かったと悔やまれるが、人並み外れた天才には、日本の行く末が見えていたのだと思う。

三十年余り経過した日本は、三島が命をかけて訴えた、日本という国家、民族の危機が、解消されるどころか、行き着くところまで行き着いて、私のような凡人にさえ、もう後が無い断崖絶壁の淵まで追い込まれたような、正に国家民族存亡の機が、ひしひしと肌身に感じるまでになっている。悲しいかな、三島が見通した通り、政治家にも、軍人の格好をした自衛隊の将官にも、この危機は見えていないようだ。いざとなれば、一命を賭して日本の為に戦ってくださる唯一の存在である自衛官に、失礼な事は言いたくないが、テレビなどに出演される陸海空の元将官クラスの方々は、「東京裁判史観」にどっぷりと浸かったような発言を平然と為さっておられる。お立場上、自制されての言動なのは分かるが、日本が侵されている内憂外患をまるで他人事のように語られては、視聴者に逼迫した危機感など伝わる訳がない。問題意識の重点の置き所が違うのだろうが、戦後、今に至るまでの「日本の内憂の最たるもの」とは、少子化問題でも景気の閉塞感でも、改革すべき働き方などではなく、「日本の中枢を半ば以上在日朝鮮人・日本国籍朝鮮人に支配されている現実」であり、「外患」とは、中露、北朝鮮のみならず、竹島を占領し続ける韓国と、日本の軍事的装備やシステムを米国の支配下に留めておくという米国の方針という、「複数の外圧」である。

三島のような才能も、才覚も、度胸もない自分が情けなく思える。私には、このBlogで信ずるところを拙劣な文章で訴える事ぐらいしかできない。三島由紀夫は、最後の「檄文」の演説の中で、『われわれは戦後の日本が、経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失い、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を涜してゆくのを、歯噛みをしながら見ていなければならなかった。』と述べている。これはほんの抜粋であるから、できれば全文に目を通していただきたい。全文が掲載されているURLを、ここに紹介する。http://www.geocities.jp/kyoketu/61052.html
是が非でも、三島由紀夫の檄文全文をお読みいただきたい。これに心動かぬ者は、日本人の心を喪失していると言って過言ではない。

私は、決して気楽に「戒厳令」など持ち出したのではない。世に溢れる法学部出身者は、「戒厳令」などと聞けば、ハナから馬鹿にして掛かる事だろう。私が忌み嫌う、「東京裁判史観」と「日本国憲法」には、「戒厳令」の規定など無い。「日本国憲法」が規定していないのだから「戒厳令」など有り得ない、という程度の知能では、私のBlogは理解できないだろうから、読むだけ無駄である。日本に於ける「戒厳令」とは、大日本帝国憲法制定前の法体系において戒厳の態様を規定していたのが1882年(明治15年)8月5日太政官布告第36号「戒厳令」である。殆んどの方は「大日本帝國憲法」=明治憲法、と理解しているから、明治時代が始まって直ぐに、憲法が公布・施行されたと思い込んでいるだろう。併し、憲法というものは、GHQ/SCAPがして退けたように、僅か一週間ほどでできるものではない。米占領軍は、あたかも旧約聖書の唯一絶対神のヤハウェにでもなったつもりでいたのだろう。神が七日間で世界を創ったように、七日間で日本人に憲法を与えようとしたのである。併し、明治時代の先人は七日どころか、22年間も練りに練って「大日本帝國憲法」をつくりあげたのである。「大日本帝國憲法」は、1889年(明治22年)2月11日に公布、1890年(明治23年)11月29日に施行された。

本来は今も厳然とその効力を発揮しているべき、1889年(明治22年)2月11日に公布された大日本帝国憲法の第14条に於いて、「天皇は戒厳を宣告す。戒厳の要件及効力は法律を以て之を定む」とし、憲法の体系に組み込まれている。ウェストファリア体制の理念の下に生まれた、ハーグ陸戦協定に明確に違反している、現「日本国憲法」を無効と考えるならば、「大日本帝國憲法」しか日本を規定する憲法は無い。併し、敗戦後の日本人が、憲法を不磨の大典の如く全く手を付けてこなかった為、もはや「大日本帝國憲法」は、時代に則さない。ならば、せめてその理念を受け止め、現代の英国のように「自然法・習慣法」に帰るしかないではないか。「自然法・習慣法」は、長い歴史の積み重ねを有する国家のみが運用できる「憲法に代わる歴史的理念」である。これを英国が運用できるのなら、英国より余程長い歴史を持つ我が国にできない筈はない。後は、上述の国際法を破って、敗戦国日本に米国が押し付けた「亡国憲法」を「破棄」さえすれば良い。それを成し遂げるべき政治家に勇気・度胸がないのなら、軍に代わる自衛隊が「戒厳令」を敷くしかないではないか。

日本は、勅令による行政戒厳を、過去に三度発令している。一度目は、1905年(明治38年)9月6日〜11月29日、「日比谷焼打事件」に際して、二度目は、1923年(大正12年)9月2日〜11月15日、「関東大震災」に際して、そして三度目は、1936年(昭和11年)2月27日〜7月16日、「二・二六事件」に際してであるが、何れも適用地域は東京圏内と限定されていた。併し、中華人民共和国、中華民国(台湾)、韓国、タイ、フィリピン、ポーランド、アルゼンチン、チリ、ボリビア、チュニジア、ギニア、ソマリア、等々では、軍部が国家全域に「戒厳令」を発令した。「戒厳」とは、行政と司法の一部または全部を軍隊の権力下に移行させて統治する事である。つまり、軍隊に独裁権力を与える非常時の統治形態であり、当然、憲法も停止される。

中でも、歴史上最も長い期間、この「戒厳令」を敷いたのが台湾であった。戒厳令の間、台湾の最高権力者は中華民国総統の蒋介石(1975年まで)とその息子の蒋経国(1988年まで)であった。この戒厳令が解除され、台湾に表現の自由が浸透していくのは、実に、蒋経国の跡を継いだ李登輝総統の時代になって、国民による総統選挙が行なわれるようになってからである。台湾が自由選挙を実施しようとした時に中共がミサイルで恫喝した暴挙は、未だに鮮明に記憶している。蒋介石親子の中国国民党が侵略地台湾に敷いた「戒厳令」は、それは過酷で、今で言うマイノリティの中国国民党(=支那人)は、恐怖政治を以って台湾を我が物として統治し、多くの罪なき台湾の人々の命を奪い、苦しめ抜いた。李登輝総統の下で自由社会を取り戻した台湾は、今また習近平の恫喝を受け、中共は2022年までに台湾侵略を実行すると公言している。

これほどまでに、劇的で過酷な「戒厳令」を自衛隊が敷く事は、今の日本では、非現実的、夢物語であるが、三島由紀夫は市ヶ谷に於いて、陸上自衛隊員たちに向かって、30年も昔に、この「戒厳令」を呼びかけたのである。この時は恐らく「内憂外患」と言うより、日本人の精神性が敗戦以来、真綿で首を締められていくが如く、当の日本人が無自覚のまま、知らぬ間に日本人たる心を失なって行き、2700年に垂(なんな)んとする比類なき歴史の積み重ねを忘れ去り、内面から崩壊していく様を、三島にははっきり見えていたのだろう。戦後の日本人は、プロレスラーの力道山が、悪役の米国人レスラーを空手チョップで撃退する姿に熱狂し、美空ひばりや都はるみなどの芸能界のスターの歌声に酔い痴れていたが、日本人を騙る格闘家や芸能人の多くは、実は朝鮮人であった。戦後にあれだけ日本国民にケモノ的蛮行を働いた朝鮮人は、母国に帰る気など更々見せずに、通名を使ってそのまま日本人に成り済まし、日本文化を蝕んでいた。力道山も、美空ひばりも、都はるみも皆、朝鮮人であったが、米国に愚民化された国民は、疑う事もなく彼等に熱中させられた。米国から買い付けたホームドラマや、西部劇、戦争ドラマ全盛の時代でもあり、それがプロパガンダとも知らずに日本国民はテレビを通して米国を羨望の眼差しで見ていた。エルビス・プレスリーやビートルズという大スターの真似が格好良いとされた時代、ロカビリーやグループ・サウンズなど欧米の文化風俗を若者が挙って真似をして、本来の日本人の生き方はダサイと見向きもされない時代が長く続いた。

三島が割腹自殺という暴挙に及んだ時代は、そういう非日本的お仕着せ文化を疑いもせずに慣れ親しんで育った日本人が、成長して社会人となり、日本の主流となり始めた時代であった。三島の命懸けの、日本人覚醒の呼びかけは、結局無視され、今の日本人の生き様はあの時代より更に日本を失なったものとなってしまっている。実際にはもっと多いと思われるが、公称値で1%にも満たない朝鮮人に、この日本は席巻されてしまった。日本のあらゆる中枢に朝鮮人が潜り込むのを、歴代の政権政党であった自民党の国会議員たちは、放任し、朝鮮人小泉純一郎首相は、売国政商竹中平蔵と共に、既に壊れかけていた日本にとどめの一撃を喰らわせた。当時の小泉政権下では「女系天皇容認の動きさえあった」。併し、秋篠宮家に悠仁様がお生まれになった事で、小泉の野望は打ち砕かれた。「万世一系の皇統」断絶という小泉の野望こそ陽の目を見る事はなかったが、小泉が仕掛けたドミノ効果は確実に日本を滅ぼしつつある。緩やかに、それと自覚さえできない巧妙さで滅亡に向かっていた日本は、小泉・竹中の両逆賊によって、坂を転げ落ちるように、民族滅亡への道をひた走り出したのである。この危機に際して、保守層の星たる安倍晋三首相は一体何をしているのだろうか? 日本の言論人は、日本が既に半ば以上も朝鮮民族に支配されてしまっている実情を、なぜ一言も指摘しないのだろうか? 政治家も言論人も、三島由紀夫の魂の警鐘を無視して以来、ずっと腐り続け、遂には壊死してしまったのだろうか? ならば日本人は、大和民族は、生き抜く術を、既に失なってしまったのかも知れない。

政財界や、法曹界、教育界、マスメディア、芸能界、その他数え切れないほどの枢要な分野は、既に在日朝鮮人や日本国籍朝鮮人に支配され、この日本では、僅か1%の朝鮮民族が、毎年生み出される富の60%以上を手に入れ、99%の生粋の日本人が残り40%を分け合うという構造が確立されつつある。この所得比率はもっともっと悲惨になっていくだろう。日本人の若者の所得は、三島由紀夫が自殺した30年前と殆んど同じで、今や結婚や育児を諦めざるを得ない境遇に追い込まれている。然るに、安倍政権の近くに纏わりつく売国政商竹中平蔵は、「日本に正社員はいらない。みんな派遣社員として働けばいい」と嘯く。インターネットの世界でも言論統制は厳しさを増してはいるが、マスメディアよりは真実を訴える余地はまだある。そのインターネットの世界でも、安倍首相を褒めそやす記事を多く見かけるが、マスディアとインターネットの両方で活躍する知識人・言論人には、「日本に迫る本当の危機」が見えていないのだろうか? 「国際金融資本家ども」の悪巧みを暴くのは有意義としても、「人権擁護賛成、民族差別反対、ヘイトスピーチ反対」と無難な、悪しき正論を撒き散らすだけなら、百害あって一利なし、である。また、米国による北朝鮮攻撃を、昨年10月頃から「今月こそは戦争が勃発する」と訳知り顔に解説しては外す、似非評論家も日本国民の目を真の危機から逸らす邪魔者でしかない。実際の米国は既に北朝鮮に核放棄させる事は不可能と悟って、次善の策を練っている。突発的に偶発戦が始まる可能性はあるにしても、米国から北朝鮮に全面攻撃する事などありはしない。

安倍首相、知識人、言論人から「この日本を蝕む朝鮮民族を排斥せよ」との、今、真に逼迫した危機に警鐘を鳴らす声が聞こえてこない限り、この日本に幸福な未来は無い。先ずはなんとしても、教育界とマスメディアから敵性外国人、特に既に深く潜り込んで市民権を得てしまっている朝鮮人を排除しなければ、日本再生の発芽は悉く摘み取られてしまうだろう。一時の嫌韓ブームが未だ冷めやらぬうちに、テレビ局は平昌冬季五輪の開催期間に、最も韓国ドラマが多く垂れ流されるように、放映番組の編成表を五輪放映と合わせて最大化させている。これは前もって計画しなければ成し得ない事である。朝鮮民族は、愚かな癖に、こういう乗っ取り工作には腹立たしいほど長けている。戦後七十有余年をかけて、日本国民は、朝鮮民族のこの民族乗っ取り工作に晒されてきた。失敗しても、跳ね返されても、朝鮮民族は日本乗っ取り工作を、決して止めはしない。腐臭は元から断たねば無くなりはしないのである。この日本から朝鮮民族を一掃しなければ、執拗な朝鮮民族の日本乗っ取り工作を終わらせる事はできない。彼等の祖先は、エヴェンキ族、新羅・高句麗人をこうして乗っ取り、今や、日本乗っ取りに成功するまで、この人の道に悖る醜く浅ましい工作を決してやめはしない。国際社会どのような、無責任で無理解な非難を受けようとも、朝鮮民族を日本から排除し切るまで、安心はできない。他の危機も有るには在るが、何にも増して早急(さっきゅう)に取り組むべき最優先課題は、「朝鮮民族の完全排除」である。