本稿では安倍政権を徹底的に批判しているが、では現在、若しくは近い将来、安倍政権、或いは自民党政権以外のどの政権を選択すれば良いのかと考えると、残念ながら今の日本には安倍晋三首相を超えるような政治家など存在しないのが現実である。例え安倍氏が首相の座を退いたとしても、結局は自民党所属の別の政治家を選ばざるを得ないだろう。まさか共産主義を標榜する政党を支持する訳にはいかないし、況してや立憲民主党のような愚かな集団を支持する訳にもいかない。反自民というスタンスの政党の中には、只のひとつもまともな政党が存在しない。日本のこの政治状況は絶望的と言う他ない。とは言え、次の政権選択選挙の機会が訪れれば、私は、またしても不承不承ながら、安倍政権を支持せざるを得ないと考えている。だから私の安倍批判を、野党やマスメディアが血道をあげる「安倍降ろし」と同列にしか理解できない方は私のBlogは読むだけ無駄である。私の主張を理解するには、それ相応の知性が無いと無理である。次に推す政治家が居ないからと言って、現政権を批判してはならないなどと言う理屈は成り立たない。批判すべき事、暴くべき負の側面は、何時如何なる状況であっても、堂々と主張するべきである。積極的にではないにせよ、本稿の前編で述べたように、私は安倍政権にこの日本を一時的に託した。併し、選挙に於ける投票とは、政治家に白紙委任状を渡す事と同義ではない事は念の為に繰り返しておく。

G7首脳の顔ぶれを見ても明らかだが、5年間も政権を維持してきた経験は、首脳外交に於ける発言力を伴なう。日本の顔である内閣総理大臣が目紛(めまぐる)しくころころと変わっていた時代と、今の安倍首相に向けられる国際社会の眼差しは全く異なる。併し、外交力という点で抜きん出ていると評価される安倍首相ではあるが、日本は相変わらず米国の一の子分の役割から一歩も抜け出せてはいない。今の日本にとって、「日米安保」は必要不可欠なものである事は言うまでもないが、同時に、米国が日本の為に身を切る意思があると期待するのは危険である。「同盟」を語る時によく引き合いに出されるの名言に、大英帝國の宰相パーマストン卿の「英国には、永遠の友も永遠の敵もいない。あるのは永遠の国益だけだ」と言うのがあるが、フランスの第18代大統領ドゴールは「同盟とは、共に戦う事はあっても、決して運命を共にするものではない」と、更に今の日本が噛み締めなければならない現実を語っている。どうやら「米朝会談」は予定通り実施されそうではあるが、米国が北朝鮮とどのような折り合いを付けようとも、日本は日本で、自分の頭に纏わりつく蝿には日本が独自に対処せねばならない事に何の変わりもない。安倍首相は何時まで愚にも付かない「GHQ憲法の部分改憲論議」を続ける気なのだろうか?

今の雲行きでは、トランプは米国本土に届く弾道ミサイル開発さえ阻止できれば、金正恩の望み通り段階的に経済制裁を解除していくというところで手打ちとなる恐れが無いとは言い切れない。歴史的に見て核廃絶の約束を悉く反故にしてきた北朝鮮に対して、トランプが功を焦って段階的制裁解除に応じれば、カネをドブに捨てるに等しい北朝鮮への経済支援の役回りを、日本が押し付けられるのは目に見えている。現段階で安倍首相は、「拉致問題の完全解決無くして、日本からの経済支援は無い」と断言しているが、トランプに命じられれば、安倍首相からゼロ解答というのは無理だろう。米国のATM国家の役回りを拒否すれば、幾ら防衛費をGNP比2%に引き上げて、大枚叩(たいまいはた)いて米国からイージス・アショア・システムを購入しても、トランプは良い顔はしないだろう。結局、日本は無駄ガネを支払わされる羽目になる。国民を説き伏せるに米国からの外圧ほど説得力のあるものは戦後史的に見て無い。もしそうなれば、国際社会は日本を所詮米国の子分であるとしか評価しないだろう。自分の国は自分で護ると言う気概を示さない限り、国際社会からの「日本は余計な事は言わずに、カネだけ出しておけば良い」との軽視は、この先もずっと変わらない。『日本人の為の日本国の再建』には「GHQ憲法の破棄」しか途は無いのである。

中共の覇権主義的野望に対して、日米安保抜きにして、日本一国で対処するなど、「戦後の常識」では到底不可能ではあるが、北朝鮮のような小国相手でも、相手が核弾道ミサイル保有国ともなれば米国の保護無くしては日本は刃向かえない。そして、韓国も本質的には日本の敵対国である事は前編で述べた通りである。併し、日本内部に深く潜り込んでしまった支那人や朝鮮人などの敵対行動の弊害への対処まで米国に依存するのは筋違いというものである。そもそも、日本に勝手に押しかけて棲み付いた朝鮮人を、敗戦後に帰国させようと腐心した日本政府の意に反して、在日朝鮮人に戦勝国民と同等な待遇を与えて、日本に棲み付かせたのは米占領軍であり、米国が日本を無力化した為に日本の不甲斐ない戦後社会ができあがったのであるが、敗戦後、既に73年も経過している。何時までも米占領軍だけが悪いとの言い逃れは、もうできないだろう。鯔(とど)のつまりは、日本人の行く末を我が事として心配していないとしか思えない、安倍政権が進めようとする「GHQ憲法の部分改憲」などでは、米国に隷従せざるを得ない戦後日本の不条理な宿命と社会構造、そして、卑屈な国民意識は何も変わりはしない。弥縫策(びほうさく)でしかない「GHQ憲法の部分改憲」すら、恐らくは安倍政権にはできないだろう。

戦後の日本国民の自堕落な「知恵と思慮の欠如」は、愚かにも「GHQ憲法」を「平和憲法」だなどと、悪意渦巻く国際社会の特定の敵対国家群が望むままに、我々のご先祖様が培ってきた大切な歴史観を見失なった虚ろな国家観を、我が身の骨の髄まで染み込ませてしまった。そんな日本国民の子々孫々の為に、安倍首相が本気で『日本人の為の日本国の再建』を実現しようとするなら、万難を排してでも「GHQ憲法の破棄」に取り組む筈である。私は、過去のBlogに於いて、安倍政権による日本の保守層に対する裏切りとも言える幾多の政策を取り挙げたが、それに「GHQ憲法の改憲」も付け加えるべきだと確信している。だいいち安倍首相に、まともな常識が備わっていれば、現状での改憲の実現可能性の低さなど、とうに理解している筈である。安倍首相が第三次政権を成立させるのは、恐らくは手堅いだろうが、「GHQ憲法の改憲」は安倍政権時には実現しない。安倍首相にこの先ずっと、何の批判もする事無くこの日本を任せ続ける事は、「GHQ憲法の部分改憲ポーズ」を今まで通りに容認する事であり、引いては先に述べた安倍首相による日本人保守層への数々の裏切り政策をも容認する事にもなってしまう。短期的には安倍政権を支持せざるを得ない日本政治の惨状に変わりはないであろうとはいえ、『日本人の為の日本国の再建』に安倍首相が本気で取り組もうとしない限り、何時までも支持し続ける訳にはいかない。

総ての日本の有権者は、安倍首相と歴代自民党政権が為してきた夥しい日本国民に対する裏切り行為を、今までのように、なぁなぁに見過ごしてはならない。何故、自民党政権下で「在日特権」などという馬鹿げた朝鮮人優遇策が罷り通ってきたのか? 何故、NHKや朝日新聞を始めとしたマスメディアの反日主義とも言える体質が変わらないのか? 何故、日本国民には何の見返りもない膨大なODAの為に血税を注ぎ込んできたのか? 何故、文科省は偽りの歴史観を日本の未来を担う子供たちに教育して恥じないのか? 何故、大企業や一流大学、そして司法試験に在日枠が設けられ、日本の根幹が朝鮮人に支配されてしまったのか? 何故、国民的議論も経ずして、すんなりと「日韓慰安婦合意」が成され、所謂「ヘイトスピーチ対策法」が立法化されてしまったのか? いちいち数え上げていったら切りがないほどに、日本国民は歴代自民党政権に馬鹿にされ、見縊(みくび)られ続けてきた。それでも、野党政権を選ぶ訳にはいかない政治構造を、歴代自民党政権はつくり上げてしまったのである。自他共に保守を任じる言論人は何故、安倍政権を支持し続けるのか? 「まともな政治家が育っていないから、当面は仕方なく自民党を支持せざるを得ない」という前提で、取り敢えず安倍政権を支持するというのならともかく、手放しで安倍晋三氏を祭り上げる言論人は、先人に対して余りにも不誠実、不謹慎である。彼は先人に負わされた汚名、冤罪を国際社会に対して認め、日本に巣喰う朝鮮人に対して、日本人が正当に反論する行為を禁じる法律をつくってしまったではないか。

安倍晋三なる政治家の日本に対する功績は確かに大きい。併し、その功績を打ち消して余りあるほどに、安倍晋三首相が「日本国民に齎らした損害」は甚大である。私は歴代の日本の首相たちの無為無策が際立つほどの、第一次安倍政権の目覚ましい業績を承知した上で、敢えて安倍晋三氏への批判をやめる訳にはいかない。現段階で安倍氏以外に日本の内閣総理大臣の職を全うしてくれそうな人材が見当たらないからと言って、このまま安倍首相が日本を日本国民の手から奪い去るのを手を拱(こまね)いて見ている訳には行かないという、差し迫った危機感を抱かずにはいられないからだ。私の主張になどハナから耳を傾ける気もない売国左翼には何を説いても無駄であろうが、少なくとも「愛国心」という言葉にアレルギー反応を起こさない健全な真正日本人には、今、日本国と日本人に迫っている深刻な危機について警鐘を鳴らしたい。

政界、財界、法曹界、教育界、マスメディア界等々が、朝鮮人の支配下に落ちてしまった事は取り返しのつかない大損害である。相対的に見たら実に僅かばかりの在日朝鮮人、日本国籍朝鮮人に各界の要所要所を抑えられてしまった今の日本では、私の主張などまともに取り上げられもせず、やがては封殺されてしまうであろう事が、事態の深刻さを如実に証明している。日本国民である以上、好むと好まざるとに関わらず「偽りの歴史観」の洗脳とも言える「戦後教育」を受けてきたのだから、真っ当な保守を自認する方々が、容易に私の主張を受け入れられないのは当然である。併し、同じ環境下にあっても真実に目覚めている日本国民も少なからず存在する。「戦後の常識」と言うものを一度ご破算にして、安倍政権による先人への裏切り行為を見つめ直していただきたい。「鮮害著しいマスメディアが貶めようとするから、その逆が正しい」という理屈は、安倍政権に適用してはいけないのである。これは非常に難解な日本の捻れ構造を解き明かさないと理解されない理屈だから、安倍首相絶対的支持者は、先ずその強固な先入観を捨ててから本稿を読み直していただきたい。それができないなら読むだけ無駄である。

前述した安倍晋三首相による「日本国民に齎らした策略による負の効果」の数々も、安倍家が朝鮮人の血筋を持ち、邪教統一教会と繋がっていると考えれば、総て説明がつく。以前に書いた事を改めて以下に記述する。

▪️2012年の第二次安倍政権の公約に明記された「『竹島の日』の式典の政府主催」を未だに実行していない。「竹島の日」は島根県主催のままで、安倍政権は内閣府から人を送っているだけである。韓国に配慮する必要性が理解できない。
▪️更に、保守層の悲願でもある「内閣総理大臣による8月15日の靖國神社参拝」は、その気配すら見せない。玉串料を私的に奉納してお茶を濁しているだけである。
▪️また、「河野売国談話」の見直しについては、その検証作業を行なった末に、結局は、2014年に「安倍内閣で見直す事は考えていない」と明言した。
▪️2015年8月の戦後70年談話では、「侵略・植民地支配・反省・お詫び」という「村山売国談話」に盛り込まれた文言を全てそのまま踏襲した。
▪️極め付けは、2017年の韓国の朴槿恵(ボク・キンケイ)政権との「慰安婦日韓合意」(岸田・尹、外相会談)に際して、安倍首相は「慰安婦への日本軍の関与」を認め、「心からのお詫びと反省の気持ち」を表明し、「最終的不可逆的な解決」との合意をした。先人に対する根も葉もない冤罪を安倍晋三首相は国際社会に向けて「真実でした。許してください」と公言してしまったのである。賢明な日本人なら誰もが「日本軍の積極的関与など無かった」という史実や、韓国政府と韓国人が執拗に言い募る、「韓国人慰安婦」とは単なる追軍売春婦であったという史実を皆識っている。
▪️更に同年、天下の悪法である、所謂「ヘイトスピーチ対策法」を自民党議員が国会に提出し、安倍政権はさらりと可決してしまった。
追記、▪️「GHQ憲法」を、法に則って一部でも「改憲」してしまったら、「GHQ憲法」の違法性が無くなってしまう。安倍政権は、その誤ちを犯そうとしている。

安倍政権は、実にさらりと、国民が気付かぬうちに、日本人を裏切る政策を実現してしまう。本当に『日本人の為の日本国の再建』を考えるなら、到底有り得ない事である。さて、前述した「日本に巣喰う朝鮮人同士の諍い」という本稿のキモの説明をしよう。

日本に古くから朝鮮人が在住してきた事は、大して新しい話題ではないが、戦後の日本には、日本支配を企む「二種類の朝鮮人勢力」が存在する。南と北、韓国と北朝鮮の違いではない。日本に渡来した年代の違いである、第一の朝鮮人勢力は、16世紀末に起きた豊臣秀吉による文禄・慶長の役(朝鮮出兵)に於いて、日本に連れられて来た大勢の朝鮮人陶工たちを中心とした相当数の朝鮮人の子孫たちである。この時、何の取り柄もない只の人夫も大勢連れてきた。第二の勢力は、日韓併合を期に日本に渡航して敗戦を迎え、そのまま半島への帰還を拒んだ朝鮮人と、敗戦後の混乱期に日本に密航して来た朝鮮人とその子孫たちである。この第一勢力と第二勢力は互いに手を取り合う協力関係にある訳ではない。寧ろ反目し合っている。

岸信介、佐藤栄作、安倍晋太郎、安倍晋三、そして、小泉純一郎、小泉進次郎 親子などは、第一勢力の朝鮮人の子孫である。岸信介の弟の佐藤栄作は沈壽官(豊臣秀吉の二度目の朝鮮出征である慶長の役で日本に連れてきた朝鮮人陶工の中に初代、沈当吉が居たとされる)の家系で、沈寿官が400年前に日本に渡って来たのであれば、佐藤家も壬辰の乱の後、日本に渡って来て山口に定着した朝鮮系となる。沈寿官の家には、佐藤の自筆による「默而識之(言葉で表さずとも理解できるの意)」という書が掲げられている。「東亜日報」論説委員の金忠植(きんちゅうしょく)氏の著書『悲しい列島〜永遠の異邦人400年の記録』(韓国の出版社 효형출판 Hyohyung)の中で、壬辰倭乱直後の1598年、日本に連行された陶工の薩摩焼の沈壽官窯、沈壽官家の第14代目をインタビューする過程で、佐藤栄作直筆の書の存在が明らかにされた。

遡れば、初代内閣総理大臣にして韓国総監を務めた伊藤博文も第一勢力の朝鮮人の末裔であった可能性が高い。「戦後教育」を受けた常識人であれば、先ずこの指摘に肌感覚で抵抗感を持つのは当然である。併し、先入観を取り払って、伊藤博文の昔の写真を見ていただきたい。ネットで検索すれば、朝鮮服姿の伊藤博文を見付けられる筈だ。韓国統監なら朝鮮服姿に何の不思議もないが、日本人なら正装は紋付袴姿であろう。伊藤は葬式も朝鮮式で執り行ない、墓石も朝鮮式というのであるから日本人ではない可能性が極めて高い。そもそも伊藤博文は「日韓併合」に反対していた筈である。その伊藤が朝鮮服、朝鮮式葬式、墓石も朝鮮式というのは、どう考えてもおかしい。詳しく調べれば、伊藤は名前を十数回も変えている。これもおかしい。朝鮮人は出自を隠す為に、通名を使い分け、度々養子縁組をして苗字を変えて来た。養子縁組と言う形態を取って、れっきとした日本人の家系である、岸家や佐藤家、安倍家などに入り込むのが朝鮮人の常套手段なのである。大きな誤ちは日韓併合後に、朝鮮人の要求を呑んで、朝鮮人に自由に通名を名乗らせた事である。通名を使い分けさせ、時に養子縁組と言う方法を許してしまった事は、出自を隠したい朝鮮人の思う壺であった。こうして、日本人の間に朝鮮人が紛れ込むのを許してしまったのである。

伊藤博文の出身地は現在の山口県光市である。光市は田布施町の隣町である。田布施町とは、嘗て長州藩が朝鮮から連れ帰った陶工や人足(にんそく)を纏めて住まわせ、その地に隔離して日本人との婚姻すら禁じた朝鮮人部落である。山口県光市大字束荷(旧 熊毛郡大和町)、昔は、周防国熊毛郡束荷村という地名だった。Wikipediaにも、伊藤博文は周防国出身とある。1999年の光市母子殺害事件のあった光市である。あの凄惨な性犯罪も朝鮮人の仕業である。とにかく田布施町とその近隣には朝鮮人が異常に集中しているのは、嘗て隔離された朝鮮人部落であったからである。明治維新と文明開化により、その隔離政策は解かれ、徐々に朝鮮人は日本人社会に紛れ込んで行った。通名と養子縁組を使い分け、「第一勢力の朝鮮人たちの子孫」の出自は日本人の目から覆い隠された。この田布施にルーツを持つ政治家が実に多い。田布施町出身者には統一教会信者が大勢いると言うのは恐らく本当だろう。萩生田光一も稲田朋美も統一教会信者と言われている。高村正彦は統一教会の顧問弁護士。世耕弘成は統一教会の原理活動家と言われている…etc.etc. 殆んどが噂話であるが、高村正彦が顧問弁護士だった事は記録に残っている。第一勢力の朝鮮人の子孫が先ず政治家を目指した為に、彼等の日本支配の筋道が田布施システムと言われる所以である。

この田布施システムを裏で操っているのが統一教会である。この邪教の創始者文鮮明は、既に凄惨な事故死を遂げているが、文鮮明が生み出した邪教だけは、創始者の死後もどんどん蔓延り、邪教と言われるに相応しく日本支配を着々と進めている。草創期の創価学会と立正佼成会は互いに強い敵対関係にあったが、どちらも統一教会の出先機関である。どちらのカルトが生き残って増殖しても、勝つのは統一教会という訳だ。その強いカルト性により付いて来られない日本人を、創価学会と立正佼成会が拾えば、統一教会による日本乗っ取り成功の確率がいよいよ高まる訳だから、実に巧妙である。統一教会の恐ろしいところは、名を伏せての布教と壺売りなどの詐欺商法は捨て駒である馬鹿な人材に任せ、日本の政財界、法曹界、教育界、マスメディアなどにどんどんエリートを送り込んで乗っ取りを着々と成功させている事である。一流の業界に一流の人材を送り込み、十年二十年後には、気が付いたら乗っ取られていたという訳である。正に戦後の日本社会が見舞われた危機そのものなのである。日本人はいい加減にこの恐ろしい計画が成功裏に進行している事態に気付くべきである。馬鹿な陰謀論と片付ける前に、一度立ち止まって戦後日本の変わり果てた社会構造に目を向ける必要がある。「戦後の常識」を捨てなければ、この理窟への抵抗感は無くならない。日本人は、ほんの一握りの在日朝鮮人や日本国籍朝鮮人に、大切な日本の中枢が奪われて行く現実に一刻も早く目覚めるべきである。

第一勢力の朝鮮人の特徴は、自分たちは朝鮮人では無く、自分の国は日本で、日本人であると考えている事である。勿論、本来の日本人では無く、400年前に日本に連れて来られた朝鮮人を先祖に持つ日本人という事だろう。共通するのは昨日今日日本に密航して来た朝鮮人とは訳が違うと考え、戦後建国された韓国や北朝鮮には祖国としての愛着を持っていないという事である。日本に保護され併合された李氏朝鮮になど愛着はない。だから、伊藤博文は日韓併合に反対したし、安倍晋三首相も韓国や北朝鮮には、ある意味で対抗心を持っている。併し、伊藤博文は、朝鮮服を着、朝鮮式葬式を執り行ない、朝鮮式の墓石の下で眠っている第一勢力の朝鮮人は、こういう自己矛盾を抱えているのである。安倍晋三首相が韓国に強く出たかと思うと、その姿勢に日本の保守層が気を許している隙に、韓国や在日朝鮮人に極めて有利な政策を実現してしまうのも、この自己矛盾の為せる業である。第一勢力と第二勢力には、自ずと上下関係がある。朝鮮人というのは上下の序列を重んじるから、主人と奴隷ができてしまうのである。第一勢力の朝鮮人(=400年前に日本に連れて来られた朝鮮人の子孫たち)は、第二勢力の朝鮮人(日韓併合を機に日本に渡航して敗戦を迎えた者と戦後の混乱期に密航して来た朝鮮人の子孫たち)を見下し、統一教会では専ら布教活動と詐欺商法で酷使されている。

統一教会の恐ろしいところは、第一勢力が支配しながらも、優秀な人材であれば第二勢力であろうとも、取り立ててエリート教育をさせる柔軟さである。馬鹿は酷使するが優秀ならエリートに育て、日本の中枢に潜り込ませる。決して無視してはならないのは、既に日本のエリートとして第一勢力の朝鮮人が日本人として活躍している事である。彼等は決して『日本人の為の日本国の再建』などには取り組まない。だから、日本の為にならない「GHQ憲法の改憲」などという愚にも付かない事に日本国民を巻き込んでおいて、どんどん自分たちによる日本支配を進めているのである。「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」などと言う、誠に馬鹿げた「日本国憲法 前文」をそのままに、第九条を僅かばかり弄(いじ)って何が変わるというのだろう? 日本人は本当に馬鹿になってしまったのだろうか? これほど見縊(みくび)られても、一心に安倍晋三を信じ、きっと我々保守の夢を叶えてくれると、本気で信じ切っている日本国民は大馬鹿者である。

学者も評論家もこんな事に気付く想像力も発揮しないまま、統一教会の片棒を担いで、安倍政権を祭り上げているのである。ここで言う「想像力」とは、朝鮮人特有の妄想などではない。この「想像力」は、「戦後教育」による「先入観」に惑わされず、一切曇りのない目で歴史を見つめ直し、過去、現在から未来へと続く日本国と日本人の在り方を再認識する行為である。この「想像力」とは、何年もかけて「史実の断片」を掻き集め、積み上げた上で、バラバラにしか見えない断片を繋ぎ合わせて、秘められた一枚の絵を完成させる能力である。私はこの作業に半生を賭けている。反日メディアに重宝がられる芸人評論家などとは、根本から異なるスタートラインに立っているとの自負がある。その自負無くして、安倍晋三という政治家に一時的にせよ、この日本を任せる事などできはしない。安倍政権を批判せずして、安倍政権に日本を任せる事などできる訳がない。今回の投稿文は、日本人の未来にとって非常に重大な事案であるから、今後も書き加え、訂正を重ねて推敲していく。私の主張を、単なる馬鹿げた被害妄想としか理解できない方は、このBlogを訪れる必要はない。少しでも気に留めて頂ける方は、再度読み直していただきたい。