「歴史」には、「表の歴史」と「裏の歴史」がある。偽りで糊塗された「正史」(=勝者が改竄した歴史)と「真実の歴史」(=勝者に消し去られた歴史)がある。この「歴史」が持つ二面性は、人類史開闢(かいびゃく)以来ずっと並存してきたものであり、少なくとも文明化された社会に生き、ある程度の教育を受けた者なら、当然ながらこの事実に気づいている。謂わば、世間を渡り歩く為の「建前と本音」のようなもので、「建前」を語る者は、内心では「建前」とは相反する自らの「本音」を自覚していながら、「建前」を信じているかのように振る舞う。歴史にも「本音と建前」のようなもの、「史実と偽史」がある。古来より支那で繰り返されてきた政治思想である「易姓革命」は、「天子は天命を受けて国家を統治しているのだから、天子の徳が衰えれば天命も革(あらた)まり、他の有徳者(=他姓の人)が新たに王朝を創始する」という考え方である。だから支那(現在の中共)は中共以前の王朝を完全否定している。従って、前王朝の伝統文化を否定する中共に4000年の歴史など無い。そして小中華主義の朝鮮では未だに前大統領を投獄する。これが「建前の歴史、勝者に都合の良い歴史」で、所謂「正史(=偽史)」である。国家というものは、往々にして自国民にこの正史を教育するものだが、敗戦国である日本は、日本を正当化する正史ではなく、日本国民に日本を否定する、文字通りの勝者(=連合国、米国)に都合の良い「正史(=偽史)」の教育を強いられた。

それが所謂「東京裁判史観」であり、歴史観・国家観・道徳観に関しては嘘塗れの、偏向しきった「戦後教育」である。現在の日本国民を取り巻く教育環境は、米国を中心とした連合国(=戦勝国)に都合よく創作された嘘で塗り固められた歴史を正史として学ばされ、公的教育も私的教育も押し並べて皆、真実に甚だ不誠実な教育環境が完備してしまっている。「戦後教育」では、「日本建国の神話や史実」の教育は固く禁じられ、日本人が受け継いできた「道徳観」さえ教育の必要はないと断じられた。朝日新聞などは未だに「道徳は教育で強制されるべきものではない」との主張を変えない。そして「戦前=暗黒時代」という日本にとっては誠に馬鹿馬鹿しい歴史観が今や常識となってしまっている。この理不尽な「戦後教育」をより複雑にしてしまったのが第三国の存在である。第三国とは、「戦勝国でも敗戦国でもない国」を指す呼称であるが、この呼称は現在認識されているような差別語などではない。差別語とした方が都合が良い国があるから差別語と言われているだけである。第三国とは朝鮮(後の韓国・北朝鮮)と台湾などを指したが、本来ならこれらの国は第三国などではなく、日本と同じ敗戦国である。日本と共に戦い、日本と共に敗れた朝鮮と台湾だが、日本の植民地であった台湾はともかく、日本であった朝鮮半島を敗戦国から除外して第三国としたのは、戦勝国の悪意ある深謀遠慮と、恩義や感謝、友情という概念を知らない人の道を外れた朝鮮人の嘘であった。

ここで、現代の日本人が絶対に忘れてはいけない、「第三国人」という言葉が生まれた経緯(いきさつ)を確認しておきたい。敗戦後、日本に居た朝鮮人や、日本敗戦から三年後に建国されて韓国人となった、「日韓併合」時代を生きた朝鮮系日本人は、戦時中は多くは志願兵として日本兵と共に戦って、日本と共に敗れたのだから、本来は日本と同じ敗戦国・敗戦国民となるのが道理であった。併し、朝鮮人どもは自ら懇願して日本人となった史実を捻じ曲げて、「自分たちは武力を以って日本に植民地搾取された」と掌を返し、自分たちは米占領軍と同じ立場の「朝鮮進駐軍」だと僭称して、失意のどん底にいた日本国民相手に、略奪、暴行、強姦、麻薬密売、放火、殺戮、など悪逆の限りを尽くした。「オレたちは米国の進駐軍と同じ立場だ」 という嘘をついて徒党を組んで鬼畜の如き犯罪を繰り返す朝鮮人どもがいると聞いて、 当時、日本を占領していた連合国軍最高司令部総司令官マッカーサー元帥は、「いや、彼等は第三国だ!(=連合国とは無関係という意味)」 と言い放った。以後、台湾人を含む、主に朝鮮人を指して「第三国人」と呼ぶようになった。「第三国人」イコール「犯罪者」というのが当時の日本人の常識・肌感覚であったから、朝鮮人どもには後ろめたさという感情など無論ないが、日本人から見れば後ろめたさを感じるであろう呼称である「第三国人」という言葉が、差別語であるかのようになってしまったのである。実際、在日朝鮮人は「第三国人」と聞くと、今でも所謂「火病」を起こす。

マッカーサーは「無関係」と言い逃れたが、そもそも徒党を組んで乱暴狼藉の限りを尽くす朝鮮人どもを勢い付かせたのは、マッカーサーの発言であった。厚木に降り立った連合国軍最高司令官は、「今日は奴隷解放の日だ。日本人により奴隷化されていた朝鮮人が解放される日だ」と宣言したのである。日本には太古の一時期に「生口(せいこう)」と呼ばれた奴隷がいたが、日本人は奴隷制度が悪い事だと本能的に理解して、直ぐにこの「生口」の制度をやめた。それ以降、日本が奴隷制度を取り入れた事実は無い。例外的に、豊臣秀吉の時代に配下の諸大名が、日本人(主に女性)をポルトガル人の求めに応じて30人、50人と海外の物品と交換したという記録が残っているが、これを知った秀吉は直ぐに日本人を奴隷として売り渡す大名を厳しく叱り、同時に東南亜細亜諸国で行なわれていた、日本人奴隷の売買を厳しく禁じる通達を発した。リンカーンの「奴隷解放宣言」後も、アフリカ系米国人を公然と差別していた米国人であるF・ルーズベルト、H・トルーマン両大統領と、日本を占領統治すべく乗り込んで来たD・マッカーサー元帥らにとって、自分たちより日本人が道徳的に優れていては都合が悪かった。だから「奴隷国家だ、侵略国家だ、戦犯国家だ」などと徹底的に汚名を着せる事で、日本を占領統治する為の大義名分としたのである。大統領から命じられた通りに「虚偽の奴隷解放宣言」をしたマッカーサーであったが、在日朝鮮人どもの余りの低劣な鬼畜ぶりに驚いて、「自分たちとは関係無い」と逃げを打ったのである。

敗戦の3年後に建国した韓国は、日本が敗戦するまで、嘗て自分たちが執拗に明治政府に懇願した結果として、国際社会賛同の下で条約により極めて平和的に日本に併合された経緯、「日韓併合の真実」を都合良く忘れた。日本は朝鮮を武力により植民地支配した事実はない。日本には日本の安全保障上の都合が確かにあったが、何故か朝鮮人だけを、台湾人や南の島々の人々と異なり、希望通りに日本人として受け容れる政策を執った。詳細は後述するが、明治政府の中枢に意外なほど朝鮮贔屓の勢力(=日本国籍朝鮮人)が相当数存在したのである。全体の6〜7%程度にしか過ぎない王族や特権階級である両班(やんばん)を除いて、明日をも知れぬ原始生活を送っていた朝鮮人は、日本人になれば、自分たちも世界の一等国民になれると、併合を熱望した事実は、後になって幾ら打ち消したいと願っても、史実から完全に消し去る事はできない。百歩譲って韓国人や北側の朝鮮人が自分たちの力で発展できなかった事を悔しく思うのは理解できるとしても、嘘はいけない。朝鮮を近代化した日本の先人と、朝鮮系日本人となって共に努力した朝鮮の先人に失礼である。二百歩譲って、朝鮮(韓国)国内で妄想に溺れるのは勝手であるが、国際社会に向かって日本を貶め、妄想を史実であるかのように虚偽工作するのは許せない。朝鮮人を観るにつけ、人間として誠実になれと言うだけ無駄である事は分かるが、日本人として朝鮮人の嘘を黙認する訳には行かない。

大東亜戦争に於いては、朝鮮人は朝鮮系日本兵、然も朝鮮人自ら倍率の厳しい志願兵に応募して、日本人と共に連合国と戦った。洪思翊(こうしよく)という陸軍中将は、敗戦後に連合国軍から「君は朝鮮人だろう。日本兵に無理矢理 戦わされたに違いない。そう言えば命だけは助けてあげよう」と唆された。併し、洪思翊は「いや、私は大日本帝國陸軍中将だ」と言って自ら死刑を選択した。現在の韓国や北朝鮮の卑劣ぶりを見ると俄かには信じられない事だが、日本人に教育された朝鮮人の中には、このような立派な軍人も居た。だからからこそ、現在も尚、靖國神社には朝鮮系日本兵の御霊が祀られているのである。出撃前夜アリランを歌って沖縄に特攻出撃した朝鮮系日本兵の光山文博陸軍大尉や、李登輝元台湾総統の実兄の李登欽海軍上等機関兵など、およそ5万人の朝鮮・台湾出身者が靖國神社に祀られている。先人を敬うに日本人も朝鮮人も無い。今があるのは先人のご苦労あってのものだから、支那人も朝鮮人も日本人も、先人への尊崇に垣根など無いのである。それが分からず恩を仇で返す行為を続けるは、天に唾を吐くに等しいのだが、朝鮮人にはこの理屈が通らない。日本人に成り済まして日本社会の中枢に紛れ込んだ朝鮮人が、今では立派な日本人の振りをして、この日本人の真実の主張を封じ込める法律をつくってしまったのだから遣り切れない。

数万人の朝鮮人に武器を持たせて、嫌と言うのに無理矢理 連合国と戦わせる事などできる訳がないではないか。韓国や北朝鮮のように、敗戦後になってから、幾ら「自分たち朝鮮人は日本軍に無理やり植民地支配された」と偽っても、日韓併合中の朝鮮人の多くが、それまで味わった事もない幸福な生活を送ったという証拠は、当時の新聞などに幾らでも見出す事ができる。ひた隠しにしてはいるが、韓国政府や北朝鮮政府も「日韓併合の真実」の記録を隠し持っている筈である。当時の欧米の新聞記事などは何より客観的な証拠文献としての価値がある。米占領軍や朝鮮人の嘘を暴く事など、当の日本人がその気になりさえすれば簡単にできる事なのである。実際、当時は同じ日本人としての使命感や誇りを共有してくれた朝鮮人も大勢いた。だからこそ日本人と共に日本兵として大東亜戦争を戦ってくれたのではなかったか? 現在の韓国政府が建国以来一貫して自国民に国策教育しているような、華々しい「韓日戦争の勝利」など在りはしなかった。韓国が建国された時点では日本は既に敗戦国であったのだから、軍隊など解体されて丸腰であった。韓国とは戦いたくても戦いようがなかった事は自明の理である。その丸腰の日本から「竹島」を奪った事を韓国人は誇りにしているのだから呆れる。韓国は戦勝国などではなく寧ろ日本と同じ敗戦国であったのに、国民に偽りの歴史教育をしているのである。そういう嘘の教育を受けていない在日朝鮮人は自ら「強制連行」の嘘を思い付いて母国同様に被害者詐欺を繰り返す。朝鮮人とは生来、妄想に駆られる病的な嘘つきなのである。現在の韓国では総国民の約40%が統合失調症(昔は精神分裂病と言った)を患っているというし、「火病」寸前で思い止まった経験があると答えた社会人は総国民の99%に達するという統計もある。恩知らずで嘘ばかりついて興奮して喚き散らす朝鮮人の生き様を見るに付け、つくづく成る程なと合点が行く。

前述の通り、朝鮮では数%にしか過ぎない特権階級であった両班たちの中には、朝鮮では常識であった奴隷制度や階級制度を廃止し、王族を除く朝鮮人全員を日本人と同じに平等に扱うという日本の統治方針に反感をもった者もいた。自称独立運動家の卑劣で残忍な遊び人、李承晩は、1919年に上海で組織した「大韓民国臨時政府」が、日中戦争勃発後、中国国民党の蒋介石の支援を受けて、重慶で「韓国光復軍」を創設したと主張している。併し、「韓国戦争記念館」に掲げてあるように、李承晩が「祖国解放のため熾烈な抗日闘争を戦った」というのは事実無根である。実態は、何処にでもいる不満分子による只の散発的ゲリラ事件があった程度で、李承晩に戦闘実績など皆無だったと言っていい。当然、連合国側は李承晩の臨時政府を国として認めず、大東亜戦争末期の光復軍の対日宣戦布告も公式に無効とした。然るに、韓国は図々しくも「サンフランシスコ講和条約」の署名国としての地位を求めたが、これもあっさり連合国側から拒否された。李承晩の「韓国光復軍」の創設年が、日本がパリ講和会議の国際連盟委員会に於いて「人種差別撤廃提案」(基本的には民族自決と同義)を訴えた年と同じであるとは皮肉な偶然である。「戦後教育」で史実を隠蔽され、真実を教育されていない現代の日本国民も、韓国々民とは正反対の虚偽教育を同時に受けている現実も、また皮肉としか言いようがない。日本人たる者、最低限の知識として「日韓併合の真実」や、敗戦後の「朝鮮進駐軍」による犯罪、そして「第三国人」の謂れくらいは知っておくべきだろう。

敗戦後73年、日本はサンフランシスコ講和条約締結(占領軍からの独立)後、既に66年目を迎えている。一体いつになったら「勝者が創作した偽史」を学ぶ「戦後教育」や、在日朝鮮人や韓国への卑屈な優遇をやめるのだろうか? 根本から否定されてしまった「日本建国の神話」や「日本独自の社会構造」、「日本独自の社会規範=道徳観」を日本人はもう一度思い出すべきである。 …敷衍(ふえん)すれば、日本人は「身に付いてしまった間違った常識」から自らを解き放つべきである。勝者に押し付けられた偽りを盲信している限り、日本人は正しい歴史観も、正しい国家観も、日本人本来の道徳観も、取り戻す事はできない。言い換えれば今の日本人は、先人が築き上げてくれた「歴史観や国家観、道徳観」という、日本人が依って立つ精神的支柱を忘れてしまっているのである。今の日本人は、「強者」と「強者の振りをする敵対的外国勢力」に都合よく振り回されるだけの「根無し草」に堕している。だから日本国民の将来に亘っての幸福など二の次三の次ぐらいにしか考えていない、保守の振りをした安倍晋三に好き放題にやられながら、馬鹿な言論人の「安倍さんは正しい」などという戯言(ざれごと)を信じるのである。新聞やテレビなどのマスメディアは、ほぼ完全に朝鮮人に乗っ取られてしまっているから、観るだけ時間の無駄であるばかりか、寧ろ日本人としての人生に害毒しか及ぼさない。YouTubeなどで支持されている識者や言論人も、保守で在りたいと願う日本国民には全く役立ってはいない。「安倍政権への支持」や「GHQ憲法の部分改憲支持」を得々と主張する似非(えせ)保守言論人の人気が高いのは、日本国民の救いようのない愚かさを端的に表している。

保守主義の言論人として名の売れている者ほど、根本的な歴史観・国家観・道徳観を見失なっている。彼等の発言の全てが間違っているとは言わないし、成る程と同意できる主張も数多くあるにはある。併し、彼等自身が積み上げてきた知識の出発点とも言える「根本」が狂っているから、歴代自民党政権や現在の安倍政権の恐ろしさに全く気づいていない。保守の振りをした売国奴に騙されているのである。狂っている「根本」こそが、歴史観・国家観・道徳観なのである。だから保守論客として先人を敬うような言動を取りながら、一方では「日韓慰安婦合意」を追認したり、或いはそれを安倍首相ならではの政治的英断と褒め称えたりする。そして、平気で「GHQ憲法の改憲」に賛成するという愚かさを露呈する。何が識者だ?言論人だ?と問い質したい。重要だから何度でも書くが、「前文」からして滅茶苦茶な「GHQ憲法」など、第九条だけ部分改憲しても、本質的には日本に資する事は無きに等しい。「改憲」は、国際法違反の「GHQ憲法」に後付けの法的根拠を与えるだけである。さっさと「破棄」するのがいちばん良いのである。それを、挑戦する前から困難だと諦めて弥縫策(びほうさく)に走るのは怠惰というものだ。彼ら自称保守言論人に限って、所謂「ヘイトスピーチ対策法」「マイナポータル制」という、日本社会の根幹を揺るがす悪政に対しては表立った反論は何ひとつしていない。彼等は保守派論客などではなく、我が身の無知に気づかない愚か者か、無知なのに博識の振りをして小銭を稼ぐ只の臆病者である。「東京裁判史観」と「戦後教育」がつくり上げた虚構の上に職を得ている卑怯者である。

彼等、知識人・言論人が恐れているのは、日本の中枢を支配している朝鮮人実力者の無言の圧力である。権力を手にした朝鮮人に睨まれたら、日本での知識人としての地位は簡単に奪われてしまう。大学教授や評論家・ジャーナリストは抗いようのない目に見えない力で社会的に抹殺されてしまうと恐れているのである。多くの日本国民が気付いていない、日本を朝鮮人に住み良い国に改造する計画は、明治維新以降、着々と進んでいる。政治家やマスメディアやアカデミズムが渾然一体となって150年も昔から、良からぬ方向に改造してきた日本という国は、本当の日本人である大和民族が気を許しているうちに、いよいよ悪しき完成の域に達しようとしている。日本人の為ならぬ朝鮮人の為の国家、日本が完成されようとしているのである。この警鐘は、日本人にとって最後の警鐘であると断言する。常識を盲信するべきではない。敗戦後に学び身に付けた常識と異なるからといって、この警鐘を軽視して鼻で嗤う者は、それと気付かぬうちに朝鮮人に国を乗っ取られ、日本人としての生存の場まで奪われてしまうだろう。後には日本という朝鮮人の国が残り、そこでは日本人は貧しい底辺で細々と生かされ、豊かな日本人を名乗る朝鮮人に支配される、朝鮮人の為の日本が完成するのである。

大和民族滅亡の序章は既に終了し、今はクライマックスに差し掛かっている。現在も続く、韓国や北朝鮮のような悪しき階級社会が日本に移植され、完成してしまったら、日本人は生きる場を失なうのである。そこには幸福な人生など無い。そんな事を許しては、もはやこの国は日本ではなくなってしまう。日本に肉薄して、既に日本を我がものと思い込んでいる危機の正体に気付き、日本人が自己防衛の為に残された最後の戦いに立ち上がらないと、この大切な日本が、朝鮮人に背乗りされ、事実上滅亡してしまうのである。総ての日本人は、今のまま呑気に暮らし、みすみす座して死を待つのではなく、今こそ大和民族としての「生存本能」を最大限に発揮するべきである。 …(4の2)に続く。