そもそも、海を隔てた朝鮮からなぜ大勢の朝鮮人たちが日本に渡ってきたのか? 日本国籍朝鮮人・在日朝鮮人の害毒を語る時、この疑問に明確な答えを出しておく必要がある。隣国であれば、大昔でも使節団や個人での行き来があったのは当然であるが、いちどきに大勢の朝鮮人が日本に住み着いたのは、文禄元年(1592年)から慶長3年(1598年)に掛けての、豊臣秀吉による「朝鮮征伐」(文禄・慶長の役)の際の「朝鮮人陶工および人足たちの家族共々の連れ帰り」だろう。これについては「強制連行」と言われればその通りだが、朝鮮では歴史的に「作業をする者は身分卑しき者」と見られる、日本人から見たら可笑しな理屈の階級社会であった為に、陶工たちは決して恵まれた生活を保証されていた訳ではなく、職人として重用(ちょうよう)してくれる日本に来る事を望んだ者も少なからず居たと考えられる。陶工とは異なり、何の特技もない人足たちも、朝鮮で白丁(最下級の奴隷)として虐げられるより、まともに賃金を払ってくれる日本に行った方がマシだと考えた事だろう。実際、帰国を望んで果たせなかったといった陶工や人足の悲話などは語り継がれてはいない。後付けで創作されたものを除けば皆無である。

日本では大河ドラマに取り上げられるほど秀吉の人気は高いが、韓国では、豊臣秀吉は未曾有の侵略者、大悪人と教育されている。韓国が自国民に秀吉を侵略者と教育するのは勝手だが、問題なのは日本の学校でも「朝鮮征伐を秀吉の侵略」と教育している事である。この16世紀に起きた当時世界最大の戦争を、日本は日本人の視点で解釈するべきだが、悲しいかな、今も安倍政権が決してやめようとしない「戦後教育」では、日本が関わった戦争は全て侵略戦争としか教えられない。現在の韓国・北朝鮮が日本を侵略者呼ばわりするのであれば、鎌倉時代の二度に亘る「元寇(文永の役1274年、弘安の役1281年)」こそ侵略ではないか? 蒙古(大元帝国)軍の手勢となる事を自ら買って出て日本を侵略し、対馬や壱岐の人々に言語を絶する蛮行を働いたのは高麗軍であり、朝鮮こそ侵略者である。豊臣秀吉による「朝鮮征伐」は後述の通り、日本の動機は「安全保障」であったが、高麗には日本のような大義名分は無かった。『元史』には、フビライ・ハーン(大元帝国初代皇帝)に平伏(ひれふ)した高麗の趙彜(ちょうい)が日本への使節派遣を促し、高麗の忠烈王に到っては盛んに東征(日本侵略)を勧めた(唆した)との記録がある。高麗軍は朝鮮民族の常として、非武装で抵抗できない相手と見るや、必要量の何十倍もの兵力で襲い掛かり、暴虐の限りを尽くした。朝鮮民族の対馬・壱岐住民への残虐ぶりは日蓮聖人も「阿鼻叫喚」と書き遺している。日本だけが一方的に侵略者呼ばわりされる筋合いは無い。

先の大戦に敗戦後も、米国が考え出した「太平洋戦争」という不適切な呼称を強要され、すっかり朝鮮人に支配されてしまった教育界もマスメディアも、この誤った呼称を恣意的に使い、日本の自衛戦争でもあり、当時の日本政府が正式に命名した「大東亜戦争」の呼称を絶対に使おうとはしない。日本国籍朝鮮人や在日朝鮮人に権力を与えた、米国の占領・洗脳政策が如何に強引で巧妙狡猾であったとはいえ、「東京裁判史観」(=先人を貶める偽りの歴史観)から、日本政府と日本国民自らが、現在に至るまで、そこから只の一度として脱却しようと決断し行動した事が無かったのは、日本人としては誠に情けないと言わざるを得ない。長らく日本の政権政党の座に就いてきた歴代自民党政権の恣意的不作為の罪は限りなく重い。その自民党政権を支持し続けた日本国民も愚かである。私自身も自民党政権を支持せざるを得なかった事には忸怩たる思いと後悔の念が絶える事はない。そんな為体(ていたらく)だから、「太平洋を隔てた米国に我々の先人が勝手に無謀な侵略戦争を仕掛けた」という誤った歴史観に日本国民は益々馴染んで、その中に安住し、「保守」でありながら「親米」という矛盾が分からないのである。「保守」と「親米」の両立は無論可能だが、「戦後の日本人の親米保守の在りよう」は明らかに常軌を逸している。日本人の立場から言う所の「親米」は、国際社会からの客観的理解では只の「隷従」である事に日本人は気付いてもいない。今の日本人には、日本背乗りを着々と実行する朝鮮人に対峙する前に、先ずは身に付いた奴隷根性を捨て去る必要がある。併し、この問題提起は本稿の論旨から逸れるので、これについては別稿で改めて取り上げたい。

話を戻すと、「大東亜戦争」と同じく、「文禄・慶長の役」(朝鮮征伐)とは、日本にとって「安全保障上、不可避な選択」に他ならなかった。当時の東亜細亜に於いて、未だスペインに植民地にされていなかったのは、(朝鮮半島を含む)明王朝と、豊臣秀吉によって統一された日本のみであったと言ってほぼ間違いない。スペインによる植民地化の尖兵としてフランシスコ・ザビエルが初来日したのは、天文18年(1549年)の事、ポルトガル船の乗組員が種子島に火縄銃を伝えてから6年後、「文禄・慶長の役」(朝鮮征伐)の43年前の事である。勿論、ザビエルら宣教師は、表向きはキリスト教の布教を目的としていた。併し、始めに宣教師を送り込み、布教活動の傍ら宣教師は、その国の情報を事細かに収集して母国に報告するという密命を帯びていた。宣教師からの報告を受けたキリスト教の母国は、その地に富があり、自分たちより弱い国であると判断すれば、略奪や殺戮という蛮行を働く軍隊を送り込み、改宗させた国を武力で滅ぼすか植民地化してしまうのである。それがスペインを始めとした西欧列強諸国の世界支配・植民地獲得の常套手段であった。宣教師は慈悲深い神の福音を説きながら、裏では侵略軍の斥候の役割を担っていたのである。

スペインはザビエルから当時の日本が亜細亜最大の鉄砲保有国家である事や、日本の各藩には大勢の武士(=兵士)が常時帯刀し、弓・槍なども保有(=武装)しているという情報を得ていた。スペインの無敵艦隊と雖(いえど)も、当時の日本は、既に、おいそれとは手を出せない手強い武装国家であった。長い航海の果てに戦って容易に勝てる相手ではなかった。併し、明王朝がスペインに屈してしまえば、支那大陸や朝鮮半島はスペイン軍の兵站拠点となるばかりか、植民地化された明や朝鮮が、スペイン艦隊の指揮の下、数にものを言わせて一斉に日本へと攻め込んでくる恐れが現実味を帯びてくる。秀吉にはその危機が明確に見えていたのである。秀吉には、その国難を避ける為には、スペインより先に明を支配しようと試みる他ないと分かっていた。最悪でも朝鮮半島を緩衝地帯とする事ができれば、日本の安全は保障される。そのような先見性に基づく共通認識があったからこそ、各藩の大名は秀吉に進んで協力したのである。「文禄・慶長の役」で日本が武力を誇示して見せなかったら、明(及び朝鮮)はスペインの兵站拠点となるばかりか厖大な手勢となって襲来し、日本はスペインの植民地となっていただろう。16世紀も、20世紀も、そして21世紀以降も、朝鮮半島は日本にとって安全保障上の要衝なのである。朝鮮半島が「日本の脇腹に突き付けられた匕首(あいくち)」と言われる所以である。

歴史を語る時に仮説を持ち出すのは無意味と言われるが、仮説を思案して想像力を養う行為は決して無意味ではない。もし、豊臣秀吉ではなくキリスト教に寛容な織田信長の時代が続いていたら、果たして日本は「朝鮮征伐」という壮大な先手を打っていただろうか? 信長にとっては、本願寺や廷賦寺などの仏教の一大勢力は天下統一の邪魔でしかなく、邪魔な仏教勢力に対抗させるには、キリスト教は絶好の新興勢力であった。更に、キリスト教は天下統一の障害どころか、宣教師と外国貿易とが固く結びついている事が信長には大きな魅力として映った。宣教師たちはキリスト教を許せば貿易船がやってくると信長に吹き込んで、各藩諸大名へのキリスト教布教のお墨付きを得た。宣教師が来れば、時計や望遠鏡など、様々な日本には無い珍しい物品を入手できるし、同時に西洋の進んだ知識も取り入れる事ができる。信長も稀代の天才のひとりであったが、信長には信仰心など無かった。天下統一の大事業を進めていた信長には、宣教師が帯びている密命など見えていなかったのではないか? 信長の時代が続いていたら、捕食動物が更に恐ろしい捕食動物に喰われるように、日本は最終的には支那・朝鮮経由でスペインの餌食になっていたかも知れない。何れにせよ、信長が宣教師に布教活動の便宜を図り、秀吉はバテレン追放令を出したのは紛れもない史実である。

15世紀の大航海時代に世界進出を開始した西欧列強が、やがて亜細亜のほぼ全域を植民地化してしまった当時、もし、豊臣秀吉が「文禄・慶長の役」を起こさなかったら、「明治維新」を迎えるまでもなく、日本は西欧列強に植民地化されていた筈である。彼ら白人帝国主義国家は有色人種国家に対して、如何に傍若無人で残忍な侵略行為を行なってきたか…。その実態を知るにつけ、16世紀の日本に現れた豊臣秀吉という天才が、当時の日本を取り巻く国際情勢を見事なまでに正確に理解し、その上で驚くべき的確さで先見性を発揮して、日本という国を救った史実に驚かされる。日本人は日本人の視点で歴史を学び直すべきである。NHKテレビが「大河ドラマ」と称して取り上げる秀吉像は、決まって貧しく無学な農民が一代で天下人まで上りつめていく、実に単純なサクセス・ストーリーの主人公とお決まりである。「戦後教育」では、必要もないのに老いて尚、他国侵略まで企図した権力の亡者と教え、公共放送を僭称する自虐的マスメディアの代表格は、成功者であると同時に事実上一代限りの哀れな天下人として描くのだから、日本国民に「文禄・慶長の役」の歴史的意義など周知される訳がない。本稿4の1の冒頭で述べた通り、歴史とは「勝者と勝者を騙る第三国に都合良く創作された正史(=偽史)」であるから、自分で史実(=真実)を知ろうと何の努力もしないまま、未だ「東京裁判史観」から抜け出せないでいる日本人は、真実を知らぬまま朝鮮人にこの国を乗っ取られてしまうだろう。

大航海時代を迎えた白人たちは、アフリカでも、中東でも、亜細亜でも、有色人種を自分たちと同じ人間とは考えていなかった。そうした白人帝国主義諸国の恐ろしさを豊臣秀吉は、いち早く見抜き、日本を救う英断を下し、それに成功したのである。350年に亘りインドネシア産の香辛料を独占的に収奪したオランダは、19世紀に入ると、強制的栽培制度を導入し、自称、耕作地の5分の1(実際は半分)を、コーヒー・砂糖・藍などのヨーロッパ市場向け作物の強制栽培を強要した。これによる巨額な収益は当時のオランダの国家予算の3分の1を占めた。インドシナ半島東部を支配したフランスは、土地没収令を出して、申告のない土地をフランス人入植者らに無償で与えた。フランスは、農地を奪って農民を小作農とし、やがて債務奴隷へと追い込んだ。イギリスは、インドの綿織物輸入で利益を上げていたが、産業革命で自国の紡績産業が盛んになると、インドの綿製品には課税し、自国の綿製品は免税品として逆輸入させた。これによりインドの紡績業は大打撃を受け、織物生産の一大拠点へと成長していたダッカの人口は激減した。イギリス人のインド統治は凄まじく残酷で、優秀なインド人の子供が将来自分たちに逆らわないように、成人前に手首を切断した。また、茶葉の輸入により輸入超過となったイギリスは、支那(清)へと流出した多額の銀を取り戻す為に、インドに芥子(ケシ)栽培を強制し、支那に大量の阿片密輸を強要して暴利を貪り、支那が阿片密輸を拒むと恥知らずにも阿片戦争を仕掛けた。香港の99年間の租借はその産物であった。現代の中共がこれを真似て、スリランカを騙して高利貸し宛(さなが)らに、ハンバンドタ港の使用権を99年間獲得したが、脛に傷もつイギリスはこれに一言の異論も挟めない。

豊臣秀吉の驚くべき情報収集能力と分析力、そして比類なき先見性により、日本は(特例としてのシャムを除いて)亜細亜で唯一西欧列強の植民地にならないで済んだ。併し、「文禄・慶長の役」で海を渡った武将たちの中で、薩摩藩・長州藩などが大勢の朝鮮人陶工と人足たちを家族ぐるみで連れ帰ったのは、日本にとっては返す返すも取り返しのつかない誤ちであった。本稿の冒頭で、示した「何故、これほど多くの日本国籍朝鮮人と在日朝鮮人が日本に住み着いているのか?」の疑問のひとつが、「長州藩らによる朝鮮人の日本潜伏の手引き」である。朝鮮人が「秀吉を嫌い」、「文禄・慶長の役」を、「日本の侵略」というのは構わないし、「朝鮮人陶工を強制連行した」と言うのも構いはしないが、日本にしてみれば、安全保障上の必要に迫られて秀吉が決断した「文禄・慶長の役」に乗じて、薩長などが朝鮮人陶工や人足たちの一団を連れ帰ったのは、「この上なく穢れた害敵を自らの内に招き入れた愚かな行為」と言うしかない。本稿で4回に亘って主張したかったのは、「日本国籍朝鮮人と在日朝鮮人の本質を詳らかにする」事と、「現在の日本が彼等朝鮮人により亡国の淵に追い詰められている」と言う、危機意識の喚起である。現実を知れば知るほど、今更、真実を知り、危機感を持ったところで、既に手遅れの感は否めないと思うだろう。前述の通り、大和民族とは正に絶滅危惧種であり、そのベクトルを変える事などできないのかも知れない。併し、「戦後教育」がつくりだした痴呆どもに何と言われようと、必要な警鐘を鳴らし続けるのは、真実に気付いた者の逃れ得ぬ使命なのである。

「文禄・慶長の役」で、朝鮮半島に遠征した大名が連れ帰った朝鮮人たちは、単身ではなく家族共々連れて来られた。長州藩は朝鮮人被差別部落を藩内につくり、日本人と交わらないようにと隔離はしたが、その隔離政策は決して徹底されたものではなかった。朝鮮人隔離政策が緩かったから、討幕の志士たちの中に多くの朝鮮人が紛れ込めたのである。朝鮮人被差別部落の全員は明治維新により自動的に日本国籍を取得した。山口県の田布施町(嘗ての周防国)は長州時代の朝鮮人被差別部落である。鹿児島県の田布施も山口県の田布施と同じ朝鮮人被差別部落である。小泉純一郎元首相の実父、小泉純也は上京して小泉又次郎というヤクザ(刺青大臣と言われた)の婿養子となって小泉姓を名乗った。大昔に日本に連れて来られた日本国籍朝鮮人も、敗戦後に不当に居座って日本国籍を取得した日本国籍朝鮮人も在日朝鮮人も、あらゆる手段を講じて度々改名して出自を隠す者が多い。「維新の三傑」のひとり、木戸孝允は幕末期に桂小五郎と称していたし、伊藤博文などは、12回も姓名を変えている。文久2年(1862年)正月に書いた手紙には「俊輔生」と署名している。この頃つかい始めた通称が「博文」という諱(いみな=本来は死後に敬ってつけられる名)、「春畝(しゅんぽ)」という雅号と共に、高杉晋作が考えたといわれる。生前に諱をつかうというのは如何にも不自然である。慶応3年(1867年)2月に書いた手紙には「宇一拝白」と署名している。伊藤は慶応2年(1866年)正月に「林宇一」と改名している。伊藤の父の十蔵が伊藤家の養子になる前は林姓だった。

日本は古来より家柄を重んじ、家督は代々受け継がれてきた。「名を惜しむは武士の常」という教えもある。「名を惜しむ」とは、名誉が傷付けられるのを恐れるという事である。名誉に傷がついたから安易に名を改めるなど日本人は絶対にしない。併し、日本に住み着き、日本人に成り済ます在日朝鮮人は「通名」を時々の都合に合わせて自由自在に使い分けてきた。平成24年(2012年)7月以降、住民基本台帳法が改正されて、特別永住者(=在日朝鮮人)証明書に通名記載が無くなった(=通名を公的手続きに使用できなくなった)。日本国籍朝鮮人の戸籍は99%以上が日本名だから、在日朝鮮人のように「通名」を持っていない。そこで朝鮮人が新たな姓名を変える為の手段として度々利用されるのが養子縁組という方法である。伊藤博文の父も、小泉純一郎の父も、安倍晋三の父も養子縁組をしている。三人とも元を正せば、伊東でも、小泉でも、安倍でもなかった。別稿で既に明らかにしている通り、伊藤博文が朝鮮人被差別部落の出身である事は先ず間違いないから、日本銀行券の千円札に肖像が使われている日本の初代内閣総理大臣は日本国籍朝鮮人という事になる。これを「奇異な妄想」、或いは「陰謀論」と片付ける戦後日本国民の悪しき風潮こそが、日本無力化の一環として始められた、所謂「戦後教育」の害毒であると、日本国民が気づくのは一体いつになるのだろうか? 

日本の歴代内閣総理大臣たちの多くは日本国籍朝鮮人である。伊藤博文、岸信介、佐藤栄作、小泉純一郎、安倍晋三が日本国籍朝鮮人である事は周知の事実、公然の秘密である。菅直人も公式には山口県宇部市出身となっているが、宇部市と田布施町の距離は僅か72kmであるから、同郷と言っていい。カナダ出身のジャーナリストで、米経済紙「フォーブス」の元アジア太平洋支局長であるベンジャミン・フルフォードは、戦後日本の内閣総理大臣で純然たる日本人は、田中角栄と小渕恵三の二人だけだと公言している。陰謀論の大御所とも言われる彼の言説の裏どりはしていないが、強(あなが)ち嘘とも言い切れないだろう。ちょっと調べただけでも、朝鮮人被差別部落(=田布施)出身者に、伊藤博文、木戸幸一、宮本顕治、河上肇、難波八助、松岡洋右、安倍源基(敗戦時の内務大臣)、賀屋興宣などがいる事実に容易に辿り着く事ができる。岸信介、佐藤栄作、安倍晋三も、この田布施の血脈を引く末裔である。最近のマスメディアでは、自民党総裁選の話がしきりと取り沙汰されているが、安倍三選は堅いだろう。もっとも、正式な出馬表明こそ未だであるが、安倍・石破・野田の三氏の歴史観は、すべて狂っている。そして三氏共に朝鮮とは浅からぬ縁があるのだから、日本人としては堪らない。前回の総裁選では石破茂を応援した小泉進次郎は、未だ石破支持を明確にしていないが、在日朝鮮人三世である進次郎自身が、世のおばさんたちから絶大な支持を集めて、次世代の内閣総理大臣の呼び声が高いと言うのだから、日本が朝鮮人支配から脱却するのは相当困難である。

400年ほど昔に薩長が連れてきた朝鮮人が「第一グループ」とすれば、「日韓併合」を機に日本に移住し、或いは敗戦後もひたすら日本目指して密航して来た朝鮮人は「第二グループ」の朝鮮人である。どちらも朝鮮人に違いはないのだが、両者は必ずしも良好な関係で連携しあっている訳ではない。「第一グループ」の朝鮮人は古くから日本に住み着いている為か、「第二グループ」の朝鮮人より優越意識が強い。朝鮮人独特の階級意識なのだろうが、純然たる日本人を見下すという意味に於いては見事なまでに協力関係をつくる。朝鮮人の恐ろしい処は、自分たちが外国人であるという自覚を忘れ去ってしまう処である。母国への執着はあるのだが、決して帰国しようとはせず、進出した地に末代までも居座り、ひたすらその国の人間に成り済まそうとする。彼等以外の日本人には理解不能な事だが、彼等は「自分たちこそ日本人である」と信じている。そういう彼等は、正真正銘の日本人を精々「先住民」程度にしか考えていない。千数百年も昔に、濊族(わいぞく)とエヴェンキ族を乗っ取り、やがて高句麗を乗っ取り、百済、新羅を滅ぼして乗っ取ってしまったように、彼等は成り済ました民族に取って代わる(背乗りする)のである。元を正せばロシア最南端のチェルーヴィーヴォロタ洞窟に隠れ住んでいた「黒い山葡萄原人」が今の朝鮮人であり、彼等の末裔に日本は乗っ取られようとしているのである。

パク・チョンファ蔚山科学技術院(UNIST)ゲノム研究所長(生命科学部教授)が率いる国際共同研究チームは、「中朝国境・豆満江(支那名;図們江)の北にあるロシア・アムール川流域の『悪魔の門の洞窟(Devil's Gate cave)』で発見された7700年前の人類のゲノムを解読した」と明らかにした。「悪魔の門の洞窟人」の遺伝子は、現地に住むウルチ(Ulchi)族と最も似ており、近くの先住民を除く現代人の中では韓国人が最も近い事が判明した。この研究結果は国際学術誌「Science Advances」に掲載された。 韓国・ロシア・イギリス・アイルランド・ドイツの科学者たちが参加したこの国際研究チームは、「悪魔の門の洞窟」で発見された20代と40代の女性の頭蓋骨からデオキシリボ核酸(DNA)を抽出し解読した。ゲノム研究所のチョン・ソンウォン研究員は「細胞核DNAだけでなく、母系にのみ遺伝する細胞核以外のミトコンドリアDNAも主に韓国人が持っているものと同じだったと報告している。遺伝子で見ると、悪魔の門の洞窟人は韓国人の祖先とほぼ同じだと言える」と説明した。洞窟人は現在の韓国人のように褐色の瞳と凹型の前歯(shovel shaped incisors)を作る遺伝子を持っていた。牛乳を消化できず、高血圧に弱く、乾いた耳あかが出るという遺伝的特徴もあったという。

また、遺伝子レベルでホモ・サピエンスと朝鮮人がどれほど懸け離れているかについては、次の事例からも明らかである。 ソウル大学医科大学遺伝体医学研究所とマクローゼン生命科学研究所が、「韓国人18人の遺伝子を分析した結果、220万個以上の新しいゲノム変異が見つかった」と、遺伝学研究者にとって必読の原著論文ジャーナル誌Nature Genetics(電子版)で発表している。同研究グループは2008年から「亜細亜人の遺伝体多様性プロジェクト」を複数回実施し、今回は3回目の研究として、遺伝疾患のない韓国人18人(男性11人、女性7人)のゲノム(全遺伝情報)を分析した。韓国人18人からは、950万個以上の変異(遺伝子を構成する塩基配列の違い)が確認され、うち220万個は今回初めて発見された。この変異塩基配列の約120万個は、現在の韓国人の10%以上が有している。アラビアのラクダ特有の病気である筈のMERSウィルスに、どうして韓国人だけが感染したのか? 失なわれた筈の類人猿ミノスの習性であったといわれる、脱糞攻撃が何故いまもって朝鮮人特有の習性として残っているのか? 米人類学者Cavalii-Sforzaの遺伝子勾配データによれば、 朝鮮人は世界でも類を見ないほど均一なDNA塩基配列の持ち主であり、これは過去に於いて大きなGenetic Drift(少数の人間が近親相姦を重ねて今の人口動態を形成)したか、或いは、近親相姦を日常的に繰り返す文化の持ち主だった事を表す。朝鮮人を指して「ヒトモドキ」などと悪口を言うつもりは無いが、朝鮮人は明らかに我々日本人とは異なると断言して良いだろう。

400年ほど昔に日本に連れて来られ、明治維新を迎えるまで隔離されていた朝鮮人被差別部落から、多くの政治家や内閣総理大臣が輩出されている事実は、もはや誰も否定はできない。日本人とは明らかに異なる朝鮮人によって、日本社会の枢要な各層が既に支配されてしまっている事実を、所謂、知識人や言論人は知っていながら知らぬ振りを決め込んでいるのである。岸信介や児玉誉士夫らが米CIAによって操られていた日本国籍朝鮮人である事も、日本を愛する本ものの保守言論人ならば、ひとりでも多くの日本人に知らせる使命を果たそうとする筈だが、彼等は決して朝鮮人に都合の悪い真実には触れない。自称保守言論人どもは、日本で日本国籍朝鮮人の実力者に目を付けられたら、社会的に抹殺されると怯えて、皆、口を噤んでいるのである。朝鮮人に都合の悪い事実は戦後の日本社会ではタブーとされてきた。「大東亜戦争」に敗戦した直後の日本で彼等が「朝鮮進駐軍」を僭称して、言語に絶する蛮行を働いた事実は、今ではごく一部の日本人しか知らない。「日韓併合」以降に、日本に自由渡航してきた朝鮮人の多くは、敗戦後も半島に帰還せず日本に居座り、その後も続々と密航してきて在日として不当に居座ってしまっている。その上、「自分たちは無理やり強制連行されてきた被害者だ」と嘘をつき続けている。その嘘を論破しようとすると、「差別だ、ヘイトだ」と騒ぎ出し、朝鮮の血を引く安倍晋三は、所謂「ヘイトスピーチ対策法」をつくって、日本人だけの口を封じた。その安倍晋三が今、自民党総裁(=内閣総理大臣)三選を果たそうとしている。

本当に日本全体が、ほぼ背乗りされてしまっているという、有史以来の危機に日本は晒されているのである。安倍は、移民政策に反対しながら、実際の日本が『朝鮮人移民大国』である事実をひた隠しにしている。消費税は上げないとの公約を反故にして、消費増税の方針を決定してしまった。日本の貧富の差は益々開き、労働者派遣法の適用範囲拡大と、外国人労働者受け入れによって、事実上、一般庶民の所得は低水準に抑えられ、賃金上昇の可能性はいよいよ絶たれてしまった。保守主義者、タカ派の振りをしながら、村山・小泉の売国談話を継承し、河野洋平をとうとう国会証人喚問もせずに、うやむやにしてしまった。唐突に先人の冤罪を認める「日韓慰安婦合意」を結び、朝鮮人の嘘を野放しにして、真実を主張する日本人だけに口封じをする、所謂「ヘイトスピーチ対策法」を立法化してしまった。日本国民の個人情報の総てを韓国に丸投げするに等しい「マイナポータル制」に踏み切るに至っては、安倍を売国奴と呼ぶに相応しすぎるほどの証拠が揃ったと言えよう。「GHQ憲法」の非常識な「前文」には触れずに、第九条の口だけ改憲を唱えていれば、似非保守層はついてくると安倍はタカを括っている。安倍が何をやってもやらなくても蒙昧な安倍支持者は安倍を支持し続けるから、いよいよ調子に乗って安倍は功を急いだ。今こそ売国行為の露呈の数々に日本国民は目を向けるべきだ。

来年は今上天皇が譲位される年であるが、今まで一貫して女系天皇には反対していた安倍は、その遣り口から見て、恐らく前言を翻して女系天皇を認めてしまうだろう。一気呵成に売国行為に走る安倍晋三の油断が、日本人の覚醒の契機になる事を期待したい。最後に、誠実に「戦後教育」を学び、マスメディアが創り出す虚構の中での生活を強いられている日本人に「常識を疑え!」との言葉を送りたい。ともすれば「常識」とは「思い込み」、「間違い」である場合が多いものである。皆さんは「月見草(ツキミソウ)」の花の色をご存知だろうか? 多くの日本人が「月見草」の色を「黄色」と答えるだろう。併し、それは思い込みであり、間違いである。正しい答えは「白色」である。「ツキミソウ」と勘違いされている花の名は「マツヨイグサ」或いは「メマツヨイグサ」である。米国原産で明治時代に、この黄色い花は日本に根付いた。本当の「ツキミソウ」は、江戸時代に鑑賞用として渡来したメキシコ原産の花である。「ツキミソウ」はの花は夕暮れ時に白く咲き、翌朝には赤く萎れる。私は小学五年生の時に通った学習塾(元教員の一般のご家庭)の庭に咲く黄色い花を、塾の先生から「ツキミソウ」と教えられて以来、「ツキミソウ」は黄色い花だと信じてきた。疑う理由は何も無かった。だが、今、本当の「ツキミソウ」の花の色は「白い」と知っているのは、常識を疑い、自ら調べて自ら学んだからである。日本を高度成長に導いた歴代自民党政権とは、殆んど…恐らくは半数以上が朝鮮人で閉められている売国政党である。「そんな非常識な…」などとハナから拒絶せずに、一度ご自分の目で見直して真実に気付いていただきたい。
日本人よ、「常識を疑え!」