前回は、「明治維新」及び「大東亜戦争敗戦」という歴史の大きな節目に、時の権力者によって「大嘘」が考え出され、日本国民は好むと好まざるとに関わらず、その「大嘘に洗脳」されてきたという話をした。この「二つの嘘を」白日のもとに晒し、日本人が真実に目覚めなければ、我々大和民族は早晩この地球上から滅び去ってしまうという話もした。嘘に騙されただけで我が国家・民族が滅びてしまうなどというのは些か大袈裟すぎると思われる方も多いだろう。併し、前回に続いて念押しするのは如何にも諄(くど)いようだが、日本人が滅びてしまうという表現は決して大袈裟な表現などではない。近年、その恐れは限りなく現実味を帯びてきたと言える。現下の我が国は事実上日本人にではなく異民族(=朝鮮民族、ユダヤ人を中心としたグローバリスト、及び米国人を始めとしたアングロ・サクソン=白人)とその手先に支配されてしまっている。このBlogに目を止め、読んで下さっている方々の大多数は「何を馬鹿な事を書いているんだ?」「幼稚な陰謀論か?」或いは「単なる差別主義者だろう」と思われる事だろう。併し、現実にはこの「二つの嘘」に騙され、悪意ある「異民族」に喰い物にされている限り、早晩 日本は滅びてしまうという話は、架空の物語でもなければ誇大妄想でも何でもなく、勿論、人種差別でもない。間違いなく日本人が真摯に向き合わなければならない現実の課題であると私は信じている。だからその現実を一人でも多くの日本人に理解していただき、今すぐに対抗策を講じて欲しいという思いから、このBlogを通して真実と信じるところを訴えかけている。


皆さんには是非、頭ごなしに否定するのではなく、例え半信半疑であっても大切な日本という国と自分の子供たち、ひいては私たちの子々孫々の為に、少しの時間を割いてこのBlogを読み続けていただきたい。とは言え、人は十人十色であり、「好き嫌い」とか「主義主張」も異なれば、厄介な「先入観」なども加わり中々一度正しいと思い込んでしまった考え方は簡単には覆せない事も知っている。だから私の主張が全ての人に受け容れられるなどとは考えていない。馬鹿らしいと一笑に伏す方はいらして当然である。所謂「戦後教育」を正しい学業と信じて真面目に学び、優秀な成績を修めた人ほど私の主張は如何わしいと反発されるだろう。併し、「常識を疑ってみよう」という方が例え一人でも二人でも増えてくだされば、それで良い。そういう小さな積み重ねが、やがては日本を救う重要な大事業に繋がると信じるからである。私が子供の頃、竹村健一という評論家が「日本の常識は世界の非常識」と喝破されたが、大人になった今でも私はその言葉が真実を言い当てていると信じ、その言葉の重みと恐ろしさを日々ひしひしと感じている。


日本国民の多くは「絶対的平和主義」を唱えるが、それは耳に聞こえは良いものの只の願望に過ぎず、何ら現実的な効力を伴わない夢物語である。ジョージ・オーウェルは「暴力を行使しないでいられるのは、誰かが代わりに暴力を行使してくれているからだ」と書き残している。日本人が軍事力を忌避していられるのは、日本の代わりに米国が軍事力を行使してくれると日本人が勝手に思い込んでいるからに過ぎない。何と危うい平和だろうか?


「絶対的平和主義」なる願望は、古代都市カルタゴの滅亡と歩調を合わせる「危険思想」である。歴史とは過ぎ去った過去であると同時に未来でも繰り返される必然である可能性が極めて高い。「歴史 必然」なのである。高校の世界史Bで学ぶポエニ戦争の顛末は、未来に何度でも起こり得るのである。フェニキア人が北アフリカに建てたカルタゴは、新興のローマ帝國と三度戦って三度敗れた。最後の戦いで致命的大敗を喫したカルタゴは、勝利したローマ帝國に領土を没収され、武装解除され、自衛を含む戦争行為の全てを禁止された上で、銀1万タラントの賠償金を50年間かけて支払うよう命じられた。見せしめのように、カルタゴ市民の眼前で500隻の軍艦が焼き払われたともいう。日本の大東亜戦争敗戦に瓜二つではないか? 日本は国軍の保持と国際紛争の解決手段としての交戦権の一切を奪われ、神道・神話教育・真実の歴史教育・古来より培われた武道まで禁止され、7000冊もの書籍の焼き払い(焚書)すら行なわれた。それまで正しいと信じて学んでいた教科書は至る所に墨を塗られた。そんな惨めな体験を積んだ世代が徐々に社会の第一線を退き、今の日本は所謂 戦後世代が動かす社会になっているが、戦勝国側から命じられた禁止事項は顧みられる事無く今も一言一句同じままで堅く守られている。カルタゴは「絶対的平和主義」を掲げ、貿易に専念して経済大国になったが、戦後日本も同じ道を歩んできた。「サンフランシスコ講和条約」発効後、僅か7年にして経済力は戦前の水準に回復し、23年目にして世界第二位の経済大国になった。経済大国になったカルタゴは常にローマの監視下にあったが、日本も米国の監視下に置かれている。


我が国は国際社会に於いて先進7箇国(G7)の地位にいるが、そういった国際社会での表面上の待遇に反して、実際は米国の許可無くして国際社会に於ける重要な事案を日本一国で決める事は何ひとつとして許されていない。国際社会の主要国で日本を真の主権国家だと認めている国は恐らくは一国もない。それに反して、日本の主権国家としての地位を疑う日本人は殆んどいないだろう。一筋縄では行かない国内事情があるにせよ、領土問題に絡めてプーチン露大統領に「日本には主権がないなどと言われてしまった現実を日本国民は確(しか)と知るべきである。実際、我が国は半主権国家、否、米国の属領・属国なのである。それが敗戦後の日本政府と日本国民の選択であった。多くの日本国民は日本が米国の厳重な管理下に置かれている事に気付いていないか、気付いてはいても然(さ)して気にもとめていない。戦に敗れていきなり奴隷にされた者が、今に見ておれと反骨精神を滾(たぎ)らせながら奴隷の境遇に甘んじているなら未だしも、奴隷が奴隷である事に何の悔しさも疑問も持たなくなってしまったら救いようがないではないか? 今の日本人は自らが置かれた奴隷の境遇を生まれながらに受け容れてしまっている奴隷の子と同じ精神状態なのである。しかも日本人が享受しているのは、歴史的にみれば、勝者の胸先三寸という、実に危うい奴隷の平和である。日本がローマ帝國に隷従する事で経済大国に上り詰めたカルタゴと同じ轍(わだち)を踏んでいるとしたら、ローマ帝國の強硬派の意見で滅ぼされてしまったカルタゴと同じ運命が日本にも待ち受けていると考えた方が筋が通る。


我が国が民族史上初めて全面戦争に敗れて焼け野原にされたのち、復興を始めて間もなく、まだまだ発展途上にあった苦しい時代に、韓国にありったけの大金と漸(ようや)く獲得した当時の先端技術のみならず、自ら開拓した工業製品の販路をも惜しみなく与え指導したのは、米国の意向を踏まえてのものであった。日本は「竹島」という島嶼群と罪なき漁民の命を奪われて、尚4000人近い罪なき漁民を拉致され、13年間も人質に取られた状態で、常軌を逸した数知れない朝鮮人の罪を不問に付して、謝罪も賠償も竹島返還も条件にする事なく莫大な援助をさせられた。そして「日韓国交正常化」という「戦後教育」が教える欺瞞を信じているのが今の日本人なのである。あれは断じて「国交正常化」などではなく「異常なる国交樹立」であった。それが証拠に、おかしな話で韓国側は一貫して被害者を騙り続け、日本政府も日本国民も、朝鮮人から受けた被害を語る事無く、負わされた偽りの贖罪意識、謂わば冤罪を覆そうとの意思すら喪なってしまっている。近年になって、所謂 嫌韓感情が日本国民の中に確かに芽生えた兆しが窺えるのは幸いである。併し、日本政府は「竹島は日本固有の領土である」との主張は堅持してはいるものの実効性ある対応は何もできない。北朝鮮に拉致された自国民の返還を米国大統領の口から返してくれるように頼むのも、日本人があると信じている主権が踏みにじられている証しである。また、中共政府は尖閣諸島は愚か沖縄県までも自国の領土と言い出し、安倍政権は北方領土返還を拒むロシア政府に対して「北方領土は日本固有の領土」という言葉を封印してしまった。これら我が国が抱える領土問題に対して、我が国の同盟国にして最大の友好国とされる米国は中立不介入の立場を崩そうとしない。要するに知らんぷりである。


いったい複数の外国から毎年数百回も領空領海への侵犯を繰り返されたり、安全だと信じられている自国内から国民を883人(2018年度「警察白書」)も北朝鮮に拉致され、大東亜戦争敗戦後にそれまで半世紀以上に亘って多大なる損失を覚悟で献身的に尽くした隣国に漁民を殺害されるわ、4000人近くも拉致されるわ、挙句に「竹島」を強奪されながら、領土を取り返す為に何ひとつ有効な手立てを打てない国を一人前の主権国家などと言えるだろうか? 小国レバノンさえもベイルートから拉致されたのちに自力で脱出した自国民二人の証言により、まだ三人の女性が拉致されていると知ると、北朝鮮に対して「三人を返さないならば、政府としてあらゆる手段を講じて女性たちを取り戻す」と詰め寄って国民を取り返したではないか? 勿論、あらゆる手段の中には実力(=軍事力)行使が含まれるのは当然である。日本政府に実力行使など絶対にできないし、日本国民にもそのような気概はない。「東京裁判史観」に染め抜かれた「戦後教育」で育った日本の現役世代の殆んどが、理由の如何に関わらず軍事力を行使する事はいけないと堅く信じているからである。日本を無力化して再び白人列強諸国に逆らえない国にするべく米国が数多く工作していったひとつである国際法違反のGHQ憲法」を未だに「世界の宝」などといって73年間も一言一句変えようともせず、嘘に塗れた「東京裁判史観」の呪縛から自ら逃れようともしない、この人畜無害な無気力状態から、何とか自力で脱却する以外に、日本がまともな国家と国民に立ち戻る方法はない。当事者である日本人以外に日本を底知れぬ負のスパイラルから救い出す者は誰もいないのである。


国際社会とて所詮は人間同士がつくりだした世界であるから、人間が持つ善と悪、正と邪、強と弱のせめぎ合いの場でしかない。弱い国は強い国に虐げられ、力こそが正義であったのは歴史を振り返れば一目瞭然である。スペイン、ポルトガルに始まった大航海時代には、幾つもの民族や文明が高が黄金の為に非白人であるが故に抹殺されたし、香辛料や砂糖などを栽培させる為に植民地として侵略搾取され、主にアフリカ人たちを犠牲とした奴隷貿易が盛んに行なわれた。そこに、ベルギーや英仏蘭が、そして遅れて続いたのがヨーロッパからの一大入植地アメリカ大陸に生まれた新興国家 米国であった。北米大陸や南米大陸ではアメリカ・インディアンやインディオが大殺戮され、また、大勢のアフリカ人奴隷が輸入され牛馬の如く苦役させられた。西部劇というプロパガンダ映画やドラマが盛んにつくられ、そこでは平和的な白人入植者が獰猛なアメリカ・インディアンに生きたまま頭の皮を剥がされた事にされていたが、事実は全くの逆であり、広大な土地欲しさ、或いは黄金を手に入れる為に、或いは温順しく奴隷とならなかったが為に、白人がアメリカ・インディアンの頭の皮を剥いだというのが真実である。全世界が正しく「白人に非ずんば人に非ず」の時代であったが、そこに一石を投じたのが白人帝國主義を手本に目を見張る躍進を遂げ、白人列強に伍して世界の五大国に上り詰めた大日本帝國であった。併し、日本人はいつも損をするお人好しである。生来の道徳観から人種差別を悪しきものと弁(わきま)え、1919年の「パリ講和会議の国際連盟委員会」に於いて、白人諸国に対して「人種差別撤廃提案」をした。これが、大日本帝國が、人種差別に基づく植民地経営で世界のほぼ全てを手中に収めていた白人列強諸国の不興を買った決定的瞬間であった。


明治・大正と昭和初期という、我が国の長い歴史からみれば極めて短い期間に限って日本は白人列強諸国に伍して強い国家になろうと、主に薩長閥(この中に朝鮮人が紛れ込んでいた)が中心となって国策を誤り国民を苦しめてきたのだが、それも遂に「大東亜戦争敗戦」を以って日本が国際社会で仮初(かりそめ)の勝者の側に立つ時代は終わった。敗戦により全てを失なったと言ってもいい日本国民であったが、勝者米国の都合の変化と、何につけても誠実で物事に真摯に向き合い、誠実に努力を重ね、労働を苦役ではなく喜びとする日本国民の努力の甲斐もあって、我々は今、先進国の一員となった。国や民族が異なれば価値観も様々である。併し、一部の例外を除けば、人間とは「衣食足りて礼節を知る」生きものである。従って、助けられれば恩義を感じ、そのお陰で豊かになれば、自然に受けた恩は返そうとする。更に、富める国は貧しい国・遅れた国を助けてこそ人というものである。併し、恩を仇で返す民族・国家もあれば、受けた恩のお陰で恵まれた境遇と強い力を得て尚、弱いものを虐(しいた)げ、一方的に搾取する民族・国家も存在する。今の韓国中共がそうだが、大航海時代以降の白人列強諸国による植民地経営も正に充分に富める強者による弱者からの搾取の時代であった。白人による蛮行の根底には、宗教や人種偏見というものが確かにあった。そこに一石を投じたのが、非白人にして初めて産業革命の恩恵を取り入れ、独自に昇華し、先進文明の恩恵に浴した唯一の有色人種、日本人であった。当時、世界の大部分を手中に収めていた白人列強諸国に伍して共に国際社会で勝者の側に立ったのが大日本帝國である。白人列強の中には日本人というだけで差別視する風潮もあったが、日本人を認め、或いは認めないまでも利用価値を見出す白人国家もあった。併し、彼等の怒りを買う決定的出来事が起きた。1919年の国際連盟委員会のパリ講和会議に於いて、日本は「人種差別撤廃提案」を発議したのである。


この出来事にこそ、四半世紀後に民族史上初の総力戦に於ける大敗を喫した遠因があった。「人種差別撤廃提案」とは、第一次世界大戦後の「パリ講和会議の国際連盟委員会」に於いて、大日本帝国が主張した、「人種差別の撤廃を明記するべき」という提案である。大英帝國の自治領であった豪州や米国上院が強硬に反対し、ウッドロウ・ウィルソン米大統領の議長裁定で否決された。国際会議に於いて人種差別撤廃を明確に主張した国は日本が世界で最初である。議長を除く16名が投票を行ない、仏、伊、中(中華民国)代表など計11名が賛成したが、英・米・ポーランド・ブラジル・ルーマニアの計5箇国の委員が反対した。過半数の賛同を得たものの、議長を務めた米大統領ウィルソンは「全会一致でないため提案は不成立である」と宣言した。大日本帝國は当時は例を見ない総勢60名以上という大代表団をパリに送った。首席全権に就任したのは西園寺公望、実際に外交折衝に当たったのは全権委員の代表格の牧野伸顕であった。牧野は多数決で決すべきではないかと詰め寄ったのだが、ウィルソンは「このような重大な議題については、全会一致で決すべきである」と譲らなかったという。 牧野は最後に「今晩の自分の陳述および賛否の数は議事録に記載してもらいたい」と述べ、ウィルソンもそれを了解した。パリ講和会議は第一次世界大戦後の国際秩序再建を討議する国際会議であったが、大日本帝國は戦勝五大国として初めて国際舞台に登場した新参者であり、会議を主導したのは英米仏の三箇国であった。主要議題である連盟規約も英国が前以て草案をまとめており、新参でしかも初の有色人種国家であった大日本帝國が国威を示す事は難しかった。英国は修正案には賛成の意向を示すも移民政策に関わると反発する豪州と南アフリカ連邦の意向を受け、結局は反対に回った。特に白豪主義を採る豪州は内政干渉であるとして強く反対し、米国も自国の亜細亜系移民排斥運動と奴隷輸入した黒人問題を抱えており人種差別撤廃など論外であった。結果を見れば仏・伊が賛成したとは言うものの事実上、世界の殆んどを支配していた白人たちは新秩序構築に非白人の口出しを許しはしなかったのである。実際、賛成した仏・伊両国ともアフリカ人を奴隷として買い付けていた。


大和民族および日本国存亡の機を論じるに当たって、「明治維新」と「東京裁判史観」の嘘を暴く事が最重要であるが、江戸時代を最後に我が国が異民族に蝕まれ、日本という国に住みながら日本人が何故こうも蔑ろにされ、やがては生きる術を失なってしまいかねない立場に何故追い詰められてしまったのかを紐解こうとする時、(1)大日本帝國対白人列強諸国、(2)大和民族対朝鮮民族、の二つの命題は避けては通れない。今回は、日本がまともな主権を奪われたままである事実と、(1)大日本帝國対白人列強諸国 問題の端緒である「大東亜戦争敗戦の遠因」について書いた。次回も(1)の続きとして「大東亜戦争開戦に至る道筋」について論考したい。