先ず、今回の「COVID-19ウイルス感染症」について、政治家もマスメディアも挙(こぞ)って「新型コロナウイルス」と呼んでいるが、呼称には正確を期する必要がある。私は中共武漢市発祥なのだから「武漢肺炎」とか「武漢肺炎ウイルス感染症」と呼んでいる。併し、国際的な通り名は「COVID-19ウイルス感染症」で落ち着いているようだ。何れにせよ「新型コロナウイルス」とは呼ばない方が良い。何故なら「新型コロナウイルス感染症」は毎年のように流行るインフルエンザのようなものであるからである。日本では徐々に収束しつつあるとはいえ、今後も世界中で猛威をふるうであろうこの感染症は、中共湖北省武漢市で発生し、欧米ではウイルスが欧米型に変異しているという。日本で流行している感染症も、初期は武漢型、現在は武漢型が欧米型に変異したウイルス感染症だという。ある研究者によれば、「二次感染」、所謂「第二波」は、何も対策を講じなければ、第一波の20倍〜200倍の感染力が予想されるという。併し、日本では今や初期の武漢型ウイルスとはタイプの異なる欧米型が主流だとすれば、我が国は既に第二波を経験している事になる。何れも欧米各国より被害が少ないのは日本人が「COVID-19ウイルス感染症」にある程度の免疫性を持っているという事なのかも知れない。一説には「BCGワクチン」の接種が何某(なにがし)かの効果を発揮しているらしいともいうが、未だ不明な点が多い。

凡そ100年前に大流行した「スペイン風邪」は、世界人口(当時約18〜20億人)の凡そ三分の一(約5億人)に感染し、致死率は2.5%(1700万人〜1億人)に達したと推計されている。我が国では、当時の内務省衛生局編の『流行性感冒』による統計数値で、総人口約5667万人に対して2,300万人(約40%)が感染し、39万人弱の死亡者を出したとの記録が遺っている。致死率は3年間で年平均1.63%であった。今回の「COVID-19ウイルス感染症」による日本の致死率は4%で、日本を含む世界の平均致死率6.9%の6割弱である(5月11日現在)。日本人はこの手のウイルス感染症に強いと言えるのではないか?「COVID-19ウイルス感染症」での各国の100万人あたりの死亡者数は、スペイン531.3人、イタリア467.2人、英国413.8人、米国197.2人…日本は僅か3.4人である(4月30日現在)。因みに、韓国政府は自国の感染症対策が世界トップクラスだと、K-popに次いで誇るべき「K防疫」などと称して、世界各国の手本になると自賛し、「頭を下げるなら日本に支援の手を差し伸べても良い」などと言い放った。頭の悪いワイドショー司会者のオズラ何某が「日本は韓国に頭を下げてお願いすべきだ」などと発言したらしいが、韓国の4月30日時点での感染死亡者数は欧米主要国よりは二桁少ない4.82人であるものの、日本の3.4人を上回っている。140%オーバーである。韓国から何を学べというのか? 国家規模も社会構造も異なるとはいえ、台湾政府の結果を伴なうリーダーシップは別格として、「日本国民」(政府ではない)の感染症対策は桁違いの優秀さを示している。

この件で日本が国際社会から後進国だと見下されているというのは、「白人先進国の亜細亜人蔑視」と、「安倍政権の狼狽ぶり、更にその後手後手に回る対策の中身が空っぽである」事と、感染拡大防止に有効だとされる「PCR検査の数が少な過ぎる」点、そして「PCR検査の申込や厚労省・保健所・病院 間の通信手段が未だに電話やファックスに限られている」という現実であり、決して日本国民個々人の衛生観念や感染症対策が結果を出していないからではない。PCR検査数が中々伸びないのは確かに安倍政権が医療関係予算を削りに削った上での無策によるものだが、結果論として見れば必ずしも日本国民にとって害を為しているとは言い難い。日本国民の高い民度と伝統的衛生習慣、そして元来濃密な対人接触を好まない日本独特の社会習慣が感染症蔓延防止に効果的なのは間違いない。幼少期より「手洗い・うがい・掃除・入浴」を怠らず、家の内と外を明確に区分けする玄関がある「土足を嫌う生活習慣」や「お金のやり取りにトレーを介する商いの文化」などはもっと評価されるべきである。従って日本に於いて、この状況を「パンデミック」と表現するのは時期尚早である。国際機関として公平性の欠如が露呈したWHOが「パンデミック宣言」を発したからといって、日本の無能な政治家や(鉤括弧付きの)専門家、不謹慎なマスメディアなどが碌(ろく)に深く考えもせずにWHOに同調するのは愚かである。彼等のせいで定着しつつある「パンデミック」なる表現は、徒(いたずら)に恐怖心を植え付けるだけである。 「パンデミック」の語源は、ギリシャ語のパンデミアで、パンは「全て」、デミアは「人々」を意味する。日本ではそれほどの感染爆発はしていないから、「パンデミック」は全く当たらない。

また、中共政府が発表する数字は何もかも共産党一党独裁政権に都合よく加工されたもの、謂わば大嘘であるから比較するに値しない。中共や韓国に於いて、主に日本の支援により、家電産業やIT産業が育成され外貨を稼ぎ、その結果としてデジタル化・オンライン化が社会に充分に浸透しているのは事実だ。日本はその分野に於いては随分と差を付けられているのは間違いない。併しそれは、中共や韓国のように国家による「国民監視」や「人権侵害」を日本国民が望んではいないからマイナンバー制などの普及が中々進まないだけで、「人権侵害」や「監視社会化」が状態化した中共や韓国を見習おうなどとは微塵も考える必要はない。今後も襲い来るであろう未知の感染症対策の一環として、デジタル化政策を見直し、正しい方向に推進する必要はあろうが、日本国民は監視社会化や人権侵害の常態化を野放図に受け容れるべきではないし、恐らく受け容れはしないだろう。戦後の日本人は総じて「自由」と表裏一体であるべき「義務」を軽視、或いは疎かにしがちであったから、この機会に「自由」についてもっと真剣に考えるべきである。人間社会にとって「自由・献身・博愛」ほど尊いものはない。だからそれらを軽視する国家であり、そういった資質からは縁遠い中共や韓国を日本国民は決して安易に模倣してはならない。米中冷戦が益々本格化する国際社会に於いては、中共や韓国の「基礎研究の裏打ち無きアドバンテージ」などやがては消え失せる。日本は過去に犯した失敗に学ぶ心は大切だが、今は犯人探しをするべき時ではない。これまで間違い続けてきた中共・韓国への対応は正すべきだが、未来をより良くする為の建設的熟考が今こそ求められている。

この「COVID-19ウイルス感染症」を、「中共のバイオテロ」という見解もあるが、例えそれが真実を言い当てていたとしても、中共政府は絶対に認めはしないだろうし、米国がその見解を立証する事はできないだろう。だいいち武漢市の感染症研究所に、資金的・技術的・人的な支援をしたのはフランス政府であったというし、中共を除けば最大の被害者数を出している米国政府も、判明しているだけで何と370万ドルもの資金提供をしていたとの報道もある。他に、ロスチャイルド、ロックフェラー、キッシンジャー、ビルゲイツ、ザッカーバーグ等々が名を連ねるという「ビルダーバーグ会議」なる場で策定された新世界秩序づくりの序章だなどという陰謀論めいた話を面白おかしく報じる向きもある。状況証拠の積み重ねと歴史は繰り返されるという賢人の教えから、私はこの騒動の始めから「黒幕は米国を始めとした世界の支配層(ディープステート)ではないか?」との疑念を持っていた。嘗ての大日本帝國が追い込まれた境遇そのままに、米国の覇権を脅かすと見做(みな)された国家は好むと好まざるに関わらず、主に経済制裁という外交テロを受け、先に手を出したと決め付けられる巧妙なお膳立てをされた上で、手酷い仕打ちを受けて亡国の淵に追い込まれる。米国は建国以来、この汚い手を繰り返し実行して覇権大国へと上り詰めた国である。大東亜戦争然(しか)り、ベトナム戦争然り、米ソ冷戦然り、湾岸戦争然り、9.11同時多発テロ事件然り、中共バイオテロ然り、である。何れにせよ、真実が公になる事はないだろう。勝者にしか紡ぐ事が許されない正史からは陰謀論は封じ込まれ忘れ去られる運命にある。ケネディ暗殺事件も情報公開を100年間も見送られて真実の解明は手の届かない彼方に追いやられている。勝者に都合の悪い真実は開示されないのが歴史の常である。今回の「COVID-19ウイルス感染症パンデミック」で、表の歴史に遺るのは「中共政府の失態による大感染症」という事件と、繰り返される米国の勝利である。英国や米国の覇権を支えてきた支配層は、汚なく狡猾で、良心の欠片もない。

そのように推理を進めていくと、価値観の共有など到底困難な中共に、戦略物資の多くを依存する従来礼賛されてきたグローバリズムを見直す必要が自由主義陣営に色濃く現れ、その時代の要請として米国にトランプ大統領が現れ、その流れの中の必然として、国際秩序の大転換が始まった、否、始められようとしているのである。部分修正では間に合わない不利なグローバルサプライチェーンを根本から覆し、全く新しい世界秩序をつくろうとの企ての存在を全否定する事はできないだろう。「捏造史観」に染め抜かれた、日本の政界・財界・法曹界・教育界・マスメディアを始めとした「捏造史観」を受け容れてしまった日本国民は、想像を絶する苦境に立たされるだろう。正しいと信じ込まされていた、依って立つ価値観の見直しが迫られるからだ。今の世界秩序が確立した75年前から現在に至る国際社会の構造の中で、有無を言わさず無理やり大変革を起こそうという勢力が厳然と存在している。大転換前の世界秩序の中で当たり前のように存在していた企業の多くが潰れ、安穏と暮らしてきた多くの人々が路頭に迷うだろう。人の命など平気で軽んじながら、この大転換(パラダイムシフト)が強行される。そのような圧力が安倍政権の無策に繋がっているのかも知れない。そう考えでもしない限り、国民の悲鳴に耳を塞ぎ、貴族的に暮らす政治家や官僚の無作為の説明がつかないではないか? 安倍晋三は愚かな売国奴だが、政治家である限り次の選挙を考えればポピュリズムに奔(はし)って何の不思議もないが、敢えてそうせず国民を見殺しにしている。神ならぬ身で在りながら社会制度を一度ガラガラポンをして、死するべきは見殺しにして生きるべきもののみを生かそうと、己れを高みに置いて考えているとしたら、人としての資質にさえ欠け、決して許されるべきではない。この忌まわしき経験を日本国民は肝に銘じよ!

ドイツ帝國の鉄血宰相ビスマルクは「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という言葉を遺した。「COVID-19パンデミック騒動」は、正に経験した事のない事態であるから、日本国民は今こそ歴史を顧みて過ちを繰り返さない事が肝要である。そういう目で歴史を俯瞰すると、人間は長い年月をかけて着実に進歩してきたと思いきや、そうでも無い事実に気付かされ慄然とする。嘗ての世界大恐慌以来、日本人はそれと気付かぬうちに負け組に組み込まれていった。帝国主義白人国家に必死に追い付こうと努力を重ねた結果、ひと時の勝利に酔いしれていた矢先に大東亜戦争に引き摺り込まれて、亡国の憂き目に遭わされた。然るに敗戦後75年を経て尚、押し付けられた亡国憲法を尊び、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して我等の安全と生存を保持しよう」などと、日本国民の安全を悪意ある近隣諸国に丸投げしてきたのが今、貴族的に暮らし国民生活の危機を肌身で感じられない国会議員と官僚たちである。その病の進行中に生まれたのが自由民主党政権であり、生来「捏造史観」を刷り込み刷り込まれてきた劣化再生産の成れの果てが安倍政権なのである。今の現役世代は総じて、過(あやま)てる「東京裁判史観」に隷従させられている。政界・財界・法曹界・教育界・マスメディア界などが、徹底的に反日主義に汚染されているから、日本国民は「自身の生存権」すら脅かされている事に気付いてすらいない。そのような危うい状況に置かれながらも、今回の「人為的パラダイムシフト」を生き抜かねばならないのである。

義務教育・高等教育・日々接する報道や社会構造そのものが、75年の長きに亘って「東京裁判史観」なる「捏造史観」に歪められてきたから、これを正すのはほぼ不可能に近い。嘗ての世界大恐慌から大東亜戦争敗戦までが四半世紀に及ぶ日本国民にとっては抗いようのないパラダイムシフトであったが、今また「COVID-19の世界的パンデミック」という大破壊を伴なう「人為的パラダイムシフト」に遭遇しているのである。自身の栄達と金儲けだけを考えればいいという、安穏とした病み歪んだ75年間は終わりを告げた。歴史は繰り返されるが、大恐慌や大災厄が国際社会の既存の秩序を破壊し、新たな秩序が生まれようとする今こそ、日本は再び負け組に組み込まれる過ちを犯してはならない。中共・韓国の根深い敵愾心を今こそ正しく認識する事はもとより、最大最強の同盟国と仰ぐ米国さえも、実は敵性国家であるという真実に気づきつつ、米国の覇権下に於いて勝ち組の果実を享受する覚悟が求められている。この機会に米国の子分に身を窶(やつ)しながらも主権国家たろうという気概を取り戻すのである。日本という国家が確りしていれば、日本国民の傷は浅くもできようが、今の安倍政権の惨状を見る限り、日本国民は途端の苦しみを味あわされるだろう。多くの良き伝統や文化を失ない、多くの失業者を出し、社会構造すら変容を迫られ、「COVID-19」による死亡者の何十倍何百倍もの自殺者が出るだろう。民主的な主権国家なれば当然の如く自国民を救うべく国民生活を補償しながら、やがては立ち直り、新しい国際秩序づくりに参加する。併し、日本国民は国家に見殺しにされながらの復活が求められているのである。

グローバリズムは廃れナショナリズムが台頭するのは今や必然である。健全なナショナリズムを標榜しながら、自由主義陣営は相手を値踏みし手を結び直す時期に来ている。共に歩み得ない敵性国家をサプライチェーンに組み込む今の国際社会の在りようは不健全であり危険である。経済合理性のみを最優先して仕入れ値の安さを求めて中共に戦略物資を依存する今までの常識が覆る今こそ、日本再興の好機である。現状が陳腐化した今こそ新たな希望が見出せるのである。価値観を共有し得ない中共に与する国家とも、これからは距離を取らざるを得ないと覚悟を決めるべきである。安倍政権下では、日本国民が味あわされる経済的苦しみと本来は避けられるはずの犠牲は他国の比ではないだろうが、日本人はこの苦行と犠牲を何としても乗り越えて大復活を遂げなければならない。そして意地でも「日本人による日本人の為の日本社会」を正しく発展させようではないか。その為には日本という尊い国を台無しにした米国に与する以外、日本人の生きる道はないという現実を潔ぎよく認識し、米国が新たにつくり上げようとする国際秩序に於いて勝ち組の地位を揺るがぬものとする。その上で本来の国家観・歴史観を取り戻し、国民の生命財産を護り切る日本国に生まれ変わるのだ!
抽象論はこのくらいにして、次回の投稿は、日本が歩むべき具体的な方策について論じたい。