中共武漢市発祥の「コロナ禍」は世界中に蔓延し、日本でも依然として終息の兆しを見せていない。欧米で猛威を振るった新型コロナウイルス(COVID-19)と、日本を始めとした亜細亜、大洋州で感染を拡げたものとでは、明らかにタイプが異なっていたと言われている。秋冬のインフルエンザシーズンと時を同じくして襲い来ると言われている第二波(第三波?)が、欧米型かそれ以上に強力なタイプに変異したウイルスではないという保証は何処にもない。にも関わらず、日本政府と日本社会から、次のコロナ危機への備えに必死に取り組んでいる雰囲気が感じられないのは、考えるまでもなく恐ろしい事である。ノーベル医学賞を受賞された本庶佑(ほんじょたすく)博士は、日本の医療水準の高さと死亡患者の少なさを考えれば、「新型コロナウイルス恐るるに足らず」という見解を披歴(ひれき)して憚(はばか)らない。本庶佑博士が尊敬に値する功績を上げた方である事に異論はない。併し、最下層民並みのお金の苦労などとは無縁の研究一筋の方には、コロナ禍によりどれだけ大勢の庶民が経済的苦境に立たされているかなどに思いを致す事はできないのであろう。防疫への備えという意識も体制も全く成っていなかった日本政府と日本社会の現状は、「ひとまず危機を躱(かわ)せてホッとしている」、「自粛解除と経済活動再開で気が緩んでいる」…という状況に見える。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」の喩え通り、何回煮え湯を飲まされようとも、それを次に活かそうとしない日本人の国民性は、一種の病であるとすら思えてくる。感染症対策の第一線で身体を張って病魔と戦ってくれた医療従事者と一部の専門家、そして日本国民の衛生意識と自制心が、ある程度有効であったのは確かだろうが、日本を始めとした亜細亜、大洋州などの感染被害が比較的軽微であった理由は未だ明らかにはなっていない。「日本が新型コロナウイルスに強い」と結論付けるのは早計である

見えてしまったのは、安倍内閣の功績など殆んど皆無に等しく、実態としては「何が何だか分からず、只オタオタしていただけなのに、何となく大事には至らなかった」というだけのものだった。結局は政治家が無能であり、今回の危機に際しても、多くを学んではいないようであるという悲しい現実である。また、所謂(いわゆる)「専門家会議」についても、人選の正当性と内閣との関係の適切さ、貢献度などは、今後の検証に任せるしかない。それにしても、その専門家たちが日本記者クラブで会見している、正にその真っ最中に、彼等に何の事前連絡も無く、自ら召集した「専門家会議」を一方的に「廃止」して新組織立ち上げの記者会見をぶつけた、西村康稔(やすとし)新型コロナ対策担当大臣のやり方には驚かされた。安倍内閣への期待など元より無かったが、如何(いかん)なく専門的能力を発揮してくれたかどうかはともかく、与えられた職務に日夜努力を続けたであろう「専門家会議」のメンバーに対する配慮を欠いた処遇には呆れるばかりである。どのような経緯があろうと、政治家は「専門家会議」のメンバーに何らかの労(ねぎら)いや感謝の言葉をかけるなり、彼等に対する最低限の敬意を示し、尊厳を傷付けるような対応をとるべきではなかった。これは政治家として以前に人間としての常識であろう。マスメディアからの批判を受けて、後から「廃止という言葉は強過ぎた」、「発展的解散」だなどと言い改めても手遅れである。

安倍政権の無能さは、新型コロナ対策で明らかになったが、保守を自認する多くの日本国民が未だ気付いていない、安倍晋三首相がこの国に負わせた売国的傷痕について、今後は論じていきたい。安倍批判をすると必ず付き纏(まと)うのが、安倍批判に対する非難である。代表的なものが、「では代わりに誰なら良いのか?」という詰問(きつもん)である。「代案を示さない批判は、為にする批判であり、無意味である」という意見は、確かに正論ではある。併(しか)し、安倍晋三に代わる首相候補を挙げなければ、現首相である安倍晋三の如何なる売国行為にも異を唱えてはならない」という意見は、私に言わせればそれこそ暴論である。現職の内閣総理大臣の下(もと)で成立した、或いは成立しようとしている個々の法案については、幾らでも代案は出せるが、「安倍に代わる首相候補を挙げなければ一切の安倍批判を封じる」と言われては、議論はそこで止まってしまう。それこそ思考停止である。現状では、理想的な政治家の名など挙げられはしない。理想的政治家像を云々(うんぬん)するより重要な問題は、今の日本の「東京裁判史観に歪(ゆが)められた教育体制、社会体制の改革・正常化」であり、「誤った歴史観、国家観、世界観」を正す事である。手始めに取り組むべきは「日本国憲法」と呼ばれる「無理やり押し付けられた亡国憲法」の破棄である。今の日本国民の常識では「日本国憲法」の破棄など、論外であり絶対的タブーであろう。善悪正邪に関わりなく常識という壁は、堅牢であればあるほど、高ければ高いほど、盲信されてきた年月が長ければ長いほど、突き崩す事は難しく、間違った価値観の是正は実現不可能に思えるものである。タブーとは、何であれタブーになった途端に絶対的価値観となる

人間社会をより良く発展させていく為には、如何なるタブーの存在も許してはならない。例えば「核武装」について、ここで議論する気はないが、多くの国々が核武装している現実は容易に受け容れ(許し)、或いは放任しているのに、自分の国が核武装するかどうかについては、議論する事すら認めない。この日本国民の主流と言える考え方は客観的に観て明らかに間違いである。国際関係は相互主義で成り立っているものだから、日本に核戦力で脅威を与える明らかなる敵対国が存在する場合は、日本も核戦力で防衛するのが道理である。それをタブー視して議論する行為すら認めない日本国民の精神構造は、日本に敵愾心を持たない諸外国から観れば理解不能であろう。独立国では成り立ち得ない理屈である。言外に核武装を是認しているように思われるかもしれないが、私は日本の核武装には反対であると明言しておく。日本国民が知るべきは、敵対国家が存在し、殊更(ことさら)敵対する目的が無くとも利害が異なる国が厳然とある現実である。中共、台湾は尖閣諸島の領有を主張して、中共は実際に領海侵犯を常態化させている。韓国は竹島を不法占拠したまま、自らの侵略行為を正当化させるに止(とど)まらず、歴史捏造を繰り返しては信じ込むという異常国家であるばかりか、何度も何度も虚偽被害を言い立てては日本にカネをせびり続け、国際社会で日本を誣告(ぶこく)により貶める、極めてタチの悪い反日国家である。北朝鮮は日本国内から拉致した日本国民を40年以上も拘束し続け、未だに極(ごく)一部しか帰国させていない。ロシアも北方領土の返還はしそうに無く既成事実を積み上げている。北方領土で経済活動をするのは、好んで名乗り出た韓国企業であり、北朝鮮労働者である。何と五箇国もの近隣諸国が日本の主権を侵害し続けているのだ

こういう切迫した国際関係に在りながら、日本は「専守防衛」などと間抜けな国是を一向に正そうともしない。今となっては日本だけの自主防衛など、費用対効果に見合わないし、何より日本国民にその気概がないのだから非現実的である。この状況では、日米同盟の在り方をより深化させながら、日本独自の防衛力を高めていくのが現実的選択であろう。併し、日本が自らの国さえ護れないひ弱な国であるうちは、拉致問題の解決など有り得ないし、何れは尖閣諸島も奪われてしまうのは必然であろう。日本人が戦う姿勢を示さないのに米国の若者が日本の為に血を流してくれる訳がないのは当たり前である。日本の主権を護る為に一命を賭して戦うのは先ずは自衛隊(本来は日本の国軍)であり、自衛隊を援護するのが同盟国米国の役割である。何もしない日本を護ってくれるほど米国はお人好しではない。日本が実力行使という選択肢を持たない限り、口先だけの外交交渉や経済的見返りだけでは北朝鮮のような悪質な国からは絶対に譲歩など引き出せはしない。つい最近、経済破綻した小国レバノンは、1978年、4人の女性を拉致され、幸い2人の女性の逃亡により拉致事件が発覚するや、北朝鮮に強硬に抗議し、国交断絶を宣言した。残りの女性2人の返還に応じなければ武力攻撃も辞さないと北朝鮮に圧力をかけた結果、1979年、北朝鮮はレバノン人拉致被害者の残り2人を解放し、レバノンに帰国させた。国際社会は、話せば分かる国ばかりで構成されている訳ではない。戦後の日本人は、「日本国憲法」なる米国に押し付けられた亡国憲法を後生大事に戴き続けてきた。「日本国憲法前文」にあるように、日本国民は「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、我等の安全と生存を保持しようと決意」しているのだから救われない。非現実的タブーに縛られ続けている日本は精神破綻国家の境遇から決して抜け出せはしない。

全ては「東京裁判史観」による精神汚染から一度たりとも脱却しようと試みもしないできた、日本国民自らが招いた事態と言える。この「東京裁判史観」という日本国民弱体化政策を徹底的にやり遂げた「連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)」(実際は米国一国)の悪行を、そのまま受け容れ、一切の問題提起をも禁忌(きんき)し続けてきた日本国民が自ら変わらない限り、何も正常に戻らないだろう。近隣五箇国と米国一国、合計六箇国の呪縛が日本国民を嘘で雁字搦(がんじがら)めに縛り付けているのである。而(しか)も、日本国内では、戦後居座り、或いは密航して棲みついた在日朝鮮人が確固たる地位を築いており、中共の「国防動員法」に縛られた支那人も大勢存在している。朝鮮人は、韓国と北朝鮮と日本国内、そして海外の四箇所から、国際社会と日本に於いて、日本国と日本国民を嘘で貶め、辻褄の合わない恨みごとを言い張っている「国防動員法」が発令されて在日支那人が蜂起でもすれば、在日朝鮮人がそれに倣(なら)うのは目に見えている。近隣諸国、特に特亜三国との関係はこれほど緊迫しており、米国による日本支配は益々盤石さを極めている。この過酷な現実に日本国民が気付き、覚醒し、直(す)ぐにでも行動を起こさない限り、日本人は明るく幸福な未来を勝ち取る事はできない。「東京裁判史観(捏造史観)」は、日本国民に偽りの贖罪意識を植え付け、日本国民から幾つもの真実を奪ってしまったが、そういう理不尽に対する憤りの感情を、今の日本国民は完全に失なってしまっている問題の根本は敵対する諸外国の悪意ではなく、日本人自身の歪められてしまった思考回路なのである。そういう精神を病んだ日本国民が選んでしまった歴代自民党政権は、正に「東京裁判史観」の申し子のように、日本に仇為(あだな)してきた。

日本国民にとっては死活的に重要な事案については、先に例えた「核武装」に限らず、堂々と国民的議論をするべきである。その際、大切な事として、政権政党は国会で議論する事案を挙げた理由や議論の過程を、包み隠さず情報公開する事である歴史観、国家観、教育理念は元より、『在日韓国朝鮮人の特別優遇の是非、北朝鮮による拉致問題、反日国家への先端技術漏洩、反日国家への水源地などの土地売却、移民受け入れ推進、日韓合意、郵政民営化、労働者派遣法、アイヌ新法、マイナンバーカード、水道事業民営化、発送電分離構想、種子法廃止、種苗法改正、食品衛生法改正、カジノ誘致、国家戦略特区構想、民間議員なる政商との癒着、PCR検査に伴なう個人のゲノム情報収集、スーパーシティ構想、ムーンショット目標』等々、個々の事案については充分な情報公開をした上で国民的議論を経るべきである。発案から法案化して施行(しこう)する過程での情報公開が極めて重要である。今までのように都合の良い事だけ、都合よく説明するのは許されない。情報公開とは、誰にでも分かり易く懇切丁寧に説明する事である。真摯に国民の意見を広く受け容れ、反対意見や予期せぬ不都合に対しては、何度でも議論し直し、改正し、場合によっては廃案にする。勿論、国民の意見を際限なく取り入れていては決めるべき期限を逸(いっ)してしまうから、何処かで政治家が政治決断する必要はある。併し、国民が知らぬ間に大きな事案が密かに決められてしまう今のやり方は論外で、許されるものではない。国民主権とはそういう概念である。上に鉤括弧(かぎかっこ)付きで挙げた個別事例は、その良し悪し、要不要を改めて充分に議論を尽くす必要がある

例えば、もう過ぎてしまった過去で、今更 改めるなど非現実的かもしれないが、「郵政民営化」について、国民に騙されたままでいろというのは容認できない。2005年10月に「郵政民営化法」が公布され、2007年10月1日に施行されてしまったが、主導したのは小泉純一郎(当時首相)と政商竹中平蔵である。小泉純一郎の首相在任期間は、第一次から第三次まで通算約5年間に及んだ。(2001年4月26日〜2006年9月26日)。2004(平成16)年7月の参院選で、自民党は民主党に1議席差ながら敗北し、「選挙に強い」事が売りだった小泉純一郎の求心力に翳りが見えた。小泉が目指す「郵政民営化」には自民党内でも反対論が強かった。9月初旬に自民党の「郵政事業に関する特命委員会」(村井仁委員長)集中討議では、24人の発言者のうち23人が民営化反対論を唱えたが、小泉は9月10日に臨時閣議を開き、「郵政民営化」の基本方針を強引に決めてしまった。戦後の日本が発展途上だった頃は、道路や橋などのインフラ建設に多額の資金が必要だった。資金は、金利が高く政府が保証する郵便貯金でカネを集めて活用した。高度成長が終わり、成熟社会が見えてきて、郵便貯金のような自動集金装置は必要なくなった。それでも郵便局は地域に根を張っていたので、政治的な事情から民営化するのは難しかった。そんな状況の中、小泉を政策面から支えたのが、夏の参院選で比例区の自民党公認として当選した竹中平蔵だった。この時、竹中平蔵は悪魔の囁きによる旨味を知った。内閣改造で竹中は、経済財政相と郵政民営化担当相を兼務して、民営化の具体案づくりを進めた。

小泉純一郎竹中平蔵はいったい誰の為に「郵政民営化」を進めたのか? 日本国民が望んで発案されたものでない事は確かである。当時「郵政民営化」を執拗に要求していたのは、日米の金融業界と米国政府であった。米国側は、保険分野の規制緩和として簡易保険の改革を一貫して要求してきた。更に、簡保と民間との競争条件を同じにしろなどと、「郵政民営化」そのものにも拘(こだわ)った。日本の銀行や保険業界も、自分たちの商売の障害になるからと、郵貯・簡保の縮小・廃止を求めていた。政府の郵政民営化準備室は、米国政府や米国ファンドなど日米金融関係者と18回も意見交換を重ね、そのうち5回は米国の保険業界関係者のみとの打ち合わせであった。政府保証があるからこそ、国民は安心、安全だと信じ、郵貯・簡保を利用したのだが、政府保証のない民間と同じ銀行と生命保険会社では、国民の安心感は全く異なる。郵貯・簡保に預けられていた340兆円の日本国民の財産は日米金融機関の餌食となった。小泉純一郎は、郵政民営化を「改革の本丸」と位置付け、「改革を止めるな」と芝居がかった叫び声を上げて、日本国民をその気にさせて選挙で勝った。包み隠さず情報公開をしなければならない処で、重要な情報を閉ざして、日本国民の為の改革だとノリノリで演技したのである米国政府や米国ファンドの介入を知らされないまま、日本国民は小泉と竹中にまんまと騙されたと言っていい小泉純一郎は、日本を情け無用の弱肉強食社会に変革させた。郵政民営化を「小さな政府」づくりの突破口と位置付け、社会保障を思い切って抑制し、その上で消費税率を引き上げる財政改革に繋(つな)げようと目論んでいた。当時、法人税は減税に次ぐ減税を続け、庶民ではなく財界や大企業を優遇した。それまでも、医療、年金、介護保険制度を削り続け、更にリストラを容易にする事で不安定な雇用を激増させ、不良債権の早期処理による中小企業潰しにかかったのである。「郵政民営化」は社会的弱者の金融サービスからの排除であった小泉は「郵政民営化」が国民の利益になると強弁したが、内実は米国ファンドを喜ばせただけであった

このような政治家や政商による、日本国民への露骨な裏切り行為は、特に小泉純一郎と竹中平蔵によって始められ、竹中平蔵は現在も民間議員として安倍政権の中枢に紛れ込んで、今も庶民が受け取るべき財産を横取りして我が世の春を謳歌している一介の金融マンが、人材派遣大手のパソナの会長にまで上り詰めたのは、汚い事をしてでも、時の政権中枢に喰い込む事で美味い汁を吸えると知っていたからである。竹中・小泉は「郵政民営化」で大金をせしめ、更に小泉に「労働者派遣法」の適用範囲を拡げさせるという禁じ手を打つと、竹中はパソナの特別顧問に就任し、安倍政権でも労働者派遣法を拡げて、派遣労働者や非正規雇用者を量産して、今の地位に就いた。米国の影響下にあるとは言え、意のままに政治を動かして人材派遣会社を大儲けさせた、その功績により会長の職を得たのである。「コロナ禍」では、立場の弱い派遣労働者、非正規労働者が、休業補償も受けられず自宅待機を命じられたり、所定の有給休暇を取得させられた後に欠勤扱いにされる。派遣、非正規の欠勤には給料は出ない。「コロナ禍」は全ての人々に襲いかかっているが、派遣労働を含む非正規労働など立場が弱い人々へのダメージはより深刻である。資本主義社会では、労働者階級が最下層を占めてきたが、竹中平蔵は労働者階級より更に下に位置する最下層階級をつくり出した。それが、派遣労働者、非正規雇用者という最下層民である。このような最下層民を増やす政策を推進してきた張本人が、竹中平蔵である。小泉・竹中の売国コンビが進めた雇用の流動化政策は「就職氷河期世代」を生み出し、「ワーキングプア」と呼ばれる低賃金労働者を大量につくり出した。小泉・竹中、そして安倍・竹中が進めてきた雇用政策は、一貫して、非正規雇用者を増やし続け、使い捨て低賃金労働者を世に送り出し続けた。「新型コロナ対策」では、真っ先に被害を被る弱者を一向に助けようとしなかった安倍政権は竹中にとっては、さぞ居心地の良い政権であろう。