石川久遠の「日本人なら知っておきたい真実」

「陰謀論」とは、「陰の謀(はかりごと)を論じる」ものであり、「妄想論」とは異なる。歴史も現在の出来事も、常識として根付いている様々な事柄も、虚心坦懐に見詰め直せば、裏に隠された真実が自ずと見えてくる。そんな事を考えて、このブログを書いてます。

2014年06月

▪️《日本の核武装について》


今年2月にオバマは日本に実験用プルトニウム300kg返還を要求した。日本の核開発を懸念する中共に気を遣っての同盟国に対するこの上ない無礼だ。現状の日本は大陸間弾道核ミサイル(ICBM)を5万発まで武装可能という。このような議論がある原因は核大国中共と実質的核保有国、北朝鮮 故だ。


短期的には日本の核兵器開発の可能性は大きくないが、長期的には中共と北朝鮮の存在が日本の戦略を変える可能性がある。


今、日本は中共の絶え間ない挑発を受けている。また集団的自衛権の推進など日本も積極的平和主義を標榜し出した。


日本の宇宙航空研究開発機構(JAXA)が鹿児島県内之浦宇宙空間観測所から新型固体燃料ロケット イプシロン1号の発射に成功した。 

イプシロンロケットの開発に使用された固体燃料技術は、大陸間弾道ミサイル(ICBM)技術と同じで日本がICBM開発にこの技術を転用する事ができるという現実を証明した。


日本は米国に返還した300kgを差し引いても、長崎級の原子爆弾を5000~7000発を製造する事ができるプルトニウム44tを保有している。ここに六ヶ所村の核燃料再処理工場が本格稼動すると、今後40年間、毎年8トンのプルトニウムを抽出する事ができる。


実際に今直ぐ核武装を進めるかどうかはともかく、日本は核武装については常にフリーハンドを保持しておくべきだろう。否、決して手離してはいけない。遠からず核武装が必要になる時が来る。

▪️日本が知恵を授けたばかりに朝鮮人とは永遠にまともな交流が出来なくなった。未開のままにしておけば、他国に蹂躙させておけば、これほど厄介な隣国にはならなかったろう。保護統治による文明開化には大きな恩義を感じて当然なのに、敗戦で失意のどん底にいる日本人に朝鮮人はケモノの牙を剥いた。半島では孤児が育ての里親を強姦惨殺。半島ルートを選択した満州からの引揚者の多くは朝鮮のケモノ共に強姦惨殺された。日本の二日市保養所では麻酔薬もなしに多くの婦女が堕胎の苦しみに耐えた。中共では生き残れた残留孤児も朝鮮半島ではひとりも生き残れなかった。密航鮮人は疎開して主不在の一等地の土地家屋を奪い、居座り、現在の在日となった。GHQの情報統制、検閲がとけた今でも公に真実が伝えられることはない。

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インドネシアと韓国の差
自ら独立を勝ち取った国家と、外国に解放してもらった国家では滲み出る《品格の差》が違う。矜恃あるインドネシアは、大日本帝國の軍人・官吏から不屈の「セイシン」精神を学び、対オランダ独立戦争を戦い抜いた。片や韓国。日本の敗戦後、米国に解放してもらい朝鮮人は独立戦争を知らない。帝國陸軍の教育を受け聯合軍と戦い、朝鮮戦争で韓国を救った朝鮮人の英雄は皆、売国奴・悪人として歴史上抹殺された。朝鮮併合に反対した伊藤博文を暗殺してしまう頓珍漢な朝鮮人テロリスト安重根の記念館を暗殺現場に中共につくって貰う。日本が齎したDNAで自信を付けたインドネシア。自信を付けようとDNAを断ち切ったが自信が持てない韓国。大人と子供ほどの成長の違いがある。

 
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泣きついてきた韓国に日本が援助してあげた莫大な金額
1965年 60兆円相当のインフラ整備費譲渡 
1965年 800億円+αを援助 日韓基本条約 
1983年 特別経済協力 4000億円支援 
1997年 韓国通貨危機 1兆円支援 
2006年 ウォン高救済支援 2兆円支援 
          (韓国高官は「日本の援助は迷惑だった」と不快感を表明) 
2008年 リーマンショック危機 3兆円支援 
          (韓国高官は「日本は出し惜しみしている」と不快感を表明) 

東日本大震災の義援金では、台湾が400億円もの義援金で日本を助けてくれた中、国連が認定する最貧国の、30カ国からの合計約6億円よりも韓国は低額。
而も、韓国は全世界の中で唯一”義援金に対する見返り”を要求。更に『東日本大震災をお祝いします』等と無礼な祝意を表明

日本のIMF援助8400億円とその前の1兆4000億円、更に以降の1兆2000億円とODAの有利子負債の利子
計約1070億ドル、約13兆円の負債に対して韓国は未だ1円も返済していない。

…これが全てではない。

70兆円近くもお金をあげて技術も援助して、更に別口で13兆円も貸してあげて、これだけ配慮しても国連では「反省(お金)が足りない」と非難、ソウルの水曜デモ(反日デモ)は日本大使館前で、毎週日本国旗と天皇陛下の肖像画を燃やし続ける韓国人。

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韓国人が誰にも悟られたくないキムチ誕生の歴史
キムジャン文化がユネスコの世界無形文化遺産に登録された。キムチの原形は支那四川省の漬物「泡菜(パオツァイ)」にある。四川省にとっては受け容れ難い事だろう。

キムチの主要な材料である白菜は明代(1368-1644年)に、南米原産の唐辛子は1592年に豊臣秀吉の朝鮮出兵により李氏朝鮮に伝えられた。

南米で唐辛子を見付けたコロンブスは胡椒と勘違いしてRed Pepperと名づけた。日本には16世紀に鉄砲と共にポルトガル人が伝えた。唐辛子と呼ぶから支那原産と考えがちだが支那に唐辛子が伝播したのは明代末の17世紀。1592年に豊臣秀吉が持ち込むまで朝鮮には唐辛子は無かった。

韓国人ご自慢のキムチの主材料 白菜は英語でChinese cabbageと呼ばれている。民に教えられた白菜の漬物「泡菜」に、日本から入った唐辛子でキムチが誕生した。

韓国人はこの歴史を絶対に認めない。最近になって米国で白菜Chinese cabbageを韓国キャベツKorean cabbageに呼称を変更する活動が始められた。これも妄想(捏造)韓国起源説のひとつだ。

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李氏朝鮮時代には、両班 中人 奴婢 白丁という身分制度が存在した。
奴婢の分類の中に妓籍(kijyo)いわゆる妓生(kiisen)の身分があった。妓生は「奴婢随母法」で規定された身分「妓籍」に属する女性達を指した。妓生は妓生庁という役所で所有・管理されていた。妓生は三階級に分けられており、一牌、ニ牌、三牌という分類があった。一牌は官位を与えられる者もいたようだが、三牌に至っては単なる売春婦だった。日本の芸者と妓生を同一視する韓国人がいるが、芸者は売春婦などではなく芸に修練した職業の一種で様々な文化的技能を習得したスペシャリスト、妓生は世襲される一介の売春婦の身分である事に大きな違いがある。母が性奴隷なら子供も性奴隷であると戸籍制度で定義されていた。妓籍の子供は庶属(sojyoku)と呼ばれ、男子は中人に移籍する事も稀にはあったが、女子は妓籍から抜ける事は生涯できなかった。 


▪️韓国大統領 ベトナム政府の逆鱗に触れ国賓訪問一時拒否された
「韓国人は横柄だ」「乱暴だ」「ずるい」「嘘をつく」「信用できない」。欧米はもとより、アジア諸国で嫌韓ムードが広がっている。ベトナム国民がどう思っているか。

ベトナム戦争(1960~1975年)に参戦した韓国軍が暴虐の限りを尽くした事は世界的に知られている。それを詳らかにしたのは韓国人ジャーナリストだった。1999年当時、韓国紙『ハンギョレ新聞』ベトナム通信員だった具スジョン女史は、同紙の系列週刊誌『ハンギョレ21』で韓国軍の蛮行をリポートした。

「1965年12月22日、韓国軍はビンディン省クイニョン市の村を急襲し12歳以下の子供や妊婦を含む50人以上の村民を虐殺した。韓国兵は2歳の子供の首をへし折って殺害し、別の子供は木に投げつけられ殺害後、焚き火に放り込まれた」(『ハンギョレ21』1999年5月6日号より)

韓国兵は現地女性を見れば強姦し、凌辱の末、焼き殺すこともあった。殺害を免れた女性達の中には「ライダイハン」と呼ばれる戦争犯罪の落とし子を身籠る者も多数いた。当時、サイゴン支局に赴任した元朝日新聞の井川一久氏は街中でベトナム人に囲まれ「ダイハン!」(大韓)と呼ばれた。韓国人と間違われて憎悪の目を向けられたのだ。

併し、その後も韓国人に反省の色は皆無だった。そればかりか、2009年の李明博政権はベトナム帰還兵を称える為「国家有功者優遇法」の改正を急ぎ、ベトナム政府の逆鱗に触れた。李大統領はベトナムへの国賓訪問を一時拒否されるなど異例の事態を引き起こしたが、未だに韓国政府は戦争犯罪を償っていない。

朴槿惠も態度を改めず、昨年のベトナム訪問ではセールス外交に終始した。周知のとおり、ベトナム派兵を決めたのは父の朴正熙だ。償いもなく、金儲けの話ばかりしていては嫌韓感情が高まって当然だ。
(SAPIO2014年2月号より)

 
▪️韓国の小学生73人が「子供外交大使」に任命され竹島や追軍売春婦問題を観光客にPR
韓国政府肝入りの青少年インターネット民間外交使節団「VANK」が小学生73人を「子供外交大使」に任命し、その発足式がソウル歴史博物館で行われた。子供達は竹島問題等を外国に向けて宣伝する役割を担う。

韓国を訪問する外国人観光客に子供達が竹島や追軍売春婦像等をテーマとするソウルの観光案内を配布する活動を展開する他、景福宮やソウル中区貞洞、国立中央博物館を見学する。一連の活動終了後、VANKから子供達に「子供外交大使」の任命状が授与される。

VANKは「日本政府は小中学校用の教科書に『竹島は日本領』だと記載し韓国から領土を奪い去り次の世代に帝国主義、軍国主義思想を詰め込もうとしている。我々は歴史の真相を宣伝する為、今回初めて『子供外交大使』活動を行う事にした」としている。

併し韓国が子供をプロパガンダに利用するのは初めてではない。寧ろ常習犯だ。2020年東京五輪招致の妨害工作にはVANKを始め多くの子供達が動員された。

式典には日本のTBSやNHK等の関係者が駆け付けたというが、日本で報道された事実は確認されていない。

 
▪️韓国 ベトナム戦争に参戦した韓国軍による現地婦女子への性的暴虐を史実から消し去ろうと画策

国際情報誌『SAPIO』が12月号で『韓国が背負う「嘘の代償」』と題する大特集を行なっている。ここでは、なにかと日本を批判するものの、あまりにも根拠が薄いような主張をする彼の国のあり方に疑問を投げかけている。 

旧日本軍による「慰安婦強制連行」を捏造した韓国は、もともと売春婦であるはずの慰安婦を「SexSlave」として国際社会に浸透させた。その傍らで、ベトナム戦争(1960~75年)に参戦した韓国軍による現地婦女子への性的暴虐は史実から消し去ろうとしている。 

2000年6月27日、韓国・ソウルの『ハンギョレ新聞』本社が2000人を超える迷彩服姿のデモ隊に包囲された。 社屋に侵入したデモ隊の一部は暴徒化し、同社幹部らを監禁、暴行を加え、オフィスや地下駐車場の車を破壊した。デモ隊は「大韓民国枯葉剤後遺症戦友会」のメンバー、つまり退役ベトナム参戦軍人である。 

発端は、同社発行の週刊誌『ハンギョレ21』(1999年5月6日号)に掲載されたベトナムにおける韓国軍の民間人虐殺特集だった。「通信員」として記事を書いたのは、当時、ベトナム留学中だった大学院生の具スジョン氏。 

ベトナム当局から虐殺の資料を入手し、徹底した現地取材と生存者へのインタビューを重ね、
韓国軍による無差別殺戮の実態を白日の下に晒したのである。 

記事は、ベトナム中部のビンディン省の村々で起きた凄惨な虐殺事件を生々しく伝えている。 

1966年1月23日から2月26日までの1か月間、猛虎部隊3個小隊、2個保安大隊、
3個民間自衛隊によってこの地域だけで計1200人の住民が虐殺され、その中には1人残らず皆殺しにされた家族が8世帯もあった。(中略) 生存者の証言を元に韓国軍の民間人虐殺方式を整理してみると、いくつかの共通したパターンが見られた。

●子供たちの頭や首を切り落とし、手足を切断して火に投げ込む 

●住民をトンネルに追い詰め毒ガスで窒息死させる 

●女性たちを次々に強姦したあと殺害 

●妊婦の腹から胎児が飛び出すまで軍靴で踏みつける。 

韓国史のタブーに踏み込んだこの特集を皮切りに、同誌は韓国軍の戦争犯罪を糾弾する「ベトナムキャンペーン」を継続的に展開。冒頭の事件はそれに猛反発する退役軍人の凶行だった。 

併しベトナム戦を経験した退役軍人の中には当時の非人道的行為を悔いる者もいた。元韓国海兵隊員の金栄萬氏は、『戦争の記憶 記憶の戦争─韓国人のベトナム戦争』(金賢娥著・三元社刊)でこう証言している。 

「越南に到着して、私が聞いた話は、『強姦をしたら必ず殺せ、殺さなかったら面倒が起きる、
子供もベトコンだからみな殺さねばならない』といったものでした」 

韓国は1964年から73年まで延べ32万人を南ベトナムに派兵。ダナンに海兵隊第2旅団(青龍部隊)、
クイニョンに首都ソウル防衛師団(猛虎部隊)、ニンホアに第9師団(白馬部隊)が駐屯した。白馬部隊の連隊長には後に大統領となった全斗煥、猛虎部隊の大隊長には盧泰愚が就いていた。

前出・具氏の調査によると、韓国軍によるベトナム民間人の虐殺被害者は少なくとも9000人以上と見られている。
村人65人が犠牲になったビンディン省・タイビン村では、韓国兵士に輪姦された女性が焼き殺される惨たらしい事件も起きている。 

そうした史実は国際的には知られているが、韓国の教科書にはもちろん載っていない。
かわりに日本の軍隊が、慰安婦として若い朝鮮人女性を無理矢理連れ去ったという証拠のない話が大々的に書かれている。 

韓国兵によるレイプなどでベトナム女性との間に生まれた子供は「ライダイハン」と呼ばれた
ベトナム語で「ライ」は混血、「ダイハン(大韓)」は韓国を意味する蔑称だ。 

韓国『釜山日報』によると、現在、ベトナムにいるライダイハンは最大3万人と推計される(諸説あり、数千人とする指摘もある)。 

その多くは戦争終結後、ベトナムに流入した韓国人ビジネスマンと現地女性の間に生まれた子供と言われているが、
韓国兵のレイプにより生まれたライダイハンが少なからずいるのは事実だ。レイプされた被害者数はその何百倍、何千倍にも及ぶ可能性がある。



▪️《在日朝鮮人が通名を使い朝鮮人である事を隠すようになった訳》


昭和30~40年頃は終戦直後の余韻がまだ残り『朝鮮人』と言うと、それは凶悪犯罪者を意味した。子供の頃、夜のラジオで聞くニュースは「キン…」「ボク…」など朝鮮人による事件のニュースのない日はなかった。 


敗戦と同時に、全国で一斉に始まった朝鮮人による強盗・強姦・恐喝…など、あらゆる社会的犯罪の酷さは、いずれ明るみに出されると信じている。敗戦後、日本は急速に治安を回復した。すると朝鮮人達は誰からも相手にされなくなり、この頃から『在日に対する言われなき差別』などと嘘話を言い始めた。 


併し、当時の日本人はこんな「身勝手な言い分」を誰も相手にしなかった。日本人が朝鮮人に対して「軽蔑」と「恨み」を強めていったのは、日本が戦争に敗れた時の朝鮮人の恐喝・強奪・ 暴行等々、蛮行の数々の故だ。 


満州・半島では、女・子供 と老人ばかりの避難民を襲っては、女は強姦して殺し、子供は殺すか支那人に売り飛ばした。 

日本に密航してきた朝鮮の奴隷階級、白丁などは敗戦で失意の日本人に獣の牙を剥き出した。GHQの庇護の下、朝鮮進駐軍を僭称して、日本国民相手に悪逆の限りを尽くした。徒党を組んだ朝鮮人は街中で暴力を振るい、駅前一等地の家屋を奪い占有した。


GHQの7年弱の長きに亘る抑圧的洗脳工作の結果、大人達は朝鮮人の悪事に触れなくなった。いつしか在日共の嘘話が罷り通り出した。「お前達は昔、悪い事をした日本人の子孫だから、お前達子孫が責任を取れ」 

朝鮮人は自分達の犯罪をごまかす為に、強制連行・ 従軍慰安婦など、歴史を捏造して事実を逆さまにして大声で叫んでいるのだ。


今も在日共は「通名」という特権を駆使して、悪事を重ねては簡単に改名して新しい身分を手に入れては、また悪事を繰り返している。


真実の歴史は必ず明るみに出る。…出さなければならない。 

私達日本人は決して朝鮮人を許してはならない。 

朝鮮人が行なった日本人に対する残虐な歴史を決して忘れてはならない。 

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