石川久遠の「日本人なら知っておきたい真実」

「陰謀論」とは、「陰の謀(はかりごと)を論じる」ものであり、「妄想論」とは異なる。歴史も現在の出来事も、常識として根付いている様々な事柄も、虚心坦懐に見詰め直せば、裏に隠された真実が自ずと見えてくる。そんな事を考えて、このブログを書いてます。

2016年12月

《日本が歩んできた道、日本が成してきた事を正確に識って、日本人である事に誇りと自信を持って欲しい 》

奴隷はあらゆる地域、時代の文献からも広範にその存在が確認され、その様態も様々である。歴史を遠く遡れば、日本も決して例外ではない。福本勝清氏によれば、多くの奴隷制は生産と必ずしも結びついていないか、生産様式や生産関係を規定づけるほど主要なものではなく、本質的には「自己の勢力を増やす手段であった」。

人種差別、性差別、幼児売買、部落(部族)差別などは奴隷制に固有のものではないが、多くの場合密接に関係していた。暴力と恐怖による支配が社会階層におよぶ場合、必然的に農奴制や奴隷労働者の階級が形成された。

有史以来、人が人を所有する奴隷制度は世界中で普遍的に見られたが、風土・慣習・伝統の違いによる地域差が大きい。戦争の勝者が捕虜や被征服民族を奴隷とする事は、古代には世界中で程度の差こそあれ普遍的に見られた。

古代支那の殷では神への生贄に供する為に奴隷が用いられた。人が人に所有され、人権を与えられない者が奴隷であるなら、日本でも弥生時代に生口(せいこう)と呼ばれる奴隷的身分が既に存在したとされる。勿論、古代ローマ時代に被征服民族が奴隷とされたり、大航海時代以降、白人たちが有色人種を奴隷売買して苦役させたりした奴隷制度と日本の生口は全く性質が異なる。また、中華王朝の周辺部族が皇帝に朝貢する時には、生口を貢物として差し出す事も珍しくはなかった。

農業革命が達成された支那に於いては北宋以降、日本に於いては江戸時代初期以降、土地の囲い込みによる農奴の小作農化(賃労働化)が進んだ。日本では、この農奴の小作農化により、奴隷階級は完全に消滅したと言っていい。白人文化のような家畜的扱いで苦役を強いる奴隷制度が日本に無かったのは幸いである。

西欧諸国では17世紀のペスト禍によって奴隷の価格や農奴の価値が上昇するにつれ、国民については厳格な階級制度が緩和され、農奴から小作人への身分転換が進んだ。併し、国外については、商品購買層ではない人々(他人種)に対して依然として奴隷売買が続けられた。

新大陸(アメリカ)に於いては、リンカーンの奴隷解放宣言後も、事実上の奴隷制度は、人種差別の名の下に近代まで続いた。そもそもリンカーンが奴隷解放宣言を行なっている瞬間にも、北部諸州(南部ではない)では、実際には奴隷使役・売買が続けられており、奴隷解放と奴隷解放宣言の期日は全くイコールではない事は殆んど知られていない。そしてリンカーン自身も奴隷解放宣言の後もしばらく奴隷を使役していた事は恣意的に語られていない。大半のアフリカ系アメリカ人は1971年まで、「選挙権はあるが投票権がない」状態だったなど、政治的な権利の制限は長く続いた。

2014年IS(所謂イスラム国)はコーランの解釈に基づき奴隷制度の復活、運用を国際社会に公表したが、ここでは取り上げる価値もない。ただの犯罪である。

話は大東亜戦争の遠因に及ぶ。戦争要因の裏に人種差別的偏見が存在した事は疑いようがない。第一次大戦後の世界は欧米列強(白人諸国)による有色人種世界の植民地化、奴隷化に終始しており、南米・中東・アフリカを始め、アジア諸国も例外ではなかった。

こうした中、有色人種国家で唯一、欧米列強に伍していた日本は、国際会議に於いて、世界で初めて人種差別撤廃を明確に主張した。

人種的差別撤廃提案(Racial Equality Proposal)とは、1919年のパリ講和会議の国際連盟委員会に於いて大日本帝国が主張した、「人種差別の撤廃を明記するべき」という提案を指す。これには、大英帝国の自治領であったオーストラリアやアメリカ合衆国上院が強硬に反対し、議長のウッドロウ・ウィルソンアメリカ合衆国大統領の裁定により一蹴された。これが後に日本が大東亜戦争に追い込まれた遠因のひとつである事は間違いない。

世界中を植民地化して、原住民を人間扱いせず、奴隷化して数百年に亘って繁栄を謳歌してきた白人諸国にしてみれば、有色人種である日本人から人種的差別撤廃提案を受けるなどとは思いもよらず、また忌々しい出来事であったろう。日本は「欧米列強=白人宗主国」で占められる、世界の勝ち組の中にあって取り除くべき異物同然と判断された事だろう。

米国から捕鯨船の中継基地とするべく、半ば力尽くで開国を迫られ、1854年(嘉永7年または安政元年)日米和親条約締結により開国された日本は、巡り巡って87年後の1941年(昭和16年)、また米国から江戸時代に戻れとの理不尽な要求を突きつけられた。「江戸時代に戻れ」とはハルノートの事である。

当時の『機密戦争日誌』には野村大使の報告と前後して打電された在米武官からの要旨報告電報が次のように記されている。

「果然、米武官より来電、米文書を以て回答す、全く絶望なりと。曰く 1、四原則の無条件承認 2、支那及仏印よりの全面撤兵 3、国民政府(汪兆銘政権)の否認 4、三国同盟の空文化」。「米の回答全く高圧的なり。而も意図極めて明確、九箇国条約の再確認是なり。対極東政策に何等変更を加ふるの誠意全くなし。交渉は勿論決裂なり。之にて帝国の開戦決意は踏み切り容易となれり」。

要するに、日本が鎖国を解いて以来、「開国進取」を国是として、血の滲むような努力し、日露戦争では多大な犠牲を払って手に入れた権益を、全て手放して、また「江戸時代に戻れ」と言うに等しい要求をしてきたのである。これに先駆けて、所謂ABCD包囲網により、石油や屑鉄の禁輸も強いられていた。

日本が事実上、独力では唯一国、アジアで独立を保っていられたのは、軍艦と戦闘機の保持という、強力な軍事力と外交力を持っていたからである。当時の石油備蓄は僅か7箇月分であった。7箇月後には日本は連合国、主に米国の植民地になる事は避けようがない。

開戦の決断は止むを得なかった。これを今の日本人は日本の文科省により「日本による侵略戦争」と教えられている。日本が米国を追い詰めたのではない。米国が日本を追い詰めたのである。日本が米国の無辜の民を攻撃したのではない。米国が日本の罪なき民間人を大虐殺したのである。(日本の民間人犠牲者数約90万人)

敗戦後の日本に降り立った占領軍総司令官ダグラス・マッカーサーは、「日本人による朝鮮人奴隷支配からの解放」を宣言した。日韓併合は大韓帝国からの度重なる懇願により、国際法に則って為され、米国も国際社会も賛成し承認していた。そもそも植民地ではなかったし奴隷的支配もしていないのは、国際社会でも周知の事実であった。

では何故、マッカーサーは突然そのような虚言を吐いたのか? それは現在の真面な日本人なら手に取るように判る。

後に行なわれた「裁判を模した私刑」所謂 東京裁判に於いて、唐突に問われた「南京大虐殺」の罪は「原子爆弾実験投下」の被害者数と絶妙に相殺される数合わせであり、道徳的に日本の上に立つ為には、奴隷制度で発展してきた米国は「奴隷制度のない日本」に「朝鮮からの奴隷的搾取」の罪を負わせる必要があったのである。

更に、マッカーサーは日本にいる朝鮮人の帰国を承認しなかったばかりか、戦勝国民として扱うよう日本に命じた。ここから在日朝鮮人の想像を絶する悪行が始まり、我が祖父母は塗炭の苦しみを味合わされる事になる。併し、この史実は在日韓国朝鮮人たちにより歴史の闇に葬られつつある。

日本人は朝鮮人を同じ国民として扱っていた為、朝鮮人は日本にも数多く居たが、日本に行けばやりたい放題の事ができると、多くの朝鮮人が密航してきた。日本に来れば朝鮮人居るより楽に生活できた事は事実であったし、密航者の殆んどは、朝鮮では最下層の奴隷である〈白丁〉であった。差別の無い日本に来たがる訳である。彼等はマッカーサーの言葉通り〈被害者〉を演じつつ、戦勝国民と偽って徒党を組んでは目に余る悪行・乱暴狼藉を重ねた。

国民総力戦に敗れた直後の日本には、食べるものとてなく、進駐軍の食糧配給に救われた命も多かった。食糧配給は第31代米大統領ハーバート・C・フーヴァーの「食糧の輸入がなければ、日本国民に必要な食糧の数量は、ドイツの強制収容所並みか、それ以下になるだろう」と、食糧援助をマッカーサーに進言してくれた為に実現したものだ。

所謂 東京裁判で問われた主な罪は全て冤罪である。日本人は大東亜戦争に於いても、朝鮮半島に於いても、天に恥じるような事はしていない。南京大虐殺・朝鮮人慰安婦強制連行などは、戦後になって捏造されたものである。

最後に、各国軍隊の行くところ、必ず現地の女性が陵辱され、多くのハーフ(昔はアイノコと言った)が産まれて、父親たる兵士に放置され、兵士は帰国した。米軍・韓国軍など酷いものである。対して我が日本軍が去った後に日系ハーフが放置されて問題化したという話は絶えて聞かない。200万人以上の日本軍が海外に駐留し、戦った現実があるのに、である。

戦後の日本人に説いて聞かせたい。日本軍ほど信義を重んじ規律正しい軍隊は世界にも稀であった。もともと日本とはそういう国であった事を忘れないで欲しい。戦後の間違った教育に価値観を歪められ、韓国などが言い募る〈性奴隷強制連行の嘘〉に惑わされてはいけない。自信と誇りを持って我が国を「再建」しようではないか。いい加減、『マッカーサー史観、東京裁判史観、自虐史観、偽りの贖罪意識』から抜け出さなければ、日本は本当に情けない国になってしまう。

《 在日は全て帰国せよ。竹島不法占拠。謂れなき慰安婦問題。拉致問題。日本に居座る正統性なき在日韓国朝鮮人たち 》

1952(昭和27)年1月、李承晩韓国大統領は「海洋主権宣言」を行なって、所謂「李承晩ライン」を国際法に反して一方的に設定し、同ラインの内側の広大な水域への漁業管轄権を一方的に主張するとともに、そのライン内に竹島を勝手に取り込んでしまった。

1953(昭和28)年3月、日米合同委員会で竹島の在日米軍の爆撃訓練区域からの解除が決定された。これにより、竹島での漁業が再び行なわれる事となったが、韓国人も竹島やその周辺で漁業に従事している事が確認された。

同年7月には、不法漁業に従事している韓国漁民に対し竹島から退去するよう要求した海上保安庁の巡視船が、韓国漁民を援護していた韓国官憲によって銃撃されるという事件も発生した。

翌1954(昭和29)年6、韓国内務部は韓国沿岸警備隊の駐留部隊を竹島に派遣した事を一方的に発表した。同年8月には、竹島周辺を航行中の海上保安庁巡視船が同島から銃撃され、これにより韓国の警備隊が竹島に駐留している事が確認された。

韓国側は、現在も引き続き警備隊員を常駐させると共に、宿舎や監視所、灯台、接岸施設等を構築してしまった。
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「日本の見解」

「李承晩ライン」の設定は、公海上に於ける違法な線引きであると共に、韓国による竹島の占拠は、国際法上何ら根拠が無いまま行なわれている不法占拠である。韓国がこのような不法占拠に基づいて竹島に対して行なう如何なる措置も法的な正当性を有するものではない。

このような行為は、竹島の領有権をめぐる我が国の立場に照らして決して容認できるものではなく、竹島をめぐり韓国側が何らかの措置等を行なうたびに厳重な抗議を重ねるとともに、その撤回を求めてきている。(外務省HP)
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「米国の見解」(…韓国の見解はでたらめで取り上げるに値しない)

ラスク書簡は「米国政府は、竹島は韓国の領土ではなく日本の領土だと判断している」と明示した。併し、同時に… 韓国がそれに異議を唱えて来た。米国は「竹島は日本のものだ」と考えて条約を決めたが、韓国の異議という条約成立後の新たな事態を想定していたなかった。

日米条約上は日本のものとなっていても、実際のところ竹島はどちらのものと考えるかは分からない。それはそれぞれの国の判断である。だから米国が軽々に条約を締結した各国(連合国)の意見を代表する訳にはいかない。

もし日本人と韓国人が、これを解決する事ができない場合には『国際司法裁判所』に付託する事が適切である。(投稿者要約)
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何とも言い訳がましい米国の見解である。国際社会に於いて日米間で国家同士が条約を締結したのなら「竹島は日本領」と言う見解には米国にも責任がある訳で、これを断固として履行すべきであった。米国にはその力が在ったが、日本に利する事を避けたい戦勝国としての逡巡が、現在も日韓間の火種として残っている訳だ。否、米国は意図的に日韓間に火種を残して、この地域に於ける米国のプレゼンス強化を図ったのだろう。

当時、韓国は竹島を不法占拠する為に44人の丸腰の日本人漁民を殺傷し、3929人の漁民を拉致して人質に取った。そうしておいて米国に促され日韓国交正常化交渉に臨んだのだ。人質をとって国家間交渉に臨むなどテロリストがする事だ。韓国が捏造した歴史に対して、5億ドル(+民間融資3億ドル)もの戦時賠償金を「身代金」に近い形で日本に支払わせた。

如何に人質をとられていたとはいえ、敵対する国との交渉に譲歩を重ねて資金援助をしてしまうなど日本も情けない国家に成り下がったものだ。資金提供に留まらず、技術移転や欧米への販路指導までしてあげた。現在までに日本から韓国に援助した金額は凡そ23兆円に上るが、返済は愚か感謝もしていない。

ありもしない慰安婦強制連行の賠償金を払え、謝罪しろと言い募る韓国に対して、日本は性奴隷強制連行の冤罪を認め、元慰安婦一人ひとり宛てに首相の謝罪手紙を渡し、10億円の誰が見ても賠償金と受け取られかねない資金を血税から支払ってしまった。この忌まわしい「慰安婦合意」などに韓国がいつまでも従う気がない事は歴史を顧みれば分かりそうなものを。

愚かで、強欲で、恩知らずな韓国人に所謂「従軍慰安婦」なる捏造話を創り上げ、扇動したのは〈反日日本人〉と〈日本人に成りすました朝鮮人(吉田清治)〉である。

日本の統治時代を調べれば、朝鮮人の多くが如何に日本の統治を喜び、従順であったかが分かる。面白くなかったのは特権を奪われた両班の中にいただろう。それに、自国を併合される事に何の痛痒も感じない国民など居ないと言う事は、日本人も理解しないといけない。

併し、日韓併合により朝鮮人の生活が劇的に良い方に変化した事実を、一切認めようとしないのも異常である。何につけても虚勢を張る韓国人の気質を見せられるにつけ、併合された過去はさぞかし悔しい事であろうが、事実を認めずに妄想に基づく捏造を繰り返して憚らない態度は、反知性的で民族的劣性を示しているようなものだ。

悔しい思いが向上心に繋がれば良いのだが、韓国人はひたすらジメジメ恨み続ける。タチが悪いのは過去を認めない事だ。自分たちがどれほど遅れていたかを認めようとしない。1910年の併合時には識字率が僅かに4%ほどしかなく。さながら未開土人のレベルであった。その4%も両班の漢文の識字率で、ハングルは日本人に再教育されるまで散逸し忘れ去られていた。庶民は100%文盲であった。

商店も無く、川には橋も架かっていなかった。上下水道もないから衛生状態も劣悪だった。これは民族の特性であろうが、所構わず大便をするから、道のあちこちに人糞が転がっていた。イザベラ・バードは、首都 京城府(現ソウル)を世界で最も不潔な街と紀行文に残している。

こういう客観的証拠が多数存在するのに、今の韓国人は「もし日本の統治がなければ米国を超える発展を遂げていた筈」などと「こうだったら良かった」と言う妄想を逞しくする。そしてその妄想を史実としてしまう。誠に哀れな民族であるが、妄想に基づく日本への恨みは迷惑であり、日本への実害も甚大である。

日本総督府は創氏改名を強要していないし、搾取もしていないが、韓国ではそれが史実として教育されている。日本人ですら韓国を植民地支配したと思い込んでいるのは由々しき事態である。文科省は韓国人の捏造に配慮した間違った教育を即刻改めるべきだ。日本は大韓帝国を植民地にしたのではなく、嫌々 併合してあげて日本に組み入れた史実を歪曲してはいけない。

基から搾取を目的にした植民地政策なら、大規模工場生産の方式を取り入れて、広大な農地に大量の資本を投入し、先住民の安価な労働力を使って単一作物を大量に栽培する(モノカルチャー)大規模農園、プランテーション (plantation) 方式を採用しただろう。

日本はそうはせず、住民の主食である「米」の生産を指導した。そして食糧増産に必要な灌漑工事をして、食糧増産を奨励した。食糧増産の結果、朝鮮半島の人口は35年間で約2倍に膨れ上がり、総督府は学校を造り人々に教育の機会を与えた。原住民に教育を施し、人口を倍増させるなど欧米の植民地では有り得ない事である。何より日本は毎年国費の30%もの資金を朝鮮半島の近代化の為に投じた。

日韓併合は未開土人を文明開化させたのである。悔しいのは分かるが、韓国人は日本に感謝するべきである。日本人は朝鮮人を日本人同様の「文明人」に育て上げるべく努力した。

併し、日本の敗戦により「教育半ば」の朝鮮人は野に放たれた。彼等はさながら獣であった。インフラを整え、識字率を上げ、文明を開花させたかに見えたが、彼等は野に放たれた途端に主人の居ない獣に還ってしまった。彼等の獣ぶりは散々述べてきた。

ある者は日本人として正式に入国していたが、敗戦の混乱に乗じて密航して来た朝鮮人も多い。密航してきた朝鮮人の数、凡そ31万人である。日本に残った朝鮮人は、敗戦後の失意の日本人に乱暴狼藉を働き、疎開していた日本人の住まいに居座り、闇市を乗っ取り、密造酒などで荒稼ぎし、果てはテロなど様々な悪行に手を染めた。今では言葉狩りの対象にされている「朝鮮進駐軍」など本当に彼等は横暴に振舞い、日本の警察権が及ばない事を良い事に、多くの日本人婦女子を犯し、一般人を殺害した。悪事を重ねてのし上がって、一端の実業家を気取る朝鮮人も数多く現れた。

在日一世、二世は以上述べた事実を知りながら、「自分たち朝鮮人は強制連行されて来た」などと嘘を付き通す。こんな在日に日本政府は特別永住権を付与してしまった。然も、在日特権を受けながら、北朝鮮工作員として多くの日本人拉致の手引きをする者まで現れた。日本の公安は幾人もの素性を掴んでいる筈だ。拉致に関わった北朝鮮工作員は全員逮捕して法の裁きを受けさせるべきだ。

在日たちは「差別だ!強制連行で連れて来られた」と嘘を付き続け、掛け金も掛けずに年金を全額受け取り、日本人より容易に生活保護の対象となり、その上、参政権までも寄こせと主張している。実際に不当な政治活動を行なって内政干渉もしている。一刻も早く特別永住権を取り上げ、在日を名乗る不逞鮮人を強制送還すべきである。

忌わしき韓国による「竹島問題」「捏造慰安婦問題」、そして北朝鮮の「拉致問題」…南北朝鮮による「在日問題」は皆「嘘」で繋がっている。何れか一つを解決すればいいというものでは無い。何れも困難な問題であるが、これらの全面解決なくして、日本の戦後は終わらず、日本国に未来永劫暗い影を落とし続けるだろう。
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▪️韓国は侵略国 日本人虐殺・拉致事件 (竹島)
http://youtu.be/qdkKuaNkPdk
▪️日本の領土をめぐる情勢「竹島」
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/takeshima/g_senkyo.html
▪️在日は貴方達が強姦してできた子
http://t.co/2CEdCmYE7B

《 歴史修正は悪ではない。誤りは勇気を持って正していくべきだ 》

欧米ではリビジョニスト(Revisionist = 〔歴史〕修正主義者)というと〈悪〉を意味する。日本人には「正しく修める」のがなぜ〈悪〉なのかピンとこない。歴史は同時代に生きる者には例外(意図的な悪事等)を除いて善でもなく悪でもない。ただその瞬間を必死に生きているだけの積み重ねが後に歴史と呼ばれる。

歴史の捏造によって悩まされ、苛まれ続ける日本人には「過ちては則ち改むるに憚ること勿れ」との考えがあり〈捏造された歴史の修正〉は良い事にしか思えてならない。嘘つき国家にとっては嘘を正されては叶わないから「歴史の修正」を〈悪〉と責め立て、過去を暴かれるのを嫌がり、確定したものとして済まそうとする。

それどころか中共や韓国は〈嘘の上塗り〉を国是とさえしている。安倍首相の真珠湾訪問により日本との真の和解を総じて受け容れているかのように見える米国も『東京裁判史観』という歴史捏造を国家としても国民の総意としても改めはしないだろう。日本がこれを覆そうとすれば米国もやはり日本に対して敵国として振る舞うだろう。

併し真実に立ち戻る事に何の罪過があろうか? 先の大戦に敗れて71年になろうとしている。悪い事をしたからではなく、ただ戦争に敗れたから、日本人は71年間も身を縮めて生きてきた。そうする内に、自らを責める事を善行と勘違いする愚かな偽善的日本人まで出てきた。この特異な国民性は、そう仕向けた占領統治の所為ばかりとは言えない気がする。

元々日本人は人が好過ぎるのだ。そして現代の日本人には自虐的偽善者が多過ぎる。お人好しの日本人には偽りの戦後教育が相当強く影響している。更に、在日韓国朝鮮人による捏造世論の誘導にも多くの無自覚な日本国民が騙されている。

過去を正しく見極め、秩序立てて整理されたものが歴史なら、日本人はリビジョニストと言われる事を恐れてはいけない。謝罪や賠償が目的ではない。我が日本は、広く真実を、歴史の正義を知らしめたいだけである。正しい言説に抵抗するのは疚(やま)しい捏造国家だけである。

安倍政権の初期、米ニューヨーク・タイムズ紙は「安倍首相の危険な歴史修正主義」と題する社説を掲載し、英フィナンシャル・タイムス紙も「歴史修正主義者」と指摘した。米議会調査局が公表した日米関係に関する情勢分析の報告書にも「安倍首相は歴史修正主義者の視点を持っている」と書かれた。この言葉を使って安倍首相を「批判」する海外メディアが実に多かった。

併し、安倍首相は国際社会、特に米国からの激しい風当たりを実感すると、日本国民に訴えかけた筈の「戦後レジームからの脱却」「日本を取り戻す」などのスローガンをかなぐり捨て、米国が押し付ける歪められた歴史観をいとも簡単に受け容れて見せた。人間の本心はそう容易く変節できるものではないから、安倍首相も心の底では〈戦後レジームからの脱却〉をする必要性を今でも感じている事だろう。

個人としてはともかく、安全保障を日米安保に頼り切った今の日本の首相としては、〈憲法9条〉をなんとかしない限り米国のポチを演じる他ないとの政治判断は止むを得ない現実であろう。

歴史修正主義とは既に確定している「歴史的事実」について異議を唱え、存在しなかったかのように主張したり、修正を迫ったりする事を言う。併し、時代を経て新たな事実などが判明した場合、それまでの歴史が色々な角度から検証され「修正」されるのは本来当然の事である。歴史修正主義が否定的な意味で使われるには、それこそ歴史的な経緯がある。

その大きな理由は、ナチス・ドイツによるホロコーストの否定論者が自分たちの事を「歴史修正主義者」としたからだ。嘗てドイツが国家をあげて推進したユダヤ人への抑圧政策、アウシュビッツ強制収容所でのホロコーストは、人類史上最悪の惨劇と記録されている。ところが戦後、欧州では一部の者がホロコーストを疑問視するようになり、1970年代には沢山の否定論が登場した。

こうした者たちが「歴史修正主義者」と呼ばれた為、欧州や米国でこの言葉が批判的な意味で使われるようになってしまった。日本でも90年代以降、日本軍による所謂「南京(大虐殺)事件や(従軍)慰安婦問題」が無かった等とする者に対して、誤用または恣意的に悪用されている。

近年では、ホロコーストを否定するかのようなイランのアフマディネジャド(当時)大統領の歴史認識が、国際社会でのイランの孤立の一因になった。「歴史修正主義」という言葉は否定的な印象を与える為の「レッテル貼り」に使われるようになってしまった。

実際、ドイツやオーストリア、フランス、スイス、ベルギー等ではホロコーストを否定する行為を違法としている国も多く、リビジョニストの歴史学者や運動推進者が逮捕されたり、書籍が発禁になる事件が度々起きている。正に腫れ物に触るような体制が定着してしまっている。これではホロコーストを検証しようとする研究者など現れよう筈もない。

私は、虚心坦懐に精査すれば、史実と確定されたホロコーストの事案にも「誇張や捏造」があるのではないかと考えている。日本の過去が「歴史的事実という名の嘘」で塗り固められているように。

併し、ドイツは同じ白人国家という事もあり、日本より上手く戦後を切り抜けた。また、ドイツは国家には直接傷を付けない様に、ナチス一身に罪を被せるという狡猾というより卑劣という方が相応しい手を使った。併しその裏では、有る事、無い事、押し付けられるという、苦い経験もあっただろう。ドイツは卑劣を通す為にそれらの理不尽を受け容れる国家的選択をした。

日本人は、軍部の所為だけにして国民はシラを切るという事はしなかった。況してや、畏れ多くも天皇陛下をスケープゴートにしようなどとは絶対に考えない。この日本人の生真面目さに、米国が、そして後に韓国・中共が付け入ってきたのである。

オーストリアは韓国と同じ立場にあったが、その対応は最終的には立派なものであった。オーストリアは1938年から6年間、ドイツに併合されていた。韓国と異なり、それこそ強制的に武力を以って併合されていた。

戦後、ナチスによるユダヤ人迫害が問題視されるとオーストリアも最初は「我が国はドイツに強制併合されていたのだから、我が国もナチスの被害者だ」という卑怯な態度をとっていた。併し、史実を調べるとオーストリアも併合中はナチスに加担してドイツの戦争遂行やユダヤ人迫害に積極的に協力していた。

オーストリアのカール・レンナー(当時)大統領は、後に「オーストリアは被害者ではなく加害者だった」と謝罪し、フランツ・フラニツキー(当時)首相はイスラエルを訪問した時、「我が国もナチスに協力してユダヤ人を迫害した」として国家として正式に謝罪した。カール・レンナー大統領、フランツ・フラニツキー首相の二人は、オーストリアはナチスドイツと行動を共にした加害国であると認めて、被害国に公式に謝罪し、自国の罪を認めたのである。この行為は各国から賞賛された。

韓国はオーストリアと違って〈自ら懇願して日本に併合され〉、大東亜戦争では少なからぬ朝鮮人が日本軍として連合国と戦った。立派な朝鮮人日本兵も沢山輩出した。然るに戦後の朝鮮人は、特に今の韓国政府は〈加害者〉である事を認めず一貫して〈被害者〉を演じている。日韓併合以来、朝鮮人が〈被害者〉であった事は一度もない。特に韓国政府と韓国人・在日韓国朝鮮人は〈被害者〉どころか日本に対する一方的〈加害者〉であり続けている。

これからの日本人は歴史の捏造を絶対に受け容れてはいけない。悪意ある嘘で固められた、偽りの歴史は、何と言われようと正していく。〈事実を捻じ曲げられた歴史は堂々と修正していくべきである〉。正しい行ないに躊躇いは不要である。我々の大切な子々孫々の為に誇りを取り戻す決意に揺るぎがあってはならない。

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本来の「修正主義」(Revisionism、リビジョニズム)とは、マルクス主義運動の分野で、マルクス主義の原則とされるものに対して、重大な「修正」を加える意見や思想などに対して使われていた用語である。

《 今年の日本の報道の自由度ランクは180箇国中72位だそうだが、戦後一貫して日本には報道の自由どころか「言論の自由」すら規制する偽善的風潮が残っている 》

今年4月末に、国連人権理事会のデビッド・ケイ特別報告者なる人物が、外国人記者クラブに於いて、「日本の報道の独立性は重大な脅威に直面している。放送法そのものが政府の規制を許している時点で問題だ」などと偉そうに批判したが、決して日本の報道の現実を理解しての問題提起ではない。

デビッド・ケイ特別報告者は自称ジャーナリストの鳥越俊太郎氏と青木理氏の二人の日本人を選んで事情聴取したという。真面なジャーナリストは他にも居そうなものだが、なぜ歴史観の狂った出来の悪いこの二人を選んだのかは不明である。鳥越俊太郎氏は東京都知事戦に立候補して、ジャーナリストとしても人間的にも論理破綻している事を露呈したが、青木理氏も決して真面なジャーナリストとは言えない。この二人には〈日本に対する愛が欠落〉している。他には反日的な在日本外国人ジャーナリスト7名ほどとの食事会で事情聴取をしたそうだ。

その程度の調査で我が国の「報道の自由度」を国際比較して欲しくはないが、日本のマスメディアが支那・韓国、特に在日韓国朝鮮人に異常な配慮をして自己規制の枠を超えて雁字搦めになっている事は憂慮すべき事態である。併し、デビット・ケイ氏はこの部分には全く気付かず、似非ジャーナリストと外国人ジャーナリストの反日的偏見に基づいて国際的順位を決めたに過ぎない。「報道の自由度」に対する問題意識の在り方が全く異なるのだから真っ当な日本人には意味のないランキングであり無視して良いだろう。

正しい尺度による「報道の自由度」は重要な問題だが、実は日本は「報道の自由」どころか「言論の自由」すら危機に瀕している事に気付いている日本人は少ない。「ヘイトスピーチ禁止法」という片務的な悪法の成立が「言論の自由」の束縛推進に拍車をかけている。比較的〈言論の自由度〉の高かったネットの世界でも「言論の自由」は堂々と無視されるようになってしまった。具体的には日本のFacebookには「言論の自由」は無くなってしまった。Facebookは韓国人の立場からしか歴史を観ようとしない、あからさまな検閲による言論統制が行なわれている。然も、如何にも遡求法が罷り通る韓国らしく、過去に遡求しての検閲を行ない、それに引っかかるとアカウントを停止するという徹底ぶりの言論封殺である。

日本全体が前々から「言論の自由」を軽視しがちだったが、特に〈真実の近現代史〉に触れる事は益々困難になってきた。皆さんは、公共の図書館の〈ある一定の傾向〉にお気づきだろうか。公共の図書館の多くは未だにGHQの言論統制、禁書、検閲の名残が在り、偽善的正義感による自己規制が罷り通っている。

これは親しい近現代史の研究者に聞いた話で、自ら検証した訳ではないが、ここ数年、公共図書館から渡部昇一氏の著作がどんどん姿を消しているそうだ。これは、一人 氏の著作物に限った事ではないだろう。そういう傾向に徐々に変容しているという事だ。〈日本に関わる近現代史の真実〉を語る事は在日韓国朝鮮人に対する差別を助長するとの偽善を良しとする傾向が確固たるものになりつつあるという事だ。

公共に限らず図書館というものは、展示できるスペースに限りがある為、一定のサイクルで、消耗の激しい書籍、汚れた書籍を、新しい書籍に換えて行く。古く汚れた本は、需要のある新品の書籍に場所を譲り、あるものは閉架保管となり、あるものは寄贈されたり廃棄される。これを決めるのは図書館司書の仕事である。

前述の研究者によれば、以前は在った渡部昇一氏の著作物がまるで見つからないので調べて貰ったら、閉架保管もされずに廃棄されてしまったようだという。蔵書に埋もれた生活を送りながら、尚 図書館通いとはご苦労な事だが、これが事実なら、笑い事では済まされない由々しき事態である。

1946年(昭和21年)、GHQは「宣伝用刊行物の没収」と題するタイプ打ちの覚書を日本国政府に送りつけた。書物の没収は全国的に行なわれたものの、一般家庭や図書館にある書物は没収対象にはせず、書店や出版社から、或いは政府ルートを通じて国民に知られないよう秘密裏に廃棄されたという。

西尾幹二氏らは批判的立場からこれを「焚書」と呼んだが、この「焚書」とは、近代では必ずしも書物を言葉通り焼き払う行為ではなく「没収宣伝用刊行物への指定」であったりと所謂「禁書」に近いものだ。西尾幹二氏はGHQが7,769点の指定リストをつくったと記している。

大東亜戦争敗戦後、敗戦利得者らが占めた地位は、大学教授やジャーナリストなど、安定的に日本に害毒を及ぼすような地位が多かった。日本の主要大学の総長、学部長クラスの多くが占領軍民生局による公職追放令によってポストが空けられ、その席は偽善的反日左翼たちに分け与えられた。…といった内容で、日本人の裏切り者について触れている。

表向きは自由を高らかに謳う米国による検閲には、主にそういった日本人が従事した。検閲はいつしか〈マスメディアとGHQとの共犯関係〉をつくり、記事は文字通りの〈GHQ製〉となり、国民は手紙まで検閲され不安を煽られた。検閲に従事した日本人は自分が悪い事をしているとの意識は持っていた。後に胸を張って検閲をしていたという日本人が現れないのが何より彼等の罪悪感を証明している。

1952年(昭和27年)に日本が主権を回復しても、マスメディアは〈共犯〉による〈罪過〉を隠す為、素知らぬ顔で〈GHQ製〉の記事を垂れ流し続け、やがて、それはマスメディアの風土になってしまった。その代表格が今のNHKと朝日新聞である。自分だけは真面だと偉そうな顔をしている他のメディアも、大なり小なり同じ様なものだ。

学校では〈GHQ製の歴史〉が教えられ、戦前を知らない世代は所謂〈自虐史観〉に染まっていった。これらはウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WQIP 戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつける為の宣伝計画)に基づいたものである。情けないのは「それは嘘だ」という大人たちが後々も大きな勢力として出てこなかった事である。

あれから65年近く経とうとするのに、正に今以て日本人はGHQの亡霊とでも呼ぶべき劣化再生産された偽善的反日左翼の亡者たちに蝕まれ続けている。それは売国奴の素顔を暴かれた朝日新聞が、戦後71年間、日本のクォリティペーパーと言われ続けている事実が裏付けている。朝日新聞は未だに真面な謝罪もできない始末だ。何より朝日新聞はあれだけ日本を貶める嘘を海外にまで発信しておきながら、形ばかりの訂正をしたのは国内版だけで、海外には謝罪も訂正もしていない。

近現代史で日本人が為した美徳を讃える事は憚られ、悪い事なら捏造でも何でも反省し、謝罪し、賠償する事が正義であると〈歪んだ美徳〉を刷り込まれて育った日本人の何と多い事か。マスメディアには、ほぼこの間違った思想が蔓延している。反日左翼教師が正統性を主張する教育界も《教育者追放令》の傷跡から回復していない。

この悪弊が〈公共図書館にまでも蔓延〉しているとしたら、余りにもこの国は救いがないではないか。比較的自由度が高いと思われるネットの世界にも、目を向ければ〈日本悪しかれ論〉こそが正義であるなどという害毒が撒き散らかされている。

メディア界、教育界のみならず、こういう時こそ頼りにしたい政治家すら多くが在日汚染されている現状を見るにつけ、この国を救うのは〈真性日本人による独裁〉しか無いのではないかとすら思ってしまう。勿論、これは極論である。政界にも、まだまだ志の高い政治家が沢山いると信じたい。少なくとも我が国は今、存亡の危機ともいうべき大きな分水嶺に差し掛かっている事は確かである。

《 真珠湾攻撃を「騙し討ち」などと言う資格は米国には無い。日本は戦争などしたくは無かった。日本国民は隠しだてされていない真実の歴史を教えられるべきだ 》

安倍首相の真珠湾訪問を〈オバマ米大統領が広島訪問をした事への返礼〉かの如く報じる日本の一部のマスメディアと一部の識者と言われる人は不見識である。安倍首相自身が「オバマ大統領の広島訪問とのバーターではない」と明確に発言しているのに、そういったマスメディアはなぜ〈真珠湾と原爆投下を相対化〉するような馬鹿な論説を展開するのだろうか? このような愚かな報道に接すると甚だしい違和感を覚える。

〈真珠湾攻撃〉と人類初の〈原子爆弾の実戦使用〉は意味も重さも全く違う。真珠湾攻撃は国際法上どの国にも認められていた戦力の行使=戦争である。米国は真珠湾攻撃を Sneak Attack(騙し討ち)だとして正義は米国にあるかのように当時も戦後もしきりにプロパガンダを徹底して行なっているが、国際法の何処にも「宣戦布告は事前にしなければならない」などという規定はない。世界の戦争慣例では、実際に戦争を始めてから自国民に対して発表するのが 「宣戦布告」の手続きである。

米国自身も先住民族であるアメリカインディアンに宣戦布告などせずに何の後ろめたさも感じずにほぼ殲滅させたし、スペインからの独立を切望するフィリピンを植民地化した時も、フィリピン人を騙してスペインと戦わせ、その後、フィリピン人を20万人も無差別殺戮した挙句にパリ条約で2000万ドルを支払い勝手にフィリピンを購入してしまったではないか。ハワイ王国を侵略した時も〈事前の宣戦布告〉などしていない。米国自身は〈事前の宣戦布告〉など一度もした事はないのだ。

〈真珠湾攻撃〉を〈騙し討ち〉などと言う資格は米国には無い。戦争をしない事を公約に掲げて大統領になったフランクリン・ルーズベルトが米国民に参戦する事を納得させる為に日本を挑発し続け「Remember Pearl Harbor」と言うスローガンを使っただけである。有色人種国家である日本の台頭を好ましく思っていなかった白人たちは、この偽りの大義にころっと騙され元々持っていた差別主義と好戦性を剥き出しにしただけである。

広島・長崎への原爆投下は米国が如何に詭弁を弄しようとも人間として決して許してはいけない行為である。兵士でも無い一般人である女性や子供、老人や病人の別を問わず、全くの無辜の民に対する〈無差別大量殺戮〉をして退けたのである。安倍首相自身の「オバマ大統領の広島訪問とのバーターではない」との認識は正しい。

テレ朝ニュースでは、米第442連隊の元通訳、ハーバード・ヤナムラさん(92歳)の発言を利用して安倍首相によるアーリントン墓地への慰霊訪問を殊更肯定的に促した。アーリントン墓地訪問に反対はしないが、日本の首相ならアーリントン墓地の前に靖國神社への参拝を済ませるべきだろう。それが順序と言うものだ。(個人的には「日韓合意」で英霊の顔に泥を塗った安倍首相に靖國神社へはいって欲しくないが…)

「どの国と戦うのかは問題ではない。戦争そのものが良くない。特に、沖縄で住民が沢山あちらこちらで死んでいるのを見て、戦争はこういうものだ、人間はケダモノと変わらないという感じが強く私に残るようになったんです。」とハーバート・ヤナムラさんは言う。「広い芝生の部分はすべてお墓です。一人ひとりの名前が刻まれ、花が手向けられています。戦争中、アメリカへの忠誠を誓う為に日系人だけで編成された部隊、亡くなった人たちはこのお墓の一角に葬られています。」テレ朝ニュースは、安倍総理がアーリントン墓地を訪問する事を、過酷な経験をした元日系アメリカ兵や戦争で亡くなった人たちを慰霊する行為として肯定的に報じた。

国の為に散華された英霊と総ての外国人の戦争犠牲者をも慰霊の対象とする靖國神社に米国大統領は一度も訪問していないのだから、日本の首相が米国のアーリントン墓地に慰霊訪問するのは外交の〈相互主義〉に反する。(2015年に安倍首相はワシントン郊外のアーリントン墓地に慰霊訪問している)。米国大統領どころか日本の内閣総理大臣や閣僚や国会議員の靖國神社参拝も毎年大騒ぎで問題視するマスメディアはどう考えても可笑しい。

日本のマスメディアは特亜のプロパガンダを代弁するかのように靖國神社参拝を大騒ぎで反対するが、米国のアーリントン墓地への首相の慰霊訪問には賛成する。可笑しいとは思わないか? アーリントン墓地はともかく、マスメディアは日本の首相が真珠湾を訪問する事を報道するなら、なぜ真珠湾を訪問するのかその意義や経緯を国民に解りやすく解説するべきではないか?

この問題を機にWikipediaを調べてみたが、ネットの世界は玉石混交と言われる通り、紛い物の左寄りの解説が氾濫していた。真珠湾攻撃はABCD包囲網やハルノートが原因ではなく、7月2日の御前会議で「情勢推移に伴う帝國々策要綱」で「南方進出の態勢を強化す」「帝國は本号達成のため対英米戦を辞さず」としていた。戦争への引き金はABCD包囲網ではなかった。(検証・真珠湾の謎と真実)…といった解説も見られる。これは事実であるがこの部分のみをクローズアップして、さも日本が戦争を望んでいたかのような錯覚を誘うのはフェアではない。だいいち「…辞さず」と言うのは積極的ではなく受け身の姿勢を示している。

真珠湾攻撃の事前の動向を解説するなら米国側の動きも正確に遡って調べて皆が読めるように記述するべきだろう。

米国は日本に〈真珠湾攻撃〉をさせるずっと以前から日本を仮想敵国として戦争準備を整えていた。米軍部は仮想敵国を色で区分し、それぞれの戦争作戦を立案した。これは「カラープラン」といわれ、日本は色が〈オレンジ〉に区分された事から「オレンジ計画」と呼ばれた。その他、ドイツは黒、イギリスは赤、フランスは金というように色分けされていた。

「オレンジ計画」は、日清戦争の僅か2年後である1897年に日本を仮想敵国として対日戦略プログラムとして策定されていた。日本は正しく米国のシナリオ通りに開戦に追い詰められていった事が容易に分かる。「オレンジ計画」を最初に策定したのは、米国の第25代大統領ウィリアム・マッキンレーである。真珠湾攻撃の実に44年前から米国は日本を攻撃する計画を策定していた。第25代大統領ウイリアム・マッキンレー、第25代副大統領セオドア・ルーズベルトの二人が「オレンジ計画」を策定し、それを実行したのが第32代大統領のフランクリン・ルーズベルトである。

20世紀初頭からホワイトハウスは軍部に対し、近い将来、国際戦略で利害が対立するであろうと予想される国々との戦争シミュレーションを立案させていた。大方の予想を裏切って日露戦争で有色人種国家 日本がロシアに勝つと、白人国家 米国は日本を疎ましく思うようになった。米国は桂・ハリマン仮条約の破棄により、日本は「支那大陸に米国を割り込ませず支那大陸を独占するつもりだ」などと思い込んだのだろう。支那大陸に進出しアジアに於ける領土拡大を目論む米国には、打算と共に日本人に対して「有色人種のくせに生意気だ」という差別感情が全く無かったとは言えまい。

当時の支那の大部分はイギリス、フランス、ドイツ、ロシアが押さえていた。ところが、ロシアが押さえていた遼東半島に日露戦争によって突如、日本が割って入ってきた為、米国は差別感情に基づく嫉妬をした。有色人種である日本が自分たちより先に支那大陸に拠点を築いている事が我慢ならなかったのだ。

米国は日本を現実的仮想敵国とした。この時から従来からあった「オレンジ計画」の内容は一変し、日本を打破する具体的な戦術が盛り込まれた。米国は自国に太平洋艦隊が無い事に気づくと、〈日本に真珠湾を攻撃させる〉前に、西海岸のロングビーチに拠点を置いていた米艦隊をハワイの真珠湾に移動した。サンディエゴの艦隊修理工場も真珠湾に移動させた。

F・ルーズベルト政権は〈真珠湾攻撃の3年前に日本の隔離政策を立案〉し、〈1年半前に西海岸の艦隊をハワイの真珠湾に移動〉し、日本との対戦に備えていた。日本は「戦争をしたくない」という意思表示として、数ある米国の外交暗号のどのパターンを既に読み解いているかを知らせていた。それほど米国に対しては恭順の姿勢を示していた。御前会議の〈防衛方針〉を問題視する前に、米国の用意周到な戦争準備をこそ問題視するべきだろう。マスメディアも識者もネットに氾濫する情報の一部も、こういう史実は無視して日本を悪者にする事に熱心だ。こう言う史実を指摘すると〈ネトウヨの戦争礼賛〉と切り捨てる風潮があるのは好ましからぬ問題である。

安倍首相の真珠湾訪問を機に、日本が真珠湾攻撃に追い込まれていった歴史の概略くらいは日本人として知っておきたい。できれば昨日更新した当ブログの「日本人は本物のハルノートを見ていない」も合わせてお読みいただきたい」。日本の公教育もマスメディアも識者たちも語らない真実の近現代史の重要な一部である。

《 大日本帝国はその意思に反して米国との戦争に引きずり込まれた。そして「真珠湾攻撃」を米国は事前に承知していた。多くの日本国民は史実を知らされていない 》

日本を大東亜戦争に引き摺り込んだ、米国からの最後通牒、ハルノートは実際には2通存在した。米国国務長官にして、なんとノーベル平和賞受賞者 コーデル・ハルが書いた〈本物〉と、日本に突き付けられた〈偽物〉のハルノート。

コーデル・ハルが書いた本物は、日本に対して非常に宥和的な内容となっており、チャーチルや蒋介石、インドネシアのオランダ臨時政府らには受け容れ難いものであった。「もっと厳しい内容でなければ駄目だ」と同盟国に反対させる為につくられたのである。ルーズベルトの意地悪い思惑通りに恣意的に宥和的に書かれたハルノートは同盟国の賛同を得られず、米国は〈止むを得ず〉強硬な内容のものに書き直すという形式を踏んだ。

強硬な内容に書き直された〈偽物のハルノート〉は、財務次官補ハリー・デクスター・ホワイトにつくらせ、然もどの同盟国にも見せられる事は無かった。F・ルーズベルト政権でも、極限られた者にしか知らされなかった、米国議会さえ知らされないままホワイトハウスの一存による、その卑劣な要求を知らされたのは日本だけである。因みにハリー・D・ホワイトは、後にコミンテルンのメンバー(ソ連のスパイ)であった事が明らかになっている。

偽物は1941年11月26日にワシントンに於いて駐米日本大使 野村吉三郎に手渡された。実は日本は後世ハルノートと呼ばれる偽物の内容を、手渡される前に知っていた。日本は米国との友好の証しに、数ある米国の外交暗号のどのパターンを既に読み解いているかを知らせていた。米国は敢えて解読される事を承知で、11月22日、駐日米国大使グルー宛てに強硬な最後通牒を打電していた。

なんと意地の悪いやり方だろう。当然の如く解読した日本側は強い衝撃を受けた。それにしても、どのパターンの暗号を読み解いていたかを知らせる程に、日本は米国に恭順の意を示していた事は今の日本人にも殆んど知られていない。日本は米国と戦う意思の無い事を随所で示していたのである。日本政府・文科省はこういう史実こそ正確に日本国民に教育するべきである。

ハリー・D・ホワイトが書いたハルノートの概略は以下の通りである
 1、日本軍の支那、仏印からの無条件撤退
 2、支那に於ける重慶政府(蒋介石政権)以外の政府、政権の否定
       (日本が支援する南京国民政府の否定)
 3、日独伊三国同盟の一方的解消
…石油も鉄も食料も全面禁輸されている日本に対し大陸に於ける権益を全て放棄し『明治維新前の日本に戻れ』と言うのである。

ハリー・D・ホワイト作のハルノートには〈江戸時代に強制的に開国させられて以来、知恵を絞り、血の滲む努力の末、白人国家・欧米列強に伍した日本に「また江戸時代の日本に戻れ」と言い渡しながら、その代償に「経済封鎖を解くとは一言も書かれていなかった!」〉

「今次戦争についていえば、真珠湾攻撃の直前に米国国務省が日本政府に送ったものと同じような通牒を受取った場合、モナコ王国やルクセンブルグ大公国でさえも合衆国に対して戈をとって起ちあがったであろう」…これはアルバート・ジェイ・ノックという米国の歴史家が記した言葉で、後にあの茶番劇「極東国際軍事裁判」(所謂 東京裁判)に於いて同じく米国人のブレイクニー弁護士が引用し、それをパール判事も判決書の中で引用した。

「あれは例え話で現実には軍隊も持たないモナコ王国が合衆国に戦争を仕掛ける訳がない」などと言う人が居るが、それはあの時代を生きた日本人に対して余りにも愛情を欠く意見である。現代人の感覚で歴史を裁く誤ちを犯してはいけない。当時を必死に生き抜こうとした日本人に失礼であり、日本という祖国に愛情を持たない反日左翼の身勝手な言い分である。

更に、米国は米国内にも絶対機密のハルノートを突き付けた後も、天皇陛下に対して「両国の友好を深めたい」などとの戯れ言を平然と親書として送りつけてきていた。大日本帝国は文字通り感情を弄ばれていたのである。

当然の事ながら、米国は真珠湾攻撃を事前に知っていたから、空母、潜水艦などの重要艦は真珠湾から疎開していた。更に大日本帝国連合艦隊の現在地点と行先を調べた上で、絶対に遭遇しないように厳重注意を発していた。日本の艦隊は無人の海を「細心の注意を凝らして」進んで行ったのである。

攻撃機の編隊は、米国に無線を傍受されるのを警戒して、一説には一切の無線を禁じていたとされているが、実際には無線は自由に使われていた。当然の如く米国に傍受され、日本軍の計画は筒抜けであった。

併し、日本軍に先に手を出させて参戦を正当化する為とは言え、攻撃を知りながら真珠湾に無防備で繋留されていた米国の軍艦の乗組員の命を、大統領であったルーズベルトはどう考えていたのだろうか。唯々参戦したいが為に、追い詰められてもいないのに自国民を捨て石にする指導者とは、とても真面な神経の持ち主とは思えない。真実を知ったらご遺族はどう感じられるだろうか。

人と人が殺し合うのが戦争である。そんな戦争を真面な精神で安易に実行できるものではない。殆んどの場合、一部の異常者の暴走が戦争を招く。戦争は当事国全ての国民の心を千々に切り裂き、後々まで深い傷を遺す。米国は大いなる勘違い国家である事に拍車をかけた。そして敗戦国日本は米GHQの占領政策の悪意に満ちた実験的洗脳政策から未だ完全には脱していない。これは米国が意図的に仕込んでいった在日韓国朝鮮人たちの反日感情と祖国を裏切った敗戦利得者の自己正当化という身勝手な思惑も大いに影響している。

占領期に植え付けられた〈自虐感情〉から71年後も脱し切れていないという事態はどう考えても異常である。ハルノートが2通あった事を知らされていない日本人は、後に米国最高裁所判事になったコーデル・ハルに〈勲一等菊花大綬章〉を授与し、200箇所以上にも及ぶ都市部絨毯爆撃を指揮したカーティス・ルメイ少将には〈勲一等旭日大綬章〉を授与した。日本の内閣府賞勲局は自虐史観に塗れている。

勲一等の授与は天皇陛下が直接お手渡しされる〈親授〉が通例であるが、昭和天皇はこの〈親授〉をされなかったという。日本政府と異なり昭和天皇は自虐史観などに穢されはしなかったという事だ。

蛇足ながら売国奴 河野洋平も〈桐花大綬章〉を授与されている。桐花大綬章は日本の勲章の中でも1888年(明治21年)1月4日に旭日章の最上位として追加制定された程の勲章である。〈勲一等菊花大綬章〉や〈桐花大綬章〉を日本を戦争に引き摺り込み、日本人を多勢焼き殺した米国人や日本の名誉を著しく貶めた売国奴に、日本という国は勲章を授けたのだ。国家そのものが自虐史観に穢されているとしか思えない奇行である。

一方の米国人は「…この剣を携えて殺戮する手も、また、もはや人間の手ではなく、神の御手であり、人間が絞首し、車裂きにし、斬首し、殺戮し、戦争をするのではなく、神が之をし給うのである。すべては神の御業であり神の審判である」などと考えている。日本人に対する大量殺戮は自分たち米国人ではなく「神のみ技」であると考えているのだ。心が痛まない訳である。

私は人殺しを「神のみ技」などと宗教を悪用して正当化する行為には絶対反対である。宗教を悪用して人殺しを正当化する行為は、あの悍(おぞ)ましいオウム真理教のようなカルト集団の行為と何ら変わる所はない。

《 捏造国史教科書で国民に妄想を教え込んでいる韓国に、日本の教科書に内政干渉してくる資格は無い。仮に日本が抗議したら韓国は捏造をやめるのか、と言えばそんな事は100%無いと言い切れる 》

そもそも歴史教科書に限らず、主権国家の教科書内容に外国政府や在日外国人が反対運動をしたり、裁判を起こしたりするのは明白な「内政干渉」であり、外国からどうこう言われたからと言って、いちいち内容や記述を安易に変更するべきでは無い。

普通に考えてみれば誰でもおかしいという事に気づく筈だ。日本が中共や南北朝鮮に対して、「あなた方の国の歴史教科書は間違っているから直しなさい」と要求したら、彼らは要求通りに内容や記述に変更を加えるだろうか? そんな事をする訳がない。韓国などは所謂火病を起こすに決まっている。

朝鮮民族に理路整然と誤りを説いても、感情論で理不尽な怒りをぶつけてくるだけだから全くの無駄である。大部分の韓国国民は自国には悠久の優れた歴史があるとの妄想による捏造歴史観を教えられるままに信じている。真面な歴史書が一冊も存在しないのは日帝が焚書した所為だと殆んどの韓国人は本気で夢見ている。何者であろうとひとつの国から一冊残らず歴史書を焚書したり強奪したり隠したりする事は不可能であるという理屈が韓国人には理解できない。

中共の場合は正統性の無い共産党が独裁を続ける為の政治的必要性から戦略的に反日を行なっている、所謂プロパガンダであるが、朝鮮民族、特に韓国人の場合は精神疾患としか言い表せない幼稚な自意識により、「我が民族は偉大である」と信じ切っている。だから偉大である証拠が何ひとつ無くても構わない。悪いのは皆、日帝の所為だとして全ての疑問を帳消しにして憚らない。

韓国政府が国民に出鱈目な国史教科書で妄想教育をしても、日本人としては一向に構わないが、虚偽妄想に基づいて日本にちょっかいを出してくるのは迷惑である。歴史教育に関わらず、日本の学校教育で日本が教科書に何をどう記述しようが韓国には関係ない。それこそ国家主権に関わる問題である。外国にどうこう言われる筋合いは全く無い。教科書の内容に抗議などしてくるのは明らかに「内政干渉」で国際的常識を逸脱している。

併し、このしてはならぬ「内政干渉」を誘発しているのは、情けない事に我が国自らが設けた「近隣諸国条項」である。「近隣諸国条項」とは、検定基準に定められている「近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がされている事。」という規定の事である。〈近隣のアジア諸国〉とは言うまでも無く、中共・韓国・北朝鮮という特亜三国のみを指す。所謂アジア諸国全般を指してはいない。

1982年(昭和57年)6月26日に、文部省(現 文科省)による1981年度(昭和56年度)の教科用図書検定について、「高等学校用の日本史教科書に、中国・華北への『侵略』という表記を『進出』という表記に文部省の検定で書き直させられた」という日本テレビ記者の捏造取材を基にした記者クラブ加盟各社の誤報(虚報)が発端となり、中華人民共和国・大韓民国が猛抗議してきて外交問題となった。日本の反日マスメディアによるマッチポンプである。

1982年(昭和57年)8月26日、日本政府は、『「歴史教科書」に関する宮沢喜一内閣官房長官談話』を出して決着を図った。その談話では、その後の教科書検定に際して、文部省に置かれている教科用図書検定調査審議会の議を経て検定基準を改めるとされていた。

小田原市議会に民団が陳情「育鵬社と自由社の教科書を不採択」を採択! 
(朝日新聞 2011年06月17日) 

小田原市議会は2011年(平成23年)6月16日の本会議で、育鵬社と自由社の公民・歴史教科書を不採択にするよう求めた(滋賀県の在日韓国朝鮮人たちの)陳情を賛成多数で採択した。陳情は「誤った価値観を植え付ける」として、在日本大韓民国民団県湘西支部が出していた。 市議会では「反韓国、反中共の感情を煽り立てており、採択すべきでない」という意見が大勢を占めた。何と外国人勢力が日本の地方政治に影響を及ぼしたのである。

一方、「教科書の是非はともかく議会で審議する事が、教育委員会の中立性を侵す事になる」とする意見もあり、本会議での採決を棄権する議員も出た。民団湘西支部の白海秦団長は「教育委員会に圧力をかけるつもりの陳情ではない。議会に問題の認識を持って欲しい」などと詭弁を弄して〈民団の圧力〉との色合いを薄めようとした。

在日本大韓民国民団滋賀県本部湖西支部(白海秦支部長=女性)が、遠く離れた神奈川県小田原市議会に「育鵬社と自由社の歴史教科書を採択しないよう求める陳情」を行ない、これを市議会が賛成多数で採択した。何故、参政権の無い外国人(在日韓国人)団体の陳情がいとも簡単に日本の地方政治に受け容れられたのか?  遠く離れた域外の滋賀県に住む在日韓国人の意向を忖度する小田原市議会もおかしい。小田原市議会は小田原市の住民の意向を第一に考えれば良い。

韓国の市民団体「アジアの平和と歴史教育連帯」に至っては、日本の中学校社会科教科書の修正を求めて、東京都内で記者会見まで開いた。侵略戦争を美化する育鵬社、自由社の歴史教科書を始め、韓国に関わる記述の問題点を数多く指摘した。同会は7社の地理・歴史・公民教科書について、計177箇所の修正を求める意見書を日本の文部科学省に提出したという。明確な内政干渉である。

愛媛県では在日たちによる歴史教科書の採択訴訟を数多く起こされている。その内の1つは、〈原告の数3459名、日本国籍を有する者209名、残り3250名は外国籍である〉という。日本の教科書問題は2001(平成13)年の新しい歴史教科書の発足に端を発し、毎年執拗な国内外の 内政干渉にあっているが、在日たちは4年置きの恒例行事のように内政干渉をしてきている。

だいいち日本の歴史教科書を歪曲と問題視するならば、韓国の史実を無視した妄想国史教科書を見直してから出直してきて貰いたい。中央も地方も関係無く日本の政治家は、大東亜戦争後からでも良いから、例えば『韓国の独立・朝鮮戦争・ベトナム戦争』に関してだけでも国際社会の常識から如何に逸脱した〈異次元の妄想による歴史観〉か確認するといい。はっきり言って韓国の国史教科書は嘘だらけである。

2013年4月24日、第2次安倍内閣に於いて、自由民主党教育再生実行本部特別部会(部会主査・萩生田光一氏)は「改正教育基本法には『他国に敬意を払う』という趣旨の記述があり、本条項(近隣諸国条項)はその役割を終えた」として見直しを行なう事を決めた。

この決定に従って、「近隣諸国条項」なる馬鹿げた〈縛り〉は事実上無くなりはしたが、タチの悪い中共・韓国は「近隣諸国条項」を慌てて出した臆病な日本が、いきなり強硬になる訳が無い事を見透かすかの如く折に触れ、日本の教科書に関わる問題に文句をつけてきている。それを許す日本も日本である。特亜の言うがままに日本の子供たちに嘘の歴史教育を施し続ける文科省は狂っている。日本人はもっと強くならなければいけない。現在、中共・韓国に遠慮すべき事柄など一切無いのだから。

《 軍用売春宿 (military brothels) は世界中に存在した。存在したからそういう言葉がある。不条理な「慰安婦合意」は何れ愚かな韓国が一方的に破棄するだろう。それを待って日本は国家的冤罪を晴らす行動を開始するべきだ 》

近代史に於いて主要各国の軍隊は公認の (Official) 売春宿を指定あるいは設置し、公娼制を前提として活用したとされる。これを一般に〈軍用売春宿〉と呼ぶ。日本軍が活用した〈軍用売春宿〉の呼称が「(陸・海)軍慰安所」である。例えばフランスの場合、〈軍用売春宿〉計画を「キャンディボックス(la boîte à bonbons)」などと婉曲表現したが実情はどの国も同じようなものであった。〈軍用売春宿〉を活用しなかった国、例えば旧ソ連邦などは兵士たちに敵国の婦女子を戦利品として強姦させるに任せた。その方が人道的だとでもいうのだろうか?

韓国で発生した国連軍・米軍および韓国軍の為の〈軍用売春宿〉は「基地村(Camp Town 기지촌 Kijichon)」と呼ばれ、そこで働く女性は「洋公主(Western princess ウェスタン プリンセス 양공주 Yanggongju)」「UN マダム(유엔마담 UN madam)」などと表現されていたが、正式名称は慰安婦( Wianbu 위안부)であった。

何の事はない、それぞれの国で似たり寄ったりの工夫をしていた。併し、〈強制したり、閉じ込めたり、麻薬を打ったり、国がピンハネしたり、違法を行なったのは韓国だけ〉という事が、今では明らかになっている。韓国では慰安所の劣悪さも尋常ではなかった。然も、韓国は日本に全責任を転嫁する事に夢中になる余り、国内で1980年代に起きた元慰安婦による国家を相手取った訴訟を未だに無視し続けている。最も悪質な国こそ韓国なのである。

韓国軍慰安婦(한국군위안부、대한민국군위안부、Korean Military Comfort Women)は、韓国軍と在韓米軍や国連軍を相手にした慰安婦の総称である。朝鮮戦争やベトナム戦争では韓国は米国を中心とした連合軍と行動を共にした。韓国やベトナムで設置された慰安所および慰安婦(特殊慰安隊)は、韓国軍だけでなく米軍を始めとした国連軍も周(あまね)く利用した。米国も韓国も日本に対してだけ偉そうな事を言えた義理ではないのである。

それどころか韓国には何と現在も、坡州市のヨンジュコル(용주골、en:Yong Ju Gol)などに旧態依然とした慰安所が存在している。

歴代の日本政府はこんな実態も調べずに、日本だけが悪い事をしたと思い込まされ、一番悪い奴「韓国」に謝罪し続け、民間賠償までしてきた。そして安倍政権に至っては米国の圧力を受けたとはいえ「慰安婦強制連行」を認め、「国家賠償」とも受け取られかねない10億円の〈国費〉を韓国に支払ってしまった。村山政権ですら国家賠償と受け取られないように民間基金を設立して、飽くまでも民間の善意という形をとったのにである。

慰安婦問題に火を付けた朝日新聞を始めとする反日売国メディアには日本に対する「悪意」すらあったと断ぜざるを得ない。許せぬ偽善と明らかな悪意で取り返しがつかないほど国家と日本国民を貶めておきながら、今尚、反省していない。これらのマスメディアはもはや反社会的組織とすら言って良いだろう。

個人名は挙げていったらきりがないが、福島瑞穂氏(帰化朝鮮人)・高木健一氏・戸塚悦朗氏らの悪徳弁護士、韓国人妻と義母の為に新聞記者 魂 を売り渡した朝日新聞元記者 植村隆氏、中央大学教授 吉見義明氏、元官房長官 河野洋平氏、現首相 安倍晋三氏、朝日新聞社経営陣、毎日新聞社経営陣…その他多勢の似非文化人・似非知識人、反日左翼と括られる人々…。彼等は みな偽善者であり、売国奴、国賊と呼ばれても仕方あるまい。

日本は恥ずべき「日韓合意」を〈韓国に一方的に破棄させた上で〉、真実を示す証拠を以って国際社会に於ける「冤罪」を晴らすと共に、国内に於いては「恣意的に日本を貶めた」犯人を告発し、悪は悪として、誤りは誤りとしてケジメをつけなければならない。今も昔も日本人を裁く資格は日本人にしかない。

そもそも所謂「従軍」慰安婦なる呼称は日本人が発明した。それをカネや手柄に結び付けたのが、福島瑞穂氏ら朝鮮人と高木健一氏、戸塚悦朗氏ら日本人売国奴である。ここに恐らくは背乗り朝鮮人 吉田清治氏の捏造本が、慰安婦問題の全体像に信憑性を持たせる役割を果たしたのだろう。植村隆氏と朝日新聞は捏造と判明した後も吉田清治氏を利用し続けた確信犯的反社会組織である。吉田清治氏の告白本が捏造と判明すると朝日新聞社は誤りを認める素振りを見せたが、それは飽くまでも国内的なもので、散々海外に嘘を発信し続けておきながら海外向けには一切訂正記事を発信していない。朝日新聞を購読し続ける日本国民の神経を疑う。

半ば強制的に慰安婦にされた被害女性が皆無であったとは思わないし、日本人の中にも悪党は居ただろう。国家を構成する国民の中に悪人が皆無という方が不思議である。悲しい事に外国にも日本にも悪人は居るし売国奴も居る。植村隆氏の所業がそれを証明している。併し、10や20の日本人による犯罪行為すら証明できずして、旧日本軍が組織的に20万人も50万人も朝鮮人少女を強制連行して性奴隷にしたと決め付けるのは、どう考えても無理があるし、政治的プロパガンダ以外に考えられない。名乗り出る元売春婦は居ても、彼女たちが強制連行された状況の目撃者が皆無なのはどうした訳か? 更にそんなに大勢の少女たちが拐われるのを家族や恋人・友人が黙認したなどという事が信じられるか?

〈慰安婦問題〉に対し日本政府は一貫して及び腰で対応してきた。自信を持って「我々日本人はそんな事はしていない」と最初から突っぱねれば良いものを、争いを起こさない事が「外交」であると勘違いした政治屋や木っ端役人が、その場凌ぎで謝罪してしまうから、事態をここまで悪化させてしまったのだ。韓国や米国の顔色を窺って反論できなかったとすれば、それはそれで日本人としては不甲斐無さ過ぎである。

1994年3月4日の事実誤認に満ちた茶番劇の産物、クマラスワミ報告による国連決議に対する抗議文さえ、外務省は取り下げてしまった。元々、所謂「従軍慰安婦」問題を国連でロビー活動したのも戸塚悦朗氏と当時の日弁連会長 土屋公献氏である。こういう日本人の精神構造を私は理解できない。背乗り朝鮮人ではないかと疑いもする。

1996年3月、日本政府はクマラスワミの報告書を「極めて不当」「無責任で予断に満ち」「歴史の歪曲に等しい」「受け入れる余地は全くない」などと厳しく批判した全42ページにも及ぶ反論文書を作成し国連人権委員会に提出したが、何故か直ぐに撤回してしまった。その理由については、「反論する事で、かえって慰安婦問題の議論を紛糾させかねないと懸念した為」とされている。日本政府は自ら「臆病者です」と告白したようなものだ。冤罪を自白してしまったと言われても仕方がない。

撤回された反論文書は、アジア女性基金による元慰安婦支援の取り組みなどを説明するのみで、報告書の否定を求める記述を削除した「日本の施策」とする半ページ程の簡素で形式的な文書に差し替えられた。「受け容れる余地は全くない」から「日本は精一杯、謝罪と賠償をしています」に差し替えたのである。この犯人が悲しい事に雅子妃の父、小和田恒氏である。

雅子妃への配慮からか小和田恒氏への国民的非難は沸き上がらなかったが、私は河野洋平氏や安倍晋三首相と同等かそれ以上の国賊であると思う。卑近な例えで恐縮だが、〈痴漢冤罪で一旦認めてから、数年経てから実は無罪ですと言っても相手にされないのは当たり前〉である。日本は慰安婦問題で、常にそれをやってきた。安倍晋三首相は「実は無罪です」とすら言っていない。英霊や先人の顔に泥を塗ったままである。このことが原因で海外居住の日本人の子供たちは韓国系や支那系の悪ガキから酷い虐めを受けているという。国家に見放されたも同然の子供たちが不憫である。

嘗て、米軍慰安婦たちによる訴訟が1980年代に数回、そして最近も、元米軍慰安婦122人が、また韓国内で訴訟を起こしているのに、韓国も米国も完全に無視を決め込んでいる。日本のマスメディアも本来なら大々的に取り上げるべきだが、在日汚染されている為、ほぼ横並びでスルー状態だ。マスメディアでしかその手の情報に接しない大多数の日本国民にも知らされないままである。

散々貶められている日本政府も、米軍慰安婦問題を〈国際社会に聞こえるように〉韓国に問い糺さない。従来の政権より問題意識を持っていると期待された現政権ですら、自ら冤罪を認めてしまったのだから、米軍慰安婦問題には当然触れようともしない。ここで米国の顔色を窺っていては千載一遇のチャンスを逃してしまうというのにこの体たらくである。国家の名誉という国益の核心に触れる問題で関係国との軋轢を恐れているようでは国益に関わる問題は永久に解決しない。

卑劣にも「慰安婦強制連行」から「女性への普遍的人権侵害」に論点をすり替えた韓国が、米軍慰安婦問題という『現在進行形の女性への人権侵害』を放置しているのに日本政府は冤罪を認め、後は黙りこくっている。「自ら望んで世界中に出稼ぎ売春に行く韓国女性」や「強姦認知件数が日本の43倍もある韓国社会」の実態も、本来なら国際社会に聞こえるように日本政府は韓国政府を非難するべきだが、米国の顔色を窺ってばかりで何も行動を起こさない。日本政府自らも「慰安婦合意」に縛られている事を良い事に無策を決め込んでいる。

今更、旧日本軍を正当化しても一朝一夕にはこの問題は解決しない。冤罪を晴らす前に、国際社会、特に単細胞の白人女性による非難の矛先を、韓国人に向けさせる事が有効であろう。慰安婦問題では、感情論に訴えて韓国は優位に立ち、日本政府は自ら敗れた。ここで学んだ事は〈感情論には先ず感情論で制すれば良い〉という事ではないか? 先ず悪い流れを変えなければ、今更、理詰めで真実を告げても、国際社会に聞く耳は持って貰えない。卑劣な相手にネガティヴキャンペーンで対峙する事は決して恥ではない。

韓国に対するネガティヴキャンペーンには、オバマ大統領の米国であれば猛烈な圧力が懸念されるだろうが、次期トランプ政権では韓国への思い入れは然程(さほど)心配する事は無さそうだ。敵対国の圧力に屈する事、則ち〈国益を毀損する事〉、〈日本が冤罪を認めた事〉即ち〈英霊を穢した事〉であると肝に銘じて今後の外交戦略を見極めていただきたい。

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▪️売春婦に過ぎない決定的証拠 米軍が公文書で“性奴隷”を否定
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20140608/dms1406080830004-n1.htm
▪️「米軍慰安婦」122人が韓国政府に賠償を求めて提訴
http://www.huffingtonpost.jp/2014/06/25/us-military-comfort-women_n_5531668.html
▪️韓国 朝鮮戦争時には強制連行も! 韓国が扱った慰安婦こそ本当の「性奴隷」
http://youtu.be/6OXWKZwFFZs
▪️韓国 「朴正煕元大統領署名 機密資料『基地村浄化委員会』 韓国国会で審議される」 正しい歴史認識が韓国自体に問われる事態
http://youtu.be/zuVC1OHeYP4

《「日韓併合」前の李氏朝鮮時代は地獄だった。南北朝鮮人は「歴史を直視せず」被害妄想による歴史捏造で日本を「酷い事をした反省すべき国」だと信じ込んでいる。そして日本国民は歴史の無知により南北朝鮮人につけ込まれている 》

大東亜戦争で敗れ、7年弱の長きに亘りGHQの厳しい検閲と洗脳統治により、日本国民は大日本帝国が大東亜戦争で何を為したか虚偽の歴史を教え込まれた。そのGHQが去った後も、敗戦利得者をのさばるに任せ、マスメディアは変節し、やはり日本国民の多くは真実を知らされなかった。左翼教師は日本の未来を担う子供や若者に対して未だに〈嘘の歴史〉を教え込んでいる。現在も文科省の検定を通った中学校の歴史教科書には「日本は武力により朝鮮を植民地支配しました」などと〈嘘の歴史〉が記述されている。

『東京裁判史観』という捻じ曲げられた歴史観を脱して曇りのない目で顧みれば、日本は朝鮮半島に侵略して過酷な植民地搾取などしていない事は容易に解る。歴史を直視すれば、現在〈日本を蝕む在日韓国朝鮮人は日本人が強制連行してきたのではない〉し、況してや、日本人は〈朝鮮人の少女を20万人も50万人も強制連行して戦地で性奴隷〉になどしていない事も簡単に理解できる筈だ。韓国政府・韓国国民は歴史を見つめ直し、妄想に基づく捏造を今直ぐ止めるべきだ。全ての韓国人・朝鮮人は日本に「歴史を直視せよ」などと言い掛かりをつける前に自分たちこそ『歴史を直視すべきである』。『歴史を反省しない民族に未来を語る資格は無い』という言葉はそっくりそのままお返ししたい。

以下に外国人や朝鮮人自身が書き綴った〈李氏朝鮮の真実の姿〉を記述する。そして〈日韓併合の真実の姿〉も解り易く説明したい。

▪️「都会であり首都であるにしては、そのお粗末さは実に形容しがたい。礼節上二階建ての家は建てられず、従って推定225万人の住民は迷路のような道の「地べた」で暮らしている。路地の多くは荷物を積んだ牛同士が擦れ違えず、荷牛と人間なら辛うじて擦れ違える程度の幅しかない。

おまけに、その幅は家々から出た糞、尿の汚物を受ける穴か溝で狭められている。酷い悪臭のするその穴や溝の横に好んで集まるのが、土埃に塗れた半裸の子供たちと疥癬もちで霞み目の大きな犬で、犬は汚物の中で転げまわったり、日向で瞬きしている。

ソウルの景色のひとつは小川というか下水というか水路である。 蓋のない広い水路を黒く淀んだ水が、嘗ては砂利だった川床に堆積した排泄物や塵の間を悪臭を漂わせながらゆっくりと流れていく」
『朝鮮紀行』イザベラ・バード(1894年~1897年)

▪️両班たちが国を潰した。賎民は両班たちに鞭打たれて、殺される。殺されても、殴られても、不平は言えない。少しでも値打ちがあるものを持っていれば、両班が奪っていく。妻が美しくて両班に奪われても、文句をいうのは禁物だ。両班の前では、全く無力な賎民は、自分の財産、妻だけでなく、生命すらその気ままに委ねられている。口一つ間違えればぶっ叩かれるか、遠い島へ流される。両班の刃にかけられて、生命すら保つ事ができない。
『血の涙』李人稙(1862年~1916年)

▪️朝鮮の両斑は、至る所で、まるで支配者か暴君の如く振舞っている。大両斑は、金が無くなると、使者を送って商人や農民を捕らえさせる。その者が手際よく、金を出せば釈放されるが、出さない場合は、両斑の家に連行されて投獄され、食物も与えられず、両斑が要求する額を払うまで鞭打たれる。

両斑の中で最も正直な人たちも多かれ少なかれ自発的な借用の形で自分の窃盗行為を偽装するが、それに欺かれる者は誰もいない。
何故なら両斑たちが借用したものを返済した験しが、未だ嘗て無いからである。彼らが農民から田畑や家を買う時は、殆んどの場合、支払い無しで済ませてしまう。然も、この強盗行為を阻止できる守令は一人もいない。
『朝鮮事情』マリ・ニコル・アントン・ダブリィ主教

▪️李氏朝鮮の残酷な死刑や拷問に対して、「こんな状況がまだこの地球の片隅に残されている事は、人間存在そのものへの挑戦である。取分け、私たちキリスト教徒が一層恥じるべきは、異教徒の〈日本人が朝鮮を手中にすれば真っ先にこのような拷問を廃止するだろう〉という事だ」
『悲劇の朝鮮』スウェーデン人 アーソン・グレブスト

▪️日本の統監統治時代
李氏朝鮮時代の賎民の扱いは家畜以下で、拷問は酷かったが、1905年に日本の保護国となり、統監統治が始まると朝鮮に於いても日本と同じようにすぐに拷問は廃止された。

朝鮮での拷問禁止は島村忠次郎(1907年、水原の京畿道地方裁判所の「法務補佐官」)が在職中に伊藤博文統監に申し入れて法令となった。1908年の法令改正によって、拷問した取調官は3年以下の懲役と定められた。これにより、長年続いていた朝鮮での残虐な拷問は廃止となった。

▪️日韓併合(日本統治)時代
併合前の監獄には「1坪に15~16人」詰め込まれていたが、1910年の後半には「1坪当りの収監者数を5人以内」にし、1922年頃には「約2. 9人」まで大きく改善された。日本人によって囚人はいつでも横になって寝る事が可能になった。

更に、日本人は、階級による身分差別を撤廃し、両班による搾取・虐待から農奴を救った。移住の自由を認めさせ、残酷な拷問や刑罰や一族の罪人連座法なども廃止させた。また、女性の再婚の自由を保障し、人権尊重などの法治国家の基礎をつくり、学校教育制度を導入し、読み書きを教え、忘れ去られていたハングル文字を復活・普及させた。

李氏朝鮮時代の賎民は全くの文盲であった。現在の資料では、朝鮮の識字率は4%程度となっているが、文字を読めたのは両班の中にしか居なかった。然も、読めた文字は漢字で、諺文(ハングル)文字は、賤しい文字として両班は蔑み、朝鮮の社会から完全に消えていた。日本人が掘り起こし、研究し、体系化しして復活・普及に努めるまで、朝鮮人はハングル文字そのものを忘れていたのだ。

両班の子弟だけは書堂と呼ばれる私塾で漢籍の教育を受けていた。その数、朝鮮全土で40校未満。朝鮮総督府は学校建設にも力を入れて、1943年(昭和18年)には4,271校を建設していた。これにより朝鮮賎民の識字率は0%から65%にまで上がった。

同時期の植民地台湾では、運動が起きても1~2%にしか許可しなかった日本式姓名への変更だが、日本が併合した朝鮮には85%の朝鮮人には〈創氏改名を許可〉した。強制なら100%創氏改名させた筈である。朝鮮総督府は朝鮮人を日本人と同等に扱ったのである。

だから厳しい国庫から持ち出し(凡そ国家予算の30%)になっても、上下水道を整備し、鉄道網、道路網を整備し、橋をかけ、港の開設工事をし、水力発電所を建設し、重化学工業を興し、緑化政策によって山野を甦らせ、不毛の地を開拓し、河川大事業で洪水を減少させた。どれ一つとして李氏朝鮮時代には無かったもので、朝鮮人の想像を超えたものだった。今の韓国人が「日本は朝鮮の産業を奪い、搾取した」などと恨み言をいうが、朝鮮に搾取すべき産業など全く無かった。

日本人はこの地を訪れた外国人に〈世界一不潔〉と言われた町々を日本のように清潔にする努力を一生懸命にした。平均寿命を24歳から45歳に延ばし、人口が2倍になったのは、灌漑を整備し水田を倍増させ、食糧増産に成功したと同時に、日本の近代医療制度を導入したからである。内地(日本)への渡航規制を犯して来る密航者にも寛容に対処した。

密航者に対する日本人の寛容さは、朝鮮人を日本人と分け隔てなく処遇するという、大日本帝国政府の方針によるものであった。当時から日本は人道的見地に立って〈難民を受け入れていた〉という事だ。併し、戦後の在日韓国朝鮮人たちの不埒な傍若無人ぶりを見ると、在日たちには自分たちが〈難民〉だという意識は皆無のようだ。何しろ〈強制連行〉されて来たと被害者ぶっているのである。全く大嘘つきで図々しい連中である。

日韓併合中に来日していた朝鮮人は、2,965,000人に上る。彼等を来日朝鮮人と呼ぶ。その内、自由渡航者は2,208,000人。留学、結婚、就職など自由意志で渡航してきた者だ。統計にあがらない、残り約25%は密航者である。彼らの殆んどが元 白丁(最下位の奴隷)であり、日本により禁じられたとはいえ根強く残る偏見からの逃亡者である。

日本の敗戦時、在留朝鮮人は、2,100,000人も居た。帰国事業で、1,500,000人が半島に帰って行ったが、残り600,000人は帰国に応じなかった。何が〈強制連行〉だと問い質したい。当時の首相、吉田茂は『朝鮮人の7割は職にも就かず、悪い事ばかりする。日本人の子孫にツケを残したくないから、帰国費用は日本が負担するので、朝鮮人は全員、半島に帰したい』…とマッカーサーに陳情したが、聞き容れられなかった。

1959年の朝日新聞には、外務省の調査による当時の「徴用朝鮮人」の人数の記事がある。そこにはハッキリと245人とある。この245人は自由意志で帰国事業に応じなかった600,000人に含まれる。これの何処が「強制連行」などと言えるのか? 近現代史を識る日本人が本気で問い詰めれば、在日韓国朝鮮人は誰ひとり真面には答えられまい。「ヘイトスピーチ禁止法」などという偏向した偽善的悪法に護られ、悪意を振りかざす在日と反日左翼は、多くの日本国民の無知につけ込んでいるのである。

《ジュニウス・リチャード・ジャヤワルナダ氏に日本人は感謝を忘れてはいけない》

私達が今を生きていられるのは、私達の為に命を捧げてくださった英霊の行為の上にある。彼等が「今」を私達に遺してくださった。総ての日本人は英霊への感謝を怠ってはならない。米国に都合の良い歴史観や特亜の国どもが騙る日本に負わされた冤罪に騙されてはいけない。不埒な外国人の顔色を窺いながら靖國神社への参拝を思いとどまるなど日本人としての誇りを失なったとしか言いようがない。

また忘れてはいけない恩人も国外に多勢おられる。スリランカ(旧セイロン)のジュニウス・リチャード・ジャヤワルナダ氏(後のスリランカ大統領)もそのひとりである。彼のサンフランシスコ講和会議の演説のお陰で、日本の分割統治案はなくなった。会議場に渦巻く日本への憎しみは、彼の演説によって鎮まったと言っても過言ではない。

日本が本当に米国・中共・韓国などが言うような「惨い侵略戦争をしていたら」彼のこの演説は無かったであろう。

------以下に彼の演説を書き起こす。

アジア諸国民が「日本が自由でなければならない」と言う事に、関心を持っているのは何故でありましょうか。
それは日本と我々の長年の関係の為であり、そしてまた、アジアの諸国民の中で日本だけが強力で自由であり、日本を保護者にして盟友として見上げていた時に、「アジア隷従人民が日本に対して抱いていた高い尊敬」の為であります。

私は「アジア共栄のスローガン」が、隷従人民に魅力のあった事、そしてビルマ、インド及びインドネシアの指導者が画する事により、「彼等の国々が解放されるかも知れないと言う希望によって、日本人と同調した」という前大戦中に起こった出来事を、思い出す事ができるのであります。

空襲や東南アジア軍の指揮下にある膨大な軍隊の駐屯、及び我々が連合国に対して、天然ゴムの唯一の生産者であった時、我々の主要商品のひとつであるゴムを枯渇せしめた事によって齎された損害は、我々に対してその賠償を請求つもりはありません。

何故ならば我々は、アジアの無数の人々の生命を高貴な言葉、偉大なる教師であり仏教の創始者である仏陀のメッセージ、則ち『憎悪は憎悪によって消えるものではなく、ただ愛によって消え去るものである』という言葉を信ずるからであります。

故にこの条約の目的とするところは、
「日本を自由にし、日本の回復に何ら制限をも課さず、日本が外部からの侵略、及び内部からの破壊に対して、自らの軍事的防衛力を組織するようにする事、そうするまでには日本防衛の為に、友好国家の援助を要請する事、並びに日本経済に害を及ぼすような如何なる賠償も日本から取り立てない事を保証する事」であります。

-------演説 書き起こし、ここまで。

日本人はスリランカを始め、日本を支えてくださった多くの国々、人々への感謝を忘れてしまってははいけない。教育が破壊から立ち直るまでの間は、我々が若者に、後世に伝えて行かなければならない。残念ながら〈日本の教育は未だ立ち直ってはいない〉。日本国民はやる気のない文科省の為すがままに国への信頼を持てない不幸を自らの力で振り払う必要に迫られている。国民ひとり一人が自発的に正しい近現代史を学び直す雰囲気を醸成する必要がある。その契機づくりは僅かながらでも「歴史を識る者」の使命である。

http://youtu.be/ccToq_YRZk0

《在日たちはあの手この手で自らの悪に塗れた過去を消し去ろうと嘘を発信し続ける。反日左翼の多くは捻じ曲げられた過去を史実と信じている。》

駅前一等地に在日が経営するパチンコ店が多いのは「在日が悪い事をして手に入れたのではない。敗戦直後、鉄道は電化されておらずSLが中心で『駅前=線路の近く』は煙や火の粉が舞う、人が敬遠する土地だった」だから「在日が悪事を働いて土地を占有した」というのは「無知なネトウヨが作った都市伝説」だ。…という意見がネットに流れている。在日側に立った愚かな言説である。

実際は、民間の住宅地としては不向きであったが、物流の集積地としての価値は高かった。鉄道の電化が進めば更に地価が高騰する事は、目端の効く商売人には簡単に見通せた筈である。何れにせよ「悪い事をして日本人の土地を占有した」事にはかわりがない。ここに弁解の余地は無い。日本政府・日本国民は、いい加減に偽りの贖罪意識を捨て去るべきだ。

----------(以下、引用)
【朝日新聞記者の証言-戦後混乱期の目撃者-】(菅野長吉 朝日ソノラマ)
第三国人はその立場を利用してあらゆる物資を動かす。場所には困らない。大都市の要所は殆んど焼け野原となっていたから、集団のカによれば簡単に占有できた。こうして東京では、上野、新橋、新宿、池袋、渋谷などに急造のマーケットが建った。闇物資の市「闇市」である。ここには、配給では手に入らないあらゆる物資が公然と氾濫したから庶民は目の色を変えて集まった。
(中略)
第三国人というのは、日本のポツダム宣言受諾によって、日本の帰属から離れる事になる朝鮮、台湾などの出身者で、戦前から日本に居住していた人達に対して、講和条約の発効まで一般的に使っていた非公式な呼称で、この人達は日本人ではないが、かといって外国人(戦勝国人…投稿者注)でもないという特殊な立場にあった。講和条約発効までの限られた期間ではあったが、これら第三国人に対しては、日本の裁判権行使も曖昧だったから、彼らの一部に〈治外法権があるかのような優越感を抱かせ〉社会の混乱に乗じて徒党を組み、統制物資のヤミ売買、強・窃盗、 土地建物の不法占拠などの不法行為を欲しいままにし、戦後の混乱を拡大した。

当時の港には、引揚げ目的の朝鮮人も集まっていた。
その実態は、

【興安丸 33年の航跡】(森下研 新潮社)
併し、金さえあれば食料は、駅員のいる博多港駅近く僅か200mほどの所にも溢れていた。石堂川の川口には引込み線の鉄橋があるが、そこから上流へかけ岸側の水の上に、バラックが連なっている。小屋はいずれも川底に打ち込んだ杭の上に建てられていて、住むのは韓国人達だ。(敗戦直後は韓国は建国されていなかったから朝鮮人とするべき…投稿者注)ここには、米はもちろん魚や缶詰など、当時の日本で手に入れる事のできる食品は何でもあった。駅員達が普通ではまず口にする事もできない牛肉さえ、ふんだんに、かつ安く売られている。夜、どこからともなく引いてこられた牛が、翌朝までには解体され、角つきの頭などが小屋の中でぐつぐつ煮られていたりする。牛は、たいていが近郊の農家から盗み出し、売られたものだが、この一角には警察官も容易に立ち入れない雰囲気があった。

(朝鮮へ引き揚げる船に乗る為に)敗戦とともに博多へ集まってきた韓国人達は最初の頃、少しでも港近くにいたいと博多港駅を半ば占拠する形で船を待った。彼らは駅舎の板壁をはがして煮炊きするなどの傍若無人ぶりだったが、駅員達はどうする事もできないでいた。やがてアメリカ軍が進駐し、また引揚援護局が設けられるに従い、韓国人達は近くの寺院などへ分宿するようになった。そのうち、目端の効いた者たちが川沿いに住みつき、一種の租界をつくって商売を始めたのである。これが、興安丸(引揚船)がきた頃の博多港界隈の状況だった。

【一億人の昭和史-日本占領 ゼロからの出発】(毎日新聞社)
昭和25年当時、国際港神戸はまた日本一の密貿易の根拠地でもあった。巨大な国際密輸シンジケートが至る所張り巡らされ、瀬戸内海へ何十隻もの密輸船が出航…
(中略)
ところで、当時の神戸の密貿易は、大半が台湾、朝鮮などの旧外地との間で行なわれていた。神戸が第三国人の根拠地となっており、東京、横浜に比べ旧外地に近かった事もあり、密輸量は日本一。(中略)国際密輸組織の中核は一貫して第三国人だった。

敗戦後、神戸に三宮駅から神戸駅まで約2kmに及ぶ全国に例をみない大闇市場ができたが、密輸品の多くはここでさばかれた。そこに大きな勢力を張っていたのが数万人の第三国人で、戦勝国意識を誇示するため腕章(朝鮮進駐軍など…投稿者注)をつけ、日本の警察権を一切認めようとしなかった。こうした特権をフルに利用、密輸団を操る黒幕になった三国人もでた… 黒幕だった三国人の中には、密輸の巨利で今は正業に就き、実業家として幅をきかしている者もいるといわれる。

【コリアン世界の旅】 (野村進 講談社)
『こんな事を話す人間は、他におらんだろうね』と前置きしてキムが語る。
『闇市で儲けて、それからパチンコ(店経営)に走った人が多いんですよ。じゃあ闇市で何をして儲けたかというと、結局、ヒロポンと贓物故買(ぞうぶつこばい)だよね』 密造した覚醒剤を売りさばいたり、盗品の横流しをしたりして、短期間のうちに大金を作り、それをパチンコ店開業に振り向けたというのである。
(中略)
戦争直後、韓国・朝鮮人がいくらかの元手ができるとすぐパチンコ店経営に乗り出したのは、日銭が確実に入り、その額がほかの廃品回収や焼肉といった職業よりも格段に良かったからである。一日の売り上げだけを見ても〈数字のゼロが一つかニつ多かった〉のだ。
----------(引用、ここまで)

敗戦後の混乱期に朝鮮人が如何に日本人にとって迷惑な存在であったかは明らかである。多くの朝鮮人が徒党を組んで犯罪に手を染め、如何に失意のどん底に居た日本人を侮蔑し蔑ろに扱ったかが明確に分かる。彼等は戦勝国人ヅラして、おとなしい日本人に乱暴狼藉を働いた。

小悪党から一転して実業家を転じた在日は、甘い汁を吸う環境を手放す訳もなく、一向に帰国しようとしなかった。同時に定職に就かず悪事を生業(なりわい)とする者も多く居座った。「マッカーサーへの吉田書簡」の通りである。帰国事業が行なわれていたにも関わらず、当時295万人の内100万人もの朝鮮人が日本に居座っていた。その後も日本に密航して来る者が後を絶たなかった。よく強制連行されてきたなどと言えたものだ。朝鮮人・在日は〈被害者〉などではなく常に〈加害者〉であった。

在日朝鮮人は敗戦後の「再スタート」の時点から、経済的成功者(パチンコ屋)を多く排出し、その金で政治屋たちを取り込んでいった。また、その子弟達の内、優秀な者は積極的に法曹界、教育界、メディア界に潜り込ませた。帰化した者は政界にも多く潜む。米国が仕込んだ「癌細胞」である。今、日本は国中に転移した癌細胞に蝕まれている。大手術をせねば再起できないほどに日本の内実はボロボロである。今をおいて手を下すチャンスは無いのだが…政府は常にこの問題には及び腰で何もしない。

《結局は国際社会で自国の権益を護る為には「国際法」だけに頼るのではなく「軍事力に裏打ちされた国力」を総動員する事である。日本人は「日本自身が宝物」である事を理解するべきだ。》

国際社会は国際法で治められていると言うのは飽くまでも建前でしかない。実際は「軍事力と経済力+交渉力」=「外交」で決まる。〈北方領土も、竹島も、尖閣諸島も〉決して国際法だけに訴えていては解決しない。〈捏造慰安婦問題も、捏造南京大虐殺問題も〉同様である。国際法に訴え続ければ国際世論が日本に有利になるとでも日本人は信じているのだろうか。日本に「力」がない事が一番の障害なのである。

プーチン大統領、習近平主席、失脚した朴槿恵氏らが日本が期待するような形で国際法を遵守するなどと考えている者は愚かである。プーチン氏は米国流の金融資本家の横暴を拒絶し、北方スラブ系文化を破壊しない緩やかな民主主義への移行を望んでいるが、ウクライナ問題で米国(ユダヤ系資本家の手先)に追い詰められている。そのプーチン氏も「力」により〈クリミヤ半島のロシア編入〉という事実上の国際法違反を押し通している。

米国民も日本国民も単純だからクリミヤ半島の帰属と独裁者と言われるプーチン氏の野望に目を向けるが、米国の真の指導層はロシア経済のグローバル化(米国化)とロシアの資源を欲しいままにしたいだけである。ロシアを必要以上に中共に接近させない為には、ロシアへの日本の協力は不可欠である。この点をオバマ大統領はとうとう理解できなかったから日本政府を牽制し続けた。トランプ次期大統領はロシア寄りというが、商売の相手として見ているから、今度は経済的ライバルとして日本政府を牽制してくるだろう。

プーチン氏は領土問題で「ヒキワケ」と言う言葉を使って日本に秋波を送ってきた時期があった。併し「引き分け」=「二島返還」は余りに短絡に過ぎた。森喜朗元首相は「面積二等分論」を唱えると言う先走りまでして見せた。日本を含むG7各国による経済制裁により苦境に立たされたプーチン氏は領土問題を抱える日本の足下を見て「ヒキワケ」という言葉を利用したのだ。嘗て「天安門事件」で世界中から経済制裁を課されて八方塞がりになった中共が狙ったのも、巻きつけられた〈鎖の最も弱い輪〉=〈日本〉を懐柔する事だった。

中共国務院副総理として江沢民時代の中共の外交を支えた銭其琛氏は「銭其琛回顧録:中国外交20年の証言」の中で、日本をターゲットにして〈制裁解除〉にまんまと成功したと悪びれもせず述べている。中共が最悪なのは、日本のお陰で経済発展し、更に〈経済制裁〉から抜け出しておきながら、その直後から「愛国教育」という名の〈反日教育〉を始め、現在に至るまで反日を政治利用している事である。韓国同様、特亜というのは本当に恩知らずも甚だしい下賤な国である。

プーチン ロシアにとってもG7各国による経済制裁を打破する為には、日本は絶好のターゲットに映った筈である。だからと言って、首脳会談を重ねた安倍首相をこの件で批判するべきだとは思わない。中共の場合は〈只食い〉されて〈反日教育〉までされたのだから、一方的に日本は馬鹿を見た。悪質な特亜が相手の場合と異なり、今回の「日露首脳会談」の成果は数年間は経過を見ないと正当な評価はできない。少なくとも現段階では日本が得る果実も無いとは言い切れない。

首脳会談だけで「四島返還」など実現する訳がないが、将来的には思わぬ展開にならないとも言い切れない。未知数のトランプ政権が誕生したとはいえ、このままではロシアは資源の切り売りでしか成り立ち得ない国であるが、日本の経済・技術協力次第では、如何様にも伸びしろがある国である。日本がロシア相手に如何に身のある成果を上げられるかがこれからの日本の外交課題である。

ここで今まで繰り返し述べてきた大切な原則論を確認する。〈本来の北方領土〉とは『南樺太、占守島(しゅむしゅとう)から得撫島(うるっぷとう)に至る千島列島および北方四島』を指す。日本政府・外務省が拘り続けている〈北方四島だけ〉では決してない。ロシアと付き合う時はこの当たり前の原則論を忘れて貰っては困る。外交交渉でこの全てを取り戻す事は不可能だろうが、少なくともプーチン氏が言った「ヒキワケ」をスタートラインにしてはいけない。例え次の世代に委ねる事になろうとも譲ってはいけない問題だ。

〈本来の北方領土〉に居住していた日本国民およびその子孫の方には、居住権が未だにあるのだと心得ていただきたい。実際にそこに住まうかどうかはともかく、日本の領土である事は絶対に諦めてはいけない。今回の日露首脳会談で俎上に上った北方四島の日本人島民の方には、当面は安倍首相が実現されるであろう〈自由往来〉で我慢していただくしかないだろう。併し、交渉の出発点は飽くまでも〈本来の北方領土〉である事を忘れてはいけないと言っておきたい。

日本の平和的資本参入と先進技術供与は、ロシアが欧米、中共に喰い物にされない為の「鍵」であり、プーチン氏はその事を充分に理解している。何故なら、どうしようもない後進国だった韓国や中共を日本は誠実すぎるほど支援に支援を重ね、今のように大口を叩ける国にしたのをプーチン氏は目の当たりにしているからだ。〈日本がお人好しで利用価値のある国〉である事をプーチン氏は知っている。その日本が本腰を入れたらロシア経済の近代化は約束されたようなものである。〈ロシアにとって日本との本格交流は夢の実現〉であり、歯舞群島・色丹島の2島返還などでは安過ぎる買い物である。日本は〈日本という宝物〉を安売りしてはいけない。プーチン氏とロシア国民がその現実を見つめ直す事は充分あり得る。併し、難解なのは日露接近に反対する欧米の理解を得る事だろう。

習近平氏は自身の権力基盤が危ういうちは、中共が国内と称する占領地以外では、これ以上の狼藉は慎むだろう。APEC以後の香港政策を見ても分かる。日本は「尖閣諸島」に対してこそ、国際法頼みは建前だけと理解するべきだ。冒頭述べたように、外交とは「軍事力と経済力+交渉力」である。特に中共のような力を前面に出した覇権主義国が相手ては、「力」=「軍事力」がものを言う。

日米安全保障条約を米国が重んじている内は中共も露骨に手は出さない。併し、10年20年先のバワーバランスを想像した時、日本が今、努力を怠れば尖閣は確実に中共の領土となるだろう。私は、尖閣どころか日本国全体の心配もしておくべきだと思っている。

韓国に対しては、誰が大統領になろうとも「国際法」は全く意味を成さない。国際法どころか、真っ当な理屈も通用しない。ごく例外的な個人を別にして、国家としての韓国は〈精神を病んでいる〉。何を言っても無駄な国だ。今までの日本は気狂いを相手に我慢強く正論を説いてきたようなものだ。真面につき合っていては全てが徒労に終わり、日本が得るものは何もない。

韓国人を妻に持つ日本人の悩みを聞いた事がある。些細な事でも夫婦喧嘩を始めると、韓国人妻は窓を開け放ち、大声で泣き叫ぶと言う。どれほど自分が不当な扱いを受けているかを、夫にではなく、窓の外、ご近所の住人にアピールするらしい。街の喧嘩でも、相手に抗議し尽くす前に、通行人を味方につけようとする。朴槿恵氏の政権が始まった当初の「告げ口外交」が正にそれだ。その「告げ口外交」に拍手喝采を送っていた国民に憎まれ失職した朴槿恵氏に同情する余地はないが、簡単に掌を返す国民も国民である。救いようのない国だ。

「捏造慰安婦問題」でも、関係のない外国で熱心に工作活動をする。道徳観念の無い国だから、我を通す為には手段を選ばない。買収・恐喝・性的接待…となんでもやってのける。スポーツでも国ぐるみで道徳心の無い事に平気で予算をつける。平昌五輪で金メダルを取る為に「特別二重国籍」という制度をつくったそうだ。その結果、韓国籍のアイスホッケーチームは全員が外国人らしい。…馬鹿な国だ。

「捏造慰安婦問題」では、長年、心ある日本人が一生懸命 無実の証拠を集め、学術的には韓国人の嘘を論破できるほどに理論武装もできている。ところが、国際社会は日本にではなく韓国に同情を寄せる。始めから日本や韓国などに興味はないから、真実を見究めようとはせず、煽情的な韓国人の嘘に惹きつけられる。ここで国際法や正義を訴えても聞き届けられない。この繰り返しである。

国際社会で主張を通し、他国に影響を及ぼす為には、正論は勿論 主張し続けなければならないが、相手の国情を理解して作戦を立てて行動する必要がある。韓国如きに負けているようでは日本の名が廃る。汚い言いがかりをつけられているのだから、国際社会に韓国が知られたくない事実を、全て白日の下に晒してやればいい。目には目をだ。

「米軍慰安婦の訴訟放置」「コピノ」「ライダイハン」「現在の性犯罪、強姦認知件数が日本の43倍もある事」「売春産業がGDPの5%以上に及ぶ事」「出稼ぎ売春婦20万人中2万人以上が日本に潜伏してる事」「売春させろデモの映像」…『日本を嘘で貶める韓国への反証』とでも銘打って、国費で大々的なキャンペーンを行なえばいい。どういう訳か韓国には逆らえない日本政府がこれを実行できる訳がないが、これくらいしないと気狂いは黙らない。

一番の障害は、最大最強の同盟国 米国の意向が「日本が冤罪を晴らす事を認めない」事である。特に日本が、中共・韓国と論争している問題の全ては、米国が答えを持っている。公文書公開という形で真実を公表しておきながら、日本が立ち上がろうとすると必ず潰しにかかる。未だに日本の総理大臣の首を飛ばす事など米国には簡単にできるらしい。

日本が「力」を持つ事を最も警戒し、嫌がっているのは米国である。トランプ政権になれば何かが多少変わるかも知れない。感情ではなく理性を働かせてくれれば、米国にとっては日本が「力」を持つ事が最も得策である事が理解できるだろうに。これをトランプ次期大統領に理解して貰う事が喫緊の課題である。

冒頭に述べたが、国際社会は国際法で治められていると言うのは飽くまでも建前でしかない。実際は「軍事力と経済力+交渉力」=「外交」で決まる。「北方領土も、竹島も、尖閣諸島も」決して国際法だけでは解決しない。「捏造慰安婦問題も、捏造南京大虐殺問題も」同様である。国際法に訴えれば日本に有利になるとでも、日本人は信じているのだろうか。日本に「力」がない事が一番の障害なのである。

《 慰安婦問題「日本の組織的な性奴隷プログラム」米国が結論づけていた 》

ナチスの戦争犯罪や日本の戦争記録に関する米省庁間作業部会(IWG)は予備調査の結果を基に、2003年5月から本格的な資料調査を開始した。慰安婦に関する資料は「余り見つからなかった」が「植民地の女性と少女を拉致したと『告発』する一部文書」が見つかった。一部文書? この一部文書なるものは公表されていない。

「告発文書の一部」で結論に至る調査など「結論ありき」の手順を踏んだに過ぎない無意味なものである。後に韓国が設置し、韓国兵、米兵が利用した劣悪非情な慰安所記録が数多く残る中、恣意的に日本を貶める〈日本の同盟国〉米国のこの資料調査行為は、表立った特亜の反日国より悪質ではないか!

これは中共の意向を受けたビル・クリントン大統領(任期1993〜2001年)が、旧日本軍の「性奴隷」「731部隊の悪行」を予め結論付けて、政府関連機関に調査を命じたものだと言われている。〈調査結果はビル・クリントン大統領の期待を裏切った〉が、日本への悪意は次の大統領J・W・ブッシュに引き継がれた。

「日本軍が組織的に慰安所の運営に関わっていた」とする最終報告は共和党のJ・W・ブッシュ大統領(任期2001〜2009年)の下で米国議会に提出された。既に何度も書いたように「日本悪しかれ」とする日本に対する米国の悪意に、民主党とか共和党とかの区別は関係ないのがよく分かる。

私は決して自分が強硬な反米主義者だとは思っていないが、様々な問題を調べれば調べるほど、日本に対する米国の悪意が垣間見える事に失望する。米国人=白人たちは、自らが歴史的に多くの悪逆非道な人種差別・人権侵害を繰り返してきた為、嘗ての対戦国〈日本は侵略戦争を仕掛けてきた悪い国〉であると歴史に遺さなければ自分たちの名分が立たない。だから過去の日本が道徳的に間違った国であらねばならない必要に迫られ、幾ら探しても見つからない日本の悪事を必死になって探し続けるのだ。

ところが〈戦犯免責と引き換えという怪我の功名〉とはいえ、10万ページに及ぶ記録書類を引き渡した石井四郎軍医の行為により、〈731部隊の汚名は雪がれた〉。「生体実験」「細菌兵器」の証拠は一切見つからなかったからだ。米国の意図した結果を裏切って「731部隊が生体実験をしていた」という〈冤罪は完全に晴らされた〉。朝鮮人である森村誠一氏の創作であったのだ。

一方で、日本軍による性奴隷の証拠も無かったにも関わらず〈公表できない「告発」する一部文書の発見〉という捏造くさい関連文書を唯一の頼りとして強引に導き出された「旧日本軍の組織的な性奴隷プログラム」=〈ビル・クリントン大統領が調査前に出していた結論〉はブッシュ大統領に引き継がれた。旧日本軍が主体となって組織的に性奴隷制度を運用したのなら、それなりに関与した書類が存在して当然なのだが、やっていないのだから「組織的な性奴隷プログラム」の書類など絶対に見つからない筈である。だから〈公表もできない「告発」する一部文書の発見〉などというあやふやな文書の存在をでっち上げて〈証拠〉としたのだろう。

フィリピンでの米軍による慰安婦からの事情聴取では、おおらかな高給売春婦の証言が録れている筈である。捏造を確定したのは韓国ではない。捏造のお墨付きは米国の民主党と共和党の合作であったのだ。米国はこれでも日本の同盟国、盟友と呼べるのか。「慰安婦問題」については、米中韓 以上に在日韓国朝鮮人と〈反日左翼の偽善〉が重要な役割を果たしている事は特筆しておく。

米国のお墨付きが出たのだから韓国がありもしない「性奴隷20万人強制連行」に自信を持つ筈である。韓国人たちは最近になって強制連行されたという少女の人数を50万人に増やしてきた。米国の省庁間作業部会(IWG)が21世紀に入って議会に提出して承認されたのだから、愚劣で卑怯な嘘つき韓国人が勢いづくのも無理からぬ事だろう。

日本は下賤な韓国など相手にせず米国IWGに対して、「旧日本軍の組織的な性奴隷プログラム」と断定した証拠である『植民地の女性と少女を拉致したと「告発」する一部文書』とする「文書」の提出を求めるべきである。こういう努力を一切する事なく、冤罪と分かりきった〈英霊、先人に負わされた強姦罪を認めた「日韓合意」という政治判断は万死に値する〉。

文化後進国韓国とは異なり米国は「法治国家」の筈である。日本政府が動かないのなら民間でも訴訟は起こせる。米国との間で外交問題化するのが心配なら、民間有志が動いたらいい。当然、米国の法外な訴訟費用は日本政府が持つべきだ。下のサーチナの記事が真実なら日本が負ける訳がない。

リンクが切れていて今では見つからないので、2014-03-27 サーチナ のコピーを添える。
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慰安婦問題、「日本の組織的な性奴隷プログラム」…米国が結論づけていた=韓国報道
2014-03-27 サーチナ
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複数の韓国メディアは2014年3月26日、ワシントン外交消息筋の話として、米国が従軍慰安婦問題について「日本の組織的な性奴隷プログラムだった」と2000年代初めに結論付け、政府機関に関連資料の調査を命じていたと伝えた。

報道によると、ナチス戦争犯罪や日本の戦争記録に関する省庁間作業部会(IWG)は、日本軍が組織的に慰安所の運営に関わっていたとする最終報告書を作成、2007年4月に米議会に提出した。

報告書には、クリントン政権で国家安全保障問題担当補佐官を務めたサミュエル・バーガー氏が、2000年12月に関係部署に公文書を送り、日本が1931年〜45年にかけて行った戦争犯罪の記録を予備調査するよう指示したと記されているという。

指示した内容は、主に強制労働や奴隷活動を含む戦争捕虜や民間人に対する日本軍の対応、民間人に対する迫害や残酷行為、731部隊のような細菌兵器の開発や使用、植民地女性に対する日本軍の組織的な性奴隷化、所謂「慰安婦プログラム」に関する資料の発掘。

IWGは予備調査の結果を基に、2003年5月から本格的な資料の調査を開始。慰安婦に関する資料はあまり見つからなかったが、植民地の女性と少女を拉致したと告発する一部文書が見つかった。

報告書は「第2次世界大戦当時、日本軍が性奴隷または慰安婦を運営した事実は、大きな関心が集まる重要な問題だが、米国政府は戦争中や戦後に組織的に関連資料を収集したり発掘しなかった」と指摘した。
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何だ? この記事は?

《 日本政府は国民に正しい歴史と正しい現状認識を教育・啓蒙するべきだ 》

先の大戦、全体を指して「第二次世界大戦」と呼ぶのは良いが、日本との関わりで論じる時、「太平洋戦争」と言うのは間違いである。文科省は子供たちの教育で「太平洋戦争」というGHQに押し付けられた呼称を改める気は更々無さそうだし、NHKを始めとしたマスメディアも「太平洋戦争」と決めつけて呼称している。本来なら正式に日本の国会で決定した「大東亜戦争」と呼ぶべきである。内容的には「対米戦争」と言ってもいいくらいだ。

戦後71年間、日本人は「嘘」の歴史を教えられてきた。真珠湾攻撃を以ってスニーク アタック Sneak Attack と呼ぶのは、その名の通り〈騙し討ち〉という事だが、正しく歴史を顧みると決して〈騙し討ち〉などではない事が分かる。

そもそも国際法では、事前に「宣戦布告」しなければならないなどとは定められていない。米国がハワイ王国を侵略する時に事前に「宣戦布告」をしただろうか。米国は海兵隊をいきなり上陸させて武力制圧したのではないか? それを〈騙し討ち〉とは呼ばず、なぜ日本による「真珠湾攻撃」だけを〈騙し討ち〉と呼ぶのか?

戦争前に宣戦布告を書面にして相手国に手交し、その後、戦端を開くなど何処の国もやった事が無い。開戦前に「今から攻撃します」 などと相手国に伝える戦争は歴史を遡って調べても見つからない。世界の戦争慣例では、実際に戦争を始めてから自国民に対して発表するのが 「宣戦布告」の手続きである。日本政府は、こういう事実を国民にきちんと教育するべきだ。日本政府が戦勝国に押し付けられた「東京裁判史観」に毒されているから、いつまで経っても国民は「大東亜戦争」を悪い戦争だと思い込まされている。

日本は、真珠湾およびマレー半島への攻撃を開始した後、天皇陛下の名の下に宣戦布告『米英両国に対する宣戦の詔書』を大本営が国民に向けてきちんと発表している。歴史家の徳富蘇峰が起草した立派な文章が歴然たる証拠として残っている。日本は米国を〈騙し討ち〉などしていない。日本国民は史実とその解釈を正確に知らされていない。

真珠湾攻撃を〈騙し討ち〉だと日本を非難する米国がフィリピンを植民地にした時はもっと卑怯だった。フィリピン諸島は16世紀以来スペインに植民地化されていたが、米国はフィリピン独立を熱望するアギナルド将軍に「米国に協力したら必ず独立させる」と約束し、マニラの戦い (1898年7月25日〜8月13日)でフィリピンの独立を援助する名目でスペインを破った。併し、12月10日の「パリ条約」に於いて、米国は2,000万ドルでフィリピンを購入するという名目で体裁を繕い、〈フィリピンを騙して武力で植民地化〉してしまった。

実際米国は、独立の約束を反故にされた不満を持つフィリピン人を少なく見積もっても20万人以上も虐殺している。当時のフィリピン兵の総数は約1万8000人であったから、虐殺された約18万2000人は民間人である。殺された20万人の内、実に90%以上が無辜の民であった。現フィリピン大統領のドゥテルテ氏が米国を毛嫌いするのも当然である。ドゥテルテ大統領は全フィリピン国民の感情を代弁しているに過ぎない。

米国は、歴史的に「汚い」「信義に悖る」「残虐」な事を散々やってきた。その米国が自国の為してきた史実を総て棚に上げて日本を「侵略国家」とするのが、「戦後世界秩序」である。米国はいつまでも そうしておきたいのだろうが、日本人はいつまでも「戦後世界秩序」「東京裁判史観」に毒され続けている訳にはいかない。安倍政権も「戦後世界秩序」を打破する気概を国民に見せるべきだし、「東京裁判史観」を明確に否定するべきだ。

〈汚い〉事が得意な米国が、日本の「真珠湾攻撃」を騙し討ちと称して、鬼の首を取った様に、国内向けに「リメンバー パールハーバー」のスローガンを掲げて、参戦できる様に『お膳立てしていた時よりずっと以前から』、大東亜戦争は既に米国により始められていた。決して「真珠湾攻撃」が戦争の根本原因などではない。

1937年(昭和12年)の日支事変(戦後教育では日清戦争)の2年前に、米国議会は「中立法」を可決した。「中立法」とは元々、1907年の「ハーグ平和会議」で成文化された「中立に関する国際法上の規則」の総称で、〈中立国は交戦国の攻撃を受けず、その領土を侵される事はないが、交戦国に対して戦争遂行上の便宜・援助を与えてはならない〉とするものだ。

併し、米大統領 F・ルーズベルトは日中に限っては「適用しない」と宣言した。米国大統領がハーグで決められた「中立法」を〈勝手に捻じ曲げた〉のだ。ルーズベルト家は清国に対する「アヘン戦争」で大儲けした家柄である。清国を蔑視こそすれ前向きな好感を抱いていた筈はない。ルーズベルトは個人的感情で日本を嫌っていたとしか思えない。

そのルーズベルトが米国正規の陸軍航空兵を義勇兵に仕立てる為に、一旦 軍を退役させ、高給で支那に雇わせた。〈復帰したい者は現役米軍兵と同じ待遇で戻す〉と約束までしている。これでは〈現役の米軍が支那に加勢するのと同じ〉ではないか。ハーグ平和会議で成文化された「中立に関する国際法上の規則」に明確に違反している。

ルーズベルトは1941年(昭和16年)5月(真珠湾攻撃の約半年前)に、150機の爆撃機と乗組員を支那に貸し与え、機体に「青天白日旗」のマークを記し、「東京・横浜・大阪・神戸」を奇襲爆撃する気でいた。勿論、宣戦布告などする気は微塵も無かっただろう。奇襲攻撃とはそういうものだ。ルーズベルトは側近に支那に軍事顧問団まで派遣するようメモを渡している。その奇襲爆撃隊が有名なフライング タイガーである。

この企ては、対ドイツ戦で劣勢に苦しむ英国のチャーチル首相を支援する為にご破算になった。「青天白日旗」は大慌てで「英国旗」に塗り替えられたが、何れにせよ「中立法違反」である。これひとつ見ても、真珠湾を攻撃しようがしまいが、日米戦争は始まっていたというのが分かるだろう。

史実にはこんな証拠も残っている。日本が仏印(インドシナ)に進駐する10日前の7月18日に、ルーズベルトは日本への奇襲攻撃にOKのサインを出している。

また、同年2月には、ルーズベルトは国務省内に特別調査班 Special Research Division を設置している。コーデル・ハルの補佐官、ハルボルスキーを班長として、国務省員ヒュー・ボートンに、「対日戦勝後の日本の処理を研究」させている。更に「対日講和条約(案)」もつくっていた。これが日本国憲法の原案となる。大東亜戦争 開戦前に「日本国憲法」案はできていたのだ。すっかり愚昧にされてしまった日本人はこういう日本を馬鹿にし切った生い立ちをもつ「日本国憲法」を未だに有難がって居るのだから情けない。

対日講話条約 骨子案は…
・完全非武装化
・徹底した(米国の為の)民主化
・天皇は在位させて利用する
・日本政府を介しての間接統治

…これは日本国憲法そのものである。その他…
・日本には永久に軍隊を持たせない
・飛行機は一機もつくらせない
・軍需産業の永久禁止
・原子力は平和利用も許さない
・戦略物資の調達禁止

…等々。F・ルーズベルトは、開戦前からここまで日本だけを憎んで、無力化させる気でいたのが〈史実〉なのである。実際、マッカーサーは、この「対日講和条約案」に沿って「日本国憲法」を部下につくらせた。

ではなぜ米国は、ここまで「大日本帝国」を憎んだのか。それは、1919年のパリ講和会議の国際連盟委員会に於いて、「有色人種である日本人が『人種差別撤廃』を主張」した事。有色人種である大日本帝国が、「米国を始めとした白人宗主国の利権を脅やかしかねないという事を、日露戦争の勝利で見せつけてしまった」事。そして鉄道王ハリマンによる満鉄権益への横槍を断わった事。この三つに尽きると思う。

「大東亜戦争」は、日本が「日露戦争」に勝ち、「人種差別撤廃」を白人に対して公に主張し、満鉄権益を半分寄越せと言ってきたハリマンの横槍を断わった時から始まっていたのだ。

誠に情けない事に、「戦後世界秩序(戦後レジーム)」「東京裁判史観」は、我々 日本人の中から完全には抜けていない。未だに「護憲派」「9条信者」「念仏平和主義者」が相当数存在する。〈憲法9条を世界遺産に登録したい〉など馬鹿も休み休み言えと言いたい。然も、そういう馬鹿な日本人は現在侮れない数にのぼる。在日特亜人が多く紛れ込んで居るとは言え、純粋な日本人も大勢居る。

更に改めねばならないのが〈日米安保 盲信者〉である事を付け加えたい。フィリピンの再 植民地化を例にあげるまでもなく、米国は有色人種相手に、いとも簡単に嘘をつくし、然も残虐な事を平気で為す。アメリカ インディアンも散々白人に騙され、最後にはほぼ殲滅されてしまった。日本が米国によって再び殲滅の危機に晒されるとは思わないが、トランプ政権になったら、日本の防衛能力が自立できないうちに、米国が中共と事を構えないとは言い切れない。自衛隊が米国の消耗品の如く扱われたら日本にとっては大迷惑である。

今の日本の防衛体制は、〈殆んど単独での作戦を想定していない〉。大部分は米軍との共同作戦が中心である。米国の衰退が進み内向きになった時、システムで動く近代戦に於いて、今の自衛隊単独では100%の力を発揮できない。極論すれば、米国の都合でいつでも丸裸で、否、薄着で放り出されるという事である。自衛隊は、せめて韓国に比肩しうる程度の敵地攻撃能力、具体的には防衛的攻撃用ミサイルを必要量配備しておくべきではないか?

国防は常に「最悪」に備えるべきものだ。国民の多くを占める偽善的左翼勢力が何と言おうが騒ごうが、日本はそろそろ自己完結型の防衛を考えるべき時にきている。

《 韓国人に一番酷い事をしたのは韓国人、韓国人を一番虐殺したのも韓国人。悍ましき「保導連盟事件」を史実から消し去ろうとする韓国政府の非常識 》

日本の敗戦時、朝鮮の抗日勢力に於いては民族主義者の潮流が衰退し、共産主義者が各地で主流を占めていた。李承晩大統領率いる大韓民国政府は、ストライキや武装闘争を挑む南朝鮮労働党(南労党)を中心とする共産勢力に対して弾圧を行ない、1948年12月1日、国家保安法を制定。1949年6月5日、要監視対象者の教化と統制を行なう思想保護観察団体「国民保導連盟」を組織し、翌年にかけて末端組織を全国に拡大した。

「大韓民国絶対支持」「北傀儡政権絶対反対」「共産主義排撃粉砕」「南北労党暴露粉砕」を綱領に掲げるこの組織には、転向した党員が登録された他、抵抗を続ける党員の家族や単なる同調者に対しても登録すれば共産主義者として処罰しないとして加盟が勧められた。保導連盟に登録すると食料配給がスムーズに行なわれた為、食料目当てに登録した人々も多かったといわれ、警察や体制に協力する民間団体が左翼取り締まりの成績を上げる為に無関係な人物を登録する事もあったともいう。

1950年6月25日、朝鮮戦争が勃発。北朝鮮が侵攻しソウルに迫った。6月27日『李承晩大統領は保導連盟員や南朝鮮労働党関係者を〈総て処刑するよう命令〉を発し同日中に〈自分だけ!〉ソウルを脱出』した。韓国軍、警察は釜山にまで後退する一方、保導連盟に登録していた韓国人を危険分子と見做して大田刑務所などで自国民大虐殺を行なった。

ご多聞に漏れず、韓国では近年まで「保導連盟事件」に触れる事はタブー視され「虐殺は共産主義者によって行なわれた」としていた。自らの悪行を他者に責任転嫁するのは朝鮮民族の特筆すべき習い性である。悪い事をした自覚はあるという事だろう。

どういう因果関係か知らぬが、北朝鮮軍が侵攻していない非戦闘地域の釜山・馬山・済州の刑務所などでも、韓国軍や韓国警察により市民や囚人達が大勢虐殺された事が確認されている。元々そういう民族なのだろう。朝鮮民族とは恐怖心から疑心暗鬼になると自国民同士でも平気で大虐殺を始める民族なのだ。

嘗て大昔、「元寇」の頃、「元」に対して先遣隊を申し出た朝鮮人は、日本の村々を襲い、日本人を生きたまま鼻に鉤を刺して船の舷側に吊るすなどして、その残虐性を如何なく見せつけた。これも自分たちが「元」軍本体に同じ目に合わない為に勇猛さを見せたつもりといえるが、勇猛と残虐は全くの別物だという事を朝鮮民族は知らない。

「保導連盟事件」が明るみに出ると、韓国当局は彼等が北朝鮮軍に呼応して反乱する事を恐れたと弁明して自分たちの悪行を正当化した。ソウルに侵攻した北朝鮮にとっても、保導連盟員は党を捨てて敵の体制に協力した者に他ならず、追及・粛清の対象となった。保導連盟員たちは南北両政府から虐殺対象となったのだ。アメリカ軍・韓国軍がソウルを奪還すると北朝鮮の協力者とされた者達は韓国軍により虐殺された。自国民大虐殺の総仕上げである。

南北朝鮮双方からの虐殺を逃れようとした人々は、日本へ避難(密入国)し、そのまま在日コリアンとなった。この事からも「在日は強制連行されて来たと言う嘘」が垣間見える。多くが帰国事業に応じずに日本に居座った訳である。善悪を弁(わきま)え、日本を安住の地として愛し、日本人として生きる覚悟を決めた民族であれば日本人も「難民」として暖かく迎え入れたであろう。併し、日本人を憎み蔑み、徒党を組んで乱暴狼藉を働き、理不尽に居座ろうとする朝鮮人を暖かく迎えいれられる訳がない。現在も「加害者」である在日たちは「被害者」を騙っている。

「朝鮮戦争前後民間人虐殺真相糾明と名誉回復の為の汎国民委員会」の研究では60万人から120万人が虐殺されたとしている。李承晩大統領が失脚した1960年の四月革命直後に、全国血虐殺者遺族会が、遺族達の申告をもとに報告書を作成したが、その報告書は虐殺された人数を114万人としている。

これに対し韓国政府は虐殺者数を10万人以上としている。「捏造性奴隷強制連行説」についても韓国側はよく「数は関係ない」と言って退けるが、韓国人にとって〈数〉には本当に意味が無いようだ。〈数〉というより朝鮮民族は〈真実〉にも全く価値を見出さない。だから平気で嘘をつくのだろう。

朝鮮日報は、2007年3月15日付の社説で「過去史委員会による壮大な予算の無駄遣い」と題し、保導連盟事件の調査にあたる「真実・和解の為の過去史整理委員会」を指し「趣味程度に過去の歴史を書き直したいのなら、何も国民の税金にタカらずに『過去史書き換え同好会』の会員達で募金活動でも行なって、必要経費を賄うべきだろう」と述べ、真相究明への否定的な社説を発表した。流石は嘘つき民族である。

韓国人にとって『過去の真相究明』とは、その程度に軽いものなのだ。歴史に向かう姿勢が軽いから『平気で妄想し、捏造できる』のである。「事件のあるところに空白を創り」「空白の期間を妄想し、捏造する」のが朝鮮民族の本質である。こういう朝鮮民族の国家が隣に近接し、その国家からのはみ出し者たちが大勢わが日本国に不当に住み着いて通名を使って暮らしているのである。この大問題に本気で取り組む真っ当な政治家の登場を待ち望む。

《 日本が領有権主張の時に使う「固有の領土」とういう虚しい言葉 》

尖閣諸島でも、竹島でも、北方領土でも、日本人は「固有の領土」という言葉を好んで使う。間違いとまでは言わないが、国際社会に通用する概念ではない。

日本人は、よく国連(連合国の恣意的誤訳)や米国に、「尖閣は日本固有の領土」と日本の立場を説明するが、説得力を持って聞き容れられているだろうか。そもそも日本が頼みとする米国自体が「固有の領土」なるものを持っていないし、米国人が仮に真面な神経を持っているとすれば、最も聞きたくない言葉であろう。

米国はアメリカ・インディアンを殲滅して広大なアメリカ大陸を我がものとした後も、テキサスを奪い、アラスカを買い、ハワイを武力で盗んだ国である。アメリカ合衆国には「固有の領土」など一つも無い。オバマ大統領が来日した時も、尖閣諸島の「施政権」が日本にあるとは言ったが、「日本(固有)の領土」とはとうとう言わなかった。日本が「施政権」(実効支配状態)を失なえば尖閣諸島に対する「日米安保条約の適用範囲」という言葉は実効性を失なうだろう。

国際社会で日本以外の国が国境線を護る根拠とするのは、「昔から持っていたから」では無く、警備隊を置き、護る事ができるラインであるからだ。軍事力が無く、命懸けで護ろうとする軍隊がいなければ、極容易に侵害され、ひとたび侵害されたら、話し合いでなどでは取り戻せないのが「領土」というものだ。その意味で、米国による沖縄返還は極めて例外的なものだった。

尖閣でいえば、1930年に日本陸軍が測量した証拠が残っているし、それ以前にも日本人が上陸した記録があり、何よりも1968年に「国連のアジア経済委員会」が、膨大な石油・ガスが埋蔵されていると指摘する半年前に中共が出版した地図には「日本の尖閣諸島」と明記されている。「昔から持っていたから」ではなく1968年以前には中共も尖閣諸島を日本の領土と認めていたから「日本の領土で間違いない」のである。中共は第二次大戦後に貪欲に覇権主義を唱える唯一の国である。

また、大東亜戦争に敗戦した事により連合国に召し上げられた台湾も、1968年以前に発行した切手の図柄の中華民国領土から尖閣諸島がぽっかり抜けている。中共も台湾も〈天然資源の膨大な埋蔵量〉に目が眩んで〈嘘〉をついているのである。日本は弱気になって絶対に「施政権」を失なってはいけない。

こうした数々の物的証拠から、日本の正統性に疑いを差し挟む余地は無い事は明白であるが中共は「核心的利益」と言って憚らないし、現実に尖閣諸島の接続海域には常時、人民解放軍の軍艦が遊弋している。これに対して日本は何ら有効な撃退策を取らないばかりか、民間人の尖閣上陸さえ許可しない。「中共を刺激するから」だそうだ。これでは「施政権」(実効支配)の維持も覚束ない。

64年間に及ぶ「腰抜け国家・臆病者国家」から全く成長していない。日本国民を貶めておく事が国益の〈アメリカ様〉の気が変わったら、我が国はどうして領土を護るつもりなのだろうか? せめて〈アメリカ様〉が日本を護ってくれると言っているうちに少しは勇気を出して現状を日本有利に改善してみたらどうか。何もしない現政権が本当に情けない。

安倍政権は内々に「竹島はもう取り戻せない」との結論に達したようだ。確証は無いが、この噂が本当だとしたら国家としては「情けない」の一語に尽きる。「日本の領土」を60年以上も侵犯し続けている国などに援助の手など差し伸べる必要はない。〈法律で親日を罪と規定している国〉など即刻、経済制裁を課していい国である。通貨スワップ協定が自然消滅した途端、日本に報復するとメディアが騒いだ愚かな国だ。だが、我が国は制裁に動こうとしないばかりか隙あらば通貨スワップ再開を望む国会議員が大勢居るのだから呆れる。

昨日(12月15日)は朝からプーチン大統領来日のニュースでもちきりで恰(あたか)も「北方領土」の一部が返還されるかのような騒ぎだが、前述したように一度失なった領土というものはそう簡単には還ってこない。そもそも〈北方領土返還〉の期待感が高まったのは、主要7箇国による経済制裁に疲弊しきったロシアのプーチン大統領が「引き分け」という表現を使って日本に秋波を送ってきたからだ。

北方領土は日本の敗戦により連合国に召し上げられた土地である。サンフランシスコ講和会議で日本は満州、朝鮮、台湾などと同時に北方領土の領有権を放棄させられたが、〈旧ソ連邦はサンフランシスコ講和会議には参加していない〉。従って日本は旧ソ連邦に対しては北方領土の領有権を放棄していない。ロシアが不法占拠している「日本の領土」と言える所以だ。ここで念を押しておくが〈本来の北方領土〉とは「南樺太、占守島(しゅむしゅとう)から得撫島(うるっぷとう)に至る千島列島および北方四島」を指す。日本政府・外務省が長年拘ってきた〈北方四島〉だけではない。

今回の日露首脳会談でも、日本政府が従来から〈本来の北方領土〉の返還要求をしてきたのならば、経済的に苦しいであろうロシア側が北方四島返還という大妥協をする可能性が無いとは言い切れなかっただろうが、〈北方領土の一部でしかない四島返還〉を満額回答とする日本に、プーチン大統領が四島返還に向けて色良い返事をする訳がない。

況してやロシアを忌み嫌って〈ウクライナ問題を先に仕掛けた〉オバマ大統領から、ロシアに好意的ともとれる発言をして、実際に駐露大使の人選や国務長官人事などで対露和解を明確にしているトランプ次期大統領の就任を間近にした今、経済制裁で受け続けてきた経済的ダメージの打開を日本にのみ見出していたプーチン大統領の焦りは随分と緩和した筈だ。この時期にプーチン大統領が結論を急ぐ理由は無くなった。今回のロシア大統領来日で〈領土返還〉の道筋はつかないだろう。

旧ソ連邦は〈日本の敗戦後に「日ソ不可侵条約」を破って日本の背後を侵略〉し、60万人も武装解除した日本兵を極寒のシベリアの地で強制労働に就かせ、そのうち1割も死に至らしめた〈信義に悖る国〉である。他にも敗戦直後に為したソ連兵の数々の所業は不問に付されて良い問題ではない。旧ソ連邦と現ロシアを同じ国と断ずる事はできないが、北方領土の領有をロシアが続けている事は、現ロシア政府が旧ソ連邦の負の遺産も受け継いでいる事を意味している。国家対国家の交渉の場で、果たして日本政府は〈歴史の正義〉という観点から旧ソ連邦およびロシア政府に毅然と抗議をしてきただろうか? 安倍首相はプーチン大統領に旧ソ連邦の犯した審議に悖る行為を一度でも糺した事があっただろうか? おそらくあるまい。

日本が〈歴史の正義〉の名に於いて裁かねばならない相手は、連合国の中でも取分け「米国」「英国」「旧ソ連邦」「中華民国」である。大東亜戦争後に建国された「中華人民共和国」「韓国」「北朝鮮」も裁きの対象として良いだろう。更に裁きの対象から除外してはならないのは国家ではないが「在日韓国朝鮮人」たちである。

「旧ソ連邦」について政治的に重要で微妙な考え方は、意識して現ロシアと旧ソ連邦を峻別する事である。旧ソ連邦に酌量の余地は無いのだから日本政府は毅然と〈歴史の正義〉を語るべきなのは言うまでもないが、過去の蛮行に拘って首脳会談の為に来日したプーチン大統領を一方的に責めるのは非建設的だろう。プーチン大統領が求めるものが日本にあるのは疑いない事なのだから、首脳会談ではそれを積極的に利用すべきだ。一方的に妥協する必要はない。

プーチン大統領はスラブ文化に合った工業化、技術立国化を目指したい。それを実現する為に頼れるのは世界中でただ一国、日本だけである事をプーチン大統領は知っている。そして日本の望みも充分見極めている。ただ抜け目ない人物である事は間違いない。首脳会談では間違ってもプーチン大統領が言う「引き分け」を出発点としない事だ。警戒心を失なわない事は必要な、ともすれば危険な相手ではあるが、ロシアはこれからの日本にとって若しかしたら友好国として付き合える国となり得る可能性を秘めている。

北方領土の返還交渉でも日本の言い分ははっきりと言うべきだろうが、効果の程は期待できない。プーチン大統領の言い分は米国と同じで「日本は戦後世界秩序を受け容れろ」である。国境線を決めるのは、昔も今も「力」である事を忘れてはいけない。領土問題が話し合いで解決される事は極めて稀である。ロシアが相手では尚更だ。両首脳とも国民の思いを一身に受けて交渉に臨んでいる。日本が望む方向で首脳会談が進む訳はない。だからと言って日本だけが落胆させられる必要はない。これから戦略性を持って日露関係を醸成させていけば良い。日本がロシアに接近する事はトランプ政権になっても、米国はあの手この手で妨害してこよう。これから安倍首相の外交力が試される。

結局、日本に必要なのは〈経済力・外交力・軍事力〉を総合した「国力」である。日本が正しいと信じたなら例え同盟国である米国に反対され、最悪の場合、再び経済制裁を受けたとしても二度と国民が飢えない国づくりをしておく事が重要である。現政権はそういう観点から真摯に国づくりをしているだろうか?

嘗て、周恩来(当時)中共首相は日本に対して心にも無い〈名言〉を発した。「忘れる事は出来なくとも、許す事はできる」と。思えばこれを米国や韓国・中共に対して黙々と実践してきたのがベトナムである。何と誇り高い民族だろう。〈真の国力〉を持たない今の日本が言うべき言葉ではないが、本当の「国力」を獲得した暁には、戦勝国に向けても、ロシアに向けても、周恩来首相が遣ったのと同じ言葉を言おうではないか。「忘れる事はできなくとも、許す事はできる」と。今までの無策のツケが回ってきたのだ。今更焦っても仕方がない。腹を据えて〈歴史の正義〉を毅然と語り、その上で〈本来の北方領土〉の返還を要求すれば良い。安易に無駄金を遣ったり、虎の子の先進技術をタダでくれてやる必要はない。ひたすら正道を歩め。

《韓国人は日本国にとって百害あって一理無し》

米国の最新鋭地上配備型迎撃システム「高高度防衛ミサイル( THAAD)」配備を韓国が決定した事で中韓関係が嘗てなく冷却しているが、中韓蜜月の頃から韓国には「中華街」が存在しない。支那人と韓国人の中の悪さは、日本とは別の意味で深刻である。支那人は韓国を元冊封国と見下し、韓国人は中共を後進国家と見下している。中共も韓国も自国民に虚偽捏造した歴史を教育しているが、韓国の妄想は度を越しており、こうありたいという妄想を事実と誤認してしまう特異な精神構造の国民相手に彼らにとっても都合の良い妄想を捏造教育をしているから、もはや正常な国家に戻るのは不可能であろう。

日本人とて心情は同じだが、支那人は韓国の歴史剽窃にウンザリし、本気で怒っている。〈端午の節句 韓国起源説〉に始まって、〈羅針盤や印刷技術まで韓国起源〉と言い出す始末。記憶に新しいところでは四川省の漬け物、泡菜(パオツァイ)を、韓国独自のキムチ文化としてユネスコ文化遺産に登録してしまい、パクられた支那人は本気で腹を立てている。唐辛子は愚か白菜すら知らなかった朝鮮人が、四川省の泡菜よりも昔にキムチをつくっていたなどという有り得ない事がユネスコ文化遺産に登録されたのだから、支那人ならずとも韓国人の大嘘とユネスコのいい加減な体質には呆れてしまう。

中共は4000年の文化に自信を持っている。実際には中共は、文明も文化も連続性の無い分断された歴史しか持たない若い国でしかないが、世界でも歴史への自尊心だけは人一倍強い。実際、漢民族では無いが、大陸の一時代を制覇した時々の民族が世界に与えた影響は計り知れない。一方、韓国には何も無い。妄想と捏造の歴史を騙り、劣等感の塊ゆえ虚勢を張り続けるしかない。中韓両国の歴史的、文化的、経済的な対立の深層は本当に根深い。

2008年4月の北京五輪の聖火リレーは、韓国では物騒な衝突に発展した。聖火リレーがソウルを通過した際、中共側の関係者と妨害しようとする韓国市民が、まるで市街戦のような乱闘を展開した。韓国人の中には、脱北者の強制送還に抗議して、その場で抗議の焼身自殺の狂言を図る者も出たほどと言う。(こういう事を日本のメディアは絶対に報道しない)

その直後の5月、四川大地震が起きた際には、韓国国内では例によって他国が甚大な被害を被る天災を喜んで「天罰だ」との声も上がった。アシアナ機事故での「死亡したのが中国人で幸いでした」という韓国人キャスターの発言を巡って中共のネット掲示板には、〈四川大地震の時には、日本人はみんな哀悼の念を示してくれていたのに、棒子(韓国人の蔑称)の奴らはみんな喜んでいた〉という書き込みがあったという。恨み骨髄であろう。韓国という国は本当に常識外れで低レベルなモラル無き国家である。

長い歴史のなかで醸成されてきた支那と韓国の歪んだ関係。時には「反日」で握手をしているように見えても、机の下では足の蹴り合いをしてきたのだ。バカなのは韓国の方で日本の災害にも毎回大喜びするが、自国の災難には見る影もなくしょげかえって見せる。いずれ中共に呑み込まれる運命も見えない愚かな民族である。朴槿恵大統領失脚を契機に韓国という国は崩壊の始まりを迎えたのかも知れない。北朝鮮主導の統一を機に瞬く間に中共に飲み込まれてしまう可能性も否定できない。

日韓関係も相変わらず険悪だ。東京の新大久保は韓国文化の発信地として人気を博し「小韓国城」と呼ばれた時期もあった。併し日韓関係の悪化により、今は随分寂れてしまった。新大久保で韓国文化の代表と呼ばれた大使館韓国料理店も閉店して久しい。関係者は日本に韓国文化の溢れる街が永遠に消えてしまうと心配しているが、消えた方が日本の為である。

電通、博報堂が如何に韓国捏造文化ゴリ押しを続けても「日韓関係が2012年のピークの時のようになるのは無理だろう」。韓国政府は日本人の我慢の限界を超えた事に気づくべきだが、気づくならまだ救いはあるが、韓国に日本に対する憎しみの変化を求めても詮無い事。自らの過ちに気づく資質は韓国人には無いから救いようが無い。今は自国の政治的混乱であっぷあっぷしている。

惨めな歴史しか持たない朝鮮民族が、1から10まで誇り高き民族として教育されて育ち、真実に触れても、真実を嘘と言い張る場面を何度も見てきた。この民族は駄目だ。日本を貶める為に日本人に成りすまし、自国(韓国)を悪し様に罵る事で日本人を貶める目的を達成する韓国人を見ると「比類なき穢れた民族の血」と感じざるを得ない。

日本は「在日」という癌細胞に蝕まれている事に、一刻も早く気づき、手を打つべきだ。このまま在日韓国朝鮮人たちに日本に溶け込まれては〈日本が世界に誇るべき民度の高さ〉が限りなく毀損され低レベルなものになってしまう。政界、財界、法曹界、教育界、メディア界、スポーツ界、芸能界などに多数潜む「在日および帰化朝鮮人」は謂わば「耐性菌」である。有効な良薬は無い。日本は外敵と戦いながら、GHQによって意図的に仕込まれた「在日韓国朝鮮人」と「韓国朝鮮系帰化人」という2種類の『悪性新生物(癌)』を体内に抱え込んでいる。

支那人、韓国人を移民として迎え入れる事は、病身に毒を盛るようなものだ。留学生、実習生も同様である。将来の日本国の為に「日本人政治家」には目を醒まして欲しい。(注: 韓国人の中にも、例外的に少数の優れた真人間が居る事までは否定はしない)

《「MERSは『人間同士では』伝染しにくい。併し、韓国人の遺伝子はMERSに脆弱なようだ」 …米サイエンス誌。韓国人は一般的な人間とは かけ離れた生き物なのか?》

米科学誌サイエンスは、韓国に於けるMERSウイルスの感染者拡大について、「医学界の通念を破っている」と報じた。 昨年(2015年)、サイエンス誌は、韓国で急速にMERSが拡散しているのは、韓国人の遺伝子の特性に原因があるかも知れないとする専門家の分析を掲載した。 

サイエンス誌はMERSが2012年に初めて発見されて以来、幾つかの国家で海外から(外国旅行を通じて)広がった事例はあったが、多くは広がらなかったとして一般的なコンセンサスでは〈MERSは人間には容易に伝染しない〉と指摘した。世界保健機構(WHO)でMERS関連の中心的役割を担うピーター・ベン・エムバレク氏は「併し、類似の状況で露出した数百人はMERSに感染しなかった。なぜ韓国だけでこういう現象が発生するのか」と疑問を呈した。

つまり、「2012年にMERSウイルスが最初に発見された後、多くの国で感染者が発生したが、今までMERSは〈人と人との間では簡単に感染しないもの〉とされてきた。これほど多くの人に広く感染したのは韓国が初めてであり、韓国の最初の感染者が別のウイルスを持っていたか、〈韓国人の遺伝子の特性〉に原因があって他の人種に比べてMERSウイルスに弱い」という事だ。

確かに当時の韓国に於けるMERSの拡散スピードは異常なほど速かったそうだ。そして、それは韓国人(朝鮮人)の遺伝子の特性に原因がある事は充分に有り得る。実際に韓国人(朝鮮人)の遺伝子には、かなりの特殊性が存在するからだ。

朝鮮では近親相姦が何世代にも亘って繰り返されてきており、韓国人(朝鮮人)のDNAパターンは非常に均質という特徴がある為に、同じ病気に罹りやすいと疑われている。韓国人(朝鮮人)は、世界でも類を見ないほど均一なDNA塩基配列の持ち主となっており、これが人と人との間で簡単にMERSを感染させている理由ではないかとの疑惑を発生させている。

話は変わるが、1910年に〈朝鮮人たちによる度重なる懇願〉に応えて、日本は国際法に基づいて平和裡に、破綻した未開国家 大韓帝国を併合してあげた。現在の韓国政府や日本の文科省が認める教科書に記述されているような「武力による植民地支配」などしていない。日本が朝鮮人を文明開化に導いてあげたこの「日韓併合」以来、日本は数え切れないほど韓国を助けてきた。逆に日本が韓国に助けられた事は一度も無い。朝鮮民族同士でしか感染しない、この韓国MERSの爆発的感染を食い止めてあげたのも、また日本人であった。

京都府立大大学院の塚本康浩教授のチームが、ダチョウの卵を使用して韓国MERSウイルスに強く結合する抗体を大量精製する事に成功して、韓国人たちは韓国MERSの大量感染から救われた。思えば韓国人たちは何度も何度も日本人に救われながらも、建国以来の反日教育をやめずに日本を憎んできた。経済支援だけでも累計およそ23兆円に上るし、様々な先進技術や経済的方法論を日本人から教育されて現在の韓国がある。何の見返りも求めず外国をこれほどまでに支援する国は世界広しと雖(いえど)も日本しか無い。併し、韓国人は感謝する事を知らない。助ければ助けるほど日本を憎む。朝鮮民族が〈恩知らず〉であるという所以である。そして、御多分に洩れず『日本人による韓国MERSワクチンの開発』にも韓国人は日本に感謝しなかった。

話を戻すが、「女は子を産む道具でしかない」朝鮮では、「道具(女)が不良品(不妊症等)であってはならない」。 その為、昔から朝鮮では『これこの通り、娘は妊娠できる身体でございます』という事を証明する為に、父親や兄弟や叔父など血縁の近い「種男」が娘(妹や姪)を犯し、妊娠した状態で輿入れさせる「試し腹」という習慣が伝統的にあった。

尚、「試し腹」によって産まれた子供は、当然夫の血を引いていない為、妻と同じ奴隷的な身分しかなく、大人になるまで生き残れない事も多かったという。妊娠できる女である事を証明して嫁がせるという〈暴走した儒教思想〉が悪しき民族文化として根付いたのだろう。

このように、誇れる伝統文化が何ひとつ無い韓国(朝鮮)では、近親相姦が伝統となっているのだ。韓国人(朝鮮人)は、近親相姦を伝統として盛んに行なってきた為、民族的、人種的に、遺伝子レベルで異常をきたしている。韓国人(朝鮮人)だけが人と人との間で簡単にMERSに感染しているのは、韓国人(朝鮮人)だけが世界でも類を見ないほど均一なDNA塩基配列の持ち主である事が原因となっている事は充分に有り得る事である。

米人類学者Cavalii-Sforzaの遺伝子勾配データによれば、 朝鮮人は世界でも類を見ないほど均一なDNA塩基配列の持ち主であり、これは過去に於いて大きな GeneticDrift(少数の人間が近親相姦を重ねて今の人口動態を形成)したか、或いは近親相姦を日常的に繰り返す文化の持ち主だった事を表している。

韓国では、昔から若くて比較的 目鼻立ちの整った娘達は毎年 支那に3000人も5000人も献上されていたので、そもそも女性の絶対数が足りず、その為、近親相姦が容易に繰り返されてきた。遺伝子レベルで見ても「父と娘」「母と息子」が結ばれないとできない遺伝子が多数見つかっている。
(文献:The Great Human Diasporas: The History of Diversity and Evolution. 1995.. Luigi Luca Cavalii-Sforza and Francesco Cavalli-Sforza. Addison Wesley Publ. ISBN 0-201-44231-0)

また、韓国では新種の精神病で、前頭葉が破壊されてる韓国人が激増している。子供の発病率は、7年前より何と100倍に増加しているという。
http://japan.donga.com/srv/service.php3?biid=2004021674158 

尚、前頭葉などの脳の損傷があると、殺人などの凶悪犯罪者になる可能性が高まる。朝鮮人・韓国人は、脳に損傷を持つ者の比率が際立って高い。脳に障害を持つ要因として、CNNでは、頭部の怪我、幼年期の肉体的または性的虐待、慢性ストレスなどを挙げているが、朝鮮人の場合には「幼年期の肉体的または性的虐待」と「慢性ストレス」が当て嵌はまると考えられる。

こう言った事は日本のマスメディアは意図的に報道しないが、韓国では性犯罪、特に「強姦」の発生率が異常に高い。若者の「強姦」に限って言えば、ざっと言って日本の40倍である(呉善花 氏)。失脚した朴槿恵氏の大統領選挙時の四大公約の一番目が「性犯罪の撲滅」であった。この問題を含めて朴槿恵氏は何ひとつ成果を上げないまま職を追われる事になった。

こういう危険な民族が、我が日本国に韓国籍のまま60万人も通名で暮らしている。そして毎年5000人以上の在日が碌な審査も受けずに日本に帰化している。民進党には帰化朝鮮人議員がたくさん居る。自民党にも帰化朝鮮人は少なくない。前東京都知事も状況証拠から見て帰化朝鮮人の可能性が極めて高い。現政権のスローガンに「日本を取り戻す」というのがあった。本気で「日本を取り戻す」というなら、この問題は決して避けては通れまい。併し、現政権にその気が無いのはよく分かった。日本が本来の日本に立ち戻り、日本国が再生する為には誰かが勇気と覚悟を持って、この問題『在日問題・帰化朝鮮人問題』を正当に解決しなければならない。

《移民問題に於ける日米の決定的違いと日本の取るべき道》

白人による有色人種差別の問題は昔から存在するが、現代の人種問題は別次元の危険性を孕んでいる。人種差別を肌の色に対する偏見と見る事は、現代に於いて極めて表層的な見方である。現代の人種差別には〈異文化流入に対する軋轢〉と〈政治的侵略という国家的危機〉が根本にある。昔とは人種対立の根本が異なってきているのだ。

〈異文化流入に対する軋轢〉とは、生まれ育った国の文化・価値観などを捨て去る事無く、それとは異なる文化・価値観を持つ国で永住権を獲得し、周りの人々との間に時として敵対関係をつくって摩擦を生じる事である。帰化を申請する者にも、帰化を認める国の側にも、それ相応の覚悟が求められる。

〈政治的侵略という国家的危機〉が厄介なのはその言葉通りである。母国への忠誠心を捨てない者に永住権を与える事が、場合によっては敵対国の工作員を招き入れる事と同義になる危険性がある。彼らの流入を許す事は、場合によっては特定の地域が敵対国の工作員たちによって占有され、恰(あたか)も国内に敵対国宛(さなが)らの地域をつくってしまう危険を孕んでいる。

日本は長年頑なに移民受け容れを拒絶してきたと信じられているが、実際には106年前に「日韓併合」をして以来、異民族である朝鮮民族をフリーパスで日本に住まわせる事で、実質的な移民受け容れ国家となってしまった。この事を実感する日本人は少ない。

日本の敗戦により〈併合が無効化〉されても、多くの朝鮮人が日本に居座ったまま現在に至っている。朝鮮人居座りの経緯は闇に葬られ、史実として識る日本人は限られている。敗戦後の朝鮮人たちによる暴動・暴力・強姦・殺人などの暴虐無人振りは史実に証拠と共に遺されているが、それを語る事は「人種差別」になるとして「ヘイトスピーチ禁止法」や〈まやかしの常識〉として封じられている。

韓国も北朝鮮も淀みない目で見れば実質的には〈敵対国〉である。中共もまた明確な〈敵対国〉である。日本国民は「東京裁判史観」という偽りの〈贖罪意識〉を刷り込まれている。「東京裁判史観」から抜け切らない日本政府は、国民に正しい近現代史を教育していない。

日本政府は韓国・北朝鮮・中共のような反日教育に同レベルでの対抗、詰まり例えば反韓教育などするべきではないが、事を荒立てまいとして「東京裁判史観」により捻じ曲げられた歴史観を正さずにそのまま偽りの歴史観を国民に教育するのは大きな間違いである。大切なのは〈真実〉のみを国民に教育する事である。それが今の日本ではできていない。

欧州の国々(主にキリスト教国家)は〈異文化流入〉(異教徒流入)に悩まされている。中でも米国は〈政治的侵略〉の具体的被害国でもある。米国は〈異文化流入〉と〈政治的侵略〉双方に侵食されている。移民大国 米国は(政治的侵略〉の危険に未だ気づいていないようだ。移民たちは何れ皆「○○系米国人」に納まると楽観しているが、実際は〈支那による侵略〉は既に始まっている。

彼等は地域住民として政治的発言力をつけ、いつの日か様々な人種の米国人とは異なる行動をとるだろう。議会に進出し、何れは一大勢力となり、中共の意向を米国で実現する。政治的要職を押さえ、遠からず支那系の大統領が生まれるかも知れない。米国で反日活動で騒いでいる韓国人など、支那人の手先に過ぎない。

肝腎の日本は〈支那・韓国による政治的侵略者〉を絶対にこれ以上受け容れてはならない。今のままでも日本は地方自治体から侵食されていく。在日による地方の汚染を見ればよく分かる。支那・韓国は今、日本の移民政策の行方を垂涎の眼差しで見詰めている。

舛添東京都知事が現職当時は都議会のネームプレートにハングルが併記されている。正気の沙汰ではないが反対した議員は居なかったようだ。マスメディアもこの件を取り上げようとはしなかった。先日、秋田県秋田市市庁舎の写真を見て愕然とした。日章旗と韓国旗が並んではためいていたのである。今、ありとあらゆる場所にハングル文字が溢れている。日本に強制連行されてきたと嘘をついている嘗ての密航者達に、日本の地方・中央の政界が乗っ取られようとしているのだ。

1910年、日本は国際法に則って大韓帝国を併合した。当時の大多数の朝鮮人は大喜びしたと記録は語る。1945年、大日本帝国の敗戦により、日本人として35年間過ごした朝鮮人は、棚ぼた式に独立を果たし、大韓民国を名乗った。

日本人はこの時まで、朝鮮人は日本に感謝しているものと思い込んでいた。実際に感謝されて然るべき多くの事をしてあげた。併し、敗戦国の国民となった日本人に対して、朝鮮人はケモノの牙を剥き出した。朝鮮半島在住の日本人はもとより、満州からの引揚者の多くも、朝鮮人に殺され、強姦され、子供は支那人に売り飛ばされるか殺された。

敗戦直後、日本には2,950,000人の朝鮮人が居た。彼等の内、3万〜5万人の悪質な朝鮮人たちは全国で徒党を組んで「朝鮮進駐軍」を僭称して、蛮行の限りを尽くした。駅のホームで、路上で日本人を撲殺し、至る所で強姦を犯した。役場や警察署までも襲撃し、無理難題を主張し、不当な権利を獲得した。主が疎開中の空き家屋に侵入し居座った。朝鮮人経営のパチンコ屋・金貸し・焼肉屋・風俗店の多くが駅前一等地に在るのを、現在の日本人は不思議とも思わず、不当とも知らされていない。

密航してまで日本にやって来て、一世は強制連行されて来たと嘘をつき、韓国学校・朝鮮学校に通い、文化的に馴染もうとしない。日本に居座った経緯からして歩み寄る訳がない。それどころか、慰安婦はいつの間にか性奴隷となり、日本から金をタカれなくなると、国際社会に嘘を振り撒き、米国を中心に醜い慰安婦像を建て始めた。北朝鮮系の在日は日本人拉致に手を貸した。日本政府は何度でも謝罪させられ、何度でも金をタカられ続ける。日本人は何度でも朝鮮人に騙され続ける。朴槿恵大統領が失脚すると韓国人は早々に「日韓合意」の無効を言い出した。

彼ら在日韓国朝鮮人は、日本文化を身に付け、日本人になろうなどとは微塵も考えていない。仮に日本に帰化しても日本の為になる事はしない。国会議員や都知事になっても朝鮮民族は所詮 朝鮮民族。日本国民の事は二の次である。日本では単なる人種差別ではなく〈異文化流入〉と〈政治的侵略〉という人種対立の構図が戦後71年をかけて完成してしまっている。

外見が似ていても、内面は全然違う。韓国人は日本が大嫌いだ。性奴隷の嘘をつき、旭日旗を戦犯旗にしようと工作し、天皇陛下の御真影を踏み付け切り裂いている。それほど憎い日本なのに、日本に居着いて帰国しようとしない。創氏改名を強制されたといいながら平気で通名を使い通す。在日韓国朝鮮人の増殖を放置して地方分権など認めたら、いずれは不当な住民投票を要求してくるだろう。

日本が普通の国になる為には、特亜の〈政治的侵略〉を放置してはいけない。在日の存在はGHQが日本弱体化の為に撒いた「争いの種」だ。今では明らかにされているGHQのプレスコードには「朝鮮人を批判してはいけない」と言う項目が明確に記載してある。GHQはもう居ないのだから、日本人は理不尽に居座る「在日韓国朝鮮人」の理不尽を堂々と批判して帰国を促すべきだ。日本に反日の在日は要らない。

公職に就いた帰化人は、本名を明らかにするべきだ。1910年にまで遡って来日した支那人、朝鮮人は例え帰化していようとも、出自を明確にして、本名を名乗らせるべきである。政治家、公務員(特に自衛隊員・警察官・裁判官・教員)は、日本人のみに託せる職業である。

《自分で自分を洗脳する日本人。嫌日に拍車をかける日本政府とマスメディア…日本人よ、そろそろ目を醒ましてもいいのではないか?》

捏造作家ピエール・ブールは、フランス政府からレジオンドヌール勲章、軍功章およびレジスタンスのメダルを受章した。戦後暫くの間はマレーシアで農園の仕事を続けたが、その後パリに戻り、獄中日誌や小説を書き始めた。代表作であり映画化もされた『戦場にかける橋』や『猿の惑星』は、仏印での経験を基に描かれたといわれている。

中学生の頃、私は新宿のテアトル東京という映画館の指定席で「猿の惑星」を観た。主演のチャールトン・へストンの大ファンだったからだが、掌に悪い汗をかいて、とても後味の悪い印象の映画だったと覚えている。勿論、中学生の私には「猿」=「日本人」という白人の認識は直ぐには理解できなかったが、後で知って非常に腹を立てた記憶がある。

映画「猿の惑星」の日本での興行成績の良さに、白人社会は陰で嘲笑していたというが、私もその嘲笑の対象であったのが何とも悔しい。映画公開当時も公開から数十年経った比較的最近も続編が幾つもつくられ、現にTSUTAYAなどに未だに並んでいるのを見ると、罪悪感にも似たほろ苦い記憶と共に日本人として何とも情けない気持ちになる。

ピエール・ブールは、1936年から1939年まで英領マラヤにあるゴム園の監督者として働いていた。日本軍による被害者意識が強い人物だが、何の事はない、典型的な植民地主義者で、然も、監督者となれば、現地人に数々の暴行を働いても心を痛めない差別主義者であった事が容易に想像できる。

1939年に第二次世界大戦と呼ばれる戦争が始まるとブールはフランス領インドシナ(仏印)でフランス軍に徴兵される。 併し、ナチス・ドイツのフランス本国占領を受けて、本国に発足した親ナチス・ドイツ政権(ヴィシー政権)の側に仏印植民地政府が付くと、彼はシンガポールに逃れ、ナチス・ドイツとの抗戦を訴える自由フランス軍に加わっている。

ブールは自由フランス軍の一員として支那・雲南省に赴き、中国国民党と接触、ゲリラとして仏印に戻り、1943年に日本軍の捕虜となる。翌1944年に捕虜収容所を脱走し、英国軍の水上機で脱出。カルカッタで特殊作戦執行部(SOE)のフォース136に志願し、現地で終戦を迎えたと自称している。

併し、実際には仏印で工作活動を行っていたブールを捕えたのは日本軍であったが、親ナチス・ドイツのヴィシー政権側に付いた仏印植民地政府と仏印駐留日本軍との協定により、フランス人であるブールの身柄は、日本軍から植民地政府軍に引き渡されたであろうと推測するのが妥当だ。

日本軍による捕虜虐待というのは、人種差別主義者ブールの勘違いである可能性が高い。ブールにしてみれば、植民地政府軍の手先として使われた現地人であろうが、日本軍であろうが、見分ける必要もない「猿」だったのだろう。

「戦場にかける橋」は1943年のタイとビルマの国境付近にある捕虜収容所を舞台に、日本軍の捕虜となった英国軍兵士らと、彼らを強制的に泰緬鉄道建設に動員しようとする日本人大佐との対立と交流を通じ、極限状態に於ける人間の尊厳と名誉、戦争の惨さを表現したという触れ込みの戦争映画だ。

劇中に登場する英国軍兵士への数々の懲罰は、原作者ブールが実際に体験したものであると述懐している。おそらく、かなり誇張したのだろう。第30回アカデミー賞 作品賞を受賞し、主題歌も大ヒットした。

舞台となった橋が架かる川の旧来の名称はメークロン川であったが、この映画によって「クワイ川」が著名となった為に、クウェー・ヤイ川と改名され、クウェー川鉄橋は映画公開後半世紀経過した現在でも観光名所となっている。

「戦場にかける橋」の脚本は日本人としては噴飯物である。最近テレビの洋画番組からはすっかり姿を消した、洋画好きの自称映画評論家達が口を揃えて「名作」「大作」と好評価した映画だが、所詮、連合国側のプロパガンダ映画でしかない。

描かれているのは、気高い英仏両軍捕虜と、無能で国際法違反をものともしない、頑迷、無知、残虐な日本兵の姿である。橋を建設する知識も能力もない日本軍に、数々の軋轢や不当な扱いを乗り越えて、最終的には英国人が、橋造りの能力を見せつけるのだが、プロパガンダ映画の例に漏れず、史実無視も甚だしい。

実際には、橋は日本軍が設計し、日本軍がコンクリート製の橋頭を幾つも造り上げている。英国人捕虜の知識など、この時点では要らない筈だ。

完成の日の夕刻、英国軍将校と日本人大佐は橋の上で、苦心の末に完成させた橋を照らす夕陽の美しさに感慨に浸っていた。そして英国人将校は、明日で入隊して28年を迎えると言い、28年間の人生を振り返った。「28年の月日の中で本国にいたのは精々10箇月。併し、その中でインドという国を好きになった。今、人生が終わりに近づいているのが分かる。自分の人生は誰かにとって有意義なものであったか。」とどうでもいい事を言う。

インドでの英国人の悪行は数知れない。教育もしなければ、たまたま優秀そうに見え、将来 英国人に逆らいそうな若者は、文字を書けないように両手首を切り落としたという。そうして支配してきたインドという国を、この将校は「好きになった」と染みじみ言ってのけるのだ。現実には日本が統治した地域には教育が施され、言語も統一されているが、英国が統治したインドでは今でも何十という言語が活きており、国の近代化の足を引っ張っている。英国はインドでは教育も言語の統一も何も現地の為になる事はしなかった。

英国人将校は、橋の完成を祝った催しの中でスピーチをした。橋ができた事で兵士らを新しい収容所に移せる。所長の計らいで傷病兵は特別に汽車で移動できるようになった。また「陸の孤島のジャングルという僻地で苦難を乗り越え大事業を成し遂げた事は、捕虜となり誇りを失っていた兵士たちに名誉を取り戻し、敗北を勝利に変える事ができた」という話をする。そしてスピーチの終了後、一同は英国国歌を高らかに歌い上げる。あぁ美しい!

併し、この橋の完成は、英領インドへの日本軍侵攻を容易にする事を意味し、インドを長年植民地支配してきた英国軍としては甚だ厄介な事になる。従って連合国が爆破する。めでたしめでたし…。

子供の頃から、こんな映画を数多く観せられれば、日本に誇りなど持てる筈がない。テレビ局も、番組前後にわざわざ映画評論家を登場させるなら、「映画ではこう描かれているが、真実はこうなんだよ」と解説させて欲しかった。マスメディアの力は甚大だ。日本政府は長年、マスメディアの使い方を間違えてきた。マスメディアを支配する偽善者と在日は戦後一貫して国民を嫌日に導いてきた。

私は、たった一年間でもいいから、マスメディアが真実を語り続ければ、日本国民は目醒めるのにと、つい叶わぬ妄想に耽ってしまう。実際には、日本政府もマスメディアも国民が自国に誇りを持てるような啓蒙活動など何もしていない。それどころか文科省は史実を捏造して子供たちが日本に誇りを持てないような教科書を放置し、マスメディアは極端に偏向している。最近はSNSの世界でさえも在日の為の検閲が横行してきた。

政権政党はあろう事か「ヘイトスピーチ禁止法」なる天下の悪法まで成立させてしまった。国会議員・中央と地方の官僚・マスメディアなどから「在日韓国朝鮮人、反日帰化人、反日左翼という劣化日本人」を排除する実効的法律をつくるべき時であるのに、今の日本は在るべき姿からは明らかに逆行している。政権与党議員には明確な使命感を持って日本の為になる真面な仕事をしていただきたい。

《どうしてアメリカ人は自国の歴史に誇りを持てるのか?どうして日本人は自国の歴史に誇りを持てないのか?》

アメリカ人たちが日本人のように、自国の「国旗や国歌」を忌み嫌うという話は聞かない。寧ろ、星条旗が掲揚され国歌が流れると例外無く皆、誇らしく胸を張り口ずさむ。理由は何故か?  アメリカは「東京裁判」に於いて原告側、裁く側に居たからである。

「東京裁判」に於いて、裁かれる側の日本だけがこれでもかとばかりに徹底的に自国の上層部を悪し様に叩かれ、有りもしない軍部の蛮行が次々と暴かれる様を見せられた。裁判の体を繕ったリンチであったから裁判に於ける日本側の弁明は通訳の音声が断たれ、ラジオや新聞では日本の軍部の有りもしない悪事ばかりが暴かれた。

GHQは徹底的に検閲をし、マスメディアは連合国=「善」、日本軍=「悪」の構図を有りとあらゆる手を使って日本国民に刷り込んだ。公式には20万人、実際には自ら去った者を含めると実に+70万人が公職を追放されたも同じで、主に教育機関とメディアに売国左翼が流れ込み、「日本悪玉論」を展開した。敗戦利得者の代表格が一橋大学の都留重人や今や引っ張り凧の「占領憲法学者」である。NHKと朝日新聞の変わり身も酷かった。こうして日本人で有りながら国旗・国歌を忌み嫌う低脳な連中が劣化コピーされていった。

では「勝者」米国はどうか? 東京に代表される都市部への無差別大空襲、広島・長崎への原爆投下。これは正しく「無辜の民への無差別大殺戮」であり原爆投下は「人体実験」であった。米国の一般大衆はこれに僅かでも心を痛めたか? いや、大喜びをして勝利を祝い、白人犠牲者だけの冥福を祈った。何にでも例外は有ろうが、米国全体が勝利の美酒に酔い、名も無き日本人犠牲者は一顧だにされなかった。

併し、米国とは建国以前から実に邪悪な白人集団であった。ヨーロッパに居場所を失った落ちこぼれの集まりが今の米国の始祖である。メイフラワー号とは、ピルグリム・ファーザーズが1620年、イギリス南西部プリマスから、新天地アメリカの、現在のマサチューセッツ州プリマスに渡った時の船の名であるが、青息吐息で辿り着いたアメリカ大陸で心優しい先住民族に助けられ、やっとの思いで厳しい冬を越せた。

こうしてマサチューセッツ州プリマスはプリマス植民地の中心地となった。最初の乗客は102名、乗組員は25から30名だった。ピルグリム・ファーザーズとは絶対王政下の英国から信仰の自由を求めて逃れてきたピューリタン達の事であるが、実際は41人で残りの61人は一攫千金を夢見たオランダ人であった。何千年も昔から大陸に住んでいた人々から見れば、メイフラワー号で漂着した白人たちは皆、例外なく凶暴で残忍な無法者であった。

更に遡れば1492年にクリストーバル・コロンによりアメリカ大陸は「発見」され、トルデシリャス条約により、スペインによるアメリカ大陸制圧を担った者達はコンキスタドール(征服者)と呼ばれ大殺戮を繰り返した。また、コロンが到達した地に居住していた人々は、インドに到達したと思ったコロンによってインディオ(インド人)と呼ばれた為、以降アメリカ大陸の人々はヨーロッパ人によってインディアンといった呼称で呼ばれるようになった。

スペイン人も、イギリス人も、オランダ人も、「新大陸」でアメリカ・インディアン達に対して殺戮の限りを尽くした。アメリカ・インディアンの人口は90万人〜1800万人と推計されるが、2000年の調査では247万人が確認されている。アメリカ建国時点では30万人を切ったとも言われている。(先住民の人口推計は1000〜2000万人と言うのがポピュラーである)

アメリカ合衆国の建国はアメリカ・インディアン達の血に塗れている。然も、白人たちは1600万人のアフリカから文字通り強制連行してきたアフリカ人たちの奴隷売買の上に成り立つプランテーション経営をして裕福に暮らした。白人以外は人間とは見做さない、非人道的で邪悪な歴史から白人たち、アメリカ人は絶対に逃れられない。この「白人以外は人間とは見做さない」と言う文脈上に「大東亜戦争」がある事を、現代の日本人は知るべきである。

これだけ悪逆非道な歴史を持ちながら、アメリカ人たちは日本軍を残虐だなどと良く言えたものだと思う。日本人は良く良く歴史を学び直すべきである。ただ一度だけ望まぬ戦争に敗けただけで、意気消沈し、戦ってもいない中共や韓国に国家と先人たちの罪を捏造されたのを知りながら、日本の政治家たちは米国が見ている限りに於いては嘘を嘘と言い返す事もしない。日本とはどれだけ情けない国に成り下がってしまったのか、今の日本国民はまるで分かっていない。我々は坂の上の雲を目指した明治時代の先人たちにはとても見せられないほど精神的に落ちぶれた子孫である。

アメリカと言う国がどれ程 不名誉な歴史の上に成り立っているのか、日本人も、当のアメリカ人さえ理解していない。アメリカ人に「一分の魂」でもあれば、自国の成り立ちに恥じ入る事だろう。アメリカはこの百数十年間、金の為に戦争ばかりしてきた。トランプ次期大統領の出現でアメリカは経済的には内向き志向になりそうだが、トランプ氏は軍拡を主張している。今まではアメリカ合衆国自体が悪の本質と言う訳ではなく無国籍な金融資本家の金儲けの為に国家が操られているのだが。併し、トランプ次期大統領の下では意図的にアメリカという国家が軍需産業で金儲けをする計画だ。何れにせよ実際に軍を動かし、B52か無人爆撃機で空爆をし、小銃の引き鉄を引いてきたのは常に米兵か、米兵でないとしても米国に操られた他国の軍隊であり、悪の実戦部隊の陰には常にアメリカ合衆国がいる事には誰が大統領になろうと変わりは無い。

日本人が子供の頃から偏りのない正しい歴史を学ぶ事が出来さえすれば、どれ程 日本人に生まれた事に感謝し、誇らしく胸を張れる事だろう。実際には日本人は日本国政府によって偽りの近現代史を教育されている。日本人が立ち直る為には先ず教育の正常化が不可欠だ。昭和天皇は米内光政が日本が復活する為には50年はかかるでしょうかと問われた時、即座に300年はかかると仰せられたと言う。それまで日本が持ち堪えてくれれば良いのだが、日本社会の変容と国際社会の変化はあと230年近くも待ってくれはしない。

日本人にアメリカ人のような図々しさがあれば立ち直りも早いだろうが、「東京裁判史観」の刷り込みから脱し切れない日本人は益々駄目になって行くようで心配である。「大人の対応」と言う名の病から立ち直るには、まだまだ時間がかかりそうだが、最近の日本人を見ていると「臆病」にも増して「偽善」という病にも罹っているから日本人社会に危機感を禁じ得ない。マスメディアに登場する所謂 知識人たちは殆んどがこの「偽善者」である。日本人が先人たちのような本来の誇り高い日本人に立ち直る為には、〈中共の覇権主義〉と〈トランプ次期米国大統領〉という、本来なら決して日本にとっては望ましくはない〈外圧〉に頼るしか無いだろう。〈危機こそチャンス〉とは良く言ったものだ。臆病で偽善的な反日左翼の顔はもう見たくはない。

《中華人民共和国のチベットへの悪行。中共が恐ろしい国である事を呑気な日本人は気付くべきだ。》

チベットには約2100年の歴史があると言われるが、それは神話時代からの話であり、実際には7世紀から語られる事が一般的である。唐王朝が栄えた時代だ。中共では唐代よりチベットは支那の一部分であったという、それこそチベットの全歴史を否定するような歴史歪曲を行なっているが、西暦763年にチベットは唐の首都 長安を占領し、一時的に「唐はチベットの朝貢国」になった事もある。

今日あるダライラマ制度は17世紀に始まったもので、それ以来ダライラマは転生を繰り返して現在では14世に至っているとされる。一般的にはチベットは1727年に清朝の支配下に入ったとされる。併し、実際にはラサに駐蔵大臣2人を置いていただけで、現代で言う大使館を開設していたに過ぎない。

チベットは英領インドと国境条約を結ぶなど一貫して独立国家として主権を行使してきた。20世紀前半当時、チベットは日本、支那、タイと並んで欧米の植民地化を免れたアジアでも数少ない独立国家のひとつであった。

1950年10月7日、人民解放軍がチベット東部へと侵略戦争を開始した。チベット国境警備隊と現地の義勇軍が抵抗したものの、武器・人員ともに圧倒的な人民解放軍を相手に退却を余儀なくされた。

そもそも人民解放軍は100万の軍勢を有している一方で、チベット軍は8500人に過ぎなかった。始めから軍事力による勝敗は見えていた。1951年5月、北京でチベットと中共との交渉が行なわれた。チベットから北京に派遣された代表2人は交渉に赴いただけで、チベット政府から条約を締結する権利を与えられていなかったが、中共の脅迫により強引に署名させられてしまった。こうして1951年5月23日、チベットの平和解放に関する十七ヶ条協定が締結された。

チベットが中共の支配下に入るとチベット人と支那人の摩擦が激化した。当時人口7万人のラサに2万人以上の人民解放軍が進駐し、ラサ市民は住宅と食料の提供を強制され、瞬く間に食糧難と猛烈なインフレがラサを直撃した。

チベットと中共を結ぶ道路建設には大量のチベット人が無報酬で強制労働をさせられ、数千人の命が奪われた。中共はチベットの青少年に、チベットの宗教、文化、習慣を侮辱し、共産党を賛美する教育を強制した。

チベット人の不満が日増しに高まる中、ダライラマ法王は1954年、北京を訪問し、毛沢東、周恩来、劉少奇、朱徳らと会談した。この時、ダライラマ法王は一筋の希望を見出し、中共との協調も本気で考えるようになったという。

併し、その後にチベット人は、人類が嘗て経験した事がないような悲劇に見舞われる。中共の悪政、度重なる条約違反にチベット人の怒りは頂点に達していた。

1958年以降、東チベットではカンパ族を中心に反乱が続発、これに対し人民解放軍は見せしめの為、何千という寺院や町を砲撃や爆撃で破壊、寺院の仏像や経典を容赦なく略奪した。東チベットの至る所で人民解放軍による虐殺が行なわれた。以下に『中国はいかにチベットを侵略したか』から引用する。

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「妻、娘、尼僧たちは繰り返し強姦されまくった。特に尊敬されている僧たちは狙い撃ちにされ、尼僧と性交を強いられたりもした。ある僧院は馬小屋にされ、僧たちはそこに連行されてきた売春婦との性交を強いられた。拒否した僧のあるものは腕を叩き切られ、「仏陀に腕を返してもらえ」と嘲笑された。大勢のチベット人は、手足を切断され、首を切り落とされ、焼かれ、熱湯を浴びせられ、馬や車で引きずり殺されていった。アムドでは高僧たちが散々殴打されて穴に放り込まれ、村人はその上に小便をかけるように命じられた。更に高僧たちは「霊力で穴から飛び上がって見せろ」と中共兵に嘲られ、挙句に全員射殺された。怯える子供たちの目の前で両親は頭を撃ち抜かれ、大勢の少年少女が家から追われて中共の学校や孤児院に強制収容されていった。
貴重な仏像は冒涜され、その場で叩き壊されたり、中国本土へ持ち去られていった。経典類はトイレットペーパーにされた。僧院は馬や豚小屋にされるか、リタン僧院のように跡形もなく破壊されてしまった。リタン省長は村人の見守る中で拷問され、射殺された。何千人もの村民は強制労働に駆り出され、そのまま行方不明になった。僧院長たちは自分の糞便をむりやり喰わされ、「仏陀はどうしたんだ?」と中共兵に嘲られた」
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1959年2月、中共はダライラマ法王を、3月10日に開催される観劇に招待した。その際、警備をつけないようにという注文をつけた。法王が拉致されるのではないかという不安が瞬く間にラサ市民の間に広がった。

1959年3月10日、3万人のラサ市民が市の中心部にあるノルブリンガ宮殿に集結、人々は口々に「チベットに独立を、支那人は帰れ」とシュプレヒコールを叫んだ。法王は観劇への出席を取りやめる事にしたが、大群衆はノルブリンガを去らなかった。

これに対し中共は軍を増強し、事態は一層緊迫の度を増した。3月16日、ダライラマ法王はついに決意して、一般庶民に変装してノルブリンガを脱出し、インドへと亡命した。

3月19日、遂に悲劇は起きた。中共軍はノルブリンガ宮殿に一斉に砲撃を開始。集中砲火は41時間継続し、宮殿は蜂の巣のように破壊され、何万人という民衆が虐殺された。3月28日にはチベット政府が完全に解散させられ、チベット自治区準備委員会に統治される事となった。(チベット自治区は1965年に発足)

その後も中共による残虐行為は絶え間なく続いた。1959年4月には「民主改革」運動が行なわれ、ありとあらゆるチベット人が摘発の対象となった。多くのチベット人が出頭を命ぜられ、投獄、殺害された。比較的軽いものでも数箇月間の洗脳教育を受けさせられた。

以下はダライラマ法王が難民からの報告をもとに纏めたものである。
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「彼らは銃殺されたばかりでなく、死ぬまで鞭打たれたり、磔にされたり、生きながら焼かれた。溺死させられたり、生きたまま解剖されたり、餓死させられた者もあった。絞め殺されたり、首を吊って殺されたり、熱湯による火傷で殺された。また、あるものは生き埋めにされたり、腹わたを取り除かれたり、首を切られたりして殺された。こうした残虐行為はいずれも公衆の面前で為された。村人たちはそれを見物するように強制された。自分の家族が強制されて見ているその目の前で、ゆっくりと殺されていったのである。更に小さな子供たちは、その両親を射殺するように強制された」
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1966年5月にはチベットにも文化大革命の嵐が吹き荒れた。8月には紅衛兵の数は1万人に達し、最盛時には十数万に達した。紅衛兵は「四旧」を打破し、「四新」を建設しようというスローガンの名の下に、数少なくなったチベットの寺院、文化施設を徹底的に破壊し、通りの名称を変更し、個人の家に入り込んで祭壇や民俗家具などを片っ端から壊し回った。

民族衣装を着る事もペットを飼う事も屋上で香を焚く事も、伝統の模様を描く事も全て禁止された。宗教文献、写本、彫像などは跡形もなく破壊された。チベット語も弾圧の対象となり、会話以外ではありとあらゆるチベット語の書物、教科書、が焚書された。

チベット語で印刷されたものといえば毛沢東語録と共産党の宣伝文書ぐらいになってしまった。全ての僧侶は「反動分子」として扱われ、罪名を書いた板を首にかけられ、市内を引き回された。チベットのありとあらゆるものが破壊された大混乱の10年間であった。

1978年から始まった改革開放政策によって、中共のチベットによる残虐行為は大幅に緩和された。併し、28年間に亘る中共の支配は、2000年かけてチベット人が築き上げたものを根本から徹底的に破壊し尽くしてしまった。6000箇所以上あった寺院は悉く破壊され、完全な破壊を免れたのは8箇所であった(全く被害がなかった訳ではない)。

虐殺、戦闘、飢餓によって120万人のチベット人が命を失った。チベットの人口の5分の1に相当する。中共侵略前のチベットは貧しかったが、その歴史に於いて飢餓を経験した事はなかった。

改革開放以来、大規模な殺戮はなくなった。仏教を信仰する事も可能になった。破壊された寺院の再建や修復も進んでいる。それでもチベット人に対する弾圧は依然として続いている。

1989年にはラサでチベット人による大規模なデモが行なわれ、これに対し人民解放軍が数百人のチベット人を虐殺している(当時の地方の共産党書記、胡錦濤氏はこの虐殺で名をあげた)。現在でも数千人が政治犯として収容されていると言われている。

ダライラマ法王の写真やチベットの国旗を所持しているだけで摘発の対象となるほど自由は制限されている。他にも子供たちにダライラマ法王の写真を踏み絵させたり、中共のイデオロギー教育を行なうなど、前近代的な植民地支配が継続されている。

1995年には即位したばかりのパンチェンラマ11世を拉致監禁し、別のパンチェンラマをたてるという暴挙に出た。拉致されたゲンドゥン・チューキ・ニマ少年は当時6歳で、世界最年少の政治犯となった。ダライラマ法王は亡命から48年間、一度も祖国への帰還を果たしていない。

中共は半世紀以上に亘る残虐行為を認めないどころか、「嘗てのチベットは5%の僧侶及び貴族、地主が、95%の奴隷を搾取していたが、中共がチベットを平和解放し、チベットに幸福と繁栄を齎した」などという、歴史の捏造をしている。更に「チベット固有の動物であるジャイアントパンダ」を中共の平和の象徴に仕立て上げてしまった。

パンダは中共には棲息して居なかった。パンダはチベット固有の珍獣である。今、中共がパンダを政治利用して、中共に歯向かわない国にのみ「友好の証」としてジャイアントパンダを高額でレンタルする様を見せつけられるにつけ、この珍獣の故郷(ふるさと)を知る者は皆、腹わたを煮え繰りかえらせている事だろう。

当然 ダライラマ14世の事は分裂主義者、仏教秩序の破壊者として極悪人扱いである。ダライラマ14世は1989年にノーベル平和賞を受賞している。これには中共への世界の非難が込められている。近年特に深刻なのは大量の支那人がチベットに入植している事である。もともとチベットの一部分であった青海省は今や支那人が多数派となっている。

チベット自治区では今でもチベット人が多数派であるが、2006年7月の鉄道開通によって現在では自治区内にも大量の支那人が入植してきている。大規模な虐殺や破壊はなくなったが、今でも中共によるチベット文化の破壊や殺戮は着々と進んでいる。

50年代から70年代にかけてチベット文化は徹底的に破壊されたが、更に80年代にかけてはチベットの中共化がより強化された。ラサ市街は今や社会主義国らしい地味な5階建てのコンクリート建築が並び、チベットらしさが全く失なわれてしまった。道路には北京路、福建路、解放路などの中共的な名称がつけられている。

一時、チベットの人権を非難していた欧米諸国は、中共の経済力を前に沈黙してしまった。中共が問われて一番痛い所、チベット、東トルキスタンへの人権弾圧・大虐殺を、日本は堂々と追及するべきである。日本国民には、次は日本かも知れないという危機感が無さ過ぎる。中共が中米露の大国の力関係を見計らいながら、可能と判断して日本侵略を始めた時、日本を護ってくれると呑気な日本人に信じられている米国には何もできない。人の心を持たない人民解放軍には平和憲法など通用しないのは、チベット国民や僧侶たちへの仕打ちを知れば自ずと分かるだろう。

《歴史捏造により、自らの過去の所業を忘却の彼方に押しやる卑劣な国どもの何と多い事》

捏造された『従軍慰安婦強制連行』について「20世紀最大の人身売買」と米国議会、国連人権委員会が〈世紀の冤罪事件〉を犯して久しい。米国下院は、慰安婦に対する日本政府の謝罪を求めて2007年に第121号決議を採択した。「従軍慰安婦問題の対日謝罪要求決議」とも言われる。

米下院での慰安婦決議の推進役だったマイク・ホンダ(当時)下院議員と中共系の「世界抗日戦争史実維護連合会」との資金面での絆は、民間の選挙資金調査機関「有責政治センター」の記録により明白である。 2006年度はホンダ氏への寄付37万ドルのうち30%相当の11万ドルが中共系からだった。意外にも韓国系からは1万ドル以下である事実が、米国での反日工作の真犯人が中共である事を示している。騒いでいる韓国系アメリカ人たちは駒として中共に利用されている事が分かる。

下院議員9選を目指したマイク・ホンダ氏は今年2016年8月の選挙で落選した。マイク・ホンダ氏のHPは複数の言語に対応しているが、どういう訳か日本語には対応いていない。本人が言うように日系人であるかどうか極めて怪しい。おおかた成り済ましの得意な特亜人であろう。日本に対する悪意は相当なものであった。ホンダ氏の代わりに選出されたのは、同じ民主党のインド系米国人弁護士 ロー・カンナ氏(40歳)だが、この人物がホンダ氏を凌ぐ反日思想の持ち主で、その言動から既に中共マネーに相当蝕まれていると思われる。日本としては今までのホンダ氏同様に目が離せない人物である。

米国での日本叩きの黒幕が韓国ではなく中共であるのは資金の動きからも明白である事は前述した通りであるが、「ザ・レイプ・オブ・南京」を書いた支那系アメリカ人、故アイリス・チャン氏も韓国系アメリカ人同様、中共の捨て駒であった。アイリス・チャン氏は2004年11月9日の朝、自家用車の中で謎の拳銃自殺を遂げた。叩けば幾らでも埃が出てきそうだが、この闇を暴こうとするジャーナリストは米国人も日本人も居ないようだ。

米国の単純な一般大衆、特に白人女性にとって「女性への性的人権侵害」は無条件に受け容れられる。自らの先祖がごく最近まで有色人種の女性をどれだけ陵辱してきたかなど白人女性たちは気にしない。何故なら人権と聞いて、有色人種を思い浮かべる白人女性など先ず居ないからだ。そうでなければ、奴隷制度や植民地主義で肥え太ってきた自国の過去を恥じて、有色人種に対する人権問題など公然と論じられる訳がない。

アイリス・チャン氏は白人女性が敏感に反応する言葉「レイプ」を実に効果的に使用した。中共が言い募る「南京大屠殺」ではなく、意図的に「ザ・レイプ・オブ・南京」としたのは大成功であった。それに目をつけた、若しくはそれ自体を工作した「世界抗日戦争史実維護連合会」にとって相変わらず韓国は都合の良い駒であった。資金面は「世界抗日戦争史実維護連合会」が持つから、韓国は(従軍)慰安婦を〈レイプ被害者〉として米国で訴えよ。「性奴隷」と言う刺激的な言葉はこの文脈上で如何なく目的を達成した。

性的被害は訴えたもの勝ちの傾向が強い。よほど迅速に、強硬に、毅然と反論しない限り、証拠無き被害者の方に同情が集まる。訴えられた側が、沈黙したり、狼狽えたり、況んやその場逃れの謝罪をしたりしてしまえば、そこで勝敗は決する。

この点で日本政府は致命的失敗を繰り返してきた。政府に限らず、日本人は「とにかく謝って」その場を逃れようとする。それに輪をかけて「謝罪こそ誠意」と勘違いしている日本人が多すぎる。それが「偽善」である事が理解できない人たちだ。国際社会では沈黙が通用しない現状を見ても改めようとしないばかりか喜んで謝罪を繰り返す。

慰安婦で責められた時、民間からとは言え賠償金を支払い、内閣総理大臣として愚かさを露呈した村山富市氏が、元慰安婦を名乗る実際には高給取りの売春婦であった老婆たちに詫び状まで書くと言う失態を演じた。その後、沈黙と無為無策という罪を犯し続けた事で、現在、米国人の大半に「旧日本軍は強姦魔の集団」であるかの如く思われている。元売春婦ひとり一人に謝罪文を書いた大馬鹿総理大臣は村山富市氏・小泉純一郎氏・安倍晋三氏である。

ひと世代でケリをつけられる程この問題は軽くない。「日韓合意」で冤罪を認め、謝罪し、村山富市氏さえ手を付けなかった国庫から賠償金と思われても仕方がない10億円を支払い、元売春婦ひとり一人に謝罪文を認(したた)めた安倍首相に、この問題でできる事は最早(もはや)何も無い。次の世代の政治家に日本の為に散華された英霊、先人たちに被せた冤罪の汚名返上を託すのみである。冤罪を30年以上放置してきた日本政府によるツケは余りにも大き過ぎる。倍の時間をかけてでも日本は冤罪を晴らし、名誉を取り戻さなければならない。

「河野談話を見直さず」「河野洋平氏を国会に証人喚問すらせず」「日韓合意を成立させてしまった」安倍首相を責めるだけでは問題は解決しない。〈自ら進んで被った冤罪〉を晴らす為には、これからは政府任せではなく、我々一般国民が今以上に「高い意識と覚悟」を持たなければならない。常に政府の背中を正しい方向に押し続け、証拠を収集・整理し、ひとり一人が専門家になるくらいの気概を持って立ち向かう必要がある。成果を発表するにはインターネットは格好の場となろう。インターネットの世界での言論の自由にも最近は翳りが見られるが、まだまだ使える。

我々は多くの敵に囲まれている。国内には、在日韓国朝鮮人、反日帰化人、反日劣化日本人、そして語られる事の無い背乗り朝鮮人… 更に一般国民の無気力・無関心・勘違い・偽善が蔓延している。国外には強大な敵、中共政府と米国政府がいる。安全保障上の中共の脅威には当面、日米安保が必要不可欠である。米国は敵であると同時に、死活的に欠くべからざる味方でもある。ここが難しいところだ。

そんな中、そろそろ忘れられ始めている「米軍慰安婦(性奴隷)問題」に、日本政府は一言も言及していない。現実には今も122人の元米軍慰安婦が韓国で韓国政府を相手に訴訟を起こしている。日本の国会は何故これを話題にしないのか不思議がっても仕方が無い。次の政権には「米軍慰安婦(性奴隷)問題」を放置し続ける「韓国政府に対する非難決議」を可決して記録に残すよう、民間から声を上げるべきだろう。米国の顔色を窺って韓国に阿(おもね)る必要など全く無いのだから。米国がトランプ政権になれば日本が韓国を批判し易い風潮が生まれるかも知れない。

「米軍慰安婦問題」は、所謂 基地村で売春に従事していた122人の韓国女性が「国が米軍相手の慰安婦制度を作った」として、韓国政府を相手に提起した裁判の初公判がソウル地裁560号で開かれた事を契機に多くの者に知られるようになった。 女性たちは一昨年6月、「私たちは外貨を稼ぐ為に夜通し働かされた。韓国政府はこうしたシステムを作った事を認め、賠償して欲しい」として、1人につき1万ドル(当時のレートで約118万円)の損害賠償を求める訴えを起こした。(2014年12月19日、韓国・聯合ニュース)

この話題は米国では Stars and Stripes(星条旗新聞)だけが取り上げた。星条旗新聞など極限られた米国人しか読んでいない。記事を読んだ米国人は「金を稼いだ売春婦が、まだ金をせびっている」と冷めた感想を述べている。日本に対する敵意の同調とはかけ離れている反応だ。女性人権団体も騒がない。米国下院もこれについて決議を出す気配はない。この日韓に対する極端に隔絶した米国の反応を見て尚、米国の悪意に気づかない日本人は相当鈍い。 

当時、安倍首相は国会に於いて、慰安婦に「筆舌に尽くし難い思いをさせた」と、謝罪と受け取れる発言をした。強制連行はしていないとは一言も言わない。米軍慰安婦訴訟問題にも興味はないようだった。安倍首相の中で日本人の誇りはどこへ行ってしまったのだろうか。我が曽祖父・祖父たちに負わされた組織的少女誘拐犯・組織的強姦魔の濡れ衣を自ら認め、あとはほっぽらかしのままである。

韓国系アメリカ人が米国で印刷し配布しているパンフレットには、「韓国から拉致された20万人の少女たちは、薬づけにされ、天皇からのプレゼントとして、飢えた日本軍兵士たちに与えられた」と悍(おぞ)ましいイラスト付きで配布されている。20万人という人数は今では50万人にも膨れ上がっている。死に体の朴槿恵政権は「日韓合意」の拘束力云々どころではないだろうが、韓国系の民間団体は未だに米国ではやりたい放題である。

今でこそ韓国政府は反日工作どころではないが、何れ必ずまたこの問題で騒ぎ立てるだろう。民間団体だけでは無い。韓国政府は「日韓合意」など守りはしない。韓国人の愚かさを見れば、彼らに「不可逆的…」などとの言葉遊びが通用しないのは目に見えた事だ。国家間の約束事など直ぐに都合よく忘れる。国際社会はそういう韓国を批判するだろうが、同時に日本が自ら負った不名誉な有りもしない傷もまたその時疼き始める。韓国という国はそういう国なのだ。これを理解する為に「日韓合意」は余りにも高過ぎる授業料であった。後の世の愛国者の勇気ある行動に期待したい。

《「在日韓国朝鮮人」は本来、日本に居るべきではない存在である。》

在日(韓国朝鮮人)は、日本に居てはいけない存在である。何故なら、その多くが国籍を変えずに、真からの日本人になろうとしないし、母国にシンパシーを抱きながら日本人を見下し、日本の国そのものを憎んでいる者が多いからだ。実際は母国には居場所すら無く、大嫌いな日本で手厚い在日特権を享受しながら在日同士で結束している。

彼等の内、比較的優秀な人材は心を母国に残したまま、いとも簡単な手続きで帰化し、〈政界・財界・法曹界・教育界・マスメディア界〉で日本をミスリードする役割を担う。つい最近もNHKは3〜4人の在日を幹部職員に登用したと自社のニュース番組で報じていた。〈芸能界・スポーツ界・パチンコ業界・貸金業・プロ市民団体〉、等々には帰化せず通名を身に纏い日本人として振る舞う在日が驚くほど大勢居る。彼等は日本社会に影響力の大きい凡ゆる業界に潜り込み、日本を堕落させる反社会的活動の原動力になっている。最悪なのは帰化人と帰化しない在日が渾然一体となって通名で身を隠して各界に潜り込んでいる事である。

政界を例に挙げれば、政権の座に就いていた当時の民主党議員の内、70〜90人が韓国朝鮮系帰化人であったという。現政権に就いている自民党にも帰化人は沢山いる筈である。厳密に調べれば議員本人はノンポリの日本人でも、有力な支持者や身近にいる議員秘書が在日であったりする。曲者なのが「日韓議連」である。彼等は在日が90%を占めるパチンコ業界から金を受け取っているケースが多い。

帰化人である菅直人氏が首相を務めていた時に成立させてしまった「太陽光発電買取制度」には、同じく悪質な帰化人 孫正義氏が様々な要求をして大きな役割を果たした。官・民の有力な帰化人が、日本の将来など考えずに成立させてしまったこの法案では短期間に1兆円以上の金が動いたという。孫正義氏は日本では反原発を掲げ、自然エネルギーの開発を推進しているが、母国韓国の李明博(当時)大統領には韓国での原発建設推進を提言していた。

今年は「ヘイトスピーチ禁止法」という〈天下の悪法〉が国会を通過し、それ以来、猛威を振るう「言論封殺」は目に余る。将来に禍根を残す政府決断であった。安倍政権は何をやってしまったのか自覚しているのだろうか?

「強制連行されてきたという在日たち」は一向に帰国しようとはせず、日本国に深く根を張り、それぞれ確固たる地位を築いてきた。母国語も話せない在日も多く、今更 母国に強制送還するのは困難であろう。ならばせめて〈通名を禁止〉し、〈帰化要件を厳格化〉すべきではないだろうか。「創氏改名」が本当に日本人による強制だったのなら、なぜ今、本名を隠して好んで通名を使うのか? 2015年、社員に本名使用を勧めた会社社長に対して、最高裁は「人権侵害による賠償金支払いと謝罪を命じた」。本名使用を勧める事がなぜ在日に対する人権侵害になるのか? 日本は司法まで狂ってきた。

安倍政権は既に在日問題に手をつけたそうだが、本気で在日問題を解決する使命感も覚悟も更々無いと断じざるを得ない。私の知る限りでは殆んど何も行動を起こしていない。精々通名変更の回数制限くらいだろう。併し、誰かが在日問題を解決する為に〈勇気を持って立法〉して、凄まじいであろう猛抗議に負けず〈厳格に運用〉しなければ日本人自身が益々駄目になる。やらねば日本国が崩壊する。

今の日本社会は既に異常な〈在日擁護体質〉に変容してしまっている。在日の悪事を暴くと、偽りの贖罪意識に染まった日本人がヒステリックに「差別、差別」と騒ぎ出す。真実を指摘する事が恰(あたか)も〈悪〉の如き非難を受ける。戦後、〈臆病者〉に成り下がった日本人は、現在は大部分が〈偽善者〉へと更に堕落してしまった。最近では Facebook の偽善的 在日擁護が目に余る。

何の為の韓国学校・朝鮮学校だったのか。両校は母国に帰還した時に困らない様にと、母国の文化と母国語を習得する目的でつくられた筈である。彼等が途中から言い出した様に、本当に強制連行されて来たのなら、そもそも2世、3世以降が未だに帰国しないのはおかしい。〈強制連行が嘘である〉何よりの証拠ではないか。

「在日」を日本に住まわせたのは〈米国の恣意的な悪意〉である。歴史的に米国・英国は世界各地で悪行を働いたが、その遣り口には典型的なパターンがある。少人数で占領地を上手く統治する秘訣は、占領地に争いの種を蒔く事。これを「二分割統治」と言う。天皇陛下のお言葉ひとつで一糸乱れず武器を置いた日本人は、日本人同士では争わない。「ならばケモノの一団をこのまま日本に住まわせよう。彼等はきっと争う筈だ」。米国の悪意はまんまと成功した。

以下に、吉田茂 当時 首相の一文を付する。

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1949年に、吉田茂がマッカーサーに宛てた「在日朝鮮人に対する措置」の文書

朝鮮人居住者の問題に関しては、早急(さっきゅう)に解決を図らなければなりません。彼らは総数100万に近く、その半数は不法入国であります。私としては、これら総ての朝鮮人がその母国たる半島に帰還するよう期待するものであります。その理由は次の通りであります。

(1)現在および将来の食糧事情からみて、余分な人口の維持は不可能であります。米国の好意により、日本は大量の食糧を輸入しており、その一部を在日朝鮮人を養う為に使用しております。このような輸入は、将来の世代に負担を課す事になります。朝鮮人の為に負っている対米負債のこの部分を、将来の世代に負わせる事は不公平であると思われます。

(2)大多数の朝鮮人は、日本経済の復興に全く貢献しておりません。

(3)更に悪い事には、朝鮮人の中で犯罪分子が大きな割合を占めております。
彼らは、日本の経済法令の常習的違反者であります。彼らの多くは共産主義者並びにそのシンパで、最も悪辣な政治犯罪を犯す傾向が強く、常時7000名以上が獄中にいるという状態であります。   --中略--    さて、朝鮮人の本国送還に関する私の見解は次の通りであります。

(1)原則として、総ての朝鮮人を日本政府の費用で本国に送還すべきである。

(2)日本への残留を希望する朝鮮人は、日本政府の許可を受けなければならない。許可は日本の経済復興に貢献する能力を有すると思われる朝鮮人に与えられる。 

上述のような見解を、原則的に閣下がご承認くださるならば、私は、朝鮮人の本国帰還に関する予算並びに他の具体的措置を提出するものであります。
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この懇願にも似た要望書はマッカーサーに無視された。

▪️投稿者注:「総数100万人近く」は吉田の勘違いであろう。実際には敗戦時の日本には約296万5000人の朝鮮人が居り、内 分かっているだけで31万人が密航者で正規に入国した朝鮮人の内、実に約70%が定職に就いて居なかった。その後、自由意志で日本に居ついた朝鮮人は約60万人である。


戦後の経済的復興の礎を築いた吉田茂を過大に評価する向きが多いが、私は全く吉田茂を評価できない。彼には日本人としての歴史観・未来観が欠如していた。だから吉田茂の書簡に書かれた数字よりも自分で調べた数字を信じる。

定職に就かない朝鮮人の多くが実際、犯罪者であった。敗戦に打ち拉(ひし)がれた日本人に現在では考えられない様な惨禍を齎(もたら)したのが彼等 朝鮮人犯罪者である。彼等の内3万人〜5万人がGHQの統治下にあった日本で「朝鮮進駐軍」を僭称し、乱暴狼藉・暴虐の限りを尽くした。GHQの記録に残っているだけでも一時期に4000人の日本人が殺害された。更に、いったい何人の日本人が強引に居座られて〈土地・家屋を奪われ〉〈強姦され〉〈殺害された〉事か!  国の教育ではこういう史実を一切教えない。

その在日韓国朝鮮人たちはいつの間にか〈加害者から被害者に立場を換え〉てしまった。【加害者が在日で、被害者は無辜の日本国民である。これが真実である。】併し『東京裁判史観』に精神を捻じ曲げられた日本人は、「植民地支配された」「強制連行された」「奴隷扱いされ搾取された」と非難されると条件反射的に〈謝罪してしまう〉と言う体たらくである。国が真実を教育しないからそうなるのは当たり前である。その悪癖は未だに続いているのみならず、自らを罪悪視する事が善であると思い込む者が現れた。憐れな日本人は在日を差別した日本人を探し出し糾弾する事で自らを善人と思い込むほど堕落してしまった。

いろいろ書いたが、今回はひとつだけで良いから確りと覚えていただきたい。【日本は韓国を植民地支配した事は一度も無い】。正確には、当時の大韓帝国政府と民間最大の政治結社「一進会」(いるふんちぇ)に何度も懇願されて、国際法に則り『併合』した。国際社会でこの「併合」に反対した国は一国も無かった。「併合」に反対した朝鮮人が皆無ではなかった事は、公平を期して書いておく。併し【日本は韓国を植民地支配した事は一度も無い】。せめてこれだけは忘れないでいただきたい。

《100年前から一貫して、日本の主敵は米国であった。このままでいいのか日本!》

日本人の多くは米国が大好きだし、米国にも日本が好きな米国人は多い。本当に残念な事だが、米国は、国務省も、国防省も、財務省も、民主党も、共和党も、総体として日本を日本人が考えているほど友好的には見ていない。特に民主党は歴史的に日本嫌いだが、だからと言って共和党のトランプ政権になれば、日本を真に友好的に見てくれるかと言うと、必ずしもそうとも限らない。

この米国(ホワイトハウス、国務省、国防省、財務省、CIA、CFR〈外交関係評議会〉)の日本に対する考え方は、日本から見てどう考えても間違っている。併し、ひ弱な日本の民衆がどれほど大きな声で叫ぼうとも、米国の日本に対する歴史的認識は微動だにしない。米国の為政者は支那に対しては歴史的にロマンにも似た幻想を抱いているが、日本に対しては、警戒心と悪夢が頭から離れないようだ。親米日本人には何と切ない事だろう。

政治体制こそ異なるが、個人主義的で傍若無人、残虐性、覇権主義的な支那人と米国人は、日本人と米国人より共通項が沢山ある。然も、今の中共は米国債を1兆2000億ドルも所有している。中共は米国の財布を握り、それにより人民元の信任を得ている。米中の結び付きは「尖閣如き無人の岩」位でぐらつきようがないまでに雁字搦めになっている現実を、日本人は知らねばならない。

中共が図に乗って〈米国が築いてきた覇権を傷付けず、基軸通貨ドルの威信を脅かさない限り〉米国は中共と本気で対峙し、事を構えたりはしないだろう。同然の事ながら米国にとっては日本より中共の存在感の方が大きいのだから、日本が米中間の諍いに介在する可能性は極めて低い。世界第3位の経済大国などと言っても、米中露がメジャーリーグとしたら日本はマイナーリーグの一員である事は、致し方の無い現実なのである。

その日本が今のように米国一国にしがみついていれば安心だ、などという考え方は、歴史を識れば識るほど愚かしい事である。17世紀後半の英国は世界一の大国であったが、その英国にしがみついていて得をした国はない。パーマストンは「英国にとって永遠の敵国も、永遠の同盟国もない。あるのは英国にとっての永遠の国益である」と喝破した。「尖閣如き無人の岩」の為に中共と戦う事が米国の国益になろう筈もない。

既に米海兵隊はグァムに去った。(退去費用は殆んど日本が負担した)何れ駐留米軍は縮小され、米軍全体が日本を去る日もそう遠い未来の話ではないかも知れない。その場合も米国は日本に対して〈自主防衛〉では無い形で、防衛費の増額・自衛隊の強化を求めてくるだろう。〈自主防衛〉では無く〈米国の代役〉を求めてくるだろう。

日本の防衛を真面目に考えた時、「兵器システム」を全般的に米国に依存している今の防衛装備で日本は安心できるのだろうか。米国からの「衛星情報」が絶たれれば、自衛隊単独では小火器か大砲ぐらいしか機能しなくなる。自衛隊は世界第6位の軍隊で士気も高いが、米国が兵器システムの情報を意図的に断てば、自衛隊は真面に戦えない軍隊となる。〈他国に国防を委ねる恐ろしさ〉で背筋が寒くなる。

MITのバリー・ポーゼンは「日本には米軍を7000名ほど残し、「自主防衛」させればいい」と発言している。至極 真っ当な意見であるが、「米国」では極少数派の意見である。おそらく10%に満たない程の少数意見であろう。「米国」(ホワイトハウス、国務省、国防省、財務省、CIA、CFR)+マスメディアの総意は日本にだけは「自主防衛能力」を持たせない事で一致している。

駐留米軍無き後、自衛隊は自主防衛できるのだろうか? 否々、上記の情報が示す通り【米軍が去った後も〈米国は日本の自主防衛を許さない〉と明言している。】今の米国は日本をそういう認識でしか見ていない。古めかしい「瓶の蓋論」は今も生きている。米国が去る時は、日本は単なる捨て駒となる。

ご丁寧に「もし自主防衛の兆しが見えたら徹底的に孤立させてやる」と間接的に脅しさえしている。同盟国・友好国であり、日本人の多くが大好きな米国のこの言動を、どれ程の日本人が理解しているだろうか? 「そんな馬鹿な」と信じない日本人の方が多いのではないだろうか。

親日派と信じられていた、アーミテージ氏、ナイ氏、グリーン氏、メア氏、フクヤマ氏等が実は反日家である事は、識る者は知っていたが、一般には最近の言動で馬脚を現したばかりだ。アーミテージ氏は韓国に謝罪しろと言い、ナイ氏は日本は歴史を掘り起こべきではないと言って退けた。キッシンジャー氏に至っては反日を隠そうともしない。彼等の意見が「米国」の大勢を占める総意と言っていい。

念を押しておくが、米国は韓国の歴史認識が捏造である事を知っているし、日本の正しい主張を裏付ける証拠を沢山 持っている。併し、日本の味方をしてその証拠を使ってくれた事は一度も無い。

ハンティントン氏、ウォルツ氏など、日本の自主防衛容認派の重鎮達が故人となってしまった事が惜しまれる。ブレジンスキー氏もかなり高齢である。日本の自主防衛容認派の学者には、バリー・ポーゼン氏、スティーヴ・ウォルト氏、リチャード・ベッツ氏、クリストファー・レイン氏、ミアシャイマー氏などがまだまだ健在だが「米国」で主流派とはいえない。

自主防衛のひとつ「敵基地攻撃能力」は1955年(昭和30年)の第二次鳩山一郎内閣で「日本は保持する権利がある」と確認されている。併し、この61年間、「敵基地攻撃」の為の(弾頭無しの)ミサイルすら日本は開発も購入もしていない。米国の許可がおりないからだ。日本政府は長年、「専守防衛」という言葉で国民を誤魔化してきた。韓国も北朝鮮も保持している能力を、日本だけが保持を許されていないのが現実なのだ。

日本の国防事情はここまで深刻なのである。賢明な保守層がネットで「核武装」の可能性・必要性を主張する事はできても、現実は通常の(核弾頭無しの)地対地ミサイルの開発すら禁じられているのが実情である。日本が実験用にフランスから〈買い取った〉「高濃縮プルトニウム」をオバマ氏の米国が〈無償で取り上げた〉後も、IEA、IAEAは24時間日本に張り付いている。このままでは秘密裏の核開発などできよう筈もない。

米国の国防費は年間4800〜4900億ドル(現在はIS問題で1500億ドル上乗せされているが飽くまでも臨時的措置)で今後10年は停滞する。トランプ次期大統領は防衛費増額を主張しているが肝心の財源を示していない。装備費は年4〜5%、軍人の給与は3%毎年上るというから実質的には防衛費削減の方向に進もうとしていた。一方の中共は毎年防衛費を12〜13%上げている。〈中共経済は実質的に破綻しているが、中共が自国経済の破綻を認めない限り〉、中共の軍事力の一部は6〜7年で米中逆転が現実のものとなる。国全体の軍事力では中共は永遠に米国に追い付けないとの見方が強いが…。何れにせよこのままでは、尖閣はおろか日本国全体が危機に瀕する。

北朝鮮は3年もすれば、米国に届くICBMを開発するだろう。米国は北朝鮮の核開発は放置しておきながら、日本の「自主防衛」だけは絶対に看過しないという。大東亜戦争に敗れて以来、ただひたすら努力し、他国を助け、平和に貢献してきた日本。米国の意のままに動いた日本の71年間を米国はどう評価しているのだろうか? …日本は「米国」に対する〈態度〉を考え直す時にきている。

特亜の国どもの捏造を覆す証拠を、日本の為に一度として使わず、自主防衛すら禁じ、日本を憎悪する特亜の国どもの前に、丸裸で放りだそうという「米国」と、日本は今後どう付き合っていけばいいのだろうか? 中共、韓国 以上に日本にカネをタカり続ける米国は、戦前、戦中、戦後と一貫して日本にとっては最大の敵国であったのだ。

もう、いい加減、現実から目を背けるのを止めて、米国の「日本孤立化政策」に負けない「真の独立国家」を目指すしかあるまい。万が一の米国の大義なき経済制裁の前に、日本は持ち堪える国力をつけなくてはならない。戦後70年の節目の年は、日本は国の在り方を抜本的に考え直す年であった。併し、何もしなかった。遅すぎた感はあるが、破滅の可能性が見えているのに何もしない怠惰な臆病者国家に成り下がったままではいけない。

真面に考えればたった一国で国際社会を敵に回して戦える国など無い。併し、「独立自尊」「自主独立」を放棄する事は誇りある国のする事では無い。目指すべきは『軍事的独立・経済的独立・精神的独立』である。嘗て、ABCD包囲網で締め付けられた時、日本の石油備蓄量は7箇月分であった。この量は米国を驚かせたが、とても足りる量では無かった。経済封鎖に弱い国は、簡単に追い詰められる。日本政府が蔑ろにしている食料自給率も重要である。二度と同じ苦しみを味あわないように、「総合的国力」を高める事は重要である。「充分な国力を持った日本」を敵に回したい国は居なくなる。日本が、そういう国になって初めて「中身のある日米友好」は本気で語られる。

《 忘れてはならない、占守島(しゅむしゅとう)の誉れ高き防衛戦 》

旧ソ連邦から北方領土の不当領有を引き継いだロシアのプーチン大統領が間もなく来日する。日本側は北方領土返還交渉の好機と捉え、ロシア側は日本からの経済・技術協力を得る好機にしたいとの狙いを持っての首脳会談である。日本国民は今回の交渉結果に甘い幻想を抱いてはいけない。プーチン氏は橋本龍太郎政権の時代から、「戦後の現実を認めようとしない勢力」として〈北方領土の返還要求する勢力〉を〈悪〉と見做し非難し続けてきた。極一部と雖(いえど)も北方領土を安易に返還するとは思えない。プーチン大統領が〈喰い逃げ〉を狙っていないとも限らない。

そもそも北方領土とは日本政府が矮小化してしまったような北方四島のみを指してはいない。歴史的に「南樺太・千島列島を含む北方四島」全体が日本がロシアに返還要求すべき「北方領土」の事なのである。サンフランシスコ講和会議で日本はこの「北方領土」全体の領有を放棄させられ、心ならずもそれを認めて講和条約を締結せざるを得なかったが、旧ソ連邦はサンフランシスコ講和会議に参加してはいなかった。〈日本はソ連に対しては何も放棄していない〉のである。

また、ヤルタ密約については、1956年に共和党のアイゼンハワー政権は「(ソ連による北方領土占有を含む)ヤルタ協定はルーズベルト個人の文書であり、米国政府の公式文書ではなく無効である」との米国務省公式声明を発出している。更に、2005年にはブッシュ米大統領は、「ヤルタ合意は史上最大の誤ちのひとつ」とまで批判している。ロシアが〈本来の北方領土〉を領有する根拠は64年の長きに亘る「不当な実効支配の実績」だけなのである。

安倍首相を始め日本政府・外務省は、本来の「北方領土」が旧ソ連邦(現ロシア)が、不当に、さながら火事場泥棒のように日本から掠め取ってしまった史実と、戦勝国を代表する米国の公式見解を良く良く理解した上で、首脳会談に臨んでいただきたい。以下に本来の「北方領土」である占守島(しゅむしゅとう)の戦いについて記述する。「占守島」とは日本に返還されるべき千島列島の最北端の島である。

占守島の戦いとは、大東亜戦争末期の1945年(昭和20年)8月18日 〜21日に、千島列島東端の占守島で行われたソ連労農赤軍と大日本帝国陸軍との間の戦闘である。ポツダム宣言受諾により大東亜戦争が停戦した後の8月18日未明、日ソ不可侵条約を一方的に破棄したソ連軍が占守島に奇襲攻撃、「ポツダム宣言受諾に従い武装解除中」であった日本軍守備隊と戦闘となった。

戦闘は日本軍優勢に推移するも軍命により21日に日本軍が降伏し停戦が成立、23日に日本軍は武装解除された。捕虜となった日本兵はその後、大勢が法的根拠無く拉致され、シベリアへ抑留された。その数凡そ25000人。

1945年2月のヤルタ会談で結ばれた秘密協定では、ソビエト連邦が日本との戦争に参戦する事、その場合は戦後、北緯50度線以南の樺太南などをソ連に返還し、千島列島については引き渡す事がルーズベルト、チャーチル、スターリンにより勝手に決められていた。

8月15日に米国の後任大統領トルーマンが、ソ連のスターリンに送った日本軍の降伏受け入れ分担に関する通知では、千島列島についてソ連の分担地域とは記されていなかった。その為、ソ連側は千島列島及び北海道北東部(釧路〜留萌を結んだ直線以北)をソ連担当地区とする事を求め、米国も17日付の回答で千島列島については同意した。

日本側は、陸軍第5方面軍の諸部隊が、対米国戦を予想して占守島・幌筵島の要塞化を進めていた。1945年(昭和20年)になると本土決戦や北海道本島防衛の為、兵力が引き抜かれたが、終戦時点でも第91師団(2個旅団基幹)を擁していた。

また、これまで北方方面は殆んど戦闘がなかった為、食糧・弾薬の備蓄が比較的豊富であった。更に、満州から転進した精鋭の戦車第11連隊も置かれていた。併し、航空戦力は陸軍飛行戦隊と海軍航空隊を合わせても、わずか8機の旧型機が残っていただけであった。この戦闘に直接関わった日本軍は在 占守島の8,500人のみで残りの兵力は幌筵島にあった。

15日、日本軍のポツダム宣言受諾が公表され、正午には〈ソ連軍を除く連合軍は積極行動を停止〉し、大部分の戦線で停戦状態となった。併し、同日夕刻には国籍不明機が占守島を爆撃している。

17日午前5時、ソ連軍の上陸船団は泊地から出航し、途中からは無線封鎖して前進。同日午前6時半頃には、海軍飛行連隊の3機が占守島の偵察と爆撃を行なった。更に、同日の日中には第128混成飛行師団所属機が占守島の軍事目標に対して連続爆撃を行なった。

他方、日本軍は8月15日の玉音放送に続き、北海道の第5方面軍から「18日16時の時点で停戦し、こちらから軍使を派遣」「その場合も、なお敵が戦闘をしかけて来たら、自衛の為の戦闘は妨げず」との命令を受けた。17日までには各部隊に伝達されて、戦車の備砲を撤去するなど武装解除の準備を終えていた。日本軍は、17日にカムチャッカ半島沿岸を舟艇多数が移動しているのは発見していたが、終戦後にソ連軍が侵攻する可能性はないとして、重視していなかった。

当初、日本側は上陸してきた軍を国籍不明としていたが、次第にソ連軍と認識するに至った。ソ連軍が占守島に上陸したとの報を受け、第5方面軍司令官の樋口季一郎中将は、第91師団に「断乎、反撃に転じ、ソ連軍を撃滅すべし」と指令を出した。師団長の堤中将は、池田末男大佐(死後、少将へ進級)率いる戦車第11連隊に対し師団工兵隊の一部とともに国端方面に進出して敵を撃滅するように命じた。

池田末男大佐は、日本軍嫌いの反日作家 司馬遼太郎が唯一尊敬した軍人である。大本営はマッカーサーにスターリンへの停戦の働きかけを依頼したが、スターリンはこれを黙殺した。

占守島には常住の民間人は別所二郎蔵氏一家を始め数家族のみであったが、夏季にだけ缶詰工場が稼働する為、多数の工員が島を訪れていた。1945年8月15日時点では、日魯漁業の缶詰工場が稼動しており、女子工員400〜500人を含む漁業関係者が在島していた。更に、会社経営の慰安婦も50名ほど取り残されていた。また、海軍施設の建設を請け負った民間作業員も残っており、民間人の総数は2,500人近くいた。

ソ連軍の占領地の女性に対する人権蹂躙は世界的に有名であり、ヨーロッパ戦線では、敗れたドイツ人女性の実に半数が強姦されたとの話である。池田末男大佐は、何としても女子工員達を犠牲にしてはなるまいと、悪天候の最中(さなか)女子工員達を船に分乗させて島を脱出させた。案の定、上陸してきたソ連兵は血眼になって女性の姿を探したという。

ソ連側は、海峡への進入は前日の停戦合意に基づく行為であったと主張し、日本軍の行為を停戦合意を無視した奇襲攻撃だとしている。日本軍は本当に強かった。併し、侵略などは断固していない。この時の戦いの大義は無辜の民を護る事のみであった。

日本軍は武装解除後分散された為、死傷者の正確な数をつかめなかったが、日本軍人による推定値として、日本軍の死傷者は600名程度、ソ連軍の死傷者は3000名程度との数値がある。

殆んど武装解除を終えていた日本軍は、魂と肉体を頼りに迎撃の先陣を切った。その日本軍にしてこの戦績である。ロシア、米国、中共が、未だに日本を警戒し、怖れるのは、この先人達の「鋼の如き勇猛さ」故である。彼等は英霊となって靖國神社ご帰還された。敵国が靖國神社参拝を怖れる所以であろう。

戦後、北海道に駐屯する陸上自衛隊第11旅団隷下第11戦車大隊は、占守島の戦いに於ける陸軍戦車第11連隊(通称 士魂部隊)の奮戦と活躍を顕彰し、その精神の伝統を継承する意味で、「士魂戦車大隊」と自ら称している他、部隊マークとして装備の74式戦車・90式戦車の砲塔側面に「士魂」の二文字を描き、その名を今なお受け継いでいる。

領土交渉に限らず、交渉ごととは一方の都合だけを押し付ける事ではなく、交渉相手の言い分にも耳を傾けなければ成り立たない。100%を求めては決裂は目に見えている。肝心なのは〈交渉に先立っての事実認識を正確に把握して交渉に臨む〉事である。安倍首相には、〈遠大な国家戦略の一貫〉としてプーチン大統領と交渉を進めて欲しい。拙速は禁物である。〈現実的という小さな果実〉に惑わされないで欲しい。例え何世代かかっても良いから、今回の首脳会談では、先人の犠牲を無にしない成果をあげる端緒を開いていただきたい。

《「北方四島は日本領」との米国務省報告を無視して、ルーズベルトは日本の領土をスターリンに与えた。》

トルーマン米大統領は、東京を始めとした都市部大空襲・原子爆弾実験投下という人類史的な非人道的攻撃を平然と命じた狂人である。その狂人トルーマンの前任者である、これまた狂人ルーズベルト米大統領が〈南樺太を始めとした千島列島・北方四島をソ連に引き渡す密約〉を餌に、〈ソ連の裏切り参戦〉を唆した事実を日本人は決して忘れてはいけない。〈日本の北方領土〉と言った場合、正確には〈南樺太・千島列島・北方四島〉を指す事を日本人は忘れている。

ルーズベルトの形振り構わぬ〈日本人絶滅願望〉が、ソ連軍の数々の蛮行を引き出した。〈降伏して武装解除した本来帰国できる筈の日本軍将兵60万人のシベリア抑留、満州に居た120万人の非戦闘員である女性・子供・老人・病人への強姦殺戮、悲劇的な真岡郵便電信局事件〉… 語り継がれる数々の惨劇は、直接的には野蛮な旧ソ連軍の行為であるが、そのきっかけは狂人ルーズベルトが唆したものなのである。

最悪な事に、第二の狂人トルーマンは自国がソ連参戦を画策しておきながら、原子爆弾が完成すると、ソ連参戦の前に何としても2種類の原子爆弾を実戦で実験しようと、闇雲に日本への原爆投下を急がせた。科学者たちの「実戦使用ではなく、無人島でのデモンストレーションで充分、原爆の恐ろしさは伝わる」という制止の声は狂人トルーマンの耳には届かなかった。

こうした日本の悲劇的な敗戦から71年が経過した。旧ソ連邦は崩壊したが、〈旧ソ連が火事場泥棒の如く日本から掠め取った〉「北方領土」は、旧ソ連邦が遺した数々の負の遺産と共にロシア連邦が引き継いだ。

ソチ五輪直前の日露次官級協議でロシア側は「北方四島は第二次大戦の結果、ロシア領になった」との従来の主張を繰り返した。ロシアが北方四島領有を正統化する根拠としてきたのが1945年2月の「ヤルタ会談」で交わされた「ヤルタ密約」だ。〈ヤルタ会談直前に米国務省は「北方四島は日本が保持すべきだ」との報告書を作成〉している。

併し、日本人への憎しみを募らせるルーズベルト米大統領は国務省の報告書には目を通さず、事前に裏からそれを入手したスターリン ソ連首相が熟読し、〈ルーズベルトが国務省の進言を無視したのをいい事に、巧みに北方領土を奪った〉という経緯(いきさつ)を日本人は肝に銘じておくべきである。

ヤルタ会談とは、1945年(昭和20年)2月4日から11日、ルーズベルト米大統領、チャーチル英首相、スターリンソ連首相がソ連領クリミア半島のヤルタで会談し、ルーズベルトは、スターリンに「日ソ中立条約」を〈破棄〉してドイツ降伏3箇月後に対日参戦するよう要請。見返りとして、〈北方四島を含む千島列島、南樺太〉、満州(支那東北部)に日本が有した旅順港や南満洲鉄道などをソ連に与える密約を交わした。ソ連は密約を根拠に、終戦間際の8月9日、満州、千島列島、樺太に侵攻し、北方四島を占領した。

併し、密約は飽くまでも密約であり、国際法が認めるものではない。寧ろ国際法違反である。従って何の拘束力もない。プーチン大統領のロシアの北方領土領有の根拠には法的正統性は全く無い。

国務省はクラーク大学のブレイクスリー教授に委嘱して千島列島を調査し、1944年(昭和19年)12月に『南千島(歯舞、色丹、国後、択捉の4島)は地理的近接性、経済的必要性、歴史的領土保有の観点から日本が保持すべきだ』との極秘報告書を作成、ヤルタ会談前にルーズベルト大統領とステティニアス国務長官に手渡された。

ワシントン・ポスト紙の元モスクワ支局長、マイケル・ドブズ氏が上梓した近著『ヤルタからヒロシマへ』によると、スターリンは「盗聴報告の他、スパイが齎した米国の説明文書も目にする事ができた。共産主義の崩壊後、彼の個人ファイルには千島列島のソ連への割譲に反対する1944年(昭和19年)12月の米国務省作成の内部文書が含まれている事が分かった。

簡単に言うと〈反日家のルーズベルトは日本に有利な専門家の報告を読まなかったが、狡猾なスターリンは密かに入手して貪り読んでいた〉のである。そして〈ルーズベルトが国務省の助言に従わない事を大いに喜んだ〉のだ。

スターリンは、諜報を駆使してルーズベルトの反日傾向を見透かして、南樺太と共に「北方四島も日露戦争で奪われた」とルーズベルトを欺いたのである。

米軍は日本本土上陸作戦(ダウンフォール作戦)になると、日本軍の抵抗で50万人(この数字はいつの間にか100万人に摩り替わっている)の兵士が犠牲になると推定しており、「背後」からソ連の参戦を望んだ。この当時は原爆はまだ完成していなかった為である。

米国は1941年(昭和16年)4月、モスクワで「日ソ中立条約」を締結した際、スターリンが松岡洋右外相に「条約締結の見返りに千島列島の譲渡」を要求した、との日本の外交電報を傍受、解読していた。

米国は北方四島を含む千島列島に領土的野心を燃やすスターリンの歓心を買おうとしたともいえる。ソ連に大きく譲歩する合意に再考を促したハリマン駐ソ大使に対し、ルーズベルトは「ロシアが対日戦の助っ人になってくれる大きな利益に比べれば、千島は小さな問題だ」と進言を退けたという。

ルーズベルトの周辺で暗躍したのがソ連のスパイたちだった。ルーズベルト政権には200人を超すソ連のスパイや工作員が侵入していた事が米国家安全保障局(NSA)の前身がソ連の暗号を傍受・解読した『ヴェノナ文書』で判明している。

側近としてヤルタに同行したアルジャー・ヒスもその一人で、ソ連の軍参謀本部情報総局(GRU)のエージェントだった。

ステティニアス国務長官の首席顧問としてヤルタに随行したヒスは、国務省を代表して殆んどの会合に出席した。会談19日前、米国の立場に関する全ての最高機密ファイルと文書を与えられ、ヤルタ協定の草案も作成している。〈そこで北方四島を含む千島列島引き渡しのアウトラインを描いた可能性が高い〉。〈ルーズベルトが国務省文書を一顧だにせず北方領土を引き渡した背景にスターリンの意を汲んだヒスの働きがあった〉といえる。

そもそも〈ヤルタ密約は軍事協定に過ぎず、国際法としての正統性はない〉。更に、〈『当事国が関与しない領土の移転は無効』という国際法にも違反〉しており、当事国だった米国さえも法的根拠を与えていない。共和党アイゼンハワー政権は1956年(昭和31年)、ヤルタ秘密議定書は、『ルーズベルト個人の文章であり、米国政府の公式文書ではなく無効」との国務省声明を発表。2005年にはブッシュ大統領が「史上最大の過ちの一つ』と批判している。

ロシア南部のソチで開催された日露首脳会談では、北方領土問題の原点ともいえる「ヤルタ密約」が国際法上 違法な国境画定である事は話題に上らなかった。日本側にこれを問題視し、取り上げる認識が無い限り期待はできない。領土交渉での歴史の正義は無視されるだろう。

「北方四島」だけに拘り続ける日本の外交姿勢は一貫して間違っている。【領土の帰属交渉は、占守島(しゅむしゅとう)から得撫島(うるっぷとう)に至る千島列島・南樺太をも含めるべき】だし、旧ソ連軍の数々の蛮行に対するプーチン大統領の見解も質すべきである。日本は賠償金などは請求する必要はない。併し、旧ソ連邦を引き継いだプーチン大統領の歴史観を確認しておく事は重要である。プーチン大統領とて旧ソ連に都合の良い歴史教育で育ったであろうから、日本側からの言い分は容易に受け容れられないだろうが、日本側の歴史観を理解して貰う事はこの上無く重要な事である。

来たる12月15日に、北方領土問題が全て解決するなどとの期待はしていないが、一貫して日本政府が避けてきた真っ新(さら)な状態からの「歴史の正義」を〈心の芯棒〉に据えて交渉に当たる行為は、今後の日本外交にとって決して無駄にはならないと信じる。誤解しないでいただきたいのは〈心の芯棒〉を曝け出せと言っているのではない。交渉ごとの場で相手を窮地に追い込むような事をしては台無しであろう。犠牲になられた無辜の国民の無念を背負って、信念を持って交渉に当たって欲しいという事である。

安倍首相には〈毅然たる交渉態度〉が求められ、日本国民には〈長期戦〉となる覚悟が求められる。「12月15日が最後のチャンスである」などとの論説に惑わされてはいけない。〈最後のチャンス〉だとのアナウンスは、どのような結果に終わろうとも「今回の交渉結果を受け容れよ」という諦観論である。プーチン大統領との交渉では、諦めたり落とし所を求めたりしてはいけない。例え長期戦になろうとも日本国民が諦めない限りチャンスは何度でもつくる事ができるのだから。

《 本質的には白人の人種差別は無くならない。有色人種同士の間ですら差別感情は歴然として在る。差別を良しとするのではなく、日本は「差」を理解した上で日本再建に取りかかれ!》

白人は有色人種との遭遇以来、白人のみが優れた「神の子」であると固く信じてきた。神の名の下に主張される、自由・平等・人権の対象に、歴史的に、有色人種は入った事がない。多分、究極的には現在も、それは変わらないだろう。有色人種の中にすら差別は存在するのが現実だ。

人間は善なるものだけで出来ている訳ではない。悪の部分を抑制するのが「道徳心」である。その意味に於いて白人は総じて「道徳心」に欠ける行動を歴史的にとってきた事は否定できない。それが植民地主義、奴隷制度、原子爆弾の実験投下、無辜の民への絨毯爆撃、が証明している。人種的偏見は大東亜戦争の底流にも確かに在った。

白豪主義は、オーストラリアに於ける白人最優先主義と非白人への排除政策。狭義では1901年の移住制限法制定から1973年移民法までの政策方針を指すが、広義では、先住民族アボリジニやタスマニア州のオーストラロイド系住民やカナカ人などのメラネシア系先住民への迫害や隔離など、オーストラリアに於ける人種差別主義の歴史全般を指す。

白豪主義は、大英帝国が1788年、オーストラリア大陸を植民地化した瞬間に始まった。アボリジニは最初から迫害されたのだ。白人入植者は多くのアボリジニが免疫を持たない病気をばら撒き、その上、〈スポーツハンティング〉でアボリジニを殺害したケースすら常態化していた時代も在った。白人の男たちはアボリジニの女性を岩山に追い立て、足下に威嚇射撃して女性が墜落死するのを酒の余興としていたという記録もあり、ある日の日曜日の翌日の新聞にはアボリジニを17匹狩った(惨殺した)との記事が掲載されていた。

タスマニアでは一列に並んで島を縦断し、拉致確保した先住民以外を殲滅し、19世紀後半には純血のアボリジニ・タスマニア島民は絶滅してしまった。アメリカ大陸に於けるアメリカ・インディアン殲滅に並ぶ、凄まじい「先住民大虐殺」である。

1870年代には砂糖産業が興隆し、ソロモン諸島、バヌアツ、サモア、キリバス、ツバルなどの太平洋諸島のカナカ人らが年季奉公として徴募されたが、強制連行や誘拐もあったとされる(奴隷貿易的行為)。連行されたカナカ人らは砂糖農園(プランテーション)で苦役させられた。

1920年には、豪政府は先住民族の保護という名目で人種隔離政策を行なった。これらによりアボリジニ人口は90%以上減少した。1910年頃から1970年代にかけて、アボリジニの子供を親元から引き離し、白人家庭や寄宿舎で養育する政策も実施された。

アボリジニの子供も白人の「進んだ文化」の元で立派に育てられるべきという独善的な考え方に基づくもので、政府や教会が主導して行なわれた。子供のおよそ1割が連れ去られ、結果として彼らからアボリジニとしてのアイデンティティを喪失させる事となった。彼らは「盗まれた世代」と呼ばれている。

他方、白人が住まない不毛な乾燥地域の内陸部でアボリジニは、周辺の厳しい自然環境に守られながら、どうにか固有文化を維持し続けた。今日でもアボリジニ文化の史跡は、沿岸部都市より隔絶された内陸地に多く残る。アボリジニ激減に加えて、文字文化を持たなかった事から、文化的痕跡を残さず消滅した部族も多く、彼等の言語や文化の系統を調査する試みは進んでいない。

大陸への入植者は、英国からの流刑者が殆んどであったが、1833年に大英帝国が奴隷制を廃止した為、各植民地では労働力が不足する。阿片戦争とアロー戦争(第二次阿片戦争)を経て1860年に締結された北京条約で、英国や海外の商社が支那人を雇用する権利を承認させた事で、合法的にオーストラリア、米国、カナダに支那人を苦力(クーリー)として入植させる事ができた。

1851年には金鉱が発見され、ゴールドラッシュが始まる。1870年代にはクイーンズランドで、1890年代には西オーストラリアで金鉱が発見され、支那人苦力は大陸全土に広がった。それに伴って1870年代以降、支那人を始めとする外国人労働者に対する抗議運動が激化する。

アジア系外国人労働者による労働機会の縮小と賃金水準の低下は、オーストラリアの白人労働者にとって脅威であった。その為、労働環境改善を求める労働運動が白豪主義の圧力団体となっていく。1878年には支那人船員の雇用に対して船員組合がストライキを敢行した。そうした情勢下で1888年には支那人移住制限法が制定される。

1901年にオーストラリアは連邦制となり、同時に移住制限法、帰化法、太平洋諸島労働者法等を成立させ、白豪主義政策が完成する。連邦政府の最大の問題が移民労働者問題であった。併し、1902年の日英同盟は、ロシア帝国南下からの防衛という意味でも、重要であった為、英植民地相のジョセフ・チェンバレンは豪連邦初代首相エドマンド・バートンに対して、極東の情勢を配慮する事を秘密書簡で要求した。有色人種である「日本人などとは手を組みたくはないが、ここは我慢して日本人と組んだ方が得策だ」と噛んで含めるように説明したという事だろう。

日本政府は既に移住制限法に対し、ロンドンとシドニーの在外公館を通じて抗議を行なっていた。併し、白豪主義の強硬論が豪議会でも根強く、当時の代表的な白豪主義の論客で、第2代首相にもなったアルフレッド・ディーキンは「〈日本人は優秀であるが故に危険〉であり、排除されねばならない」として、バートンの対日政策を撤回させた。

大衆紙『ブレティン』は「大英帝国が白いヨーロッパ(ロシア)に対抗する目的で有色国家と同盟を締結する事は極めて〈不名誉〉である」とした。『ブレティン』紙の白人至上主義は、世論形成に後々まで相当の影響を与え続けた。

日露戦争の間には反ロシア感情から親日論が台頭し、1904年には日豪パスポート協定が結ばれるが、後に英国がドイツ帝国との対立関係を深めて行く中、日本とドイツの同盟のシナリオが想定され、日本脅威論が復活していく。

こうして、白豪主義的体制が確立されていき、1940年頃にその有色人種の国内人口に占める割合は最も小さくなった。第二次世界大戦中には米国の黒人部隊の上陸を拒否したほど白人至上主義は頂点に達していた。

15世紀半ばに始まった大航海時代 以来、20世紀まで続いた、白人による有色人種差別、否、「有色人種 殲滅・虐殺・迫害・家畜化」の歴史の真っ只中で、唯一国、日本だけが白人から良いところだけ学び、肩を並べ「人種差別撤廃」を提案した。この提案が契機となって白人至上主義を当然視する白人列強国家群は日本を敵視するようになる。

日本の主張に応じなかった白人諸国の挑発に乗り、日本は戦い、惨敗したが、皮肉にも日本が主張した「人種差別撤廃」は、日本の敗戦により雪崩を打って実現へと向かう。日本は310万柱の尊い命と、多くのものを失い、国家、国民は苦しみ抜いたが、我が先人の果敢な行為がアジア諸国から白人宗主国を一掃する事になる。

戦後71年が経った。これからの日本は、先ず日本の為にだけ戦おう。簡単にはいくまいが、戦勝国(主に米国)と戦勝国を騙る特亜の国どもにめちゃくちゃにされた日本国を、我が手に取り戻す為の戦いである。国内に巣食う「在日韓国朝鮮人・反日帰化人・背乗り朝鮮人・反日劣化日本人」をできれば総て駆逐する事が求められるが、現実的にはそれを100%実行する事は不可能である。ならば我々真性の日本人が危機感を共有し、国を護る為に戦闘モードに突入する事だ。反日どもを黙らせ、自由に反日工作をさせない事だ。歴史の捏造を許さない事だ。お人好して呑気で、何につけても事勿れ主義でやってきた日本人よ、いい加減に目を醒して日本再生の覚悟を決めよ!

《朝鮮通信使が残した言葉に現れる卑屈な優越感と歴史の教訓》

朝鮮通信使とは、室町時代から江戸時代にかけて李氏朝鮮より日本へ派遣された外交使節団である。

細かい話はともかく、朝鮮通信使が日本をどう見ていたかを知ると面白い。

朝鮮通信使の見た日本について最初に記録されているものは第8次通信使の李邦彦が鞆の浦・福禅寺にある客殿からの仙酔島の景観を高く評価し、「日東第一形勝」(朝鮮より東で一番美しい景勝地という意)と称え、続いて第10回朝鮮通信使の正使であった洪啓禧が、この場所を対潮楼と名付け賞讃し書を残した。また第11次朝鮮通信使では、来日した金仁謙は『日東壮遊歌』に当時の日本社会の様子と自身の率直な心情を書き残した。

日東壮遊歌
朝鮮通信使、金仁謙の著書『日東壮遊歌』より

▫️大坂での記述より
(多くの船が)一斉に行き来する様は驚くばかりの壮観である。その昔、楼船で下る王濬が益州を称えた詩があるが、ここに比べてみれば間違いなく見劣りするであろう。

流れの両側には人家が軒を連ね、漆喰塗りの広い塀には鯨の背のような大きい家を金や紅で巧みに飾り立てているが、三神山の金闕銀台(きんけつぎんだい = 仙人の住処)とは、誠のこの地の事であろう。

本願寺に向かう道の両側には人家が塀や軒をつらね、その賑わいのほどは我が国の鍾絽(チョンノ = ソウルの繁華街)の万倍も上である。

館所に入る、建物は宏壮雄大、我が国の宮殿よりも大きく高く豪華である。
我が国の都城の内は、東から西に至るまで一里といわれているが、実際には一里に及ばない。富貴な宰相らでも、百間をもつ邸を建てる事は御法度。屋根を全て瓦葺にしている事に感心しているのに、大したものよ倭人らは千間もある邸を建て、中でも富豪の輩は銅を以って屋根を葺き、黄金を以って家を飾り立てている。その奢侈は異常なほどだ。

天下広しといえこのような眺め、またいずこの地で見られようか。北京を見たという訳官が一行に加わっているが、かの中原(中国)の壮麗さもこの地には及ばないという。この世界も〈海の向こうより渡ってきた穢れた愚かな血を持つ獣のような人間〉が、周の平王の時にこの地に入り、今日まで二千年の間世の興亡と関わりなくひとつの姓を伝えきて、人民も次第に増えこのように富み栄えているが、知らぬは天ばかり、嘆くべし〈恨むべし〉である。

この国では高貴な家の婦女子が厠へ行くときはパジ(韓服のズボン状の下着)を着用していないため、立ったまま排尿するという。お供のものが後ろで、絹の手拭きを持って立ち、寄こせと言われれば渡すとの事。聞いて驚き呆れた次第。

▫️京での記述より
沃野千里をなしているが、惜しんで余りある事は、この豊かな金城湯池が倭人の所有するところとなり、〈帝だ皇だと称し〉、子々孫々に伝えられている事である。この〈犬にも等しい輩〉を、みな悉く掃討し、四百里六十州を朝鮮の国土とし、朝鮮王の徳を持って、礼節の国にしたいものだ。

倭王は奇異な事に何ひとつ知る事なく、兵農刑政の全てを関白に委ね、自らは関与せず、宮殿の草花などを愛でながら、月の半分は斎戒し、後の半分は酒色に耽るとか。

▫️尾張名古屋での記述より
その豪華壮麗なこと大坂城と変わりない。夜に入り灯火が暗く、よくは見えぬが、山川迂闊にして人口の多さ、田地の肥沃、家々の贅沢なつくり、沿路随一とも言える。中原にも見当たらないであろう。朝鮮の三京も大層立派であるが、この地に比べれば寂しい限りである。

人々の容姿の優れている事も 沿路随一である。わけても女人が皆とびぬけて美しい。明星のような瞳、朱砂の唇、白玉の歯、 蛾の眉、茅花(つばな)の手、蝉の額、氷を刻んだようであり、雪でしつらえたようでもある。趙飛燕や楊太真が万古より美女と誉れ高いが、この地で見れば色を失うのは必定。越女が天下一というが、それも真とは思えぬほどである。

(復路にて)女人の眉目の麗しさ、倭国第一といえる、若い名武軍官らは、道の左右で見物している美人を、一人も見落とすまいと、あっちきょろきょろこっちきょろきょろ、 頭を振るのに忙しい、まるで幼児のいやいやを見ているようであった。

▫️江戸での記述より
楼閣屋敷の贅沢な造り、人々の賑わい、男女の華やかさ、城郭の整然たる様、橋や船に至るまで、大坂城、西京(京都)より三倍は勝って見える。女人の艶やかなること鳴護屋に匹敵する。

(将軍との謁見について)堂々たる千乗国の国使が礼冠礼服に身を整え、〈頭髪を剃った醜い輩〉に四拝するとは何たる事か。
(将軍家治について)細面で顎がとがり、気は確かな様だが、挙動に落ち着きが無く、頭をしきりに動かし、折り本を弄び、やたらにきょろきょろとして、泰然としたところがない。
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一読すれば、華夷秩序の中にあって上位にあると信じ込む朝鮮人が、自惚れを持ちながら、日本文化に圧倒され、嫉妬のあまり恨めしく思っている様が手に取るように伝わってくる。

日本の文化、文明が明らかに自分達より優れているのを目の当たりにしながら、尚 日本人を侮蔑する言葉を吐く様は、今の韓国と全く同じではないか。この時代から続く朝鮮人の捻くれた卑屈な精神が、僅か35年間の日本の統治、教育で正される訳がなかったのも頷ける。

現在の韓国の歴史教科書によると、江戸時代に、朝鮮から来日した朝鮮通信使は、徳川幕府が経済的に困窮に陥った為に、先進文物を取り入れようと、李氏朝鮮王に懇願して招いたものだったと捏造教育されている。嘘を教える韓国人の大人も、嘘を教えられる韓国人の子供も哀れである。

実際の朝鮮通信使達は、行く先々で農家から勝手に鶏を盗んだり卵を盗んだりして、とても評判が悪かったという記録が京都大学に残っている。李氏朝鮮の両班たちは実際にそうしていたから、庶民は両班の姿を見ると慌てて鶏を隠した。

イザベラ・バードは、彼らは、たいがい内気で、私達の姿が目に入ると慌てて鶏をひっつかんで隠してしまうと語っている。伝統上、両班に求められるのは究極の無能である。従者達は近くの住民達を脅して飼っている鶏や卵を奪い、金を払わない。日本に残る記録そのままである。

朝鮮通信使は、韓国の歴史教科書とは異なり、何も江戸時代に限らず、室町時代から来ていた。韓国ではそんな事も教えていない。秀吉の時代には朝鮮征伐の噂を聞き付けて、秀吉を恐れた朝鮮人が通信使の形を借りて探りを入れてきてもいる。

秀吉軍に捕虜として日本に連れて来られた支那人、朝鮮人等がいる。彼等は、儒者、陶工などの特定の技術知識集団で、それら知識や技術を学ぶ為に、秀吉軍が連れ帰った者達であるが、帰国を希望した儒者達はちゃんと送り届けている。

手に職を持つ陶工などの技術者集団は帰国を拒否した。朝鮮では技術者は奴隷なみの最下層民扱いで、失敗したり、両班が気に入らないものを作ったりすれば、拷問まで受ける階層であったから、帰国を頑なに拒絶したのだ。技術者を軽視する風潮は、今の韓国にもある。だから未だにパクりしかできない国家なのだ。

李氏朝鮮は、対馬藩に対し、日本が朝鮮征伐の謝罪をし、捕虜を帰すなら、国交を開いても良いともちかける。言う事をきかなければ、武器を持たない対馬の漁民に対して危害を加え、対馬に軍を出すという。汚い脅迫である。謝罪を迫るのも朝鮮人の伝統らしい。昔から対馬藩は随分苦労したらしい。

当時の日本は世界中の鉄砲の半分を所有する軍事大国であったから、謝罪などする訳がない。併し、現場(対馬藩)はその場凌ぎで、嘘の謝罪をしてしまった。まるで河野洋平氏や安倍晋三氏である。

朝鮮人に対しては、その場凌ぎの謝罪は一番してはいけない。今度は、徳川幕府に、「国書をもって朝鮮征伐行為を謝罪せよ」と言ってきた。嘘でも良いから一度 謝罪して、終止符を打ったつもりの河野洋平氏などの愚かな期待は見事に裏切られ、韓国人は益々増長して、更なる謝罪を求めてきた。これが大昔にもあったという事だ。「日韓合意」も同じ道を辿るだけだ。

歴史を紐解けば紐解くほど、韓国が自国の歴史を知りたがらない理由も分からぬではない。併し、日本は誇らしい歴史も、煮え湯を飲まされた歴史も、とにかく真実を正確に学び、未来に活かしたい。朝鮮半島の下衆な連中と関わると碌な事がないと、歴史が教えてくれる。

《自国の恥部を全て日本に転嫁する韓国人が、通名で日本に居座る不当。在日韓国朝鮮人や彼らに支配された Facebook はこの事実を突かれる事を極端に嫌がる。》

韓国は、旧日本軍が韓国の少女を強制連行したとして、日本の首相に不当な謝罪を何度も強い、償い金の名目で民間の金をせしめると、今度は国家賠償を引き出そうと、何度も何度も金をタカってきた。新政権になると「未来志向」といい金をタカり、政権末期になると「過去の清算」と言って「慰安婦」の話を持ち出して金をタカる。

日本は実際は国家として「強制連行」をした証拠など一切ないにも関わらず、長きに亘る韓国に及び腰の自民党政権と、事勿れ主義の外務官僚は、事を荒立てまいと、その場逃れの態度に終始してきた。そのツケが今、巨大な不名誉となって日本国民を苦しめている。

日本人が本来の「恥を知る」民族であれば、有りもしなかった強制連行を認めた河野洋平氏は、生き恥を晒して平然と生きてはいまいし、安倍晋三首相は「日韓合意」で〈冤罪を認め、謝罪+10億円の国費〉を韓国に支払った事を恥じて居る筈だがそんな素振りは微塵も見せない。朴槿恵氏が辞任した後の韓国大統領はまたぞろ性奴隷をネタにカネをタカってくるのは間違いない。韓国とはそういう卑しい国だ。

昭和20年(1945年)8月15日に、日本の天と地は引っくり返った。敗戦は時代のパラダイムの一大転換であった。天皇陛下の敗戦の勅令に日本国民は皆 従った。日本人はこの日を境に敵と戦う事をやめた。日本人はテロも暴動も一切起こさなかった。それはそれで見事なものであった。併し敵将マッカーサーには理解できなかった。後に「私はこれ程までに屈服した国民を見たことがない」と述べている。

併し、一切の抵抗を止めた日本国民に、GHQは予定通り粛々と愚民化政策を実行していった。在日朝鮮人からの密告を基に出された「公職追放令」は気骨ある日本人を悉く排除し、解体した師範学校の代わりの教育機関には、無能な左翼をあてがって「日教組」を作らせた。今では日教組は在日の巣窟と化している。GHQは耐え難きを耐え、喰うに必死な環境を利用して、日本国民から背骨を抜き去った。NHK、朝日新聞など一部の日本人の組織は一夜にしてGHQの言いなりになった。パラダイムの一大転換は日本人の多くを卑怯な臆病者と偽善者に仕立て上げた。

GHQの手厚い保護もあって、在日朝鮮人は乱暴狼藉を極めた。公然と悪事を働いては小金を貯め、一等地でパチンコ屋、金貸し、焼肉屋、風俗店を開業し、更に金を貯め、富裕層にのし上がるものも多く出た。今でこそ「強制連行」されてきたなどと嘘を誠しやかにいうが、母国では奴隷階級だった朝鮮人にとってGHQ庇護下の日本ほどの天国は無かった。「強制連行」されたなどと言いながら、サンフランシスコ講和条約締結後も、日本に地保を固めた朝鮮人は居座り続けた。創氏改名で強制的に名を奪われたと言いながら通名を駆使して日本人に成り済ました。

朝鮮戦争、ベトナム戦争と2回に亘る戦争を戦う母国に背を向け、在日韓国朝鮮人はひたすら日本で金儲けをしつつ、目的を持って日本国の中枢を蝕んでいった。朝鮮人が如何に残虐な民族であるかは、敗戦と同時に大恩ある日本人に牙を剥いた事でも明らかだが、この2回の戦争でもそのケモノ性は如何なく発揮された。

ベトナム戦争での常軌を逸した〈ケモノ性〉は、当時ベトナム留学中の大学院生の具スジョン氏によって、後に明らかにされる。『ハンギョレ21』の通信員として記事を書いた具スジョン氏は、韓国では身の危険を感じ、現在はマレーシア在住と言われている。真実を発言すると自国で暮らせなくなるのが韓国である。具スジョン氏は現在様々な反政府的 人権活動のリーダーを務めている。併し、彼女は決して売国奴ではない。活動の動機は全て母国韓国の為を思ってのものである。

ベトナム人への韓国軍の蛮行もさる事ながら、ベトナム基地では韓国国営の慰安所が設けられ韓国兵、米兵にあてがわれた。日本の慰安婦を性奴隷と非難する一方で、日本軍の慰安婦を真似たつもりは良いが、韓国軍は碌な給与も払わず、払っても殆どピンハネして慰安婦たちの手元には僅かしか残らず、身体だけは酷使に酷使を強いる、正に〈性奴隷〉扱いであった。最前線にはドラム缶に詰めて送り込んだという。そういう証拠が沢山あるのに日本政府は〈性奴隷〉問題で韓国にはひと言も反論せず、ひたすら真実から目を背け事勿れ主義を貫き通した。

1980年代に一部の米軍慰安婦たちが国を相手取り訴訟を起こしたが、非国民呼ばわりされ相手にされず、そのまま闇に葬られた。そして昨年また122人の米軍慰安婦たちが、韓国政府を相手取り訴訟を起こしているが、韓国の司法も政府も国民も黙殺を続けている。全く何と良心の欠片も無い国だろう。日本を〈性奴隷国家〉呼ばわりしておきながら、実は韓国こそが性奴隷国家であった事が明るみに出ても、知らぬ存ぜぬを決め込んでいる。

最近になって主に海外在住の女性人権活動家が、ベトナム戦争の慰安婦を取り上げて老婆たちの保護を訴えているようだが、日本軍性奴隷非難の声に掻き消されて、話は立ち消えになってしまった。日本には千載一遇のチャンスであったのに、日本政府はこの好機を活かさず、何を考えたか「冤罪を認めて公的に謝罪し、10億円もの国費を支払い韓国への口封じとした」。英霊と先人の名誉を傷付けて平然としていられる安倍政権の決断は私には到底受け容れられない。「日韓合意」後、外務省はクマラスワミ報告の吉田清治の部分を削除するよう働きかけたが、クマラスワミ氏に一蹴された。当たり前である。

ベトナム戦争に限らず、朝鮮戦争に於いても韓国は国家事業として慰安所を経営し多くの慰安婦を苦しめた。高給娼婦たる日本軍慰安婦とは比べるべくもない人権侵害を『韓国大統領 朴正煕』の署名入りで公然と行なっていたのだ。韓国こそ慰安婦ではなく正に〈性奴隷〉を使い捨てておきながら『朴正煕氏の娘、朴槿恵大統領』は、就任以来 執拗に日本に罪をなすりつける事に執着した。政治家としての良心とバランスを欠いた朴槿恵氏が大統領の職を追われるのは当然の報いである。

長くなるが、韓国の卑劣な残虐性を暴いた SAPIO からの引用を添える。

ーーーーーーー 以下 SAPIO より引用 ーーーーーーー
《韓国 ベトナム戦争に参戦した韓国軍による現地婦女子への性的暴虐を史実から消し去ろうと画策》

国際情報誌『SAPIO』で『韓国が背負う「嘘の代償」』と題する大特集を行なわれた。ここでは、なにかと日本を批判するものの、あまりにも根拠が薄いような主張をする彼の国のあり方に疑問を投げかけている。 

旧日本軍による「慰安婦強制連行」を捏造した韓国は、もともと売春婦であるはずの慰安婦を「SexSlave」として国際社会に浸透させた。その傍らで、ベトナム戦争(1960~75年)に参戦した韓国軍による現地婦女子への性的暴虐は史実から消し去ろうとしている。 

2000年6月27日、韓国・ソウルの『ハンギョレ新聞』本社が2000人を超える迷彩服姿のデモ隊に包囲された。 社屋に侵入したデモ隊の一部は暴徒化し、同社幹部らを監禁、暴行を加え、オフィスや地下駐車場の車を破壊した。デモ隊は「大韓民国枯葉剤後遺症戦友会」のメンバー、つまり退役ベトナム参戦軍人である。 

発端は、同社発行の週刊誌『ハンギョレ21』(1999年5月6日号)に掲載されたベトナムにおける韓国軍の民間人虐殺特集だった。「通信員」として記事を書いたのは、当時、ベトナム留学中だった大学院生の具スジョン氏。 

ベトナム当局から虐殺の資料を入手し、徹底した現地取材と生存者へのインタビューを重ね、韓国軍による無差別殺戮の実態を白日の下に晒したのである。 

記事は、ベトナム中部のビンディン省の村々で起きた凄惨な虐殺事件を生々しく伝えている。 

1966年1月23日から2月26日までの1か月間、猛虎部隊3個小隊、2個保安大隊、3個民間自衛隊によってこの地域だけで計1200人の住民が虐殺され、その中には1人残らず皆殺しにされた家族が8世帯もあった。(中略) 生存者の証言を元に韓国軍の民間人虐殺方式を整理してみると、いくつかの共通したパターンが見られた。

●子供たちの頭や首を切り落とし、手足を切断して火に投げ込む 
●住民をトンネルに追い詰め毒ガスで窒息死させる 
●女性たちを次々に強姦したあと殺害 
●妊婦の腹から胎児が飛び出すまで軍靴で踏みつける。 

韓国史のタブーに踏み込んだこの特集を皮切りに、同誌は韓国軍の戦争犯罪を糾弾する「ベトナムキャンペーン」を継続的に展開。冒頭の事件はそれに猛反発する退役軍人の凶行だった。 

併しベトナム戦を経験した退役軍人の中には当時の非人道的行為を悔いる者もいた。元韓国海兵隊員の金栄萬氏は、『戦争の記憶 記憶の戦争─韓国人のベトナム戦争』(金賢娥著・三元社刊)でこう証言している。 

「越南に到着して、私が聞いた話は、『強姦をしたら必ず殺せ、殺さなかったら面倒が起きる、子供もベトコンだからみな殺さねばならない』といったものでした」 

韓国は1964年から73年まで延べ32万人を南ベトナムに派兵。ダナンに海兵隊第2旅団(青龍部隊)、クイニョンに首都ソウル防衛師団(猛虎部隊)、ニンホアに第9師団(白馬部隊)が駐屯した。白馬部隊の連隊長には後に大統領となった全斗煥、猛虎部隊の大隊長には盧泰愚が就いていた。

前出・具氏の調査によると、韓国軍によるベトナム民間人の虐殺被害者は少なくとも9000人以上と見られている。村人65人が犠牲になったビンディン省・タイビン村では、韓国兵士に輪姦された女性が焼き殺される惨たらしい事件も起きている。 

そうした史実は国際的には僅かに知られているが、韓国の教科書にはもちろん載っていない。かわりに日本の軍隊が、慰安婦として若い朝鮮人女性を無理矢理連れ去ったという証拠のない話が大々的に書かれている。 

韓国兵によるレイプなどでベトナム女性との間に生まれた子供は「ライダイハン」と呼ばれた。ベトナム語で「ライ」は混血、「ダイハン(大韓)」は韓国を意味する蔑称だ。 

韓国『釜山日報』によると、現在、ベトナムにいるライダイハンは最大3万人と推計される(諸説あり、数千人とする指摘もある)。 

その多くは戦争終結後、ベトナムに流入した韓国人ビジネスマンと現地女性の間に生まれた子供と言われているが、韓国兵のレイプにより生まれたライダイハンが少なからずいるのは事実だ。レイプされた被害者数はその何百倍、何千倍にも及ぶ可能性がある。…以上。

《日露戦争に日本が勝利して以降、米国の太平洋戦略は対日戦が国家目標だった》

1846〜1848年、米国は対メキシコ戦争に勝利してカリフォルニア州を獲得し太平洋へ面する広大な領土を手に入れ、1867年にはロシアからアラスカを購入した。太平洋では1898年にハワイ王国を滅ぼし武力併合し、同年、米西戦争(米国・スペイン戦争)の勝利によりフィリピン、グアム、キューバなどを手に入れると、米国は悪辣な方法で対フィリピン戦争でフィリピンを植民地化した。米国は約半世紀をかけて太平洋での覇権を確立した。

日本は日露戦争(1904〜1905年)後の満州に於ける権益への米国資本の〈強欲な参入行為〉について、非協力的な態度を示し米国の不興を買った。また、国際連盟からドイツ領であったパラオ・サイパンなどの、太平洋の島々の信託統治を委ねられるようになり、直接、米国領と接するようになった。

米国の呼びかけで行なわれたシベリア出兵(1918〜1922年)では、日本は米軍の撤兵後も駐留を継続するなど、米国との利害のずれが生じるようになっていった。日米の軍事的関係については、〈米国の強い働きかけにより日英同盟が解消〉される一方で、米国が日本に優位となる形で〈ワシントン会議に従った軍縮〉を行なうなど日本は外交で軍事力の削減を強いられた。この頃から米国は日本に対する悪意ある行為を実行に移していた。

また、〈パリ講和会議での日本による人種差別撤廃案〉の米大統領ウィルソンによる廃案化や、カリフォルニア州に於ける〈排日移民法〉などで人種的な対立が生じるようになった。米国による日本人への人種的な対応が、後の大東亜戦争への遠因となっていったのは否定できない事実であろう。

私は日本が仮に白人国家であったなら、大東亜戦争は勃発せず、絶対に原子爆弾は投下されなかったし、東京大空襲に代表される無辜の民への無差別大殺戮も無かったと確信している。人種差別は「遠因」ではなく「根底」に流れていた白人国家、米国の日本に対する「差別的悪意」であったのである。

日露戦争後、米国は敵対的対日戦略を更に明確化し、1906年に対日戦争計画「オレンジ計画」を作成した。実に大東亜戦争勃発の35年前の事である。1938年には「新オレンジ作戦」も策定した。新オレンジ作戦では、開戦した場合、日本は先ずフィリピン攻撃を行なうと予想、これに対し米国海軍主力艦隊は太平洋を西進し、同時に対日海上封鎖を実施、日本経済を枯渇させ、太平洋制海権を掌握した上で、日本海軍と艦隊決戦をするという戦略構想を確立していた。

こういった史実を知ってしまうと、我が先人たちがどのような外交努力をしようとも、日露戦争に勝利した日本には、米国の毒牙から逃れる術は無かったという事が分かる。これを考えると、必死に米国との大戦を避けようと努力した、当時の日本人の努力が虚しく思え、祖国を思い命を投げ出した先人たちの胸中を察すると涙が出てくる。米国人にとって日本人はアメリカインディアン同様に、滅ぼしても何の痛痒も感じない邪魔者でしかなかったのだろう。

『人種差別撤廃を白人に提案し・アジア植民地国家群の独立を語り・実際に白人国家である帝政ロシアを打ち果たし・有色人種の分際で満州の権益で米国に刃向かった国家』日本を米国人は憎悪していたのである。

この傾向は確実に今も続いている。親米保守を自認される方には特によく聞いていただきたい。米政権が民主党から共和党に変われば日本への根本的接し方が変わるとでも思っているのだろうか? いや党派は全然関係ない。そして大統領となる人物がD・トランプ氏に決まった以上、米国の政策にトランプ色は反映されるだろうが、トランプ氏には時代が要請する巨視的・大局的潮流を変更するほどの影響力は無いだろう。

また、ジャパンハンドラーと言われる、R・アーミテージ氏、J・ナイ氏、M・グリーン氏たちは知日派であっても親日派ではない。多くの米国人のDNAには消す事のできない、日本に対する敵愾心が刻み込まれてしまっている。(日本を愛する米国人が居ない訳では無いが…)

昔の西部劇で描かれたのとは逆に、アメリカインディアンの頭の生皮を剥いだのは米国に殖民してきた白人たちである。西部劇を信じてはいけない。善悪を逆転して描いた米国の自己正当化ドラマである。大東亜戦争では殺した日本兵を記念の髑髏(しゃれこうべ)にする為に、平然と殺した日本兵の生首を煮詰める米兵が多く居た。こんな人道に悖る行為を日本人にできるだろうか? 記念の髑髏を届けられた、国のフィアンセは彼氏の無事を知って安堵した。日本兵の髑髏を哀れんだ白人女性の話は聞いた事がない。

1941年3月のレインボー5号作戦では欧州戦線の優先、太平洋戦線の防御、日本の経済的弱体化、太平洋海域の海上交通線の封鎖・破壊、日本が持つ南洋諸島占領が主軸の目標となった。綿密に練られたシナリオ通りに日本は破滅への道を突き進んだ訳だ。その脈絡上にH・デクスター・ホワイトが書き直した、最後通牒とも言えるあのハルノートがあったのである。

因みに、ハルノートは米国議会は通過していない。日本は突き付けられたハルノートを「最後通牒」と受け止めたが、ハルノートには最後通牒の証拠となる「期限」は示されていない。フランクリン・ルーズベルト米国大統領は、ハルノート提示後にも昭和天皇に宛てて、事態の平和的解決を呼びかける親電を発しており、米国側から交渉を打ち切る意図はなかったという歴史的な逃げ道を残している。余りに計画的な小狡い行為ではないか。

日本にとって「反米思想を掻き立てる事は国益を毀損」すると言う反論コメントが聞こえてきそうだが、国益を護る為には「こうあって欲しくない」という状況から目を背けるべきではない。米国が日本をどの様に見ようとも「日米友好の路線を外れてはいけない」との方向を維持する為にも、有り得べからざる状況を想定しておくべきだ。交渉相手の真意を知らずして外交成果など上げられる訳がない。知るべきは状況の変化に対応した、交渉相手の移ろい行く思惑の変化を見抜く以外に無い。1年後も10年後も100年後も、日米同盟が常に盤石だと考える方が、パーマストンの名言を引くまでもなくおかしいのである。

私は真実から目を逸らさずに米国と上手く付き合っていくべきであると思う。米国はお人好しで親切な兄貴分などでは絶対に無い。米国は米国の国益を追求するだけである。日本人も生温い甘えた妄想から目を醒まして、日本の国益とは何かを真剣に考えるべきだ。その上でこそ日米同盟、日米友好を深化させる努力は無益ではなくなる。

肝心なのは相手の国が何処であろうと、完全に腹の内を見せずに〈常に国益に照らして〉付き合う事である。大東亜戦争での仕打ちなど、過去を責める事に拘泥する必要は無い。併し、過去に何をされたか、何があったのか、まで忘れてはいけない。歴史の真実を忘れてはいけない。賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶという。ほんの100年にも満たない史実をお気楽に忘れて、お人好しに徹して生きていては、命を懸けて日本の存続を願われた、英霊・先人・多くの無辜の犠牲者に申し訳が立たない。

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