石川久遠の「日本人なら知っておきたい真実」

「陰謀論」とは、「陰の謀(はかりごと)を論じる」ものであり、「妄想論」とは異なる。歴史も現在の出来事も、常識として根付いている様々な事柄も、虚心坦懐に見詰め直せば、裏に隠された真実が自ずと見えてくる。そんな事を考えて、このブログを書いてます。

2017年05月

戦後教育を受けた日本人の多くは、韓国に「歴史を直視せよ」などと言われると、反論できないような教育しか受けていないから、論理的に反論できずに黙りこくってしまう。そして、内心では「先人が侵略したのだから仕方がない」、「韓国人を怒らせると興奮されるから、怒りが収まるまで黙っていよう」と考え、じっと忍耐する。戦後教育というものは、こういう日本人を量産してきた。日本人は、もういい加減に悪しき『東京裁判史観』を克服して、偽りの贖罪意識から解放されなければならない。その為には、大和民族と朝鮮民族の歴史を学び直す必要がある》


今から2年ほど前、韓国の市民団体「アジアの平和と歴史教育連帯(アジア歴史連帯)」が、日本の検定を通過した中学校社会科(歴史、公民、地理)教科書18種を入手し、歴史研究者と一緒に分析を行なった。


「アジア歴史連帯」は国内外の教科書の歴史歪曲を正す為に活動する韓国の市民団体という事になっているが、実態は韓国人の妄想史観を他国、特に日本に押し付ける事を主な活動内容としている、日本人にとっては甚だ迷惑な団体である。彼等の主張はこうである。「日本のある教科書は『併合後に設置された朝鮮総督府は、植民地政策の一環として、朝鮮の鉄道、灌漑施設を造るなどの開発を行ない、土地調査を実施した。このような近代化によって農地から追い出された農民もいた。その他にも、朝鮮の伝統を無視した複数の同化政策を推進し、日本人に対する朝鮮人の反感は強かった。併し、36年の朝鮮統治で、人口は2倍になり、耕作地も大幅に増加した』としている事が大問題だ」という事らしい。


韓国人の妄想を満足させる「間違い探し」を説明する前に、史実を以って反論しておく。日本の教科書を全部読んだ訳ではないが、もし上述の通りなら、確かに史実に反した部分がある。先ず、「朝鮮総督府が朝鮮の農民を農地から追い出した事実はない。日本人に対する朝鮮人の反発が強かった事実もない。反発が起きたのは日本の敗戦により日本の朝鮮半島統治が終了してからである。また、統治期間は36年間ではなく、35年間である。より正確に言えば35年と半月である。日本の教科書なのだから、韓国政府に阿って36年間と韓国の主張に合わせたのは如何なものか」と思う。更に、当時の朝鮮人の望み通り「併合」して「統治」してあげた史実を、勝手に「植民地政策の一環」などと書くのは間違いである。日本人研究者が書いた文献にも、「植民地」という表現が度々遣われるが、正確には飽くまでも「併合統治」であり、紛らわしいから朝鮮半島については「植民地」という言葉は一掃するべきである。


そして、朝鮮総督府の政策は国家の運営上当たり前の事をしただけである。また、一坪たりとも朝鮮人農民から農地を没収してはいない。記録は正確に読み取るべきである。先ず、土地調査事業は日本人が本国の日本人が納めた血税で、当時の金額で2040万円という大金を投入して、朝鮮人の為の土地調査を1910年(明治43年)~1918年(大正7年)まで、8年もかけて実施したものである。朝鮮総督府の行なった近代法治主義に基づいた土地調査事業が、長年、李朝時代の不備な法整備の下で暮らしていた朝鮮人たちを戸惑わせたのは事実だろうし、朝鮮総督府の政策の総てが完璧であった筈もない。併し、土地調査事業は、前近代的な李朝の土地制度を改め、近代的な土地台帳を無償で朝鮮人に提供したものである。これがどれほど朝鮮半島の近代化に役立ったかは、まともな知性で考えれば理解できない方がおかしい。


また、「多数の農民の小作人化、海外移住の増加を説明しているが、土地調査事業が近代化の為のものである事を述べ、植民地近代化論を示している」、「2005年以降、日本政府は韓国と中共の歴史歪曲是正要求を巧みに回避しながらも、自分たちの立場を教科書に表わしている」としている。


この表現についても正確を期しておきたい。先ず、「海外移住の増加」であるが、日韓併合中に朝鮮半島の人口は、1,700万人から3,000万人に増加している。内、海外移住者は約300万人であるが、正確には日本の強い影響下にあった満州などへの出稼ぎ者がそのまま現地に住み着いたり、現在の中共の朝鮮族居住地に自由に移住したもので、まるで朝鮮総督府の統治から逃れて行ったような誤解を招く表現は避けるべきだ。当時の文献を読むと、統治以前の朝鮮人は支那人などから、かなり蔑視されていたが、晴れて日本国民となった朝鮮人は、今度は逆に支那人を下に見て酷く差別して悦に入っていた様子が描かれている。朝鮮人は大日本帝国国民という威を借りて威張り散らしていた。海外移住者の増加の本質的理由がそこにあった。


「百済のお陰で発展しながら、その事実を隠している。朝鮮通信使節団の教えと交流の事実も大きく語っていない。韓国が学問や文化の師だったにも関わらず、恩知らずにも侵略までしておいて、今度は日本のお陰で韓国が独立したと言うのか」については、おそらく永遠に平行線であろう。先ず、日韓併合は「侵略」ではない。大韓帝国皇帝が日本の天皇陛下に「統治をお願い」して、天皇陛下がそれを「了承」した歴史的資料を読み直して貰いたい。また、この文脈では「百済」=「韓国」という事になるが、史実に不誠実過ぎる願望でしかない。『旧唐書東夷伝』に「百済滅亡時に、百済の種が絶滅した」という記述がある。従って、百済人と現在の韓国人は無関係である。


勿論、「百済人が貧民に至るまで一人残らず新羅人に殺された」か、という疑問は残る。様々な資料を見ても、新羅人が百済人を全滅させなければならない理由が見つからない。おそらく若い女性は性奴隷のような形で、男性のうち極少数は奴隷として残した可能性まで否定はできない。とは言え「百済の種が絶滅した」事を否定する証拠は見つかっていない。「百済滅亡後、新羅支配下の過酷な迫害の中で、多くの百済人が衰退・減少していき、一部は新羅人に同化され、民族としての血縁・文化・伝統・言語は消滅して行った」と考えるのが妥当だろう。何れにせよ、百済人と現在の韓国人を結び付ける証拠は何も無く、無関係である証拠が歴然と存在するのだから、日本が支那の文物を百済経由で取り入れた事があったとしても、「朝鮮(=韓国)が日本の師であった」などというのは韓国人の願望による妄想でしかない。


韓国人は「百済時代に仏教を日本に伝えた」とよく主張する。併し、仏教は百済の文化でも朝鮮の文化でもなく、インドで生まれた文化であり、百済には支那(東晋)経由で伝わっていたに過ぎない。仏教の伝来は、日本へは6世紀に、百済の聖明王から欽明天皇に仏教を伝来させたとされている。併し、6世紀の百済は倭国の属領だったので、百済王は天皇の手下に過ぎなかったのだから「百済が日本に文化を教えた」というのは間違いである。実態は「日本の支配下にあった百済の聖明王は、インド発祥で支那経由で百済にも伝わっていた仏教について、欽明天皇にお伝え申し上げた」のである。


然も、その後朝鮮半島では、新羅が支那(唐)に百済を滅ぼして貰い、李氏朝鮮時代になると、仏教をも滅ぼそうとして廃仏棄釈運動まで起こした。韓国に価値ある寺や仏像が少ないのも、これに由来する。「百済時代は朝鮮が日本に仏教を伝えた」という意味を、「朝鮮が日本の師であった」と解釈するのは間違いである。何度も書くが、百済と韓国(朝鮮)は全くの無関係である事が歴史的に立証されている。


「清国から独立させたというような議論があるが、清国は韓国を属国にはしたが、合併まではしなかった。ある程度の自治権を認めてくれたが、日本は完全に朝鮮民族をなくし、日本人にしようとした。日本のやった事の方が酷い」これも、日本の統治を経てそこそこ近代化した朝鮮民族が、過去を振り返って「原始人同然だった自分たちを恥ずかしく思った」という後付けの理屈でしかない。何度も書くが、「併合」は朝鮮人の希望を叶えて、当時の大日本帝国が大損を覚悟で受け入れたものである。併合の成立は、朝鮮民族の国家が消滅する事を当時の朝鮮の皇帝も李完用を始めとした政府高官も、皆、理解していた事である。日本に近代化されながら、後になって恨み言をいう行為こそ「恩知らず」である。


663年、倭国は「白村江の戦い」で、唐・新羅の連合軍に敗れ、朝鮮半島に有していた勢力圏を失なった。百済王族は日本列島に亡命し、それ以降は大和朝廷の配下となった。桓武天皇の在位期間(781806年)に、桓武天皇の命令を受けた百済王の子孫たちは、陸奥(東北地方)の征服を何度も試みたが大惨敗を繰り返した。結局、百済王の子孫たちは大惨敗を繰り返しただけで、陸奥の征服に成功したのは日本人の坂上田村麻呂だった。


次に「朝鮮通信使節団の教えと交流の事実も大きく語っていない。」という主張は、朝鮮人の「願望通りに書いてくれていない」という不満である。朝鮮通信使節団は日本に何かを教えに来たかの様な表現だが、真実はその逆であり、朝鮮通信使が日本に様々な文物を教わりに来たのである。平安時代も、鎌倉時代も、室町時代も、江戸時代も、朝鮮の技術水準や文化水準が日本より高かった事は一度たりとも無かった。水車に至っては、朝鮮人が1429年に日本に来た時から約500年かけても実用化できなかった。それほど朝鮮の文化文明は日本には遠く及ばなかった。時代と共に、支那の優れた技術を取り入れ、それを日本流に昇華させ、日本の独自の伝統もどんどん洗練していったが、朝鮮半島の歴史は原始時代同然の状態で停滞していた。


日本を訪れた通信使たちは、日本で何を学んで帰国していたのであろうか。室町時代前期の1429年、日本にきた朴端生は、次のように復命していた。それによると「日本の農人水車の設けあり」として、学生の金慎に「造車の法」を精査させて模型を作り、鍍銀(銀めっき)、造紙(紙漉)、朱紅、軽粉等の製造法を日本から学んで報告している。この時の復命では、日本の貨幣経済の実態や朝鮮には無かった店舗商業の発展等にも及んだが、その中で技術に言及していたのは、渡航前に世宗から「倭紙堅靱、造作の法また宜しく伝習すべし」と、日本の製紙技術を導入するよう命じられていた。現代のフランスやイタリアなどでは、絵画修復に日本の和紙が欠かせないが、韓国はそれが面白くないらしく、しきりに韓国伝統の韓紙(ハンジ)の方が和紙より優れていると売り込んでいるが、世宗の時代に「倭紙堅靱、造作の法また宜しく伝習すべし」との命を受けて日本に学びに来ていた史実を誠実に学び直すべきだ。


また、日本では、朴端生が日本を訪れる百年以上も前に、水車を利用して離宮に川の水を汲み上げた話が『徒然草』(第五十一段)に記されている。その水車が農民たちの手で取り付けられていた事を考えると、当時、日本と朝鮮の間には相当の技術格差があった事が分かる。従って、韓国の歴史教科書にあるように「技術を学ぶのに苦労していた」のは、日本ではなく寧ろ朝鮮の方であったのである。この現実は後世、実学者と呼ばれた人々が日本や清との技術的格差を深刻に捉え、その導入方法に苦慮していた事でも明らかなように、近世に入っても変わりがなかった。 

(『日韓・歴史克服への道』下條正男 著)


朝鮮人が水車の技術を導入しようと苦慮していた事に関しては、1880年代になっても金弘集が「朝鮮には灌漑設備がない。水車もない」と未開性を嘆いていた。つまり、朝鮮人は、朴端生が1429年に日本に来た後、500年近くかけても水車を実用化できなかったという事だ。江戸時代には、朝鮮通信使の求めに応じて、日本人が水車の造り方を丁寧に教え、図面まで渡してあげたという記録がある。朝鮮通信使の立場を端的に表す例として、彼等は江戸城に入る時に、正門からの入場は許されず、専ら裏門から入場させられていた。これも当時の文献に明記されており、朝鮮通信使たちへの日本側の扱いがよく分かる。


以下に、第11次朝鮮通信使節(17631764)の一員だった金仁謙の日本紀行文「日東壮遊歌」を引用する。(東洋文庫)より抜粋 


1.大阪を見ての驚き 

「三神山の金闕銀台とは 真この地の事であろう。人家が塀や軒を連ね、その賑わいの程は我が国の錘絽(ソウルの繁華街)の万倍も上である。北京を見たという訳官が一行に加わっているが、かの中原(支那の中心部)の壮麗さもこの地には及ばない。」 


2.名古屋を見ての驚き 

「山川広闊にして、人口の多さ、田地の肥沃、家々の贅沢な造り、遠路随一といえる。中原にも見当たらないであろう。朝鮮の三京も大層立派であるが、この地に比べれば寂しい限りである。」 


3.江戸を見ての驚き 

「楼閣屋敷の贅沢な造り、人々の賑わい、男女の華やかさ、城郭の整然たる様子、橋や船に至るまで大阪、西京(京都)より三倍は勝って見える。」 


4.京都を見ての驚き

「惜しんで余りある事は、この豊かな金城湯池が倭人の所有するところとなり、帝だ皇だと称し、子々孫々に伝えられている事である。」


朝鮮には、20世紀の日韓併合まで、〈針も、樽も、車も、色の付いた衣服も無かった〉。朝鮮で〈針、樽、車 及び、色の付いた衣服〉ができるようになったのは、〈全て日韓併合の後〉である。


韓国は最近、支那ご自慢の「中国四千年の歴史」に対抗して、「韓国半万年の歴史」などと言い出し始めたが、支那も朝鮮も民族の連続性を欠いている。従って、四千年も半万年も偽りである。朝鮮民族は辺境を超え他国を支配した事も無く、海外に文物を広めた事も無く、社会の改革を試みた事も無い。民族国家の威勢を誇示した事も無く、特有の産業と文化で自主性を発揮した事も無い。朝鮮半島は、常に強大国に圧され、盲目的に外来文化に同化したりしただけで、原始的な社会の枠組みから一度も出た事が無かった。


韓国人はよくハングルの発明を誇らしく語るが、朝鮮半島に現存する最古の歴史書、『三国史記』は、高麗17代仁宗の命を受けて金富軾らが作成した、三国時代(新羅・高句麗・百済)から統一新羅末期までを対象とする紀伝体の漢文の歴史書である。当時ハングルは未だ生まれていなかった。『三国史記』は、1143年執筆開始、1145年完成、全50巻である。ハングルは当時の大陸の覇者モンゴルが朝鮮半島に遺していったパクパ(パスパ)文字を真似て15世紀頃つくられたものである。因みに、朝鮮の建国神話である「檀君神話」がつくられたのは13世紀頃である事が分かっている。半万年の歴史には程遠い。


1876年、日朝修好条規締結の為に訪れた日本人学者が「こんなに便利な表音文字を埋もれさせておくのは勿体無い」と、散逸していたハングルを発見し、体系化して朝鮮人に教育してあげた。併し、漢文を読み熟(こな)したり、科挙制度に合格する事に優越感を持っていた両班たちは、せっかく日本人が整え、教育してあげたハングルを放置して、またも埋もれさせてしまった。


日韓併合時、朝鮮の識字率は4%であったという。当時は、一部の王族・貴族・両班が漢文を理解していただけであったから、そういう極一部の支配層の漢字の識字率が、朝鮮半島全域の識字率4%に現れている。一般的に朝鮮の身分制度は、両班・中人・常人・賤人の4つに大別されていた。賤人の中には奴婢・白丁などの奴隷が含まれる。奴婢の「奴」は男、「婢」は女の奴隷を意味する。白丁は奴婢より下の最下層の奴隷である。ソフトバンクの孫正義氏のご先祖は白丁であったと言われている。両班以外の中人・常人・賤人の識字率は0%であった。


朝鮮半島には学校というものが一つも無かったから、100%無学文盲の一般の朝鮮人に、埋もれ、散逸していたハングルを再度、発見し体系化して教えたのは、またしても日本人であった。「日帝は朝鮮人から言葉までも奪った」などと韓国人はいうが、奪ったどころか二度も埋もれ忘れ去られていたハングルを体系化し直して日本人が朝鮮人に与えたのである。そして、ハングルと日本語が併用された教科書を使用して、総ての朝鮮人を対象に教育を施した。その日本人の努力の甲斐あって、日本が大東亜戦争に惨敗して日韓併合が解かれた時には、朝鮮の識字率は0%から64%にまで上がっていた。日本は、両班の為の私塾が数校しか無かった朝鮮に、数千校の学校をつくり、身分制度を廃止して、総ての朝鮮人に等しく教育の機会を与えたのである。


これの、どこをどう解釈したら、日本が韓国のお陰で発展できたというのであろうか? 韓国朝鮮人は歴史に正しく向き合い、謙虚に史実を受け容れるべきである。例え暗澹たる歴史であっても、歴史を直視しない民族に未来は無い。本当に、いつまでも願望による「妄想史観」に囚われていては朝鮮民族は誰からも相手にされなくなってしまう。世界情勢は今、大転換点に在り、朝鮮半島も激動の時代を迎えようとしている。北朝鮮の冒険主義に世界が警戒している中で、ただ一国、韓国だけが北朝鮮に対する警戒心を解いている。韓国にとっては北朝鮮より日本の方が憎むべき敵国なのである。同じ民族だからであろうが、朝鮮戦争以来、最も緊迫した朝鮮半島情勢の中で、対北不感症の韓国は親北反米反日の文在寅氏が大統領に選出された。韓国は自ら北朝鮮に飲み込まれる道を選んだのだ。中共と米国の思惑次第では、韓国消滅の日は近い。


以上、韓国の「アジア歴史連帯」の言い分は、2015525日付けのRecord China より引用した。

《今の日本は、日本人より在日の方が生き易い世の中になっている。マスメディアや公務員、一流企業などの入社試験では、日本人より在日である事の方が強みとなっているのが今の日本社会の実態である。在日は「被害者」を装って、日本人より有利に世渡りをしている。こんな日本にしてしまったのは、歴代自民党政権である


日本が大東亜戦争に敗れた結果、海外領土を失なった日本人は、満州や朝鮮半島などから日本に引揚げてくる事になった。満州からの引揚げルートに朝鮮半島を選んだ日本人は、朝鮮半島在住の日本人同様、日本の歴史始まって以来と言える蛮行の果てに陵辱を受け、更に強奪と殺戮の嵐に見舞われた。日本人の多くは長年日本人として苦楽を共にし、大東亜戦争を共に戦った朝鮮人が、敗戦と共にケモノに豹変するとは予想だにしなかった。


朝鮮半島では日本人引揚者と在朝邦人たちが、朝鮮人に金目のものを強奪され、女性は年齢を問わず強姦された挙句に男性たちと同様に多くが殺戮された。後に米国や旧ソ連から独立した南北朝鮮の国家では、この「日本人大虐殺」を無かった事のように振舞っている。そして、あろう事か日本政府も、この朝鮮半島に於ける「日本人大虐殺」と「敗戦直後の在日たちの蛮行」を戦後ずっとタブー視して口を噤んできた。朝鮮の地で多くの孤児を引き取って、養い親をしていた日本人夫婦が、敗戦と同時に孤児たちに養父は撲殺され、昨日まで母と慕われていた養母は孤児たちに集団強姦の上、惨殺された話は余りにも有名である。


「和夫一家惨殺事件」である。夫妻には娘が一人居たが、その娘は余りの衝撃に精神が錯乱してしまい、事件後しばらくの間、付近を彷徨ったというが、少女を助ける村人は一人も現れず、少女は餓死して弔われる事もなく放置された。支那には日本人残留孤児が大勢生き残ったが、朝鮮半島に日本人残留孤児は一人も居ないのは朝鮮人のケモノ性ゆえであろう。支那人は働き手として残留孤児をこき使ったのかも知れないが、少なくとも命までは奪わなかった。朝鮮人は日本人孤児を皆殺しにしたのである。反日教育など始まるずっと以前の仕業である。


運良く引揚げ船に乗り込めた日本人女性の多くは朝鮮人に孕まされ、ある者は船から身を投げ、日本に辿り着いた女性は、麻酔もなしに堕胎した。二日市保養所である。ここでは多くの女性が命を落とし、非業の死を遂げた女性たちの為に慰霊碑が建てられている。


敗戦直後、日本には2,100,000人の朝鮮人が居た。彼等の内、少なからぬ者たちは徒党を組んで戦勝国「朝鮮進駐軍」を僭称して、日本各地で蛮行の限りを尽くした。駅のホームで、路上で、日本人を撲殺し、至る所で日本女性を強姦した。役場や警察署、刑務所までも襲撃し、徒党を組んでは税務署や役所などに押しかけ、無理難題を主張し、所謂「在日特権」を次々に獲得していった。彼等はそういう卑劣な行為を恥もせず、民団新聞などで自慢している。愚か者は自らの罪の証拠を残すものだ。


主が疎開中の空き家を狙って勝手に侵入し、勝手に住み、居座った。居住者が居たり営業中の店舗であっても、その物件が欲しければ強引に追い出して我が物とする朝鮮人も大勢いた。朝鮮人経営のパチンコ屋・金貸し・焼肉屋の多くが駅前の優良な土地に在るのは、その為である。在日たちが主張するように日本人に差別的扱いや酷い目にあっていたのなら、こんな事は有り得ないだろう。


このように、在日たちは一貫して日本人に対する「加害者」でありながら、サンフランシスコ講和条約発効後、日本政府が自らの力で治安を回復すると、いつしか「自分たちは日本人に酷い差別を受けた」などと「被害者」を装うようになった。「慰安婦だ、性奴隷だ、強制連行された、就職で差別された、通名を使うななどと酷い事を言われた」などと、嘘をついては簡単に有利な立場を得たり、カネが手に入る「被害者ビジネス」を始めた。


「被害者ビジネス」のぼろ儲けに味をしめると、在日は「被害者」の立場を決して手放そうとしなくなった。実際には「加害者」であり、日本国民よりも不当に税制優遇され、不当に生活保護を受け取れるという所謂「在日特権」の上に胡座をかいて、日本国民より日本政府や自治体から有利な待遇を受け、日本国民よりいい暮らしをしているのである。詳細な仕組みは分からないが、韓国朝鮮系の企業や店主はまともに税金を納めていないという。真面目に納税している日本企業や個人事業者に勝ち目はない。


197610月、社会党(現社民党)の高沢寅男により、国税庁と朝鮮人商工会(在日韓国商工会議所/在日朝鮮商工会)との間で、税金の取り扱いが決められた

在日企業のすべての税金問題は、朝鮮人商工会を協議窓口とし、解決 

朝鮮人商工会の会費は損金として認める 

学校運営の負担金に対しては前向きに解決する 

経済活動の為の第三国旅行の費用は損金として認める 

裁判中の諸案件は朝鮮人商工会と協議して解決 

これにより、在日企業に個別税務調査が出来なくなり、脱税し放題になったという。

  別冊宝島「ザ・在日特権」) 


彼等を長年に亘り野放しにして、日本をこんな国にしてしまったのは日本人自身である。在日を日本国民より優遇しようとする国会議員たちや、戦後の混乱期に徒党を組んで税務署や役所に押しかけて強硬に待遇改善を要求する在日たちに毅然と対応せず、一歩も二歩も譲ってきた自治体の役人の事勿れ主義だったのである。そして長年日本政府を預かってきた与党政権が、問題発見の努力をせず、問題に気づいても見て見ぬ振りをして放置してきたからである。日本国民は「朝鮮民族の為の日本」をつくりあげた真犯人が誰なのかを究明し、国民の権利として改善要求していくべきである。


日韓併合中に来日していた朝鮮人は、2,965,000人に上る。その内、自由渡航者は2,208,000人。留学、結婚、就職などを理由に渡航してきた者たちである。統計にあがらない、残り約25%は不正渡航者(密航者)であろう。自ら好き好んで密航してくる朝鮮人がこの時点で757,000人も居た。これほど大勢が自由意志で日本に押しかけてくるのに、わざわざ強制連行してくる理由がどこにあろう。調べれば簡単に分かる嘘をつくのは朝鮮民族が持って生まれた恥ずべき資質のひとつである。


日本の敗戦時である、1945年の時点での在留朝鮮人は、2,100,000人も居た。敗戦による帰国事業で、1,500,000人が半島に帰って行った。残り600,000人は頑として帰国に応じなかったし、なぜか韓国政府も在日の帰国を拒み続けた。当時の首相、吉田茂は「朝鮮人は7割は職にも就かず、悪い事ばかりする。日本人の子孫にツケを残したくないから、帰国費用は日本が負担するので、朝鮮人は全員、半島に帰したい」とマッカーサーに陳情した。併し、聞き容れられなかった。これは吉田茂の書簡として残っており、重要な証拠と言える。


1959年の朝日新聞には、外務省の調査による当時の「徴用朝鮮人」の人数の記事がある。そこにはハッキリと245人とある。この245人は帰国事業に応じなかった600,000人に含まれ、彼等は日本で子孫を残し、その子孫たちも朝鮮半島への帰国を拒否している。これの何処が「強制連行」などと言えるのか?


2015115日に放送された、NHKの「ニュースウォッチ9」で、当時の大越健介(在日)キャスターは「在日コリアン1世は強制連行で苦労された方々」との発言をした。この発言の直後に彼はワシントン支局に転勤という形で匿われ、ほとぼりが冷めるまでの間、暫く姿を見せなかった。番組はリニューアルされ、出演者も様変わりした。在日たちが実権を握るマスメディアが大越氏の虚偽発言を問題視する筈もない。大越氏の虚偽発言は、当日もその後もうやむやなまま、どこのマスメディアにも取り上げられず忘れ去られた。


反日活動家の辛淑玉氏は、嘗て、日本テレビの深夜番組「朝まで生テレビ」という番組出演中に、視聴者やスタジオ参観の日本人学生に向かって「在日は貴方たちが強姦して出来た子」と言って退けたが、帰化朝鮮人司会者の田原総一朗氏はじめスタジオ参観者は誰一人反論しなかった。勿論、番組の最中も事後もテレビ朝日の訂正はない。『東京裁判史観』に歪められた戦後教育を受けて育った普通の日本人には、辛淑玉氏の虚偽発言を論理的に反論できる者など居る筈もない。日本国民全体が偽りの贖罪意識を植え付けられていたのである。それは現在も変わっていない。


これは非常に重要な大問題である。辛淑玉氏の虚偽発言が重要なのではない。在日たちの嘘なら他にも五万とある。在日たちの虚偽の主張が、サンフランシスコ講和条約発効後も、上述の辛淑玉氏の虚偽発言の時点も、そして現在も、彼等の捏造史観が問題視される事もなく、一部は日本人の青少年が学ぶ教科書にまで虚偽記載されるようになってしまった事が重要なポイントなのである。日本は戦後一貫して着々と韓国化への道を邁進している。この勢いが後退した事は私が知る限りは一度もない。


2011831日に韓国で放映された、韓国SBSテレビの番組で、李明博(当時)韓国大統領は「我々は既に日本を征服している。日の丸が韓国旗に変わるだろう」などと発言した。番組タイトルは「たった60万人の在日韓国朝鮮人に支配された1億人の日本人奴隷」という衝撃的なものだった。


李明博氏は、「北朝鮮の復興は心配ない、日本にやらせるのだ。私が日本に全てのカネを出させる。我々は既に日本を征服しているからだ。奴らのカネは我々が自由にできる。日本人は何も知らない。フジテレビが証拠だ。日本人はよだれを垂らして見ているだけだ。私に任せろ。日本にいるのは私の命令に忠実な高度に訓練された私の兵隊だ」現役の韓国大統領が自国内とはいえ、マスメディアで「日本征服完了宣言」とも取れる発言をしたのである。更に「朝鮮民主党の噂は本当らしい。今年10月から日本人の全住民データは朝鮮半島で処理される事になっている。日本人の家庭内秘密まで売っぱらったヤツがいるのだ」とまで発言している。


この事実を日本政府は黙殺(=黙認)したし、在日たちに主導権を奪われた日本のマスメディアもスルーしたから、テレビや新聞しか情報源を持たない日本国民は、現役の韓国大統領のこの発言を知らない。ネットを見る層でも政治に無関心な者は、この発言に注意さえ引かれなかっただろう。当時は民主党(現民進党)政権末期だったが、跡を継いだ第二次安倍政権も全く問題視した気配はない。在日の為の党である民主党政権が黙認した事には驚きもしないが、「日本を取り戻す」をスローガンに選挙戦に勝利した、安倍政権が何の反応も示さない理由は理解できない。


その後、公式に日本企業であると主張していたLINE株式会社はアプリ利用者を着々と伸ばし、盤石の体制となると、実は韓国企業であると公式発言を撤回した。日本に於けるLINE利用者数は、20172月時点で、6,600万人と言われ、月間アクティブユーザーは20億人に迫る。日本の多くの大学では授業でLINEを正式利用している。通信キャリア大手のソフトバンクテレコムは、韓国通信最大手のKT Corporationと合弁し、20117月に、データセンターを韓国に移転した。李明博氏の言った通りになった。


これらの実態を、日本政府もマスメディアも全く問題視しないが、日本国民の個人情報が、異常なほどの反日教育をしている韓国に筒抜けであるのは問題視すべきである。また、LINE SoftBank の他にも、NTTdocomo は、アンドロイドスマホの「あんしん遠隔サポートサービス」を韓国RSUPPORTに全面委託しているから、1,000万人を超える docomo 利用者の個人情報は自動的に韓国に漏洩していると見ていい。極め付きは、民主党政権時代に民主党主導で、日本年金機構と前述の韓国KT Corporationを契約させた為に、日本国民の年金情報が漏洩してしまうという問題も起きている。


何よりも、政界・財界・行政府・法曹界・教育界・メディア界・出版界・芸能界・スポーツ界、等々、韓国企業や韓国朝鮮系帰化人・日本国籍を持たない在日韓国朝鮮人たちに日本が席巻されている状況は深刻である。日本の一流企業にも韓国系資本や人材が入り込んでいる。その実態は一般国民の想像を遥かに超える危険水域に達しているし、国民の誰もが日本企業と疑わない有名企業が実は韓国系である実態も驚くほど多い。日本の中枢と高所得者層に占める韓国系の多さには慄然とする。


半世紀以上も日本の政権政党として日本国の運営を任されてきた自民党は、一体何をしていたのだろうか? 日本の有りとあらゆる枢要な分野に於ける韓国系の影響力がこれほど支配的になるまで、日本政府は何もしてこなかった。否、寧ろ韓国系の影響力強化を後押ししてきた節がある。日本の韓国化を推進してきた主犯は歴代自民党政権なのである。陰謀論ではないから、自民党内に「日本韓国化プロジェクトチーム」のようなものは勿論、存在しない。併し、自民党の黙認・不作為、そしてある時は積極的な推進によって、日本はこれほどまでに「韓国化」してしまったのである。


よく知られる例としては、パチンコ業界の9割ほどが在日企業だと言われている。先述したように、在日企業は殆んど税金を納めていない。バブル期は30兆円産業と言われた業界が、殆んど無税だなどという状況を自民党政権は黙認し、日本企業並みの税金を課そうとはしなかった。パチンコ産業の収益の多くは、韓国や北朝鮮に流れ、北朝鮮の核・ミサイル開発の原資となっている。また、パチンコによるギャンブル依存症患者は、統計に現れるだけでも536万人に上り、総人口の約5%を占め、世界一である。


韓国では、20086月にパチンコ禁止令を出している。国民の為にならないからだ。併し、日本では未だ野放しで禁止されるという噂さえ立たない。国民に悪影響を及ぼすのは明白であるのに日本政府は動かない。自民党の政治家から議員立法もされない。韓国政府が国民の為に禁止したパチンコなら、同じ理由で日本人の為にならないのは明らかである。ギャンブル依存症患者が世界一多い日本で、自民党政権はカジノ導入を推進している。ラスベガスのカジノを仕切るユダヤ人資本家に紛れてアルゼなどの在日パチンコ企業が参入に名乗りを挙げている。


自民党には 自民党遊技業振興議員連盟(パチンコ議連)があるし、超党派の議連としては国際観光産業振興議員連盟(IR議連・カジノ議連)もある。皆、日本の有権者が選出した、日本国民の為に働いて欲しい議員たちであるが、国民の健全さより利権に群がっているのだ。或いは、目先の観光産業振興に目を奪われ、国民の健全化を犠牲にしているとも言える。パチンコ業界からの利権と言えば、政治献金ばかりではない。パチンコ業界は警察官僚の天下り先でもあるから、潰す訳にはいかないのだ。「国民の健全化」より「利権や天下り先を優先」しているのである。


こういう歴代自民党政権の体たらくが、「日本の韓国化」を益々促進しているのである。戦後の日本を牽引してきた歴代自民党政権は、功績も大きいが、一方で、日本国民を裏切り続けてきたのである。何度も書いているが、日本の中学校の歴史教科書には「日本は武力により朝鮮を植民地支配しました」と、韓国の主張通り、虚偽の歴史が記述されている。文部官僚も自民党議員たちからも訂正の必要性も問題提起もされていない。素人には分からない高度な政治判断と言われればそれまでだが、結局蒸し返されそうな「日韓合意」などは、要所は韓国の主張そのままである。


朝鮮人強制連行が如何に大嘘かは「数字という論拠」があるにも関わらず、日本政府は国際社会に向けて毅然と、理路整然と反論してきただろうか? 自民党政権は朝鮮半島に於ける「日本人大虐殺」を無視しているし、「敗戦直後の在日の蛮行」にも何ら必要な対応をとっていない。心ある日本国民は、戦後の朝鮮人の悪事の証拠が残っているうちに整理・保管しておくべきだろう。史実を示す文献はどんどん朝鮮人に買い占められ、ネット記事は在日に削除されたり書き換えられたりして、朝鮮人に都合良く書き変えられつつある。Wikipediaの「朝鮮進駐軍」や「強制連行」の項目は見る度に変更されている。日本国民は、史実を語る記録の保管に貪欲になる必要があるようだ。


最後にこれだけは言っておきたい。保守政党を自称する歴代自民党政権の実態は「親米左派政権」である。然も、国会議員には韓国朝鮮系の日本人成り済ましが大勢いる。民主党(現民進党)は、政権獲得時点で約70%が韓国朝鮮系帰化人で占められていたという。歴代の自民党にも日本人に成り済ましている帰化人は大勢いたし、今も少なからずいる。彼等は今までも、これからも、日本国民を欺いて「日本の韓国化」に努めている。なぜ日本はこれほどまでに「韓国化」するに任せられてきたのであろうか? 半世紀以上も政権与党の座に就いてきた自民党が、在日たちの謀略を見抜き、阻止できなかった筈はない。彼等こそが在日たちを影に日に優遇してきたのである。これは否定のしようが無い事実ではないか?


我が国が、本来の日本に立ち戻る為には、今の自民党の存在は邪魔なだけである。自民党議員の中から成り済ましを見つけ出し、帰化人や背乗りを排斥し、保守を演じる反日左翼を全員追放でもしない限り、「自民党の意図しない日本韓国化計画」は止められない。そして今言った事を具体的に実行するのは、ほぼ不可能である。自民党に取って代わる真性保守政党が出現する兆しがない今の日本は、「精神的絶滅の危機」に瀕している。簡単には信じ難い事だろうが、先ず、日本国民が「日本が意図せずとも計画的に韓国化されつつある」という現実に気づく事が必要である。このまま何もしなければ「大和民族の気高き精神性」の消滅という、実質的「亡国」が待っているだけだろう。部分的に取り繕われた「亡国憲法」と、「本来の主人を失なった領土」だけが残るのである。

《「差」があるから「別」に対応して何が悪いのだろう? 「在日擁護法」ともいうべき、所謂「ヘイトスピーチ対策法」を立法化した現政権を私は支持できない。「日本の韓国化」を放任したまま「亡国憲法改正」を目指す現政権に「気高き大和民族の精神性」を再生させ、その資質を子々孫々に伝えていく大義が理解できるとも思えない》


日本人は「差別」と言う言葉には滅法弱い。「差別だ」と在日や反日左翼に決め付けられると大抵の日本人は狼狽える。併し、差別が悪い事だなど誰が決めたのだろう。同じ人間でも男女間には明らかな違いが有る。また人間の能力は人によって大きく異なる。つまり区別や格差は、人間が人間である限り避けられない問題であるのだ。「差」が有るのだから「別」に扱う事は当然の事なのである。


教育現場に於ける教諭や教授は学生と同じではないし、先輩と後輩の関係では平等などあり得ない。実社会でもプロフェッショナルとアマチュアは平等に扱われるべきではない。様々なものを犠牲にして、努力や苦労を重ねた、経験豊富な働き盛りの企業戦士(少々古い言葉か?)と入社したての研修生に能力差があるのは当然だし、同じ報酬を得られる筈もない。


社会生活で、全ての者が平等に扱われる事など絶対に無いし、人々は否応無しに「差」をつけられ、実力に応じて「別」に扱われる。スポーツでも、得点をあげたチームは勝利し、高得点を獲得した受験生は不合格者を尻目に合格の喜びを味わう。そうした篩い分け(ふるいわけ)の結果として、高学歴者は低学歴の者より高収入の仕事に就ける確率が高まる。


人間社会では区別や格差、そして「差別」は、日常茶飯の如く行なわれ、実生活に於いて日本人はその現実に不満を持ったりはせず、極普通の事として受け容れて生活している。


普段から、「格差・区別・差別」を極当たり前に受け容れておきながら、日本人は「差別はいけない事だ」という善悪二元論のイデオロギーで非難されると狼狽え、反論する事さえできなくなってしまう。よく考えてみれば「差別」それ自体が悪いのではなく「偏見」や「思い込みによる侮蔑」「見下し」が悪いのである。確かに「差別」という言葉には侮蔑のニュアンスがついてしまっているから、言葉遣いには注意が必要だが「差」が有るから、その「差」に応じて「別」に扱う事は至極当然であり、殆んどの人は意識せずに自然に受け容れている。


努力が必ず報われる保証はないが、努力しない者より努力した者の方が高い確率で報われる。これは全く当たり前の事であり、誰も疑問に思わない。「機会均等」は良いが、「結果平等」は不公平であり、そんな優劣のつかない社会では、馬鹿らしくて誰も努力などしなくなってしまう。努力した者と、何もしなかった者が平等に扱われる社会の方が「不公平」なのである。それは国家、民族に置き換えてみても同じである。長年の誠実な努力の積み重ねにより世界から信用される日本人と、スポーツマンシップの意味も知らず、嘘ばかりついて、他国に迷惑ばかりかけて、世界から信用を得られない民族が「差」により「別」に扱われる事は当たり前の事である。


併し、「差別」を正々堂々と自信を持って実践するには欠かす事のできない条件がある。それは、儒教で言う「仁」であり、弱者への思い遣りを持つ事である。仏教が教える「慈悲の心」を失なってはいけない。日本人が自然に身に付けている「和の精神」を欠いてもいけない。特に日本人・大和民族は、我が国開闢の精神である「八紘一宇」の精神を大切にするべきだ。「差」を当然と見做し、「差」に基づく扱いをしながら「仁」「慈悲」「和の心」「八紘一宇」の精神に基づき、相手を尊重し、思い遣る心が大切なのである。


神武天皇の「八紘一宇」の御勅令の真の意味は、天地四方八方の果てに到るまで、この地球上に生存する全ての民族が、あたかも一軒の家に住む家族のように仲良く暮らす事。つまり世界平和の理想を掲げたものである。昭和天皇が「天地の神にぞいのる朝なぎの海の如くに波たたぬ世を」とお詠みになっているが、この御心も「八紘一宇」の精神である。


ブリタニカ百科事典では、「八紘一宇」を、「世界を一つの家にする」を意味するスローガン。第二次世界大戦中に日本の中国、東南アジアへの侵略を正当化する為のスローガンとして用いられた。 …と一方的・否定的に記述されている。併し、当時の日本人は「八紘一宇」と共に「五族協和」を唱え、「大東亜共栄圏構想」を描いていた事は紛れもない史実である。我が先人の最終目標は、「白人による有色人種に対する植民地支配から、アジアの同胞を解放し、行くゆくは対等貿易ができるような国同士となって共存共栄を実現したい」という高邁な理想であった事を忘れてはならない。


1919年のパリ講和会議の国際連盟委員会に於いて、人類至上初の「人種差別撤廃提案」をした日本が、アジアの同胞を人種的偏見に基づいて武力により強制的に植民地支配しようなどと考える訳が無いではないか。我が先人は、白人たちが犬か豚のように見下していた、朝鮮半島の原住民を、我々と同じ人間として厚遇した。日本人なら、数々の歴史的証拠を基に、そう信じるのが自然である。そのように真実を教育してこなかった歴代自民党政権が異常だったのである。


併し、誠に残念ながら現代の日本政府と日本国民は、悪意ある『東京裁判史観』と、それを丸々受け容れた間違った「戦後教育」をそのままに放置する怠惰により、真実から遠くかけ離れた教育を受けている。先人が嘗て、武力により朝鮮半島を侵略し、否応無しに植民地にして、朝鮮人を強制連行したり、性奴隷にしたりして、一方的に酷い事をしたとの虚偽の史実で洗脳されたままでいる。先人の高邁な理想が理解できないように日本政府自体が『東京裁判史観』を肯定しているのだから、国民がそれを信じて当然である。


現政権自体が「戦後レジームからの脱却」や「日本を取り戻す」などの、これからの日本にとって最も大切な概念を、実現する気もない単なる選挙用スローガンに貶め、選挙後は「戦後レジームからの脱却」どころか、『東京裁判史観』を押し付けた米国の言いなりになって、「戦後レジームからの脱却」を見事にかなぐり捨ててしまったのだから、多くの日本国民が、『東京裁判史観』=「戦後レジーム」からの脱却など、できよう筈もない。


敗戦後の日本国民は、GHQ/SCAP にこれでもかとばかりに強圧的な言論統制を受け、それを恐れて自己検閲するようになり、偽りの歴史観の深みに嵌り、洗脳され続けてきた。日本政府は、サンフランシスコ講和条約発効後も、敗戦利得者・反日左翼や日本人を憎む在日たちを一掃する努力を怠ってきた。彼等により強引に受け継がれてきた「偽りの贖罪意識」から逃れる努力を怠ってきた。戦後日本の誤りは全て『東京裁判史観』という、日本を無力化する為に植えつけられた偽りの歴史観を正す努力を怠ってきた歴代日本政府の不作為に依るものである。


ほんの一昔前までは、閣僚が「日本は昔、韓国に対して良い事もした」とか「慰安婦の強制連行など無かった」と少しでも真実を主張すれば、マスメディアによって辞任に追い込まれた。実際、そういう閣僚を何人も見てきた。今でもマスメディアは、反日左翼や在日たちにより手酷く汚染されているから、著名人がそういう事を言うと叩かれるかスルーされてしまう。そもそも韓国や在日を悪く言う者はマスメディアが起用しない構図が出来上がってしまっている。テレビに出演する言論人は殆んど『東京裁判史観』肯定派や「日本国憲法」の信奉者、所謂「護憲派」である。然も、真実の露呈を恐れ、虚言を弄する在日韓国人の大学教授などが重用されている。


日本の中枢は、怠慢としか言いようのない、日本政府の「法整備の不備」の放置により、在日たちに殆んど抑えられてしまっている。立法府(政界)も、行政府(官僚や地方公務員)も、教育機関も、法曹界も、財界も、マスメディアも、出版界も、芸能界も、皆驚くほど在日たちが決定権を持つポジションに就いて権勢を振るっている。立法府と行政府、教育機関とマスメディアが在日勢力に抑えられてしまったら、「大和民族の気高き精神性」の復活などできる訳がない。現在の日本は絶望的とも言える危機に瀕しているという自覚すら持てない仕組みが、ほぼ完成しつつある。


併し、ネットが普及した現在では少なからぬ日本人が、在日たちの言説は虚偽である事を知るようになった。少なからぬ日本国民に、在日は出稼ぎに来たり、密航してきた人たちであるという真実が知れ亘ったし、在日の反日活動家に反感を持つ日本人も相当数に増えてきた。「日韓併合」も、朝鮮民族の国と国民に望まれて、国際法に則って条約を結び、何の問題も無く平和裡に進められた事を、普通の日本人もその気になりさえすれば知る事ができる。


併し、文科省の検定を通過した中学校の歴史教科書には「日本は武力により朝鮮を植民地支配しました」などと、未だに韓国政府や在日たちの嘘の主張をそのまま載せている。これでは、ネットなどで真実の歴史に触れる前の思春期のいちばん多感な青少年に、日本政府が捏造史観を刷り込んでいる事になる。これを改めようともしない自民党政権の議員たちの歴史観と良識を疑う。


敗戦後の日本は、GHQ/SCAP により「在日朝鮮人を戦勝国民と同等に扱え」との通達を受け、政治家も教育者もマスメディアも全てそれに従った。従わざるを得なかった。日本人を無力化したい GHQ/SCAP の洗脳統治に逆らいそうな気骨あるリーダーたちは、日本に長年住んで日本の事情に詳しい在日たちの情報を基に発令された「公職追放令」により悉く第一線から退けられ、それまで冷や飯を喰わされていた無能とも言える反日左翼に取って代わられてしまった。


それを正そうともせず、放置してきたから、サンフランシスコ講和条約発効後65年も経つというのに、日本は未だに反日左翼や在日たちの亡国思想に囚われている。日本の中枢は殆んど在日たちに抑えられている現実は、心ある日本人を戦慄させているが、政権与党の自民党自体が保守を僭称しながら、その実態は親米左翼政党なのだから、掛け声ばかりで行動面では、『東京裁判史観』からは絶対に脱却しようとしない。


日本の敗戦時に朝鮮人が日本人に対して為した、破壊工作、集団強盗、物品略奪、土地強奪、殴打暴行、婦女子への強姦、理由なき殺人、など凡ゆる犯罪の史実は、一部の自ら真実を学び、行動しようとする日本国民には知られるようになったが、日本政府自体がこの有様だから、多くの普通の日本国民の覚醒を妨げている。日本政府自体が在日たちの工作である史実隠蔽に加担しているのである。


日本をこれほど酷い国にしてしまったのは、実は歴代自民党政権である。この現実に気づかない日本国民を育てたのも自民党であり、選挙で自民党を勝たせ続けた日本国民の成せる技である。現在の安倍首相は今までの自民党党首よりは多少マシに見えるから長期政権となる事が予想されるが、所詮は日本を破壊し続けてきた自民党政権である以上、日本国民を『東京裁判史観』から覚醒させてはくれないだろう。


我が家は代々、自民党支持者であった。私も第二次安倍政権には大いに期待もした。併し、今ではその投票行動を深く悔いている。もっと早く真実に目醒めるべきであった。多くの日本国民は、自民党政権の利権あさりや恣意的不作為により知的水準が低いお花畑の住人に堕してしまった。何しろ GHQ/SCAP が、日本を無力化しようとの悪意を持って押し付けていった現行憲法を大切な護るべき憲法だなどと言っているのである。


安倍政権は、この「亡国憲法」を、2020年を目処に少しだけ改正しようと真顔で主張している。そんな事で保守を気取る暇があるなら、強い軋轢が予想されようとも、日本の中枢を在日に抑えられている現実にメスを入れ、徹底的に日本人の手に取り戻して、『東京裁判史観』から日本国民を解放する事の方が余程、喫緊の課題である。


日本を無力化するという明確な目的で押し付けられた現行憲法を否定せずして「気高き大和民族の精神性」は絶対に取り戻せはしない。「気高き大和民族の精神性」を失なうという事は「大和民族の滅亡」を意味する事に気付かぬような首相の下では、「ツギハギされた亡国憲法と韓国化した日本」が残るだけである。差し詰め所謂「ヘイトスピーチ対策法」などはその為の法整備の第一歩なのだろう。


1965年、日本は「竹島」を強奪されたまま、米国の指示に従って、不当に拉致された4000人近い日本人漁民を人質に取られながら、まるでテロリストと交渉するように、韓国と「日韓基本条約・日韓請求権協定」を結び、無償で3億ドル、有償で2億ドル、民間借款で3億ドルを韓国に与えた。その上、朝鮮半島に残してきた日本の官民所有の全ておよそ53億ドル相当という莫大な額の資産を放棄している。その上、技術移転や販路指導などやり過ぎと言えるほど日本は韓国という敵対国に尽くしてきた。当時も、謝罪や賠償はこれで最終決着したと言われていた。


だから如何に朝鮮半島有事の為に備える必要があると米国に指図されたからと言って、改めて先人の顔に泥を塗るに等しい「日韓合意」などするべきではなかった。細川護煕、村山富市両首相の日本の侵略発言や、河野洋平官房長官談話より以上に「日韓合意」は英霊を冒涜した。朝鮮民族相手に「最終的、且つ不可逆的な国家間の約束」など意味を為さないばかりか、「日韓合意」の海外に於ける報道は、日本政府の意図したものを遥かに超える酷い内容のものであった。これで海外に居住する日本人の子供たちは支那系や韓国系の現地の悪ガキどもに一方的に虐められ続ける事になった。日本政府は、それに加担したのである。


日清戦争では日本は清と命をかけて戦い、清の冊封国であった大韓帝国(実態は李朝)の独立を認めさせた。そして、武力に依らず、合法的に、大損を覚悟で大韓帝国の希望通りに朝鮮民族を日本国民として迎え入れた。併し、これらの史実を日本政府は日本国民に教育すらしていないし、ひたすら韓国や中共に尽くすマスメディアを65年間も放任し続けてきた。正しい歴史観を持てなければ、心優しく、謙虚な日本人は、ただのお人好しの愚か者でしか無い。


偉大な歴史家アーノルド・トインビーは、「12~3歳頃までに建国の神話を教育しない国は例外なく滅んでしまう」と著作で述べている。トインビーの見解が絶対に正しいとは限らないが、日本は「建国の神話」を教育する事を、GHQ/SCAP に禁じられたまま、現在に至るもそれを正していない。歴代自民党政権は、「大和民族の気高き精神性」再生に利する事は何もしてこなかった。現政権も、その最も重要な使命に手をつけないまま、「亡国憲法改正」に意味のない精力を浪費している。


反日教育を始めたのが、自国民を大虐殺した初代韓国大統領李承晩である。李承晩時代の韓国の識字率は日本統治時代にゼロから押し上げた64%程度に留まっていた。朴正煕大統領の時代に韓国の識字率は100%に近づき、反日教育という洗脳が遍(あまね)く全国民に行き亘った。その反日大統領の言葉は、以下のようなものだったが、自民党政権はその程度の事実も日本国民に教育しなかった。


『併し、あの時、我々は自分たちで選択したんだ。日本が侵略したんじゃない。私たちの先祖が選択した。もし清国を選んでいたら、清はすぐ滅びて、もっと大きな混乱が朝鮮半島に起こったろう。もしロシアを選んでいたら、ロシアはそのあと倒れて半島全体が共産主義国家になっていた。そしたら北も南も完全に共産化された半島になっていた。日本を選んだという事は BESTとは言わないけど、仕方なしに選ばざるを得なかったならば、Second Bestとして私は評価もしている』 

朴正煕(当時)韓国大統領


こんな発言を親日的発言と評価する日本人は少し感覚がズレているとしか思えない。「Second Best」とは何事か? Second と言うからには First の選択肢があったとでも言うのだろうか? 「日韓併合」は、日本にとっては「最悪の選択」であったが、大韓帝国・朝鮮民族にとっては『最良の選択』であった。正に BEST の選択であったのに、朴正煕氏は「日本を選んだという事は BEST とは言わないけど…」などと素直に日本に謝意を表そうとしなかった。


朝鮮民族とは「決して日本に感謝の心など持てない民族」なのである。朝鮮の「植民地史観」の中に『停滞性論』と言うのがある。朝鮮の歴史は、日本のような中世の封建制がなく、古代のまま停滞しており、日本の平安時代のレベルに止まっているとするものだ。福田徳三は、20世紀初頭の朝鮮の経済を「借金的自足経済」とし、日本や欧州より1000年以上遅れているとした。(私見だが、女性作家で歌人の紫式部や清少納言が活躍した平安時代の日本の方が、李氏朝鮮より数段文化レベルが高かった)


1000年以上も何ひとつ発展出来なかった朝鮮民族が、日本の力で近代化できた様に、独力で近代化出来た訳が無い。併し、韓国人は「日帝強占がなければ朝鮮民族は独力で米国を凌ぐ近代先進国になっていた筈だ」などと有り得ない妄想に耽溺している。朝鮮民族にとって「日韓併合」は大いなる福音であった。朝鮮民族にとって「日韓併合」こそが正に BEST な選択であった。それを認める事が出来ないと言う事は「朝鮮民族とは明らかに普通の民族の理解力に遠く及ばない民族」という事になる。こうした歴然とした「差」を持つ民族は「別」に扱わざるを得ないではないか。民族の資質そのものが狂っている。


大恩ある日本人に対して… 昨日まで苦楽を共にした日本人に対して… 敗戦に打ちひしがれた日本人に対して… 筆舌に尽くし難い塗炭の苦しみを味合わせた朝鮮民族は、恩を仇でしか返せない、明らかに「気高き大和民族の精神性」に遠く及ばないほど劣っている。彼等は、恩知らずで、残忍で、嘘つきである。


そんな彼等の嘘の主張を擁護し、真実の歴史を証拠に基づいて反論しようとする数少ない日本人の心の叫びを封殺する「悪法」をつくり、自ら持つ多数の議席で国会を通過させた現政権に多くは期待できない現実に、一人でも多くの有権者に気付いて欲しい。


闇に葬られている昭和史の真実に日本国民が目醒めたなら、朝鮮民族や在日に対する「差別感情」は持って当然であるし、日々、日本を「韓国化」させている現政権が劇的に変わるか、全く別の真性保守政党が政権を取れるような社会にならない限り、「気高き大和民族の精神性」は、この地球上から消滅する。大和民族は絶滅危惧種なのである。


本稿の冒頭で述べた、「仁」「慈悲」「和の心」「八紘一宇」の精神に基づき、相手を尊重し、思い遣る心で朝鮮民族に接した先人の試みは見事に裏切られた。日本の善意は朝鮮民族に限っては全く通用しなかった。朝鮮民族に二度目のチャンスを与える余裕は、もはや日本にはない。


大日本帝国の慈愛に満ちた「日韓併合」という大恩に仇で報いた朝鮮民族・在日たちは、「慈悲」の心や、人間的配慮など一切無縁の「差別」を受けて当然の民族なのである。二度も騙される愚は犯すべきではない。「気高き大和民族の精神性」に目醒め、その資質を子々孫々に受け継いでいく為には、日本人は、性根から邪悪な朝鮮民族と本気で戦って勝ち抜き、生き残らなければならない。今の日本には、国際社会の偽善的批判に配慮する余裕などない。

《現代の日本人は、先人の偉業を知らず、偽りの贖罪意識を刷り込まれている。闇に葬られた昭和史の真実を白日の下に晒すのは、少しでも真実を知る日本人に託された重い使命である》


一般に奴隷貿易を始めたのは15世紀のポルトガル人によるアフリカ人狩りが始まりとされているが、更に歴史を遡ってみると、人類はもっとずっと古くから同じ人間を奴隷にするという、究極の人権迫害をしていた。ギリシャ、ローマ時代には戦で負ければ兵士も庶民も奴隷にされてしまったし、歴史的に奴隷制度を持った事がないと思われている日本にも一時期「生口」(せいこう)と呼ばれる奴隷が居た。支那人たちが偉大な祖先だと自慢している孔子などは人肉食の習慣があり、古代の日本は孔子様の食用として「生口」を何十人も献上していた。孔子は献上された人肉を酢漬けにして食したという記録もある。


漢民族が白人と共に、否、白人以上に残虐な恐ろしい民族である事は度々述べてきたが、孔子が生きた春秋時代は様々な民族が覇権を競い合う時代だったので、「信用できるのは自分だけ、自分さえ良ければ他人はどうなってもいい」という身勝手で残酷な漢民族の特性はこの当時から基本的に何も変わっていない。様々な民族の王朝が勃興と滅亡を繰り返した。その激しい生存競争を最終的に生き抜き通したのが最も残虐な漢民族であった。支那と呼ばれる地域では一つの民族の王朝は精々長くても400年程度で、王朝が入れ替わる度に敗退した民族は皆殺し同然にされた。だから支那の歴史には連続性がない。このあたりが万系一世の天皇陛下を戴く日本と大きく違うところで、天才アインシュタインにして日本という万世一系の国家の存在を神に感謝せしめている。


幕末から明治維新、そして明治・大正・昭和と、大和民族は、その賢明さ故に亜細亜でいち早く西欧の先進文明を取り入れ、西欧の知識を独自に解釈し、日本人ならではの文明開化を成し遂げ、発展させてきた。支那に於ける白人諸国の不道徳な行ないを目の当たりにして、絶対に日本を白人諸国の植民地にしてなるものかと奮起して白人先進国が目を見張るほどの速さで軍事強国となった。漢民族とは比較にならないほど温順しい性格でありながら、漢民族が立ち向かえないほどの強国となった大日本帝國は、当時の国際社会では常識であった列強諸国の帝国主義を手本として模倣した。当時は善であった帝国主義を模倣しながらも、白人諸国が白人優越主義の下に為した植民地経営には疑問を持ち、日本国建国の理念でもある「八紘一宇」の理想を持って、白人諸国とは全く異なる日本独自の帝国主義を発展させていった。


当時から日本は模倣が得意であったが、見たままを真似するのではなく日本独自の工夫を凝らして、自らが違和感なく使えるように昇華させるのが日本式の模倣であった。それは漢字を独自に進化させたり、平仮名や片仮名を生み出し、比類なき言語に発展させた。また、近現代の日本がものづくりの世界を極め、独自の発展と成功を納めた秘訣がもともと日本人には備わっていた事を意味する。近年の失なわれた20年と言われる期間には、白物家電や液晶パネル、そして携帯電話のガラパゴス化に拘る余りスマートフォンへの移行の遅れを来した事例などで、本来は日本のお家芸であった筈の家電分野で韓国や中共の後塵を拝しているが、ものづくりの精神では未だ日本は何処にも引けを取らないと自信を持って良いと思う。全てに於いて、単なる模倣に終わらせない「極める」という精神性は時代の変化に左右されないものであるからだ。


同様に、欧米列強に追いつき追い越そうとした嘗ての大日本帝国の精神は決して間違ってはいなかった。白人諸国は人種偏見から多くの植民地経営で非人道的な搾取を為し、自国の繁栄のみを追求したが、日本はその遣り方を良しとはせず、当時の軍事強国の常識であった「現地人を人と看做さず、さながら家畜のように苦役を強いる植民地経営」はしなかった。韓国人の歴史歪曲を別次元の戯論と割り切るしかないが、日本の外国統治は現地の人々を奴隷の如く扱いはしなかった。植民地主義は白人列強の模倣ではあったが、八紘一宇の精神の下、日本の統治は白人たちの統治に比べて極めて良心的なものであった。併し、当時の常識であったとはいえ、外国人である日本人に統治されるのであるから、当時、日本の統治下に置かれた人々に不満が無かろう筈はなかった。現代の基準で過去を裁くのは愚かな事ではあるが、一切の瑕疵が無かったと胸を張れるものではない。


当時の日本人に浸透していた「八紘一宇」とは、天下・全世界を一つの家と見做す概念である。『日本書紀』の「八紘(あめのした)を掩(おお)ひて宇(いえ)にせむ」を、全世界を一つの家のようにすると解釈したものだ。ブリタニカ百科事典などには、「八紘一宇」とは第二次世界大戦中、日本の支那・東南アジアへの侵略を正当化するスローガンとして用いられた言葉だと記述している。併し、一方でこの概念については侵略思想を示すものではなく『人道を重んじた普遍的思想』を示すものであるとの解釈がある事を忘れてはならない。併し、日本人が理想とする一つの家に組み込まれたくない民族・国家にとって、「八紘一宇」は押し付けがましい迷惑な概念であった事は否めない。我々の先人は決して支那・東南アジア侵略を夢想した訳では無く、飽くまでも最終的には白人列強に一方的に支配される事を拒んで、対等の共存共栄を目指したものであった。


言葉というものは、重宝であるが、重宝であるが故に、「八紘一宇」を「世界侵略のスローガン」と見立てる事もできるし、「大和民族以外も家族として捉えて共に平和に共存していこう」という、「他民族を一方的に支配し、植民地搾取などするものではない」と善意に捉える事もできる。パリ講和会議の国際連盟委員会に於いて、当時の白人たちが当然としてきた「人種差別」を日本が「撤廃」するよう提案した事からも分かるように、日本は「八紘一宇」を後者として捉えていた。実際に日本は戦争に敗れはしたが、白人宗主国の無慈悲な統治を一掃した契機となった事は特筆されて然るべきである。大東亜戦争が無かったなら、アジア諸国に留まらずにアフリカ・中東諸国も未だに白人たちの植民地支配から抜け出せはしなかっただろう。現代の日本人は先人の偉業を誇りこそすれ、歪曲された贖罪意識など持つ謂れは無い。


我が先人は、支那人や白人たちとは異なり、朝鮮半島の未開土人たちを人間として、同胞として迎え入れ、白人たちの植民地経営では絶対に有り得ない、「教育」を施した。それも日本語を強要するのではなく、当時は埋もれ忘れ去られていたハングルを再発見し、研究し、体系化して、朝鮮語として、日本語との併用で教育した。日本が朝鮮人たちの希望に沿って、当時の大韓帝国との併合を受け入れた時の朝鮮半島には何も無かった。あるのはただ李氏朝鮮と大韓帝国が無計画に外国から借り入れた、自力では到底返済不可能な借金だけだった事実を、今の韓国人は敢えて直視しようとしない。不遜な言い方だが、当時の朝鮮民族に真摯に向き合い、振り回され、裏切られた我々の先人が可哀想でならない。今、生きておられたらさぞ無念に思われるだろう。


大韓帝国を併合した日本は、朝鮮人に成り代わって、その莫大な借金を全て返済し、尚且つ毎年国家予算の2030%を朝鮮半島近代化の為に投資し続けた。現代の韓国人が言うような「人類史上稀に見る過酷な植民地搾取」などしていないし、だいいち朝鮮には搾取できるモノなど何も無かった。韓国人は産業を収奪されたなどと言うが、併合前の朝鮮に産業など無かったし、日本人が教えるまで貨幣経済も無く、度量衡すら統一されていなかった。当時の識字率が4%ほどだったというが、それは両班といわれる特権階級の漢字の識字率を含めたもので、庶民の識字率は0%であった。日本が併合したあとで埋もれていたハングルを発見し、体系化して、皆無だった庶民の為の学校を何千校も建設して、そこでハングルを日本人が教育したのであるから、併合前の朝鮮の一般庶民は100%の無学文盲だったのである。現代の韓国人は朝鮮には元から優れた文化文明があったと強弁するが、染色技術すら知らなかた朝鮮民族は、それゆえ白い民族と呼ばれていたほど遅れていた。


何よりも、「日韓併合」により、その恩恵に浴したのは朝鮮の庶民たちであった。本稿の冒頭で述べた奴隷制度であるが、併合前の朝鮮ほど奴隷が多い国は無かったのではないだろうか。朝鮮の身分制度は

1)王族・貴族

2)両班

3)中人

4)常民

5)賎民

と明確に階級が分かれており、常民と賎民は所謂「奴隷」であった。国民の30%以上が奴隷階級であった。ネットで100年前の朝鮮庶民の写真を探してみるといい。どれほど遅れ、どれほど近代化と掛け離れていたかが如実に分かる。現在、日本のテレビ局で垂れ流されている韓国の絢爛豪華な時代劇が如何に出鱈目な妄想の産物か分かる。現代の韓国人たちは歴史ドラマで歴史を学んだ気になっているというから尚更呆れる。


日本は古代に一時的にあった「奴隷制度」を悪い事と気づくと直ぐ捨てたが、白人や支那人、朝鮮人は、近代に至るまで「奴隷制度」を捨てなかった。形態こそ異なるが奴隷制度同様に人間の尊厳を顧みない諸外国と比べて、日本人の日本人たる所以は「非人間的な行為を悪とし、身につけず、奴隷制度を定着させなかった」事である。日本人はこれを成した先人に誇りを持つべきである。


李氏朝鮮では、官僚による中央集権制度で政治を行ない、反乱を恐れて地方豪族や軍閥を全て排除し、軍人の地位を低く抑えていた。農民の反乱を抑える事ができないような軍隊で518年もの間、国を維持できたのは、元・清の冊封国として強国に組み伏せられていたからである。そんな朝鮮では、富を奪う身分と奪われる身分に二分され、奪われる側は甚だしい劣悪な生活を強いられた。彼等は朝鮮全権大使を務めた李成玉の言う「豚の境涯」に追い込まれていたのだ。庶民文化・教育・伝統・芸能・職人の技術・労働意欲などは全く育つ余地はなかった。だから現在の韓国は誇れそうな他国の文化を剽窃し、自国起源と偽って、自国民や外国に韓国の伝統だと自慢しているのだ。哀れというほかない。


オリンピック種目に潜り込ませたテコンドーなどは、ごく最近まで創設者自身が「日本の空手を真似た」と悪びれもせず告白していたが、いつの間にか創設者の本音は封殺され、今では韓国の伝統武術という説明がされるようになってしまった。韓国人によると柔道や剣道なども韓国が日本に教えた事になっている。茶道や華道も韓国起源だそうだが、YouTubeで公開された「韓国茶道」には流石に驚いた。本来の茶道では「決められた作法で茶釜の湯を柄杓で汲む」のだが、韓国の伝統茶道ではステンレスポットから湯を注いでいた。それほどまでして伝統があるのだと無理をする韓国人に哀れみを感じたものだ。優越感などではなく本当に可哀想な人達だと思った。


李氏朝鮮はそれほど遅れていたから、当然、三権分立など有り得ず、地方の長官や中央の役人が全ての権限を握り、富を奪う為にその権限を悪用していた。少数の支配者にとっては理想国家であろうが、支配される大勢の者たちにとっては劣悪非道な暗黒国家であった。そういう朝鮮を国家破綻どころか民族滅亡の危機から救ったのが、当時の首相李完用を始めとした日本との併合推進派たちであった。現在の韓国では、本来なら救国の英雄として評価されるべき李完用たちを、親日売国奴だと事後法で裁いてその子孫から国家が土地や財産を全て収奪してしまった。隣国では近代法治国家では有り得ない事をしているのである。


日本の敗戦により日本の手から離れてしまった朝鮮半島は、必然的に李朝に還ってしまった。北朝鮮は金一族とその取り巻きという、ごく一部の特権階級以外の国民は国家の保護を受けるどころか国に見捨てられ、その日を生き抜くのに必死である。李朝そのものではないか。韓国も併合中に日本が禁じた身分差別が知らぬ間に復活して、激しい階級社会に戻ってしまった。韓国人が大嫌いな筈の日本に不法に住み着いたり、外国に移住するのは、韓国内での「差別」に耐えきれないからだ。日本に居座る「在日」や海外に移住する韓国人は大抵、全羅道や済州島の出身者で、韓国では被差別民なのである。だから韓国人は世界一外国に移住したがる。2年前の資料によると、韓国人は世界185箇国に移住している。支那人を大きく引き離して世界一の移民供給国家である。


そんな被差別民だから、敗戦後の日本から母国に帰される事を拒み続け、不当に居座り、或いは、命懸けで密航してきた。そういう実情を正直に話し、日本人に助けを乞うなら、在日たちに対する日本人は今より融和的になっただろうが、彼等は日本が敗戦すると同時に、いや、敗戦濃厚となった頃から、散々世話になった日本人にケモノの牙を剥いた。昨日まで苦楽を共にしていた朝鮮人が、いきなり凶暴なケモノに豹変して、日本人を襲い、強姦し、殺戮し、その上で金目になりそうなものは遺体の金歯まで引き抜いて野晒しにしたのである。今の韓国人はそういう非業の死を遂げて弔いもされずに野晒しにされた日本人の遺骨の上を土足で踏み荒らし、日本人の血税により支援されて反日教育をしている訳だ。日本人として許せる訳が無い。


日本国内で在日となった朝鮮人は、第三国人と呼ばれ、悪逆非道の限りを尽くした。日本人の土地を奪い、居座り、婦女は強姦し、男性は暴行の末に殺しもした。そして徒党を組んで丸腰の警官に暴行し、役場を襲い、数々の在日特権を手中にした。 GHQSCAP の記録に残っているだけでも、敗戦後の日本で在日朝鮮人の手に掛かって4,000人以上の日本人が殺戮されている。朝鮮半島では、おそらく10万人以上の日本人引揚者が略奪・強姦の末に殺され野晒しにされた。建国したての大韓民国は、日本がサンフランシスコ講和条約により国際社会に復帰を許される事に大反対したが、日本の主権が回復されるのを妨げ切れないと判断すると、主権回復直前に「竹島」を強奪した。丸腰の日本にはどうする事もできなかった。


韓国という国と日本に居座った在日たちは、紛れもない加害者である。敗戦直後の日本人に在日たちがどのような人道に悖る乱暴狼藉を働いたかという史実は、当時の GHQSCAP と敗戦利得者や反日左翼、そして在日たち自身の手により巧妙に隠蔽されている。日本が主権を取り戻し、自力で国内の治安を維持できるようになると、それまで加害者であった在日たちは、いつしか自分たちを被害者と偽るようになった。その為に数限りない嘘をついた。現在の在日たちは、自分たちの過去の所業を隠すのに必死なのである。Facebook のセキュリティを請け負った在日企業の執拗な検閲や投稿文の削除行為などに彼等の必死さが現れている。被害者ビジネスに味をしめた在日たちは、自分たちが本当は加害者である事を暴かれるのを心底恐れている。


韓国政府の方針転換による日本帰化奨励策は、日本人が法整備を怠っているのを良い事に、今やどんどん帰化推進に邁進している。そうして日本国籍を得た朝鮮人が、日本国籍を持たない在日と手を組んで、日本を韓国人が住みやすい国に改造しようとしている。その手始めが、数々の在日特権の確保であり、最近の所謂「ヘイトスピーチ対策法」なのである。この悪法によって、在日たちが知られたくない戦後昭和史の真実は当面は表立って暴く事が出来難くなってしまった。私は、朝鮮民族と韓国政府および韓国の国民と在日韓国朝鮮人の悪行をタブー視してきた歴代の日本政府とマスメディアを許す事ができない。これは朝鮮民族に対する「悪しき差別」などでは断じて無い。犯罪を許さず、何よりも卑怯や嘘を嫌うという日本人本来が持つ正義感である。

今の日本は、韓国が押し付けてくる虚偽の歴史に正当な反論をしてこなかった為に、国際社会で日本が一方的に悪者にされている。毅然と反論すると韓国政府も韓国国民も怒り狂ったように大騒ぎをする。日本政府の「事勿れ主義」は、こうした韓国の反発を恐れて、肝心な時に有効な反論をしてこなかった。併し、真実はひとつである。日本の政治家は反発を恐れて、相手の言いなりになるのをやめて、真実を国際社会に向けて堂々と発信していくべきである


1910年、日本は大韓帝国からの正式な要請(四度に亘る懇願)と、米国大統領セオドア・ルーズベルトの後押しで、国際法に則って大韓帝国併合を受け容れた。日本との併合で特権を失なう両班などの特権階級の一部を除いて、当時の大多数の朝鮮人は大喜びしたと記録は語る。併し、1945年に大日本帝国が大東亜戦争に敗戦し、日本による朝鮮半島の統治は終了した。その3年後に朝鮮半島南部は在朝戦米国陸軍司令部軍政庁から棚ぼた式に独立を許され、1948813日に首都ソウルで大韓民国樹立の宣布式が行なわれた。


併し、その後いつからか韓国は、日本と戦って独立を勝ち取ったと嘘を言うようになり、建国記念日を「光復節」と呼び、建国日も二日ずらして日本の敗戦日である815日に変更した。今では「光復節」は、日本から解放された日、独立を獲得した日として祝日とされている。併し、流石に米国陸軍司令部軍政庁に3年間統治されていた事実までは誤魔化せずに、建国年は1948年のままとしたが、日本と戦って独立を勝ち取ったという虚偽の歴史に真実味を持たせる為に、日本の敗戦日を「光復節」などと読んで祝っている。このような幼稚な嘘を史実とするくらいに韓国の歴史は嘘に塗れている。


現在の韓国は絶対に認めようとはしないが、日本に併合を懇願してきた時の大韓帝国は、日本が清国を破り下関条約で清国から独立させた、謂わばよちよち歩きの独立国家であった。


大韓帝国が、民王朝の冊封国であった時の国名が李氏朝鮮(李朝)である。李朝は、1392年に高麗の武将李成桂太祖が恭譲王を廃して、自ら高麗王に即位した事で成立した。李成桂は翌1393年に明から権知朝鮮国事(朝鮮王代理、宗主国から「代理」の称号を与えられるのが当時の朝鮮王の意味なのである)に封ぜられた。朝鮮という国号も李成桂が明の皇帝朱元璋から下賜されたものであり、明から正式に朝鮮国王として冊封を受けたのは太宗の治世の1401年であった。支那の王朝が明から清に変わった17世紀以降も、引き続き李氏朝鮮は清王朝の冊封体制下に移行した。


1894年の日清戦争に日本が勝利した後に、日本と清国との間で結ばれた「下関条約」が、李氏朝鮮に清王朝を中心とした冊封体制からの離脱と近代国家としての独立を齎らした。これにより李氏朝鮮は1897年に国号を大韓帝国、君主の号を皇帝と改め、以後日本の影響下に置かれた。大韓帝国の国家主権は事実上、冊封体制下に於ける清朝から日本へと影響を受ける主体が変化するものであった。


1904年の第一次日韓協約で日本人顧問が政府内に置かれ、翌1905年第二次日韓協約によって日本の保護国となり、1907年の第三次日韓協約によって内政権が日本に移管された。こうした過程を経て19108月の「韓国併合ニ関スル条約」調印によって大韓帝国は日本に併合され、朝鮮民族の国家は消滅した。今の韓国政府や日本政府・文科省がいうような旧日本軍による武力侵攻などどこにもなかった。


日本や支那を始めとした国際社会では、朝鮮半島に嘗て存在した朝鮮を国号に持つ王朝と当時の朝鮮が全く別の国家であった為、混同を避ける意味から「李氏朝鮮」或いは「李朝」と呼び慣わした。併し、現在の韓国政府は自国が古い歴史を持つ国家でありたいとの願望に真実味を持たせる為に、古朝鮮と李氏朝鮮という全く関係のない国を同一のものと主張し、日本で見られるWikipediaの記述も、おそらく在日たちの工作なのであろう、古朝鮮と韓国の連続性を認めるような記述になっている。


対外関係を主体にみると、244年に及ぶ明の朝貢国であった時代(1393年~1637年)と、257年に及ぶ清の朝貢国であった時代(1637年~1894年)、清と欧米の列強および日本が朝鮮に対する影響力を巡って対立した末期(19世紀後半~1910年)という3つの時代区分に大きく分けられる。


日本は1910年に、大韓帝国と国際法に則った併合条約を締結したが、そもそもその併合は清からの圧力やロシアに侵略されそうな危機的状況だった大韓帝国側に求められてのもの。更に、当時の大韓帝国は自国の国家経営もまともにできず、諸外国から手当たり次第に借金を重ね、自国の力では到底返済できない破綻状態にあった。併合により日本はその借金を全額返済した。現在の韓国はこのような史実を必死で隠蔽しようとしている。


日本としても、当時、南下政策を取っていたロシア帝国の脅威に、日本単独で対峙するよりも、大韓帝国に確りとした主権国家になって貰い、共にロシアに対峙したいところであったが、大韓帝国の余りの不甲斐なさに、大韓帝国側からの併合要請を受けざるを得なかった。欧米列強諸国は朝鮮半島を手に入れても得する事は何もないと見抜いていたから、軒並み「日韓併合」に賛成した。


当時の朝鮮は赤貧状態で、500年以上、社会は全く進歩していなかった。学校も病院も警察署もなく、平均寿命も二十代後半で、入浴の習慣も、上下水道もない悪臭漂う不衛生な未開の蛮国だった。一方、日本はその頃からモンゴルや清、そしてロシアに対しても戦争で勝利し、軍事的強国となっていた。当時は戦争が国際法で認められていた時代である。従って、日本が大韓帝国を侵略する気になれば、当時の常識に照らしても、いちいち朝鮮半島の原住民の承認を得る必要などなかった。ただ単純に武力制圧すれば済む。それが合法的で最も効率的な方法であったが、日本はそうはしなかった。


日本は欧米列強諸国の賛同を得て、正式に日韓両国が同意できる内容の条約をつくって調印した。勿論、併合は大韓帝国議会も大韓帝国皇帝も公式に批准・支持したし、米国や英国などの列強諸国もそれを歓迎した。要するに、当時の日本人は「白人が土人扱いしていた朝鮮人」を同じ人間として扱い同胞として迎えたのである。その日本の慈愛に満ちた優しさが後に韓国を増長させる原因になった。当時ここまで平和的・合法的な併合など世界的にも類を見ないものであった。


当時、朝鮮半島を我が物にしようとしていた清国とロシアにしてみれば、大韓帝国が強国日本に保護されてしまっては内政干渉も侵略も諦めざるを得なかった。清露という大国ですら併合に反対できないほど、日本の力は強く、国際社会も認める完璧に合法的な条約により「日韓併合」は為されたのである。


このような経過を経て朝鮮半島は日本の一部になった。以後、日本は「内政の一環として」莫大な資金と人的資源と技術を投じて、朝鮮半島の発展、繁栄に尽力した。当時は日本も決して豊かな国ではなかったが、新しく日本国民となった朝鮮人の為に、毎年国家予算(血税)の2030%を朝鮮半島近代化の為に投入した。今の韓国政府や韓国人は日本が韓国を侵略し、収奪をし、産業を奪ったなどと言うが、当時の朝鮮半島には収奪できる資産も奪う産業も何も無かった。


李朝時代、朝鮮全権大使として米国に渡った政府高官に李成玉という人物がいたが、彼は他民族に接して、朝鮮人は米国人に軽蔑されているインディアンより劣り、その他メキシコ、インドなどの民族より劣っていると見做されている現実を肌で感じ取り、衝撃を受け、次のように述べている。


「現在の朝鮮民族の力量を以ってすれば、とても独立国家としての体面をもつ事はできない。亡国は必至である。亡国を救う道は併合しかない。そして併合相手は日本しかない。欧米人は朝鮮人を犬か豚のように思っているが、日本は違う。日本は日本流の道徳を振り回して小言を言うのは気に入らないが、これは朝鮮人を同類視しているからである。そして、日本人は朝鮮人を導き、世界人類の文明に参加させてくれる唯一の適任者である。それ以外に我が朝鮮民族が「豚の境涯」から脱して、人間としての幸福が受けられる道はない。日韓併合が問題になるのは、変な話だ。我輩の併合観は欧米人の朝鮮人観を基に考察したものだ。」

(朝鮮全権大使 李成玉『李完用侯の心事と日韓和合』)


併し、「当時は国民総出で歓迎し、日本により齎らされた近代的・人間的生活を享受できた併合時代」も「日本が敗戦して米国に統治され、そこから棚ぼた式に独立して主権国家となった韓国にとっては、自尊心を傷つける恥ずかしい過去」という事になるようだ。


朝鮮民族の側から併合を希望した事を認めてしまうと「当時の大韓帝国が世界で最も貧しく弱かったという恥ずかしい過去を認める事になる」為、「日本が大韓帝国の親日内閣に強要して、平和で幸福に暮らしていた我が民族の国権を強奪した」という今の韓国に都合のいい嘘を教科書に書いて国民を欺く事に徹した。韓国の国史(歴史)教科書には真実をそっくりそのまま逆に書かれている。国史教科書に限らず、虚偽に満ちた反日の記述は国語教科書や音楽の教科書などでも徹底されている。


自国民に真実を裏返しに教育して隣国を憎むように仕向けるなど、韓国という国は実に罪深い国家である。歴史こそは、それを学んだ人物の人生観を決定づける教科であり、様々な教訓に満ち溢れている。嘘しか教育される機会のない韓国国民は可哀想である。斯くいう日本も、戦後教育という『東京裁判史観』に捻じ曲げられた歴史観を独立後65年経っても続けており、強硬に虚偽の歴史を押し付けてくる韓国に「配慮」して、韓国の歴史観をなぞるような教育をしている。日本は何としても『東京裁判史観』を克服しなければならない。


韓国や日本の文科省がどんな嘘の歴史を教育しようとも「朝鮮人が日本国民に迎えられ、米国や支那と戦争をした」事は、世界中の誰にも否定できない史実である。日韓併合条約にはこのようにある。


日韓併合条約 1910(明治43)年822日調印

第一条 大韓帝国皇帝陛下は大韓帝国全部に関する一切の統治権を、完全且つ永久に日本国皇帝陛下に譲与す。

第二条 日本国天皇陛下は前条に掲げたる譲与を受諾し、且つ大韓帝国全てを日本帝国に併合することを承諾す。

(以下省略) 


要するに「大韓帝国皇帝の申し出」を、日本の天皇陛下が「承諾」したのである。


彼等はこんな明白な史実や条約ですら強引に否定しようと躍起になっている。甚だしくは「日韓併合条約そのものが無効だ」と強弁する者まで出る事には唖然とする。彼等は自分たちが嘗て日本人になった事を喜んだ事実や、大東亜戦争が始まると、朝鮮人は7.3倍~50.6倍の狭き門に我先にと群がって日本兵になるべく志願した史実には知らぬ顔を決め込んでいる。そして、現在では中共の支援を受けて、中共と一緒になって日本の歴史を筋違いに非難しているのである。韓国人は自分たちが「敗戦国の戦争当事者」であったという事実は絶対に認めたくないようだ。


同じ敗戦国ドイツに併合されていたオーストリアも敗戦直後は韓国同様に「自分たちは被害者だ」と筋の通らない事を主張したが、ヨーロッパ諸国に窘められると、当時のカール・レンナー大統領は「我が国の若者もドイツ軍に志願した加害者である」と認めて、ヨーロッパ諸国に好意的に評価された。フランツ・フラニツキー(当時)首相もイスラエルを訪問した際、「我が国もナチスに協力してユダヤ人を迫害した」として国家として正式に謝罪した。これがまっとうな国が取るべき態度である。


併し、責任逃れの為ならばどんな卑劣な嘘も辞さないのが朝鮮民族である。韓国人が言う「日帝強占・植民地搾取」が嘘である証拠は幾らでも示す事ができる。


▪️日本統治時代、面(村)では、日本人100人に対して朝鮮人44,000人であった。こんな少人数で強圧的な政治などできる筈がない。朝鮮人たちの協力があって初めて朝鮮半島の統治が成果をあげたのである。

▪️朝鮮総督府を始め、道庁知事・議員・役人・警察官などは、80%以上が朝鮮人であった。この実態を韓国人たちは知らないし、認めようとしない。

▪️朝鮮総督府は、朝鮮人から土地を奪った事実はなく、耕地可能な農地面積を倍増し、朝鮮人に所有させた。これのどこが土地収奪になるのか?

▪️朝鮮総督府では治山事業の一環として「火田民」対策も行なった。「火田民」とは原始的な焼畑農民の一種。各道庁に担当部署を設け、火田民500戸を単位とする「山農指導区」を組織し、一般の農業や酪農の技術指導に当たった。

朝鮮半島に於ける日本政府の善行をいちいち挙げていったら切りがないほどである。


昭和30年代、日本人の優しさに漬け込んで、保護を求めて「火田民」が密航して来て子供を「大村収容所」に残して帰ってしまうという事件が続発した。戸籍が無いから国籍が無い。そういう朝鮮人が30万人以上も日本に密航してきて、現在の「在日」の先祖の一部となっている。そういう彼等が、日本を憎み、貶める事に喜びを見出しているのだから、本当に迷惑な話である。


韓国は「日韓併合」が不法であったと国際社会に認めてもらおうと様々な画策をしてきた。以下に産経新聞の記事を部分引用する。


「日韓併合不法論」支持せず 国際会議で英の学者ら 韓国主張崩れる


日韓併合について合法だったか不法だったかの問題をめぐり、平成1311月に、米ハーバード大で開かれた国際学術会議で第三者である英国の学者などから「日韓併合」合法論が強く出され、国際舞台で不法論を確定させようとした韓国側の目論見は失敗に終わった。(中略)


この学術会議は米ハーバード大アジア・センター主催で1617日、開かれたが、韓国政府傘下の国際交流財団が財政的に支援し、韓国の学者の主導で準備された。これまでハワイと東京で二回の討論会を開き、今回は韓日米の他、英独の学者も加え、謂わば結論を出す為の総合学術会議であった。(以下略)

20011127日『産経新聞』東京朝刊)


このように「日韓併合」は国際法上、何の問題もなく合法的であったと各国の国際法学者が結論付けている。日本政府・外務省の無策により、国際社会ではとかく韓国の捏造が史実として定着してしまう事例が多い。併し、きちんとした証拠を示して第三者に公平な判断を仰げば、韓国の主張が嘘であると明確に証明される事例もあるという事だ。日本政府は、外務省や文科省のやる気のない役人を場合によっては総入れ替えするくらいの覚悟で、貶められた日本の名誉回復に努めていただきたい。

現行の「日本国憲法」は、このまま生きながらえさせてはいけない「亡国憲法」である。現実主義的政治手法も結構だが、憲法を護り通す事で、大和民族の気高き精神性が滅び去ってしまうのでは意味がない。現行憲法改正を自己目的化するのは本末転倒である。喫緊の課題は飽くまでも、「この日本を日本人の手に取り戻す」事であり、「本来の日本を子々孫々に伝え続けていく事である」。その為に、越えるべき障害を避けて現行憲法改正のみにひた走るのは早計の誹りを免れない


敗戦直後から現在に至るまで、朝鮮民族が日本人にした恩を仇で返すという恩人への裏切りともいうべき残虐非道な行為は決して許されるべきものではない。朝鮮人たちは、朝鮮半島で日本人引揚者を少なく見積もって10万人以上は暴行の果てに大殺戮しているし、敗戦直後の数年間というもの、長年日本人と苦楽を共にしてきた在日朝鮮人たちは、昨日まで友であった日本人に対して、筆舌に尽くし難い蛮行を働いた。これは今も残る数々の歴史的資料が嘘偽りなく語ってくれる真実であるが、何故か現在の日本では、この真実を語る事がタブー視されている。


日本人の誰もが敗戦日として記憶している天皇陛下の「玉音放送」当日の、1945815日から、連合国軍最高司令官総司令部(GHQSCAP)による占領統治が始まる1945102日までの空白のひと月半の在日たちの乱暴狼藉は特に酷かった。これは朝鮮半島でも言える事で、朝鮮半島の38度線以南の現在の韓国にあたる地域は、「在朝鮮米国陸軍司令部軍政庁」が3年ほど統治したが、矢張り米軍政庁の統治が始まるまでの空白の23日間の無政府期間に在朝邦人が被った被害もまた筆舌に尽くし難いものであった。特筆すべきは、無政府状態終結後も朝鮮人の蛮行が続いた事である。


余り語られる事は少ないが、朝鮮半島の38度線以北の現在の北朝鮮地域には、日本の敗戦日である815日より前の81011日には旧ソ連軍が侵攻してきて、多くの在朝邦人がソ連兵に襲われ、集団的に略奪・暴行・強姦・殺戮などの凶行を受けたが、ソ連兵の暴虐の直後からは、自称「朝鮮保安隊」による鬼畜の蛮行が生き残った在朝邦人に襲い掛かった。朝鮮北部に居た日本人が受けた蛮行は、現代日本人には想像を絶するものであっただろう。治安を維持するべき組織が襲いかかってくるのだから在朝邦人は只々逃げ惑うしかなく、朝鮮半島は宛(さなが)ら地獄絵図と化した。


こうして命を落とした在朝邦人や日本人引揚者の遺骸は誰にも弔われる事なく野晒しにされ風化するに任せられ、現在に至るも朝鮮民族が土足で踏み荒らしている。朝鮮半島は日本人にとっては永遠に「不浄の地」なのである。日本は朝鮮半島で落命した同胞の無念を絶対に忘れてはいけないし、同胞の遺骨収集と無念を晴らす目的以外では、日本政府と日本人は、今後は何があろうと朝鮮半島に関わってはいけない。現在は韓国の地で実業に励む日本人や旅行者も多いが、彼等の無知による先人の無念に対する鈍感さは、史実を知る日本人としては許しがたい行為であり、本人たちはそれと意識せずとも、自らが先人の魂を冒涜している事に気付くべきである。(真実を隠す日本政府の責任は重い!)


ソ連軍の統治や米軍の統治が始まったからといって、朝鮮半島に於ける朝鮮人や、日本に於ける在日南北朝鮮人たちの蛮行の取り締まりが始まった訳ではない。ソ連軍は邦人保護などしなかったし、米軍MPは意図的に在日の悪行を見逃した。寧ろ、米軍は配給統制品の優先的割り振りや、米軍払い下げ物資の横流しなどで在日たちを優遇した。それは日本の実情に精通した在日たちに「公職追放対象者の名簿」をつくらせる事などへの報酬であった。そうして手に入れた物資を闇市で売り捌く事で在日たちは小金を貯めると、駅前一等地の日本人の土地で勝手にパチンコ店や貸金業を始めて更に金儲けに励み一端の実業家を気取った。焼肉屋や風俗業を始める在日も多かった。


併し、真の在日たちの悪行とはそんなものではなかった。闇市で商売をする為には、日本人商人の物品を強奪する為に殺人も犯したし、付近の農家から盗んできた牛をその日のうちに解体して飢えた日本人に牛鍋を高値で売りつけて暴利を貪った。在日は危険な麻薬や密造酒なども日本人に売り付けたりもした。何よりも疎開中の日本人の家屋に勝手に住み着いて、帰ってきた一家に対しては「ここ私の家」などと言い放ち、強硬に居座り、酷いケースでは住人を徒党を組んでの暴力で追い出して我が物とした。武器携行を許されない日本の警察など舐め切っていたから、役場や警察署、刑務所などへの襲撃も数限りなく起こして命までも奪う凶悪な在日たちが大勢居た。


今では「朝鮮進駐軍」という存在を否定する日本人さえ居るが、自分たちを戦勝国民と言い張り、戦勝国民なのだから我々は「進駐軍」だと言って、旧日本軍の特攻服から日の丸を剥ぎ取った物を好んで身に着けて街中を闊歩し、目が合ったと言っては暴力を振るい、目に止まった婦女子への暴行などを平然と繰り返した。朝鮮人の眼に余る行動を注意して撲殺された日本人もいたが、殆んどの日本人は朝鮮人を恐れて逃げるばかりだった。長い歴史上初の敗戦というパラダイムの大転換は日本人を押し並べて臆病者に変えてしまった。日本中で大暴れした「朝鮮進駐軍」を僭称する者たちは軽く3万人を超えたと言われている。


彼等の余りの暴挙に手を拱いている丸腰警官たちに痺れを切らした任侠ヤクザが立ち上がり、街中で米軍払い下げの小火器や手榴弾を使っての市街戦まで繰り広げたが、流石にその時は米軍MPも見兼ねて鎮圧に出動した。皇居襲撃を企てた不逞鮮人暴動の際にもMPが出動して事無きを得たが、在日による数々の暴挙によりGHQSCAPが関わって米軍側の記録に残った事件だけでも、在日朝鮮人の手にかかって命を落とした日本人は4,000名はくだらない。


日本政府は現在に至るも、こういった朝鮮民族が日本人に対して行なった過去の朝鮮半島に於ける蛮行や、日本本土での犯罪行為について一切明らかにしようとしない。在日たちが不当に居座った日本人所有の土地は、焼け野原になって再度区画整理された時には在日の名前で登記されてしまったが、それも日本政府は本格調査をする事なく追認した。如何に敗戦したからと言ってこのような暴挙が許されて良い筈はない。ところが日本政府と各自治体は、事を荒だてまいと臆病風を吹かした自らの罪を恥じてか、現在では在日たちと共謀して必死に真実を隠蔽している始末である。


日本を大東亜戦争に追い詰めた米国の陰謀や、言うに言われぬ深い事情が有ったとは言え、独立を果たした後も、自らの戦争責任の総括もせず、自国民が外国人から受けた鬼畜にも劣る数々の蛮行の一切を不問に付す、戦後の日本政府の恣意的な不作為は、正に卑怯な臆病者がとる行為で、タブー視したからといって不都合な真実を歴史から消し去れるものではない。日本政府は起きた事は起きた事として韓国政府や在日たちの反発など恐れずに、潔く真実を公表するべきだ。日本国民は先ず何もしてこなかった日本政府の責任放棄とも言える不作為を黙認せず、少々事を荒立ててでも糾弾すべきである。憲法改正問題など、こういった不条理を放置した日本政府がけじめをつけてからで良い。


綿密で用意周到な200余りの都市部への米軍による絨毯爆撃や、広島・長崎に対する人体実験である原子爆弾の投下は、無辜の民に対する大量焼殺であり大量爆殺に止まらず、民間人犠牲者90万人に加えて、現在に至るも被曝した日本人を17万人以上も苦しめ続けているが、日本政府は、米国政府にも、韓国政府にも、旧ソ連にも、ソ連の跡を継いだロシア政府に対しても、日本人被害者についての責任を問う事は一切していない。戦争である以上、人的被害が出るのは致し方ないとしても、上述した被害者たちは、所謂「戦争被害者」と一括りに語ってはいけない、本来なら被害を受けるべき謂れのない人々である。それは敗戦後に武装解除した後にシベリアなどに抑留され、極寒の地で果てた元日本兵の方々にも言える事である。


戦勝国たる米国の傲慢さや、戦後の安全保障を米国に頼む敗戦国の立場が弱いのは分かるが、日本政府は毅然と抗議するべき諸問題には一切口を噤んできた。国家として、人間として、言うべき事は堂々と相手にぶつけるべきではないか? 本当に糾弾されるべき戦争犯罪や、朝鮮民族や、ソ連兵による蛮行に時効などない。見て見ぬ振りをし続け、史実を無かった事と済ませようとする日本政府には国家を預かる資格すらないと言わざるを得ない。歴代の政権は本当に情けなく、自らが重大な責任放棄をしている事実を恥じるべきだ。日本が誇りある主権国家として立ち直る為には、「過去の総括」は絶対に避けては通れない道である。


米国も日本も戦場に散った兵士たちの遺骨収集は現在に至るも決して疎かにしてはいないが、日本政府は朝鮮半島で大虐殺された民間の在朝邦人や引揚げ途中に被害を受け、無念のうちに命を絶たれた民間人の遺骨収集には全く興味を示さず、精々、北朝鮮から呼びかけられた遺骨販売ビジネスに対応してきただけである。何も韓国のように薄汚い被害者ビジネスをしろというのではない。「国家としての、人間としての、けじめ」を付ける必要があると言いたいのだ。相手国の建前や国民感情がある事だから、謝罪も賠償も全く期待できはしないが、「国家としての、人間としての、けじめ」から目を背けていては、日本という国家、大和民族、そして一人ひとりの人間としての、誇りある未来は無いと断言できる。


今でこそ米国は白人のみに依らない多民族国家に変容しつつあるが、トランプ新政権の「アメリカ・ファースト」には、少数化しつつある白人支配を取り戻したいとの実現不可能な裏の真意が透けて見えるし、白人たちの意地ましいささやかな抵抗とも思える。


日本を統治したGHQSCAPの遣り方は、白人宗主国独特の型通りの分割統治であった。被占領国民同士を互いに憎しみ合わせ少数の白人で統治する伝統的やり方、則ち、日本国民と在日朝鮮人を意図的に敵対させ、日本の占領統治を容易にしたのである。下衆な朝鮮民族は米国の期待に如何なく応えて、日本国民に対して有らん限りの鬼畜にも劣る行ないを為し、今では、その史実を隠蔽しようと日夜画策している。史実隠蔽には偽りの戦後教育を放任する日本政府の無責任ほど重宝なものは無いし、マスメディアの在日支配はほぼ完了し、今ではネットの世界にまで在日たちの言論統制は広まっている。


ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)、3R5D3H政策、公職追放令、検閲による言論統制や、東京裁判の強行による自虐史観の押し付け等々、これら総ては所謂『東京裁判史観』という言葉・概念に収斂される。『東京裁判史観』は、日本人に偽りの贖罪意識を植え付けているから、『東京裁判史観』を肯定する戦後教育を受けた国民は、米国と特亜三国、そして在日たちの嘘を丸々信じるように仕向けられている。


米国の悪辣な占領政策と在日たちの反日敵対工作により、日本国民の精神はほぼ完全に破壊されてしまった。極め付けが『日本国憲法』の事実上の強要であった。日本国民の総意に基づくとされる「日本国憲法」であるが、当時の日本国民は餓死者が出るほど皆、飢えていて、憲法どころでは無かった。庶民はその日を生き抜くのに必死で、憲法や政治の事など考えるゆとりなど無かった。苦しい総力戦の戦争が終わり、朝鮮人たちが暴虐の限りを尽くしていたが、米軍により日本国民には自由が告げられ、皆、これからは民主的で平和に暮らせる世の中になると信じてその日暮らしに追われていたのである。


「日本国憲法」の条文に注意を向ける庶民など皆無であった中での憲法制定であり、国民無視の中での「日本国憲法」の誕生であった。現在の日本の似非保守勢力は現行憲法改正を良しとしているが、頭脳明晰である筈の識者たちは、占領期間中の占領国側が、憲法制定などの重要法を敗戦国・被統治国に強いる事を禁じている国際法を無視している事を恣意的に見過ごしている。このような「亡国憲法」など、さっさと破棄していれば、北朝鮮による日本人拉致事件なども起こらなかった。これは自衛隊の特殊部隊幹部の切実な感想である。


現行の「日本国憲法」は、敗戦国統治中は重要な法律を押し付けてはいけないという国際法違反の産物なのである。66年間、問題なく機能してきたのだから、「日本国憲法」誕生の違法性など、もうとやかくいうのは止めにしようなどというのは、「憲法」というものが我が国の最高法規である以上、あってはならない考え方である。「憲法」というものは、その国家とその下に置かれる国民の生涯を左右する。だから米国は、日本を二度と再び白人列強国に逆らえない腑抜けた国民に、一人前の主権国家として再起できない国家に貶めておく為に、愚民化憲法・亡国憲法とも呼ぶべき「日本国憲法」を日本に押し付けて行ったのである。


戦前の国際社会を維持してきたウェストファリア体制の精神に反し、然も、明確なハーグ陸戦協定違反であり、何よりも敗戦段階に於いても機能していた「大日本帝国憲法」に抵触する形で、実施不可能な状態での「偽装改正」なる如何わしい手順を踏んで日本に押し付けたのが、僅か1週間でつくりあげた英文の日本国憲法草案である。66年間、手付かずにしてきた事実を以って現行憲法を正統化するなどという考え方は成り立たない。「日本国憲法」は習慣法などではないのだから。


現行憲法に慣れ親しんだ現在の日本社会が容易に認めはしないからといって、搦め手からお茶を濁すような遣り方での現行憲法改正を進めるのでは、政治家は怠惰の誹りを免れない。それどころか、愚民化しきった日本国民の多くは、安倍政権に対して「日本に軍国主義を復活させるのか」などという愚かな非難を浴びせるだろう。憲法論議の前に「歪んだ国民意識の正常化」こそが必要なのである。憲法改正それ自体を目的化しては本末転倒である。道は遠く、壁は高くとも、日本人の国民意識を変える手間を避けてはいけない。それこそが本来の目的であるのだから。


先に述べた、日本に不当に居座り続けている『在日韓国朝鮮人問題』と『東京裁判史観』に捻じ曲げられた国民意識の改革もせず、現行憲法の条文を変える、或いは加えたところで、「大和民族の気高き精神性」の再生には何も資するものはない。最も大切なものは、形骸的国家概念でも紙に書かれた憲法でもない。これからも連綿と続いていく日本国民の生き方こそが重要なのである。


今、日本は未曾有の危機に晒されている。則ち、「漢民族と華僑ネットワーク」による歴史戦の果てに待ち構えている「日本侵略」であり、朝鮮民族による遣りたい放題の「日本乗っ取り行為」である。この危機の前には、現行憲法改正などに政治的労力に割ける時間などない筈である。識者ぶった不勉強な者たちには、日本が置かれている危機的状況も、現行憲法改正の無意味さも、理解できないのだろう。


先ず、最低限の予備知識として理解するべきは、所謂「日本国憲法」制定過程の違法性であり、戦後の日本一国の平和を護ってきたのは「日本国憲法」などではない現実である。現行憲法の改憲論議を始める前に政府は日本国民に「ウェストファリア体制の精神」や「ハーグ陸戦協定」の存在を説明し、『大日本帝国憲法第73条の改正条項』と『第75条』の意味を正しく解説するべきである。


また、国民の多くが「憲法の条文が平和を護ってくれる」というのなら「尖閣諸島・竹島・北方四島は日本の領土である」と明記すれば領土問題など簡単に解決する筈だが、現実にはそんな事は有り得ない事なのだと諭すべきだ。同様の理屈で、憲法九条を少しばかり改変したところで、一番大切な「日本国民の意識」は何も変わりはしないと気付くべきだろう。


些か乱暴な言い方をすれば、仮に中共が尖閣諸島に侵略してきた場合、自衛隊は凡ゆる手段を用いてそれを阻止するだろう。凡ゆる手段の中には「超法規的措置」も含まれる。国際社会に於いて主権国家には自衛権が認められているのは周知の事実であり、それを行使する行為に反対する主要国など存在しない。その時に備えて兵器体系を抜本的に見直して置く事は言わずもがなである。「アメリカ・ファースト」の米国など、大和民族の命運を賭けるに値しない。嘗て、米国がフィリピンに為した裏切りの歴史から日本人は米国という国の本質を学ぶべきだ。


駐留米軍の自衛隊への期待や具体的要求は時々刻々変化してきている。日本だけが「日米安保」に全幅の信頼を置いて「専守防衛」などと生温い言説を弄しているが、仮に、米国と中共が手を握った場合、旧態依然としがみつく「米軍と自衛隊の盾と矛の関係」など何の意味も為さない事は火を見るよりも明らかである。


最近は遣わなくなった言葉らしいが「策源地攻撃能力」を日本は一刻も早く備えるべきであるし、外交上の抑止力については文字通り抜本的に見直すべきである。軍事の専門家ではないから詳細な具体的戦略立案はできないが、「自国が攻撃されない為には相手が恐れをなすほどの報復手段を持つべきだ」という事くらいは理解できる。それが抑止力というものではないのか? 


繰り返すが、最も大切な事は「大和民族の気高き精神性の再生と継続」である。在日韓国朝鮮人たちに穢された現実に気づきもしない今の日本人が、延々と生き延びて韓国化した日本を子々孫々に伝えて行くのでは何の意味もない。それでは、日本という気高き国の存在価値は消滅してしまう。「大和民族の気高き精神性」を子々孫々に伝えていく事にこそ日本という国の存在意義が活きるのである。


現状のように平和呆けして、朝鮮民族に穢されてしまった日本人の国民意識を「本来の日本人、大和民族だけが持つ資質」の再生にまで高めていくのは決して容易い事ではなく、様々な困難を乗り越えなければ為し得ない事である。併し、先人が命懸けで護ろうとしたものは何であったのかを現代の日本人は真剣に考え抜き、それこそが「大和民族の気高き精神性」であったとの真理に辿り着くべきではないか? そうでなければ散華された英霊が浮かばれない。


現在の日本は、政・財界は言うに及ばず、法曹界・教育界・メディア界・芸能界など、驚くべき広範に亘って朝鮮民族に蹂躙されてしまっている。フォーブスの長者番付を見ると日本の資産家の殆んどはパチンコ業者とサラ金業者ばかりなのに驚くし、韓国朝鮮系が支配する一流企業の多い実態にも目を見張る。まるで戦前の財閥と労働者階級を彷彿とさせる貧富の二極分化の再現を狙っているかのようだ。在日一人で日本人庶民50万人分の資産を保有しているとの例え話もあながち大袈裟な表現ではない気がしてくる。


国会議員と官僚(=立法府と行政府)、教育機関、そしてマスメディアを韓国朝鮮系に抑えられているという恐ろしい実態に日本人が気づかないように我々は日々洗脳され続けている。実際、在日汚染の実態を知ると、今となってはもう日本は駄目なのではないかとの無力感にさえ襲われる。日本人が日本企業だと思って疑わないような一流企業の数々も韓国朝鮮系の資本や人材で占められている。


帰化一世に国会議員の被選挙権を与えている現状は大問題であるし、教員や公務員に日本国籍を持たない在日が簡単に就けるのも見直さなければならない。国民世論を如何様にも誘導できるマスメディアの在日汚染の実態にも慄然とする。日々視聴しているテレビ局も、ニュースキャスターも、女性局アナたちも、今では日本人より圧倒的に在日が多い。日本は国民が気づかぬうちに立法府も行政府も教育もメディアも韓国朝鮮系に抑えられてしまっているのだ。


こんな惨憺たる状態を放置して、この「日本を日本人の手に取り戻す」試みも努力もしないまま、国民意識をミスリードされた状態での、現行憲法の改正にどれほどの意味があるのか、心ある日本人は真剣に考え、行動するべきではないか? 現状の韓国朝鮮系の日本の中枢支配の実態を知ると、もはや躊躇している猶予はない事に気付くだろう。

《日本の国と日本人(=大和民族)は、今しも滅亡の危機に晒されている。時代の変化に抵抗して、古き良き時代を懐かしむのはセンチメンタルに過ぎるが、時と共に悪化させてはいけない本質的な良き日本人の資質が、時を重ねるごとに在日韓国朝鮮人の跋扈や韓国朝鮮系帰化人の増加、そして支那人たちの国家戦略的流入により、穢されていく現状は見るに耐えない。日本の指導層は、大和民族の滅亡を防ぐ為に、日本が日増しに穢されていく現状を早急に喰い止める具体策を講じるべきである》


日本が滅亡の危機に瀕しているというのは決して大袈裟な表現ではない。本当に日本人は今、危ない状況に追い詰められている。事の始まりは、1910年の「日韓併合」という、先人の大いなる過ちに始まる。当時の日本の国は貧しく、先進的なサービスや科学技術に囲まれた便利な現代の国民よりもずっと不便な暮らしをしていたが、その精神性を含めて世界に比類なき美しい生き方をしていたと誇れるものであった。日本人が朝鮮半島に近代化と人間的生活を齎らした史実に疑問の余地は無い。これを否定する現代の韓国政府と韓国国民は歴史の真実を逆さまに認識しているのだ。韓国人の怒りを買う事を恐れて、この真理を堂々と主張できない日本政府の何と臆病な事か!


およそ160年前、強欲な米国に開国を迫られ、鎖国を解く際には、支那が英国により如何に薄汚い不道徳な手法で収奪を受けているかを目の当たりにして、日本を支那の二の舞にしてはなるまいと奮起した指導者たちが現れ、国民を一致団結させて明治維新を実現した。それは世界に比類なき「特権階級による特権の放棄」という気高き英断により成し遂げられた。


その後、日本は欧米先進国の近代政治システムを取り入れるべく思案した結果、新政府は天皇の官制大権を前提として近代的な官僚制の構築を目指した。これにより、日本は、封建的な幕藩体制に基づく代表的君主制から、近代的な官僚機構を擁する直接的君主制に移行した。新憲法制定の為に欧州を歴訪した大久保利通にドイツの鉄血宰相ビスマルクは、「我が国は所詮小国の集まりの後発国であり、国際法は英仏などの大国が勝手に決めて我が国はそれに縛られている」と漏らした。日本が、プロイセン国王を君主に戴くプロイセン王国(現ドイツ連邦共和国)の憲法を手本に選んで「大日本帝国憲法」を制定した理由の一端が垣間見える。


「大日本帝国憲法」は、嘗て、聖徳太子の「十七条憲法」しかつくった事が無い日本人が、当時の頭脳を駆使してつくった(当時としては)非常に優れた憲法である。正確には、我が国が独自に憲法を制定したのは国家開闢以来この二回だけである。その後、100年以上も様々な経験を重ねて知識を蓄積した現代の日本人が、「大日本帝国憲法」を軽々に現在の知識を元に批判するのは、「過去を現在の常識で断罪する」行為に等しい愚行である。批判点が見つけられるという事は、より良い憲法に改正できる実力がある事を意味するのだから、何故それに挑戦してこなかったのかを問題視すべきである。それこそ『東京裁判史観』からの脱却への試みに対する米国の怒りを恐れて何もしてこなかった日本政府の「臆病」の成せる技ではないのか?


その「偽善的臆病」とも言える意識は政府のみならず日本国民全般も共有している克服すべき一大欠点となって定着してしまった。この卑しき国民意識を正常に戻す努力を怠ったまま、「国際法と大日本帝国憲法に抵触する形で押し付けられた」現行の「日本国憲法」を66年間もの長きに亘って改憲をタブー視してきたのは国賊とも言える敗戦利得者と在日勢力、そして、歴代政権と日本国民の怠惰が及ぼした悪影響によるものである。特に在日韓国朝鮮人と韓国朝鮮系帰化人による政治と良識のミスリードは、日本の根本を破壊しかねない非常に危険なものである。それは反日的政治工作とも反社会的犯罪行為とも呼べる許されざる行為である。日本人とは明らかに異質な在日たちによる不埒な行動がどれだけ日本を貶めているか、在日たちに支配されたマスメディアは決して明らかにしようとしない。然も、あろう事か日本政府や文科省・法務省なども在日たちの不始末を糊塗する行為に加担している。


日本は「偽裁判」とも言える所謂「東京裁判」の「判決を受け容れた」結果、サンフランシスコ講和条約に批准して、1952年に国際社会への復帰を許されたのだが、その段階から日本は(建前上)自由を許された筈である。自由となったからといって、如何に理不尽と雖(いえど)もひとたび受け容れた判決は覆すべきでは無いにしても、日本政府は所謂「東京裁判」自体の正統性を認めた事は一度もない。あの裁判は戦勝国側の見せしめ的懲罰であり、単なるリンチ(私刑)の域を出てはいない。だから日本政府と日本国民はGHQSCAPの占領統治から解き放たれた1952年以降は、偽りの贖罪意識からも解き放たれなければならなかった。東京裁判の判決に含まれない数々の謂れ無き罪科は一旦ご破算になったのである。日本人はもっと堂々と正しいと信じる歴史を語るべきであるのに、肝心の日本政府・文科省が特亜の悪意にひれ伏して、日本国民に偽りの歴史を教育しているのだから呆れてしまう。このような実情を放置したままでの現行憲法の改正にどれほどの意義があるのか甚だ疑問である。


サンフランシスコ講和条約発効直後の51日、木村篤太郎法務省総裁から戦犯の国内法上の解釈についての変更が通達され、戦犯拘禁中の死者は総て「公務死」として、戦犯逮捕者は「抑留又は逮捕された者」として取り扱われる事となり、戦犯とされた人々の為に数度に亘る国会決議が為された。これにより全会一致で国内法上のA級戦犯は居なくなった。第二次世界大戦に於ける連合国(=戦勝国)は49箇国に及ぶが、当時の日本政府は、日本が掲げた大東亜戦争に関わった戦勝国11箇国全ての同意を取り付けて、A級戦犯とされた人々を釈放し、更に国会決議で恩給や遺族年金を支払う事にした。正式な手続き上、国際的にもA級戦犯は居なくなったのである。然るに、我が日本政府は未だに英霊が眠る靖国神社に参拝する事に難癖を付ける特亜の国に「配慮」して、正々堂々と参拝できない有様である。声高に理不尽な非難を叫ぶ特亜の国の「歴史戦・プロパガンダ戦」に挑戦しようとの度胸が我が国には無いのである。ここでも日本人に植え付けられた悪しき「偽善的臆病」が顔を出している。


「偽善的臆病」は今の日本社会全般にも蔓延している。特に「在日韓国朝鮮人」に対する「配慮」という「偽善的臆病」は度を越している。史実を偏向なき公平な目で確認すれば、それが虚偽・捏造である事が明白な、所謂「捏造性奴隷」や、所謂「捏造徴用工強制連行」、そして現在日本に暮らす在日と呼ばれる韓国朝鮮系の日本国籍を持たない永住者たちの一世を日本軍が「強制連行」してきたという史実捏造を日本政府は正式に在日相手に否定の声明すら出していない。また、大韓帝国政府の度重なる懇願により、国際法に則って条約により成立した「日韓併合」を、韓国政府の虚偽の主張通り、文科省は日本の中学校教科書の「日本は武力により朝鮮を植民地支配しました」との嘘の記述を検定通過させている。これは日本社会に蔓延する「偽善的臆病」による「在日」たちへの配慮などではなく、国家が反日的敵対国家の「歴史戦・プロパガンダ戦」に加担しているという見過ごせない大問題である。


敗戦直後の朝鮮半島に於ける日本人引揚者に対する朝鮮人たちの蛮行や、日本に居座った在日たちによる日本国民に対する数万人規模の「朝鮮進駐軍」を僭称した者たちの組織的蛮行、そして一般の在日たちの不当な居座りや日本人の土地収奪行為に始まる数々の犯罪行為を不問に付して、「加害者」である筈の朝鮮人を彼等の虚偽主張を認めて「被害者」と認定してしまった日本政府の行政措置や政治判断は、このまま将来に亘って追認し続ける事は決して許されない利敵行為であり、先人に対する国家による名誉毀損でもある。在日たちの虚偽の主張に同調する反日的左翼日本人の存在は、悪しき戦後教育が生み出した「正しい判断力を持てない偏向思想に染まった憐れな日本人たち」である。ある意味、彼等反日的左翼日本人は「偽善的臆病」を患った日本政府の被害者でもある。


保守政治を標榜する与党自民党政権の安倍晋三首相は、この「偽善的臆病」を患った国家と国民意識をそのままにして、2020年には現行憲法の改正を目指すというが、「偽善的臆病」に起因する数知れない諸問題を放置しての憲法改正には、多くの「偽善的平和主義」の日本国民が反対するだろう。憲法改正を自己目的化してはいけない。「偽善的臆病」や「偽善的平和主義」、そして利敵行為者・売国行為者とも言える「偏向思想に染まった国民」を「まっとうな政府や国民に立ち直らせる事」こそが、「真の目的」であり、現行憲法改正などその結果でしかない。在日たちに我が物顔に振る舞わせている日本を、古き良き日本、心清き日本人に蘇らせる事こそが「真の目的」なのである。


政界・財界・教育界・メディア界・出版界・法曹界・芸能界を在日たちに牛耳られている現状を変えない限り、日本人の本当の覚醒はないだろう。それは、取りも直さず日本が日本で無くなってしまう事を意味し、これを大和民族の存亡の危機と捉え切れない政治家は、自国の国情に疎すぎる。そういう敏感な感性や当事者能力を失なった鈍感な政治家が、「日中友好」や「日韓友好」などと絵空事をいって血税を無駄に捨てているのである。現在の国際社会は、各国なりの必要に迫られて、「人権至上主義」から「非寛容主義」「人種偏見思想を是とする」傾向にパラダイム転換しつつあるが、日本だけは相変わらず自国民の利益を犠牲にしての「人権至上主義」=「在日擁護主義」、敵意ある異民族への「寛容主義」を改めようとしない亡国思想に囚われている。それは、所謂「ヘイトスピーチ対策法」に如実に表れている。日本に対する在日たちの罵詈雑言や虚偽中傷は不問に付し、日本人による反論だけを禁じる法律を、日本の国会議員、それも保守を自認する政権政党が提案し、国会を通過させてしまうなど正気の沙汰では無い。自民党の国会議員たちは、この悪法を日本の良心だと考えているのだから救いようが無い。


『東京裁判史観』からの脱却に抵抗する偽善者と、在日韓国朝鮮人たちを不必要に擁護しようとする偽善者を育てたのは、第一義的には米国( GHQSCAP)であるが、彼等が日本を去って既に65年が経過した今となっては、この責任は完全に日本政府が負うべき責任である。その責任を全うせずして、自らが助長した抵抗勢力との戦いを回避して、目の前にある現行憲法の改正に奔るのは、本末転倒である。思い通りにならない現実を変える努力を避けて安易な方法論を推進するものは怠惰の誹りを免れない。途方も無い困難と労力を強いられようとも、堕落に慣れ切った国民意識を変える事こそ、日本再生の鍵であり、「大和民族が本来的に守り通してきた気高き精神を失わないまま存続していく」という日本の指導者が背負う使命であり、本道である。日本が生き残るというのはそういう意味であり、この意味を伴わない国家や憲法が存続しても何の意味も無い。大切なのは、大和民族だけが備え持つ気高き精神性を取り戻し、子々孫々に伝えていく事である。


日本に巣喰う在日韓国朝鮮人たちは、日本の敗戦直後に日本人に対して信じられないほどのケモノ的蛮行を働きながら、日本政府が自らの力で治安維持を回復した辺りから、しきりに「自分たちは日本軍に強制連行されてきて日本人から酷い差別を受けてきた」などと、「加害者」である自分たちを「被害者」であると主張し始めた。当時の在日の恐ろしさを身を以て体験した日本人は、在日たちのそんな虚偽の主張を誰も相手にはしなかった。精々「またあんな大嘘をつき始めた」くらいにしか考えなかった。ところが、時が経ち、当時を体験していない日本人は、偽りに満ちた戦後教育の影響もあって、自分たちの両親や祖父母が本当に在日たちを差別したと思い込み、不当に植え付けられた偽りの贖罪意識から、在日たちの主張を信じてしまった。


連合国軍最高司令官総司令部(GHQSCAP)による厳しい検閲や、彼等にとって使い勝手の良い在日朝鮮人たちへの優遇政策は、1952年のサンフランシスコ講和条約発効後には終了しており、当のGHQSCAPも同年428日には日本から去って行ったにも関わらず、日本政府やマスメディアは、恰(あたか)も未だ占領統治中の検閲が続いているかのように、国民に対する捏造教育や報道規制を改めなかった。この段階で日本政府が「独立した主権国家国家」としての自覚を持てなかったのは返す返すも残念でならない。この弱気が現在に至るも大きな禍根を残している。国家開闢以来の徹底的敗戦のトラウマとでも言おうか、武装解除で丸裸にされた日本政府は、自らの無力さと戦勝国米国の強大な無言の圧力を感じて、独立国としての自覚も気概も発揮できなかった。それは宛(さなが)ら生まれながらの奴隷が自由を与えられて戸惑う姿に似ていた。強大と信じ切っていた大日本帝国の敗戦という「一大パラダイムの転換」を受け容れるには相応の時間を必要とする。


敗戦直後、米内(よない)光政海軍大臣が「日本民族は優秀だから50年経てば必ず蘇ります」と上奏したところ、昭和天皇は「朕はそうはおもわない。300年はかかるだろう」と言い切られたという。米内の上奏通り、日本は50年を経ずして目覚ましい経済的復興を遂げたが、昭和天皇のお言葉には日本国民の精神性という深い意味が込められていたのでは無いだろうか? 確かに精神的には日本国民は未だに完全には復興できないでいる。日本国民の多くは悪意に満ちた戦勝国のリンチでしかない似非裁判とその後の長きに亘る洗脳統治により、未だに『東京裁判史観』という精神の深傷(ふかで)から癒え切っていない。日本国民の精神性をご案じになられたお言葉は正に慧眼と言っていいだろう。日本国民の負け犬根性は戦後72年を経過した現在も尚、色濃く残っている。


併し、それはGHQSCAPが、日本国民を半永久的に屈服させるべく施したウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)の成果ばかりでは無い。日本政府の在日朝鮮人に対する余りの警戒心の欠如と、法整備と行政措置の迂闊に付け入ってきた在日たちの一貫した日本居座り工作の結果である。確かに、GHQSCAPによる「公職追放令」により生まれた空席を埋めた敗戦利得者・左翼日本人の愛国心の欠如も、日本の立ち直りを阻害し続けているが、明確な反日感情を持つ外国人(特に朝鮮民族)に「特別永住権」を付与したのは、日本政府の大きな過ちと言える。「特別永住権」は必ずしも朝鮮民族のみを対象としたものではないが、その恩恵に浴しながら日本に罪過を齎らしているのは間違いなく在日韓国朝鮮人たちである。然も、「特別永住権」を在日に付与したのは敗戦間もない混乱期ではなく、経済的発展もピークを迎えた1991年である。紛れもなく、在日の不当なる居座り行為を追認するという当局の無策によるもので、独立回復以後の日本政府の不作為の罪は余りにも重いと言わざるを得ない。


在日たちが主張するように、嫌がる朝鮮人を無理矢理、日本軍が強制連行したというのが本当なら、敗戦直後に日本政府が推進しようとした帰国事業を利用して、大嫌いな日本から日本政府持ちの旅費で母国に帰れた筈であるのに、彼等は頑として帰国を拒んだ。日本人の感覚では理解できないが、建国したての大韓民国も頑なに自国民の受け入れを拒んだ。また、嫌がる彼等に強制的に創氏改名を強いたというのなら、何故、在日たちは好んで通名を使って日本人に成り済ますのか? 隙あらば日本を貶めようと活動する在日たちに「特別永住権」を与えたのは、騒ぐ在日たちに気圧されて永住を認めた取り返しのつかない行政当局の判断ミスである。日本を忌み嫌い、韓国を偉大な国だと盲信しながらも、国に帰れば兵役があり、何よりも殆んどが被差別階級(=白丁などの奴隷階級)である彼等は、韓国籍或いは旧朝鮮籍のまま在日として日本に居座り続け、日本国民より優遇される日本での生活を手放したくないのだ。彼等「在日韓国朝鮮人」たちこそ現代日本が抱える「獅子身中の虫」であり、宛ら癌細胞のように日本国を蝕んでいるのである。


裏切りや誣告行為、自分さえ利益を得られれば良いという考え方や異常とも思える性犯罪の多さなど、在日たちが民族として持つ特性と、真実・信頼関係・誠実さを尊び、互いに助け合って生きる大和民族たる日本国民と在日たちが、同じ国土で折り合いをつけて上手く付き合っていける筈が無い。日本が戦争に破れるまでは、事大主義の朝鮮民族は強い日本人に従順だったから、外見上は上手くやっていけた。併し、敗戦濃厚となり遂には戦争に敗れた日本人を朝鮮人が今までのように友人の如く接する事はなかった。


大陸からの引揚げ経路に朝鮮半島を選んだ日本人たちを待ち受けていたのは、昨日まで共に戦い、共に敗れた同胞の姿ではなく、ケモノのように野蛮で粗野、然も、敗者である日本人と見るや、情け容赦無く襲い掛かり、暴行・略奪・輪姦目的を露わにした鬼畜であった。朝鮮半島の地には、弔いもされず放置された日本人の遺骨が少なく見積もっても10万柱は存在する筈だ。併し、遺体から金歯までも抜き去った朝鮮人たちは日本人の遺体を埋葬もせず風化させ、その上を土足で踏み荒らして、大韓民国となった今も冒涜し続けている。日本政府は国内の在日たちに正当な主張をしてこなかったように、韓国政府にも敗戦直後の日本国民に対する蛮行を一度として問い質そうとした事は無い。それどころか日本人墓地の上に勝手に集落をつくられ、墓石をぞんざいに剥き出しのまま土台に使われた村があるのも知りながら抗議ひとつせず、遺骨収集の交渉さえしようとしない。現在の日本政府は国家として失格である。


日本に居座った在日たちに話を戻すが、日本政府と各自治体は在日韓国朝鮮人たちには腫れ物に触るような対応をしてきた。197610月、社会党(現社民党)の高沢寅男は国税庁に在日韓国商工会議所・在日朝鮮商工会への優遇税制をゴリ押しして、事実上、在日企業を無税化してしまった。企業といっても一般の小規模店舗も含めた利潤追求をする組織全般が日本で活動しながら日本に税金を納めないで良いような仕組みをつくってしまったのである。その内容は


▪️ 在日企業のすべての税金問題は、在日韓国商工会議所・在日朝鮮商工会を協議窓口に交渉し解決する 

▪️在日韓国商工会議所・在日朝鮮商工会の会費は全額損金として認める

▪️民族学校運営の負担金に対しては前向きに解決する 

▪️経済活動の為の第三国旅行の費用は損金として認める 

▪️裁判中の諸案件は在日韓国商工会議所・在日朝鮮商工会と協議し解決する 


この所謂「五箇条の御誓文」と呼ばれる朝鮮人の要求を国税庁の役人が丸呑みした事により、在日企業に個別税務調査ができなくなり、事実上の脱税し放題になってしまったのである。税金を納めないで済ませる具体的な手口は… 


▪️在日企業が、売上を在日韓国商工会議所・在日朝鮮商工会に会費として納める

▪️損金と見做され、利益は出ていない事になる

▪️利益が無いので法人所得税がかからず、法人税・住民税や社員の健康保険料も安くなる 

▪️浮いた金銭はその後、在日韓国商工会議所・在日朝鮮商工会から在日企業に全額返金される

▪️結果、売上が無税となる

▪️パチンコ関連企業の年間売上高はピーク時には30兆円以上とも言われたが、その売り上げに対して国税庁は無税扱いとした


蛇足だが、韓国はパチンコを国民を堕落させると禁止したが、その時々の大統領は日本パチンコ産業の保護を日本の韓国朝鮮系帰化人国会議員に訴えるという身勝手ぶりで、韓国済州島出身と言われている小沢一郎氏などはそれに忠実に応える行動をとってきた。韓国の如き低劣な国が国民を堕落させると禁止できたパチンコを、日本は産業の保護育成を名目に野放しにしているのだから日本政府の恣意的無策には呆れる。パチンコ産業などは朝鮮民族の対日戦略産業なのである。実際に、朝鮮人経営のパチンコに朝鮮人経営のサラ金から借りた金を注ぎ込んで破産する日本人が後を絶たない。日本国民でも無いのに不正に生活保護を受給して働きもせずにパチンコに明け暮れている在日は膨大な人数に及ぶだろう。彼等は独自の手法で日本人より多額の生活保護費を受け取っているのだから、サラ金のお世話になる事もなく悠々自適に自堕落な生活を送っているのである。


安倍政権は国家戦略特区を設け、そこにカジノを導入するとしているが、ラスベガスを仕切っているユダヤ人資本家とともに、日本のパチンコ産業大手のアルゼなども参入に名乗りを上げている。WHO(世界保健機関)は、「ギャンブル依存症は病的賭博、つまり病気である」と認めている。2015年に厚生労働省がパチンコ依存症の調査の為に、成人約4000人に面接調査を実施した。その結果、ギャンブルについては、国際的に使われる指標で「病的依存症」に当たる者は男性8.7%、女性1.8%だった。海外の同様の調査では、米国(2002年)1.58%、香港(2001年)1.8%、韓国(2006年)0.8%などで、日本は際立って高い事が判明している。この日本にカジノを導入するという安倍政権の神経は理解不能である。寧ろ、明らかな被害者を大勢出している事が明確なパチンコ廃絶に力を注ぐべきであろうに。


国際観光産業振興議員連盟(通称、カジノ議連)は、社民党、共産党を除く日本の超党派国会議員による議員連盟で、略称をIR議連というが、2010414日に参加者74人で発足したこの議連は、カジノの合法化による観光産業の振興を行なうと同時に、パチンコの換金合法化を目的として発足した。参加議員は現在224名に上る。韓国朝鮮系の議員たちの思惑はともかく、日本人で国会議員を志した動機は、この日本をより良い国にしたいとの情熱であったと信じたい。ならば何故このような日本の為にならない議連に集うのか? 森友学園や改憲論議も必要だろうが、日本が朝鮮民族の喰い物にされ、実際に多くの被害国民を出しているというのに、国会で「パチンコ廃絶」を訴える議員が一人も居ないのは何故なのか!


先日の投稿記事で私は、『東京裁判史観』からの脱却・『憲法改正』問題・『在日韓国朝鮮人問題』の解決、という三つの問題を提起した。これらは皆、結果論であり、敗戦により一度は断たれてしまった『大和民族の崇高なる精神の再生』という国民意識の覚醒と存続こそが最終目的であらねばならない。今の日本は、非常に困難な個々の諸問題に毅然として挑戦していかなくてはならない危機的状況にあるのに、国会議員たちのこの体たらくでは理想を語る事すら虚しくなる。我が大和民族は自らの怠惰と、朝鮮民族の悪意に喰い荒らされて、この地球上から消滅してしまうのだろうか? そんな事は絶対に許されないと知りつつ、国をリードするべき政治家や有識者の意識は瑣末な問題に捕らわれて、本質的な危機感を全く感じていない様子を見せられると絶望的にならざるを得ない。日本のリーダーたちには『在日問題』の重大さに一刻も早く気づいていただきたい。

《戦後日本は長きに亘り、余りにも安穏と惰眠を貪り続けてきた。歴代自民党政権の不作為の罪は限りなく重い。併し、現状では自民党政権以外に日本を立て直す力のある勢力は居ない。ならば、政権政党が道を誤らず効率的に日本を再生させるよう、国民側が意識を変えて働きかけていくしかない。それは、現段階では余りにも非現実的な実現不可能に思える状況だが、大和民族の存亡を賭けて戦うと言う意識を持てない日本国民ならば、それはそれでそれまでの民族であると諦めるしかない。事実、我々は今しも滅びつつある》


一般に日本国民は「民度」が高いと言われている。事実、我々日本国民(=大和民族)は、様々な観点から判断して優れた資質を備えていると言えるだろう。一般的に「民度」を語る時の要素として考えられる、道徳律の高さや礼儀正しさ、規律正しさ、正直さ、生真面目さ、他人に迷惑をかけない配慮ができる、律儀さ、等々で判断すれば日本人は確かに高い民度を備えている。現代日本は、近隣諸国や欧米先進国などと比べても、治安は良いし、災害時などでも暴動は起きず、政治への不満があるにしてもデモが暴徒化するなどという事は先ず起きない。何よりも日本人は国民性として嘘を嫌う。そういう諸々の美徳ある国、日本に暮らす日本国民は押し並べて平和で幸せに暮らしている。


併し、「民度」という言葉に〈探究心や愛国心〉と言う「知的生産性」を含めた場合、果たして日本国民の「民度」は高いと言い切れるだろうか? 『東京裁判史観』に捻じ曲げられた「戦後教育」を盲信し、刷り込まれた「贖罪意識」を疑う事も忘れて、今の日本人は自分たちの祖父や曾祖父が悪い事をしたと信じ込んでいる。歴史的には極めて浅い昭和史すらマトモに知っている国民が少ない。愛国者=右翼だとレッテルを貼ったらそれ以上「愛国」という意味について考える事を止めてしまう。そして、一度教えられた歴史についても、それが真実かどうか疑う事をせず嘘か誤認か真実かどうかを探求する行為をタブー視して思考停止してしまう。その結果、日本に永住する外国人たちが嘘をついて被害者だと騙るのを鵜呑みにして、彼等の言い分を疑う事なく受け容れてしまう現代日本人は、決して賢い国民とは言い難い。こういう国民を総合的な「民度」が高いと言えるだろうか?


何よりも明らかに国際法違反により押し付けられた現行の「日本国憲法」を絶対視する教育とマスメディアの嘘を真に受けて、「大東亜戦争」に敗戦して以降の日本の平和は、所謂「平和憲法の第九条」により護り通されてきたと信じるに至っては愚かというしかない。九条にそれほどの力があるのなら「尖閣諸島や竹島、北方領土は日本の領土である」と明記すれば、日本が抱えている領土問題は解決するとでも言うのだろうか? 「民度」が高いと自負する国民が自国の置かれている状況について思考停止しているから、先人が苦労してつくった「大日本帝国憲法」に立ち戻って、日本人の手による憲法改正をハナから諦めて「現行憲法改正」こそが必要だとの彌縫論が所謂保守層の意見の大勢を占めている事に違和感さえ覚えない。原理原則を否定して彌縫主義に奔ろうとする今の保守層を支配する風潮は敗北主義であり堕落である。こう考えると、我々日本国民の知的レベルを含めた「総合的民度」は決して高いとは言い難い。


誤解のないように言っておくが、私は「大日本帝国憲法」を絶対視も崇拝もしていない。当時としては、実によく考えられた優れた憲法であったが、過去を学んだ現代日本人が持っている経験と知識で粗探しをすれば、不備な点は幾つも見付けられる。近代法治国家を標榜する我が国の国民ならば、法律を遵守する事は当然の事として、自分たちの国家をより良くする為には、今ある憲法を絶対視するのではなく、常により優れたものに変えていこうと考え続けられるようにならなければ、自ら「民度」が高いなどとは言えない。我が国が自らの手で「憲法」をつくったのは、長い歴史上「十七条憲法」と「大日本帝国憲法」制定の二回だけである。三回目の所謂「日本国憲法」は、「国際法」にも「大日本帝国憲法」にも抵触した状況下で力により認めさせられた「占領時統治法」でしかない。日本人は日本人としての誇りを取り戻すべきだとしたら、自分たちの先人がつくった「大日本帝国憲法」を現代日本人が総力を挙げて、これからの日本国が必要とするように改正するしか道はない。


これを非現実的だと言う者は、自分が思い通りにならない現実に妥協し過ぎている事を正当化している事に気付いていない。確かに、現実の日本国民は救いようもないほど堕落し、本来あるべき日本人像から遠くかけ離れてしまっている。現行憲法の改正にすら多くの国民が反対する現状は、我が国国民の「民度」が悲惨なほど低いという事に他ならない。安倍首相は2020年には現行憲法をほんの一部だけ改正すると発表された。併し、現状の日本国民の念仏平和主義が変化しない限り実現は難しいのではないかと思うし、寧ろ、その程度で一段落されては、本来的な改憲努力が停滞してしまうという弊害が予想される。北朝鮮のミサイルが日本に着弾でもすれば、国民の意識は変わるかも知れないが、先ずそんな事は起きないだろうし、起こしてはいけない。私は、今の日本がどうしても解決しなければ、将来立ち行かなくなる重要課題は三つに大別できると考えている。


一つ目は、『東京裁判史観』からの脱却。これは、中共や韓国からの「歴史戦・プロパガンダ戦」に堂々と反論できる、詰まりは、我が国の先人が積み上げて来た誇りを護り抜き、国際社会から軽蔑されない主権国家に立ち直る為には絶対に避けては通れない道である。

二つ目は、『憲法改正』を成し遂げる事。これもまともな主権国家として再生する為には絶対必要条件である。現状の国民意識を変える努力をしないまま現行憲法の改憲で済ませるのでは弊害のみが残る。堂々と史上二度目の憲法を時代と国際社会の趨勢に応じて改憲するという高い意識で「大日本帝国憲法」改正に臨むべきである。

三つ目は、『在日韓国朝鮮人問題の解決』である。これこそは、日本(=大和民族)が事実上の消滅を免れる為には、絶対に曖昧にしたままで前に進んではいけない甚だ厄介な重大な問題である。


そして肝心な事は、これらを単独で解決しようと試みるのは不可能であると確と認識する事である。便宜上、理解し易く三つに大別してはみたものの、これらは全てが密接に繋がっており、根は一つなのである。どれか一つだけ取り繕えば良いと言う問題ではない。だから現行憲法改正に拘る安倍首相の考え方には賛成しかねるのである。其々の問題を語る評論家や識者たちに言えるのは、現代日本が直面している問題を巨視的に、或いは総合的・根本的に捉える力が欠如していると言う事に尽きる。インド発祥の寓話に「群盲、像を評す」と言うのがあるが、日本の政治家・知識人・評論家の諸先生方が、今正に陥っている陥穽と言える。現行憲法改正のみに焦点を当てていては根本的問題を見失ってしまう。これは誠に大きな問題であり、当ブログの一回の更新記事で論じ切るのは無理である。今後、折に触れ解き明かしていきたい。


一つ確実に言える事は、今回、安倍首相が発表されたような、『東京裁判史観』からの脱却も疎かにしたまま、『在日韓国朝鮮人問題の解決』も放棄して、「現行憲法改正」のタイムスケジュールを発表するなど、失礼を承知で言わせていただけば、余りにも思慮浅く無謀過ぎる。小さな事から外堀を埋めていくように、国民意識を少しづつ変えて行かなければ日本再生の為の諸問題の解決は無い。先述した三つの問題を同時進行で改善していく為には、そもそも「教育改革」や、事実上在日に支配されてしまった「マスメディアの改革」にメスを入れなければ、国民意識は微塵も変化しない事に思いを致すべきである。誤解して欲しく無いのは、教育改革やマスメディア改革、等々、全てのお膳立てが整ってから、核心部分の解決に着手しろなどと悠長な主張をしているのではない。全てを連動させて物事を進めて行かなければ間に合いはしない。日本はそこまで瀬戸際に追い詰められている。


国際社会の趨勢は、主要各国が国策の失敗という苦い経験から、トランプ米大統領の「アメリカ・ファースト」や、英国の所謂「ブレグジット」、そして敗れはしたもののフランスのマリーヌ・ルペン党首の躍進に見られるように、「反人権・非寛容」の潮流にシフトしている。日本だけが、国民に課せられるべき「責務」を疎かにしたまま、個人の「権利」のみを最大限重要視するという悪しき亡国憲法を改める気配がない。今の日本は不必要と言って良いほどの「過剰な人権擁護と過剰な寛容精神」に溢れている。「責務」を軽視し、個人の「権利」だけを最重要視する元凶こそが現行の所謂「日本国憲法」全体に流れる無責任な思想なのである。これは現行憲法改正で改められる問題ではない。所謂「日本国憲法」の根幹を成す思想こそが、日本を無力化し、亡国の淵に追いやる目的を持った思想なのである。この事実を見失っている日本の指導層には、このままでは我が国と大和民族が滅びに向って突き進んでいる現実が見えていないと言わざるを得ない。

《我が国が抱える解決すべき諸問題の中でも一番厄介なのは、反日日本人の存在である。彼等には彼等の狂った理屈があるのだろうが、自国を愛せない国民はこの日本には必要ない。感情を剥き出しに反日活動する在日韓国朝鮮人たちより始末に負えない。国際的に日本ほど自国を愛せない国民の比率が多い国は少ないのではないだろうか?日本再生には国民の結束が不可欠である。日本人を蝕む反日感情の闇の克服は喫緊の課題である》


「人権」を過剰に重要視する風潮は、現代国際社会で様々な軋轢を生み出し始め、人権先進国を自認する欧米諸国の国民意識を二分している。本来、米国や欧州の先進国は「人権」を非常に重んじて来たという建前だが、実際は彼等ほど歴史的に人権を蔑ろにして来た国家は少ない。最近は人権擁護のメッキが剥げて、移民問題や宗教問題でマイノリティを排斥し、テロへの恐怖も手伝って、人権先進国は軒並み移民排斥や難民受け入れ拒否を表明している。


トランプ米大統領の「アメリカ・ファースト」なるスローガンは、表層は「米国民の利益を最優先する」という自明のものだが、その根底には悪しき白人至上主義という暗く淀んだ意識が流れている。トランプ氏自身がそうと断定はしないが、トランプ支持者の中には白人至上主義団体が存在するし、選挙期間中には表立ったトランプ氏支持を表明しなかった所謂隠れトランプ支持者の中にも少なからず人種偏見を持つ者がいる事は間違いないだろう。


今回のフランスの大統領選挙で敗れはしたものの極右政党のマリーヌ・ルペン候補が33%もの支持率獲得を記録したのも、移民排斥などのそれまで表向きは決して表明しなかった本心である「非寛容精神」が表出したものである。オランダの極右党首ウィルダース氏やイタリア、ローマ市の美人市長と言われるビルジア・ラッジ氏などの台頭も国民や市民が胸に秘めていた「非寛容精神」を堂々と表明する人物に投票する者が増加した結果である。勿論、欧米の変化は「非寛容精神」だけが原因ではなく歴然たる「経済原理」に基づいている事も確かだが、「非寛容精神」或いは「人種的偏見」が皆無とは言い切れない筈だ。


翻って我が日本はどうであろうか? 日本は国民が素直に戦後教育を信じ切っているという弊害もあって、本心を表明する事が未だに憚られている。戦後教育こそ連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)による甚だしい歴史歪曲と真実とはかけ離れた国民教育なのだが、まともに学業に励んだ者ほど歪曲された歴史を盲信しているという皮肉と言って嗤ってはいられない状況をつくっている。GHQ/SCAP の指示により組織された日教組は敗戦利得者の巣窟であり、反日、在日のたまり場であるだけに、真実の戦後史を決して教えようとはしない。真実を教育されない日本人は在日たちへの非寛容は悪と思い込んでしまっている。本心を曝け出し始めた欧米の現状とは大違いである。


敗戦直後からの数年間というもの、日本に居座った在日韓国朝鮮人たちが私たちの祖父母に何をしたかを知らないまま大人になった日本人の多くは、本気で日韓友好が良い事だと信じ切っている。一般論としては国家間が友好関係を築くのは良い事だが、悪辣な加害国でありながら恰(あたか)も被害国、被害者であるかのような虚偽の歴史を捏造し、日本人に差別を受け続けたとの嘘を騙る在日たちとの友好など、有りのままの真実を知り、近現代史、特に戦後史を総括してから考えるべき事である。戦後すぐに行なわれた竹島強奪や、敗戦に打ち拉がれた日本国民に在日たちが如何なる蛮行を働いたかを正確に知らないまま、偽りの贖罪意識に駆られての日韓友好や在日たちとの友情などあり得ないし、何の価値もない。


多くの日本人は、本来の日本人が知っておくべき「日本の神話や歴史」、特に「日本人の始まり」と「日本の近現代史」を教えられないままでいる。表現を変えれば日本人は嘘を教えられて無知な大人にされてしまったのである。だから真実を知らないまま、人工的に刷り込まれた「捏造史観」を身に付けて、必要のない反省をしている。反日日本人が生まれる背景は、戦後教育の誤りにあると言える。だから一人前の見識を持っていて然るべき保守政党を自認する自民党の国会議員たちが「在日擁護法」とも言える、所謂「ヘイトスピーチ対策法」などを自ら立法化してしまうのだ。この悪法を通した国会議員たちは自らを良識派と考え、これで日本の良心は護られたなどと自己満足しているのだろうが、自らの不見識が日本という国家が立ち直る為の障害をつくってしまった事には思い至らないのだろう。一刻も早く自分たちが実は、「真実を主張する愛国者の口封じをしてしまった」と気づいて欲しいものだ。


精神神経医学で、何か特定のモノを異常なほど忌み嫌う事を「・・・フォビア」という。明らかな心の病、れっきとした病気である。一部の日本人たちはこの日本嫌い、「ジパノフォビア」に侵されている。著書の巨大マーケットである中共寄りの言説を経済的打算から振り撒いているのかも知れないが、有りもしなかった「南京大虐殺」の被害者数を本家の中共の主張より多い40万人と言って退けた村上春樹氏などは深刻なジパノフォビアに蝕まれていると言っていい。大江健三郎氏も何故か日本がお嫌いのようだ。


嘗て、大繁栄したスペイン王国を衰退させたのが「イスパノフォビア」であったという説がある。スペイン王国の衰退は、英仏海峡に於ける1588年の無敵艦隊の敗北では無く、「スペイン人自身がスペインという国を嫌った」為だという説である。


スペイン軍は行く先々で人類史に遺る悪行を為した。16世紀、アステカ帝国、マヤ文明、インカ帝国などはスペイン人によって悉く滅ぼされてしまった。初めに、コンキスタドール(征服者)が文明を破壊し、その上に、スペイン王室が植民地を建設して先住民を奴隷使役して暴利を自国に齎らした。メソアメリカの歴史は「滅びの歴史」と言われている。その最後を飾るのがアステカ帝国とマヤ文明である。ところが何の因果か、南アメリカのインカ帝国まで道連れにされて滅亡に追いやられてしまった。


イギリス人とフランス人は、これを徹底的に責め立てた。英仏両国も後に同じ悪行(過酷な植民地政策と奴隷使役)をしでかすのに、「スペイン人は残虐だ。妊婦ばかり13人づつ集めて、同時に地面すれすれの高さに吊るして、火炙りにした」などと、その模様を銅版画までつくって責め立てたのである。


スペイン人も反論はしたが、下卑た罵り合いではお上品な英仏両国の方が優っていた。今で言う「プロパガンダ戦・歴史戦」に敗れて、スペイン人自身がスペインを嫌いだしたのである。後に歴史家アーノルド・J・トインビーは「12~13歳くらい迄に自分の国の神話を学ばない国は例外なく滅んでしまう」という文章を著作に記している。それが事実なら日本もまた滅んでしまう運命にあるのだろうか? スペインは国民が自国に自信を持てなくなった為に衰退したというのは真実だろうか? 件の銅版画は日本の教科書にまで載っている。


日本の教科書は、それと知ってか知らずか、英仏のスペインに対するプロパガンダ同様の、米・中・韓のプロパガンダの片棒を担いでいるのだから遣り切れない。これが GHQ/SCAP が日本を去ってから65年間も続いている。自らの国を悪し様に描く現行の日本の教科書は、根本からつくり直さなければならない。見逃されがちな悪質な副読本も全て回収してゼロからつくり直す必要がある。下卑た反日教員たちが改心できないというならば総入れ替えしなければならない。更に、大切な国民教育を担う教員に、反日思想に凝り固まった在日を採用するなど以ての外である。


戦後の日本は深刻な「ジパノフォビア」に蝕まれている。米国と中共からは「捏造南京大虐殺」で、韓国からは「捏造性奴隷」で、日本は責め立てられている。今でこそ卑劣な史実捏造と憤る日本人が増えてはきたが、依然多くの日本人が、卑怯な GHQ/SCAP が実行した「正邪逆転の偽裁判」と7年間弱の「洗脳統治」の後遺症から未だ抜け切っていない。ジパノフォビアの根治療法は、「東京裁判史観」からの脱却と「日本国憲法」の改正、そして反日狂いの在日韓国朝鮮人たちへの適切な処遇という、大別して三つの問題解決を同時並行して進める事に尽きる。何れもいきなりは取り掛かれないほどの大問題である。安倍首相は2020年には現行憲法を改正したいと発表したが、仮に日本国憲法をほんの少し改正できたとしても、それは単なる弥縫策(びほうさく)に過ぎない。


例え間違っていようとも、国民の意見は尊重しなければならない。多くの国民が信じ切っている間違った歴史観を正す為には、無数の関連した細かい事項から少しづつ手をつけていくしかない。大改革の為には「多くの国民から賛同される環境整備」から始めていくしかないのである。遠回りに思えてもそれが正統な大改革を成し遂げる要諦である。今の国民意識のままで憲法を改正しても、病み切った日本は立ち直れない。少しづづで良いから、反日教師や反日教授を追放し、在日たちに蝕まれたマスメディアを正常に機能させるような方策をとる事だ。日本人は良い子ぶらずに、ここぞという時には我が儘になる勇気を持つべきだ。在日を総て日本から追放するのは今となっては非現実的だが、在日たちが過去に何をしでかしたかくらいは自由に発言できる世の中にしなければいけない。その上で、日本に住むのを許す為には在日たちに何を求めるのかを真摯に議論して、彼等の処遇を適切なものにしなければならない。今の日本はこの考え方に逆行している。


また、日本政府自体が、義務教育で「建国の神話」も「近現代史」も積極的に教えようとしないのでは何も始まらない。日本政府は未だに「米・中・韓によるプロパガンダ戦」に本気で具体的計画に基づいて挑もうとしていない。安倍政権は、ごく控え目に米国の目を気にしながら細やかな抵抗をしているというのが実情である。何よりも驚くべき事に現政権は、屈辱的な「村山・小泉両氏の売国談話」と「河野談話」を踏襲すると明言しているばかりか、英霊の顔に泥を塗るに等しい「日韓合意」までしている。現実主義者である首相が政治的方便として選択された結果とはいえ、日本国民の名誉回復は、ゼロからではなくマイナスから始めなければならなくなってしまった現実を安倍首相には是非反芻していただきたい。


だから、未だに多くの日本国民は、「旧日本軍が人道に反する残虐な行ないを為し、アジアの諸国民に筆舌に尽くし難い苦難を強いた」と本気で思い込まされている。自分の祖父・曽祖父が「残忍な大虐殺犯」で「軍という組織を嵩にきた誘拐犯で卑劣な強姦魔」であるという支那人や韓国人の捏造話しを真に受けて、史実がそうであったと思わされて先人の行ないを恥じ、真面目な日本人はその現実から目を背けている。日本政府が認めているのだから当然だ。『生身の人間としての苦悩を乗り越えて散華された英霊』に顔向けできない程に、現代日本人は悪意ある洗脳をされたままなのである。日本政府がそれを追認しているのだから情けない。せめて日本政府には国民に見える形で真実を主張するという形で正義感と反骨精神を示して欲しい。良い子のふりをしているだけでは諸外国に馬鹿にされるだけというのが現実なのだ。


現在の風潮は、勇気をもって実名を明かしてまで真実を主張する者を「右翼とかネトウヨ」と嘲り、悪質なプロパガンダに組み伏せられた自分たちを「良識派」と信じて疑わない。その「良識派」には卑劣な「偽善者」が多く含まれているのは紛れもない現実である。自称「良識派」こそ深刻な「ジパノフォビア」を患っているとも知らずに軽薄な持論を展開して自分は善人だと自己満足している。彼等を野放しにしていては日本は衰退の一途を辿るしかない。せめて勘違い良識派の出鱈目な言説に対する反論の機会を奪うような悪法は即刻改訂していただきたい。一方の口だけを封じるのは、それこそ言論の自由の侵害である。

《「歴史は繰り返す」というが、実に言い得て妙な言葉である。朝鮮半島は地政学的に日本にとっては100年前も現在も同じ緩衝地帯の役目を負っている。100年前はロシアの脅威に晒されながらも日本との併合により滅亡を免れたが、今回は日本のような善意の救援国家は現れない。韓国が生き残るか消滅するかは、韓国人の運と努力次第である》


日韓関係の齟齬(そご)は、107年前の日本人が、「余りにも人の好過ぎる善意と使命感」をもって原始社会同然の遅れに遅れた朝鮮人国家の近代化に身を捧げた事から始まった。当時の日本人の心の底には神武天皇の教えである「八紘一宇」の精神があった事は間違いない。白人国家にとっては甚だ目障りな存在に成長した大日本帝國の足を引っ張る為にまんまと朝鮮を押し付ける事に成功した訳である。放っておけば自滅したであろう無能な厄介者国家である大韓帝國を、米国のセオドア・ルーズベルト大統領は、「お前たちは日本を頼れ」と言い捨てて放り出した。この時、朝鮮人たちは、去って行く米国人たちに「出て行かないでください」「私たちを見捨てないでください」と泣いて縋ったという記録が残っている。


鎖国を解いたばかりの日本が数十年で西欧文明を吸収し独自に昇華して近代文明を我が物とし、強大なロシア帝国を打ち破るまでになった有様を目の当たりにしたT・ルーズベルトは、「一片の同情の余地もない無能なお荷物でしかない朝鮮」を日本に押し付けたのは、日本人に対する嫌がらせであったが、当時の日本人は、自らも有色人種であっただけに、白人列強の如くアジア諸国から植民地搾取するのは間違いであり、同じアジア人同士が助け合って共存共栄していくべきだと考えていたから、朝鮮民族の懇願に応じて日本国民として迎え入れ、未だ貧しかった国庫から毎年2030%もの血税を投下して、朝鮮半島の近代化に取り掛かった。


大東亜戦争敗戦後に、朝鮮人たちが日本人に対してケモノさながらに牙を剥き出して襲いかかってきたのは日本人にとっては正に青天の霹靂であった。今の韓国政府と韓国の国民が言うような「武力による過酷な植民地支配と搾取」や「朝鮮から産業を奪った」覚えなどないし、日本は朝鮮人民の望み通りに朝鮮人を日本人として迎え処遇した。だいいち朝鮮には奪うべき産業など全くなかった。当時の朝鮮の庶民はさながら原始人同然の生活をしていた。日本は朝鮮を植民地にしたのではなく対等に併合して、原始生活を送る朝鮮半島に本土の日本国民と同等の生活を享受できるよう粉骨砕身努力した。朝鮮総督府の経営が黒字になった事など一度も無かった。これは記録を調べれば分かる事だが、韓国政府は敢えて記録を調べずに感情的に日本を不当に責め立てている。朝鮮民族にとっては史実や真実には意味は無く、「できればこうあって欲しかった」という願望だけが歴史となってしまう。


白人宗主国の植民地政策は、白人支配の下、原住民の食糧生産の必要量を無視して白人が欲する作物を強制的に作らせる、所謂モノカルチャーという手法をとって、宗主国の経済を潤す遣り方をとった。当然の帰結として農作物のおよそ3分の1をモノカルチャーに振り向けられた植民地の住民は例外なく飢餓に見舞われ、人口を激減させた。


日本は併合した朝鮮半島の近代化に膨大な資金を投入し、皆無だったインフラを整え、何千もの学校を建設して無学文盲だった朝鮮の庶民に等しく教育を受けさせた。白人経営の植民地が原住民用の学校を建てた例は皆無である。それまで地べたに直置きしての物々交換しか知らなかった朝鮮に商店をつくり、統治開始の数年後には百貨店まで建設した。王族や両班の為の漢方医と鍼灸院しかなかった朝鮮に近代西洋医学を取り入れた病院も数多く建設し、当初24歳だった平均寿命を54歳にまで引き上げたのも日本の統治の成果である。日常茶飯に行なわれていた両班による庶民への拷問を禁止し、酷い階級制度を廃止された当時の朝鮮の庶民には夢のような人間的な生活を日本は実現した。


日本名を名乗らせて欲しいと言われれば「創氏改名」を許し、土地所有の概念すらなかった農民たちに近代的な区画整理をして、農地所有を許した。無きに等しかった経済活動を生み出し発展させる為に「度量衡」を定めたのも朝鮮総督府の日本人たちである。当時の朝鮮統治の陣容は80%を朝鮮人自身に任せ、知事・議員・役人・警察官など多くの職種を朝鮮人が担っていた。当時の朝鮮人たちが、それまで置かれていた環境ゆえに余りに無能だった事は紛れも無い事実であった。今の韓国人たちがそれを認めたがらない心情は理解できるが、奪うべき産業も無かったのに、「朝鮮から産業を奪った」とか「人類史上稀に見る過酷な植民地搾取をされた」と嘘を言うのはやめるべきだ。日本がそんな統治をしていたら、平均寿命が倍以上に伸び、人口が倍増した説明がつかないだろうに。


『日本書紀』には、大和橿原(やまとかしはら)に都を定めた時の神武天皇の詔勅に「兼六合以開都,掩八紘而為宇」(六合〈くにのうち〉を兼ねてもって都を開き、八紘〈あめのした〉をおおいて宇〈いえ〉となす)との記述がある。当時の日本人には、この八紘一宇の精神が身についており、些か過剰な博愛精神を朝鮮人に振り向けたと思われる。そうでも考えなければ、本土の日本国民に貧しさを強いてまで、本来他人である朝鮮人に対してこれほどまでの愛情を注いだ説明がつかない。「他人とは思えない」とか「生き別れた兄弟が惨めな境遇にあるように思えた」というのが真相だろう。


併し現在、比較的聡明で温厚な韓国人でさえ、歴史問題に話題が及ぶと、顔色が変わる。それはあたかも押し殺していたトラウマに似た体験を一気に蘇らせて、怒りの全てを日本人に向けてくるようなものだ。なぜ韓国人は、先祖があの慈愛に満ちた日韓併合時代を経験しているにも関わらず、これほど日本人を憎むのだろうか?


それは翻訳された韓国の歴史教科書を読めば理解できる。日本人は冷酷非情な「悪魔」として描かれ、近代日本は朝鮮に対して「殺戮と収奪のみ」をしたとされている。韓国政府の反日教育に於ける嘘と捏造はそこまで情け容赦がない。韓国政府のこのような反日政策は非常に危険で無謀な行為である。子供たちは大人たちに教えられるままに、それが全て真実だと信じ込んで育ってしまう。韓国国民は例外なく幼少期から、嘗て日本が戦時中に国民に対して喧伝した「鬼畜米英」を遥かに超える最上級の捏造「鬼畜日本プロパガンダ」を刷り込まれて育つのである。


韓国の歴史教育が描く日韓関係とは、謂わば「絶対的加害者と絶対的被害者」の関係である。韓国の教科書は、如何にも偽物の英雄が考えそうな安っぽい勧善懲悪の物語で占められている。今では卑劣な人格が語られる李承晩が初代韓国大統領として独裁権力を手にした為、このような穢れた妄想が本当の建国神話とされ、その洗脳が今日に至るまで徹底されてきた事で、韓国国民はこの妄想と精神的に一体化してしまっているのだ。だから今では韓国政府が日本に融和的な姿勢を取ろうものなら国民の方が荒れ狂うと言う、洗脳の後遺症的現象が起こってしまう。


韓国とは、こういう特定の民族への憎悪と偏見を植え付ける洗脳教育を国家事業として68年間も続けてきたアブノーマルな国なのだ。然も、事実に反する紛い物の妄想を「正しい歴史認識」などと称して、日本人に強制してくるのだから堪らない。国を挙げて科学的・客観的に事実と異なる歴史を信じているのだから、これはもう国民のアイデンティティなどという生易しいものではなく、もはや信仰の領域に達している。つまり、韓国とは日本にとっては甚だ危険なカルト教団であり、韓国人は危険なカルトの盲信者なのである。


そんな事にも気づかずに、韓国が日本の友好国だとか、価値観を共有するパートナーだとか真顔で言っている日本人は、余程の無知か、精神薄弱に近いお人好しか、韓国の工作員か、の何れかである。韓国は日本に対して最も非友好的で、価値観の異なる国である。何よりも日本の道徳律に反する「恩を仇で返す」のが朝鮮民族の悪しき性だ。親韓派を自認する愚か者たちはいつも、韓国の豹変した反日に狼狽え、「これまで苦労して友好関係を築いてきた筈なのに」などと狼狽えるが、朝鮮民族の本質を理解していないだけなのである。政治家たちは妥協点を見出すべく努力して折り合いをつけるのが仕事だから、韓国の政治家と表面的には友好関係を築いているように見せる事ができるが、一般の日本人にそれは無理であるし、危険でもある。


韓国とは、元来こういう国なのであり、近年になって片っ端から因縁をつけ始めたのは、日本のお陰で経済力をつけてきたという、単なる情勢の変化により本性を隠す必要がなくなっただけの話である。最近、韓国はまた経済危機に直面し、追い詰められると、自分たちから必要ないと言い捨てて終了させた通貨スワップの必要性を日本に嘆願してくる鉄面皮ぶりだ。流石の日本も色良い返事をしないと見るや、今まで散々援助されたのも忘れて「日本は韓国が苦しい時には一度も助けてくれなかった」などと恨み節をいう始末。


そもそも、日本人の考える日韓友好と、韓国人の考えるそれとでは、全くの別物なのである。日本人は文字通り「対等な友人関係」を考える。ところが、韓国人の頭の中では「100%の加害者と100%の被害者」という関係が前提になっていて、それゆえ彼等が「友好」とか「協力」を口にする場合、「日本人は加害者としての己れの立場をよく弁(わきま)えろ」という意味が込められている。換言すれば「被害者に尽くせ」という事だ。必要な時だけ「用日」させろというのだから失礼な話である。


併し、極端に誤っているとはいえ、韓国の教育は、飽くまでも内政問題である。改革の責任を果たすのも改革しない報いも、全て韓国人が背負うものである。彼等がどの道を選択しようと日本人には何もできない。確実に言える事は、妄想史観も捏造史観も所詮は紛い物であるから、真実の光が照らされるなら、妄想・捏造の国家観は自ずと破綻する。北朝鮮の核やミサイル問題で朝鮮半島が危機に瀕しているというのに、韓国の新大統領は親北反米反日の文在寅氏が選出された。韓国政府は、歴史の真実が暴かれるのを恐れ、思想言論の自由を統制し、見苦しい口封じまでやってきたが、その結果が大韓民国の「国家消滅」であるのなら、日本としては甚だ迷惑ではあるが見守るしか手立てはない。


韓国はこれまで子供たちに日本に対する憎悪と偏見を植え付けながら、政治レベルでは友人やパートナーの振りをしてきた。そうやって二律背反的な外交で日本を騙し続けて「用日」してきた訳だが、これからは、「日韓は互いに協力し合うべきだ」などと誤魔化しながら、公教育で日本を悪魔だと洗脳するような欺瞞的な対日姿勢は通用しないし、続けられないだろう。これからは北朝鮮主導での分断国家の統一が実現するかも知れない。事大主義の朝鮮民族はおそらく中共に付き、在韓米軍は撤退するだろう。苦しみながらも統一を成功させたドイツほど、韓国には自力は無いから、韓国には未曾有の艱難辛苦が待ち構えているだろう。日本としては全ては身から出た錆と突き放すしかない。


朝鮮半島が中共圏に組み込まれれば、米中の鬩(せめ)ぎ合いの最前線は日本列島という事になる。嘗てはロシアの南下政策に対して朝鮮には確りとした国家になって欲しかった。その必要に迫られての「日韓併合」でもあったのだが、それが大きな誤ちであった事を日本は歴史から学んだ。中共の覇権主義・領土領海領空の膨張主義に対して、朝鮮半島には、またしても確りして欲しい局面が訪れた。併し、今回は韓国を助ける国はどこにも居ない。まともな独立国家の体裁を保てるか、中共の自治区となるか、朝鮮民族の努力次第である。日本はこの地政力学の大転換を奇貨として、自他共に認める主権国家に生まれ変わる為に苦難の道を歩んでいかなければならない。緩みきった平和呆け日本としては何としてもこれを天啓として活かし切りたい。

《日本人は朝鮮民族を許してはいけない。我が先人は彼等の求めに応じて助けの手を差し伸べ、最大限の努力をした。朝鮮民族は我が先人から受けた恩義に対して日本人への蛮行で返礼した。更に、日本人は敗戦後の朝鮮人の蛮行を一切咎めず、韓国に対して惜しみない経済援助と技術支援、そして凡ゆるノウハウを与えて一人前の近代国家に育て上げた。併し、朝鮮民族は日本人の成功を妬み、嫉み、異常なほどの怨恨感情を滾らせて、国際社会で日本を貶める事を喜びとしている。我々は先人の無念を無視し続ける今の生き方をやめ、彼等朝鮮民族との過去の関係を総括し、一切の関係を断つ決断を下さない限り、日本国民に幸福な未来はない》

韓国と北朝鮮の両国と中共の一部に住む朝鮮族たち、そして世界185箇国に移住した朝鮮系の人々は、日本にとって未来永劫、信頼と尊敬を分かち合える友好関係を築けない事は、あらゆる点を考慮して間違いない。国家というよりは民族の特性とか資質の問題として、日本人、大和民族に対する朝鮮民族は、人として対等に付き合うに値しない根本的な問題を抱えている。その意味で共存可能な民族と彼等を見做して嘗ての日本が朝鮮を併合したのは、我々の先人が冒した大きな間違いと断じざるを得ない。併し、この評価は朝鮮民族の本性を理解できる現在だからこそ言える事で、現在の知識を基に、現在の価値観で、先人の好意に基づく「日韓併合」を責める事は出来ない。我々日本人は既に起きてしまった史実を後悔するよりも、今後二度と同じ過ちを犯さない教訓を歴史の中に見出すべきだろう。

支那人=漢民族も、白人=広義のアーリア人種やアングロサクソン(米国人など)も、スラブ系民族(ロシア人)も、心の底から信頼するには値しないが、それでも其々の文化に対する好感、或いは政治的妥協や経済的妥協によって一定期間の友好関係を築く事は可能である。現に、「旧安保条約」と所謂「60年安保条約」を合わせれば66年間も日本は宿敵であった米国と友好的な同盟関係を保っている。併し、朝鮮民族だけは我々日本人とは永遠に上手く折り合っては行けない民族である。半世紀以上も反日教育を徹底されては如何なる民族も日本に敵対するのは致し方ないと言えるが、朝鮮民族は反日教育を受ける以前から日本人には信じ難いほどの嫉妬と敵愾心を見せ、人道に悖る蛮行を働き、現在に至るもその本質を隠そうと、ただただ史実を隠蔽しようと画策している。

彼等朝鮮民族の日本人に対する敵愾心は、朝鮮通信使の時代から日本の高い文化・文明に触れながら、嫉妬に基づく怨恨感情を滾らせていた事実を記した歴史的文献からも窺い知る事ができる。彼等が真面に相手にするに値しない民族である最も分かり易い事例は、日本が大東亜戦争に敗戦した途端に見せた人間としては信じられない程の彼等の獣(ケモノ)性である。開国以来、初めて知った敗戦の屈辱に打ち拉がれた日本人に対して、日本人として共に戦った彼等朝鮮民族は、人間なら恩義、或いは共に失望して当然の立場に居たにも関わらず、正に獣(ケモノ)の牙を剥き出しにして襲いかかってきた。反日教育など始まる数年も前の事である。それは、原始人同然の彼等に35年の歳月を費やして日本人としての道徳教育を施してきた先人の努力が無に帰した瞬間であった。

今、Chinaと呼ばれている大国の歴史は、幾つもの王朝が勃興と滅亡を繰り返し、その度に民族が入れ換わり、文化や伝統の連続性が断たれている。その意味で現在のChinaの支配民族である漢民族の歴史は、巷間言われているほど古いとは言えない。漢民族は大陸に於ける激しい生存競争の最終的な覇者であるだけに、極めて合理的で冷酷・残忍な民族と言える。漢民族は己が版図を拡げる為に、平和に暮らしていたチベット、ウイグル、南モンゴルに於いて、非人道的な迫害・虐殺行為を現在に至るも平然と続け、満州に至っては民族浄化を完遂してしまった。日本人とは相容れない資質を持つ民族と言えるが、合理的側面を持つだけに、先述したように一定の条件の下では折り合いをつける事は可能な民族と言える。併し、彼等の現在の標的が我々日本である事は肝に銘じて、決して警戒を怠ってはならない。漢民族こそ、現在と将来の日本にとって最も脅威となる民族である。

白人の歴史も漢民族とは趣を異にするが血塗られたものである。彼等はインカやアステカという優れた文明を“金”の為に滅亡させ、アフリカ人を人間狩りして奴隷として売買し、世界各地に過酷な植民地を築き、自国の富を増やしてきたという恥ずべき歴史を持っている。アメリカ大陸では、その先住民であるアメリカ・インディアンを奴隷に向かない誇り高さ故にほぼ殲滅し、代わりにアフリカ人奴隷を購入・使役して国を発展させてきた。欧米ではナチス(=ドイツ人全般)によるユダヤ人に対するジェノサイドのみが殊更批判的にクローズアップされるが、スペイン・ポルトガル・英国・フランス・ドイツ・オランダ・米国・オーストラリアなどの人種差別やそれに基づく奴隷使役や植民地政策も、ナチスに引けを取らないほど相当悪辣なものであった。オーストラリアに於ける先住民アボリジニに対するスポーツ・ハンティングなど日本人には到底理解できない行ないである。

日本は白人列強諸国に対して人類史上初めて「人種差別撤廃」を提案した国家である。それが元で人種差別を当然視する白人諸国に目を付けられたと言われている。白人たちが持つ人種的偏見が大東亜戦争の遠因と言われているが、よくよく歴史を調べれば遠因どころか、寧ろ根本的要因と言っていい。併し、戦勝国がつくった所謂「戦後世界秩序」を肯定する現代の国際社会の趨勢は、大東亜戦争が日本人に対する白人による人種的偏見が根本原因だとの主張は到底受け容れないだろう。大東亜戦争が終結してから既に72年が経過したが、日本人は〈自己の歴史的立場を正当化する使命〉に余りにも不熱心過ぎやしまいか? 所謂ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)という米国の悪辣な占領政策と戦後の日本に対する長年に亘る圧力が巧妙であったと言ってしまえばそれまでだが、日本人はよく言えば「素直でお人好し」過ぎるし、悪く言えば「臆病で偽善的」に過ぎる。

日本人の「臆病で偽善的」過ぎる悪しき側面が、朝鮮民族の真実を暴く行為を躊躇わせている。韓国は「日韓併合は日本の武力による植民地支配だ」とか、所謂「戦時売春婦」について史実と異なる主張をしているが、日本政府も、先述したWGIPと『東京裁判史観』から脱却できずに、捉われる必要のない贖罪意識から、韓国の虚偽に基づく不当な主張に堂々と反論しない。米国の圧力を受けながらも『東京裁判史観』からの脱却の機会は皆無ではなかった筈だが、日本政府は幾度もそのチャンスを事勿れ主義という臆病により活かしてこなかった。現在の日本政府と日本国民は、自らを国際社会の優等生であると自負しているが、そう考えているのは日本人だけである。日本を真の主権国家と認め、尊敬の念を抱いている政府は皆無ではないだろうか。世界中の主要国は皆、日本は米国の属国であると見抜いている。

事ほど左様に現代の日本は主権国家として諸外国から真の尊敬を勝ち得ていない。寧ろ舐められている。それに気づきもせずに、国連(=連合国)の常任理事国に立候補するなど、日本政府には日本が置かれている国際的立場が全く見えていないと言わざるを得ない。せめて日本国内でのみ通用する「自衛隊」の概念を正規の「国軍」と位置づけ、日米同盟をもう少し対等な関係に近づけてから言い出して貰いたいものだ。日本政府もマスメディアも、先頃来日したペンス米副大統領が微妙(いみじ)くも口にした「軍事力を背景にした外交」という言葉を軽々に聞き逃してはいけない。日本のように軍事力を行使しないと国際社会に公言している国の「外交」とは「経済援助とのバーターか、ただのお願い」でしかないと知るべきである。

朝鮮民族に限って言っても、北朝鮮による日本国民に対する拉致行為は完全な主権侵害であるにも関わらず、日本にできる事は、拉致被害者を還して欲しいという「お願い」しかできないという現実を受け容れる事だ。戦後、丸腰状態の日本から竹島を奪い取った韓国に対しても同様である。「絶対に容認できない」とか「遺憾である」との言葉を何千回重ねようが現実は何も変わらない。国際社会もそんなひ弱な日本になどリスクを冒してまでも協力はしてくれない。今の日本は経済力以外は極めて無力なのである。

何よりも、大東亜戦争以前は白人諸国が平然と為していた「植民地」支配と、日本が大韓帝国との間で国際法に則って受け容れた「併合」が、「武力による植民地支配」などではなかった史実と、竹島の主権が日本に帰属する事実を韓国に対して明確に突き付け、韓国の〈態度変容を促す具体的努力〉を避け続けているようでは、日本は誇りある主権国家とは言えない。繰り返すが、「絶対に容認できない」とか「遺憾である」との言葉を何千回重ねようが現実は何も変わらない事を、日本人はいい加減に学び理解していい時期に来ている。

日本の韓国に対する当面の最優先事項は、現代の韓国政府が歴史を捏造して、先人が為した些か慈愛に満ち過ぎたと言っていい「日韓併合」を韓国が「武力による過酷な植民地支配」などと事実に反する事を言い続けているのを黙認・追認するのをやめる事である。文科省は日本の中学校の歴史教科書に明記されている「日本は朝鮮を武力により植民地支配しました」との虚偽の記述を即刻削除し、史実を正しく日本国民に教育しなければならない。これは教科書に於ける「単なる一行の記載の誤り」と安易に片付けてはいけない問題である。最終的には憲法改正という大きな問題に帰するが、憲法問題については別稿で述べたい。

嘘を声高に主張し、如何なる反論にも激昂する韓国を恐れているようでは、嘘つきを付け上がらせ、自国に誇りを持てない日本国民を育ててしまうという悪循環を放置している事に他ならない。文科省は真実の近現代史を何故堂々と国民に教育しないのか? 日本政府は「日韓併合」は「『大韓帝国政府』と当時の朝鮮最大の民間政治結社『一進会』が日本政府に四度に亘って『併合』を懇願してきた」という史実を、反論の余地のない歴史的証拠(一次資料)を開示して、日本国民と韓国政府に真実を有りのままに伝えるべきである。理屈が通用しない韓国相手には第三国を巻き込む事も必要だろう。客観的裁定を委ねるのには米国が適任である。何しろこの件では米国は全くの部外者ではなく数々の外交資料を保持しているのだから。

歪曲されたまま定着してしまっている「日韓併合」について、日本政府が為すべき事は、先ず、韓国政府の主張が「虚偽・歴史捏造である」とはっきりと正当な反論をする事である。日本に侵略国の汚名を被せた連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)が日本の占領統治をやめてから既に65年の歳月が流れている。彼等はもう日本の教科書やメディアを検閲してはいない。日本は晴れて国際社会に復帰してから65年間も彼等 GHQ/SCAP の言い付けを忠実過ぎるほど守ってきた。今、「日韓併合問題」について真実を主張したからと言って既に存在しない GHQ/SCAP は日本にペナルティを課す事はできない。日本が韓国を恐れる必要はどこにもないのである。強いて言えば、日本国内の在日韓国朝鮮人を含む反日左翼たちが日本政府が真実を主張する事を問題視し、歪曲して大騒ぎするだろう。併し、そんな事を恐れて我が国が汚名を被ったままでいいのか? 日本政府は、当たり前の事を普通に主張すればいいだけである。

何も日本の安全保障を担っている米国の罪を糾そうというのではない。米国が信奉する所謂「戦後世界秩序」に対しては、何れ日本は異を挟(さしはさ)む必要があるが、「日韓併合」は「戦後世界秩序」とは何も関係がない。日本が米国と戦争を始めるずっと以前の、日本と朝鮮半島の国との間の出来事の真実を明らかにしようというのである。これに米国は反対も賛成もしないだろう。寧ろ、当時のセオドア・ルーズベルト米大統領は賛成していたではないか。韓国に親北反米政権が誕生しようという現状では、米国にとっては韓国の重要度は著しく低下している筈である。トランプ大統領の米国が「日韓併合」の解釈を巡って、韓国と共に日本を非難するとは思えない。こんな国際情勢も日本には極めて有利と言える。

従来のように、韓国の国民感情を忖度(そんたく)して、日本政府・文科省が虚偽の歴史教育を自らの国民にしている現実は異常である。日本政府の韓国に対する態度は「配慮」などという表現を超えて余りにも「臆病」過ぎる。本論とは離れるが、日本政府と日本国民の在日韓国朝鮮人に対する「配慮」も度を越している。先述したように、嘗て我々の先人は、破綻国家である大韓帝国(内情は李氏朝鮮のまま)を日本人と同等に扱い、当時の一等国民に育て上げようと粉骨砕身の努力をした事は紛れもない真実である。朝鮮総督府の統治体制では8割が朝鮮人で占められていた。知事・議員・役人・警察官などの殆んどが朝鮮人であった事は当時の記録を見れば明らかであるのに、何が「過酷な植民地支配」なのだ。そんな明白な嘘に反論してこなかった戦後の日本政府は不甲斐ないの一語に尽きる。

我々の先人は必死で朝鮮人に人並みの生活を享受させようと必死であったと記録が語っているのに、朝鮮民族とは斯様に嘘つきな民族であり、韓国政府は日本を貶めたい一心で邪(よこしま)な情熱を注いでいるのである。最近、韓国人が口にする台詞に「日本人は韓国が一番苦しい時には一度も助けてくれなかった」というのがある。韓国の政治家やマスメディアが最近好んで使う日本を難じる迷コピーである。数え切れないほど韓国を援助してきた日本としては、正に開いた口が塞がらない。韓国は日本から被害を受けた「被害者」であるとずっと言い続けてきた。在日たちも同様に「被害者」を騙るが、真実は100年以上前から「被害者」は一貫して日本側であり、朝鮮民族・韓国は「加害者」であり続けたというのが真相である。ヨーコ・カワシマ・ワトキンズ氏の『竹林はるか遠く~日本人少女ヨーコの戦争体験記』や韓国人作家、金完燮氏の『親日派のための弁明』には、「加害者=朝鮮人」の歴史が克明に描かれている。

そして、これだけは明確に書き記しておきたい。敗戦により引揚者となった日本人に朝鮮人たちが何をしたか。日本人と見るや暴行・強奪・集団強姦・殺戮を為し、金目の持ち物はおろか殺した遺体から金歯までも抜き取り、惨殺された日本人の遺体は、今、韓国と呼ばれる地に放置された。北朝鮮には日本人同士で埋葬した盛り土程度の墓がまだ幾つも残っているが、韓国にはそれさえないのだ。韓国人たちは、無念のうちに非業の死を遂げた日本人の遺骸の上を土足で踏み荒らしながら、日本政府の援助、日本国民の血税で経済発展をしてきた。韓国釜山市にはタルトンネというスラム街がある。そこはあろう事か日本人墓地の上にボロ屋を建てて韓国人が暮らしている。日本人の墓石を土台に使っているのだが、ぞんざいにも日本人の名前が刻んである暮石の面を隠そうともしていない。その集落の壁や階段、そして家屋の土台に「〇〇家の墓」などの碑銘が見られる。こんな不埒で悍(おぞ)ましい民族が地球上のどこに居るだろうか? 韓国をおいて他にないだろう。

我が日本の隣国はこんな国なのである。こんな民族を、我が先人は心血を注いで一人前の国家に育て上げたのである。35年という道半ばにして、敗戦により朝鮮の統治は終結したが、その後も日本政府は韓国政府を援助し続けた。日本の手を離れた途端に獣のように牙をむき出して、大恩ある日本人に襲いかかり、おそらく10万人以上の日本人引揚者が敗戦後の朝鮮半島で殺戮された。日本政府はこういった歴然たる被害者でありながら、韓国の加害責任を一切問おうとしてこなかった。南の島々に眠る英霊の遺骨収集も大切な事業であるが、朝鮮半島で非業の死を遂げ、その遺骨すら踏み荒らされ、風化してしまった名もなきご先祖の無念は放置したままで良いのか? 鬼畜にも劣る朝鮮民族・韓国に日本人の血税がじゃぶじゃぶと注がれた史実は日本国政府の末代に及ぶ恥である。現代の日本は、この昭和史の闇をタブー視して、決して明らかにしようとはしない。

現自民党政権は所謂「ヘイトスピーチ対策法」なる狂ったとしか言いようのない悪法を昨年、国会に提出し、自らの絶対多数で国会通過させてしまった。「日韓合意」なる国際社会に冤罪を認めた政治判断も心ある日本人は賛成しないだろう。例えいっ時は政治的に日本が変質者の如く大昔の出来事に拘り続ける韓国より有利な立場に立つ事ができようとも、先人の冤罪を日本政府が認めた事実は絶対に正しい決断だったとは言えない。日本は声高に嘘を主張する韓国政府や韓国国民、そして在日韓国朝鮮人たちに、真実の歴史を堂々と諭し続けるべきである。国際社会の目を気にし、在日韓国朝鮮人に不必要な贖罪意識に基づいた腫れ物に触るような配慮をする事はいい加減にやめるべきだ。所謂「ヘイトスピーチ対策法」は在日や韓国系帰化人、そして反日左翼に対する異常なる配慮の産物である。在日たちによる虚偽に基づく日本人非難は全く問題視されず、それに対して真実を主張する日本人の口を封じるなど、あってはならない悪法である。

これからの日本は、生まれ変わったつもりで「先人の名誉回復」に努め、他人(国際社会)の顔色を気にせず、真実を主張する勇気を持たなければならない。多くの理解を得るまでには時間を要するかもしれないが、自信を持って根気強く「真実を主張」し続ける事。これからの日本にはこの道しか無いのである。綺麗事ではなく、この世の中に「真実に勝るものは無い」。この真理を実現する為にも、これからの日本政府と日本国民は強くならなければいけない。穢れ切った朝鮮民族などに見下されたままでは先人の努力が無に帰する。世界の歴史上、日本ほど正義に生きた国家はないのだから、その子孫たる我々には悪を正す使命がある。日本の存在意義はそこにある。最後にアインシュタインが日本に遺した一文を引用する。

『近代日本の発達ほど世界を驚かせたものはない。この驚異的発達を可能にしたものは、他の国が決して持ち得ない何ものかであるに違いない。私は思う。この国の三千年の歴史こそ、それなのだ。これほど長い歴史を通して、不変の盟主を戴いているという事実が、今日の日本を在らしめているに違いない。私は、このような尊い国が、世界に一つくらいなくてはならないと考えていた。何故なら、世界の未来は果てしなく進み、その間、幾度も戦争が繰り返されて、最後には戦いに疲れ果て、衰弱してしまうからだ。その時、人類は新の平和を求めて、世界的盟主を仰がねばならなくなるだろう。その世界の盟主なるものは、武力や財力によって立つものではなく、どの国をも超えた古くて尊い家柄でなくてはならない。世界の文化は東洋に始まり、東洋に還る。それは東洋の高峰、日本に立ち戻らなければならない。我々は今こそ神に感謝する必要がある。我々にとって日本という尊い国をつくっておいてくれた事を』

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