石川久遠の「日本人なら知っておきたい真実」

「陰謀論」とは、「陰の謀(はかりごと)を論じる」ものであり、「妄想論」とは異なる。歴史も現在の出来事も、常識として根付いている様々な事柄も、虚心坦懐に見詰め直せば、裏に隠された真実が自ずと見えてくる。そんな事を考えて、このブログを書いてます。

2017年09月

冒頭から唐突ではあるが、本論に入る前に、来るべき衆院解散〜総選挙についての私の立場を明確にしておきたい。次期衆議院選挙では「私は自民党に投票する」。私は、常に安倍政権に批判的だが、現状を考える限り、自民党以外に選択肢はないと思っている。「日本のこころ」には賛同する部分は多いが、残念ながら現状では政権政党たり得ないし、自民の補完勢力としても非力すぎる。〈その他の党は問題外〉である。自民党が画期的に変わらない限り、いつまでも自民党が政権の座に就いている事は決して日本の未来を明るくはしないが、政権政党たり得る実力のある新党が生まれていない現状では、自民党の安倍政権に日本を託すのが当面は最善の選択であると思う。北朝鮮による日本人拉致問題は事実上、日本独自では如何ともし難いが、安倍首相がトランプ米大統領と会談する度に、拉致問題への助力を求め続けたからこそ、トランプ大統領は、国連演説で横田めぐみさんの事を全世界に向けてアピールしてくれた。私はトランプ氏を全く評価していないが、こういう安倍首相の目に見えないところでの地道なご努力に対しては正当に評価したい。今、ふらついた気分やマスメディアの偏向誘導に乗って、安倍氏を首相の座から引き摺り降ろすのは日本国民にとって大きな損失である。この今の私の考えをご承知おきいただいた上で、私のBlogでの安倍批判について考えを巡らせていただきたい。それでは、以下の本論をお読みください。

敗戦後の日本は米中韓の三箇国から、それぞれ異なる動機をもった「歴史戦」を仕掛けられ続けてきた。そして、残念ながら日本政府は、それら全てに対して悉く対応を間違ってきた。第一次安倍政権が掲げた「戦後レジームからの脱却」というスローガンに一縷の希望を感じたが、結局、掛け声倒れに終わり、日本は戦後レジームから一歩も踏み出す事なく「国際社会の卑屈なる優等生」を演じ続けている。本来は「破棄」すべき、日本にとっては甚だ危険な「押し付け憲法」の「一部改正」或いは「一部加憲」に拘る安倍政権の姿には落胆を禁じ得ない。まぁ、何もしなかった今までの自民党政権より、少しでも今の「危険な憲法」を変えようとする努力は評価するが、まだまだ「戦後レジームからの脱却」からは程遠い。更に解せないのは、敗戦後の国民がエコノミックアニマルなどと揶揄されながら、必死で働いて積み上げてきた国富を気前よく(敵性国家を含む)諸外国に無償援助する事が日常茶飯の如く行なわれている事である。中にはどう考えても国民の理解を得られそうもないODA(政府開発援助)が多数存在する。ODAが日本の国益に合致するような戦略性を持った外交の一手段であれば問題ないのだが、日本政府・外務省のODA外交には「戦略性」が全く感じられない。

日本のODAについては、新幹線の輸出などでも徹底的に利害対立し、導入国への経済援助の大きさなどで太刀打ちできないほど強大に立ちはだかる中共政府に、未だに毎年300億円プラスαの無償援助を続けている事には、どうしても納得がいかない。中共人民には知らされないから感謝もされず、反日無罪などと公然と反抗してくる独裁国家に何故いつまでも血税を注ぎ込むのか? この動機は「偽りの贖罪意識」などではなく、恐らくは約2割と言われているバックマージンを目的とした、親中派議員と所謂チャイナスクールと呼ばれる外務官僚たちの、国益度外視のODA利権というものだろう。中共政府には、全く日本の責任ではない所謂「遺棄化学兵器」の処理費用として総額60兆円も毟り取られている。本来なら、武装解除させられた日本軍ではなく、兵器を押収した中国国民党に管理責任があり、現在では国民党を追い出した中共政府に管理責任が移っていると考えるのが妥当である。ダメ元で日本にふっかけた中共政府は、日本政府の満額回答にさぞ驚いた事だろう。日本政府(当時は民主党政権)は中共の要求をきっぱり撥ね付けるべきであった。事ほど左様に、日本は悪意ある国から見れば「いい鴨」なのである。こういう例は枚挙に暇がない。

安倍首相は昨年、ミャンマーに8,000億円のODAと民間投資を決めた。ミャンマー政府には、2013年に5,000億円の債権放棄と900億円の追加ODAを決めたばかりだ。実は日本政府は、2003年から2013年の10年間にミャンマー政府に対して、2兆3,000億円の債権放棄を実施している。日本のODAと巨額の債権放棄に対してミャンマー政府は口では謝意を評しているが、安倍首相が8,000億円の資金援助を決めたその年、ミャンマー商業省は同国最大の都市ヤンゴンの渋滞緩和を理由に、右ハンドル中古車の輸入の全面禁輸を決定した。これはミャンマー全土に適用されるという。事実上の日本中古車の締め出しである。この行政措置に対して日本の外務省が抗議したとの報道は聴いた事がない。多額の債権放棄と更なるODAが日本の国益に寄与しているのであれば誰も文句は言わないが、ミャンマー商業省の日本狙い撃ちとも言える右ハンドルの中古自動車禁輸措置は、日本のODA外交の失敗を如実に物語っている。ミャンマーの自動車製造販売協会の幹部は「この規制は韓国車や中共車には有利だが、両国の車は日本車ほど品質が高くない」と反発している。裏で(日本が未だに金を貢いでいる)中共政府の意向が働いている可能性が高いが、だとしても日本政府はミャンマー政府から完全に舐められているとしか言いようがない。それに気付かずODAを大盤振る舞いする日本政府にも呆れる。ODAを与えるなら、それに見合う発言力を発揮するべきだ。ロヒンギャ人を迫害するミャンマー政府に「人権を守るように諭す」くらいの指導力は発揮できる筈である。

とにかく日本人というのは外交下手である。政府間交渉に於いては深謀遠慮や高い戦略性が求められるが、その点こそが日本人に最も欠けている部分なのである。繰り返すが、莫大なODAや巨額の債権放棄には、それに相応しい発言力が伴わなければ割に合わない。更に、日本人・日本政府というのは、散々好意を寄せて尽くした挙句に裏切られても、国内向けに不快感を表明する事はあっても、相手に伝わるような怒りを表現する事を抑制する傾向が強い。だから「毅然たる正当な抗議」もしない。戦後の韓国外交など最悪である。日本人は、過ぎた事、決まってしまった事には後々まで未練がましく文句を言う事は「潔しとしない、恥ずべき行為」だと考えるからだろう。併し、その日本国内でのみ通用する美徳のせいで、悪意があるのが普通の国際社会に於いて、日本人・日本政府は常に舐められ続けるのである。「大和民族の美学」など国際社会で通用する事はないと日本人はいい加減に学習すべきである。その現実に気付かない限り、日本人・日本政府は国際社会から舐められ続け、決して真の尊敬を勝ち得る事はない。今回の主題である「歴史戦」に於いても、この現実を理解する事は非常に重要である。

米中韓の三箇国が日本に仕掛けている「歴史戦」を同時に語る事はできない。それらは余りにも動機と目的が異なるからである。ただひとつ、三者三様の「歴史戦」に共通するのは、日本人全体を洗脳している「東京裁判史観」を巧みに悪用している事である。その意味で、日本にとって最も罪深い国は、米国という事になる。

米国の「歴史戦」は、明確に日本を二度と白人国家に逆らえない米国の属国に留めておく為に、「大和民族の誇りと普遍的正義感」を封じ込めておく事にある。正に、諸悪の根源とも言える「東京裁判史観」そのものを植え付けた国が米国なのである。今の日本には、最も頼るべき同盟国米国が最も警戒すべき国という事になる。中共の「歴史戦」は、傲慢な覇権主義の下、日本を将来的に我が物とする明確な野心を持って「日本を道徳的に貶める」長期戦略に基づくものである。だから中共政府は、「日本人に対する漢民族の道徳的優位性」を絶対に手放そうとはしない。いつまでも「戦犯国家」呼ばわりを続ける事だろう。韓国の「歴史戦」は、日本の敗戦後に初めて生まれた自尊心とすら呼べない「劣情に満ちた虚栄心」を満足させ、「願望を史実化」し、日本が米国に抑えられているうちに「日本を内部から乗っ取ってしまおう」とするものである。劣情を動機としているとはいえ、日常の国民生活に直結する「今そこにある危機」であるから、このまま何の対抗策も取らないでいると、遠からず日本は朝鮮民族に完全に乗っ取られてしまうだろう。その意味で、緊急に対処せねばならない喫緊の課題、最優先で取り組むべき課題は朝鮮民族からの日本国家全般の防衛である。

従って今回は、韓国が仕掛ける「歴史戦」について論考したい。現状をありのままに正直に表現すると、韓国(=朝鮮民族)は、その目的をほぼ達成していると言っていい。詰まり、「朝鮮民族による日本乗っ取り計画」は九分通り完了しているという事である。認めたくはないが、これは紛ごう事無き現実である。全ての日本国民がこの差し迫った危機を軽視する事なく、「国家・民族の存亡に関わる重大危機」であるとの認識を共有する事が肝要である。「東京裁判史観」に歪められた、間違った「戦後教育」を長年に亘って受けてきた為に、多くの日本国民は朝鮮に対して無用な「偽りの贖罪意識」を持たされている。政治家・知識人も一般大衆と同じで、例外なく「戦後教育」を受けているのだから、この「偽りの贖罪意識」を払拭するのは大変である。そして、朝鮮民族は、日本の政財界・教育界・法曹界・芸能界・マスメディア、等々の日本の中枢に多数が通名で紛れ込んでいる。謂わば「成り済ましによる日本支配」である。「戦後教育」による「偽りの贖罪意識」と「成り済ましによる日本支配」が、この問題を解決する大きな妨げとなっている。

本来、大和民族は朝鮮民族より遥かに優秀であり、それは別次元と言っても言い過ぎではないほどの大きな能力差があると言っていい。「日韓併合」を史実に基づいて振り返れば、朝鮮民族は日本人より遥かに遅れていた事が歴然としている。実際には原始人と現代人ほどの開きがあったと言っても過言ではない。そして、日本の敗戦と共に、帰属する国家を失なったのだから、当然、反日教育など始まる前であったにも関わらず、彼等は大恩ある日本人に対して、宛(さなが)らケモノが牙を剥き出すが如く襲い掛かってきた。特に年齢に関係なく犯された婦女子への強姦は筆舌に尽くし難いものがある。原始人同然の状態から、突然、35年間も日本式教育を受けたのだから、かなりのカルチャーショックを受けた事だろう。併し、日本式教育を受けて尚このザマであるのだから、彼等の性根の腐りようは半端ではない。

敗戦直後の朝鮮半島に於いては「和夫一家惨殺事件」、日本に於いては「直江津事件」「浜松に於ける市街戦」など、常軌を逸した朝鮮人の犯罪の数々は、具体例を挙げていったら枚挙に暇がない。更に、伝統文化が朝鮮にはほぼ皆無であるのに対して、日本は世界に誇るべきものを現在も多数受け継いでいる。近代工業技術に於いても、日本は基礎研究や応用技術分野で韓国とは比較にならないほど多くの成果を上げ、尚大きなポテンシャルを秘めている。昨日も、世界が研究を競っている「量子コンピューター」の基本開発原理に東大が成功したニュースが流れていた。正にノーベル賞クラスの研究成果である。韓国人は日本に文明を教えたのは自分たちであるかの如く考えているが、そもそも今の朝鮮人に諺文(おんもん=ハングル)を教育したのは日本人である。彼等は6〜7%を占めた王族や両班の半数以上が漢文を読み書きできたのを除いて、日本に併合される前は無学文盲のその日暮らし、明日をも知れぬ原始生活を4世紀以上に亘って送っていた。現在も国民の倫理観、日常生活に於ける道徳的分別も日本人の方が高いのは言うまでもない。唯一、負の感情である劣情(=妬み嫉み、怨恨感情)に基づく言動面に於いては、日本人は朝鮮人に圧倒されるばかりで、ほぼ彼等の為すがままである。完全に負けていると断じていい。

この見解をレイシズムと非難するのは勝手である。私は、ただ事実を淡々と語っているだけだから。非難を避ける為に相手に合わせて嘘に付き合う事の方がよほど間違っている。「偽りの贖罪意識」を持つが故に、日本人は朝鮮人に非難される事を恐れ、事実を知っていても、彼等が主張する願望に基づく捏造史観を肯定してしまうという誤ちをずっと繰り返してきた。日本は戦前も戦中も朝鮮人を日本本土に強制連行などしていないが、日本に自由意志で暮らす在日朝鮮人は、長年、「自分たちは強制連行されてきた」と嘘をついている。戦後の米国による占領統治中には、米占領軍は朝鮮人たちを特別扱いし、戦勝国民と同等に扱うよう日本に強要した。これは、英国の植民地政策に見られる「被支配民族は争わせておくに限る」という「分割統治」の考え方を受け継いだものであると同時に、米国人が持つ日本人への道徳的劣等感を相殺する為に、日本人が朝鮮人を奴隷扱いしたと世界に吹聴した結果である。アフリカ人の奴隷売買で成り立って来た米国の劣等感である。更に、原子爆弾を実戦で人体実験した負い目も、日本を悪者にしておきたい大きな動機であった。

占領期間中は米軍を後ろ盾にした在日朝鮮人たちは、有りと凡ゆる蛮行を働いて廻った。日本全国では約3万人に上る朝鮮人が「朝鮮進駐軍」を僭称し、日本人女性を強姦し、数知れない略奪行為を働き、多くの日本国民の命を奪った。皇族の暗殺まで企てた。日本の敗戦前の話になるが、1923年、東京で第4回メーデーが開催された時、警察当局はメーデー会場で、皇太子御成婚の日に爆弾テロを計画していたとして朝鮮人13名を検挙した。また更に、別のテログループによる、他の宮家への暗殺テロ計画も未然に防がれた記録が遺っている。そして、動かぬ証拠として米占領軍の資料には、「占領統治中に日本人が4,000人以上朝鮮人に殺戮された」記録も遺っている。こういう史実は「戦後教育」では絶対に語られてこなかった。米国の占領統治中は厳しい言論統制が敷かれ、日本の事情に精通した在日朝鮮人たちは新聞・ラジオの「検閲」に積極的に協力した。敗戦まで彼等は日本に日本人として長年暮らしていたのだから、検閲能力は勿論有していたし、教職追放令を含む「公職追放令」の名簿づくりにも積極的に協力した。勿論、検閲を協力したのは在日朝鮮人ばかりではなく、歴然たる(反日左翼)日本人もいた事は恥ずべき史実である。彼等は当時の一般人の3倍の収入を得ていたという。

1952年4月28日に米占領軍が去って、日本が主権回復をした時点では、既に在日朝鮮人を主体とした「日教組」が史実を歪曲した「戦後教育」をリードしていた。「日教組」の設立は米国の占領統治中の1947年6月8日であり、「日教組」自体が米国による日本弱体化の為に在日朝鮮人に組織させた団体であった。占領統治中には米国の朝鮮人優遇策により多くの朝鮮人実業家が生まれた。自分たちは戦勝国民だと嘯(うそぶ)き、日本の警察権が及ばない事をいい事に、朝鮮人たちは戦後の混乱期に闇市を支配し、密造酒や麻薬を売り捌き、賭博であるパチンコ屋を始めとして多くの日本人から違法合法に金をせしめ、そこから上がる資金を元手に高利貸しを始めて、更に日本人から金を吸い上げた。ソフトバンクの孫正義氏の父君も高利貸しをして、正義氏の学費を稼いでいたという。

敗戦により希望を失なっていた日本人は、刹那的な快楽に奔り、朝鮮人経営の風俗店やパチンコ屋に吸い寄せられていった。配給統制品であるタバコや各種の缶詰などが朝鮮人に優先的に供給され、それらはパチンコの景品となり、缶詰や嗜好品目当ての多くの日本人を惹きつけた。今でも、パチンコ産業と貸金業、焼肉店や風俗店の経営者に朝鮮人が多いのは、彼等が日本人から金を吸い上げる産業構造を当時からつくりあげていた証拠である。占領期間中は自分たちは戦勝国民だと威張り散らし、乱暴狼藉の限りを尽くした朝鮮人も、日本が主権を回復し、自ら治安維持に乗り出すと、流石に今までのようには振舞えず、今度は「日本軍に強制的に連れてこられた挙句に日本人から酷い差別を受けている」と「被害者を装う」ようになった。

そんな差別を受けていたのなら、多くの朝鮮人たちが実業界で大立者(おおだてもの)になり、駅前一等地や高級住宅街に住める訳がないではないか。現 東レ会長兼経団連会長の榊原定征氏は日本国籍朝鮮人である。日本人の血は一滴も流れていない。1951年に彼の両親は日本人に成り済ました方が得だと日本国籍を取得した。併し、この両親は内心では日本に帰化する意志など毛頭無く、反日左翼思想を貫き、数々の反日活動に身をやつした。だから、「カネの力で日本人どもに復讐するのが、おまえの天命だ」と言い聞かせながら息子を育てたという噂もあながち嘘とは言い切れない。榊原定征氏の本名は崔定征である。 合成繊維・合成樹脂を始めとした化学製品を製造販売してきた三井グループの名門企業である東レは、戦前の1926年に創業されたが、榊原定征氏に代表される日本国籍朝鮮人たちによって1995年に乗っ取られてしまったのである。

1995年と言えば、「阪神淡路大震災」、「オウム真理教事件」、「国松警察庁長官暗殺未遂事件」が起きた年である。榊原定征氏は、東レの社長・会長の座をつかむ為に、朝鮮総連・韓国民団・暴力団・パチンコ業界・芸能界の在日朝鮮人の人脈をフルに活用したと言われている。更に、韓国版CIAと呼ばれる韓国国家情報院の人的・資金的な支援を受けてきたとも噂されている。 東レの出世争いのライバルは、あらゆる方法で消されていった。勿論、このような話は証言など取れるものではないから、飽くまでも噂ばなしの域を出ない。併し、日本の虎の子技術である「炭素繊維」の世界最大の工場を韓国につくり、韓国への技術漏洩を黙認した仕事ぶりを見ると、やはり日本国籍を取得してはいるが、所詮は朝鮮民族である。これは、ソフトバンクの孫正義氏の韓国データセンター建設による日本ユーザーの個人データを全て韓国に引き渡した行為にも見られる日本国籍朝鮮人の朝鮮への献身的姿勢と通底する。

敗戦後も日本に居座った朝鮮人たちは、焼け野原となった都市部の一等地を早い者勝ちとばかりに占有し、或いは、住人が疎開中に空き家に入り込んだり、酷い例では、住んでいる住人を追い出してまで、朝鮮人は高級住宅地を手に入れた。6年8箇月の長きに亘る占領期間中は、日本の警察や自治体には事実上何の裁量権も与えられず、日本国民は朝鮮人たちの横暴に為す術が無かった。全てが泣き寝入りである。そして、戦後の混乱冷めやらぬうちに、奪われた土地家屋はそのまま朝鮮人名義で登記されてしまったのである。繰り返すが、日本人に差別されていた朝鮮人が、日本で日本人より良い土地家屋を所有し、実業界で大出世できる訳がないではないか。当時の一般の日本人は朝鮮人を心底恐れていたから、気安く近付こうとはしなかった。それを差別と断じるのは間違いである。常識で考えれば分かる当たり前のこんな事も、「戦後教育」は日本人の頭の中から掻き消してしまったのである。更に、未だに特別待遇を受けているからこそ、政財界や法曹界・教育界やマスメディア、そして芸能界などで朝鮮人が我が物顔で生きていられるのである。この状態に手をこまねいている日本の政治家や財界人も既に朝鮮民族に取り込まれていると言っていいだろう。

彼等の悪しき民族性は、前述したように、日本の敗戦後に初めて生まれた自尊心とすら呼べない「劣情に満ちた虚栄心」と、日増しに強くなる「日本への怨恨感情」、そして、「願望を史実と捏造」しているうちに本人たちも気付かぬうちに真実であると思い込んでしまえる、能力というより欠陥と呼ぶべき特性である。日本社会に盤石の体制を築いた朝鮮民族の原点は、全て米国の占領統治中と戦後の混乱期に形成されたものである。米占領軍を後ろ盾として、政財界や法曹界・教育界やマスメディアで主要なポストを占めるに至った朝鮮人たちは、「日韓併合」前の惨めな国情と、日本が敗戦し、米軍に占領されていた頃の自分たちの非人間的な悪事を巧妙に隠して、「被害者詐欺」としか言いようのない生き方で、この日本で日本国民より優雅な暮らしを謳歌してきた。史実と異なる「戦後教育」と「日本の枢要な組織を支配」した日本国籍朝鮮人や在日朝鮮人は、世代がわりした日本国民に自分たちの悪事がバレない仕組みも完成させてしまったのである。

日本の中枢とも言える部分、則ち「政財界・法曹界・教育界・マスメディア」を支配する事に成功した朝鮮人たちが、「日本乗っ取り」に成功したと確信したのも、現状を見れば無理からぬ事である。日本国籍朝鮮人と在日朝鮮人が内部から日本を征服し、外部からは母国である韓国や北朝鮮が日本を貶め、恫喝する。1965年の「日韓基本条約・日韓請求権協定」は、実は米国の圧力と、韓国による日本漁民の殺傷或いは4,000名近くの拉致された日本漁民を人質に取られての交渉であった。日本にしてみれば、正に、国家間交渉の形式をとったテロリストに対する妥協であった。こんな歴史の真相も「戦後教育」では絶対に日本国民には教えないで済む社会構造ができあがっているのである。

国際社会で日本に集(たか)る乞食外交をしながら、同時に日本を恫喝し続けた韓国に現在では北朝鮮も加わって日本を脅かしている。敗戦後の満州や朝鮮半島在住の日本人引揚者に、寄って集って襲い掛かり、カネ目のものを強奪した後は、お決まりの婦女子への強姦、その挙句に男女合わせて10万人以上が朝鮮半島の朝鮮人たちに殺戮されている。朝鮮人は遺体の金歯まで抜き取って野晒しにしたという。だから朝鮮半島には日本人がつくった日本人墓地が僅かしか存在しない。今の韓国では外見上は先進国のようにインフラも整っているが、道路や住宅街、そして繁華街で賑わうその足下には、野晒しにされた日本人の遺骨が無念を残したまま散乱しているのである。韓国人は今も日本人の遺骨の上を土足で踏み荒らしているのである。これも現代の日本国民には殆んど知らされない。勿論、「戦後教育」では絶対に教えない。だから、朝鮮民族に支配されたマスメディアに乗せられて「韓流ブーム」が起きたり、売れもしないK-POPブームが詐称され、低視聴率の「韓国ドラマ」が垂れ流されるのが常態化していても、「本当の被害者である日本国民」は平気でいられるのである。

タルトンネという韓国のスラム街は日本人がつくった日本人墓地を破壊して、その上につくられた村であるが、その村の石段や住宅の礎石や石塀・石段などには「〇〇家の墓」などと掘られている為、一目で日本人の墓石である事が分かる。朝鮮人たちは墓石の漢字を隠そうともせず平然と使っているのである。日本人相手なら何をしても構わない。韓国の国民の皆がそう考えるから村全体が人目を憚る事なく日本人の墓石をおおっぴらに流用できるのである。本来は日本人の手で埋葬された日本人の墓地を朝鮮人が破壊し、日本人の遺骨の上で朝鮮人が平然と暮らす。こんな不埒な国家・民族は世界中どこを探しても絶対に見つからないだろう。そういう国と「仲良くしようぜ」と奇声をあげる左翼・人権派のデモに参加している者の中には日本国籍朝鮮人と在日朝鮮人が多い。併し、少なからぬ日本人が彼等に混ざっている現状は何と考えたらいいのだろうか? 日本人の愛国心や先人への尊崇の心は、「戦後教育」により粉々に粉砕されてしまったのである。石田純一氏・桑田佳祐氏・坂本龍一氏・村上春樹氏たちは、「戦後教育」に完全に毒されてしまった、中毒患者であり、戦後日本人の成れの果てなのである。

朝鮮人が立ち上げたソフトバンクや、朝鮮人に乗っ取られてしまった東レはもはや日本企業とは呼べないのかも知れない。後述するがこういう例は無数にある。日本政府は、シャープや東芝など、今後の日本経済の発展に欠かせない将来有望な企業が外資に買収される事態に手をこまねいてきた。オバマ前米国大統領は、16兆円もの負債を抱えて経営不振に喘いでいたゼネラル・モータースを国有化して、倒産、或いは外資に米国の基幹産業が奪われるのを防いだ。それに対して日本は、4500億円足らずの負債で倒産したエルピーダメモリを見殺しにし、シャープが鴻海精密工業に買い叩かれるのを放置し、今また東芝グループが将来一番の稼ぎ頭になる東芝メモリを韓国SKハイニックスを含む企業連合に売却されようとしているのを黙認している。シャープという優秀で尚且つ日本が培ってきた先端技術の塊のような会社を僅か4000億円で買収した鴻海精密工業は、瞬く間にシャープを立て直し、利益をあげている。併し、優良企業シャープはもはや日本の企業ではなくなってしまった。勿論、窮地に立たされた旧経営陣が産業再生機構が提示した「経営陣全員交代」などの条件を拒むという自己保身などがあった事は承知しているが、それにしても、日本政府にはオバマ氏の英断に学ぶべきところは大きいと指摘しておきたい。

こうして、日本経済を今まで牽引し、また将来の日本経済を担う可能性を秘めた企業が、韓国や中共に身売りしてしまうのを、日本政府はただ呆然と見ているだけである。併し、日本政府ばかりは責められない。2014年に「東芝研究データ流出事件」というのが起きた。この事件で東芝は1000億円以上の損失を出したと言われている。実は東芝は、非連結子会社「東芝サムスンストレージ・テクノロジー韓国」を所有していた。同子会社は、東芝とサムスン電子の合弁会社「東芝サムスンストレージ・テクノロジー」の子会社として2004年に設立された。そう、10年以上も前に東芝は関わってはいけない韓国企業と協業していたのである。今は無きサンヨーやシャープは手遅れだが、未だ日本企業である、東芝も、ソニーも、皆、韓国と関わりを持ったばかりに、人材を引き抜かれ、技術を盗まれ、苦しんでいる。泥棒を自ら招き入れた企業は悉く姿を消すか身売りする憂き目にあっているのである。「戦後教育」で育った呑気な日本人経営陣は朝鮮民族の恐ろしさを、裏切られて初めて知る事になるのである。マスメディアは一切取り上げないが、東レや本田技研、伊藤園など、日本人が知らぬ間に日本国籍朝鮮人に乗っ取られてしまった有名企業は無数にある。NHKを始めとした日本のテレビ局などは今や皆、日本国籍朝鮮人と在日朝鮮人に支配されている。

韓国や北朝鮮、そして国内の日本国籍朝鮮人と在日朝鮮人の横行は、「歴史戦」と呼ぶには余りにも低劣・卑劣で醜い所業であるが、それ故にお人好しな日本人は致命的な被害にあっているのである。今、日本はその低劣・卑劣な「歴史戦」とも呼べない「日本乗っ取り工作」にほぼ完敗してしまっている。この事実を、政治家や知識人なども含めた全ての日本国民は、害虫であるイナゴの大群(=朝鮮民族)に襲われているという認識を共有する必要に迫られている。これも皆、朝鮮民族には決して関わってはいけないという、先人が身を以て味わった苦い教訓を「戦後教育」が隠し通してきた結果なのである。「日韓併合」により、原始人同然の朝鮮民族を救おうと、世界中のどの国家・民族よりも朝鮮民族に愛情を注ぎ、尽くした結果が、「日本人への常軌を逸した裏切りと怨恨感情」であった。そういう、史実の記憶を敗戦したばかりに米占領軍に「掻き消され」、更に「捏造された史実」を植え付ける目的を持った「戦後教育」で「偽りの贖罪意識」を徹底的に叩き込まれた。そして、独立後は内外の朝鮮民族に「史実を隠蔽され」、日本人は「朝鮮民族の卑劣さ」を知らされぬまま現在に至っているのである。何度も引用したが、再び繰り返そう。殆んどのマスメディアが取り上げなかった以下の現役韓国大統領の演説である。

「たった60万人の在日韓国朝鮮人に支配された1億人の日本人奴隷!」2012年8月31日、韓国SBSテレビの番組タイトルである。この番組では李明博(当時)韓国大統領が、「北朝鮮の復興は心配ない、日本にやらせるのだ。私が日本に全てのカネを出させる。我々は既に日本を征服しているからだ。奴らのカネは我々が自由にできる。日本は何も知らない。フジテレビが証拠だ。日本人はよだれを垂らして見ている。私にまかせろ。日本にいるのは私の命令に忠実な高度に訓練された私の兵隊だ!」と、所謂「日本征服宣言」を行なった。更に、この時「日王は韓国民に心から土下座したいのなら来い、重罪人に相応しく手足を縛って頭を踏んで地面に擦り付けて謝らせてやる。重罪人が土下座もしない。言葉で謝るだけならふざけた話だ。そんな馬鹿な話は通用しない。それなら入国は許さない」と、天皇陛下へのこの上ない侮辱を公言したのである。

こんな事を国内向けとはいえ海外諸国も知る事ができる全国放送のマスメディアで現職の韓国大統領が言い放ったのである。これには日本政府は猛然と抗議すべきであった。そして、その機会を奇貨として、日本国籍朝鮮人・在日朝鮮人対策に本腰を入れるべきであった。あいにく当時の日本は多くの日本国籍朝鮮人議員が在籍した民主党の野田政権であったから、野田政権は抗議はおろか喜びを持って李明博の暴言に聞き惚れていたのだろう。併し、翌年、政権を奪取した安倍政権も李明博の「日本征服宣言」に対して全く異を唱えなかった。またしても汚い「歴史戦」に敗北を喫したのである。そして在日朝鮮人問題に着手する戦後初にして最後の千載一遇ともいうべきチャンスを逃したのである。

安倍政権は、そんな韓国に今年10月に日本国民全員の住民情報を売り払う決定を下した。マイナンバー制で登録されている全国民の個人情報を韓国の国策企業であるLINEに全て開示し、各種行政サービスをLINE経由でできるようにするというのだ。この制度は、「マイナポータル」といって、例えば、子供の予防接種、各自の健康診断などをLINEのプッシュ通知でアナウンスする事で、必要な行政サービスを電子申請できるというものである。総務大臣の高市早苗氏は、「マイナポータルを利用者目線で考えました。マイナポータルは、パソコンから書類申請などもできますが、よく考えてみると、そこまでパソコン起動するのかな、と思いました。せっかくスタートするのだから、スマホでもできるようにと考え、その延長線上に、LINEがあった」と事も無げに話し、日本国内で約6,800万人のユーザーを抱えるLINEと連携する事は、行政の窓口との距離感を埋めていく上で、効果があると考えたという。韓国への情報漏洩の心配は無いというが、余りにもお気楽過ぎはしまいか? 今までの説明と符合させると、これは本当に恐ろしい事である。日本という国家が、日本に低劣な怨恨感情を滾らせる韓国に腹を見せて横たわるのである。

韓国の国策企業として、ひたすら韓国企業である事を隠して、日本企業だと言い張り続けて発展したLINEは、一定のユーザー数を獲得すると、事も無げに「実は韓国企業でした」と真実を明かした卑劣なスパイ企業である。日本が国家として、そんな企業を受け容れるのは常軌を逸した判断である。日本政府・総務省は「正気なのか?」と問い質したい。パソコンやスマホで行政サービスをするのなら、日本独自の通信アプリを日本企業に開発させ、敵対国家に国家情報が容易に漏洩しない方法をとるべきである。日本企業ならLINEに変わり得るアプリを開発する事は簡単である筈だ。開発し公開した途端に全日本国民が加入する仕組みにすれば、6,800万人のLINEユーザーに対して、日本の総人口である1億2693万人のユーザーを持つ企業が生まれる事になるのだから、事業としても充分に成り立つ。わざわざ敵性国家韓国の国策企業に情報を流す愚は犯さずに済む。日本政府・総務省には何故このように、日本を護り、且つ独自に優良企業を立ち上げようとの創意が無いのだろうか? そうすれば韓国のスパイ企業であるLINEなど瞬く間に駆逐できるではないか。間抜け過ぎて開いた口が塞がらない。

去る6月に総務省がマイナポータル制度を発表した、同じ月にトヨタ自動車までもが、自動運転技術でのLINEとの協業を発表した。トヨタ自動車といえばハイブリット車の技術移転を執拗に要求する韓国現代自動車に対して毅然と断り続けてきた企業である。日産自動車が仏ルノーの傘下に入った事はメディアを通して広く日本国民に知らされた。併し、日本国民が知らぬところで、多くの有名企業が朝鮮民族の軍門に下っている。本田技研も日本国籍朝鮮人に経営権を奪われて久しい。散々もめ続けた東芝メモリの売却先も巡り巡って韓国SKハイニックスと外国企業連行に売り渡す方向で今月中にも結論が出る模様だ。宇宙開発のJAXAも第一次はやぶさ計画始動前から韓国企業に潜り込まれている。そして、日本独自で開発した技術がどんどん韓国に吸い上げられているのである。

東レ、セブンイレブン、ローソン、イオン、楽天、ニトリ、オリエンタルランド(日本ディズニーランド)・ベネッセコーポレーション・伊藤園・ライオン・花王・リクルート・ロッテ・無印良品・ヤマダ電機・ビックカメラ・三菱東京UFJ銀行・みずほ銀行・住友銀行・新生銀行・三菱モーターズ・ヤマハ・西友・ブリジストン・文藝春秋・ファーストリテイリング(ユニクロ)・JT(日本たばこ産業)・スタジオジプリ・劇団四季・吉本興業・キリン・サントリー・京セラ・ツタヤ・エイベックス・ジャニーズ事務所・全ての地上波テレビ局、全ての新聞社(産経新聞も例外ではない)、等、等、等、 …これ以外にも、本当に数え上げたら切りが無いほどの日本企業が日本国籍朝鮮人や在日朝鮮人に経営権を奪われているか脅かされている実態を殆んどの日本国民は知らない。更に、国会議員や国家公務員・地方公務員、大学教授や小中高校の教諭、そして検事や弁護士にも朝鮮人が大勢、通名で紛れ込んでいる。

李明博(当時)韓国大統領が、嬉しさの余り「日本征服宣言」を発した気持ちも分からぬではない。聞くところによると、米国ではNASAもAppleも韓国人もしくは韓国系の採用を取りやめ、従業員も解雇したという。何故なら彼等、朝鮮民族は帰化しようが永住権を取得しようが決してその国には尽くさず、盗んだ極秘情報を皆 韓国に持ち帰るからだそうだ。朝鮮民族はハーフもクォーターも一緒である。朝鮮民族はどこまでいっても所詮、朝鮮民族なのである。日本政府や日本の民間企業に比べて、NASAもAppleも賢明である。「東京裁判史観」により歪められた間違いだらけの「戦後教育」で、朝鮮人に対して「偽りの贖罪意識」を植えつけられ、朝鮮人の悪事を隠蔽する「戦後教育の被害者である戦後世代」で占められている日本政府や日本企業と、米国のNASAやAppleを比較してどうこういうのは公平では無いが、不公平だからといって、この状態を放置したままでは、国を失なうのは日本人である。これは、公平・不公平の問題では無い。

日本は、米国の日本弱体化政策により、朝鮮民族という、この上なく醜く危険な細胞を体内に埋め込まれた。正にこれは致命的であった。政財界・法曹界・教育界・マスメディアなどを支配されてしまった日本国民は、その被害事実さえ知る機会を奪われたまま現在に至っている。併し、インターネットの普及は朝鮮民族による日本支配を完遂一歩手前で食い止める手掛かりとなっている。インターネットの普及は公教育と新聞やテレビ、ラジオにのみ情報を頼っていた社会を一変させた。現代は、誰もが自分で史実を調べて発信できる時代である。この時代の到来があと10年、いや5年遅ければ、日本は朝鮮民族に完全に支配されてしまっただろう。「大和民族・日本国・日本文明の消滅」である。「文明の衝突」で有名な、サミュエル・P・ハンティントン博士は、日本を「一国一文明」と看做していた。世界四大文明という考えがあるが、人類文明史の歴史観のひとつとして、 歴史上、4つの大文明が最初に起こり、以降の文明は皆この流れをくむとする仮説である。 「四大文明」とは、メソポタミア文明・エジプト文明・インダス文明・黄河文明を指すが、「日本文明」だけはこれらから完全に独立した全く独自の文明であるという学説である。

人類は危うく「日本文明」を失なうところであった。新羅や高句麗が、現在朝鮮半島に住む朝鮮人に国を乗っ取られ、滅ぼされてしまったように、危うく日本も朝鮮民族に滅ぼされるところであった。朝鮮民族は、宛(さなが)ら害虫イナゴの大群のように朝鮮半島で栄えようとしていた民族を滅ぼし、その地に居着き長らくそこで文明の進歩を停滞させていた。そして、「日韓併合」と、日本の大東亜戦争敗戦を機に、今度は日本を丸々乗っ取ってしまおうとしているのである。公教育も、マスメディアも、新興宗教も、皆、朝鮮民族に乗っ取られてしまっている。彼等は勝利を確信して、拙速にも「日本征服宣言」を出してしまった。併し、日本にとって幸にも、彼等が予期せぬインターネットの時代が既に訪れていたのである。日本国民を取り巻く情報環境で唯一、朝鮮民族の完全支配を免れているのがインターネットの世界である。今、彼等は慌てている。「日本人の覚醒」など先ず有るまいと高を括っていたところに、インターネットで真実が次々と明らかにされ、朝鮮民族が隠し通してきた様々な悪事が白日の下に晒され始めたのである。

それに対処する為に、朝鮮人はWikipediaの書き換えの専門部隊を組織し、次にFacebookのセキュリティを請け負って、史実の暴露を露骨に食い止めに掛かって成功を収めている。Wikipediaでは日夜書き換え合戦が熾烈に行なわれている。Wikipediaは、公教育やマスメディアでは知り得ない情報を知る事ができる非常に便利なものだが、見る度に記述が変わるWikipediaだけでは、今や信頼に足る史実確認はできない。併し、個人Blogやネットの各種コミュニケーションツールの世界ばかりは、未だに朝鮮民族の言論統制は完全には及んでいない。日本の政治家と官僚、地方公務員、教育者や裁判官や弁護士、そして財界にも朝鮮民族が大勢、通名で入り込んで絶大な力を発揮している。安倍政権も知らぬ間に朝鮮民族の思いのままに動いている。日本を動かす政権政党の座に就いている自民党、特に安倍政権には、日本が朝鮮民族に支配される最終局面にある現状を「大和民族存亡の機」と正しく認識していただきたい。併し、前述の「マイナポータル」導入などを見る限り、今は全く危機意識を持っていないと断じざるを得ない。唯一、朝鮮民族の自由にならないのがインターネットの世界である。詰まり、インターネットこそが「朝鮮民族の日本乗っ取り計画」を暴き、眠っている日本国民の意識を覚醒させられる唯一の拠り所なのである。

今やインターネットの世界こそが、「日本人と朝鮮民族の歴史戦」の崖っ淵の主戦場なのである。一人でも多くの日本人がその事実を認識する必要に迫られている。我々日本人はこの戦いに負ける訳には行かない。何としても勝ち残らねばならない。その為には、先ず、政権政党に「日本が未曾有の危機に晒されている」現状を理解させる必要がある。現状を真摯に直視すれば、我々が目指す道程は気が遠くなるほど困難である。併し、それに成功すれば、公教育〜マスメディアと日本の枢要な部分を取り戻して、日本を徐々に正常化していけるだろう。日本こそが、国際社会の不条理に義憤を持ち、公然と抗議する資格のある唯一の国家なのだから。全人類の正義と尊厳を護る為に、我々日本人は朝鮮民族如きに負ける訳にはいかないのである。このBlog記述を大袈裟だと嗤う者は、畢竟(ひっきょう)、自らが滅びの道を歩んでいる現実を思い知る事になるだろう。

今の日本は「健全な国家」と言えるだろうか? 私は、決して今の日本が「健全な国家」であるとは思わない。諸外国と比べれば、経済大国と呼ばれるまでに目覚ましい発展を遂げた事は米国の都合に依るところ大とはいえ誇らしい事実であるし、何より極めて治安がいい。これは大和民族の誇れる資質のほんの一側面である。大災害に見舞われても暴動や略奪は起きないし、世界に誇るべき伝統文化もたくさん遺されている。併し、敗戦後に植えつけられた「謂れのない贖罪意識」により、「冤罪」に対して必要のない「謝罪と賠償」を繰り返し、反日国から「日本は侵略国家・残忍な戦犯国家・組織的強姦魔である」と貶められても、まともに反論すらしてこなかった敗戦後の日本の外交姿勢には、先人が資質として備え持っていたもうひとつの側面である、正義感と勇敢さ、そして何よりも自尊心が全く感じられない。日本が国家として、国際社会の不条理に「義憤」を表明しなくなってから何と久しい事だろう。

主権国家でありながら、当初は米国から禁じられた自国を護る権利を、いつしか日本国民自らが信奉するようになり、自衛戦争さえ忌避するまでに怯懦な国民に堕落し、米国の顔色を窺いながら、卑屈なほどに国際社会に於ける優等生を演じ続けている。大東亜戦争前に米国を始めとした白人諸国が望んだ通りの「弱々しい臆病者国家」に日本は堕している。こんな現在の日本の姿には、私以外にも少なからず居るであろう心ある日本人は、言い知れない危機感を募らせ、どうしたらこの日本の精神的惨状を根本から再建させられるか日夜真剣に悩んでいる筈である。政治家を始めとした、大学教授やシンクタンクの研究者、そしてジャーナリストや評論家など、所謂知識人たちは、全員とは言わぬまでも、その殆んどが「東京裁判史観」の影響下に置かれている。「東京裁判史観」に異を唱える「侍」は教育機関やマスメディアから締め出されてしまった。未だに「公職追放令」の後遺症が日本の枢要な世界で猛威を振るっているのである。

少なからぬ数を占める蒙昧な国民には教育機関やマスメディアを疑う知恵と知識がない。愚か者には日本の枢要な世界が敗戦利得者の末裔や日本国籍朝鮮人、そして在日朝鮮人に乗っ取られている現実が全く見えていない。それより深刻な事は、学業で優秀な成果を上げた者こそが、より強く「戦後教育」に汚染されている事である。立派な経歴を得るには、間違った「戦後教育」で優秀な成績を収めないといけない。優秀である筈のキャリア官僚が、実はお花畑に暮らす精神薄弱な国民であるところが日本の救いようのない惨状なのである。認めたくはないが我が国は今や朝鮮民族にほぼ乗っ取られてしまっている。事ここに至っては、この惨状を嘆いているまともな正気を保った日本人も、ただ嘆いているだけでは何も解決しないという事にいい加減に気づいて、自ら行動を起こさないといけない。事態はかなり逼迫している。国民ひとり一人には国家や歴史を動かすほどの力はないが、ひとりが声を上げ続ければ、その声に耳を傾け、真実に目醒める日本国民は必ず現れ、やがては国の誤ちを正す一大勢力にならないとは誰にも言い切れないだろう。それこそが今の日本に残されている唯一の希望といってもいい。日本人として生まれたからには、人それぞれの能力や生きている環境が違っても、「失われた先人たちの志」を再び喚起し、「次世代に継いでいく使命」を背負っているという自覚が求められる。

併し、外交力と軍事力の両方が揃って初めて国防が成り立つという現実を疎かにしてきた余り、経済大国ながら余りに非力な国力の日本が、実は日本を疎んじここまで堕落させた張本人である悪辣な米国に付き従って生き延びているのは、当面は止むを得ない弱者の宿命である。米国の覇権が絶大なうちは日本の指導者の地位に最も相応しいのは安倍晋三氏のような人物であるのは間違いない。内政・外交ともに数々の誤ちを犯してはいるが、歴代の首相の中では突出した高い手腕を見せてもいる。併し、歴史を振り返れば、強大な覇権国家と雖(いえど)も、高が一国の広域覇権というものは所詮は移ろい行く儚いものである。嘗ての、支那大陸で繰り広げられた「易姓革命」での興亡の繰り返し、ローマ帝国の興亡、大航海時代のスペイン、ポルトガルの興亡、そして、最強の名を欲しいままにした大英帝国の衰退の歴史を見れば、超大国米国もやがては覇権を他国に譲って行くのは必定であろう。歴史に学べば日本はいつまでも米国の属国の地位に安住していてはいけない。それは滅びの道に繋がっているからだ。

初めて明かすが、私は長年マーケティングに携わってきた。だから広告代理店やマスメディアの在日汚染には早くから危機感を抱いていた。当時は、危機感というより「違和感」と言った方が正直な表現である。広告業界といえば、言わずと知れた日本国籍朝鮮人や在日朝鮮人が跳梁跋扈する、最も「東京裁判史観」の醜い側面が顕著な業界のひとつである。当然、私自身が「戦後教育」を受けた世代だから「東京裁判史観」に対しても大きな抵抗は抱いていなかった。敗戦国なのだから、こんなものなのだろうと半ば当たり前のように米国が仕込んでいった在日たちの絶大な影響下で仕事をしていた。米国へのコンプレックスも、それこそ人並みに持っていたから、使用するモデルは白人ばかり。それが格好良かったからこそ多くの若い購買者層に受けた。子供服も、婦人服も、宝飾品も、例外を除いて白人モデル以外は使わなかった。この、白人=格好良い、という傾向は今の広告業界=国民の志向に於いても何ら変わっていない。

「戦後教育」にどっぷり嵌って育ってきたのだから、現在確信的に持っている「歴史観・国家観・人生観」など、若かりし頃の私にある筈がない。今ある「確信」は、ふとした切っ掛けで自ら歴史を学ぶ機会を得たお陰で形成されたものである。マーケティングで培ったマインド分析の手法や分析能力、その他数々の知識と経験の総てが「東京裁判史観」を間違いだと証明してくれるのは皮肉としか言いようがない。とはいえ正直なところ、私は今でも芯から米国を憎む事ができない。私の人生の半分は、米国とは眩しいほどに輝く憧れの存在であり続けた。併し、情緒的にはともかく、理性的に種々の情報と歴史的ファクトを整理分析し理解すれば、米国とは、途轍もなく我が国を身勝手に傷めつけてきた国である。これからも連綿と続くであろう日本という国家の命運を賭けるに値しない相手である。とはいえ現状を怜悧に受け容れれば、反米思想は日本を不利にこそせよ決して有利には導かない。その意味では、米国のポチと揶揄される安倍首相の米国への忠誠心とも思える健気な外交姿勢は〈当面は〉正しい。

併し、勝手に戦争に引き摺り込んで、完膚無きまでに日本を傷めつけた戦勝国として、敗戦国の国民を洗脳し、勝手に憲法モドキを押し付け、現在もそこから脱却する事を許そうとしない米国の政治姿勢は、史実を知る日本人にとって許せるものではない。「戦勝国側による〈私刑〉の結果と、占領期間中の厳しい言論統制」により実に緻密な計画性をもって植え付けられた、脱却すべき「東京裁判史観」と、戦勝国側だけに都合が良い「戦後世界秩序」、そして、嘘で歪められた「戦後教育」の軛(くびき)から逃れる事は、日本という国家・民族の存亡に関わる、現代の日本国民に課せられた重大な責務・使命である。

米国の日本洗脳の第一段階は「朝鮮問題」から始まったと言っても決して過言ではない。その視点に立てば、未だに現在の日本が抱える敗戦に纏わる諸問題の根源が正に「朝鮮問題」である事が歴然と見えてくる。開戦前からウィンストン・チャーチル英首相と、日本を完全に武装解除してしまおうと密談し、意地悪く日本を戦争へと追い込む事に成功しはしたが、その戦争の勝利を見ずして任期半ばに命を落としたフランクリン・ルーズベルト米大統領は、1943年11月23日~27日、エジプトのカイロに於いて、盟友であるW・チャーチルと、中華民国主席 蔣介石との三人で対日戦争について会談した。公式の議事録も何も遺っていない、俗にいうこの「カイロ会談」の場で、F・ルーズベルトは唐突に「日本人は朝鮮民族を奴隷化している。日本人は朝鮮人を奴隷にして搾取している」と言い出した。ダグラス・マッカーサーが日本に降り立って初めて公式に演説した内容も、「朝鮮人奴隷の日本からの解放」であった。

F・ルーズベルトのこの言い掛かりは、史実を無視した悪意に満ちた誣告(ぶこく=嘘で相手を貶める)行為である事は明白である。蛇足だが、この「誣告」なる聞き慣れない言葉は朝鮮民族の特性を調べていた時に覚えた言葉である。米国は日露戦争に於ける予期せぬ日本の勝利を見て以来、日本を第一の仮想敵国と見做すようになった。日本との戦争計画である第一次オレンジ計画が策定されたのもこの時期である。そして日露戦争が終わった後に、真っ先に米国がとった外交政策は、朝鮮にある在外公館の引き揚げだった。この時、F・ルーズベルトの伯父にあたるセオドア・ルーズベルト米大統領は「もはや朝鮮は国の体を成していない」という発言をしている。長田彰文氏(歴史学者・政治学者)の「セオドア・ルーズベルトと韓国」に「私は日本が韓国を手に入れるところが見たい。日本はロシアに対する歯止めの役割を果たす事になる」と T・ルーズベルトが発言したとある。

T・ルーズベルト米大統領とは、日本が日露戦争突入前に、程良いところで講和の仲立ちを依頼していた人物である。併し、依頼された通りに日露戦争での講和を仲立ちした T・ルーズベルトは、ロシアからの対日賠償金を日本に何の相談もなく放棄してしまったのである。多大なる犠牲を払って獲得した勝利であったが、日本はロシアからびた一文の戦時賠償金さえ受け取れなかったのである。当時、戦勝国は領土・領海と共に多額の賠償金を受け取るのが国際常識だった。第一次世界大戦の敗戦国ドイツは、領土と共に国家予算の20倍もの戦時賠償金を支払わされた。その恨みが後にヒットラーを生み出す原動力になったとも言われている。 T・ルーズベルト自身が、日本は「仮想敵国だ」と公言していたというから、そもそも日本の得になる事をする筈がないのが、当時の大日本帝国政府には分からなかったのである。長きに亘って国を鎖していた島国ゆえの欠点であろうか、日本とは実に外交下手な国である。その外交下手は敗戦後に益々磨きが掛かってきた。安倍首相に対する不満は尽きないが、そういう日本人気質を考えれば、苦手な外交分野でよく頑張っていると評価できる部分は大きい。

T・ルーズベルトは、「この一番処理の難しく、一番タチの悪い朝鮮という国を日本に押し付けてしまえば、日本は混乱に陥るだろう」という発言もしており、日本に強い敵意を持っていた事が理解できる。T・ルーズベルトとはそういう男であった。従って、あの時期に朝鮮から公館を引き揚げたのは対日戦略の一環とみて間違いないだろう。「行かないでくれ」と泣いてすがる朝鮮人に対し、「お前の国は留まるに値しない。今後は日本を頼れ」と言い残して米国は朝鮮半島から出て行った。この他にも数々の朝鮮人を見下す発言をしている。この米国の行為が結局、「日韓併合」の布石となったのである。実際、朝鮮人が頼ってきたのが日本であった。日本は日清戦争に勝利し、1895 年4月17日に下関の春帆楼(しゅんぱんろう)で講和会議を開いた事から「下関条約」と呼ばれた清国との講話条約の第一条に、李氏朝鮮の清国からの完全なる独立を明記した。講和条約の第一条には戦勝国の戦争目的が如実に現れるものである。日本は、南下政策を窺うロシアに対して、大韓帝国という新国家と共に力を合わせて対峙したかったのである。

併し、4世紀の高句麗の広開土王の時代から朝鮮半島は支那の一地方であったとの説得力のある学説もあり、今の朝鮮民族が朝鮮半島に住み着く前から朝鮮半島全域は支那の強い影響下に置かれていた。易姓革命で支那を統治する民族が入れ替わっても朝鮮半島は常に支那の王朝に朝貢していた。朝鮮は支那の冊封国の中でも極めて序列が低く、琉球王朝(現在の沖縄県)よりも下位の扱いを受けていた。朝鮮王朝が三跪九叩頭の礼(さんききゅうこうとうのれい)を強いられていた事からも序列の低さが窺い知れる。朝鮮が支那の一地方か支那の冊封国(属国)かは見解の別れるところだが、少なくとも一千年以上に亘って独立国であった経験のない朝鮮を、日本は清国を破って独立させたのである。併し、主権国家の経験が一度としてない朝鮮の実態は、大韓帝国を名乗るも事実上は日本の保護国となるのがやっとであった。その大韓帝国の政府と朝鮮最大の政治結社「一進会」(イルフンチェ)により、日本は執拗に国家併合を懇願されていた。国家経営の経験のない大韓帝国が借金漬けの破綻国家になり、強国の保護を求めてくるのは必然であった。

1909年12月4日、大韓帝国最大の政治結社、一進会(イルフンチェ)による「韓日合邦を要求する声明書」には以下のように記述されている。
「日本は日清戦争で莫大な費用と多数の人命を費やし韓国を独立させてくれた。また日露戦争では日本の損害は甲午の二十倍を出しながらも、韓国がロシアの口に飲み込まれる肉になるのを助け、東洋全体の平和を維持した。韓国はこれに感謝もせず、あちこちの国にすがり、外交権が奪われ、保護条約に至ったのは、我々が招いたのである。第三次日韓協約(丁未条約)、ハーグ密使事件も我々が招いたのである。今後どのような危険が訪れるかも分からないが、これも我々が招いた事である。我が国の皇帝陛下と日本の天皇陛下に懇願し、朝鮮人も日本人と同じ一等国民の待遇を享受して、政府と社会を発展させようではないか」
…現在の韓国国民は、こういった歴史的事実を政府から意図的に教育されていない。そして、現在の韓国人は、こういった否定のしようがない事実を物語る証拠を見せられても決して素直に受け容れる事ができない民族的欠陥を有している。

当時の日本はロシアの南下政策に重大な脅威を感じていた。独立国として共にロシアと対峙するべく手を打っていた日本も大韓帝国の余りの体たらくには失望した。当時の大韓帝国政府は日本の保護国でありながら、南下を窺うロシア公館で1年余りも大韓帝国皇帝が執務を行なうなど甚だ恩知らずで危うい行動をとる事も日本の危機感を増幅させた。そのような経過を経た上で、「4度に亘る大韓帝国側からの正式な併合の懇願」を受け、日本は多大な経済的損失を覚悟で「韓国併合止む無きを得ず」の結論に達したのである。歴史に「あの時こうしていれば…」は禁句であるが、当時の先人が下した結論は取り返しのつかない間違いであった。この判断ミスさえしなければ、現在、日本と世界を悩ます、韓国と北朝鮮という国家は見窄(みすぼ)らしい未開な地域のままでいただろう。もしかしたら朝鮮民族の国家など滅亡していたかも知れない。

調べれば素人でも解るこんな史実さえも、「東京裁判史観」で洗脳され切った日本政府には理解できないのが不思議でならない。前述したように、学業優秀な者たちほど「東京裁判史観」に忠実であろうとするのである。歴史に限らず「何事も願望を事実と詐称する」韓国の主張を鵜呑みにするのも「東京裁判史観」の影響著しい「戦後教育」により「偽りの贖罪意識」を持たされているからだ。だから、日本の政治家も文部官僚も、日本の青少年に公教育で「日本は武力により朝鮮を植民地支配しました」と検定教科書に捏造史観を明記させて平然としていられるのである。武力侵略したというのなら、何故わざわざ「日韓併合条約」を取り交わし、皇族を嫁がせ、朝鮮皇帝の血筋を引く者を順皇族扱いという厚遇で迎えたのか? 何よりも大韓帝国政府からの度重なる併合懇願の公式文書が幾つも存在しているではないか? 日本の政治家と官僚たちには、改めて真実の歴史を、近現代史だけでいいから真摯に学び直していただきたい。そして、「日教組」を始めとした反日組織に籍を置く在日朝鮮人教師と左翼教師は、将来ある日本の青少年に朝鮮民族の根拠無き願望を史実であるかのように教育して日本を貶めるのを即刻やめて欲しい。

これも、今の韓国人には受け容れ難い事だろうが、朴正煕韓国大統領は石原慎太郎氏に以下のように語ったと石原氏自身が書き遺しておられる。
「併し、あの時、我々は自分たちで選択したんだ。日本が侵略したんじゃない。私たちの先祖が選択した。もし清国を選んでいたら、清はすぐ滅びて、もっと大きな混乱が朝鮮半島に起こったろう。もしロシアを選んでいたら、ロシアはそのあと倒れて半島全体が共産主義国家になっていた。そしたら北も南も完全に共産化された半島になっていた。日本を選んだという事は、ベストとは言わないけど、仕方なしに選ばざるを得なかったならば、セカンド・ベストとして私は評価もしている」
…セカンド・ベストという言葉に朝鮮人の恩知らず振りが如何なく現れている。ではファーストの選択肢があったとでもいうのだろうか? そんな選択肢など有りはしなかったが、少なくとも朴正煕氏が現役の韓国大統領時代に「日韓併合」をこのように肯定的に語っていた事実を韓国政府も韓国国民も真摯に受け止めるべきではないか? 「反日教育しか受けていないから知らぬ」では済まされない。日本に向かって「歴史を直視せよ」などと良く言えたものである。朝鮮人こそ願望に基づく嘘はやめて「歴史を直視するべき」なのである。

2000年頃の統計で比較すれば、韓国に於ける虚偽告訴罪は日本の約4000倍も有り、如何に韓国人(=朝鮮民族)が嘘つきな民族性を持っているかが分かる。偽証は日本の671倍、詐欺は17倍、虚偽告訴は4151倍という記録もある。このような事実は、拓殖大学国際学部教授の呉善花(オソンファ)氏も著作の中で認めておられる。呉善花氏は1988年に日本に帰化されている。私は日本への帰化手続きを完了した朝鮮人を韓国系日本人とは呼ばずに「日本国籍朝鮮人」と呼ぶ事にしている。あらゆる民族の中でも特に朝鮮民族だけは帰化しても決して帰化した国に順応できないからだ。だから韓国系の「日本人」とは呼べないのである。呉善花氏のような方は稀有な存在で、彼女のような方であれば韓国系日本人と呼んでも抵抗はない。併し、殆んど総ての朝鮮人にとって帰化とは単なる便宜上の国籍変更でしかない。帰化した国が日本であっても米国であっても同じである。そして、理解不能な事に母国への異常な執着を捨てきれないのも朝鮮民族の特質である。他国に移り住もうと民族のルーツを捨てきれないのは当たり前の事ではあるが、朝鮮民族だけは帰化した国への忠誠心を持とうとせず、母国への異常な執着を捨てない。どの国に帰化しても大嘘つきな悪しき民族性も変わる事は決してない。

併し、困ったもので嘘つきは朝鮮人ばかりではない。F・ルーズベルトの発言記録を調べると、「日本人による朝鮮人奴隷化説」をこの男は至る所で度々繰り返している。ヘレン・ミアーズの著作をみても、1943年のカイロ宣言の翌年の8月、「アジア人は日本の奴隷になりたくない」というF・ルーズベルトの公式発言を其処此処で取り上げ、日本を糾弾している。冗談ではない。実際に数百年に亘りアジア人を奴隷同然に扱い、植民地として搾取し続けていたのは、英・仏・蘭・西を始めとした白人国家で、当の米国もフィリピンのアギナルド将軍を騙してスペインと戦わせ、独立させるとの約束を反故にして20万人のフィリピン人を殺戮して植民地にしてしまったではないか。当時のフィリピンの軍人総数は約8,000名であるから、米国は騙し討ちで19万人以上の民間人を殺戮してフィリピンを我が物にしたのである。然るに、まるでアジアの人々が日本人に解放されるより白人の奴隷のままで居たがっていたかのような身勝手な言いぐさである。植民地を持つ白人国家は、当時の日本とは異なり、例外なく植民地の人々を奴隷的に扱い、酷い例では現地の人口を10分の1にまで減少させてしまうほどの過酷な植民地搾取を実行した上に本国の繁栄を謳歌していたのである。 

当時の米国を始めとした白人国家の本音は、そんな美味い汁を吸える「世界各地の植民地を手放したくなかった」だけである。その白人有利の国際社会の構図を覆そうとしたのが、差別の対象であった有色人種の国家である日本による、第一次世界大戦後のパリ講和会議の国際連盟委員会に於ける人類史上初の「人種差別撤廃提案」であり、「アジア諸国の大同団結と共存共栄」を謳った「大東亜共栄圏構想」であった。これこそが「八紘一宇」の概念である。それが白人列強諸国の逆鱗に触れ、日本は寄って集(たか)って潰されたのである。だから、先の大戦の呼称を米国が強制したように「太平洋戦争」などと呼ぶのは、もういい加減やめにして、大日本帝国政府が正式呼称とした「大東亜戦争」と呼ぼうではないか。「太平洋戦争」とは米国が当時の日本が世界に主張したかった高邁な理想を覆い隠す為の意味の無い呼称である。我々の先人が命懸けで戦った先の大戦は、正当な由来ある呼称である「大東亜戦争」と呼ぶべきなのである。日本国民が「大東亜戦争」と呼べるようになった時こそ、「東京裁判史観」から脱却できた時なのであろう。

この主張には、国内の左翼や日本国籍朝鮮人や在日朝鮮人が猛反対するだろう。国外では、中共・韓国・米国が反発するだろう。「歴史修正主義」だとか、「戦争の美化」、「軍国主義の復活」などとの言い掛かりをつけてくるのは目に見えている。併し、「軍国主義の復活」など、私を含む多くの保守層は決して望んではいない。「歴史修正主義」という非難には、間違いを正す行為がなぜ悪い事なのかと問い直したい。「論語」は「過ちては改むるに憚ること勿れ」と諭しているし、英語でも「It is never too late to mend.」というではないか。「戦争の美化」というのは、ある部分当たっているかも知れないが、国家が自国の歴史を美化して何が悪いというのだろうか? どこの国でもやっている事だ。正確には「美化」ではなく「正当化」である。大東亜戦争は正しく「国家の正当防衛」であった。これは、D・マッカーサーも後に上院軍事外交共同委員会で証言している事である。醜く歪められた「東京裁判史観」から脱却できていれば、自国の歴史の正当性を語る事は何の不思議もない普通の国がやっている事だとごく自然に理解できる筈だ。

左翼言論人の中には、「マッカーサーは日本の戦争を擁護などしていない」と主張する向きもある。その論旨は、マッカーサーの長い主張の中から一部分だけを摘まみ採って、戦争に至る日本の事情説明部分を曲解しているというものである。更に、戦後僅か5年しか経ていない傷痍軍人たちが大勢いた戦争の記憶の生々しいこの時期に、大統領職を狙っていたマッカーサーが、そのような発言をする訳が無いとも主張している。そして、マッカーサーは「Self-defence」とは言わずに「Security」という言葉を遣ったと屁理屈をこねる。「Security」に「安全保障」という意味が無いとでも言いたげだが、「安全保障」という意味合いも確かにある事は、手元の辞書を引くまでもなく自明の事である。傷痍軍人たちが大勢いた戦争の記憶の生々しい時期だからこそ、マッカーサーは言葉を選んで遣ったのである。

左翼や日本国籍朝鮮人、そして在日朝鮮人はとにかく日本の戦争を悪く評価する。「戦争とは、人と人の殺し合いであるから、戦争美化は罷りならん」の一点張りは、正論ではあるが現実を無視した余りにも情緒的な反応である。国家の正当防衛まで否定する愚か者は、他人に暴力を振るわれた時にただじっと耐えていられるのだろうか? 警察に通報はしないのだろうか? もし警察を頼るなら、自分の手を汚さずに武力行使を代行させた事になる。平和平和と唱えて何もしないで無事に過ごせるのは、「誰かが自分の代わりに戦ってくれるから」となぜ気付かないのだろうか? 左翼などという輩は皆、頭の悪い偽善者で卑怯者なのである。

F・ルーズベルトが「日本による朝鮮人奴隷化説」を強調しなければならなかったのは、米国自らの暗黒の歴史を糊塗し、日本を道徳的に劣った国であるとの印象操作をする必要に迫られての大嘘なのである。白人国家米国の性悪なところは、戦争を仕掛ける時に必ず自国が正義の立場にいる事を国際社会に印象付けるという狡猾な遣り口をとる事である。これは英国から受け継いだ卑劣な戦法である。嘘偽りのシナリオを用意し、相手に先に手を出させる。相手がその手に乗らなければ、相手に成り済まして自国を攻撃する事も辞さない。私は陰謀論は好まないが、9.11の米同時多発テロは米国の一部勢力の自作自演であった可能性が高いと考えている。数々の証拠と証言がそれを示している。日本に真珠湾を先制攻撃させたのも米国のヤラセである。米国という国は、「戦争目的を果たす為には自国民の犠牲を自ら創りだす」悪質で恐ろしい国なのである。現在、北朝鮮と米国の戦争勃発が危惧されているが、米国が求める条件が整わない限り、米軍の先制攻撃による米朝戦争は絶対に起きない。もし米朝戦争が起きるとしたら、米国は必ず周到に中共やロシアの支持もしくは黙認を取り付けた上で、第二のプエブロ号事件*を演出するだろう。或いは北朝鮮の暴発である。正しい歴史を顧みれば自ずと導き出せるこのような事も理解できずに、空母カールビンソンが接近してきただけで、軽々しく米朝戦争勃発を予言する評論家たちは実に浅はかである。

プエブロ号事件*とは、1968年5月1日に米国の調査船(=スパイ船)が北朝鮮領海内で拿捕され、それを口実に米軍が朝鮮半島付近に急遽大集結し、第二の朝鮮戦争直前となった事件。結果的には外交的に戦争は回避された。詳細はWikipediaなどで確認されたい。

今の日本に必要な事は、何をおいても「東京裁判史観」からの脱却である。北朝鮮による「日本人拉致事件」も、北方領土・竹島・尖閣諸島などの「領土問題」も、「朝鮮人売春婦問題」も、中共・韓国による「日本悪しかれ論に反論できない日本政府の不甲斐なさ」も、間違った「戦後教育」が続いているのも、「米国の無理難題に捻じ伏せられ続けている」問題も、全て根は「東京裁判史観」にある。郵政民営化や裁判員制度を日本国民は自ら選択したと勘違いしているが、皆、米国の要望という名の指示によるものである。日本国民が「東京裁判史観」から脱却できていれば、国の為にならないと米国の指示など拒否できた問題である。「日本に寄生する在日朝鮮人が起こす数知れない理不尽な所業」も、基を辿れば「東京裁判史観」に起因する問題である。そもそも日本を恨む朝鮮人が敗戦後も日本に居座り続けているのは何故なのか? これも米国による日本弱体化政策(=東京裁判史観)が基にある。押し付け憲法を破棄できずに、今頃、改憲論議に抵抗感を示す日本国民の白痴化も、皆、「東京裁判史観」に縛られている為である。

もうこれ以上、大切な祖国日本を駄目な国にしたままでは済まされない。日本の前途に立ち塞がる困難な諸問題の大部分は「東京裁判史観」からの脱却により解決する。余り論じられる事は少ないが、日本人の国民性の中には、ふとした契機で大きく左右に振れるという欠点がある。戦後長きに亘って日本人は臆病風を吹かせてきたが、日本人というものは、本当に追い詰められれば勇猛果敢に豹変する。「東京裁判史観」をいつまでも放置したままにすれば、国際社会の理不尽にいつ何時日本国民の不満が爆発するか分からない。日本人は米国や中共のように、敵を滅ぼす為に予め策を弄するという卑劣な事はできない。国民性・民族性として何よりも卑怯・卑劣を嫌うから、日本人の怒りは直情型である。国際社会の大部分を占める卑怯な国家から見れば、日本ほど悪者に仕立て易い国はない。未だに日本人を責め苛む戦勝国と成り済まし戦勝国の理不尽の不当さを立証しないままに、新たに卑劣な罠に掛かる愚を犯さない為にも、何はさておいても「東京裁判史観」からの脱却は、これ以上先延ばしにしてはいけない。カント曰く「正義の消滅は人類の終わり」である。人類の歴史を観れば、正義を語る資格を有するのは日本人だけである。人類全体の為にも、日本がこのまま腐っていてはいけないのだ。

1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約が発効して、日本は晴れて主権国家として国際社会に復帰した。併し、理不尽な『東京裁判(の判決)』を飲み込まざるを得なかった上での主権回復は、日本政府と日本国民に〈乗り越えるべき幾多の試練〉を課しての困難な船出であった。望まぬ戦争に引き摺り込まれ、完膚なきまでの敗戦で多くの犠牲者を出し、裁判の名に値しない勝者の私刑で裁かれた日本に残されたものは、物理的には何も残されていなかったと言っても過言ではない。そこから日本国民は立ち上がって現在の繁栄を手に入れた訳だが、心ある日本人は「過去に置き忘れてきた大切なもの」の存在を忘れて、このまま無為に時を過ごしていてはいけない。

一口に「過去に置き忘れてきた大切なもの」と言っても、いちいち総てを具体的に列挙していったらきりがない。それほど日本人が失なったものは甚大であった。だから〈乗り越えるべき幾多の試練〉という表現を遣った。併し、それでは何を言いたいのかさっぱり伝わらないだろうから、今回は「大切なもの」の極一部に焦点を当てて論考を進める。最近のBlogで、「明治維新」や「廃刀令」について書いた。また、「日本には第二の『帯刀令』が必要だ」との極論とも言える表現を遣って「現代の日本人には命懸けで事に当たる覚悟」が無くなってしまった事についても書いた。これでも抽象的で解りづらい方もおられるだろうから、更に具体例を挙げると、敗戦国になったばかりに戦争が終わった後も「我が国の領土が他国に侵犯され、その事態が常態化」している事を日本政府が放置し、日本国民もその「非常事態」である筈の大問題の常態化に慣れきってしまって「命懸けで領土を取り返す」或いは「犠牲を覚悟で拉致されている日本国民を取り返す」必要を感じていないという憂うべき事実を指摘したい。

「そんな事はない」と反論したい方には、横田めぐみさんを始めとした拉致被害者の方々やお年を召されたご親族方の身の上を、「自分の肉親と同様」に考えた事はあるのか? と問いたい。「自分の肉親と同様」に考える事ができたら、居ても立っても居られない筈である。所詮、人ごとだと思う日本国民が多いから、安倍首相が掲げる「現行憲法の改正」も、常々私が主張している「現行憲法の破棄」も実現しないのではないか? 日本が北朝鮮工作員に、いとも簡単に主権を侵害されたのは、「日本国憲法」の存在に北朝鮮政府が安心しきっていたからである。韓国が「竹島」を略奪して居直っているのも、中共の軍艦が尖閣諸島や東支那海を我が物顔で遊弋しているのも、全て「日本国憲法」により日本は何もできないと安心しているからである。東支那海の日中中間線ギリギリの海域では今も中共が日本の領海に眠る石油資源を吸い上げ続けている。これは俗に「ストロー効果」といって明らかに国際法に違反した行為である。今の日本人にはこの程度の事をしても、「彼等は命懸けで歯向かってはこない」と見透かされての暴挙なのである。

「北方領土」と「竹島」、そして「尖閣諸島」について、我が国の政府は「日本固有の領土」なる不思議な言葉を遣って、我々国民にそこが日本である事を説明しているつもりのようだ。併し、その中の「竹島」と「尖閣諸島」のふたつをとってみても、2011年3月11日付の日本経済新聞(電子版)の記事によれば、【「竹島」記述、中学地理・公民の全教科書に 検定結果】との見出しで…

 【文部科学省が30日公表した中学校の教科書検定結果によると、日韓両国が領有権を主張している竹島(韓国名・独島)に関する記述は公民と地理の教科書全11点に盛り込まれた。同省が2008年に出した学習指導要領の解説書で記述を求めたためで、現行教科書で竹島に触れているのは地理で6点中2点、公民は8点中3点にとどまる。
 教員や教科書会社が参考にする解説書は竹島について「韓国と主張に相違があることに触れる」ことを求めている。11点のうち7点はさらに踏み込む形で「(竹島は)日本固有の領土」と文章中に明記した。
 「韓国が島を不法に占拠している」と記した教科書もあり「全体的に内容が詳しくなった」(文科省)。歴史の教科書でも1点が竹島に触れた。
 中国が領有権を主張する尖閣諸島(沖縄県石垣市)については社会科の教科書を発行する全7社が本文や地図上で日本領と分かる形で記載。解説書などは尖閣諸島については必ず取り扱うことを求めていない。
 「(中国との間で)領土問題がある」と記述した教科書に対しては「尖閣諸島に領土問題は存在しない」とする日本政府の公式見解に沿った検定意見が付き、教科書会社側が修正した。】 …とある。

何という不徹底な事だろう。「北方領土」については触れてもいない。日本政府も政権政党の政治家も、皆、「日本の領土」だと明言しておきながら、日本の青少年である中学生が学ぶ教科書(公民・地理)は、竹島に全く触れていなくても文科省は今までずっと検定を通してきたのである。領土問題は「竹島」「尖閣諸島」に限らず「国家主権」に関わる事柄である。国家主権が侵された場合は、普通の主権国家であれば、例外なく軍隊が出動し、その国の兵隊が命懸けで主権を回復、つまり軍事力を行使して領土を取り戻すのが当たり前である。

日本の場合は「自衛隊」という特殊な呼称を用いているが、少なくとも日本が主権国家を標榜するならば、「竹島」を不法占拠している「韓国警備隊」を自衛隊が命懸けで排除するのが当然なのではないか? 竹島を不法占拠しているのが韓国軍ではなく「韓国警備隊」であるのは、韓国政府にも疚(やま)しい気持ちがあるから、日本に取り戻されるのを避ける為に韓国軍を常駐させていないのであろう。「占領憲法の不備」を利用して、自衛隊との戦いを避ける朝鮮民族の卑屈な知恵なのかも知れない。

「尖閣諸島」は、未だ完全には中共に奪われてはいないが、日本が実効支配しているとは言っても、日本漁船の尖閣諸島近海での操業を海上保安庁や海上自衛隊自らが阻んでいる有様である。中共政府を刺激しない為に、日本政府が「日本の領土」と明言している島々の近海に日本漁民の立ち入りを禁じているのである。そんな愚かな対応をしている間に、いつしか中共政府は「核心的利益」なる新しい表現を遣って、「絶対に手放さない」と国際社会に宣言してしまったのである。今や日本の実効支配は揺らぎ、中共の実効支配が日増しに実績を積み上げている有様だ。日本政府の及び腰が招いた自業自得の窮地と言える。中共が「強気に出ても日本は何もできない」との確信を得る前に、自衛隊が駐留するなり、灯台を建てるなり、港湾整備をするなりしていれば、日本の実効支配に具体性を持たせる事もできたであろうに、日本政府がした事は、民間有志による灯台建設の妨害であった。

このような話になると必ず「平和の理念を謳う『日本国憲法』に抵触するから、自衛隊が『竹島』を奪還するなど、とんでもない事だ」とか、「武力で中共を刺激してはいけない」という〈良識派〉が現れて必ず反対する。 …そう、我が国は敗戦の焼け跡から立ち上がり、祖父母や父母が大変な困窮に耐えながらも一生懸命に働いて、今の経済的繁栄を築き上げてくれたのだが、気がついてみれば敗戦後72年も経過しているのに、国家としては敗戦国のまま何も変わってはいないのである。この現実に何の不自然さも感じないまま、戦後世代と言われる殆んどの国民は、日々、普通に働き、普通に余暇を楽しみ、家ではお笑い芸人が出演するバラエティ番組などを観て過ごしているのである。日本国民は世界的に民度が高いと自負しているようだが、私に言わせれば「何とういう自堕落ぶり」「何という人間が持つ醜悪さを曝け出している」のであろう。

日本は国家として命を張る覚悟が無いから、国民に堂々と真実を教育できないのである。私はこの現実に失望感より強い嫌悪感を抱いている。私は、常々現行の「日本国憲法」の「改正」は誤りで、単なる弥縫策(びほうさく=その場限りの取り繕い)に過ぎないと主張してきた。我が国は開闢(かいびゃく)以来、二つしか憲法というものをつくってはいない。一つ目は聖徳太子の「十七条憲法」で、二つ目は「大日本帝国憲法」である。これ以外の憲法はつくっていないのである。現行の所謂「日本国憲法」は、ハーグ陸戦協定違反であり、「大日本帝国憲法」の憲法改正要件を満たさないままに無理矢理米国があたかも正統な改正手順を踏んだかのような猿芝居を演じて敗戦国日本に押し付けた「占領時統治法」でしか無い。だから単に「破棄」すれば良いだけのものである。それをすると米国様が怒るから日本政府は必要であっても行動を起こそうとしない。何よりも「東京裁判史観」に歪められた間違った歴史観に基づく「戦後教育」を盲信する日本国民が反対するから、尚の事、政府は動こうとしない。

併し、上述した「占領時統治法」の破棄という当たり前の行動すら取ろうとの試みを示す勇気を日本政府が見せないから、「竹島」を奪われた非常事態にも関わらず、韓流ブームが起きたり、ブームが去った後も延々と韓国ドラマが垂れ流され、K-POPが一定の日本人ファンを獲得しているかのように、在日汚染されたマスメディアが日本国民を騙し続けているのである。現代の日本人が「過去に置き忘れてきた大切なもの」とは、領土を奪い、嘘で日本を貶め続ける韓国に代表される反日国家たちの理不尽な振る舞いに「命懸けで抗議し、必要とあらば戦いを挑むという嘗ての日本人が持っていた誇りであり、勇気であり、矜持である」。

日本は外見上は、焼け跡から見事に復興を遂げたかに見えるが、実態は「国家主権」を護ろうとの気概すらない国民が大多数を占めている腑抜けた国家なのである。今の日本は「復興を遂げた」などとはとても呼べないほど堕落した国家・国民に成り下がってしまっている。悲しいかな、その事実に政府も国民自身も気づいてすらいないのである。このまま何も行動を起こさなければ、本当に日本という国家は無くなってしまうだろう。残っても精々、抜け殻のような、生存に値しない国家になってしまうだろう。

何の罪もない横田めぐみさんが日本国内から北朝鮮工作員に拉致されてから今年で40年になる。これほどの「国家主権の侵害」に日本政府は、当初は警察が実態を把握していながらも、国会では日本人拉致事件の存在を認めようとしなかった。日本という国は自国民が(恐らく100人以上)拉致されていても、決して取り返しには来ないと当時も今も北朝鮮の指導者は確信しているのである。小泉純一郎(当時)首相が北朝鮮を訪問した時に、金正日が拉致を認めたのを聞いた、元TBSテレビのキャスターで後に社会党(現社民党、民進党)参議院議員を勤めた故 田英夫(でんひでお)氏は、「まさか北朝鮮が本当に日本人を拉致していたなど今でも信じられない」などと寝ぼけたコメントを発していた。

現在、拉致議連の国会議員たちは胸にブルーのリボンのようなバッジを付けてはいるが、拉致被害者を取り戻す有効な手段は何も講じられない無力感を晒している。「竹島」を侵略されっぱなしなのも、横田めぐみさんを始めとした「拉致被害者」を取り戻せないのも、「国家主権侵害」に何もできない国であると見抜かれての暴挙である。韓国や北朝鮮の方が、日本国民よりも「日本という国家の異常さ」を正確に見抜いている事が何で日本政府や日本国民には理解できないのか? 「北方領土」も「尖閣諸島」も同じである。

韓国・北朝鮮・中共・ロシア・米国などの反日主義者の方が、「日本国民より日本という国家と国民の異常性を正しく理解している」のに、なぜ政治家や官僚も含めた日本国民には、現状の「日本の異常性」が理解できないのだろうか? 「領土問題」や「拉致問題」以外にも、「日本の異常性」は其処此処に観られる。日本政府と日本国民は、大東亜戦争敗戦と同時に、反日国家群から厳しい「歴史戦」を挑まれているという現実をどれだけ理解しているだろうか? 

先ず、米国という友達ヅラした反日国家は「東京裁判史観」という「洗脳からの目醒め」を現在に至るも許してはいない。恐らく米国は北朝鮮の核保有国化よりも、日本の核保有の方をより強く警戒しているだろう。「潜在的核保有国・日本」への警戒心の強さは、オバマ前大統領の茨城県東海村の高速炉臨界実験装置(FCA)で使う核燃料用の高濃度で軍事転用可能なプルトニウム約300キロの返還要求に歴然と現れている。このプルトニウムは1960年代に日本が研究用として米国から買い付けたものだが、オバマ前大統領はタダで日本から取り上げたのである。これに日本政府は抗議ひとつせず素直に従った。

日本の敗戦後、北朝鮮・韓国・中共の順で建国した、所謂「特亜三国」も三者三様の悪意に満ちた異なる動機による「歴史戦」を日本に仕掛けている。日本政府は、それらの国から挑まれている「歴史戦」に気づく事なく、莫大な経済援助と技術移転をし続けた。今の所、北朝鮮にだけは巻き上げられた金額や物資は比較的少ないが、自民党政治家の中には「北朝鮮が国を開けば、日本から約1兆円の経済支援が必要になる」との馬鹿げた事を公言する者までいる。まぁ、金正恩の言動を見る限り北朝鮮が良い方向に変わる事など有り得ないが、仮に北が真っ当な国になろうとしても日本が経済援助する謂れは更々ない。

1965年の日韓請求権協定の時に、日本が韓国に莫大な経済援助をしたが、それ自体に何の正統性も必要性も無かったと私は確信している。当時の朴正煕韓国大統領は、「北には韓国から必要な援助をするから、北の分も今韓国に寄越せ」と言って日本から莫大な金を受け取っている。日本という国は、現在進行形で猛烈な反日教育をしている韓国と中共に湯水の如くODAを与え、日本の民間が苦労して獲得した最新技術を次々と技術移転していった。日本とは、全く理解不能なほどの異常な国家なのである。

日本人が「過去に置き忘れてきた大切なもの」の中には、「民族の誇り」というものもある。敗戦後の日本政府は戦勝国に踏み躙られた「民族の誇り」を取り戻す試みも努力もせず、ただひたすら米国様の顔色を窺い、必要以上に国際社会に於ける優等生を演じてきた。それはもう卑屈なほどに「東京裁判史観」に忠実であろうとの姿勢を観せ、現在も尚その「自虐史観」に嵌っている。「反日主義国家群」と「東京裁判史観」に忠実であろうとする余り、彼等に不当極まりない「歴史戦」を仕掛けられている事に気づきもしない我が国の有りようは、日本人として本当に情けなく見るに忍びない。一命を賭して、家族や大切な人、そして日本という国家を思って散華された英霊に顔向けができないほどに我が国は堕落してしまっている。「誇り無き国家」、それが戦後日本を形容する最適な言葉であろう。

「歴史戦」を挑まれているという自覚がないから、日本政府は虚偽捏造の類の言い掛かりに、毅然と立ち向かい、抗議する事なく、ひたすら謝罪と賠償を繰り返し、技術移転でご機嫌取りをするという、致命的行動パターンを確立してしまった。これは「日本という国家の自傷行為」である。日本に「誇り」と「自信」があれば、虚偽捏造の言い掛かりに謝罪などしない筈であるし、犯してもいない罪を内閣の一員が公の場で認めるなどという事は有り得ない。

慰安婦強制連行の証拠を一切発見できなかった事実を知りながら、「強制性を認める」記者会見をした河野洋平(当時)官房長官は、中共に向かう途中に天候不良に遭い、止む無く台湾に一時着陸した。〈中共指導者への拝謁の栄誉を賜る時、河野は一時着陸した時も台湾の地を踏まなかった自分の律儀さを報告してお褒めに預かったという有名な笑えない笑い話がある〉。まともな政治家なら、ここぞとばかりに天候不良を大義にして台湾の政治家と誼(よしみ)を結ぶべきであろうに。国賊とすら呼べない哀れな男である。日本はこういう政治家に桐花大綬章という勲章を授ける国なのである。前述の故 田英夫氏に至っては勲一等旭日大綬章を受章している。

何度も書くが、日本政府には、そして殆んどの政治家には、反日主義国家群から「歴史戦」を挑まれているという自覚が全くない。もしその自覚があれば折々の対応は違って然るべきである。安倍政権を評価する方々は「慰安婦合意」も正しかったと信じているのだろうか? あれは絶対にしてはならない、「英霊の顔に泥を塗る行為」であった。今は、安倍晋三氏を超える政治家が見当たらないから、私も安倍首相を支持しているが、是々非々で判断するなら、安倍政権は間違いもたくさん犯している。私は何でも批判的に物事を見る癖があるから、いつも安倍政権を批判しているが、今までの自民党党首の中では最も期待できる政治家であるとも思っている。だから安倍首相には現在も推し進めている間違いに一刻も早く気付いていただきたい。今のままでは駄目だ。勿論、民進党や未だ正体不明の都民ファーストなどより安倍政権の方が余程安心できる。蒙昧で移り気な有権者と自民党内の裏切り者に安倍首相が引き摺り降ろされないよう願っている。

「歴史戦」に話を戻すが、現在の日本にとっては死活的に重要な同盟国米国からの「歴史戦」は、言うまでもなく「東京裁判史観」という洗脳、所謂「日本国憲法」の押し付け、そして戦勝国にのみ都合の良い「戦後世界秩序」の押し付けである。米国という国家は歴史の浅い国ではあるが、その歴史を観ると「米国を脅かすほどの実力つける」行為を絶対に許さない事が分かる。為政者の戦略判断の欠如により「ロシア(旧ソ連邦)」と「中共」という強大な敵を育ててしまいはしたが、それでも米国はこれからも自国の優位性は手放さないだろう。

潜在的に米国を脅かす国家へと変貌する可能性があるのは、今の所、唯一「日本」だけである。だから最大の友好国にして最大の軍事同盟国であるのに、中立という美名を利用して、ロシア・中共・韓国の日本への理不尽な行動を黙認しているのである。今の日本には米国による「歴史戦」に真っ向から対抗するのは無理であるから、ある程度の譲歩は止むを得まいが、完全に腹を見せて、ただ恭順であればいいという事はない。米国を本気で怒らせないように細心の注意をしつつ、正当な主張はどんどんぶつけるべきである。

安倍首相がプーチン大統領との個人的信頼関係を築くのは好ましい事だが、メドベージェフ氏に一時的に国を預けていた頃から、「北方領土」の開発に力を入れ、日本への領土返還を益々困難にしてきたのを見ても、プーチン氏に領土返還交渉での譲歩は期待できない。プーチン氏の政権基盤の維持スタイルは愛国心を強調する事で成り立っている。領土交渉での譲歩など以ての外なのはプーチン氏自身が誰よりもよく理解している筈だ。だいいち日本に返還するつもりなら、苦しい台所事情から北方領土に日本に敵対的な韓国企業を呼び込み、北朝鮮からの出稼ぎ労働者を大挙呼び寄せて開発する行為は矛盾している。安倍首相との個人的信頼関係を餌に良いとこ取りを狙っているのは素人でも分かる。プーチン氏の最近の言動を見ても、安倍首相は完全に舐められていると言わざるを得ない。日本にはロシアの身勝手は止められないのだから無理して資本投下する必要などない。

ロシアより厄介なのが中共である。中共による「歴史戦」は余りにも明確すぎると思うのだが、日本政府側には全く中共の真意が見えていない。暇さえあれば日本を戦犯国呼ばわりして、日本の自立心を抑え込むのは米国と底通している。更に警戒すべきは、「日本を道徳的に劣る国家」と国際社会に印象付ける一貫した戦略である。私はなぜ日本政府には中共の剥き出しの野心が見えないのか不思議でならない。私には「漢民族と世界に散らばって強力なネットワークを持つ華僑たち」が、それこそ核心的目的を持って日本を貶めているのは、将来、尖閣は言うに及ばず、沖縄や九州などへ手を伸ばし、何れは日本全土を手中に納める野望を持っているのが手に取るように分かる。「道徳的に優れた漢民族が道徳的に劣る日本を支配する」、この正統性を確立する為に、歴史を捏造してまでも殊更日本を貶め続けているのである。漢民族の中共とは、50年100年先を睨んで着々と手を打ってくる国である。中共の「歴史戦」が見抜けないから、日本政府は未だに毎年300億円プラスαの血税を貢いでいるのである。政治家と外務官僚の馬鹿どもには呆れるばかりだ。

満州やチベット、東トルキスタン(ウイグル)、南モンゴル、インド、ブータン、南支那海、東支那海などへの侵略の実態を、日本政府は冷静に直視すべきである。満州は既に民族浄化を完遂され跡形も無くなってしまった。満州侵略は中共のやった事であり、日本を満州への侵略国だなどと中共が言うのは片腹痛い。チベットや東トルキスタンも回復不能なほど漢民族に蹂躙されている。米国も欧州諸国も中共の軍事力に怯え、偽りの経済力に目が眩んで、今や中共に「人権」の尊さを諭す事を完全にやめてしまった。こういう国際社会の危機の時こそ、我が日本が「誇りと自信」を持って中共の悪行を告発するべきであるのに、日本政府と日本国民は、先人から受け継いだ尊い使命を見失なっている。第一次世界大戦後のパリ講和会議の国際連盟委員会に於いて、我が先人は「史上初の人種差別撤廃提案」を主張した。その遺伝子を受け継ぐ我々こそ、チベットやウイグルなどでの漢民族による悍(おぞ)ましい人権弾圧を糾弾する使命がある。

その使命を完遂する為に、歴史に精通した国連大使を任命し、国際社会衆人環視の下で中共の人権弾圧・人道に悖る蛮行を徹底的に白日の下に晒せばいい。嘗て白人列強に対峙したように、今度は漢民族に対して「第二の人種差別撤廃提案」をするのだ。中共の態度変容など元より期待できはしないが、〈歴史に遺る〉「チベット、ウイグル等々への悪行を戒める」〈演説〉を、先人の崇高な意思を受け継いだ日本人だからこそ使命感をもって実行するのだ。

そして、中共が外交利用している「ジャイアントパンダ」は、本来はチベット固有の珍獣である。本来なら日本は中共からパンダを有料レンタルされて感謝するのではなく、「ジャイアントパンダはチベット固有の珍獣だから、あなた方は人権弾圧をやめてパンダをチベットに返しなさい」と言ってやるべきなのである。中共に人権を諭せるのは大和民族をおいて他にはいない。それは、我が国の歴史を正しく学べば、自ずと辿り着く日本という国に託された使命なのである。繰り返すが、白人諸国に有色人種国家が植民地として蹂躙されていた20世紀初頭に、白人列強に「人種差別はいけない事だ」と堂々と宣言したのが我々の先人である。「東京裁判史観」により、未だに歪められた我が国の歴史を、改めて正しく紐解けば、破れこそしたが「大東亜戦争」が齎らした亜細亜・アフリカ・中東諸国の独立の歴史の意味が歴然と見えてくる。日本こそ漢民族の悪行を糾す資格がある事に日本国民自身が気付くべきなのである。今の日本には軍事力で中共を捻じ伏せる力はないが、勇気と使命感さえあれば「正義の告発」はできる。弱者が虐げられているのを黙って見過ごすなど、本来の日本人がする事ではない。

最後に、「歴史戦」と呼ぶには余りにもお粗末で醜悪だが、韓国政府と韓国国民による日本貶め工作に日本政府と日本国民が手も足も出せないのはどうした事だろうか? 日本人ほど朝鮮民族に愛情を注いできた者は世界中を探しても絶対に見つからない。6〜7%を占めていた両班を除き、朝鮮民族は400年以上に亘って原始生活を送っていたのは歴史を客観的に精査すれば自明の事である。日韓併合も朝鮮人が執拗に日本側に懇願してきたから、損を覚悟で日本は併合してあげた。併し、今の中高校の教科書では「日本が武力で朝鮮を植民地支配した」ことになっている。韓国政府の捏造史観に日本の文科省が加担しているのだ。今も多数残っている外国の文献に基づいて、「韓国の主張は間違っている」と正々堂々と反論すれば、韓国人には正当な異議を唱える事はできない筈である。然るに、日本政府は韓国の言い掛かりにびくびくして必要のない謝罪と賠償と技術移転や近代国家となるべく様々な指導をしてきた。私は、歴代自民党政権の罪は重いと常々指摘してきたが、保守層に人気のある安倍政権も例外ではないと言い切れる。

多くは語る必要もないが、低レベルと雖(いえど)も、これも「歴史戦」である。偽りの歴史で貶められたら、真実の歴史で対抗すれば良い。「朝鮮人売春婦」如きになぜ日本政府は恐々となり謝罪や賠償をしなければならないのか? 韓国が「売春婦問題」でこれ以上文句を言ってきたら、「二日市保養所」の記録を叩きつけてやればいい。中共政府が「南京大虐殺」を史実化してしまったが、今からでも遅くはないから「通州事件」の記録を見せて、「南京事件の証拠を見せろ」と迫ればいい。満州・チベット・東トルキスタン・南モンゴル、等々への侵略国が何を偉そうに日本を断罪できるのか? 所謂少数民族に対する漢民族の人権弾圧は今正に現在進行形で犯され続けている国家犯罪である。中共に負い目を持つ必要など日本には断じて無い。

「北方領土」問題然り。不可侵条約を破って敗戦後に侵攻してきて、何が「日本は敗戦の結果を受け入れろ」だ。ポツダム宣言に違反して復員兵を60万人以上も強制労働させ、1割以上も飢え死にさせて於いて、偉そうに振る舞うロシア如きに、あてのない領土返還を期待して、笑顔で有効の手を差し伸べる必要などない。「シベリア抑留」などというソフトな表現は棄てて、「帰国する権利を保障された多数の復員兵を拉致・強制労働の末に餓死に至らしめた」となぜ日本国民に史実を正確に伝えないのか? 被害者総数も過小評価し過ぎである。

これからの日本政府と日本国民は、人非人国家の群れに「歴史戦」を挑まれて、負け続けてきたという現実を直視して、正々堂々と真実を以って反転攻勢に転ずる必要に迫られているという自覚を持つべきだ。偽りの贖罪意識に駆られて臆病風を吹かせ、逃げ回る事は許されない。日本政府と日本国民は史実を学び直し、先人たちが示した勇気と自信と誇りを取り戻すのだ。真実ほど強いものはないのだから。日本ほど正義と信義を重んじ、誠実に博愛主義を貫いて生きてきた国民はいないのだから。

今の日本社会を構成する主役である、所謂 戦後世代が「日本の近現代史」を学ばないのは、大学受験に必要ないからと言われている。高校の歴史の授業でも、明治維新あたり以降からの日本史の詳細は全くと言っていいほど教えていない。併し、そもそも教科書の内容が、普通の日本人なら教えたくもない内容でつくられているからではないかとも思う。また、大部分の教師たちは独自性を嫌い、生徒たちを平等という名の均質性の枠内に収めようとし、失礼ながら、自ら日々勉強をしていない方も少なからず居られるだろうから、皆 横へ倣えをする傾向が見られる。教壇に立つ教師が手にする大学ノートは毎年繰り返し使い続けてボロボロになっている場合が多いが、そうしたノートを使っている教師はまだマシな方で、殆んどの教師たちは教師用に製本されたアンチョコ本を基に授業を進めている。そもそも今は教壇自体がない学校が多い。教師だけが高いところに立つのは、教師と生徒の平等を阻害するからだそうだ。

一生懸命に身を入れて教育しようと思えば立派に生徒たちを教育し、まともな日本国民に育つように成長を助ける事もできるし、手抜きをしていい加減に授業をこなして、楽をして済まそうと思えば怠ける事もできる。また、自分の歪んだ歴史観で生徒たちを日本嫌いの日本人にしてしまう事もできる。教師とは、そういうとても重大な責任を背負った「職業」であるだけに、現在のように日本国籍も取得していない在日朝鮮人などに任せて良いものでは無い。教科書の内容が狂ったのは、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SQAP)による「公職追放令」が契機である。現在では大括りに「公職追放令」という言葉で広く認知されているが、「公職追放令」に先立って発令された「教職追放令」の負の効果は絶大であった。更に、GHQ/SQAPは「教職追放令」に続いて、マルキストや在日朝鮮人に「日教組」(日本教職員組合)を組織させ、日本の教育を徹底的に荒廃させる目論みを実行した。日本に愛を持たない教師たちを大量に養成したのである。

現在もしぶとく生き残っている「日教組」が、占領政策の一環としてGHQ/SQAPが反日主義者であるマルキストや在日朝鮮人たちを集めて興させた組織である事は、お花畑に生きる日本人には恐らく知られていないだろう。「日教組」の目に見える最大の罪は、「教職を労働と定義」した事である。戦前の日本では、GHQ/SQAPに潰された師範学校は勿論の事、尋常小学校の教諭も含めて「教職は聖職」とされ尊ばれていた。それを「日教組」は、教育に携わる行為を「単なる労働」と定義したのである。これにより教員たちの、人を育てるという意識と崇高であるべき使命感は希薄となり、日々の教育行為を「苦役」に変えてしまった。米占領軍は反日主義者に教育を任せる事によって、将来に亘って、日本が本来の日本に再生する芽を徹底的に摘み取ったのである。教育を破壊された、その後の日本は、米国の思惑通りに堕落していき現在に至っている。

戦後育ちの私の記憶でも、それでも昔の教師たちは現在の教師より尊敬されていた。生徒にとって先生とは尊敬の対象であったと言えば良い子ぶり過ぎるが、少なくとも子供だった私の記憶では先生とは、時に厳しく怖い存在で、とても逆らえるような存在ではなかった。日本経済が高度成長を遂げて一段落した頃、教育現場の荒廃が著しくなったように記憶しているが、それは、GHQ/SQAPによる日本の教育破壊がボディーブローのように効いてきた頃であったのだろう。今の中高の教員は授業中に勝手気儘(かってきまま)に振る舞い、時に教師に暴力を振るう生徒に、誤って手や腕が当たらぬように生徒が暴れているうちはポケットに手を突っ込んだままでいるという。誤って生徒に手や腕が当たってしまうと暴力教師とモンスターペアレントに抗議されるのを避ける為だというから驚きだ。

日本が条約に従って武装解除を行なった後、連合国(実際には米国一国)の占領軍(GHQ/SQAP)は、ポツダム宣言が明確に「有条件条約」である事を完全に無視し、日本が「無条件降伏」したと一方的に主張して理不尽に振る舞うようになった。GHQ/SQAPによる占領政策は殆んど全てが〈ポツダム宣言違反〉であり、国際法を無視して行なわれたのである。そしてその行為が日本に「敗戦利得者」という予期せぬ「内なる敵」を生みだした事を忘れてはならない。その占領政策の重要な柱が「公職追放令」と「教職追放令」、そして敵性外国人である在日朝鮮人に「日教組」を組織させた事である。

占領軍は先ず、ミズーリ号での休戦協定調印式から約1箇月後の昭和20年(1945年)10月4日、「政治的市民的宗教的自由に対する制限の撤廃に関する覚書」を発表し、内務大臣、警察幹部、特高警察全員の罷免と再任用の禁止を指示した。彼等が最初に手をつけたのは、戦前の左翼を押さえていた機関に属する者を一挙に追放してしまい、日本を再び立ち直る事ができない無気力な国にする事であった。これが占領軍民政局が一番最初にやりたかった事だったのである。当時のルーズベルト、及びトルーマン両米大統領の周辺、とりわけ日本占領軍の民生局は社会主義者の巣窟であった。

「公職追放令」は、占領軍民生局のホイットニー局長とケーディス次長が中心となり、その右腕であった外交官ハーバート・ノーマンらによって発せられた。当時は米国政府さえ理解していなかったが、ホイットニーもケーディスも社会主義者であった事が今では明らかになっている。ハーバート・ノーマンは後にコミンテルンの工作員であった事が判明し、裁判直前に自殺を遂げた。彼等が発令した「公職追放令」によって、戦前には当然の如く筋の通った事を説いたり、日本を肯定的に評価していた歴史学者や法律学者、経済学者たちはその地位から一掃されてしまった。だから現在では最高学府の憲法学者たちも皆、占領憲法を有り難がる護憲派で占められているのである。彼等は例外なく「教職追放令」により職を得た左翼敗戦利得者が劣化再生産してきた弟子たちの成れの果てなのである。

また、GHQ/SQAPは、プレスコードによって、完全なる言論統制を敷き、占領軍の批判は一切できなくなった。「有条件降伏」を「無条件降伏」に摩り替えられた事実も当然、指摘する事さえ禁じられたから、現在の日本国民の殆んどが、日本は「無条件降伏」したと思い込まされている。「公職追放令」と「教職追放令」により、国家の中枢を担い、敗戦により焼け跡となってしまった日本を復興に導くべき17万5000人以上の有能な日本人が、戦争協力者としてあらゆる公職から追放されたと言われている。併し、実際には在日朝鮮人たちの密告を恐れて自らその地位を離れた元在郷軍人会会長などまで入れると、指導者の地位を去らざるを得なかった者は約70万人以上に上るとも言われている。米国の戦争目的であった「日本を無力な国にしてしまう」為に何をしたら最も効果的かを占領軍は知り尽くしていた。いちばん必要な時に日本復興の為のリーダーを失なってしまったのは、日本が本来の日本として再生する事を決定的に阻害した。これは政財界などにも波及したが、最も悪い影響を受けたのは学界・教育界・言論界だった。

昭和20年(1945年)10月22日、GHQ/SQAPは「日本の教育制度の運営に関する覚書」を出し、10月30日には「教職員の調査、精選、資格決定に関する覚書」を発して、軍国主義者や国家主義者と目された者はもとより、占領軍政策反対者などを教育事業から排除するように命じ、更に現在および将来の教員の資格審査を行なうよう命じた。翌年、昭和21年(1946年)5月7日には、「教職員の除去、就職禁止および復職等の件」がポツダム勅令として公布され、所謂「教職追放令」が行なわれている。更に、GHQ/SQAPは、幣原喜重郎内閣が計画していた戦後最初の総選挙の実施を延期させた上で、1月4日に包括的な「公職追放」を実施した。戦勝国、米国にとって「好ましくない人物の公職よりの除去に関する覚書」を発したのである。「公職追放令」と「教職追放令」、この二つの命令により、敗戦により焼け跡となった日本が精神的にも物理的にも、これから復興していく為に絶対に必要だった各界の指導者たちは、悉く公職を追われたのである。

その穴を埋めたのがマルクス主義者、講座派*、労農派*という「日本嫌いの日本人」たち、反日左翼主義者である。「教職追放令」を受けて、東京帝大経済学部臨時教授会は大内兵衛、矢内原忠雄教授ら7名の復職と橋爪明男、難波田春夫ら5名の退職を決定した。復職を得た7名は共産主義者として教職を追われていた人物たちである。
GHQ/SQAPの狙いは、敗戦によって沈む者と浮かび上がる者とをつくりだす事で、日本国内に日本人の敵を生ぜしめ、日本社会を歴史的にも、人的にも分断する事にあった。(八木秀次麗澤大学教授)
占領地の住民を分断させ、互いに争わせる遣り口は白人、特に英国人たちが少人数で大勢の原住民を統治する時の植民地統治の古典的手法である。米国はそれを日本統治に活用しようとして思いのほか絶大な効果を上げたのである。

共産党員だった事が発覚して自殺したノーマンと親しかったのが、GHQ/SQAPにより任命されたと言ってもいい一橋大学学長の職を得た都留重人(つるしげと)であった。彼は明らかにコミンテルンと言ってよいが、他にも「教職追放令」直後に東大総長に任用された南原繁や矢内原忠雄、京大総長を務めた滝川幸辰、法政大学総長になった大内兵衛ら、コミンテルンの思想的影響下にあったと思われる者たちが戦後如何なる地位に就いたかを数えれば、幾らでも敗戦利得の具体例として指折れる。

当Blogの初期に説明しているが、ここで「講座派*」と「労農派*」について復習しておく。

「講座派*」とは、日本資本主義論争に於いて明治維新を不徹底なブルジョア革命と規定し、半封建的農業関係の規定的意義を強調した、労農派と対立した学派である。労農派と対抗したマルクス主義者の一派で、名称の由来は、1932年から翌年にかけて野呂栄太郎・平野義太郎・山田盛太郎・大塚金之助の編集によって刊行された岩波書店の「日本資本主義発達史講座」にこの学派が結集した事による。主なメンバーは上記4人の他、羽仁五郎・服部之総・小林良正・山田勝次郎・井汲卓一・風早八十二・細川嘉六らで、後に相川春喜・井上晴丸・守屋典郎らも加わった。

「労農派*」とは、1920年代末以降、日本共産党と対抗した社会主義者および理論家グループの一つ。1927年12月に創刊された雑誌『労農』の同人がその中心で、名称の由来もここにある。主なメンバーは山川均・堺利彦・荒畑寒村・猪俣津南雄・鈴木茂三郎・大森義太郎・向坂逸郎らで、コミンテルンの27年テーゼ、32年テーゼに依拠する日本共産党の「民主主義革命論」ないし「二段階革命論」に反対し、共同戦線党による社会主義革命の達成を唱え、日本大衆党、全国労農大衆党などで活動した。戦前の非日本共産党系マルクス主義者集団。日本資本主義論争に於いて講座派と対抗した経済学者、最左派の無産政党に拠った社会運動家、「文戦派」のプロレタリア文学者などからなる。

分かりやすく言えば、講座派=共産党、労農派=旧 社会党(現 社民党・民進党の主要メンバー)である。教育界からまともな人間が公職を追放された後、彼等が教科書をつくり、教鞭を執った為に、「日本悪しかれ論」一色の教科書が出来上がり、それを是とする教師が溢れた。サンフランシスコ講和条約批准により日本が主権国家として独立した後も、「教職追放令」により、その地位を得た敗戦利得者である反日主義者たちは、その地位を手放そうとせず、自分たちの思想を次々と後輩たちに受け継がせ、その劣化再生産とも言えるリレー構造は現在も変わっていない。「敗戦利得者と在日朝鮮人たちの一掃」という、戦後日本が最優先で取り組むべき非常に重要な案件に全く手を付けずに、放置、黙認してきた歴代自民党政権の罪は本当に重いものである。

日本政府が放置・放任したまま現在に至る、教育分野での敗戦利得者となった反日日本人左翼や日本国籍朝鮮人(帰化とはその国の国民になる事だが朝鮮民族は帰化しても日本国民には決してなろうとしないから敢えて日本国籍朝鮮人と呼ぶ)、そして在日朝鮮人(朝鮮人でありながら韓国籍も北朝鮮籍も取得せず、日本国籍も取得しないで日本に居座る理解不能な人々)の存在による、教育への悪影響は計り知れない。特に、日本国籍朝鮮人と在日朝鮮人は日本で暮らし、日本の公共制度の恩恵に浴しながらも、天皇陛下を見下し、日王と蔑む、日本人とは全く相容れない異質な存在である。教育界に限らず、彼等による日本社会への悪影響は計り知れない。
(日本国籍朝鮮人と在日朝鮮人については別稿で取り上げる)

天皇陛下、皇族、貴族、武家ら支配層は「悪」で、商人、農民ら被支配層は「善」…そんな単純な善悪二元論、階級闘争論で歴史は語れるものではないが、彼等反日左翼は戦後一貫して、戦前の日本は「暗黒の時代」、戦後は「国民が主役の幸福な時代」と単純な善悪二元論を展開した。特に、大東亜戦争に至る日本、戦時中の日本を、とにかく悪く描いた教科書が氾濫した。支配層が農民から搾取して、「農民は常に飢えていた」という歴史観である。併し、それは明らかなる嘘である。食料(米)をつくる農民の人口構成はおよそ9割もあった。1割の支配層では9割の農民がつくる米を食べきれる訳がない。昔も気候変動はあったから、年によっては飢饉はあったであろうし、年貢を納めるのがやっとの貧しい地域もあっただろうが、農民全般が常に飢えていたとの印象操作は悪質で不当である。

そして、中共政府や韓国政府の日本非難の嵐と、それに全く無策を通してきた歴代自民党政権。裏に米国などの世界支配層の後ろ盾を察知してか知らずか、日本政府は我々の為に散華された英霊に対する悪質なネガティブキャンペーンに対して一貫して反論らしい反論をしてこなかった。反日国家の言い分をそのまま自国の青少年に教育する日本政府・文科省の行為は日本国にとって有害の極みである。有能な人材を追放されてしまったからと言って、学業優秀である筈の官僚の中でも、特に外務官僚は酷かった。戦前の日本も決して外交上手とは言えないが、戦後の外務省は特に無残だったと言える。外交とは反日国の言い掛かりに対してひたすら謝罪し、怒りを収めて貰い、冤罪に反論しない事で表面的友好関係を維持する事だとばかりに、国益を蔑ろに毀損して天に恥じない。現在も、北朝鮮対策を名分に中共・韓国を怒らせまいと内閣全員が敗戦の日に靖国神社への参拝を中止するなど、政治家の気概・矜持に至っては語るに落ちた感がある。考えてみれば、現在働き盛りの政治家たちも「間違った戦後教育の被害者」なのである。

公職追放令後につくられた教科書には、日本に対する愛がない。歴史の中に自分が息づいているという自覚がない。親から子、子から孫へと連綿と連なる日本の歴史の中に自分が包まれているという暖かみが描かれていない。支那などは民族の滅亡の繰り返しの歴史、易姓革命の歴史で、ひとつの王朝が続いたのは長くても精々300〜400年程度であったが、日本の長い歴史には民族の断絶はない。別にアイルランドのビール醸造会社などに権威を求めるつもりはないが、あのギネスブックにも世界最古の歴史を持つ国家として日本が挙げられている。この話がネット上に広まると、例によってネトウヨの妄想による自己満足であるとの左翼や在日たちによる否定的な書き込みが散乱したが、ギネス・ワールッド・レコードが「神武天皇の伝承を基に日本の皇室を世界最古の王朝」と記述しているのは紛れもない事実である。

日本には易姓革命が一度も無かったから、天皇陛下には「姓」が必要ない。昔から御所には、外敵の侵入を妨げる堀も無ければ、強大な警備の軍も必要なかった。「民の竈(かまど)」の話ではないが、日本の支配層と庶民の美談は、戦後の教科書から完全に掻き消されてしまった。治安維持法で引っ張られた「講座派」と「労農派」は心ゆくまで恨みを晴らした訳だ。「特定秘密保護法」に過剰反応して大反対する反日左翼・日本国籍朝鮮人・在日朝鮮人に支配されてしまっているマスメディアや言論界に、真実の教育を受けていない大多数の国民も意識を引っ張られている。現在の反日左翼・日本国籍朝鮮人・在日朝鮮人たち(=広義の敗戦利得者たち)が如何に今の安穏とした地位に執着しているかが分かろうというものだ。

彼等は「日本という国家と歴史や伝統」に対する愛を全く持っていない。反日的主義主張を維持する事に自己のアイデンティティを見出しているから、戦前の日本を絶対に良くは言わない。実際の歴史には常に明の部分も暗の部分もあって然るべきだが、諸外国に比べて日本の歴史は実に暗部が少ない。西洋諸国や支那・朝鮮のような凄惨な殺し合いは極めて少ないし、島国ゆえか自国民同士が助け合いこそせよ、大量虐殺などの記録も極めて少ない。勿論、戦国時代の信長のように比叡山焼き討ちなどの冷酷な史実もあるが、その戦国時代でさえ、城攻めの際には女子供を裏口から逃れさせてから武将や足軽などの戦闘員のみが戦ったのが日本なのである。西洋諸国や特亜三国とは根本的に異なる歴史に日本は育まれてきたのである。

そのような史実が日本人の間で語り継がれてきたから、東京裁判で唐突に断罪された「南京事件」の冤罪などには、無意識の内に日本人に受け継がれてきた遺伝子の声なき声が否定した。中共政府や韓国政府がいうような事は日本人にはできないという事を、日本人がいちばん良く理解している。反日教師の捏造を真に受けずに、素人でも実際に少し調べてみるだけで、彼等の言い募る日本軍の残虐行為は、彼等の国が古来より行なってきた独特の遣り口であり、日本人にはそういう文化は無縁な事に気づく。併し、それを理解できるのは日本人の仲間内だけの話であり、国際社会に向けて冤罪であると主張する努力を怠ってきたのは大きな間違いであり、怯懦であった。機を逸しはしたが、今からでも日本政府は政府部内に「先人の冤罪を晴らす専門部署」を立ち上げてでも、散華された英霊の汚名を晴らすべきである。そういう具体的な努力を何もしないで、首相や防衛大臣などが靖国神社への参拝を見送るのは、自ら疚(やま)しい事を認めたように国際社会に受け取られても仕方あるまい。

とにかく、歴代自民党政権は米国の顔色を窺い、他国との軋轢を恐れ、真実を堂々と主張してこなかった。左翼や形骸的に日本に帰化した支那人や朝鮮人、そして堂々と公務員の職に就ける在日韓国朝鮮人(日本国籍を取得しないまま日本に居座っている者たち)が、日本人の立場で国際社会に懺悔してみせるのは茶番を通り越して醜悪ですらある。このような歪(いびつ)な社会構造は如何なる障害があろうとも正すべきである。「今更、日本の中枢の隅々にまで張り巡らされた在日たちのネットワークは排除できはしない」というのが、紛い物の知識人・言論人、そして戦後教育を受けた善良なる日本国民の常識になってしまっているが、一度立ち止まって、冷静に、考え直していただきたい。「このまま冤罪と知りながら謝罪を続け」、「この連綿と続いてきた、我が子孫に受け継いでいくべき大切な日本を、日本に不当に居座り続けてきた在日朝鮮人たちに明け渡してしまって本当に良いのか?」と。

正しい事、遣るべき事と分かっていながら、何も試みも努力もしないで諦めてしまって良いのだろうか? 私は「第二の公職追放令が必要だ」と主張しているが、それは表現方法のひとつであって、言葉の綾である。GHQ/SQAPによる理不尽な「公職追放令」を契機として、本来そこにいるべきではない者たちの弟子や子孫がそのまま居座っている。彼等を排除する為に劇的な「第二の公職追放令」など実際に公布する事などできないのは私にも理解できる。「日本国民の革命的な意識改革」を促す為に敢えて刺激的な表現をしているまでだ。本来、日本人というのは賢い民族だと思っている私にとっては、日本がこのまま朝鮮民族に乗っ取られてしまうなどという現実は来ないと信じている。手段手法はどうあれ日本人には、この日本を自らの手に必ず取り戻す実効性ある巧妙な策を講じる知恵はあるだろう。「東京裁判史観」に歪められた「戦後教育」によって嘘を信じ込まされている善良な日本国民も、やがては真実に目醒め、今の誤った意識を変える時が必ず来る。「意識改革」で真実に目醒めさえすれば、日本人は必ず祖国日本を蘇らせるだろう。

嘗て、先人たちが敢行した「明治維新」は西洋の革命とは全く違う。世界史的に稀有な革命であった。当時の日本人自身が危機感に目醒め、突き動かされ、世界に稀な自己改革を国家規模で行なったのである。西洋では革命とは「貧しき労働者」が起すものと決まっていた。併し、明治維新は「貧しき特権階級(下級武士)」が国の在り方を自らの地位を投げ打つ事を覚悟で変革して為し得たのである。今の教育では戦前は特権階級が庶民から搾取する、庶民にとっては暗黒の時代としか教えないが、実際には支配層である武士より、商人、農民の方が遥かに豊かであった。教科書ではその意義を殊更軽視しているが、この、世界に誇れる「明治維新」を先人たちは独力で敢行したのである。それに比べれば、政財界・教育界・マスメディアなどに巣食う左翼や在日を排除する事など、容易いとは言わないが、先人の苦労に比べたら決して実現不可能な事ではない。こんな惨状を招いたのは不作為と怯懦な歴代自民党政権の仕業であり、戦勝国 米国の悪意に基づくものである。

日本の教育でありながら、「日本が武力で朝鮮の独立を奪った」とされているのは何としても変えなければならない。朝鮮が日本の植民地であった史実は無い。真実は、日清戦争の結果、日本は李氏朝鮮を独立させた。併し、独立国となって大韓帝国を名乗るも、大韓帝国は国の体を成しておらず、借金漬けの破産国家であり、南下政策を窺うロシアと通じたり、大恩ある日本に甚だ不誠実であった。何よりも、そもそも日韓併合は日本の発意ではなかった。1904年から1910年まで朝鮮で活動していた、当時最大の政治結社、一進会(イルフンチェ)が運動母体となり、大韓帝国政府の方から日本の天皇に日韓併合を度重ねて懇願してきたのが史実である。併し、この「史実を日本国民に教育すると韓国政府が怒るから、韓国政府が言うままの嘘の歴史を日本でも教育しよう」と言うのが、日本政府・文科省が出した結論である。これを、おかしいから正しく直す当然の行為を、日本政府は何を恐れて遠慮しているのだろうか? 

併合当時、大韓帝国には学校は私塾が4つしかなく、インフラと呼べるものは何も無かった。道路も、橋も、ダムも、灌漑設備も、西洋医学を取り入れた病院も、一般の商店すら、何一つ無かった。貨幣経済も知らず、度量衡も統一されず、両班が漢文を読んだだけで、一般の庶民に至っては識字率はゼロ%であった。両班たちがバカにして埋もれさせていた諺文(ハングル)を、歴史的に二度も朝鮮人に教育したのは日本人である。日韓併合時は福沢諭吉の書生であった井上角五郎が先頭に立って朝鮮人にハングルを教育した。だいいち、朝鮮には車輪・樽・丸桶も無かった。木を曲げる技術もないほど遅れていたのだ。染色技術すら知らなかったから、庶民の服の色は薄汚れた白と決まっていた。故に朝鮮民族は「白い民族」と呼ばれていた。故に色彩豊かな韓国時代劇は全て嘘、妄想、捏造である。韓国人が自国で嘘偽りを通して自己満足するのは勝手だが、日本の歴史教育でも韓国人が妄想した嘘を教えろと強要するのは幾ら何でも無茶苦茶過ぎる。ところが、日本の文科省は日本国民に真実を教育するのを憚っている。韓国に怒られたく無いからと言うのが真相であるのだから、日本政府もだらしがない。

ロシアが南下を狙う中、欧米諸国は、超後進国 大韓帝国の扱いに困り、日本に押し付けようとしていた。伊藤博文は大韓帝国併合の困難さを見抜き、「日韓併合」には反対していた。然るに、両班テロリスト、安重根は伊藤博文の暗殺を謀った。敢えて「謀った」と言うのは、証拠は安重根による暗殺を否定しているからだ。併し、日韓の教科書は安重根を暗殺犯と確定し、韓国では戦後 英雄視までされている。英雄がいないから、韓国では紙幣や切手にこのテロリスト崩れの肖像を用い、軍艦にまで安重根と命名している。史実は、安重根はブローニング拳銃から5発を発射した。伊藤博文の体内からは、ブローニングの弾丸は発見されず、フランス製の弾丸2発が発見されている。桂・ハリマン協定に賛成する伊藤博文は、満州を狙うロシアの手にかかったとするのが妥当なところだろう。

併し、今では、日本のアジア最初の立憲体制の生みの親であり、その立憲体制の上で政治家として活躍した最初の議会政治家として、高い評価を得ている伊藤博文は、1909年、ハルビンで朝鮮民族主義活動家(テロリスト)の安重根に暗殺されたというのが日本でも定説となってしまっている。大東亜戦争に敗れた日本には、真相究明の機会は与えられず、他にも数々の疑惑・捏造が史実とされてしまっている。敗戦後72年も経過したのだから、そうした疑惑・捏造はもういい加減に正した方が良いだろう。韓国内でどのような妄想・捏造の教育をしても構わないが、日本にまでそれを強いるのはおかしいだろう。嘘を強いられてそれを跳ね除けられない日本政府は異常なほどおかしい。余りにも臆病過ぎる。こういう有り得ないような惨状を正す事を「非現実的だ」などと言って行動しようとしない日本人は韓国人以上に異常で、見下されるべき惨状に置かれている事に気付くべきだ。今、直面している本当の危機は、日本人に真実を語る気概と勇気、覚悟が全く無い事である。

まともに「近現代史」すら教育しようとしない、教師の気持ちもある部分理解できる。「日本悪しかれ論」に凝り固まった教科書では、教える気も失せよう。一生懸命になって日本を悪しざまに教えるのは反日教師に限られる。先ず、日本国民ひとり一人が意識改革をして、自分たちに相応しい政治家を育て、日本人の誇りを取り戻す困難な努力を厭わない政権を生み出す事から始めなければならない。政治家を変え、政権の在りようを変えるのだ。国民意識が変われば政治は必ず変わる。そうなれば教科書も必然的に見直されるだろう。日本を当たり前の国に変える。これは「政治」の力に依るしかない。これは度々書いている事だが、その国の国民以上の政権は生まれ得ない。本来の日本を取り戻すには、国民自らが明確な目的意識を持って「意識改革」をしなければならない。それができれば、政治に依る、悪しき教科書、悪しき教員の駆逐は可能である。日本国民よ、今こそ勇気を持って第一歩を踏み出す時だ。

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