石川久遠の「日本人なら知っておきたい真実」

「陰謀論」とは、「陰の謀(はかりごと)を論じる」ものであり、「妄想論」とは異なる。歴史も現在の出来事も、常識として根付いている様々な事柄も、虚心坦懐に見詰め直せば、裏に隠された真実が自ずと見えてくる。そんな事を考えて、このブログを書いてます。

2017年12月

今の国際社会では様々な好ましからざる問題が後を絶たないが、日本にとっては、北朝鮮による核武装信仰とも言える愚かな冒険主義的行動ほど迷惑なものはない。人間の本質から目を背けて「核廃絶だけを主張する近視眼的理想論」が、「儚い夢物語」であるのは確かだから、日本も核武装論議くらいは始める必要性を強く感じはするが、北朝鮮の金一族が盲信するように、「核武装さえしてしまえば、米国など核武装大国から独裁体制の保証が得られる」と考え、実行するのは、短絡的で実に愚かな外交政策である。実際、米国やロシア、中共などの核武装大国と雖(いえど)も、「核武装国家にはおいそれと手出しはできない」のは確かである。「カダフィ大佐の独裁体制下のリビアが、核開発を放棄したからこそ米国に潰された」と思い込んだ北朝鮮が、「核武装こそ独裁体制維持の要」であると考えるのは、近視眼的核廃絶論者よりは筋が通っている。その点は、「日米安保と専守防衛」で事足れりとする日本政府より余程理に叶ってもいる。併し、北の金一族が代々続けてきた核開発を切り札とした、所謂「瀬戸際外交」には、始めから限界がある事に北朝鮮の将軍様は気づいていない。

現在、核武装国家と公認されているのは、「米国、ロシア、中共、英国、フランス」の核五大国だが、「インド、パキスタン、イスラエル、北朝鮮」も核保有国である事は、もはや否定のしようがない。恐らくイランも遠からず核保有国になる事は避けられないだろう。従って、事実上の核武装国家は九箇国プラスαと言う事になる。併し、その核武装国家のうち、国際社会に向かって核ミサイルで恫喝外交を繰り広げているのは「北朝鮮」だけである。先に核を保有した五大国が、他国に向かって「核武装は罷りならん」などと言うのは、只の早い者勝ちの論理で、核武装の実力がある非核保有国家から見れば幾ら何でも虫の良過ぎる身勝手な理屈である。実際、後発組も抜け駆け同然で核保有国になった。国際社会の核五大国の許可を取って核保有国になった訳ではない。併し、後発組の「インド、パキスタン、イスラエル」は、どの国も他国を恫喝する事なく、核保有国としての実績を、静かに、密かに進めて現在の「事実上の核保有国」の地位を手に入れた。それに引き換え、北朝鮮の遣り方は余りにも横暴で愚か過ぎる。「ソウルを火の海にする。日本を海に沈める。ワシントンに弾道ミサイルを打ち込んでやる。米空母艦隊を壊滅させる」などと喚きながら核開発を強行しているのだから、「米国に届く核ミサイルが完成する前に攻撃してください」と言っているようなものである。我々は迷惑な事に「朝鮮民族特有の馬鹿丸出し」を見せられているのである。

北朝鮮と同じ朝鮮民族である韓国は、70年代に秘密裏に核兵器開発を進めて米国に咎められた。それでも、80年代にウラン転換、プルトニウム抽出、2000年にはウラン濃縮と、IAEAにひた隠しにしながら核開発計画を存続させてきたのではないかとの疑いをかけられている。事、核に関しては、韓国は国際社会から全く信用されていない。然も、実験を韓国科学技術省が管轄する韓国原子力研究所が行なっているのに、韓国政府は全く知らなかったなどと釈明して、却って核開発疑惑を深めてしまう愚かぶりである。日本でいえば、東海村の原研が核開発実験をやっていて、それを文科省(旧 科学技術庁)が20年以上も知らなかったというのと同じ言い訳である。これでは疑われて当たり前。北朝鮮とはアプローチこそ異なるが、大胆さが欠けるだけで、杜撰さと愚かさと言う点では、やはりその滅茶苦茶な遣り方と言い訳には、朝鮮民族独特の馬鹿さ加減が滲み出ている。我々と同じ人間ではないのだから、仕方がないと言ってしまえばそれまでだが、地理的に最も近い外国で、然も異常な粘着質で日本を恨む民族であるだけに、過去の日本政府の腑抜けぶり、無策ぶりと相俟って、誠に先が思い遣られる馬鹿民族、亜人種であると言わざるを得ない。

その朝鮮民族を「在日」の立場のまま日本に仕込んで行った米国GHQは日本人にとっては実に悪辣な事をしてくれたものだが、主権回復後の日本もだらしが無かった。GHQの悪辣な洗脳統治は確かに責められるべきものであったが、70年も経ってしまった現代では、最もその責めを負うべきは、臆病により無策を決め込んだ日本政府である。その大部分を政権政党の座に就いていた歴代自民党政権の不作為の罪は限り無く重い。当時は「不逞鮮人」と呼ばれた「在日朝鮮人」など、日本に居住する正当な理由など何も無かったのだから、日本が主権を回復した直後に、さっさと国外退去処分にすればよかったのである。併し、当時の日本政府は「不逞鮮人」対策に無策、なら未だしも、あろう事か特別な優遇策で対処した。日本に於ける正当な居住権など無いにも関わらず、戦後の混乱期に暴力で我が物とした、元はと言えば日本人の土地家屋は、そのまま「不逞鮮人」の名義で登記されてしまった。山の手の高級住宅街や駅前一等地を朝鮮人が多く登記している事実は、当時の日本政府と各自治体が、「朝鮮人を戦勝国民と同様に処遇せよ」と命じた、その時は既に日本を去っていたGHQの影に怯えていた何よりの証拠である。木っ端役人の事勿れ主義体質の悪影響も大きかった。

日本の未だ未だ未熟な保守層に期待されて、三期目の内閣総理大臣の座に就く安倍晋三氏に対して、安倍自民党に投票した有権者は、「在日朝鮮人問題」をこのまま放置し、手付かずのまま追認させてはならない。今の安倍首相に「朝鮮民族問題の解決」という重大な使命感が皆無なのはよく分かってはいるが、安倍政権を選挙で勝たせた有権者には、安倍晋三と言う政治家を目醒めさせる責任がある。私を含めた日本の有権者は、従来のような、殊更「在日擁護」に熱心で、突き詰めれば「米国一辺倒」の国際政治感覚から、安倍首相の「政治的重点の置き所」を変えさせなければならない。有権者にはその責務がある。特亜三国に対する口先だけの強行姿勢や、米国のみを頼りにした国際政治感覚、僅かばかりの防衛費増額などに、有権者は満足してはならない。今の日本は、安倍政権にもっと「根源的に日本を大切にする」政権に成長して貰う事を求めなければならない。現在の安倍政権のような「軽い保守政権もどき」では、ここまで荒廃した日本を決して立ち直せる事は期待できない。大和民族を滅亡させない為には、先ずは何としても日本国民自身が、慣れっこになってしまっている、この「日本の荒廃ぶり」に気づき、着目し、危機感を抱く事が肝要である。有権者の覚醒無くして為政者の態度変容など有り得ないのである。

有効求人倍率や株価の回復は、アベノミクスがそれなりの成果をあげた証ではあるが、安倍政権が当初掲げた「戦後レジームからの脱却」や「日本を取り戻す!」と言う、威勢の良い「国民との約束は何ひとつ果たされてはいない」事を有権者は徒(あだ)や疎かに忘れてはならない。今のままでは、この日本は少数の「在日朝鮮人」の思い通りの国に堕してしまうと言う「国家開闢以来の危機」を乗り越えられないで終わってしまう。「終わってしまう」とは、文字通り「大和民族の滅亡」を意味する。この主張を「大袈裟だ」とか、「非現実的だ」とか、「特定の民族に対する差別だ、ヘイトだ」などと言って、現実に我が身に降り掛かっている脅威だと感じ取れずに、真面目に取り合わない日本人は、既に「生存本能」を欠いた「絶滅を決定づけられた民族」に堕していると思い知るべきである。生き物は身に危険を感じた時、本能的、反射的に身に迫る危機から逃れようと行動する。そう言う「生存本能」を発揮してきたからこそ、生き物は今を生きているし、これからも生き続ける。今しも身に迫る危機を前にして、「話せば分かる」だとか、「憲法が如何(どう)の斯(こ)うの」と「議論」に耽(ふけ)っていては、「大和民族は生き残れはしない」と言う「民族存亡の機」を迎えている歴然たる現実が見えていないから言える事である。今の惨状に気付かないのなら、為政者も日本国民も、滅亡して当然である。呑気にLINEで愚にもつかないコミュニケーションに耽っている日本人など、悪意ある朝鮮民族に滅ぼされて当然である。

真実だから何度でも執拗に主張するが、日本人の多くが生活の一部に取り入れているLINEなるものは、「日本の企業である」と嘘を騙ってユーザー数を伸ばし、競合他社が追随できない程に日本人ユーザーを獲得してから、「実は韓国企業でした」と本性を現した、「韓国の国策企業」である。そこには敵性国家韓国の国家意思が厳然と働いていたのである。発展途上の段階で何回も在日企業ではないかとの噂が立ったが、その度にLINEの森川亮(在日三世の朴亮)社長は「LINEは100%日本の企業です」と言い切っていた。全く朝鮮民族という奴は息を吐くように嘘をつくものだ。実際、LINE(株)は、韓国のIT企業大手のネイバーの100%子会社である。LINEの創業社長は、NHN Japanが無料通信アプリで成功した為、そのアプリ名であるLINEをそのまま社名にした初代社長の千良鉉(チョン・ヤンヒョン)氏の在日企業である。LINE(株)は、千良鉉氏と森川亮氏の二人社長体制で日本で目覚ましい実績を伸ばした。日本企業と言い張っていた森川氏は社長を退任して、日本企業との嘘を突き通した事実への追及を逃れたが、例え嘘をついてでも6.800万人もの日本人ユーザーを獲得して、日本政府さえも「マイナポータル制」で、LINEアプリを採用したとあっては、勝てば官軍である。もはやどうしようもない。こうして、日本は着々と朝鮮民族の支配下に置かれていくのである。

蛇足だが、中共では、言わずと知れた在日企業ロッテの事を「楽天」(簡体字/乐天・繁体字/樂天・ピンイン/Lètiān)と書く。三木谷社長率いる「楽天」が在日企業かどうかは知らないが、気になる所ではある。日本国民は、もっと在日企業に神経質なくらい警戒すべきである。ここでの列挙は割愛するが、お気楽な日本人が日本企業と信じて疑わない大手企業も、実態は軒並み在日企業である場合が実に多い。「愛国心」と聞いただけでアレルギーのように拒絶反応を示す「戦後教育の被害者」には、言っても詮無い事だが、愛国意識の低い日本人ほど、「在日企業のどこが問題なのだ?」、「便利なら、安いなら、それで構わないではないか?」と考える。安倍政権ですら、国民への行政サービスが簡単でスピーディになるからと、LINE(株)に日本国民の全個人情報を漏洩するに任せる政策を始めて恥じないのだから、日本人など「既に日本を我が物としたと宣言した」韓国政府の敵ではないのかも知れない。併し、今の惨状をこのまま何もしないで見過ごす事は私にはできない。

とにかく、GHQの悪意をそのまま引き継いで、不逞鮮人の居座りを許し、数々の特権を与えた歴代自民党政権の実態は、保守政党であるどころか売国政党である事に間違いない。中でも「日韓議員連盟」の所属国会議員など皆、例外なく売国奴である。その売国議員の中には無意識のうちに日本に良かれと考えて「日韓議員連盟」に所属した者もいるだろう。安倍晋三氏などはその、無意識のうちに売国行為を働く頭の軽い売国議員である側面を確かに持っている。韓国芸能界の大ファンで朝鮮語ペラペラの「昭恵夫人の存在」や、「河野売国談話」を不問に付し、「村山、小泉両首相の売国談話」を受け継ぎ、「日韓合意」で先人の顔に泥を塗り、所謂「ヘイトスピーチ対策法」では在日朝鮮人を一方的に擁護し、「マイナポータル制」で日本国民全員の個人情報を韓国に漏洩するに任せた安倍政権は、度し難い売国政権であると言われても仕方あるまい。これらの売国政策について、私の前で言い訳をさせる機会が得られるなら、私には完膚無きまでに論破する自信がある。併し、そういう安倍晋三氏を日本の内閣総理大臣の座に就けさせ続けざるを得ないほどに、日本の政界の人材難は深刻なのである。

安倍晋三という政治家は、「売国奴の顔」と「愛国者の顔」の両面を兼ね備えている稀有な政治家である。それだけに大化けする確率も無いではない。甚だ危険な冒険的行為ではあるが、首相の器ですらない他の政治家に任せるより、今は安倍首相に任せたほうが、日本は大きく躓きはしないだろう。だから今は安倍政権に日本を預けるのが正解と言えるのではないだろうか? 併し、安倍政権の任期中は、日本が奈落の地下に向かう階段の「踊り場」にいると考えるべきである。安倍政権が続くうちに「戦後レジームからの脱却」と「日本を取り戻す!」行動を本気で起こさないと、日本はそのまま奈落の底へと真っ逆さまに落ちていくだろう。私は安倍政権とは、大和民族に与えられた「時間稼ぎの為の長期政権」であると考えている。唯一の超大国である米国が凋落の兆しを見せ、20年以上も昔から潰れる潰れると言われ続けてきた中共の一党独裁体制がこのまま持ち堪えるとすれば、次の超大国は中共となる。そういった一大転換期を迎えている国際社会に於いて、政権運営すら覚束ない安倍晋三氏以外の政治家に日本の舵取りを任せたら、日本の立場は忽ち中共に潰されてしまうだろう。自らの売国政策に気付かぬ似非保守と雖も、安倍政権の安定感と存在感は今の日本にはどうしても必要なのである。今の日本は容易く売国行為に奔り、米国のポチを演じる安倍政権を「必要悪」として受け容れざるを得ないのではないか?

心ある日本人は、安倍政権という時間稼ぎを得た今、何としても安倍政権頼みでは絶対に実現しないであろう、「東京裁判史観(=戦後レジーム)からの脱却」を成し遂げなければならない。これは恐らく日本国民が得た最後のチャンスであろう。心ある日本人は、今の日本の惨状をよくよく見渡して、改革を腹の奥底に深く銘じるべきである。大和民族は今、少数の在日朝鮮民族によって「被支配民族と化している現実をこのまま受け容れて良いのか」との問いを突き付けられているのである。嘗て、朝鮮半島に於いて倭国と日系百済は滅ぼされ、エヴェンキ族を乗っ取った「黒い山葡萄原人の末裔」に、高句麗と新羅も乗っ取られ、不幸な偶然と米占領軍の悪意により、この日本までも「黒い山葡萄原人の末裔」に乗っ取られようとしているのである。是非を考える余地などない。原人の末裔、朝鮮民族をこの日本から根絶やしにする以外に、高貴なる大和民族の歴史を途絶えさせようとする現実を防ぐ道はない。3,000年の長きに亘る大和民族の歴史を絶やしては、ご先祖は元より、全人類に申し訳が立たないではないか。滅亡という奈落へと続く下り階段の踊り場にいる今の日本人は、これから上に向かって力強く登っていかなければならないのである。

ここまで語っても、平和呆けして、まともな思考力を失なっている日本国民には、今の日本の惨状を、我が身に及ぶ生々しい現実として理解できはしないのが、悲しくも恐ろしい実情である。多くの日本人の納得を得るには、更なる具体的な説明が必要であろう。先ず、テレビに出演する官僚や知識人の歴史観の誤りを指摘したい。キャリア官僚といえば、東大を優秀な成績で卒業した頭脳明晰なエリートであるとの印象が強い。そのエリート官僚が、事もあろうに平然と「日本は韓国を植民地支配した」との嘘っぱちを言って退ける。最近、テレビでよく見かける三浦瑠麗氏も如何にもエリート然としながら「韓国を植民地支配した事は事実なんですから…」などと平気で朝鮮人の「妄想史観」を史実かのように語る。そう、成績優秀な者こそ、虚偽で歪められた「戦後教育」の被害が甚大なのである。不勉強だった者の方がエリートより余程まともな日本人である場合が多い。安倍首相も「戦後教育」の被害者で、政治家に求められる「正しい歴史観と誇りある国家観」が狂っているとしたら事は深刻である。教職追放令を含む所謂「公職追放令」の悪影響は今尚絶大な悪影響を及ぼしている。アカデミズムの根本が歪んでいるのだから、「教育の正常化」は喫緊の課題でありながらこの上ない難題なのである。GHQが興させた在日朝鮮人の教育労組「日教組」が、子供たちに日本人としての誇りを教えてきた筈はない。

その上、教育以外でも日本国民は幼少期よりマスメディアにより狂った国家観を刷り込まれているのだから問題は深刻である。60年代に脅されて入社試験に在日枠を設けたマスメディアでは、当時入社した在日朝鮮人が現在では責任ある職責に就いている。新聞は政治部デスクや編集責任者、テレビ局は番組編成を左右するプロデューサーやディレクターに朝鮮人の多くが就いて、真実とは程遠い捏造史観を巧妙に、恣意的に政策番組に紛れ込ませている。異論を差し挟む日本人社員は、制作から遠い総務や営業に回される。NHKでは、入社60年代組の在日が力を振るった挙句に、朝の人気ドラマ「あまちゃん」に登場するタクシーにヒュンダイを使い、当時の大河ドラマ「平清盛」の顔を泥だらけに描いた。日本人なら当時の農民でも毎日、朝起きたら顔を洗う習慣が身についているし、破天荒な人物とはいえ、高貴な平清盛の顔がいつも泥だらけというのは有り得ない。要潤氏が主演を務めた「タイムスクープハンター」では、農民は白い薄汚れた衣服を纏い、ここでも農民の顔は泥だらけ。先述したように、日本では貧しい農民すら、朝の洗顔は欠かさない。日本と異なり、顔料の存在を知らなかった朝鮮民族は日本人が普段着に纏う染物や織物の着物に反して、常に白い韓服を纏っていたから「白い民族」と呼ばれ、衛生観念の欠如から洗顔や入浴の習慣すらなかった。マスメディアで決定権を持つ地位に就き、日本人を政策現場から遠ざけた在日社員が、日本人は清潔好きな朝鮮民族とは違って不潔で野蛮だったとの誤った印象操作を恣意的に行なって、昔の日本人に白い薄汚れた着物を着せて、顔を泥だらけに描いたのである。勿論、その不自然さを指摘するマスメディアは皆無であった。こういった在日の印象操作に物申す言論人も皆無であった。マスメディアと言う職場から締め出されては言論人やジャーナリストも生活できないから、電通やマスメディアの在日汚染ぶりに目を瞑っていたのである。

一般人も職に就かなければ生きてはいけない。就職では、今や在日である事はアドバンテージとなり、在日の面接担当者から日本人は逆差別されている。こうして60年代の始めに数人の在日の入社を認めたばかりに、数々の企業に次々と在日が優先的に入社してきて、やがて逆差別が始まったのである。嘗て、TBSテレビの安住紳一郎アナウンサーは生放送で、「私はハングルが読めないから出世できません」と細やかな抵抗の発言を試みたが、後でこっ酷く叱りつけられたという。TBSテレビも60年代に在日たちに脅されて入社試験に在日枠を設けて、気が付いたらさながら在日企業のように成り果ててしまった大企業のひとつなのである。今ではTBSの女子アナ全員が在日朝鮮人だとも言われている。NHKやフジテレビなども在日朝鮮人による被害企業であり、その事は視聴者である日本国民の加害企業である事を意味する。日本が日本で在り続ける為には、数え切れないほどの「鮮害」を取り除かなければならないが、先ず最優先で「除鮮」しなければならないのは、「教育現場とマスメディア」である。この二つを在日朝鮮人と敗戦利得者の弟子たちに抑えられている限り、日本国民は真実から遠ざけられて「東京裁判史観」、「朝鮮人の捏造史観」の檻から抜け出す事は永遠にできず、今の朝鮮人による被支配民族の立場は益々盤石なものとなる。大和民族の行く末には「滅亡」しか待っていない。

国や企業を乗っ取るのは彼等朝鮮民族の血脈に潜む「黒い山葡萄原人」の血の為せる業なのである。ホモ・サピエンスの出現により、この世から絶滅している筈の「黒い山葡萄原人」たちは、ロシアのアムール川下流一帯の暗く凍えた洞窟の中で密かに人肉から糞尿まで喰らって生き延びてきた。新人類に発見される事を恐れて、暗い洞窟内に隠れ棲み、近親相姦を重ね、糞尿食で生き延び、時折迷い込んできた人間を喰らっては、妄想と現実の区別もつかぬ生活を長らく続けて生き延びた彼等には衛生観念はない。今の日本人は韓国海苔を美味い美味いと喜んで食卓に並べているが、本場韓国では、その韓国海苔に使用済みのトイレットペーパーが混入している事がニュースにもならない。自らの糞便に対する感覚が日本人とはかけ離れているのである。朝鮮人にとって糞便に含まれる細菌は、日本人にとっての麹菌のようなものなのである。彼等を我々同等のヒトと誤認してはいけない。ロシアのアムール川下流に点在する暗い洞窟から這い出してきた「黒い山葡萄原人」の生き残りは、南下してエヴェンキ族に襲い掛かり、男は喰らい、女は強姦して、エヴェンキ族に背乗りをした。その余勢をかって、高句麗、新羅をも同様に乗っ取って、新たな朝鮮民族となって現在に至る。日本のように朝鮮半島には戦闘に備えて日々鍛錬を続けていた「武士」が存在しなかったから、獰猛な原人の攻撃に対しては無力であったのだろう。日韓併合前の李氏朝鮮が518年間も一切の進歩から見放されていた史実は、彼等がヒトならぬ亜人種である事を如実に物語っている。現実直視を避け続けた、悪しき「戦後教育」の優等生には、一概には信じられない、このような事が、実は史実なのである。韓国人が何の根拠も無く創作した原人特有の「妄想と現実の区別がつかない」欠点によりつくられた「華麗な妄想時代絵巻」の韓国時代ドラマを間に受けてはいけない。

朝鮮半島を数年に亘って観察したイザベラ・バードが「朝鮮紀行」の中で、李氏朝鮮時代の朝鮮民族の原始生活の情景描写と、彼等の懇願に応じて「日韓併合」に乗り出した大日本帝國の教育成果により、目覚ましく変貌した情景を書き遺している。朝鮮民族の唐突な大変貌ぶりは、日本により原始人が人類の仲間入りをした当時の朝鮮民族の大変化を克明に描き出している。欧米の写真家が残した多くの朝鮮民族の「Before After」の姿を克明に写したそれらの写真を虚心坦懐な心で特と見比べてみるといい。そこには原人が突然人類へと変貌する不自然な現象が克明に表れている。貨幣経済も度量衡の統一も知らずに、水車の設計図まで日本から手に入れながら木を曲げる技術を得られないまま、数百年間も独力で水車を作れなかったのは、彼等が原始人であった何よりの証拠である。平然と人肉や糞尿を喰らい、近親相姦を繰り返し、迷信を信じ、死を穢れとしか理解できない彼等には、日本人のように「形見分け」の習慣すら無かった。「形見分け」の風習は、呉善花氏が日本に来て一番気持ちの悪い事であったと述懐されている。死を穢れとしか理解できない朝鮮人は、死者の持ち物は全て燃やした。先人が遺したものを全て穢れで片付ける限り、積み重ねにより生まれる進歩も伝統も残りはしない。今の韓国や北朝鮮に、誇れる伝統や文化が何ひとつ残されていないのは、先人の知恵を、その「死」により「穢れ」として片付けてしまう原人の風習によるものである。「近親相姦」や「人肉食」、「糞便食」も皆、「黒い山葡萄原人」の遺物なのである。

518年間も一切発展できなかった李氏朝鮮に日本人はヒトの文明の何たるかをゼロから教え込んだ。一般に「日韓併合」当時の朝鮮の識字率は4〜6%と言われているが、それは両班(やんばん)が漢文の科挙制度に合格していたから漢文を読み書きできたもので、庶民の識字率は0%であった。然も、両班が皆、科挙に合格できる訳もなく、中人という奴隷が代わって科挙試験を受けて、辛うじて4〜6%の両班の存在を維持できていた。一般庶民(=奴隷 =原人との混血)は100%の文盲で、明日をも知れぬ動物のような原始生活を何の疑問も持たず、従って人間なら当然湧き出てきたであろう反骨精神、反抗心も持たずして、受け容れて生きていた。普通の人間に耐えられる環境ではない。文字通りの原始人の血が色濃く流れていたからこそ何の疑問も持たずにできた無為の生活なのである。朝鮮民族が「亜人種」たる所以がここにも見かけられる。

大日本帝國は物心両面から亜人種、朝鮮民族にヒトの道を教育した。迷信を禁じ、拷問を禁じ、近親相姦を禁じ、奴隷制度を禁じ、女性に名を与え、衛生管理をして、道路、河川、水田の灌漑を重点的に整備し、水害から住民を護る為のダムを造った。何の目安も無かった彼等に度量衡を教え、統一し、貨幣経済を教え、商店をつくり、経済の何たるかを無知な原始人に教育した。西洋医学を導入した病院と、無学文盲の原人に読み書きを教育する学校を数千も造り、皆無だったインフラを造成すると同時に、朝鮮人に近代文明を授けた。日本人が特に力を入れたのが「道徳教育」(=ヒトの道)であった …これのどこが植民地支配なのだろうか? 李氏朝鮮時代に朝鮮全権大使として米国に渡った李成玉という人物が、朝鮮人を人間扱いしない白人たちに不満を持って書き残した文章の一説に、「日本は日本流の道徳を振り回して小言を言うのは気に入らないが、これは朝鮮人を同類視しているからである」というのがある。これは今も残る歴史的資料だから、信じられない方は自分で確認するといいが、李成玉のいう「日本流の道徳」こそが、日本人が朝鮮の原始人に先ず第一番目に教え込もうとした「ヒトの道」なのである。植民地の原住民に「道徳教育」をする野蛮で残虐な統治者などいるだろうか? まともに資料を当たれば、日本が朝鮮を植民地支配したなどという結論に達する筈がない。

白人たちの植民地では、庶民には読み書きを禁じ、反抗を恐れて3人以上の原住民が集まって相談する事すら禁じた。勿論、学校や病院など原住民の為には一軒もつくらなかった。インドを統治した英国人は、賢いインドの若者が現れると両手首を切断して勉学を阻止した。両手を切断されたインドの少年や若者の写真が何枚も残っている。植民地の労働力として海上輸送されたアフリカ人は20人づつ鎖で繋がれて、海が荒れて船が浮力を必要とした時には、彼等を鎖に繋いだまま20人づつ海に捨てて船を護った。このように「日韓併合」と「白人の植民地政策」の違いは歴然と異なっている。白人のモノカルチャー方式では、現地人の腹を満たす穀物生産を禁じ、白人が必要とする単一作物の栽培を強制した結果、酷い例では住民の人口が10分の1にまで激減した事さえあった。「日韓併合」では朝鮮人の寿命と人口は35年間で2倍以上にまで増加した。これのどこが「過酷な植民地搾取」というのだろうか? 成績優秀なエリート官僚も、三浦瑠璃氏も余りにもものを知らな過ぎる。もっと真面目に真実を勉強していただきたいものである。

「日韓併合」を大損覚悟で受け容れた当時の日本人を、「戦後教育」で洗脳された現代の日本人は、自分たちのご先祖を残虐な侵略者だったと信じ込まされている。「日韓併合」を「植民地政策」ではないと気づいている日本人も、精々昔の日本人は「只のお人好し」だったから朝鮮人に上手く利用されたのだと考えているだろう。併し、それも「戦後教育」と、真実を報道しない「鮮害著しいマスメディア」に植え付けられた「偽りの先人の姿」である。「日韓併合」当時の日本人は、実は「朝鮮人の救い難い性根を確りと見抜いていた」。それは見事なまでに「朝鮮民族の本性」を的確に知り尽くしていた。白人による、残虐としか言いようのない「植民地政策」とは一線を画するものであったが「日韓併合」とは、日本が只闇雲に朝鮮民族を同胞と受け容れたものでは無かった。当時の日本人の朝鮮人に対する評価が間違っていなかった事を如実に物語る記録が「日本政府から朝鮮総督府に送られた注意事項」に遺っている。日本人は亜人種朝鮮人のヒトならぬ欠点を的確に見抜いていた何よりの歴史的に価値ある証拠である。これこそ「一次資料」として歴史学に活用すべきである。また、安倍晋三首相には是非ともご一読いただきたい資料でもある。これを読まれれば、在日や日本国籍朝鮮人、そして韓国や北朝鮮に対する政策も自ずと変わってこよう。

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「日韓併合」時に、「日本政府から朝鮮総督府に送られた注意事項」というものが記録に遺っている。
 
一、朝鮮人は対等の関係を結ぶという概念が無いので、常に我々が優越する立場である事を認識させるよう心掛ける事。
 一、朝鮮人には絶対に謝罪してはいけない。勝利と誤認し居丈高になる気質があり、後日に至るまで金品を強請さるの他、惨禍を招く原因となる。
 一、朝鮮人は恩義に感じるという事が無い為、恩は掛け捨てと思い情を移さぬ事。
 一、朝鮮人には裕福温厚なる態度を示してはならない。与し易しと思い強盗詐欺を企てる習癖がある。
 一、朝鮮人は所有の概念について著しく無知であり理解せず、金品等他者の私物を無断借用し返却せざる事多し。殊に日本人を相手とせる窃盗を英雄的行為と考える向きあり、重々注意せよ。
 一、朝鮮人は虚言を弄する習癖があるので絶対に信用せぬ事。公に証言させる場合は必ず証拠を提示させる事。
 一、朝鮮人と商取引を行なう際には正当なる取引は先ず成立せぬ事を覚悟すべし。
 一、朝鮮人は盗癖があるので金品貴重品は決して管理させてはいけない。
 一、朝鮮人には日常的に叱責し決して賞賛せぬ事。
 一、朝鮮人を叱責する際は証拠を提示し、怒声大音声をもって喝破せよ。
 一、朝鮮人は正当なる措置であっても利害を損ねた場合、恨みに思い後日徒党を組み復讐争議する習癖があるので、最寄の官公署特に警察司法との密接なる関係を示し威嚇する事。
 一、朝鮮人とは会見する場合相手方より大人数で臨む事。
 一、朝鮮人との争議に際しては弁護士等権威ある称号を詐称せる者を同道せる場合がある。権威称号を称する同道者については関係各所への身元照会を徹底すべし。
 一、朝鮮人は不当争議に屈せぬ場合、しばしば類縁にまで暴行を働くので関係する折には親類知人に至るまで注意を徹底させる事。特に婦女子の身辺貞操には注意せよ。
 一、朝鮮人の差別、歴史観等の暴言に決して怯まぬ事。証拠を挙げ大音声で論破し、沈黙せしめよ。
 一、朝鮮人との係争中は戸締りを厳重にすべし。仲間を語らい暴行殺害を企てている場合が大半であるので、呼出には決して応じてはならない。
 
 …更に、『大日本帝國陸軍の朝鮮兵に対する注意書き』というものも記録に遺っている。     

一、何時、如何なる時でも唐辛子粉を食事に際し好きなだけ使わす事。 
一、絶対に頭、体を叩いてはいけない。怨みを持って復讐する気質があり、脱走の原因となる。 
一、清潔な食事運搬用バケツと雑巾バケツの区別をよく教える事。 
一、危険な状況下では銃を投げ捨てて哀号!と泣き出す習癖があるから、日本兵二名で 一名の朝鮮兵を入れて行動せよ。
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…どうであろう。当時の日本人が如何に見事に「亜人種朝鮮民族の性根」を見抜いていたかが、はっきりと分かる注意事項ではないか。大日本帝國は、只単にお人好しの間抜けだったから、朝鮮民族からの度重なる「懇願」を受けたり、T・ルーズベルト米大統領の悪意により無警戒に朝鮮を押し付けられたのではないと言う事が、この「注意事項」だけ読んでも、よく理解できるだろう。当時の日本は、日露戦争に勝利したとは言え、T・ルーズベルトの悪意によりびた一文の戦時賠償金も受け取れず、欧米列強に対しては、宛ら青息吐息の状態であった。この上、日本に敗戦したとは言え、未だ余力を残している大国ロシアが南下政策をとってきたら、日本はひとたまりもなくロシアに飲み込まれてしまうのではないかと言う恐れもあった。朝鮮半島は、日本に突き付けられた「匕首」(あいくち)と言う泣き所であったとはよく言ったものである。「日韓併合」とは、思案の挙句に、何の得もない朝鮮半島を併合した日本の苦しい苦しい決断であった事が上記の「注意事項」に如実に現れている。

日本人とは元来、非常に生真面目で誠実な国民性を持っていた。上記のような事情により「日韓併合」が成されたとは言え、一旦引き受けたからには、日本人はとことんまで朝鮮人を一人前の人間に育て上げるべく、最大限の努力を尽くした。やり過ぎるほどに朝鮮人に尽くしたのである。朝鮮民族にこれほどの「無償の愛」を注いだ国は歴史上無かった事は疑いようがない。後に横柄な白人たちに向かって、国際会議の場で正式に「人種差別撤廃提案」をするくらいに日本人は亜細亜の人々を差別してはいけないと心底から思っていた。だから、朝鮮民族の人非人たる特質を知りながらも、誠心誠意 真心を以って尽くした。これが「日韓併合」の真実である。戦勝国米国が残していった「東京裁判史観」と「戦後教育」、そして「恩知らずな在日朝鮮人ども」によって、今の日本人は真実から遠ざけられたまま、「偽りの贖罪意識」を身体に染み込まされているのである。だから、「戦後教育」の優等生たちは先人のご苦労に思いを致す事も無く、「日韓併合」をいとも容易く「植民地支配」などと言えるのである。「東京裁判史観からの脱却」は、政治家に期待する前に、日本国民一人ひとりが克服すべき問題である。国民意識に何の変化もなくして時の為政者に「東京裁判史観からの脱却」を求めても、その実現は無理な相談である。「日本国憲法」に対しても同じ事が当て嵌まる。今回は憲法論議は避けるが、日本国民の意識変革無くして「一部改憲」などに奔走する安倍首相には、一日も早く「東京裁判史観」の本質に気付いていただきたいものである。

戦後の日本国民と日本国民が支持し続けた歴代自民党政権は、先人が「朝鮮民族に対して注意すべき事」を明確に箇条書きにまでして遺してくれたものを、悉く台無しにしてきた。自衛隊すら持たないうちに「竹島」を略奪され、4,000人近い日本人漁民を殺傷され、拉致され、13年間も人質に取られたまま、米国の圧力に屈して「日韓国交正常化」と言う異常な国交を開始し、そこでは居丈高に振る舞う朴正煕韓国大統領相手に、「必要もない謝罪」をさせられ、支払う必要もない「経済援助」と言う名の賠償金を支払わされ、移転する必要のない「技術移転」をし、民間企業が苦労して開拓した欧米への「販路開拓を手取り足取り指導」し、韓国をいっぱしの輸出国家に育て上げた。朝鮮民族が恩知らずなのを先人が教えてくれていたのに、戦後の為政者は徹底的にそれを無視した。謝罪してはいけない相手に謝罪し、信じてはいけない相手を信じたのである。上述の「朝鮮総督府に宛てた注意事項」を、戦後日本の為政者は悉く破って、「先人の知恵を無にしてしまった」のである。朝鮮民族は、南も北も在日も、皆全く同じ「ヒトならぬ亜人種」なのである。「大日本帝國が朝鮮総督府に宛てた注意事項」は、「先人が戦後の日本人に宛てた注意事項」でもあった。これほど核心を突いた「先人からの警告」をこれ以上無視しては、大和民族も亜人種朝鮮民族に乗っ取られてしまうだろう。安倍政権の外交政策を善導する為にも、先ず我々が「先人からの警告」を肝に命じて、政権に働きかける必要がある。このままの状態を放置して私欲に拘っていたら、大和民族は本当に「被支配民族」となり、やがては滅び去ってしまうだろう。

「東京裁判史観」により、日本国民にとっては良からぬ方向に決定づけられた「戦後教育」という紛い物の教育は、日本人の生存本能までも狂わせてしまっている。建前上は主権を回復してから、既に65年が経過しているが、日本は未だ主権国家の体を成してはいない。主権国家の定義にもよるが、私は「主権国家」たるもの国家の三要素である「領土・国民・主権」を「護り通す覚悟と実力」を備えているべきものであると考えるが、戦後の日本には、建前上の「領土・国民・主権」はあっても、日本政府自らがそれらを「護り通す覚悟と実力」を放棄しているとしか思えない。竹島を略奪した韓国に莫大な経済援助と技術支援をし続け、国民を拉致した北朝鮮には「断じて容認できない」などとの抗議の言葉しか出せない体たらくである。日本が主権国家であるというのは飽くまでも建前上で、実態は米国の「傀儡国家」であり、いつでも切り捨て可能な、単なる「属領」でしかない。歴史上、いつの時代も「属領」とは無力なものである。

その無力な敗戦後の日本が中共とソ連に侵略されなかったのは、日米安保がその歯止めの役割を果たしてきたのは事実だが、相対的に国力が衰退した米国が、いつまでも日本を護り通す保証はどこにもない。「尖閣諸島には日米安保が適用される」との宗主国の言質を得たとはいえ、日本が「公共の建造物を尖閣に置かない」との条件付きであるのは、尖閣諸島が既に日本の主権下にない事を如実に物語っている。条約にも、公式文書にも書かれていない、この米国による縛りを破って、日本が尖閣の何処かに、灯台や船着場を建設した場合は、それに反発した中共が尖閣諸島を奪いに出ても、米国は中共と事を構えるような危険は絶対に冒しはしない。米国の後ろ盾が無ければ、自衛隊単独では中共の日本侵略はほぼ間違いなく防ぎ得ない。尖閣海域だけの限られた海域での限られた期間の局地戦ならともかく、尖閣を口実に東支那海の日中中間線の侵犯や南支那海での輸送航行妨害、そして広範囲に及ぶ領海と領空への侵犯など、凡ゆる中共の嫌がらせに対抗できる武力を日本は持っていない。日本は領空・領海を侵犯されても、精々「出て行くように促す」呼びかけくらいしかできない。国際社会で主権国家の領域を侵犯したら、有無を言わせず武力攻撃を受けるのが常識である。

一部で「見直しするべきではないか?」との機運が出始めているとはいえ、米国政府を構成する実力者たちは、相変わらず「日本だけには自主防衛を許さない」との意見で大勢が固まっている。「日米安保による米軍の日本駐留」の目的は、半世紀以上前のままの「瓶の蓋論」で片付けられてしまっているのである。素人政治家ドナルド・トランプ大統領の登場で、この堅固な既成事実に変化の兆しが見えはするものの、トランプ大統領は、その任期を全うするかどうかすら疑問視されている。日本に対する米国のスタンスに詳しい国際政治アナリストの伊藤貫氏によれば、米国は韓国や北朝鮮に核保有を容認する事はあっても、日本にだけは絶対に核保有を許さないという。そういう米国との安保条約に自国防衛を頼っている段階で日本は主権国家の資格を欠いている。米国と一悶着起こしてでも核武装をする覚悟を、今の日本政府と日本国民は持っていない。核武装の議論すら自国民から猛攻撃を受けるのが今の日本が置かれている惨状なのである。この状況から脱却する準備と努力を今の今まで何もしてこなかった、日本の政治家は例外なく腑抜けである。保守系の有権者に絶大な人気のある現安倍政権も同様である。

保守を自認しながら、口では何とでも言えようが、安倍政権を含む歴代の自民党の国会議員たちは、竹島も拉致被害者も、本気で取り返そうとの行動を一度としてとった事はない。それを実行する気も更々ない。これは否定のしようがない悲しい現実なのである。今の日本が置かれている危険な状況を、果たして日本国民の多くが真剣に考えた事があるのかどうかさえ疑わしい。北朝鮮は日本国民を実際は1,000人以上も拉致し、核弾道ミサイル保有を誇示しながら、「日本列島を海に沈める」と恫喝している。それに対して、安倍政権と与党自民党議員たちと識者、評論家、ジャーナリストたちは、日本の国防上の手足を縛る「現行憲法改正」の要不要を喧(かまびす)しく議論している。日本人はいつからこれほどの馬鹿者に成り下がってしまったのだろうか? 国民生活に当て嵌めて考えれば、答えは直ぐにでも明らかになるのに、国防レベルになると日本人は馬鹿になる。自宅の庭から年端もいかない愛娘が誘拐されたのに犯人に対して話し合いで解決するしか手段を持たない一家が日本なのである。「自宅に火を点け、全てを灰にする」と脅されても「断じて容認できない」などと言葉で抗議するしか手段を持たない一家が日本なのである。こういう理不尽な状況を訴えれば、代わりに武力行使も辞さないで護ってくれる警察官は何処にもいない。これが今の日本が置かれている状況なのである。

護ってくれる警察官が居なければ、泣き寝入りするしかないのだろうか? 竹島略奪も日本国民の拉致被害も、当事者を除く多くの日本国民と日本政府は、身を切る実害を痛みとして感じていないから、「話し合いをしましょう、コメを50万トン援助しましょう」などと、40年以上も悠長な事を言っていられるのである。ご近所さんに「一団となって圧力をかけよう」などと言うのも、自らが身を切る痛みを感じていないから言える事である。現実の生活で家族や自分自身に危険が及ぶと判断した場合、人間はあれこれ考える前に、反射的に自己防衛の行動を取るのではないか? 誘拐された愛娘が囚われている犯人の家が明らかな場合は、一家の家長や男兄弟は迷う事なくその家に押し入って、娘や妹を取り戻すだろう。自宅に火を点けると脅されたら、迷う事なく24時間体制で犯人を追い払うべく監視する。そして賊が犯行に及ぼうとすれば、手近にあるバットや包丁などを使って追い払うだろう。身の危険を感じれば賊を刺し殺す事も辞さない覚悟が必要だし、実際にその場になれば、法律がどうだとか考える間も無くあらん限りの力で防御するだろう。それが正当防衛と認められるか過剰防衛と判断されるかなど、後の判断に任せるしかない。この当然の行為を現実の国際関係に適用する事のどこに問題があるのだろうか?

主権国家の主権を侵害する敵対国に軍事力を以って自国を護る行為は、法律論を超えた自然な行為である。だから国際社会に於いて主権国家には前もって自衛戦争が認められているのである。併し、日本国民の多くが後生大事に縋っている「日本国憲法」なる「亡国憲法」では、それが認められていない。「日本国憲法」を敗戦国日本に脅迫的に押し付けた米国は、日本を主権国家にするつもりなど微塵も無かったのが、何故、現代の日本国民にはそれが理解できないのであろうか? それこそ「洗脳統治」によって齎された「東京裁判史観」の害毒なのである。「日本国憲法前文」には、「…平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とあるが、現実の国際社会で「平和を愛する諸国民」に相当するのが北朝鮮の如き国家なのである事に、護憲派なる日本人は考えが至らないのである。竹島を略奪した韓国や尖閣諸島を我が物とせんと着実に実績を積み重ねている中共などを指して「…平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」せよと言うのが「日本国憲法」なのである。

こんな馬鹿げた「悪意ある駄文」を戦勝国に押し付けられたまま、現在に至るもそれを不磨の大典の如く押し戴いている日本政府と日本国民の何と愚かな事であろうか? 例え悪意ある駄文であったとしても、当時は断り切れなかった事情は分かる。併し、サンフランシスコ講和条約に批准して主権国家に返り咲いた後、米国の強い監視下に置かれながらも、押し付けられた「日本国憲法」を「破棄」して、主権国家として自分たちで新憲法を模索する事が全くできなかった、70年間にその機会が一度とて無かったなどという事は有り得ないではないか。「亡国憲法」を押し付けたのは米国であったが、それを後生大事に一度として変えようとしてこなかったのは、日本国民と日本の為政者の選択であった。日本人は自ら主権国家となる事を拒絶し続けてきたのである。その間違った選択を現在の日本国民の多くが未だに支持しているのだから、「亡国憲法」を押し付けたと米国を今になって非難するのは間違いである。敵国を無力化する行為は当時の米国側に立って判断すれば正当な行為であった。「亡国憲法」を一部改憲すらできない愚かな惨状を護り通してきたのは我々日本国民なのである。

歴代自民党政権の徹底した無策に対して、安倍政権は少なくとも、12年前に策定した自民党の新綱領で謳っている「新しい憲法」を目指して、「改憲」意欲を明らかにしている。併し、私は一貫して「改憲」には反対してきた。「国民意識の変革努力」もせずして、抵抗が強いからと「新憲法制定」を模索する事を諦め、現行の「亡国憲法」を基にした「改憲」に奔るなど単なる弥縫策(びほうさく)であると、安倍政権の遣り方にはずっと反対してきた。併し、歴代首相がその保身故に時期尚早と口にさえしなかった憲法問題への取り組み姿勢を示した、その一点に於いて安倍晋三首相には一定の評価はできる。「国内に蔓延る朝鮮民族の危険」に余りにも無頓着な所は大いに非難されるべきだが、同時に「亡国憲法」をこのまま放置してはなるまいとの姿勢は「戦後教育の被害者」でもある現役政治家の中では、随分とマシな方である。併し、せっかく憲法問題に手を付けるなら、せめて10年くらい前から国民に対する啓蒙政策を開始して、現行憲法が如何に日本国民を堕落させ、国家を無力化する「亡国憲法」であったかを明らかにするべきであった。

「戦後教育」なる、「東京裁判史観」に穢された「日教組」などが大喜びで受け容れた内容の、捏造史観ともいうべき虚偽の教育を、日本は何時迄も続けるべきではない。そもそも「日教組」とは、GHQが在日朝鮮人たちに組織させた反日教育を目的とした労働組合である。GHQは、当時は聖職者と尊敬されていた教師たちを単なる労働者に貶めたのである。彼等在日朝鮮人と反日左翼(=敗戦利得者)が、日本を無力化する為に、GHQが日本国民に投げ与えた「戦後教育」のお先棒を担いで、今も日本の子供たちに反日的な「偽りの贖罪意識」を教え込んでいるのである。教科書検定の権限を持つ文科省の無策は限りなく罪深い。そうして育てられた戦後の日本人には、正しい歴史観も国家観も身に付きはしない。国際社会の実情という声なき要請があるとはいえ、いきなり「改憲」を持ち出しても、愚民化された日本国民の大多数が簡単には受け容れないのは目に見えていた。先ずは日本国民に対する丁寧な啓蒙活動を経た上で、現行の「日本国憲法」では、激動する国際社会に於いて日本は立ち行かなくなってしまう危険がある事を訴えるのが常道であろう。一定の年数をかけて啓蒙活動を戦略的に進めていれば、「改憲」などという弥縫策ではなく「自主憲法制定」という、自民党立党の精神を改めて宣言した新綱領に沿った政策実現も可能であった。

そのような地道な努力を怠ってきたままでの「改憲」発言は、反日野党勢力の絶好の攻撃材料となるのは当然であり、多くの国民の理解も得られはしない。安倍首相が持っておられる「現行憲法に対する不満」は尤もである。併し、その「現行憲法に対する不満」の解決策が「現行憲法の一部改憲」というのはお粗末過ぎる。日本が抱える「憲法問題」の本質的な欠陥は、何も第九条だけではない。「現行憲法は全体的に日本国民に仇為す内容」に終始している。先述した日本国憲法前文に見られる「現実から目を背けた理想論」に縛られていては、この国は滅びてしまう。明らかに日本に敵意を持つ特亜三国に囲まれながら、「…平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」のでは、この日本は滅び去ってしまうだろう。「国民の義務」を軽んじ、「個人の権利」ばかり尊重する現行憲法の精神では、激動する国際社会で悪意ある国家に囲まれた我が日本国は生き残れはしない。時には「個人の権利」を停止してでも、国防を優先せざるを得ない時は必ずある。国民の生命財産を護る為には、強い国家であらねばならないが、今の「日本国憲法」では、日本国民を護り通す事はできない。

「現行憲法」が米国に押し付けられた「亡国憲法」である事を、今の堕落し、愚民化された日本国民に理解させるのは一朝一夕にはできはしない。その、数十年と長い年月を要する、国民意識の啓蒙、変革に、日本政府は今まで一切取り組んでこなかった。その上、最大の脅威である「在日朝鮮人」に、この国でやりたい放題させてきた。安倍政権は多くの国民の支持により成立した。併し、3分の2以上の議席を以って「遠慮がちな一部改憲という憲法改正案」を国会発議できたからと言って、国民投票で過半数を取れるとは限らない。我が儘放題の反日左翼傾向を持つ日本人の愚民化された国民意識はそう簡単には変わりはしない。反日左翼傾向を持つ我が儘な国民と、悪意しか持っていない在日朝鮮人を国内に多く抱え、国外からは米国と特亜三国に大反対の合唱が起これば、臆病を通してきた安倍政権はひと溜まりも無く「憲法改正」を諦めるしかあるまい。「一部改憲」など無意味であるから、潰れても構わないが、無意味な努力の繰り返しを続けているうちに、我が国は事実上滅んでしまうだろう。我が儘な国民と優柔不断な政府が押し競饅頭(おしくらまんじゅう)を繰り返しているうちに、日本の中枢に蔓延る在日朝鮮人・日本国籍朝鮮人・背乗り朝鮮人に日本は乗っ取られてしまうからである。

日本は、戦勝国米国のGHQが残して行った「亡国憲法」と「在日朝鮮人たち」によって、今、「滅亡の機」に追い込まれているのである。それを回避する方法はひとつしか無い。それこそ、「朝鮮民族の日本からの排除」である。それを邪魔するものが、実は「日本国憲法の精神」なのである。「日本国憲法の精神」とは、悪いのは我々日本で、日本を取り囲む国際社会は正義で溢れているのだから、「日本は自主防衛の為の軍事力など持っては罷りならん」という、この上なく理不尽で間違った精神である。然も、国民は国の為に犠牲になる必要などないから、「個人の権利を存分に謳歌せよ」と謳っている。「日本国憲法」は「規制のない自由ほど恐ろしいものはない」という真理から徹底して目を背けている。何の為の「規制」か? といえば、国民の生命財産を悪意ある他国の侵略から護る為の「規制」である。悪意ある他国の侵略者に対抗する為には、目の前の一国民の権利を護る為に国が動けないのでは、その国民の生命財産すら護り切れない場合が充分に有り得るのである。反日左翼と在日朝鮮人は、それを知っているから「国防を疎かにせよ」との真意を隠した軽薄な理想論を叫ぶのである。

「国防」の前には「人権至上主義」は邪魔ものでしかない。朝鮮人の人権を護って国が滅んでどうするというのだろうか? 例え僅かでも「現行憲法」を変えなければならないとの安倍政権の考え方は、表面的には間違ってはいないが、安倍政権の今までの売国政策を見る限り、「現行憲法の危険性の本質」は見落としていると断じざるを得ない。在日擁護法である「ヘイトスピーチ対策法」を立法し、韓国の国策企業であるLINE(株)に、日本国民の全個人情報を開示してしまう「愚」を犯した安倍政権が、在日朝鮮人の危険性に気付いているとはとても思えない。「現行憲法」の放置・追認は、我が国を滅ぼすが、安倍政権が掲げる「一部改憲」などの弥縫策でもまた、「大和民族の危機」は乗り切れはしない。朝鮮民族をこの日本から排除し、自主防衛を可能とする為には、即刻、「現行憲法を破棄」するしかないのである。それに思いが至らないで「一部改憲」を主張する安倍政権には、根本的な間違いが見えていないのである。どのような非難に晒されようが、「現行憲法の破棄」の実現でしか、「朝鮮民族の排除」も「自主防衛」の道も開かれはしない。これが日本に突きつけられた現実なのである。

今のように、日本が「暴漢に襲われている」時に「議論」などしていては間に合わないのである。適法か、違法か、などと言う事は、暴漢を撃退してから考えれば良い。今の「改憲論議」や「自主防衛論議」は、さながら「暴漢に襲われている最中にどう対応しようかと議論している」ようなものである。「抑止力としての核武装」に至っては、国会での議論さえタブー視されている有様である。刃物をかざして威嚇しながら、今しも日本に襲いかかろうとしている暴漢に向かって、「日本は刃物は決して持ちません」と宣言しながら、暴漢に「議論しましょう」と語りかけている愚か者が、今の日本の姿なのではあるまいか? そんな国は滅んで当然である。国内では、政界、財界、法曹界、教育界、マスメディア界、その他諸々、の国家の中枢を在日朝鮮人に明け渡してしまい、日本国民が逆差別されていると言うのに、在日擁護を率先垂範しているのが、今の日本政府である。これもまた滅び去って当然ではあるまいか?

こう問い掛ければ、誰しも「日本国憲法の破棄」に賛成し、日本人の全てが在日朝鮮人の排除に立ち上がる訳ではない。事はそう簡単には解決はしない。併し、朝鮮民族に一片の危機感すら感じていなかったお気楽日本人の中から、例えひとりでも今の日本が「大和民族存亡の機」に瀕している現実に気づいていただければ幸いである。今、日本国民が目覚めなければ、営々と歴史を積み上げてきた先人の苦労が、穢れた朝鮮民族の手によって滅茶苦茶に蹂躙されてしまうのである。もはやいっ時の猶予も日本には残されていない。嘗て、犬養毅首相は内閣総理大臣官邸に武装して乱入してきた海軍将校に向かって「話せばわかる」と言葉で諭して暗殺された。ここでどちらが正しかったかなどと論考するつもりはないが、「武力を振るう者たちに対して話し合いを求めても、相手は話し合いになど応じてくれはしない」と、史実は教えてくれている。目前に迫る武力に対して、対話を求めるほど虚しい事はない。「滅びるのが嫌なら、日本人は国際社会の現実に覚醒して理想論を捨てる」しかないのである。

このBlogを読んでいただいている方にも、「朝鮮民族亜人種論」はなかなか理解していただけないらしい。本来、学問というものは新しい発見により塗り替えられて行くべきもの。学問は勿論、人類とは何ものか、とか人間社会に関する凡ゆる常識も新しい研究や発見により覆されながら進歩していくものである。ホモ・サピエンスの定義も、原人の定義も、朝鮮民族の定義も、同様で絶対不可変などと考える事の方がおかしい。自分が学んだ知識や既に世に出ている書籍に書かれている学説も絶対に覆らないとは必ずしも言い切れない。自分が知っている常識と異なるからといって、頑なに「朝鮮民族亜人種論」を受け容れないというのは、「世の中の進歩から取り残される愚か者の言いぐさである」というのが私の見解である。

「古い知識と常識」に縛られていては、人類はここまで進歩できはしなかった。そして、「新発見」とか「新説」と、所謂「古い常識」は当然の如く、互いを否定し合ってきた。コペルニクスの地動説は、天動説が常識であった頃は異端として受け容れられなかったが、今では誰もが知る常識である。朝鮮民族が「黒い山葡萄原人の末裔」で、一般の人類が生まれる以前の、本来なら滅び去っている筈の「原人の末裔だ」などと学校では決して教えてはくれないし、どの教科書にも書いてないから信じない、という者は別に信じなくても構わない。併し、北朝鮮の子供たちが学ぶ教科書には「自分たちは黒い山葡萄原人の末裔である」とはっきりと、然も優越的に記述されているという。信じなくてもいいが、朝鮮民族を「黒い山葡萄原人の末裔」、或いは「亜人種」と呼ぶ新説を単なる「差別」とか「ヘイト」とか「人権侵害」と決めつけて、そこで思考停止してしまうのだけはやめて欲しい。今の日本では「何でも人権至上主義」は「危険思想」であるとさえ言える。

碌に深く考えもせずに「差別は悪だ」と信じ込み、長年疑いもしてこなかった「間違った先入観」から抜け出すのが大変なのは理解できるが、否応無く朝鮮民族との関わりを持たざるを得ない我々日本人には極めて重要な事なので、既に何回も述べた事を繰り返し書かせていただく。ひとりでも多くの日本国民に理解していただけるよう、繰り返し強調する事ぐらいしか私にはできないが、報われる可能性が僅かでも残されているうちは、この努力をやめる訳にはいかない。荒唐無稽と一笑に伏す事しかできなくなってしまった日本人には「滅びの道しか残されていない」と思うと、敢えて尊大な言い方をすれば、私への反論をされる方には憐れみの感情しか湧かない。反論すらせずに馬鹿馬鹿しいとまともに取り合おうとしない方も同様である。同じ日本人ながら「自業自得」、或いは「絶望的」という言葉しか出てこないのは誠に悲しい現実である。

このBlogを更新しているのは、日本という国と、私を日本に産み出してくれたご先祖に対する私の「恩返しと、自ら見出した使命」だと思っている。拙文をお読みいただくに当たっては、そういう覚悟を以って書いている事を是非ご承知おきいただきたい。例外なく「差別は悪だ」と決めつけて、忌み嫌い、それ以上考える行為を拒否し、「朝鮮民族亜人種論」を頭から否定される方には、時間の無駄だから無理にお読みいただかなくていい。所謂「九条信者」の方々も同様である。そういう方々は「どうぞご勝手に、滅びの道を突き進んでください」との突き放す言葉しか送りようがない。私の認識は、現状の日本人が置かれている凄まじく理不尽な「朝鮮民族による支配」を毅然と拒絶し、彼等をこの日本から排除する戦いを今直ぐにでも始めなければ、早晩、大和民族は滅びてしまうだろうという事である。例え、日本という国家が残ったとしても、朝鮮民族に完全支配された奴隷の如き日本人しかいなくなってしまうとしたら、それは大和民族の滅亡と同義である。

在日朝鮮人の人権を護って、人権至上主義者の言う所の「差別なき社会」を実現したところで、大和民族が奴隷の如く生きる国は日本とは呼べない。「奴隷の如く生きる」というのは楽観視し過ぎかも知れない。民族浄化の憂き目に遭い、文字通り大和民族が地球上から亡び去る可能性もある。嘗ての朝鮮半島では実際に、穴ぐらから這い出してきた「黒い山葡萄原人」たちによって、「民族背乗り」とも「民族浄化」とも呼べる事態が起きたと私は考えている。日本人には理解不能なほどの、現朝鮮民族の日本への怨恨感情は、そういう悲惨な事態をも招きかねないと私は危惧している。何れにせよ、「在日とその仲間たちが要求する所の人権を護っても、その結果、日本人が滅んでしまうのでは意味がない」ではないか? そのように理解していただければ、「朝鮮民族亜人種論」は俄かには信じ難いが、戦後の歴代自民党政権が選択し、推進してきた、「一貫した在日擁護姿勢」に日本の危機を感じ取れる筈である。敗戦後72年が経過した今の日本の惨状を見渡して貰いたい。頼みの綱である筈の安倍政権は、在日擁護法とも呼ぶべき所謂「ヘイトスピーチ対策法」を立法化したばかりか、今年11月から「マイナポータル制」という行政書類をインターネットで一括管理するという売国制度を始めた。

「マイナポータル制」とは、無料通信アプリを日本に日本企業と偽って普及させた、韓国の国策企業であるLINE(株)に全日本国民の個人情報を丸投げする制度である。一定のユーザー数を獲得するまで、LINE(株)は日本企業であると堂々と嘘をつき続け、在日企業ではないかとの噂に疑心暗鬼になった日本人ユーザーを安心させ、日本市場をほぼ手中に収めると、一転して平気な顔で実は韓国企業でしたと認めた嘘塗れの企業である。また、SOFT BANKで大成功するまで在日朝鮮人であった孫正義氏は、後に日本に帰化し、今では米国の永住権まで獲得しているが、心中はコテコテの朝鮮人のままである。日本人を侮辱する朝鮮人にしか分からないテレビCM「犬のお父さん」シリーズの真意をネット上で暴かれても、金にモノを言わせて侮蔑的CMを放映し続け、つい先頃、CMシリーズの映画化まで発表した。それについて日本のマスメディアは「SOFT BANKのCMに込められた日本人への侮蔑」という真実を一切報道しない。だから一般国民が「犬のお父さん」CMを喜んで見ている様を在日たちは薄笑いを浮かべながら見下して悦に入っているのである。

SOFT BANKとは、携帯電話やスマホの通信料金で、日本人には高い価格を、在日朝鮮人には特別な低価格を設定している「日本人差別企業」である。そして、根っからの朝鮮人、孫正義氏は、東日本大震災の直後に「ポケットマネーから100億円を寄付する」と公言して、自社の信頼を大いに獲得したが、その実、孫氏はびた一文ポケットマネーから寄付などしていない。寄付を公言した一年半後に「あれは孫氏の大嘘だ」との噂が立ったので、私はSOFT BANKの広報に確認の電話を何回もしたが、帰ってきた最終的な答えは、「当社が適切な時期に、適切に寄付する方向で検討している」との事だった。「当社?」、 「ポケットマネーからの寄付とは孫氏個人が寄付するという意味ではないのか?」との問いかけは何度もはぐらかされた。電話代の無駄だから最後まで追及してはいないが、恐らくあの調子ではSOFT BANK名義ですら、震災復興の為の100億円の寄付などしていないだろう。朝鮮人とは誠に「息を吐くように嘘をつく」ものだ。母国韓国も後進国の自然災害に日本と競い合うように多額の支援を発表するが、額面通りの支援をした事は一度も無い。

何も知らぬ日本人がSOFT BANKがキャリアのSAMSUNGのロゴを隠したギャラクシー・スマホを使い続ける内に、SOFT BANKの全顧客情報は数年前に韓国のデータセンターに集約されてしまった。日本企業であるdocomoの顧客サービスを請け負う子会社も在日企業だから、日本政府が導入してしまった「マイナポータル制」で、韓国が手にした日本国民の全個人情報にプラスして、ネット通販や様々な関心事などの日本国民の個人的志向は韓国に筒抜けとなってしまった。Facebookのセキュリティも在日企業が請け負っているから、利用者の嗜好も思想も韓国にダダ漏れである。こういった、謂わば垂涎の「ビッグデータ」を手に入れ、それを駆使する韓国企業に対して、日本のマーケットで戦う日本企業に勝ち目はないだろう。朝鮮民族による負のスパイラルは、もはや止めようも無いほど日本を席巻しているのである。表向きは無いとされる「在日特権」により、在日朝鮮人は事実上、支払った税金を全額還付される構造が確立しているから、日本の高額所得者は軒並み在日朝鮮人だらけではないか。

韓国と在日朝鮮人は日本人に差別されていると言い続け、一度味をしめた「被害者詐欺」の立場を決して手放そうとはしない。敗戦後の10〜20年くらいは朝鮮人差別は実際あっただろうが、それは半島に残された朝鮮人と日本に居座った在日一世たちによる日本人に対する蛮行の記憶が生々しかった頃だけで、今では在日は差別されるどころか、日本人が在日朝鮮人に逆差別されている時代である。だいいち終戦直後から暫くはあったであろう朝鮮人差別は「朝鮮人に対する恐怖」が根底にあった。その恐怖を日本人に植え付けたのは、半島で原始人に帰った朝鮮人と、在日朝鮮人一世たちの鬼畜の蛮行である。敗戦直後の日本人に対する朝鮮人による「人の道を外れた蛮行」の数々は現在も記録として残ってはいるが、GHQによる日本無力化計画の一環から生まれた「戦後教育」で植え付けられた「偽りの贖罪意識」と、在日朝鮮人たちの手によって、史実の記録はどんどんと掻き消されてしまっている。

米国に於いて、日本の中学生に相当する子供たちの教育副読本として指定されていた「竹林はるか遠く〜日本人少女ヨーコの戦争体験記」に記された史実を「朝鮮人に対する悪意ある日本人の歴史歪曲だ」とコリア系米国人が騒いで、全米の図書館から撤去させたように、朝鮮人というのは自分たちの真実の醜い姿が白日の下に晒されるのを極端に嫌い、民族総出で隠蔽工作を図る傾向がある。同じ事がこの日本でも行なわれてきた。随分昔、竹島問題で日本側の有力な証拠となりそうな古書を、神田の古書店街に韓国人が大勢押し寄せ、買い漁って行った事があった。世界各国の図書館の世界地図の日本海表記の上に「東海と印刷されたシール」を組織的に無断で貼って行ったのも現地在住の朝鮮人である。日本でも在日朝鮮人は史実隠蔽に民族総出で工作活動をしている。Facebookの前近代的「遡求検閲」など、彼等在日朝鮮人の手にかかったらお手のものである。そして、二言目には「我々は日本人に酷い仕打ちを受けた」とか、「日本人に差別された」と嘘をついて回るのが朝鮮人たちである。

GHQに大和魂を打ち砕かれた日本人は、未だに「東京裁判史観」から立ち直れずに、旧敵国に与えられた「戦後教育」の大嘘の部分を書き改めようともしない。大枠で捉えれば「戦前の日本は暗黒の時代で、敗戦後に米国に与えられた民主主義で生まれ変わった戦後の日本こそが良い日本である」との偽りの贖罪意識で固められた歴史観こそが「戦後教育」の誤った路線である。「戦後教育」で洗脳されて世に出る若者は、既に幼少期から別の洗脳を受けている。在日朝鮮人に支配されたマスメディアがつくりだす「偽りの歴史観・国家観」である。現代の日本国民は、戦前戦中を知る少数の高齢者を除いて、総て「偽りの歴史観・国家観」に染め抜かれている。そこでは我々の祖父たちが亜細亜全域、取り分け支那と朝鮮で侵略戦争を仕掛け、支那では「南京大虐殺」を犯し、朝鮮半島を「武力により植民地支配」し、戦後も在日朝鮮人たちを日本人は差別してきた事になっている。自国民にこれほどの大嘘を教え込む政府が、いったい世界中の何処にあろうか?

中共、韓国、北朝鮮という差し迫った脅威に対抗する為に、実は特亜三国の裏で糸を引く米国との軍事同盟に頼らざるを得ない状況をつくり出したのは、歴代自民党政権を選挙で勝たせ続けた我々日本国民であるという真実に、いったい何時になったら日本国民は思い至るのだろうか? 斯く言う私も、先の衆院選挙では安倍自民党に投票したが、他の政党が酷過ぎるからやむを得ず安倍自民党を選択せざるを得なかった。安倍政権が犯してきた数々の売国政策を知らない訳ではないが、一方で安倍政権は従来の自民党政権のなかでは一番マシであるとも言える。日本国民の為になる数々の目覚ましい成果をあげた事実は否定できない。安倍首相が私には信じられないほどの売国行為を為してきた事は、安倍首相ご自身も「戦後教育の被害者」であるからなのだろう。安倍政権がしてきた売国政策を知りながら、安倍自民党に投票した責任を果たす為にも、私には、真実を主張し続け、首相官邸にも自民党本部にも、今まで以上に真実を訴え続ける責務が生じたと思っている。

現状では、為政者も日本国民の大部分も、日本が遭遇している「真の国難」に気づいていない。中共の覇権主義的な日本への眼差しや、北朝鮮による日本人拉致や核ミサイル恫喝や、理解不能な韓国の日本に対する怨恨感情に基づく敵対行為でもない。これらも対決し、解決しなければならない脅威に変わりはないから、決して軽んじる事は許されないが、こうした目に見える脅威に気を取られているうちにも、裏で着々と進行している「日本国内の在日朝鮮人たちによる日本乗っ取り行為」こそが「真の国難」と言える。先ずは、在日朝鮮人たちを、日本に差し迫った脅威と認識する事が重要である。その点では安倍政権は全く逆の政策を摂っている。「その国の国民以上の為政者は決して生まれない」というのが本当なら、先ずは日本の有権者が真実に気付く賢さと知識を身に着けるべきだが、有権者全員が皆賢く、然も全員が同じ方向を目指す事などあり得ないのだから、少しでも多くの有権者が真実に気付く努力をするべきである。それは真実に気付いている者が背負っている使命である。

「人権」は確かに疎かにすべきではないし、尊重すべきものであるが、何事も事と次第による。先述した通り、在日朝鮮人の「人権」を護って、その為に営々とこの国を築いてきた、この国の主である大和民族が滅び去って良いのだろうか? 答えは明々白々である。我々は我々自身を護るという最上位命題を果たす為に、時には「人権尊重」の精神を一時棚上げにせざるを得ない時もあると気付くべきで、今こそその時なのだとの「生存本能」を呼び覚ますべきである。日本人は自らを護る為に在日朝鮮人をこの国から排除しなければならないのである。「人権侵害」という言葉に怯えて判断を誤っては取り返しのつかない事態を招いてしまう。最も尊重されるべきは、本来はこの国に居座るべきではない在日朝鮮人の人権ではなく、この国の主である我々日本人の生存なのである。米国が日本を無力化する為に方向付けた「戦後教育」や「在日に支配されたマスメディア」がつくりだした虚構に騙されてはいけない。大和民族が生き残る為には、もはや手段を選んでいられる段階は過ぎているのである。

既に書き尽くした事だが、今の日本は、「政界、財界、法曹界、教育界、マスメディア界、芸能界、各自治体職員の相当数、SNS大手のFacebook、ネット通販業界、その他IT業界、金融業界、アミューズメント業界、タクシー業界、風俗業界、暴力団組織の数々」など、日本国民の身近な世界は、知らぬ間に事実上、在日朝鮮人に半ば以上乗っ取られてしまっている。暴力団員の9割を占めるのが在日朝鮮人だと言われているが、暴力団は日本各地域の利権を握っているから資金源を断つのは不可能に近い。Facebookでは、特亜に都合の悪い真実は在日に検閲されて一切投稿できなくなってしまった。国会議員には日本国籍が必要だが、日本国籍を持った朝鮮人が判明しているだけでも数百人規模と大勢いる。誰とは言わないが、朝鮮民族は日本の内閣総理大臣まで輩出している。

今は、表面に現れている事象に目を奪われて、本質を見誤ってはならない。在日朝鮮人こそは我々日本人が最も恐れを抱くべき情け無用の醜敵(しゅうてき)なのである。今こそ、今まで明かされてこなかった「朝鮮民族亜人種論」を信じるべき時なのである。彼等は「日韓併合」により、日本人から惜しみない愛情と、莫大な血税を注がれ、近代文明を授けられて、日本が敗戦した後も、莫大な経済援助と技術支援を受けながら、何故、日本人をこれほどまでに憎めるのであろうか? マスメディアは決して明かしはしないが、在日朝鮮人ほど日本で猟奇的な凶悪犯罪を犯す者はいない。朝鮮人は世界中でいちばん嘘つきである。最も約束を守らないのも朝鮮人の特徴である。北朝鮮は核開発を止めるとの約束の下、国際社会から幾度も経済支援を取り付け、その全ての約束を反故にしてきた。韓国は「日韓基本条約、日韓請求権協定」を結びながら、(その必要すらなかった)解決済みの問題を何度も蒸し返し、何度でも日本に謝罪とカネをせびってくる。朝鮮民族には、「約束」とか「契約」、「条約」という概念は理解できない。

何故なら、今、朝鮮民族と呼ばれている者どもは我々人類とはルーツを異にする「黒い山葡萄原人の末裔」だからである。「戦後教育」を受け、「在日に支配されたマスメディア」からの虚報に日々晒され、米国が意図した通りに「大東亜戦争」に引き摺り出された挙句に、大和民族の精神性という背骨を打ち砕かれた我々日本国民には、「朝鮮民族亜人種論」など以ての外であろうが、何時までもいいように洗脳された「お人好し日本人」のままでは、日本人は生き残れない所まで追い詰められているのである。朝鮮民族は、嘘つきで、恩知らずで、卑劣である。「日韓併合」により、差別や、迷信や、拷問や、近親相姦を禁じられながらも、日本という指導者と精神的重石が取れると、直ぐにまた原人に帰ってしまった。何故、朝鮮半島で栄えた、倭国と日系百済を滅ぼした後の高句麗や新羅の伝統は受け継がれる事なく、後の李氏朝鮮は518年間も一切発展せず、停滞し続けたのか? その間、世界中で人類は発展を続けて、各国それぞれの伝統を培っていたのに、朝鮮半島の大衆だけは発展から取り残され、無学文盲の明日をも知れぬ原始生活を続けていたのか? それこそ、彼等が現代に生き残っているべきではない「亜人種」である証ではないか?

以下に、朝鮮人が「黒い山葡萄原人の末裔」である事実に触れている方の個人BlogなどのURLを幾つか挙げた。ネットで「山葡萄原人」と検索するだけで、これ以外にも沢山の記事が見つけられる。ネットの情報は玉石混淆ではあるが、中には頷ける記述も多々見られる。下記以外にも、朝鮮人が「黒い山葡萄原人の末裔」である説は幾つも見られる。私が記録しておいたURLの多くが、在日朝鮮人の手により既に消されてしまっている。「朝鮮民族亜人種論」を受け付けない方も、日本が在日朝鮮人の餌食になっている現実は否定できないだろう。一人でも多くの日本人がこの恐ろしい現実に気付く事を切に願うものである。

▪️蘇った山葡萄原人|中杉 弘の徒然日記
https://ameblo.jp/nakasugi-hiroshi/entry-12300649938.html
▪️黒い山葡萄原人説 韓国人の遺伝子が、普通の人間とは950万箇所も ...
https://ameblo.jp/kujirin2014/entry-12226965690.html
▪️朝鮮人が「黒い山葡萄原人」の住処を発見!?:8000年前朝鮮人はロシア ...
quasimoto2.exblog.jp/23608347/
▪️MERSは人には伝染らない!?:ついに朝鮮人起源説登場か!?quasimoto.exblog.jp/23219452/
▪️朝鮮人の起源  朝鮮人・韓国人はホモサピエンスではない
check.weblog.to/archives/4049092.html

日本はアジア支配を目論んで侵略戦争である「太平洋戦争」を米国に仕掛けて惨敗した。それ以後、日本は米国に統治され、改心して、国際社会の優等生として貢献してきた。 …こんな捻じ曲げられた歴史が、国際社会でも、日本国内でも、「正史」として語られている。もともと「正史」というのは、戦争で勝利した国が自分たちの都合の良いように歴史を上書きして遺ったものだから、真実とは程遠いものなのである。中共や韓国などは、「日本の謝罪はまだまだ足りないし、日本が武力を強化したら、また世界侵略を繰り返すから、憲法改正など以ての外、自衛隊の装備強化にも警戒を怠ってはならない」という立場を未だに取り続けている。

日本人として自ら進んで共に「大東亜戦争」を戦った朝鮮人は、北と南に別れて対立しているが、彼等によれば、国家分断も侵略戦争をした日本のせいで、朝鮮は日本に武力侵攻されて植民地統治されながらも、果敢に日本軍と戦った。韓国は日本の侵略を跳ね返して独力で主権を回復した。その記念すべき日が「光復節」であるなどとの妄想史観を国民に教育し、韓国国民のほぼ総てがこの妄想史観を盲信している。韓国人は「朝鮮半島を植民地搾取した日帝を決して許しはしない。悪辣な日帝は朝鮮人少女を20万人も強制連行して、麻薬を投与し、天皇のプレゼントとして性に飢えた日本兵に与えたが、敗戦が決定的になると、証拠隠滅の為に多くの朝鮮人少女を殺戮した」とまで妄想を膨らませて、いつの間にか自らの妄想を史実と固く信じて、世界中でプロパガンダ工作をしているのだから、日本人としては堪らない。

そんな朝鮮民族の妄想の逞しさが、在日たちの手によって、日本のテレビ業界で再び勢いを増している。数年前に電通の仕掛けにより人為的に起こされた韓流ブームは既に下火になり、東京新大久保などの韓国人街は寂れる一方だが、日本のテレビ業界では当時の韓流ブーム花盛りを思わせるように、韓国ドラマが急増している。地上波でも韓国ドラマの復活が見られるが、BS放送では眼に余るほど繰り返し韓国の捏造歴史ドラマの番宣がこれでもかというほど垂れ流されている。在日韓国人以外は好んで虚飾に満ちた捏造歴史ドラマを視聴するとは思えないが、「戦後教育」の被害者である日本国民の一定数は矢張り嘘塗れの韓国歴史ドラマを無自覚に受け容れているのであろうか? 日本国内には、韓国の国策企業であるLINE(株)の無料通信アプリの使用者が6,800万人もいるというのだから、朝鮮民族の危険性など殆んどの日本国民には関係ないのかも知れない。日本政府まで行政にLINEアプリを取り入れてしまったのだから恐ろしい限りである。

真実が日本国民の間に浸透するまで何度でも主張するが、「亜人種」である朝鮮民族には「約束」とか「契約」、「条約」の概念がないから、とうの昔に解決済みの問題を何回でも蒸し返して日本国民の血税は繰り返しタカられ続けている。そもそも日本が、犯してもいない過去の罪に謝罪してしまったのが間違っていたのである。韓国は「戦時売春婦問題」や「戦時徴用工問題」を何度でも蒸し返し、中共は「南京大虐殺」をUNESCOにまで登録して、「日本を道徳的に劣る国」として国際社会に印象付けようとしている。そんな中共には世界に散らばる朝鮮人は絶好の捨て駒となって日本貶め工作に役立っている。日本に居座る在日も中共にとっては重宝な捨て駒である。際限なく続く彼等の冤罪非難に日本はこれから先、何年にも亘って執拗に追及され、悩まされ続けるのだろう。

冤罪に対しては初動の対決姿勢が如何に毅然たるものであったかが問われる。「大東亜戦争」に敗れた日本は、犯してもいない罪を毅然と跳ね除ける姿勢に欠けていた。歴史的に「敗戦の経験」が薄い日本は、「負け方の所作」とでも言おうか、将来に禍根を残さない「敗戦のけじめのつけ方」を知らなかった。詫びるべきは詫び、否定すべき冤罪は毅然と否定し、当然の権利は堂々と主張するという、敗戦後の日本が避けた行為こそが、実は極めて重要な「負け方の極意」であった。第一次世界大戦で負けを喫したドイツなどは、その辺を実に巧妙に切り抜けた。戦慣れした国家は、そういう謂わば「負けるが勝ち」の方法論を弁えているものだが、近代日本は、憖(なまじ)優れた資質と勇猛さを備えていた為に、勝者の経験しか知らずに、いきなり大戦争に負けてしまった。謂わば茫然自失の状態に追い込まれ、相手の良いように冤罪をなすり付けられてしまったのである。日本は未だにそれを覆せないで苦しめられている。

国際社会は、一度でも謝罪してしまった日本の冤罪をそう簡単には冤罪とは認めはしないだろう。白人諸国は自分たちが為した有色人種国家への侵略と植民地搾取の歴史を棚に上げて、「日本が認めた侵略戦争」を、実は「自衛の為の望まぬ戦争」であったという史実を決して認めはしまい。「大東亜戦争」が侵略戦争などではなかった事実は、これからも折に触れ主張し続けるべきなのは言うまでもない事だが、一方で日本は「嘗て侵略戦争をした国家」という汚名をこれからも宿命として背負い続けざるを得ない立場に自らを追い込んでしまった事実からは逃れられないと覚悟を決める必要もある。今更、「大東亜戦争は米国が仕組んだ日本無力化の罠だった」という真理は通用しないのである。今も昔も「勝てば官軍」なのである。一部の識者が「米国も史実を認めつつある」などというのは耳に聞こえの良い只の希望的観測でしかない。

前述した通り「正史」とは勝者が自分に都合よく真実を糊塗して語り継がれるものである現実はいきなり変わりはしないのである。自ら冤罪を認めてしまったからといって、これから産まれてくる日本の子々孫々には、嘗て日本が戦わざるを得なかった「大東亜戦争の大義」を伝える必要性は決して色褪せる事は無い。これからの国際社会で、存在感と発言力を高めていく為には、日本が置かれている現実を認める苦しい政治決断も必要であるが、せめて我々の大切な子孫に真実を伝える努力を怠ってはならない。現実の国際社会に於いては、過去の真実に拘るより、一旦は受け容れた冤罪を表面的には潔く受け容れたと見せて、現在と未来に賭ける「現実的政治決断」の道は避けられないという事だ。

誤解を避ける為に念を押すが、特亜が言い募る事実無根の濡れ衣を全て認めろなどと曲解されては困る。「追軍売春婦」や「南京大虐殺」などの言い掛かりには、これからも毅然とした態度を崩すべきではない。併し、安倍政権が認めてしまった「日韓合意」は、もはや国家としての日本は覆せはしない。「追軍売春婦問題」は「普遍的な女性の人権問題」にすり替えられ、日本政府は韓国政府に対して正式に謝罪してしまったのだから、この問題はこれで決着させざるを得ないのである。真実はともかく、国際社会では「謝罪したものが負け」だからである。公式に謝罪した以上、謝罪した事実は決して消えはしないのである。

数十年も昔に一世を風靡した米国製西部劇で描かれたリンチ騒動にも似た、所謂「東京裁判」に対しても、同様な現実的対応をせざるを得ない側面もあるという事だ。覆せる言い掛かりには毅然と反論する行為が重要であると同時に、真実を主張すればするほど不利になる「不条理」は、今となっては受け容れざるを得ないのである。これからの日本には、その辺をどこで線引きするかを戦略的に考え抜いておく必要に迫られるだろう。悔しい事ではあるが、それが現実的政治判断というものである。そして、これからの日本は、常に勝者の側に立ち続ける賢明な政治判断が求められる。安倍政権以降の日本には、そういった狡猾さを絶対に身に着けなければいけない。騒げば騒ぐほど不利になる問題には、いつまでも拘泥せずに潔く切り捨てる判断も必要である。

一旦認めてしまった冤罪は、如何に理不尽であろうとも、国際的、政治的には一朝一夕には覆せないと知るべきである。併し、国家間レベルでは当面は諦めざるを得ない理不尽な冤罪も、民間レベルの研究は真実を探求し続けるに何の支障もない。日本政府は、「慰安婦問題」では、もはや公然とは何も言葉を返せない。韓国の誇大妄想的捏造と悪意ある政治プロパガンダを縛ったつもりの縄は、日本政府をも縛っているのである。愚かな「合意」を結んだものだ。併し、民間研究者は性奴隷と曲解されてしまった慰安婦が只の追軍売春婦・軍人相手の高級娼婦であり、韓国が流布する誇大捏造被害が如何に真実を捻じ曲げたものであるかを、様々な証拠を以って研究を重ね、国際社会にどんどん発信し続ければ良い。

2014年の仏アングレームの国際漫画祭では10年も前から韓国お得意の賄賂攻勢で捏造甚だしいプロパガンダに現地アングレームのフランス人スタッフは完全に凋落され、日本側有志の「論破プロジェクト」の反証行動は歯牙にも掛けられなかった苦い経験がある。追軍売春婦を巡っては、米ワシントンの国立公文書館に、大東亜戦争中の1944年に米軍による売春婦たちからの聞き取り調査した報告書が残っており、「慰安婦と呼ばれた売春婦たちは強制されたものではなく雇用されていた」、「接客を断る権利を認められていた」、「女性たちは大金を持って楽しんでいた」、「洋服や化粧品など好きな物を買う事ができた」、「母国の親に家を買ってあげたり、宝石を身に着けて街を遊び歩いた」などの聞き取り調査の結果が文書で残されている。

英フィナンシャル・タイムズや、米ニューヨーク・タイムズの東京支局長などを歴任された高名なジャーナリスト、ヘンリー・S・ストークス氏も、著書「英国人記者が見た 連合国戦勝史観の虚妄」(祥伝社新書)で、「『慰安婦』の実体は、勿論、『性奴隷』では全くない」「高級娼婦(=売春婦)だ」と記している。湾岸戦争などでの実績を認められたフリーランスの米国人ジャーナリスト、マイケル・ヨン氏も、「慰安婦は韓国の捏造」であると証言しつつ、綿密な取材により「韓国は中共の操り人形」であるとの核心を突いた結論を公表している。こうした米国内の機運を無視しての「日韓合意」という安倍政権の政治決断は、オバマ政権の圧力があったとはいえ、返す返すも残念な取り返しのつかない過ちであった。冤罪は一度認めたら容易く覆せるものではない。

馬鹿ばかしい理不尽な冤罪攻撃には、飽くまでも毅然と否定し、抗議し続けるべきであった。 …安倍政権が決断に追い込まれた「日韓合意」は、この分野での民間活動家の努力を圧迫し、より一層不利にしている。安倍首相には強く諫言しておきたい。今後は如何に米国の政治的圧力があったとはいえ、醜敵を利する無定見な謝罪である「日韓合意」は、絶対にしてはいけない過ちであったと、貴重な教訓として肝に銘じていただきたい。教訓にでも活かさない限り、命懸けで尽くした国家の手で顔に泥を塗られた英霊が報われないというものだ。このことは、くれぐれも強く諫言しておきたい。

韓国が何度でも蒸し返してくる「慰安婦問題や徴用工問題」を、裏で資金力と組織力で支える中共には決して気を許してはいけないが、いちいち馬鹿正直に言い返したい気持ちは賢く抑制するべきである。韓国も、北朝鮮も、中共も、唾棄すべき仇敵である事に変わりはないが、朝鮮民族と支那人の習性は分けて考えるべきである。朝鮮民族に対してはまともに対峙してはならない。彼等は我々ホモ・サピエンスではない「黒い山葡萄原人の末裔」であり、彼等に対しては言葉による応酬は無意味である。朝鮮民族は極めて語彙の乏しい民族である。そこが我々人類とは異なる分岐点なのである。徹底的な排除の論理こそ朝鮮民族には相応しい。韓国も、北朝鮮も、在日朝鮮人も、日本国籍朝鮮人も、背乗り朝鮮人も見つけ出して、ひたすら排除するという姿勢を貫くべきである。彼等は「ヒトでは無い」という真実を忘れない事だ。

国際社会も、朝鮮民族の異常性に気づきつつあるから、朝鮮民族が「亜人種」であるという真実は、国際関係上の朝鮮人との上部の付き合いは激変こそしないだろうが、遠からず人類共通の認識になるだろう。そういう時代が訪れるまでは、日本人が人種差別をしているとの誤解は避けるべきだろう。朝鮮民族に対しては、知恵遅れの者をあやすように接するのが得策である。ある時は叱りつけ、ある時は宥(なだ)め、こちらが賢く硬軟使い分けて彼等のペースに巻き込まれない事だ。このコツを掴めば韓国と北朝鮮に対する接し方も自ずと分かってくる。朝鮮人をヒトだと誤解しているから、韓国や北朝鮮の異常性が理解できず、「話せば分かる」などと、うつけた戯言を言うものが後を絶たないのである。

問題なのは支那人である。運良く中国共産党が立ち行かなくなって中共が分裂でもしてくれれば良いのだが、中共政府と世界に拡がる華僑ネットワークは、あらゆる手を使って日本を道徳的に劣る国との印象操作を止めないだろう。野獣レベルの感情論で日本を憎む「亜人種」朝鮮民族とは訳が違う。中共政府の日本貶め工作には気の長い具体的目標が秘められている。嘗て、鄧小平は国力が付くまでひたすら我慢に我慢を重ねて、日本から資金と技術を盗み取る野心を隠し通して、松下幸之助氏の松下電器産業を三顧の礼を以って中共に迎え入れた。日本からの投資と技術移転が目当てであった。鄧小平以降、中共は約40年の歳月を掛けて国力を増強してから、初めて覇権主義国家の顔を見せるようになった。

韓国や北朝鮮の亜人種と違い、支那人は人間である。それも飛び切り悪辣で執念深い日本の敵国である。様々な研究者の成果により、とても史実とは掛け離れた「南京大虐殺」を未だに針小棒大に言い募り、国際社会で日本を道徳的に貶め続ける動機は、朝鮮民族とは全く異なる。中共政府と華僑ネットワークが総力を挙げて、朝鮮民族を利用し、「南京大虐殺」に拘るのは、将来、日本を侵略する絶好の口実にする為である。中共政府は明確なタイムスケジュールを描いて行動している。朝鮮民族などの原人・亜人種とは質が異なる。彼等は権謀術数に長けており、中共政府がこのまま経済破綻せずに持ち堪えれば、必ず日本に手を掛けてくる。満州や、チベットや、東トルキスタンの二の舞になるのだ。

「大東亜戦争」を含む「第二次世界大戦」以降、他国を侵略し、民族浄化をして退けた国家は中華人民共和国を置いて他にない。太古から民族存亡を賭けての戦いを続け、その戦いに勝ち抜いたのが今の支那人である。中共政府こそが太古から現在にかけて民族の権力闘争を勝ち抜いてきた猛者なのである。だから支那人の残虐さは半端ではない。今の平和呆けした日本人など米国の助け無しではひとたまりもなく滅ぼされてしまうだろう。支那人は本気で50年、100年の先を見据えて日本侵略を企んでいる。中共と日米同盟の軍事バランスが崩れた時、日本は必ず中共の侵略を受ける。パーマストンの名言をあげるまでもなく、永遠の軍事同盟など無いとすれば、日本の選択肢は自ずと見えてこよう。

愚かな亜人種、北朝鮮の冒険主義的核恫喝を奇貨として、今こそ日本は核武装国家へと舵を切るべきである。それ以外に大和民族が生き延びる道は無い。超大国が超大国であり続けた例は無い。支那の王朝も、スペイン、ポルトガルも、大英帝国も、栄華を極めた後には必ず衰退していった。現在の超大国、米国とて歴史の必然に逆らう事は出来ない。何れは衰退し、日本を護り切るなどと大見得を切れる時代は終わる。既にその兆しは見えている。日本が支那の侵略から身を護る術は「核武装国家」として独り立ちするしか無いのである。その為には、日本国内の反政府左翼を黙らせ、在日朝鮮人、日本国籍朝鮮人、背乗り朝鮮人問題を解決するしかない。日本から亜人種、朝鮮民族を一掃して、総ての日本国民が結束して、押しも押されもしない「真の主権国家」に変貌するしか日本が生き延びる道は無い。いつまでも平和呆けしている暇は無い。日本人に残されている時間は極めて少ないのである。

ヒトの遺伝子数はおよそ26,000個、ゲノムの大きさは約30億対あるという。対で表現せずに霊長類ヒト科のゲノムは60億個もあると表現する事もできる。当Blogの最近の記事で、韓国人の遺伝子は普通のヒト、つまり朝鮮民族以外の人類と比べて、およそ850〜970億個も異なり、新発見のゲノムは220億個、120億個は近親相姦によるもの、という研究成果を紹介した。概算で約3.7%以上ものゲノムが通常の人類と異なるという衝撃的な朝鮮民族の遺伝子に関する研究成果であるが、朝鮮人に半ば乗っ取られてしまっている日本のマスメディアでは、この事実は公には詳らかにされていない。だいたい韓国国民の40%もが統合失調症を発症するという事実は、彼等が健全な民族ではない証ではないか。教育界やマスメディア界は元より、最近ではインターネットの世界でも朝鮮人に関する都合の悪い真実は、在日たちの手によってどんどん搔き消されていく。Wikipediaなどは非常に重宝なものだが、裏では日本人関係者と組織化された在日たちのイタチごっこが繰り広げられているようだ。

Facebookなどは、今年9月頃から完全に朝鮮民族の手に落ちてしまい、在日たちが露骨な検閲を堂々と行なっている。日本に巣喰う朝鮮民族たちはタチの悪い事に、「事後法」が罷り通っている母国韓国や法律など無きに等しい母国北朝鮮同様、この日本でも過去に遡ってまで強引な「検閲」をしている。1年、2年前の投稿文を一方的に削除し、長期間のアカウント停止のペナルティを課す事など当たり前になってしまった。私如き者でも既に10回以上も30日間のアカウント停止を喰らっている。アカウント停止が明けると1週間くらい自由に泳がせられ、直ぐまた昔の投稿文がコミュニティ規制に抵触しているとして長期間のアカウント停止、それの繰り返しである。要するに在日に睨まれたら徹底的に嫌がらせを受けるのが今のFacebookなのである。信頼できるFBFの情報によれば私の実名を挙げて、私の投稿をシェアしてはいけないとの警告を受けたそうだ。在日に支配された日本の枢要な世界では、このような常軌を逸した言論統制が堂々と罷り通っている。

何度も書くが、政界、財界、法曹界、教育界、マスメディア界、出版界、金融界、量販店業界、特定の自動車製造業、目ぼしい飲料会社、芸能界、スポーツ界、タクシー業界、風俗業界、アミューズメント業界など、日本国民の生活に直結する業界は殆んど朝鮮民族の軍門に下っている。何しろ日本の財界を代表する経団連の現会長の榊原定征氏(東レ会長)の父母は100%の朝鮮人である。日本の首相では小泉純一郎氏が朝鮮人と言われているし、安倍晋三現首相も朝鮮人だという説がある。お二人の日本国総理大臣が朝鮮人だというのは流石に俄かには信じ難いが、真剣にその説を曲げない大勢の人がいる事は確かだ。私は、小泉親子はともかく、安倍晋三首相朝鮮人説は信じていない。だから前回の衆院選では安倍自民党を消去法ながら支持した。併し、安倍首相夫人の韓国贔屓は有名であるし、安倍政権の韓国に対する無警戒な政策の数々を訝しくも思っている。日本国民の個人情報を全て韓国の国策企業であるLINE(株)に開示する「マイナポータル制」など正気の沙汰ではない。

冒頭に書いたように今、朝鮮民族と呼ばれている種族は、厳密にはホモ・サピエンスとは異なる「亜人種」である事は、当Blogで繰り返し主張してきた。「亜人種」とは、「ヒトに非ず」という事である。遺伝子に関する具体的研究成果でも、今の朝鮮民族が「亜人種」である事は既に明確に証明されているが、彼等を同じ人間として扱っている現代国際社会に於いて、このような事実が公認される可能性は極めて薄いと言えるだろう。歴史的実態はともかく、長年に亘って表面的には朝鮮民族は我々と同じ人間として扱われてきた。国際社会は「人道的」見地から今更この立場を崩す訳には行かないだろう。併し、現代国際社会の状況は、「差別主義」と「平等主義」で二分されている。この考え方が顕在化したのは、ドナルド・トランプ米大統領が掲げた「アメリカ・ファースト」のスローガンの陰に隠れた差別主義的傾向を契機とする。「アメリカ・ファースト」とは表面的には「米国経済第一主義」と理解されているが、白人の国、アメリカを非白人から護ろうという、謂わば人種差別に基づいた「白人至上主義的」、若しくは「排外主義的」な考え方が根底にある事は誰の目にも明らかである。

言行不一致も甚だしいが、歴代の米国大統領は常にご立派な理念を説いてきた。併し、トランプ米大統領は、「メキシコ国境に壁を築く」とか「イスラム教徒の入国を制限する」などと歴代米大統領が口にしてきた理念とは程遠い下卑た事を言い出し、米国民もこれを支持した。それに呼応するかのように、ヨーロッパでは「異教徒移民排斥」を主張する声が勢いづいている。「東京裁判史観」から未だ脱却の兆しすら見せずに、先の敗戦以来続く「戦後教育」という愚民化政策が染み渡って、深く物事を考える事を忘れてしまった我が日本では、こういう国際社会の潮流を、「差別主義」は身勝手な「悪」で、分け隔ての無い「平等主義」こそが道徳的に優れた「善」であるという、短絡的な善悪二元論的受け止め方が大勢を占めている。つくづく思うが、「差別は悪だ」と言って〈一見、弱者に見える者たち〉に入れ込むのは簡単で、善行を為している自己満足を心行くまで味わえる快感があるのだろうが、物事とはそう単純なものではない。「差別」という感情を深く突き詰めて行けば、「悪い差別」と「善い差別」がある事に行き着く。これを今の日本人は知らない。「差別は全て悪だ」などと言って片付ける者は大馬鹿者である。

「差別」とは、文字通り「差」に着目して「別」に扱う事である。「差別」自体には元々「善と悪」の色付けなどはない。善でも悪でもないものに「悪意」や「当然」、「必然」、「好きだ、嫌いだ」という感情を付加するのは人間の「感情」である。工場などで製品を機械的に仕分けする装置には感情がないから、流れ作業で製品を良品と不良品に瞬時に仕分けするのをみて非難する者はいない。また、熟練社員と新入社員に同じ給料を与える企業など無いし、部活などでも先輩後輩は同じ扱いは受けられないのは当然の事である。「国家」が「自国民」と「外国人」に「差をつけて別の処遇をする」事は、「善」でも「悪」でもない。世界中どこへ行っても「自国民優遇」は当然である。日本人が米国に押しかけて行って「米国人と同じ扱いをしろ」、「米国人と同じ権利を与えろ」と要求したとしたら、その愚かな日本人は相手にされないどころか米国政府から国外退去処分を受けても当然だろう。近頃の日本人には、この「差があるから別に扱う」事と「悪意という感情を伴う差別」の「区別」がつかない者が実に多い。悪しき「戦後教育」が、日本人から正常な思考力を奪って、在日朝鮮人を利する考え方を刷り込んでいるのである。朝鮮人の懇願により条約を交わして成された「日韓併合」を、「日本軍の武力による植民地支配」と教える文科省は恥を知るべきである。

今、日本国内に於ける最大の解決すべき問題は「北朝鮮による拉致問題や核ミサイル開発問題」ばかり注目されているが、それはそれで深刻な克服すべき難題ではあるが、大和民族が直面している国家・民族存亡の機は国内の「朝鮮民族問題」である。彼等は二言目には、日本人に「差別」されてきたと言い、現在も差別され続けていると日本人を非難する。公共放送という位置付けでテレビ、ラジオや各種出版物を刊行しているNHKの看板テレビ番組「ニュースウォッチ9」で、3年ほど前までキャスターを務めていた大越健介(在日韓国人)キャスターは、「在日コリアン一世は日韓併合後に強制的に日本に連行されてきて大変なご苦労をされた方々です」と事実無根の大嘘を公共の電場で流布した。流石にこれはまずいと思ったか、その直後にニューヨーク支局に転勤になって、ほとぼりが冷めた頃に帰国して、また平然と別の番組に悪びれもせずに出演している。「ニュースウォッチ9」は降板したが、NHK自体は、この前代未聞の虚偽放送を訂正すらしていない。在日の大越氏が大手を振って訳知り顔で虚偽の言説を振り撒くのを許す体質がNHKを始めとした日本のマスメディアには厳然と在る。これを問題視する政治家が誰一人としていないというのは、突き詰めれば「大和民族滅亡」を意味するという危機的状況に気づいている政治家や日本国民は極めて少ない。

先の大戦に敗戦して以来、日本は経済的には目覚しい発展を遂げたが、日本人の根幹を成す「誇り高き大和民族の精神性」という背骨を、戦勝国である米国に徹底的に抜き去られてしまった。占領軍として米国が為した様々な悪意ある所業のひとつに、日本を憎む在日朝鮮人を優遇したまま日本の中枢に蔓延らせていった事が挙げられる。戦争が終わって72年も経とうというのに、日本国民は茶番劇としか言いようがない「極東国際軍事裁判」により日本人の心に深く刻み込まれた、偽りの「東京裁判史観」に今も苦しめられ続けている。当の日本国民は苦しめられているという自覚を全く持てないという巧妙さと悪辣な趣向を凝らして、米国は今も日本を支配しているのである。「教職追放令」を含む、所謂「公職追放令」により、日本復興の指導的立場についた反日左翼日本人と在日朝鮮人たちは、米国の意を汲んで実に巧妙に立ち回った。そして彼等は今も日本を独り立ちできない国のままに留め置いている。「拉致問題」も「核ミサイル開発問題」も、確かに無視できない重要な課題であるが、「日本国民が無自覚のうちに朝鮮民族に取り込まれていく現実」の方が余程大きな国難である。

「日本を、二度と白人に楯突くような国家にさせない」という米国の悪意ある作戦は見事に成功したが、当の米国さえも予見できなかった「人類に対する大罪」を副産物として齎してしまった。それこそは、ヒトならぬ「亜人種」である「朝鮮民族の増殖」という害悪である。これには米国以外の全ての国家、民族が予想外の被害を被っている。現在世界には大小含めて196の独立国があるが、朝鮮民族はそのうちの185箇国以上に移民している。こんなに国際社会に拡がり増殖する民族は朝鮮民族を置いて他には存在しない。彼等を受け入れた国は、初めのうちは他の民族との違いに気づかないが、次第に彼等が普通の移民とは大きく異なる現実に直面し、困惑し、その危険に気づいた時には既に手遅れになっているのである。その代表例が他ならぬ今の日本なのである。米国でも、カナダでも、オーストラリアでも、既に朝鮮民族の害毒に気づき始めているが、いちばん「鮮害」著しい日本が未だに朝鮮民族の恐ろしさに気づいていないのは歴史の皮肉であり、大和民族としては致命的ですらある。

米国の身勝手により、「東京裁判史観」と「戦後教育」で洗脳されてしまったこの日本では、朝鮮人に捏造被害を非難されると、「偽りの贖罪意識」に染め抜かれた殆んどの良識的な日本人は、反射的に「ご無理ご尤もです。申し訳ございません。」と言う態度をとる。そういう理不尽が半世紀以上続いて、今や誰も異論を挟(さしはさ)めないほど盤石な「上下関係」とも言える構図が出来上がってしまってる。元韓国大統領の李明博は、「1%の在日韓国人が1億2千万人の日本人を支配している。日本人は韓国人の奴隷同然だ」と言う趣旨を韓国の主要テレビ局であるKBSテレビで公言した事がある。勿論、韓国内の全国放送である。当時は在日朝鮮人の代理政党であった民主党政権の時代であったから、日本政府はこの暴言に対して何の抗議もしなかったし、マスメディアでは産経新聞しか取り上げなかったから、この暴言を殆んどの日本国民は知らない。その後、政権政党の座に返り咲いた安倍政権も、何事も無かったかのように何の抗議もしていない。安倍晋三首相を始めとした自民党その他の国会議員たちも、間違いだらけの「戦後教育」と、朝鮮人たちに支配されてしまったマスメディアに囲まれて育った「東京裁判史観の被害者」だからであろう。普通の主権国家なら、「韓国の奴隷国家だ」などとの現職の韓国大統領の公言を許したりはするまい。日本はそれだけ朝鮮民族の意のままに成り下がっているという事だ。

嘗てベトナム戦争の時代、朴正煕韓国大統領はケネディ米大統領に再三再四韓国軍のベトナム参戦を求めたが、ベトナム参戦とセットで要求された200万人の韓国人移民受け入れに難色を示してケネディ大統領は断り続けた。併し、ケネディ大統領暗殺後に大統領の座に就いたR・ジョンソン米大統領にはケネディ氏の危機回避意識は受け継がれず、韓国軍のベトナム戦争参戦と200万人にも及ぶ朝鮮民族の米国移民を許してしまった。韓国軍のベトナムでの鬼畜の蛮行は広く知られるところであるが、米国にとって最も痛手だったのは、実は一挙に200万人にも及ぶ「亜人種」の襲来を許した事であった。今、米国では、当時受け入れた韓国人が脅威となっている。あらゆる犯罪に手を染め、特に売春でエイズ感染を拡げ、アフリカ系米国人と激しい対立を繰り広げるコリア系米国人は決して他の移民たちとは打ち解けずに、日本国内同様に猟奇的性犯罪や凶悪犯罪を繰り返している。中共の捨て駒となって米国で悪事を繰り広げる朝鮮人は、移民国家米国でも浮いた存在として忌避されつつある。こういう国内外の統計にも上がる朝鮮民族の異常性から目を背け続ける日本という国家は別の意味でまた異常であるといえよう。

日本人には是非、社会で起きている物事を公平に見て、正しい結論を見出して欲しい。朝鮮民族が他民族と比べて如何に「嘘つきで、性的にふしだらで、卑劣で、残忍で、理屈に合わない怨恨感情を露わにする」か、そして「公平とは程遠い行動をとり、劣情に支配された民族である」か、何よりも彼等は「約束を守る、契約を履行する」という概念を持たない …彼等は我々人類とは起源を事にする「亜人種」だからである。これは科学的に証明された事実であり、日々の彼等の行動や歴史を顧みれば誰もが異論を挟む余地のない真実である。数々の状況証拠と科学的根拠が、朝鮮民族を我々とは異なる生き物である事実を証明している。

スポーツマンシップが尊ばれるあらゆる国際スポーツ大会で見せる韓国や北朝鮮の選手と韓国・北朝鮮側が見せる見苦しい反則と筋違いな抗議行動は誰もが知るところである。日本単独開催が決定した後に韓国の猛抗議で日韓共催に持ち込まれたサッカーW杯での韓国チームの見苦しさはサッカー史に残る汚点と語り継がれている。ロンドン五輪の女子フェンシング・エペの試合に於いても、残り1秒で相手に得点された韓国選手が判定を不服として抗議の為に約1時間に亘ってピスト(競技台)上に座り込んで泣きながら抗議を続けたが、結局判定は覆らず、3位決定戦でも敗れてメダルを逃した。これには後味の悪い後日談がある。韓国オリンピック委員会の朴容晟会長が抗議会見を開き、国際フェンシング連盟(FIE)側に「計時方法」に問題があったと認めさせて謝罪を取り付け、何と公式に負けた韓国選手に金銀銅とは異なる「特別メダル」を授与させたのである。余りにも見苦しく強引な暴挙である。

また昨年末、ノルウェーの首都オスロ近隣で開かれた'Tittle VAR Nos MilitaryTattoo'という恒例のパレードで、ノルウェーの近衛兵が日本の旭日旗を他の4箇国の国旗と共に掲げて行進したのを見た韓国人が「戦犯旗だ」と騒ぎ出し、ノルウェー王室に抗議文を送りつけ、更に何の関係もない米ニューヨークで抗議活動をした。「旭日旗」は韓国人の頭の中で、いつしかナチスのハーケンクロイツ同様の「戦犯旗」にされてしまっているのである。ノルウェーや米国が気の狂った韓国人の抗議にまともな対応をしなかったのがせめてもの慰めである。ところが、「根拠のない旭日旗=戦犯旗という韓国人の被害妄想とも捏造非難とも受け取れる筋違いな主張」を真に受けて「スタジアムへの旭日旗持ち込みを禁止」したのが、日本サッカー協会である。情けない事に、当の日本人が「旭日旗」を「戦犯旗」だなどという言い掛かりに屈服しているのである。韓国人は気狂いだから一貫性を持たない。朝日新聞社の社旗には何の抗議もしないが、海上自衛隊旗である旭日旗には嫌悪感を露わにする。朝鮮民族の頭の中は人類には理解不能なのである。

朝鮮人の懇願に大損を覚悟で応えた「日韓併合」を、今の韓国人と日本の文科省は「日程強占」だとか「過酷な植民地搾取」だとか韓国国民と日本国民に捏造教育している現実は、少しでも史実を知る者としては憤懣やる方ない。在りもしなかった朝鮮の産業を日本が奪ったと願望に基づく恨み言を国民に教育し、日本にもその狂った歴史観を強要してくるに至っては、恩知らずにもほどがあると言いたい。米国の圧力により結ばれた韓国との国交開始時(文科省が言うところの国交正常化ではない)も、日本は竹島を略奪され、漁民を殺傷され、4,000人近い人質を取られながら、宛(さなが)らテロリストと交渉するが如く、謂れのない莫大な資金を韓国に与え、民間が苦労の末に獲得した技術を移転し、これも日本企業が汗水流して開拓した欧米への販路指導までさせられた。併し、感謝という概念をヒトならぬ「亜人種」である韓国人には理解できない。「約束」の概念も理解できないから、終わった筈の「売春婦問題」も「徴用工問題」も何回でも蒸し返してカネをタカってくる。こういう民族は地球上に朝鮮民族しか存在しない。彼等が普通の人類ではない何よりの証拠ではないか。今、朝鮮民族と呼ばれている者どもは、ホモ・サピエンスの出現により滅び去った幾種もの原人のひとつである「黒い山葡萄原人」の末裔なのである。

「ヒトとチンパンジーでは遺伝子の違いは僅かに1%しかない」という「99%一致説」という説がある。その説に従えば、朝鮮民族とはチンパンジーよりヒトと懸け離れている「亜人種」であるという事になる。韓国人を始めとした朝鮮民族のヒトとも思えぬ、凄まじく醜い生き様を見るにつけ、この説には「我が意を得たり」と思いたくもなる。併し、本当にヒトとチンパンジーの遺伝子配列の99%が一致するかというと、そうではない事も指摘されている。ヒトとチンパンジーの遺伝子配列の違いを分かりやすく解説されたムービー「Are We Really 99% Chimp?」というのが公開されているので興味のある方はご覧になるのも一興だろう。ヒトとチンパンジーが別の種に別れたのは600万年前から800万年前と考えられている。枝分かれして別の種になってからも、共に進化を続けて遺伝子情報がそれぞれ変化してきた。併し、ヒトとチンパンジーの遺伝子が99%一致していると言うのは眉唾物で、小難しい説明は省略するが、要するに、ヒトの25%のゲノムとチンパンジーの18%のゲノムを完全に無視して、残りの部分だけを比較すると「ヒトとチンパンジーのDNAが99%一致している」という只の風説なのである。

併し、DNAやRNAの情報を調べる事には大きな意義がある。DNA・RNA情報はその生き物が進化してきた「歴史」を記録している情報として非常に大きな意味を持っているからである。進化する度に異なる枝に分かれてきたそれぞれの進化の過程を示すのがDNA・RNA情報である。その進化の過程を考えれば比較的近い段階で分かれた「ヒト」と「黒い山葡萄原人」が非常に近い種であるのは確実である。ヒトがヒトとなる直前に枝分かれしたのが今、朝鮮民族と呼ばれている民族なのである。彼等には恐ろしい習性がある事は特筆しておきたい。繰り返しになるが、彼等には「約束とか契約」と言う概念がない。そして、北方の暗い洞窟に隠れ棲んで生き延びた為に、洞窟内は糞尿に塗れ、彼等はその中で現実と妄想の区別もつかないまま近親相姦を繰り返し、ヒトを洞窟内に引き摺り込んで、その人肉を喰らって生き延びてきた。何よりも恐ろしいのは彼等「亜人種」の生き残りが南下して、高句麗人、新羅人と交わり、謂わば「民族をそっくりそのまま背乗り」してしまった事である。朝鮮半島から撤退した倭人と少数の女性を除いて一人残らず殺戮された百済人には「黒い山葡萄原人」の血脈は受け継がれなかった。

人類(ホモ・サピエンス)と現在朝鮮民族と呼ばれている「亜人種」のDNAが3.7%も異なるという事実には慄然とする。そして滅び去ったと言われる高句麗人と新羅人に、ロシアのアムール川下流近辺の暗い洞窟内で密かに生き残っていた「黒い山葡萄原人」が交わって、成り済まし、現在の朝鮮民族を騙っているのも科学的に証明された厳然たる史実である。だから李氏朝鮮は518年の長きに亘って、他の人類のように文化文明を発展させる事ができなかったのである。その能力が無かったのである。そう言う「亜人種」が、嘗て日本に併合を求め、それに応じて日本は人類の文明を授けてしまったのである。大東亜戦争の敗戦により米占領軍は、それとは知らずに救い難い劣等民族と看做していた在日朝鮮人を日本の中枢に配置して行った。朝鮮民族の恐ろしい習性の最たるものが「背乗り」である事を考えると、今の日本が如何に恐ろしい国難に見舞われている事が理解できよう。

彼等「黒い山葡萄原人」の末裔には、歴史も伝統も独自文化も無い。高句麗人と新羅人の薄い記憶の残滓があるだけだ。本来なら大恩を感じて然るべきところを、「亜人種」朝鮮人は、敗戦後の日本人に鬼畜の蛮行を働き、日本に居座って日本を乗っ取ろうとしているのである。「人権蹂躙」や「異民族差別」を「悪」とする概念は人類史を見れば比較的新しい概念である。ヒトに非らぬ「亜人種」の前には、単なる俄か知識でしかない。「人権擁護」や「平等主義」を掲げて「大和民族が滅び」ては何にもならない。我々は俄か理念の前に滅び去る運命を受け容れてはならない。国際社会や反日左翼、在日朝鮮人を始めとした母国の「亜人種」どもに、如何に口汚く罵られようとも、この日本を在日朝鮮人の手から取り戻さなければならない。それには日本から朝鮮民族を一人残らず排除する事である。表層的な「正義」の名の下に大和民族を滅ぼすに任せてはならない。

個々に見れば、朝鮮人にも立派な人物はいる。大東亜戦争末期には千人近い特攻隊員が日本の為に散華された事は確かであるし、大日本帝国陸軍中将の洪思翊(ホンサイク)は立派な軍人であったと聞く。拓殖大学教授の呉善花氏も立派な人物であるし、2001年には東京の新大久保駅で泥酔してホームに転落したサラリーマンを助けようとして犠牲になられた韓国人留学生のような人物も少なからずいる。朝鮮人の全てが例外なく悪人だとか善人だとか決めつけるつもりは毛頭無いが、総体として観た場合の朝鮮民族は、ヒトとは思えぬ凄まじく醜い生き様を見せている。個々の事例を挙げれば心が痛むが、民族存亡という、謂わば文明論的に巨視的に客観視した場合には、朝鮮民族という「亜人種」に日本に居る場は無いと言い切らざるを得ない。彼等をこのまま日本にのさばらせていては日本は駄目になる。

今の国際環境では、朝鮮民族に対して「お前たちはホモ・サピエンスではなく黒い山葡萄原人の末裔だ」などと真実を告げる事が憚られる事は致し方ない。「人権擁護」の風潮は世の必然である。併し、我々は「亜人種」に滅ぼされる訳にはいかないではないか。困難を極め、心痛む選択ではあるが、我々は朝鮮民族をこの日本から一掃しなければならないのである。納得できない方は当Blogの過去記事を繰り返し読み返して頂きたい。

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