石川久遠の「日本人なら知っておきたい真実」

日本国民は『真実の近現代史』を教えられていない。当ブログでは『真実の近現代史』をメインテーマとして書き綴っていく。また、一人の愛国者として日々 思いついた事を形に捉われずに書き留めてもいきたい。

2018年02月

私は常々、「日本国内からの朝鮮民族の排除」こそが、日本の最優先課題と主張してきた。日本国内に棲み着いている朝鮮民族こそが、日本が今、有史以来初めて晒されている「民族存亡の機」をつくり出している元凶であると認識しているからだ。勿論、日本に迫り来る危機とは、決してそれだけではないのは、重々承知している。多くの日本国民は、今の日本に迫っている最大の危機は「北朝鮮の暴発」、若しくは、「米国による北朝鮮への先制攻撃に日本が巻き込まれる」という、所謂、「北朝鮮問題」という「外的要因」であると考えている。「北朝鮮問題」が、日本の「内政問題に直結」するとは考えようともしない。米国と北朝鮮の両国が、例え自制したとしても、戦争とは偶発的に起きてしまう恐れもあるのだから、いざという事態に日本は充分に備えておく必要があるのは言うまでもない。併し、現在までの安倍政権の動きをみると、日本には「朝鮮半島問題」への「本質的な備え」が全くできていない。「北朝鮮」は日本にとって、決して軽視すべきではない、確かに非常に危険な国ではある。併し、「北朝鮮という国家」により、日本という国家と大和民族が、完全に滅ぼされる恐れは、先ず無いと考えていい。例え、米朝戦争が起きなくとも、いや、戦争が起きなければ尚の事、文在寅韓国大統領は公約通り、朝鮮半島の統一を目指し、(北朝鮮主導での統一を容認する愚を犯してまで)「高麗連邦政府」を名乗る、野蛮な独裁国家に変貌する恐れが限りなく大きい。安倍政権は、米トランプ政権と、その辺のところは緊密に対応すべく、連絡を取り合ってはいるだろうが、トランプ大統領が米国大統領である限り、「日本の内政問題や、日本国民の行く末」までは、決して心配してはくれない。「鮮害」著しいマスメディアは、そういった「本質的危機」については全く報じない。


「戦後教育」で、お人好しで隙だらけの坊々(ぼんぼん)の如く、腑抜けにされてしまった日本国民は、「北朝鮮が危ない」とは気付いていても、「北朝鮮問題」が孕む「本質的な危険」には思いを致す事ができないでいる。米朝戦争が勃発しても、南北朝鮮が統一されても、何れにせよ韓国人が大挙して日本に押し寄せてくるだろう。歴史的に最も愚かな韓国大統領が、民族統一の美名の下に、国を独裁者に差し出すのは勝手だが、その結果、相変わらず大迷惑を被るのは、またしても日本国民なのである。韓国人難民が大挙して押し寄せてくる。そういう肝心な事を一切報じない、無防備な日本をつくっているのが、在日を始めとした日本に棲み着いている朝鮮民族どもと、日本人売国奴どもなのである。在日朝鮮人と日本国籍朝鮮人、そして日本人売国奴が、日本の中枢に巣食っている限り、日本政府とマスメディアは、「国家、民族存亡の機」を、国民に気付かせる、本質的問題の所在さえ隠し立てするのである。ここは肝心な視点であるから、充分に注意して汲み取っていただきたい。「国外の朝鮮民族がつくる日本の危機」を、「日本国内に巣喰う朝鮮民族どもが隠蔽している」のである。更に、そこに日本人売国奴が加担している外的要因の危機さえも、内憂たる「日本に巣喰う朝鮮民族が元凶」なのである。言い方を換えれば、である。戦後、不当に居座った少数の朝鮮民族でさえも、これほど日本を駄目にしてしまう害毒であるのに、この上、韓国から押し寄せるであろう大勢の韓国人難民など、どうして受け容れられよう。安倍政権には矢張り、日本に棲み着いている朝鮮民族と、日本に押し寄せてくる朝鮮民族を、如何に日本国民から隔離するかを、真剣に、具体的に、政策として打ち出して貰わなければ困る。


今、日本に迫り来る「危機の本質」とは、外交に於いてとか武力に対する安全保障以前に、日本という国家が「危機にどう対処するか」という問題、要するに「内政問題」なのである。ドイツは一度に100万人を超える難民を受け容れ、国際社会から賞賛されたが、異教徒の難民が国内に分散した事により、国内にはテロ騒ぎや、難民たちと住民との間での争いが絶えない。要するに、「内政問題」に国家が充分に対処できない程の混乱を招いてしまったのである。トルコは、シリア難民などを300万人も受け容れてしまった為に、ドイツ以上にテロと暴動が制御不能な状態に陥っている。安倍首相とも親交の厚いエルドアン大統領は、「難民受け容れは人道上、避けられなかったが、国内に分散させてしまったのは間違いだった。『難民受け容れ』は、飽くまでも一時的なもので、『移民受け入れ』とは異なる。国内に自由に分散させるのではなく、国境付近に受け容れ難民の規模に応じた収容施設などをつくって、そこで集中管理すべきであった」、と嘆いている。当然、安倍首相もドイツやトルコの事例から学ぶべきである。間違っても、敗戦直後のように、済し崩し的に朝鮮民族の居座りを追認するような愚行を繰り返してはならない。


愚かな韓国国民は、「高麗連邦政府」、「南北に分散させられた民族が、再びひとつになる。そうなれば日本になど負けはしない強大な国になる。場合によっては手に入れた核兵器で日本を海に沈めてやる」などと邪悪な妄想に溺れているが、仮にも自由な韓国国民は、当面は一国二制度を取り入れるであろうとはいえ、何れは自分たちが今の北朝鮮人民のように「管理された飢餓」に苦しめられ、厳しい言論統制を受けるであろう、近い将来の現実が全く見えていない。従来のように蝋燭革命で大統領を弾劾に追い込む自由など全く無くなってしまうだろう。韓国国民は韓国主導での民族統一を妄想しているが、客観的に見て、明らかに主導権を握っているのは北朝鮮の方である。その現実に韓国人が気付いた時、日本には韓国からの難民が大挙して押し寄せてくる。日本にとっての「北朝鮮危機の本質」とは、難民として押し寄せる朝鮮民族にどのように対処するかという「内政問題」なのである。幸いにも友好国トルコのエルドアン大統領は、安倍首相に的確な助言をしてくれた筈である。韓国難民も北朝鮮難民も、予め用意した施設(できれば一箇所、或いは一地域が望ましい)に収容して、一元管理するしかない。母国の混乱が終息して、全員の帰国が完了するまで、管理の手を緩めてはならない。勿論、相手が朝鮮民族とはいえ、収容施設は可能な限り人道に配慮する必要がある事は、言うまでもないが、難民と移民は明確に異なる事は受け容れ段階で明確にしておく必要がある。そのまま日本への移民となる事ははっきりと拒絶した上で、難民として受け容れるべきである。彼等を母国に帰国させる時に、大東亜戦争後に、不当に居座った在日韓国朝鮮人とその子孫も母国に帰国させられれば言う事はない。現実的に考えて、日本からの朝鮮民族排除は、こういった機会に強権を発動するしか方法はあるまい。


「北朝鮮問題」とは、「日本人拉致被害者問題だけ」ではなく、「核ミサイルの脅威だけ」でもない。米国にとっては、米国本土、若しくは、ハワイやグアムなど、米国の領土に直接届く核ミサイルだけが興味の対象である。「北朝鮮問題」とは、詰まり「朝鮮半島問題」であり、「朝鮮半島問題」とは、詰まり「日本の許容量を超える難民問題」なのである。とどのつまりは、韓国であろうと、北朝鮮であろうと、日本国外の朝鮮民族が引き起こす問題は、瞬時に「日本の内政問題」と化すのである。「高麗連邦政府なる朝鮮民族の統一国家」実現は、忽ち日本の危機に直結するが、これは、自身に迫る危機にすら気付かず、気付いても、事が起こるまで、対応策さえ具体的に準備しようとしない、「呑気過ぎる戦後日本人」の覚醒を促す特効薬にも成り得る。日本の直ぐそばの朝鮮半島に、日本に対して此れ程までに下卑た怨恨感情を滾らせる敵対的な朝鮮民族の統一国家が出現すれば、流石に平和呆けした日本人も、対馬が日本防衛の最前線になる事が、どれほどの危機であるかを理解できるだろうから、嫌が上にも、今の「専守防衛」などという、非常識な偏向思想の産物の見直しの必要性に目醒めるだろう。「専守防衛」の偏向思想の源こそは「日本国憲法」なのである。呑気に「議論を尽くして、法的手続きを遵守して、これから改憲しましょう」などと言っていては、日本は生き残れないのである。前回のBlogで、30年ほど前に三島由紀夫が「自衛隊の決起に日本再生の最後の希望を見出していた」件に触れたが、あれから「亡国憲法」の危険性を訴えた自衛官がひとりでも現れただろうか? 自衛官も、国民も、政治家も、皆、護憲を通してきたではないか。そして、「半主権国家」として、現在の危機にも気付いていない呑気な国民が大勢を占めているのが、今の日本なのである。


改めて主張するが、現行の「日本国憲法」は、日本を滅ぼす「亡国憲法」である。「亡国憲法」が縛る手続きに則った「改憲」などでは、絶対に「日本という国家と大和民族の滅亡」を回避できはしない。軍隊の格好をした自衛隊による「戒厳令」が非現実的で、政治家による「現行憲法の破棄」も非現実的だと言うなら、日本人は、自ら「座して死を待つしか道は無い」と、諦めの弱音を吐いているのと同じである。亡国憲法下で認められた存在とはいえ、現在、政治家の頂点に立つ日本国の内閣総理大臣が、日本国憲法の枠外から、「憲法破棄を宣言」する事でしか、日本という国家と大和民族が生き残る術はないのである。誰からも文句を言われない、八方美人的解決策など、ここまで他力本願で、おめおめと生き延びてきた大和民族の再興など無いと知るべきである。


「朝鮮半島問題」即ち、「韓国人難民の大量流入問題」然り、「中共の日本に対する覇権的眼差し」然り、現在の日本国民は、自らに迫る危機の本質を何も知らされないまま、或いは、自ら気が付いても何も行動を起こさないまま、滅びの道を真っ逆さまに突き進んでいるのである。中共が隠そうともしない「日本侵略の野望」に、今の日本国民の多くは恣意的に目を背けているようだが、中共の野心は、飽くまでも「外交問題」である。外交問題というのは、どこの国も多かれ少なかれ抱えているものである。危機の大小もそれぞれであるが、外交問題の解決には時間がかかる。時間をかけ過ぎてもいけないが、急ぎ過ぎは更に危険であるのが、「外交問題」なのである。併し、今、日本が迫られている決断は、純粋な「外交問題」などでは無く、「内政問題」の要素を大きく孕んでいる。サンフランシスコ講和条約発効後、既に65年以上が経過しているが、戦後日本は、速やかに解決すべき「内政問題」を、悉く先送りしてきた。その最たるものが「憲法問題」と「在日朝鮮人問題」の二つに集約される。自主憲法制定を党是とした、歴代自民党政権は「憲法問題」を先送りし続け、在日朝鮮人を優遇し続けてきた。その体質は、安倍政権も確実に受け継いでいる。悲しい哉、野党は問題外で、国民の多くが支持し続けてきた自民党内にも、朝鮮民族とそのシンパが大勢隠れ潜んでいる。中共に阿る売国奴も大勢いるのが、自民党の現実なのである。


比較的時間的猶予があった「外交問題」を解決する能力が、今の日本には無いという現実は、飽くまでも「内政問題」である。日本の「内政問題」を大局的に捉え、それを曇りのない目で凝視する必要に迫られれば、「亡国憲法」に如何に対処すれば良いかも、反日左翼の脳天気ぶりを一喝する必要性も、国内に棲み着いた朝鮮民族への腫れ物に触るような間違った対応も、韓国、北朝鮮、中共からの移住者たちが孕む危険性も、自ずと見えてくる筈である。冒頭で確認した通り、私は常に「朝鮮民族排除」を訴えてきたが、ただ闇雲に異民族排除を訴えても、机上の空論でしかないのは分かっている。要は、「政界、法曹界、教育界、マスメディア界に巣喰う敵性外国人の暗躍を野放しにしていては、日本という国家と国民の精神性が損なわれる」、否、「損なわれたまま快復不能となってしまう」から、その泥沼から脱却する為に、先ず第一に、在日朝鮮人を排除しなければならないと言っているに過ぎない。朝鮮民族に半ば以上支配されている日本の中枢とは、今挙げた四分野だけに止まらないが、最低でもこの四分野だけからは、朝鮮民族の排除が絶対に、然も緊急に、必要である。日本という国家に何の責任も持たない、国連とその末節でしかない「国連人権理事会」の顔色を窺って、「差別だ」、「ヘイトだ」、「マイノリティの権利だ」、などという、ごく最近になって生まれた概念になどかかずらわっていては、日本という国は滅んでしまうだろう。国連の勧告に従わないという選択は、多くの国から非難されるだろう。併し、「国家の中枢を半ば支配する敵性外国人から、この国を護る必要性を説く行為」が、日本人にとって「悪」である筈がない。


今まで、集中的に取り上げてきたのは、「国家の中枢からの在日朝鮮人、日本国籍朝鮮人の排除」であるが、それは緊急を要し、然も象徴的な問題であったが、日本が解決すべき問題が「朝鮮民族問題」だけである筈もない。朝鮮民族の中でも「在日」及び「日本国籍朝鮮人」が、その飛び抜けた「日本人に対する怨念と卑劣さ、愚かさ、そして、持って生まれた穢れ、善なる者への変容の不可能さ」などに於いて、余りにも突出しているから、「日本国内に潜む敵性外国人の象徴」としては、日本人なら誰にでも、その害毒を理解し易いという点で最適であったから、第一目標として取り上げたまでである。「特亜三国」という言葉があるように、「支那人」もまた、日本国内に住まわせる場合は、要注意の民族である事は言うまでもない。敵性外国人と言えば、抽象的過ぎるから、朝鮮民族を槍玉に挙げてきたが、「要注意の在日外国人」という点では、朝鮮人も支那人も同様に見做した方が良い。彼等は、「母国の指令に呼応して、劇的に危険な敵のゲリラ兵に変貌」する潜在的脅威である。在日支那人の存在も、朝鮮民族と共に、放置してはいけない非常に危険な潜在的な敵兵、敵の工作員と認識するべきなのである。


何故なら、「特亜三国」には例外なく「国防動員法」とも呼ぶべき法律がある。中共では、1994年に設置された国家国防動員委員会によって、2005年に提出され、2010226日に開かれた、中華人民共和国第十一届全国人民代表大会常務委員会第十三次会議で決定、201071日から施行(しこう)、全世界に公表された。これについては、櫻井よしこ氏が、オフィシャル・ブログなどで詳しく説明されている。韓国の場合は、「何処に在住しようとも、韓国籍を持つ者は、男女に関わらず全ての者が、母国(韓国)に於ける『納税と国防の義務』を負っている」と、憲法に明記してある。朝鮮民族の場合、「帰化」とは、文字通り形式的なもので、「世界中どの国に帰化しようと、韓国人は韓国人、北朝鮮も含めて朝鮮民族とは、どこまでも、性根が腐りきった朝鮮民族」であるから、例え日本国籍を取得していようが、韓国籍のまま何世代も日本に居座っている在日朝鮮人も、「紛争・戦争」となれば、支那人同様、忽ち敵方のゲリラ兵士や工作員に豹変する。少子化対策などの名目で、事実上どんどんと外国人、それも韓国人や支那人を迎え入れる安倍政権の政策は、呼び方こそ違え、特亜三国に共通する、「国防動員法」の概念の危険性を無視した、極めて危うい政策と言える。日本に住む外国人は、少なくとも3世代目未満の帰化人には、警戒を緩めてはならない。特に特亜は要注意である。故 渡部昇一氏は在日は、三世までは通名を許すべきではないし、選挙権や被選挙権を与えるなど以ての外、と主張されていた。


「差別だ、ヘイトだ、マイノリティ擁護の精神に反する」などという軽佻浮薄な言動は、「流行」とか「時流」という言葉に置き換えてもいい。その「歴史の浅い概念、時代と共に変遷する常識、偽善的臭いのぷんぷんする善意」を押し付けてくる、国連人権理事会の主張に同調する者は、「朝鮮民族とは、日本人にとっては例外的な、心底から忌むべき民族」であるという、私の主張を非難するだろう。真実の歴史も識らず、物事とか、相手の本質を理解しようと努力もしない、相手国側が言うところの、所謂「良心的日本人」は、「流行」とは、要するに「現状の陳腐化」である事も理解できない程に、知的水準が低下している者の事だ。「差別だ、ヘイトだ、マイノリティ擁護の精神に反する」などという一見ご立派な意見は、「国家、民族存亡の機」を前にすれば、「流行」のような、普遍的真理でも何でもない、吹けば飛ぶような概念なのである。戦後七十数年も、恩を裏切り、鬼畜の蛮行を働いた挙句、その歴史的事実を隠蔽し、この日本に居座ろうと嘘をつき続けてきた在日朝鮮人を、罪を認めさせる事も、償わせる事もなく、野放しにするどころか、日本国民より優遇してきた、歴代自民党政権の罪は限りなく重い。「国際環境の一大転換期」に差し掛かっている今、政権政党の本領を発揮できないなら、自民党政権の存在理由は無い。


「国際環境の一大転換期」とは、何を指しているか? ワシントンで30年ほど暮らされている、国際政治評論家の伊藤貫氏の持論は、「米国の国務省、国防総省、CIA、ホワイトハウスの一貫した政策は、例え韓国が核を保有したとしても、日本にだけは絶対に核を持たせない」というものだそうである。私もその考えを、ずっと支持してきた。北朝鮮の瀬戸際外交に騙され続けた、クリントン、ブッシュ、両政権の跡を継いだオバマ政権の8年間に及ぶ無策は、自国民を蔑ろにして、他国から強請(ゆす)り集(たか)りを続ける、北朝鮮の将軍様を増長させたばかりか、いよいよ米本土を狙う核弾道ミサイルまで保有させようとしている。金正恩は文在寅よりは数倍賢いが、所詮は愚かな朝鮮民族である。秘密裏に核開発するなら未だしも、核弾道ミサイルの技術を確立する前から、米国を恫喝して、金一族の独裁体制を保証しろと迫っている。老いて尚、反日主義を掲げるキッシンジャー元大統領首席補佐官の思想は変わらないだろうが、トランプ政権の誕生は、米国の核拡散防止政策を変えようとしている。トランプ政権は、核拡散防止体制が崩れる前提で、日本の核武装を念頭に置いている事は間違いない。


20171216日、ベルサール渋谷ファースト オーシャンルームに於いて行なわれた、『核武装「議論」の是非を、議論する』J-CPACクラウドファウンディング・セッションでは、「日本の核武装」が本気で議論された。この討論会には、ダン・シュナイダー氏(米プロデューサー)、ロバート・エルドリッジ氏(日本戦略フォーラム上席研究員・エルドリッヂ研究所代表)、元インド陸軍南西部隊最高司令官PK・シン氏、元自衛隊航空幕僚長 田母神俊雄氏などが名を連ねたが、一民間人とはいえ米国のダン・シュナイダー氏は、日本の核武装を積極的に支持表明した。ロバート・エルドリッジ氏も、日本の核武装肯定派である。インドのPK・シン氏は、勿論、日本に核武装を強く勧めている。暗殺された故インディラ・ガンジー元インド首相が現役の頃、「日本が核武装すると言うなら、インドは喜んで日本に核実験の場所を提供する」と、日本政府に伝えてきた。1980年代の事である。然るに、インド政府と「原子力技術協定」を結んだ安倍首相は、「インドが3回目の核実験をした場合は、協定を停止する」と条約に書き込み、インドのモディ首相に申し渡した。これは、日本に救いの手を差し伸べてくれたインド政府に対する、外交的非礼と言うものである。


トランプ政権と直接の繋がりこそ無いものの、米国を代表する二人の日本核武装肯定論は、トランプ政権の観測気球と見て間違いない。20171230日付の産経新聞一面には、パトリック・ブキャナン元広報担当米大統領補佐官の「日本核武装論」が掲載された。これらの度重なる米国人の日本核武装肯定論は、「ならず者国家、北朝鮮の核武装を外交努力では止められない」と諦めたトランプ政権の、核拡散防止政策の転換を色濃く滲ませている。米国による日本の核武装容認は、「核武装して良い国と、絶対に核武装させてはいけない悪い国」という、国際社会の新常識を醸成するものである。筋違いな怨恨感情を滾らせる韓国人は、愚かにも「北の核は我々の核も同然」、南北が統一して、高麗連邦国家が樹立した暁には、積年の恨みを晴らすべく、「日本に核ミサイルを落としてやれ」などと、反日に狂っている。元々正常な精神など持ち合わせていない、これが韓国人の本音なのである。北朝鮮の核保有を、韓国人は脅威どころか、朝鮮民族共有の核と見做しているのだから呆れる。平昌冬季五輪を政治利用して、「我々の核は同じ民族である韓国に向けられたものではない」と言う、金正恩の思う壺である。これが、韓国人には分からないのだから、反日自家中毒で再起不能の病床についた民族と言わざるを得ない。北朝鮮に前のめりになっている文在寅韓国大統領同様、韓国の少なからぬ国民も、北朝鮮に取り込まれている。三世代に亘る、対韓国懐柔政策が功をそうしている証しである。そもそも韓国と北朝鮮は、何でこれほどまでに日本を恨むのか?


「東京裁判史観」と、「戦後教育」、そして「日本国憲法」の悪意ある嘘塗れに気付いている、正常な判断力を持つ日本人には、到底納得できない、朝鮮民族による「理不尽な逆恨み」である。という事は、「東京裁判史観、戦後教育、日本国憲法」の三つを肯定的に捉えている、少なからぬ日本国民には、「朝鮮人の日本に対する筋違いな怨恨感情」に違和感が感じられないのかも知れない。そう考えると、韓流ドラマやK-POPの忌まわしき氾濫も、在日朝鮮人の所為ばかりとは言えない。前述した「政界、法曹界、教育界、マスメディア界」という、日本という国の枢要な領域を、在日朝鮮人に解放して、在日の横暴と嘘を追認し、殊更擁護してきた、歴代自民党政権が、「朝鮮民族の悪意ある妄想と捏造」を助長してきたのである。敗戦により主権を奪われ、骨抜きにされて、形ばかりの主権国家(=半主権国家)として、日本が国際社会に復帰してから、今年で早66年目を迎える。もはや、敗戦国民である我々を洗脳したGHQSCAPの所為にするのには無理がある。朝鮮戦争後に米国は、日本に普通の国家並みの武装を要請してきたが、当時の吉田茂首相はそれを跳ね除け、経済偏重の歪な国家発展の道を選んだ。今の日本の経済発展を、吉田の英断と高評価する向きもあるが、自国の安全保障も米国無くして語れない、半人前の国家である現実を直視できない日本人をつくったのも吉田である。歴代自民党政権は、吉田の敷いた路線を忠実に歩んできた。今の「半主権国家」日本の姿は、日本国民の選択の結果なのである。


今は韓国平昌冬季五輪たけなわである。平昌を「ピョンチャン」と読むか、「ヒラマサ」と読むか? 文在寅を「ムン・ジェイン」と読むか、「ブン・ザイイン」と読むか? マスメディアの影響か、私もつい「ピョンチャン」、「ムンジェイン」と読んでしまいがちであるが、本来は普通に日本語読みで統一するべきである。地名はともかく、人名の読みについては、日韓間では、1984年(昭和59年)、全斗換韓国大統領が来日し、日本の政府高官たちとの会談の席上、両国の要人の名前を、「お互いに現地読みする事で合意」した。その結果、金大中は、「キン・ダイチュウ」から「キム・デジュン」に変わった。併し、実際に日本のマスメディアが韓国、北朝鮮の人名を現地読みするようになったのは、全斗換韓国大統領が来日する9年も前の1975年、福岡県在住の人権活動家の在日韓国人牧師、故 崔昌華(チォェ・チャンホヮ)氏が、NHKを相手取り、「韓国人名を日本語読みで放送するのは人権侵害である」との訴訟を起こした。その判決が出る前に、NHKは朝鮮人の人名に限って現地読みし始めた。1988年の最高裁の最終判決で「1975年当時の状況としては、日本読みが違法だったとまでは言えない」として、謝罪や損害賠償は認めなかったものの、「氏名を正しく呼ばれる権利は憲法上認められた人格権である」、という玉虫色の判決が下された。


中共の場合は、1972年(昭和47年)9月、当時の田中角栄首相が中共を訪問し、周恩来(当時)首相との日中国交回復(正しくは、日中国交開始)の会談の際に、日中両国の人名は、互いに、読む人の国の読み方(日本では、周恩来はシュウ・オンライ)を従来通りに継続する事で合意した。従って、日本人の名前は、中共では日本人の名前が漢字で書かれている場合は、その漢字を中共式に発音する。漢字がない場合は、無理矢理漢字を当てて中共読みにする。支那人男性に現在一番人気があるという、日本人女優、新垣結衣さんの名前は「シンユェン・ジェイー」となる。実際に、日本人が習近平を「シー・チンピン」でなく「シュウ・キンペイ」と呼ぶように、支那人は安倍晋三を「アーペイ・チンサン」と呼んでいる。人名の読み方は、国際的には大抵どこでも 「相互主義」 でやっている。それはアルファベット圏の欧米人同士だったら、お互いに自国の読み方で通した方が簡単だからという理由からだろう。例えば 、「Agnès という名前は、フランス人には 「アニエス」 だが、米国人は 「アグネス」 と呼ぶ。それが「相互主義」というものだ。「相互主義」に倣うなら、文在寅は精々「ブン・ザイイン」、朴槿恵は「パク・クネ」ではなく「ボク・キンケイ」である。何故なら、韓国人は、日本の天皇陛下を「ニチオウ」などと呼び捨てにしているではないか。「相互主義」を持ち出した韓国自らが、その約束を反故にしているのだから。冬季五輪も「ピョンチャン」ではなく「ヒラマサ」で充分である。


NHKは支那系の人名の扱いは日本語読み(音読み)する。台湾の地名である台北は「タイペイ」と読んでいる。中共の香港、上海は「ホンコン、シャンハイ」と読むが、重慶は「チョンチン」ではなく、「ジュウケイ」と読んでいる。要するに、公共放送を自認する、皆様のNHKには、放送用語に基準が無いのである。大きな声で抗議されれば、事勿れ主義で、簡単に抗議を受け容れてしまう。「言葉狩り」に呼応したマニュアルだけは完備しているようだ。ひと昔いや、ふた昔前は、NHKの使命は、日本全国あまねく標準語を普及するという、尊大な、今で言う「上から目線」であった。併し、いつからか、「東京の標準語」ではなく、「日本の標準語」と、地方に配慮するようになり、あれよあれよと言う間に、NHKの朝の連ドラや大河ドラマには方言が氾濫するようになってしまった。平昌冬季五輪の開会式当日の、NHKの朝のニュースの第一声は、何と「アンニョンハセヨ」である。不愉快だから、二日目以降は見ていない。未だに朝鮮語で挨拶しているのだろうか? 併し、何故か、リオ五輪の最中には、普通に「おはようございます」と言い、決してポルトガル語はつかわなかった。ロンドン五輪の時も、アトランタ五輪の時も、決して「Good morning」とは言わずに、日本語で「おはようございます」と挨拶していた。そう、矢張りNHKには、基準が無いのである。ところが、朝鮮民族には阿るという、暗黙の了解事項だけは厳然としてあるようだ。


NHKに限らず、日本のマスメディアでは、今では当たり前の「北朝鮮」と言う国名を「キタチョウセン」と呼ぶと大問題になった時代があった。テレビなどでうっかり「北朝鮮」と読んだりすると、朝鮮総連と在日朝鮮人が、徒党を組んで本社や支社、挙句はテレビ局の幹部の自宅にまで押しかけて、大騒ぎをした。そういう、些細な言葉遣いの揚げ足を取って、「間違いでも無いのに、猛抗議すると、日本人は一様に平謝りする」という事を、朝鮮人に再確認されてしまったのである。(それが、忌まわしき「在日枠」の取引材料とされたのだが、本論の論旨から外れるので、ここでは詳しくは触れない)。再確認というのは、所謂「日韓国交正常化」と呼ばれる、1965年の「日韓国交開始」の時にも、日本人は、戦後の日本がまだ無防備な時に、どさくさ紛れに「竹島」を略奪され、日本人漁民を多数殺傷され、4000人近くも人質に取られている「ならず者国家 韓国」を相手に、謝罪する必要など皆無なのにも関わらず、尊大に振る舞う韓国相手に、徹底的に譲歩し、不必要な謝罪をし、不必要な莫大なカネを支払った。この時にも、朝鮮人は日本人の腑抜けた事勿れ主義を見て取っていたからである。大声で、尊大に難癖をつければ、日本人は理由など関係なく必ず謝罪する。日本人の誤った贖罪意識に付け入る旨味を「事大主義」の朝鮮人は知ってしまったのである。思えば、敗戦後の日本国民は、当時の日本政府に倣って、押し並べて、皆、腑抜けた事勿れ主義を通した。当時は皆、生きるのに必死であり、それどころではなかったと言う側面は確かにあるとしても、日本人としての矜持さえ示せなかった理由は正当化できない。要するに、敗戦後の日本政府と日本国民の態度が、臆病者であると、朝鮮民族に見透かされ、舐められ始めたのである。


北朝鮮を普通に「キタチョウセン」と呼んでも何の問題も無くなったのは、金正日が日本国民拉致を自白した日を境に、在日朝鮮人が騒がなくなったからである。将軍様が拉致犯罪を自白してしまったのだから、朝鮮人も居丈高ではいられないと考えたのである。朝鮮人というのは、その程度のものなのである。自分の立場が弱いと見れば身を縮めて災難が通り過ぎるのを、ビクビクしながら待つが、相手が少しでも弱味を見せれば、徹底的に付け入ってきて、思いもつかない理不尽な要求を平気で要求してくる。日本政府が、実際の拉致被害者の推定数に比べると、余りにも僅かばかりの「拉致被害者」を取り返したのは、「平壌に乗り込んでいった、小泉純一郎首相の英断による」などと勘違いしている日本国民も多いだろうが、あれは成り済まし朝鮮人である小泉の手柄などでは決してない。その前の首相を務めた森喜朗氏が、余りの失言の多さゆえ、短命政権に終わったのだが、森氏は在任中に、「平壌に乗り込んで言って、金正日本人に日本国民拉致を訊す」という路線を敷いた。森首相の命を受けた外務官僚が珍しく強気な交渉をしたのである。小泉は森政権がお膳立てした日朝首脳交渉の路線にそのまま乗っただけ。小泉に同行した外務省の(当時)亜細亜大洋州局局長の田中均は、「拉致被害者は飽くまでも一時帰国扱いだと、金正日と約束したのだから、約束通り、一旦は北朝鮮に帰すべきだ」などと馬鹿な事を言い出し、小泉もそれに同調しようとした。それを、「とんでもない、ひとたび返してしまったら、日本に帰ってくる保証は何もない」と言って、拉致被害者たちを、犯罪を自白した国家に引き渡すのを阻止したのが、当時官房副長官だった安倍晋三氏である。朝鮮の血を引く政治家とか東大卒の外務官僚とは、精々この程度の大馬鹿者の売国奴なのである。


日本の官僚制度は、歪な経済偏重の成長政策を続けて、日本経済が右肩上がりを維持していた頃までは、元々はそれなりに優秀な人材の集まりだったのだから、経済成長という成果を上げて(実際には民間企業人の血の滲む努力の成果なのだが)、国民からも、海外(特に東南亜細亜の新興国)から、高く評価されてきた。併し、先進国に「経済分野」で、追いつき追い越せという、目の前にぶらさげられた人参が見えなくなった途端に、優秀である筈の日本の官僚たちは、腐敗堕落し始めた。目標は自ら切り拓くものでは無く、上から与えられるもの、という国民の均質性を重んじる「戦後教育」では、真のエリートは生まれない。日本のエリートと自他共に認められてきた官僚たちは、創造性が求められる変革期にあっては、使いものにならない、只の高給取りでしか無くなってしまった。彼等の中には元から親中派、親韓派がいたが、在日朝鮮人、日本国籍朝鮮人たちを受け入れるようになってからは、単なる利権目当ての守銭奴に売国奴(正確には母国に忠実たらんとするもの)が現れて、日本の国益を益々毀損し始めた。併し、馬鹿と鋏は使いよう。真に優秀な政治家が上に就けば、本来優秀な官僚は、その力を発揮する筈である。だからこそ、「政界、法曹界、教育界、マスメディア界」に巣喰う、敵対外国人である在日朝鮮人の排除が絶対に必要なのる。


前述したように、朝鮮半島統一が現実味を帯びてくれば、南北両方から朝鮮人難民が日本に押し寄せてくるのは必定である。戦後の過ちを繰り返さぬ為にも、人道的などという、一見異論を挟み難い軽佻浮薄な概念に騙されて、朝鮮民族を軽々に日本に受け容れてはいけない。もし、受け容れざるを得ないなら、一箇所が望ましいが、狭い日本である。次善の策として、数箇所の地域に分けてでも、飽くまでも「一時的は避難民」として扱い、将来必ず帰国させる可く、今から準備を進めておくべきである。簡単に広大な敷地と施設はできはしない。平昌冬季五輪の後、韓国の文在寅がどのような挙に出るか注視したい。恐らく、朝鮮戦争の再来とはならずに、韓国は中共に傾斜して行き、北の核保有は済し崩し的に認められ、北朝鮮主導で南北統一へと向かうだろう。文在寅と韓国国民は、その愚かさ故、朝鮮半島統一が齎す不幸に気付いてもいないが、現実味を帯びてくれば、自由を奪われる危機に気付いた韓国人はパニックに陥り、日本に逃れようとするだろう。今の安倍政権が、この日本の危機の逼迫度合いに気付いているとは思えない。トランプ大統領と如何に緊密な連絡をとったところで、米国大統領は日本国民を襲う危機に責任など持ってはくれない。安倍首相お一人が、(既に手遅れの感はあるが)一刻も早く、ドイツやトルコの失敗に学び、学んだ成果を政策に反映させるしかないのである。早く、難民収容施設用の土地収用と施設建設を具体化するしかないのである。


保守層に絶大な支持を得ている、安倍晋三氏の政治家としての真価が問われる時が、目前に迫っている。嫌な予感がしないではないが、「日本という国家と大和民族の存亡」は、安倍晋三首相の先見性と実行力にかかっている。この民族史上初めてとも言える、想像を絶する危機を乗り越えた時、日本国民の精神性も蘇っている可能性が高い。近視眼的に戦前回帰などを希求しているのではない。明治維新から大東亜戦争敗戦までだけが、誇るべき日本ではないのは、敢えて説明するまでもない。依然として謎多き、縄文時代や弥生時代から、我々の祖先はこの地に住んで、営々と日本文明という、世界独自にして稀有な文明圏を礎を築き上げた。平安時代には、日本文明は既に花開いており、江戸時代を迎えると、日本は世界に冠たる伝統文化を誇れる国家を築き終えていた。我々の祖先は、戦国時代や、欧米の植民地政策の魔手を、独力で跳ね除け、乗り越えたのである。こうした、ご先祖の遺産を踏まえて、その上に「皇室」が在る。日本人は、そういう自信と矜持を失なったままではいけない。今、遭遇しようとしている危機を乗り越えた時、初めて、日本国民は、2700年に垂(なんな)んとする、我々の祖先が築き上げてきた「天皇を戴く素晴らしい日本」の真の姿に気付くのである。その為に、今、何が必要かが、私には、はっきりと見えている。


日本人の欠点のひとつに、相手の考えを先回りして想像し、それに無自覚のうちに配慮してしまうという精神作用がある。これを今流行りの言葉で言えば「忖度」というのだろう。相手より鋭敏な感性を働かせて、想像力を巡らせながら、どうすれば有利になるのかを瞬時に判断するのだから、これは馬鹿にはできない。鈍感な民族には「忖度」などという芸当は先ずできない。日本人は自らに、こうした優れた能力が備わっているのに、何故かその力で自分の立場を、有利どころか、逆に不利に追い込んでしまった事が、今までに何回もある。前回のBlogで、「日本に売国政治家が数多く現れ、現実に内閣総理大臣や内閣官房長官などという要職に就いている者が、売国行為を働くのは、敵対的且つ攻撃的な交渉相手が思うところを『忖度』してしまうからだ」という趣旨の仮説を述べた。日本人は、「大東亜戦争」に敗れて以来、「自信満々で攻撃的な民族を相手に『忖度』してしまう」という、本来なら優秀である筈の国民性が、悪い方向に現れてしまっているのではないだろうか。この「鋭敏な感性」という力を戦略的に活用すれば、外交交渉などで、より有利な立場を得られるのだろうが、敗戦後の日本人には、誇りとか自信、そして、時には必要とされる攻撃性という、謂わば「強さ」が一貫して欠けていた。

民族史上初めての、総力戦に破れて、居並ぶ勝者たちに「白を黒と無理矢理認めさせられて」、それでも何とか「天皇陛下のお命とお立場」だけはお護りしようとしたのだから、それまで過剰なほど持っていた自信とか、誇りなどはズタズタに引き裂かれてしまったのは、仕方がない事であった。併し、そのままで終わるか、そこから這い上がって、また民族の誇りを取り戻すか、という選択を迫られた時、日本人は「結論の先延ばし」という致命的な失敗をしてしまった。朝鮮戦争を境に、東亜細亜の赤化を防ぐ要衝のひとつにしようと、米国は軍事力保持を禁止した筈の日本に対して再軍備を要求してきたが、時の宰相吉田茂は、日本国憲法第九条を盾に、再軍備を断わってしまった。そして、経済発展に特化した歪な日本が生まれた訳である。戦後七十数年というもの、日本人は、「敗戦国のまま、自国の安全保障を米国に丸投げするという、戦勝国に隷属する」に等しい道を選んでしまったのである。なまじサンフランシスコ講和条約などというものを契機として、中身の伴わない主権国家として国際社会に復帰してしまったから、「戦争責任を自ら裁く機会さえも失なってしまった」のである。サンフランシスコ講和条約の正式名称は、「対日平和条約」(Treaty of Peace with Japan)という。1951年9月8日、米サンフランシスコ市内のオペラハウスで調印された事から、こう呼ばれるようになったこの「対日平和条約」は、敗戦から7年も経った、1952年4月28日に発効した。

なぜ戦勝国は完全勝利を果たした後速やかに、対日講和を提起しなかったのだろうか? 歴史とは、後から振り返ってみるものだから、不備や失敗に気づいても、気付いた時点では、もはや変えようがない。敗戦してしまった事は、開戦当時も国力が十倍以上も開きがあると分かっていながら、その米国が仕組んだ罠と知りながらも、「江戸時代への逆行と、米国への隷従」の道より「一か八かの勝負」に出て、あわよくば「程良いところで講和に持ち込む」という、万に一つも無い「可能性」に賭ける道を選んだ。「自分たちは例え死しても、後の子孫に日本人としての矜恃を伝える」、という覚悟の戦争突入であった。その先人の期待を裏切って「米国の属領となった日本」に何の疑問も感じずに生きている、現代の日本人には、先人の決断に対して、つべこべ文句を付ける資格は無い。「大東亜戦争」の敗戦は、「戦争を始める前から分かっていた」と言ったら、先人を美化し過ぎだろうか? 併し、何と言われようと、私には、そうとしか考えられない。そして何より、敗戦よりも解せないのは、実際の戦闘期間の倍近い占領統治中に、なぜ日本人は、唯々諾々と従うばかりで、占領軍に反抗ひとつしなかったのか? という疑問である。

「敗戦の詔勅」と同時に、軍部も民間も、一斉に戦う事をやめたのは、日本人がそれほど天皇陛下のお言葉に忠実であった証、と理解もできようが、七年近くもの期間、我が物顔の占領軍に無理難題を次々と命じられても一切抵抗せず、況んや戦勝国民を僭称する第三国人の暴挙に対しても、全く為す術も無かった当時の日本人の無抵抗振りは、敗戦覚悟の戦争に突入して行った同じ日本人であるとは、とても思えない程の腑抜け振りである。敗戦国日本人の、米国さえも予期しなかった、勝者への徹底した恭順姿勢は、後の米国の世界戦略をも大きく狂わせた。日本人の負けっぷりの良さに味をしめた米国は、武力で圧倒しさえすれば、何人(なんぴと)も思い通りになるとの錯覚を真実と勘違いして、朝鮮戦争でも、ベトナム戦争でも、その後の中東諸国への介入でも、悉く無残な失敗を繰り返した。国と国の戦争とは、当事国の強弱で決まるものではなく、陰で戦争を金儲けの手段として蠢(うごめ)く「国際金融資本家ども」の存在を理解しなければならないのは、少し真面目に歴史を追求する者にとっては、今や公然の秘密と言えるが、「国際金融資本家ども」と雖(いえど)も、敗戦国民の「根性」までも自由にできるものではない。

現に、日本よりも国力の劣る、旧北ベトナムや中東諸国は、例え戦力で劣っても、心が折れる事は無かった。北朝鮮や旧北ベトナムを負けさせなかった陰の力は、「国際金融資本家ども」であり、敵対する中東諸国の双方に高価な武器を売り捌いて紛争を長引かせて、大儲けした武器商人を陰で操っていたのも、「国際金融資本家ども」であった。併し、戦いは必ず勝者と敗者を生み出したが、心まで負け犬根性にどっぷりと浸かり、そこから脱却する事を拒み続けているのは日本人だけである

ベトナム人は、後進国だと韓国人に馬鹿にされた時、「我々は戦乱に荒廃した国の再興に際して、韓国のように日本にカネや技術をタカったりはしない。ベトナムは自分の力で復興を目指しているのだ」と言って、見下してきた韓国人を逆に蔑んだという。また、韓国はベトナム戦争に際して、カネと米国の韓国人移民受け入れ枠を目当てに、当時のケネディ大統領に再三に渡って韓国軍の参戦を働きかけたが、ケネディ大統領は韓国の申し出を断り続けた。そのケネディ大統領が暗殺されると、跡を継いだR・ジョンソン大統領にも、執拗にベトナム戦争参戦を働きかけた。根負けしたジョンソン大統領に参戦を許可されると、韓国軍は戦火のベトナムの地で鬼畜の蛮行を働き、ベトナム人少女を韓国軍用の慰安婦として弄んだ。戦後、一度だけベトナム政府は、韓国軍の蛮行に抗議したが、交渉の場に居合わせた韓国軍の蔡命新将軍は、「あれは戦争だったっ!」と椅子を跳ね除けて謝罪を拒んだという。それ以来、ベトナムの政府も国民も、韓国に対して、謝罪も賠償も一切要求しなかった。何という誇り高い振る舞いと抑制心だろう。ベトナムの振る舞いを見せつけられた韓国政府は自らの卑しさを思い知るべきだろう。大東亜戦争に破れて、冤罪を負わされた先人の名誉を護ろうともしない我が国の為政者も、ベトナム人の誇り高い姿勢を見習うべきではないだろうか?

七十年以上も昔の日本に対して、冤罪と分かり切った偽りの罪を責め続け、受ける資格もない謝罪と賠償を、何度も何度も飽く事無く蒸し返しては、日本に甘やかされる韓国をみて、昨年頃から、ベトナム国民が韓国政府に対して、当時の戦争犯罪を断罪する姿勢を見せ始めた。その行為は、「自分も韓国人のように、謝罪と賠償のお代わりをしよう」という卑しい心根から生じたものではなく、卑しい韓国人に「日本に強請りタカりを繰り返す、お前たちこそ本当の戦犯国家ではないか!」と思い知らせる為だというから、恐れ入る。同じ亜細亜の一員で在りながら、ベトナム、韓国、そして日本の、それぞれの民族としての誇りの持ちよう、示しようは、これほどまでに異なるのである。「東京裁判史観」に歪められ、偽りに満ちた「戦後教育」を、未だに変えようともせず、根拠なき贖罪意識に慣れ切って、先人が負わされた冤罪に対して、いつまでも謝罪し続ける、日本政府と日本国民の在りようは、このままで良い訳がない。韓国からも、ベトナムからも、経済大国となった日本には、留学生が大勢来ている。ベトナムからは企業研修の名目で低賃金労働を強いられる若者も沢山来ている。外国人が長期間、外国である日本に滞在すれば、中には不届き者も現れる。韓国人は言わずもがなであるが、ベトナム人も日本で犯罪に手を染める者が少なからずいる。併し、日本人はベトナム人を、韓国人のように見下すのではなく、彼等の誇り高さを見習うべきではないだろうか?

米国の悪意の塊とも言える「亡国憲法」押し付けられた事も認めずに、やれ「平和憲法」こそ世界の至宝だと本気で盲信して、後生大事に押し戴く、芯からお目出度い連中は、考慮のほかに置くとしても、心の底では日本人たるもの、日本国たるもの、これではいけないと気付いている者さえも、半世紀以上も日本に仇なす「亡国憲法」を放置し、漸く動き出す者も、「一部のみ改憲」という弥縫策(びほうさく)にしか取り掛かろうとしない様は、とても世界でも稀有な賢さを受け継いできた日本人の真の姿とは思えないし、思いたくもない。限りなく馬鹿に近い程の律儀さという、本来なら民族の美徳とも言える資質は、ここでも裏目に出てしまっている。日本の為に資する部分より、仇なす要素の方が多い現行憲法など、さっさと破棄すれば良いだけの話ではないか。何故そんな単純な事も、日本人は理解できなくなってしまったのだろうか? 自らを護る行為を制限する憲法など、主権国家の憲法ではない。そんな自明の真理を理解できなくなってしまった日本人は、先人に顔向けなどできない事にすら思い至らないほど堕落してしまっている。

今からおよそ三十年ほど前、小説家の鬼才、三島由紀夫は、その真理に気付き、行動を起こした唯一の逸材であったが、三島の止むに止まれぬ心情を理解する者は、現代の日本にはごく少数しか見当たらない。三島由紀夫が、東京都新宿区市ケ谷本村町の陸上自衛隊東部方面総監部の総監室に於いて割腹自殺を遂げたのは、「亡国憲法」を改めようともしない政治家たちに業を煮やして、旧大日本帝國陸軍の魂を受け継いでいる筈の、陸上自衛隊に直接語りかけた末の行為である。私は、一般論としては、決して自殺など容認しないが、三島由紀夫が日本を思って、最後の手段に訴えた末に、己れの主張に賛同を得られずに割腹自殺に及んだ心情は、全てとは言わないが、おおよそは理解できる。政治家に期待しても「自主憲法制定」などできはしない。この上は軍による「戒厳令」しか、日本を蘇らせる道はない。三島は、恐らくそう判断したのだろう。併し、三島の檄に応える自衛隊員は皆無であった。賛同されるどころか、バルコニーで檄を飛ばす三島に、自衛隊員はヤジを浴びせた。それを三島は当然、予想していたからこそ、日本刀を持参したのである。言葉が聞き入れられずば、己れの一命を投げ打って「魂」を遺す。そういう悲壮な心情だったのだろう。己れの信念の行動とはいえ、二十歳そこそこの若者を道連れにする必要は無かったと悔やまれるが、人並み外れた天才には、日本の行く末が見えていたのだと思う。

三十年余り経過した日本は、三島が命をかけて訴えた、日本という国家、民族の危機が、解消されるどころか、行き着くところまで行き着いて、私のような凡人にさえ、もう後が無い断崖絶壁の淵まで追い込まれたような、正に国家民族存亡の機が、ひしひしと肌身に感じるまでになっている。悲しいかな、三島が見通した通り、政治家にも、軍人の格好をした自衛隊の将官にも、この危機は見えていないようだ。いざとなれば、一命を賭して日本の為に戦ってくださる唯一の存在である自衛官に、失礼な事は言いたくないが、テレビなどに出演される陸海空の元将官クラスの方々は、「東京裁判史観」にどっぷりと浸かったような発言を平然と為さっておられる。お立場上、自制されての言動なのは分かるが、日本が侵されている内憂外患をまるで他人事のように語られては、視聴者に逼迫した危機感など伝わる訳がない。問題意識の重点の置き所が違うのだろうが、戦後、今に至るまでの「日本の内憂の最たるもの」とは、少子化問題でも景気の閉塞感でも、改革すべき働き方などではなく、「日本の中枢を半ば以上在日朝鮮人・日本国籍朝鮮人に支配されている現実」であり、「外患」とは、中露、北朝鮮のみならず、竹島を占領し続ける韓国と、日本の軍事的装備やシステムを米国の支配下に留めておくという米国の方針という、「複数の外圧」である。

三島のような才能も、才覚も、度胸もない自分が情けなく思える。私には、このBlogで信ずるところを拙劣な文章で訴える事ぐらいしかできない。三島由紀夫は、最後の「檄文」の演説の中で、『われわれは戦後の日本が、経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失い、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を涜してゆくのを、歯噛みをしながら見ていなければならなかった。』と述べている。これはほんの抜粋であるから、できれば全文に目を通していただきたい。全文が掲載されているURLを、ここに紹介する。http://www.geocities.jp/kyoketu/61052.html
是が非でも、三島由紀夫の檄文全文をお読みいただきたい。これに心動かぬ者は、日本人の心を喪失していると言って過言ではない。

私は、決して気楽に「戒厳令」など持ち出したのではない。世に溢れる法学部出身者は、「戒厳令」などと聞けば、ハナから馬鹿にして掛かる事だろう。私が忌み嫌う、「東京裁判史観」と「日本国憲法」には、「戒厳令」の規定など無い。「日本国憲法」が規定していないのだから「戒厳令」など有り得ない、という程度の知能では、私のBlogは理解できないだろうから、読むだけ無駄である。日本に於ける「戒厳令」とは、大日本帝国憲法制定前の法体系において戒厳の態様を規定していたのが1882年(明治15年)8月5日太政官布告第36号「戒厳令」である。殆んどの方は「大日本帝國憲法」=明治憲法、と理解しているから、明治時代が始まって直ぐに、憲法が公布・施行されたと思い込んでいるだろう。併し、憲法というものは、GHQ/SCAPがして退けたように、僅か一週間ほどでできるものではない。米占領軍は、あたかも旧約聖書の唯一絶対神のヤハウェにでもなったつもりでいたのだろう。神が七日間で世界を創ったように、七日間で日本人に憲法を与えようとしたのである。併し、明治時代の先人は七日どころか、22年間も練りに練って「大日本帝國憲法」をつくりあげたのである。「大日本帝國憲法」は、1889年(明治22年)2月11日に公布、1890年(明治23年)11月29日に施行された。

本来は今も厳然とその効力を発揮しているべき、1889年(明治22年)2月11日に公布された大日本帝国憲法の第14条に於いて、「天皇は戒厳を宣告す。戒厳の要件及効力は法律を以て之を定む」とし、憲法の体系に組み込まれている。ウェストファリア体制の理念の下に生まれた、ハーグ陸戦協定に明確に違反している、現「日本国憲法」を無効と考えるならば、「大日本帝國憲法」しか日本を規定する憲法は無い。併し、敗戦後の日本人が、憲法を不磨の大典の如く全く手を付けてこなかった為、もはや「大日本帝國憲法」は、時代に則さない。ならば、せめてその理念を受け止め、現代の英国のように「自然法・習慣法」に帰るしかないではないか。「自然法・習慣法」は、長い歴史の積み重ねを有する国家のみが運用できる「憲法に代わる歴史的理念」である。これを英国が運用できるのなら、英国より余程長い歴史を持つ我が国にできない筈はない。後は、上述の国際法を破って、敗戦国日本に米国が押し付けた「亡国憲法」を「破棄」さえすれば良い。それを成し遂げるべき政治家に勇気・度胸がないのなら、軍に代わる自衛隊が「戒厳令」を敷くしかないではないか。

日本は、勅令による行政戒厳を、過去に三度発令している。一度目は、1905年(明治38年)9月6日〜11月29日、「日比谷焼打事件」に際して、二度目は、1923年(大正12年)9月2日〜11月15日、「関東大震災」に際して、そして三度目は、1936年(昭和11年)2月27日〜7月16日、「二・二六事件」に際してであるが、何れも適用地域は東京圏内と限定されていた。併し、中華人民共和国、中華民国(台湾)、韓国、タイ、フィリピン、ポーランド、アルゼンチン、チリ、ボリビア、チュニジア、ギニア、ソマリア、等々では、軍部が国家全域に「戒厳令」を発令した。「戒厳」とは、行政と司法の一部または全部を軍隊の権力下に移行させて統治する事である。つまり、軍隊に独裁権力を与える非常時の統治形態であり、当然、憲法も停止される。

中でも、歴史上最も長い期間、この「戒厳令」を敷いたのが台湾であった。戒厳令の間、台湾の最高権力者は中華民国総統の蒋介石(1975年まで)とその息子の蒋経国(1988年まで)であった。この戒厳令が解除され、台湾に表現の自由が浸透していくのは、実に、蒋経国の跡を継いだ李登輝総統の時代になって、国民による総統選挙が行なわれるようになってからである。台湾が自由選挙を実施しようとした時に中共がミサイルで恫喝した暴挙は、未だに鮮明に記憶している。蒋介石親子の中国国民党が侵略地台湾に敷いた「戒厳令」は、それは過酷で、今で言うマイノリティの中国国民党(=支那人)は、恐怖政治を以って台湾を我が物として統治し、多くの罪なき台湾の人々の命を奪い、苦しめ抜いた。李登輝総統の下で自由社会を取り戻した台湾は、今また習近平の恫喝を受け、中共は2022年までに台湾侵略を実行すると公言している。

これほどまでに、劇的で過酷な「戒厳令」を自衛隊が敷く事は、今の日本では、非現実的、夢物語であるが、三島由紀夫は市ヶ谷に於いて、陸上自衛隊員たちに向かって、30年も昔に、この「戒厳令」を呼びかけたのである。この時は恐らく「内憂外患」と言うより、日本人の精神性が敗戦以来、真綿で首を締められていくが如く、当の日本人が無自覚のまま、知らぬ間に日本人たる心を失なって行き、2700年に垂(なんな)んとする比類なき歴史の積み重ねを忘れ去り、内面から崩壊していく様を、三島にははっきり見えていたのだろう。戦後の日本人は、プロレスラーの力道山が、悪役の米国人レスラーを空手チョップで撃退する姿に熱狂し、美空ひばりや都はるみなどの芸能界のスターの歌声に酔い痴れていたが、日本人を騙る格闘家や芸能人の多くは、実は朝鮮人であった。戦後にあれだけ日本国民にケモノ的蛮行を働いた朝鮮人は、母国に帰る気など更々見せずに、通名を使ってそのまま日本人に成り済まし、日本文化を蝕んでいた。力道山も、美空ひばりも、都はるみも皆、朝鮮人であったが、米国に愚民化された国民は、疑う事もなく彼等に熱中させられた。米国から買い付けたホームドラマや、西部劇、戦争ドラマ全盛の時代でもあり、それがプロパガンダとも知らずに日本国民はテレビを通して米国を羨望の眼差しで見ていた。エルビス・プレスリーやビートルズという大スターの真似が格好良いとされた時代、ロカビリーやグループ・サウンズなど欧米の文化風俗を若者が挙って真似をして、本来の日本人の生き方はダサイと見向きもされない時代が長く続いた。

三島が割腹自殺という暴挙に及んだ時代は、そういう非日本的お仕着せ文化を疑いもせずに慣れ親しんで育った日本人が、成長して社会人となり、日本の主流となり始めた時代であった。三島の命懸けの、日本人覚醒の呼びかけは、結局無視され、今の日本人の生き様はあの時代より更に日本を失なったものとなってしまっている。実際にはもっと多いと思われるが、公称値で1%にも満たない朝鮮人に、この日本は席巻されてしまった。日本のあらゆる中枢に朝鮮人が潜り込むのを、歴代の政権政党であった自民党の国会議員たちは、放任し、朝鮮人小泉純一郎首相は、売国政商竹中平蔵と共に、既に壊れかけていた日本にとどめの一撃を喰らわせた。当時の小泉政権下では「女系天皇容認の動きさえあった」。併し、秋篠宮家に悠仁様がお生まれになった事で、小泉の野望は打ち砕かれた。「万世一系の皇統」断絶という小泉の野望こそ陽の目を見る事はなかったが、小泉が仕掛けたドミノ効果は確実に日本を滅ぼしつつある。緩やかに、それと自覚さえできない巧妙さで滅亡に向かっていた日本は、小泉・竹中の両逆賊によって、坂を転げ落ちるように、民族滅亡への道をひた走り出したのである。この危機に際して、保守層の星たる安倍晋三首相は一体何をしているのだろうか? 日本の言論人は、日本が既に半ば以上も朝鮮民族に支配されてしまっている実情を、なぜ一言も指摘しないのだろうか? 政治家も言論人も、三島由紀夫の魂の警鐘を無視して以来、ずっと腐り続け、遂には壊死してしまったのだろうか? ならば日本人は、大和民族は、生き抜く術を、既に失なってしまったのかも知れない。

政財界や、法曹界、教育界、マスメディア、芸能界、その他数え切れないほどの枢要な分野は、既に在日朝鮮人や日本国籍朝鮮人に支配され、この日本では、僅か1%の朝鮮民族が、毎年生み出される富の60%以上を手に入れ、99%の生粋の日本人が残り40%を分け合うという構造が確立されつつある。この所得比率はもっともっと悲惨になっていくだろう。日本人の若者の所得は、三島由紀夫が自殺した30年前と殆んど同じで、今や結婚や育児を諦めざるを得ない境遇に追い込まれている。然るに、安倍政権の近くに纏わりつく売国政商竹中平蔵は、「日本に正社員はいらない。みんな派遣社員として働けばいい」と嘯く。インターネットの世界でも言論統制は厳しさを増してはいるが、マスメディアよりは真実を訴える余地はまだある。そのインターネットの世界でも、安倍首相を褒めそやす記事を多く見かけるが、マスディアとインターネットの両方で活躍する知識人・言論人には、「日本に迫る本当の危機」が見えていないのだろうか? 「国際金融資本家ども」の悪巧みを暴くのは有意義としても、「人権擁護賛成、民族差別反対、ヘイトスピーチ反対」と無難な、悪しき正論を撒き散らすだけなら、百害あって一利なし、である。また、米国による北朝鮮攻撃を、昨年10月頃から「今月こそは戦争が勃発する」と訳知り顔に解説しては外す、似非評論家も日本国民の目を真の危機から逸らす邪魔者でしかない。実際の米国は既に北朝鮮に核放棄させる事は不可能と悟って、次善の策を練っている。突発的に偶発戦が始まる可能性はあるにしても、米国から北朝鮮に全面攻撃する事などありはしない。

安倍首相、知識人、言論人から「この日本を蝕む朝鮮民族を排斥せよ」との、今、真に逼迫した危機に警鐘を鳴らす声が聞こえてこない限り、この日本に幸福な未来は無い。先ずはなんとしても、教育界とマスメディアから敵性外国人、特に既に深く潜り込んで市民権を得てしまっている朝鮮人を排除しなければ、日本再生の発芽は悉く摘み取られてしまうだろう。一時の嫌韓ブームが未だ冷めやらぬうちに、テレビ局は平昌冬季五輪の開催期間に、最も韓国ドラマが多く垂れ流されるように、放映番組の編成表を五輪放映と合わせて最大化させている。これは前もって計画しなければ成し得ない事である。朝鮮民族は、愚かな癖に、こういう乗っ取り工作には腹立たしいほど長けている。戦後七十有余年をかけて、日本国民は、朝鮮民族のこの民族乗っ取り工作に晒されてきた。失敗しても、跳ね返されても、朝鮮民族は日本乗っ取り工作を、決して止めはしない。腐臭は元から断たねば無くなりはしないのである。この日本から朝鮮民族を一掃しなければ、執拗な朝鮮民族の日本乗っ取り工作を終わらせる事はできない。彼等の祖先は、エヴェンキ族、新羅・高句麗人をこうして乗っ取り、今や、日本乗っ取りに成功するまで、この人の道に悖る醜く浅ましい工作を決してやめはしない。国際社会どのような、無責任で無理解な非難を受けようとも、朝鮮民族を日本から排除し切るまで、安心はできない。他の危機も有るには在るが、何にも増して早急(さっきゅう)に取り組むべき最優先課題は、「朝鮮民族の完全排除」である。

朝鮮民族と一口に言っても、韓国人と北朝鮮人と中共に住む朝鮮族がいる。中共国内での分布は東北部(本来の満洲)に集中し、中でも吉林省全体と南部の延辺朝鮮族自治州(延吉市)に集中している。このほか、黒竜江省、遼寧省、内モンゴル自治区(本来の南モンゴル)にも分布し、関内(山海関以内)の北京、天津、青島、上海などの大都市にも進出している。元々、朝鮮民族というのは、彼等独特の起源により、一箇所に留まらずに、外へ外へと広がっていく特性がある民族なのである。私が確信する彼等の起源については、異論も多いようだから今回は朝鮮民族の起源については触れない。

朝鮮民族、特に我々現代の日本人には、身近な存在である韓国人とは、利害さえ絡まず、無責任に遠くから観察しているだけならば、多分、非常に興味深く、且つ滑稽な人たちで、笑える民族なのである。勿論、お人好しの日本人とは異なり、性根には、かなり曲がった性根とケモノ的残虐性を持っている事は忘れてはならない。歴史的に一貫して被害者であった立場の日本人にしてみれば、そんな呑気な感想など言うべきではないのは、重々承知しているが、たまには被害者の視点以外から、客観的に朝鮮民族という人々について考察して見るのも、強(あなが)ち無意味ではないかも知れない。念の為に、繰り返す。日本人は歴史的に朝鮮民族の被害者である。一度として加害者であった事は無い。併し、偽りの贖罪意識から未だに目醒めないで、日本人が加害者であると思い込んでいる者が多いのは、実に悲しむべき現実である。

併し、騙されたまま自分たちの曾祖父母や祖父母が加害者だったと信じ込んでいる場合も、賢明にも真実に気づいて、実は日本人こそ被害者である事を知っている場合も、今回の論考は、どちらを信じる方であっても構わずに書き進められる内容である。何れにせよ、日本人が心の底に抱える特別な感情を持たない、普通の外国人の立場から見た場合、朝鮮民族、特に韓国人はどう見られているのか、また、日本という外国に棲み着いている在日朝鮮人たちは、日本人や朝鮮人以外の外国人からどのように見られているのか。これは日本人が日常は想像もしない視点であるから、この視点を理解する事は決して無駄ではないだろう。

そういう、日韓どちらの立場にも立たない中立の立場になる前に、殆んどの日本人が胸の内に秘めている、日本人の言い分を整理して明らかにしておきたい。朝鮮民族が日本人を恨むというなら、日本人にも言い分はある。ただ、「東京裁判史観」に歪められた「戦後教育」では、正しい歴史を教えないから、普通の日本人は、真実を知らずに、日本を悪し様に言う韓国人に、漠然と不満を抱いているだけなのである。日本政府と日本国民が油断している間に、漠然と不満を抱く日本人の数も少なくなり、韓国は隣国なのだから、日本のネトウヨはつべこべ言わずに、もっと平和的になり、韓国人と仲良く共存するべきだ、と言う呑気な日本人が増加してきている。共存せざるを得ないのなら、いがみ合わずに上手く共存する道を探ろうとする心は、それはそれで大切ではあるが、いがみ合っている片方だけが一方的に譲歩し、無防備に接近するのは危険である。

この、片方だけが一方的に無防備に相手を迎え入れる行為を良しとする考え方こそ、所謂「東京裁判史観」により歪められた、間違った「戦後教育」の産物なのである。世界各地の紛争地帯に無防備のまま足を踏み入れるのが、愚かな行為であるように、民族問題で片方の民族、ここでいう日本人だけが一方的に朝鮮人に対して無防備に接近するのは、愚かであるばかりか、非常に危険でさえある。この辺の無神経な発想が、戦後の日本人が平和呆けしていると言われる所以である。和解しようとする心は大切だが、「和解」というからには、和解すべき確執の原因が必ずある。物事の原因や本質を何も知らぬまま、ただ「仲良くしよう」と言い出すのは、戦後日本人の悪い癖である。その考え方は国際社会では絶対に通用しない。物事の本質を見極める努力をする。これは、これからの日本人に求められる、国際社会で生き抜く為の必要不可欠な要素である。

日本人というのは、実は自分たちが外国人からどう見られているのかを、常に非常に気にかけている癖に、利害が生じる朝鮮人(多くの場合は韓国人)の事となると、途端に視野が狭く、良くも悪しくも独善的にしか観る事ができなくなってしまう。在日朝鮮人の場合は、彼等を「差別され、抑圧されている少数民族」と考えるのは、間違いである。彼等は決して、少数ゆえの弱者などではなく、声の大きい、横柄な、主に許可も得ていない居候みたいな輩である。私は個人的には朝鮮民族が大嫌いである。100年ほど前の朝鮮は、大日本帝國の力に頼って清国から独立させて貰ったはいいが、独立国の経験が一切なく、新たな独立国としては、よちよち歩きの大韓帝国は、結局は経済破綻してしまい、どの国からも厄介者扱いされていた。その状況で、朝鮮人たちは、「日韓併合」を四度も懇願してきて、日本が大韓帝国の借金を全部肩代わりして、然も、日本自体が未だ未だ貧しかった中から、毎年国家予算の20〜30%も朝鮮の近代化の為に資本投下して、未開な原始的生活を送る朝鮮人を、一端(いっぱし)の文明国に教育してあげた

西洋医学を導入した近代的病院や、一般庶民の為には一校も無かった学校も、日本国民の血税で何千校も建ててあげた。当時の朝鮮の開明的指導者たちが望んだ以上の平和的な統治を、大日本帝國はした。朝鮮総督府には多くの朝鮮人が採用され、日本人と朝鮮人は、共に手を携えて朝鮮の近代化に努力した。日本の敗戦により朝鮮総督府が解体されるまでの35年間で、朝鮮人庶民の識字率は0%から67%に向上し、人口も平均寿命も倍増した。一般に当時の識字率は4%ほどあったと様々な書物に書いてあるが、それは両班と言われる特権階級が漢文を読み書きできた分を計算に入れた数字である。一般庶民は100%の文盲と言って間違いない。両班は6〜8%いたが、両班にも文盲がいた事を統計が示している事は余り語られていない。白人たちに植民地統治された国では、原住民の為の学校や病院などを建設した例は皆無である。それどころか、インドを統治した英国人は、優れた若者を見つけると、学業を続けられないように片手首、或いは、両手首を切断するという、残酷な統治をした。将来、知恵をつけて反抗されると困るから、無知蒙昧のままにしておく方が、奴隷的使役には好都合だからだ。朝鮮は日本に、このような白人式の残虐な植民地統治をされず、朝鮮人の強い懇願により、平和的に、条約によって「併合」されたのである。つまり、日本人は朝鮮人を同胞として迎えた。日本人と同等に処遇したのである。日本人が「戦後教育」で教えられるように、武力により朝鮮を植民地搾取したのでは断じてない。

明治天皇は、朝鮮の王族に対して大変な気遣いのお心を示され、朝鮮の王族は日本の準皇族として処遇された。日本の皇族が朝鮮の王族に嫁いだ例もあるくらいだ。併し、多くの両班と言われる、それまでの支配層は、併合により、それまで享受していた特権的生活を失ない、多くは一般庶民と同じ扱いを受ける事に反感を抱き、日本の統治を好ましく思わない者もいただろう。日本式統治は、朝鮮の激しい身分差別や地域差別、女性蔑視を禁じ、日常茶飯に行なわれていた拷問を禁じ、近親相姦を禁じ、それまで一軒も無かった一般国民の為の学校を物凄い勢いで建て、近代的病院を建て、幹線道路や橋やダムを建設した。それまでの朝鮮には無かった、貨幣経済を導入し、度量衡を定め、日本式灌漑設備の導入は朝鮮のコメの収穫量を一気に三倍にまで伸ばした。それにより、朝鮮から飢餓が一掃された。未開の朝鮮は、日本により急速に近代化されていったのである。商店すらなかった不毛の地に、日本人は百貨店まで建ててあげた。その資金は全て日本国民の血税で賄われた。併合前に大韓帝国が外国から借りまくって、返済できなくなった借金を全て日本が返済した上での資本投下であるから、未だ貧しかった当時の日本も大変であった。

大日本帝國が、嘗ての朝鮮の宗主国である清国よりも、ロシア帝國よりも強い時代は、朝鮮人は自ら日本人を慕い、従順だった。あの慈愛に満ちた日本式の統治により、初めて文化・文明を与えられ、それを存分に享受して、大喜びして、日本人として天皇陛下への忠誠を誓った朝鮮人は、挙って倍率の高い日本兵となるべく志願に殺到した。朝鮮人日本兵は、殆んど最前線には送られず、主に捕虜を管理するという安全な職務に就かされた。朝鮮人は過酷に差別されるどころか、一般の日本兵より優遇されていたのである。朝鮮人は強い者には恭順し、弱い者に対しては見下し、横柄な態度をとる、という民族特有の悪い性格を持っていた。戦後解放された外国人捕虜が「日本兵に虐待された」というのは、殆んど日本人にではなく、朝鮮人日本兵が威張り散らした結果である。外国人捕虜には、日本人と朝鮮人の区別はつかない。

そういう民族性を持った朝鮮人は、日本が大東亜戦争に敗れた途端に、日本を見下すようになり、米占領軍が「朝鮮人民を日本から解放する」などと言ったものだから、それに乗じて、「自分たちは日本人に奴隷的に植民地搾取されていた」などと言い出し、今まで共に戦っていた我々のご先祖に対して、昨日まで従順だった朝鮮人たちは、一夜にして突然、鬼畜の如き蛮行を働くケモノに変貌した。この朝鮮人の民族的特性を「事大主義」であると、現代の日本人は無理矢理理解しているが、当時の朝鮮半島に暮らしていた普通の日本人や、満州などからの引揚者として、朝鮮半島を通過しようとした、一般庶民である日本人には、朝鮮人が唐突にケモノの如く日本人に襲いかかるという変貌ぶりは到底理解できない事であった。「事大主義」などという簡単な言葉で片付けられはしない。只のケモノである。昨日まで同胞であり、友人であった朝鮮人が突然ケモノに変貌したのである。現在の韓国人は日本を虚偽で「性奴隷国家」などと貶めるが、朝鮮人こそが、「民族的強姦魔」なのである。今の韓国人は、男の多くはDVを働き、女の多くは実に安易に身体を売る。ひと昔前、日本人女性は米国人から「Yellow Cab」(金さえ払えば誰でも乗せるタクシー)と揶揄されていたが、実は売春目的で米国に渡った韓国女が、片言の日本語を喋って、日本女性に成り済ましていたのである。今でも、米国の買春犯罪には、韓国の男女が組織的に日本人に成り済まして、大勢検挙されている。

当時、自由意志で日本に渡航してきた在日一世たちも、我々の祖父母や曾祖父母に、筆舌に尽くし難い所業を働いた。そんな、人として許されない罪を犯しておきながら、現在に至るも知らん顔を決め込み、有ろう事か、日本人に酷い目に遭わされたなどと嘘をつく朝鮮人を、私は断じて許せない。日本軍に強制連行されてきたなどと嘘をついているが、自由意志で渡航してきた今の日本に暮らす朝鮮人は、例外なく本人の意志で不当に居座っているのである。それも、敗戦のどさくさに紛れて、日本人所有の土地家屋に図々しく居座ったのである。敗戦で無力化された警察に訴えても、「ここ私の家」などと叫ぶ朝鮮人を排除する事はできなかった。泣き寝入りである。それが在日と呼ばれる朝鮮人の本性なのである。本当に嫌がるのに無理矢理強制連行されてきたのなら、日本の敗戦後になぜ帰国せずに、在日六世になるまで日本に棲んでいるのか? 何よりも、大勢が志願して日本兵になり、日本人と共に戦ったのに、日本が敗戦を迎えた途端に、戦友だった事は忘れて、日本の先人の慈愛に満ちた統治を「過酷で奴隷的な植民地搾取だった」などと大嘘をつき、更に、在日も「日本軍に強制連行されてきた」などと嘘をついて現在に至っている。こんな事を事勿れ主義で追認する日本政府は間違っている。

朝鮮人は日本が米国に統治されていた、所謂「弱者」の地位に甘んじていた時は、凶暴性を発揮して悪徳の限りを尽くし、日本が独立すると、今度は「被害者ビジネス」を始めた。言い出したら、切りが無いほど朝鮮人は嘘をつき続けているのである。そして日本人に対しては、限りなく図々しく、迷惑で、然も残虐な民族である。そういう日本人と朝鮮民族の関係の真実を、殆んど何も知らない外国人は、朝鮮民族…と言っても、今は主に北と南に分かれて暮らしている朝鮮半島の朝鮮人を、果たしてどう観ているのだろうか? 外国人と言った場合、その種類は実に様々である。人類は現在、200弱にも及ぶ国々に別れて暮らしている。併し、所謂外国人をよく見ると、実は大雑把に三種類に分ける事ができる。「戦後教育」の歴史を誠実に学んだ人から見れば、余りにも乱暴な分類に見えるかも知れないが、一度、教え込まれた知識を一旦忘れて、従来の分け隔てを捨てた目で、見詰め直して、読んでいただきたい。

大雑把に三種類に分けられる外国人の見方とは、以下の通りの分類である。
1)支配民族、2)被支配民族、3)支配者、被支配者の何れにも属さない民族
単純にこの三つの範疇に詰め込むには無理があるのは重々承知であるが、話を単純化した方が、理解し易いので、このまま話を進める。

1)支配民族とは、大航海時代に世界各地に植民地をつくった、主に白人主要国と、支那大陸の各王朝を構成した民族であるが、今では漢民族である。旧ロシア帝國と旧ソ連、そして現在のロシアも支配民族である。
2)被支配民族とは、嘗ての亜細亜諸国や、中東、アフリカに住んでいた民族で、支配民族に植民地にされて搾取されたり、奴隷使役されたり、酷い場合は民族そのものが絶滅させられたりした。大昔のマヤ、アステカ、インカで文明を築いていた嘗て存在した民族や、白人が入植してくる前のアメリカ大陸にいた先住民族(白人にほぼ絶滅されたアメリカ・インディアン)、そして、支那大陸の時々の王朝に朝貢した民族も、この被支配民族と言える。また、チベット、東トルキスタン(新疆ウイグル自治区)、内モンゴル(正しくは、モンゴル南部)などは、漢民族により現在進行形で民族浄化の憂き目に遭っているし、満州人などは既に浄化され、消滅して、嘗て満州人が住んでいた地域には、今では朝鮮族が棲み着いている。
3)1と2のどちらにも属さない民族は極めて少なく、亜細亜ではシャム(現在のタイ)と日本、アフリカではエチオピア。その他は気候が厳しかったり、資源が乏しかったりして、植民地に適さない国々の人々である。

日本は、亜細亜では数少ない3の分類にいたが、白人からの外圧を経験して独力で欧米の文明を取り入れ、一時期は欧米列強に伍し、1の、支配民族になったが、結局は米国に潰されて、現在は2の、被支配民族の地位に甘んじている。「現在の日本は被支配民族ではない」との反論が聞こえてきそうだが、安全保障を米国に依存し、自力で国家主権を護れない状況では、米国に支配されている属領でしかない。その意味で、日本は明確に2に分類できる。朝鮮民族は、日清戦争の講和会議である1985年の下関条約から1910年の日韓併合までの15年間と大東亜戦争で日本(朝鮮を含む)の敗戦後に米国の軍政を解かれた1948年以降という、ごく短期間を除いて、一貫して2の分類にいた。支那は阿片戦争や日清戦争の敗戦を経験しているが、易姓革命により、王朝はその都度、民族ごと入れ換わりはしたが、長い目で観れば、現在の漢民族に至るまで支那を治めたそれぞれの民族は、1の、支配民族である。

極めて大雑把にではあるが、こうして分類してみると、主に1)の支配民族であった、欧米先進国から観た、日本と朝鮮は明らかに、今、韓国が主張しているように、日本が支配民族であった頃、現在の韓国を含む朝鮮半島の人たちを、被支配民族と看做していたと見られても、何も不思議ではない。「日韓併合」により、日本がどれほど朝鮮半島の発展に寄与し、世界史的に類例の無いほど、他民族である朝鮮民族に愛情を注ぎ、如何に一方的に尽くしてきたかは、先入観を捨てて、歴史を丹念に調べ直しでもしない限り、外国人には歴史の真実など到底理解できないだろう。韓国人が言うように、日本が朝鮮を過酷に植民地搾取したと言う虚偽の方が、殆んどの外国人から観れば、説得力があり、自然に受け容れ易いのである。だから、「追軍売春婦」を「性奴隷」などと偽る韓国の主張が、欧米豪などには、実にすんなりと受け容れられるのである。ヨーロッパでは、ナチスの悪辣さに比肩し得る日本の存在をドイツが必要としている為に、尚更、中共や韓国の捏造史観が歓迎される傾向がある。ドイツは、自分だけが悪者にされるのを避ける為に、何が何でも日本をドイツ以上に悪い国家と貶めておきたいのである。

日本が国際社会で誇りある主権国家に返り咲く為には、先ず第一に、日本自体が自力で国家防衛ができるようにならなければ、話にもならない。口先だけで何を言おうと、日本は「言葉と、それを実行する力(=軍事力)」という、両輪が備わっていて初めて機能する「外交」の片輪(軍事力)を持っていない為、例えば、北朝鮮に国民を拉致されても、「口頭による抗議」か「返してくれるようお願いする」しか手段を持たない。外交手段の片腕をもがれた、謂わば「弱い国」の日本が、外交交渉で、中共と韓国による嘘による日本貶めを跳ね返すのが、どれほど困難を極めるかは、上述のような分類をして見ると、改めて、その困難さが際立って理解できるだろう。

従来の日本による、中韓の反日プロパガンダとの戦い方には、「外国人の視点という、極めて日本には不利な視点」が欠けており、日本人は日本人同士でしか通用しない「性善説」に近い感覚で、「一生懸命になって説明すれば分かって貰える筈だ」という、言って見れば、極めて甘い考え方を基にして、悪意ある反日プロパガンダに対抗してきたのである。理不尽に奪われた「北方領土」も、「竹島」も、半ば奪われてしまっている「尖閣諸島」も、日本が口先だけで何を言おうと、何れも軍事力で奪われたか、これから軍事力で奪おうとしている国には馬耳東風なのである。既に武力で手に入れた領土は勿論、これから武力で領土を奪おうとしている国を相手に、言葉だけで盗まれた領土を取り返したり、これから侵略しようとする国を、言葉だけで制止する事はできない。上の分類で、支配者の地位にいた旧ロシア帝国を受け継いだ現ロシアは、今は被支配者の地位に甘んじている旧大日本帝国の成れの果てである現日本に、日露戦争で敗れた辱しめは、民族的に絶対に忘れてはいない。普段は親日的な顔を見せるロシア国民も、領土問題となると、日露戦争敗戦の屈辱感が蘇ってくるという。安倍首相とプーチン大統領の個人的関係を、幾ら強めたところで「北方領土」は口先の交渉では、決して返しては貰えない。精々、莫大な経済支援と引き換えで、小さな島2つを共同統治しようと言われるのが関の山であろう。

外国人の視点(=相手の立場に立った視点)と日本人のみの視点という、天と地の開きがあるほどに不利な日本が置かれている状況を、予め理解して戦略的に対抗しなければ、不利な土俵で、不利な戦いを強いられ、結果的に敗れるのは当然である。況してや、日本人はその場の「空気」に極めて弱い。外国人たちが持つ先入観を過敏に感じ取り、自ら負けてしまうひ弱な傾向が日本人は国民性として持っている。冤罪を進んで認めるという、他国では信じ難い売国行為を、数多くの日本人自らが演じるのは、こんな、交渉相手が醸し出す「空気」を忖度する日本人の悪しき国民性に由来するのではないだろうか? このひ弱な国民性に、未だ脱却できない「東京裁判史観」が覆い被さっているのである。この視点で見直してみれば、幾ら経済大国になったからといって、戦後の国際社会で一方的に不利な立場に置かれている日本は、それでも良く頑張っている方だと言える。

1に分類した支配民族とは、例え優秀であっても、日本人の感覚としては理解が及ばないほどに、人としては実に冷酷で残虐なケモノ性を剥き出しにして、支配者の地位を獲得した。1の支配民族から、2の被支配民族に脱落した日本人は、幸いにも支配者に必要な、冷酷さ、残虐さを民族性として持ち合わせていなかった。だから、「南京大虐殺」など無かった事は、日本人なら直感的に、肌感覚として分かる。朝鮮人が並べ立てる嘘八百の数々も、日本人なら偽りだと直ぐに分かる。肝心なのは、日本人が彼等の嘘を簡単に見抜けたからといって、多くの外国人には、先ずその嘘は見抜けないという現実である。諸外国は、これからも中共や韓国の反日プロパガンダに騙され続け、日本の反論は、単なる言い訳としか受け取られない。日本はこの、不利な現実を直視し、一刻も早くこの状況を覆さなければならない。

論理的に考えれば、答えは簡単である。独りよがりの性善説を捨て、相手が醸し出す「空気」の忖度をやめ、「東京裁判史観」から脱却し、有効な軍事力を保有する。 …これに尽きるのである。愚かな国ではあるが北朝鮮の軍事的台頭と、アメリカ・ファーストを唱えるトランプ米大統領の登場は、国際社会の在り方を根本から変えるかも知れない。まだまだ国際社会全体はグローバリズムを良しとする傾向にあるが、ナショナリズムが急速に台頭し始めている。さながら巨大なバネが収縮して弾ける力を溜め込んでいるように、ナショナリズムは一気に弾ける時を待っている。私は常々、グローバリズム的傾向は、ここまで世界が狭くなると、ある程度は避けられないと感じていたが、グローバリズムに健全という言葉は不適切かもしれないが、敢えて言えば、健全なグローバリズムは健全なナショナリズムの集合体としての一線を超えてはならないと考えている。「世界統一」とか、「世界市民」などというものは、傲慢なグローバリストと、現実を直視できない愚かな理想主義者の妄想にとどめておいて欲しい。

米国ワシントンで30年近く生活されている、国際政治学者の伊藤貫氏は、常々、米国は、「例え韓国の核武装は許しはしても、日本にだけは絶対に核を持たせない」と言うのが、米国ワシントンの、CIA、国防総省、国務省、ホワイトハウスの動かぬ方針だと言い続けてこられた。私も、恐らくその通りなのだろうと考えてきた。ロシアのプーチン大統領も、「日本が核開発を始めたら日本列島を海に沈める」と宣言してきた。これが、所謂「戦勝国クラブ」の常識であった。併し、「常識は時代と共に変遷する」と言うのが私の持論である。核武装についても、私の持論が適用される機運が高まってきているようだ。米国は北朝鮮の核武装を、もはや事実上やめさせる事はできない事を既に悟っている。中共の軍事費の増強も、米国にとっては重荷になりつつある。そこで、トランプ政権には、東亜細亜の軍事バランスの重石に日本を活用しよう、と言う選択肢が見えてきたようだ。日本に戦術核を配備させようと言う、今までには考えられなかった米国の方針転換である。トランプ政権に近い民間有力者から、それらしき観測気球が、既に幾つも上がっている。

安倍政権は、この機を逃してはならない。先に述べた「独りよがりの性善説を捨て、相手が醸し出し出す「空気」の忖度をやめ、「東京裁判史観」から脱却し、有効な軍事力を保有する」という、日本が打破すべき四つの難問の最後の難関の扉が、期せずして、今、開こうとしているのである。日本の核武装とは、事実上、自衛隊の国軍化を意味する。白洲次郎は、戦前戦中と戦後の日本国民の変貌ぶりを見て、「日本人には自分がない」と嘆いた。要するに、日本人は周りを支配する「空気」により如何様にも変わると評したのである。表層的に理解すれば、投げやりの諦観から出た言葉に聞こえるが、白洲は「空気」が変われば、日本はまた、敗戦直後の臆病者から全く逆方向にも変わり得るのだと言ったとも考えられる。今の国際社会は、戦後世界秩序一辺倒の「空気」が変わる前触れを示している。その波に乗り遅れさえしなければ、日本が「充実した真の主権国家」に返り咲く事も、決して不可能ではない。だからこそ、今論じるべきは「一部改憲」などではなく、「原稿憲法を破棄」した上での「自主憲法制定」、若しくは「自然法、習慣法への回帰」なのである。今回のBlog更新の趣旨から外れるので、この件に関しては、別途、論考する機会をつくる。

冒頭の朝鮮民族論に話を戻すが、他人事と考えれば、朝鮮人ほどけったいで、嗤える民族はいない。彼等が「特別な存在」である事に、国際社会は気付くべきである。自分の国の歴史を全然知らない癖に、「歴史を直視せよ」と言ったり、中共の「真実とは懸け離れた、中国四千年の歴史」に対抗して、「韓国半万年の歴史」と言ってみたり。やたらと韓国起源説を唱えて、「端午の節句」や「活版印刷」を発明したのは自分たちだと言って支那人を怒らせたり、英国人の起源は韓国にあり、英国人は元々は韓国人で、サッカー発祥の地も実は韓国だという。ピザやパスタも韓国発祥で、日本の伝統文化は殆んど全て韓国起源だとも言う。それが全部本気なのだから恐れ入る。創立者本人が日本の空手を真似たと言っていたのに、いつの間にか五輪種目にテコンドーを、韓国独自の武術と偽って加えてしまった。日本独自の剣道も韓国の侍(サブラビ)が始めた剣道(クムド)だと言って、世界各地に堂々と道場を開いている。韓国の歴史を観れば、侍や武道家など全くいなかったのは疑いようがない。最近、折り紙も韓国文化だと言い始めて国家目標として官民挙げての活動を始めもした。茶道、華道、柔道、空手、剣道も皆、韓国発祥。寿司も桜もみんな韓国。真実味を持たせる為にYouTubeを活用したが、韓国伝統茶道の茶道具はステンレスポットを使うという間抜けぶり。

サッカーW杯の日本開催が決まると、日韓共催にしろと捻じ込んで実現させてしまい、イカサマとファウルのし放題で強豪国から総スカンを喰らっても我関せず。そこで、日本サポーターがスタンドのゴミを持ち帰って評判になれば、スタジアムのゴミ拾いは韓国サポーターが始めたと、せっせとゴミ拾いをしてみせるが、誰も褒めてあげないと、知らぬ間に元のゴミだらけのスタンドに戻ってしまう。日本が東京五輪を招致すると聞けば、官民挙げて、子供まで動員して妨害する。その癖、平昌と東京の五輪は一緒に成功させましょうと真顔で政府高官が擦り寄ってくる。通貨スワップは誰がみても韓国の危なげな経済を破綻させない為のものだったが、韓国人は日本の為にしてあげたのだと胸を張って言う。何度も日本に経済支援されながら、三度の経済破綻で日本は一度も助けてくれなかったと言う。
 
日本の津波被害を子供のように大喜びして、YouTubeでは歓喜の祝福動画が溢れ、何とソウルの市庁舎を巨大な津波型に新規建設してしまう。そんな不謹慎で非道徳的な国家が他にあるだろうか? 3.11直後には(TSUTAYAも怪しからんが)TSUTAYAの棚には韓国の津波ドラマが目白押し。何よりも、自ら懇願し続けて実現した「日韓併合」を、米国の悪知恵に乗ったとは言え「過酷な植民地搾取」で、在りもしなかった朝鮮の産業を奪ったと言う。朝日新聞の植村隆と在日の福島瑞穂に「従軍慰安婦」と言う言葉を教えられると「従軍慰安婦」と言い、戸塚悦郎に「性奴隷」と耳打ちされると「性奴隷」と騒ぎ、「性奴隷」を「平和の少女像」に変えたのは見事なオリジナルの嘘だが、それをまた「強制連行された性奴隷」と呼ぶ。韓国にとって「性奴隷」騒動は、もはや国民的娯楽と化し、本当は朝鮮戦争時の売春婦だった「偽日本軍性奴隷の嘘つき婆さん」はそっちのけである。旧日本軍が若い娘や妹を強制連行する蛮行を、朝鮮人男性が無抵抗で見ていたという恥ずかしい矛盾は、国民全員がスルーできてしまうところが、いつもながら凄い。

最後は何と言っても、糞尿文化。日本大使館には「その場で」ペットボトルに器用に脱糞し、投げ込んで抗議の奇声をあげる。未だに人糞に漬け込んだ漬物を喰い、人糞が原料の酒を密かに嗜む。人糞酒の肴は人糞の漬物の他に、殺す前に美味くなるように直前まで苦しませ虐め抜いた犬猫をナマで喰らう。韓国ご自慢の韓国海苔にはトイレットペーパーが混じり込んでいる場合がある。韓国人はそれを平気で食べる。食中毒にすらならない。本当は日本の日清食品の前身とも言える安藤百福氏という日本人の発明なのだが、即席ラーメンは韓国では韓国人が発明した事になっている。その中の一番の売筋「辛ラーメン」には、度々ウジが湧いている。 …まだまだあるが、ここまで色々資料に目を通しているうちに気分が悪くなってきた。要するに、「朝鮮民族とはヒトに非ず」、なのである。日本人の立場を離れて、外国人の目で客観的に見ても、やはり「朝鮮民族とは、ヒトに非ず」、である。ではいったい何者なのか? …今回はやめておこう。

今の日本は間違いなく主権国家ではなく、米国の属領でしかない。戦後の日本国民は、私に言わせればごく一部の「英勇的な、はみ出し者」を例外として、殆んど総ての者が、この現実に気付きもせず、世過ぎ身過ぎに追われて日々を送って生涯を終える。アカデミズムの一員や評論家などという所謂「識者」たちの中には、日本が置かれている危機的状況に気付いている者もいるのだろうが、彼等は生活の為に、「特定の真実」についてだけは、語る事を恣意的に避けている。歴史学者や大学教授は勿論の事、日本では無責任な発言で名を売る評論家や、日本の在り方を変える権力を託された政治家までも皆、「在日朝鮮人に国の中枢を半ば支配されている現実の打破を訴える」どころか、この現実を批判的に発言する事さえも憚かる腑抜け者ばかりなのである。


戦後の日本では、とにかく朝鮮人を批判的に言うのは厳然たるタブーと化している。形振り構わぬ反日侮日に邁進する在日朝鮮人と、彼等の母国韓国に対して、日本人は何故これほど腫れ物に触るような特別扱いをするのだろうか? 在日一世は日本に強制連行などされてきた訳でもないのに、未だに自分たちは強制連行されてきたと嘘を突き続けている。20141114日のNHK「ニュースウォッチ9」の元キャスター兼編集責任者の大越健介氏(在日)は、嘗て堂々と番組中で、「在日コリアン1世は、韓国併合後に強制的に連れてこられた」と堂々と嘘をついた。明らかなる冤罪である「慰安婦強制連行」も河野洋平(当時)官房長官が認めてしまった為に、韓国人は日本を「性奴隷国家」と世界中に言い触らし、至る所に「売春婦像」を建てまくっている。


駐韓日本大使館前に「売春婦像」を建てられた段階で、そんな物を撤去するまで大使を召還し、「売春婦像」を撤去するまで、大使を帰任させなければ良いのに、日本は「遺憾の意を表明」しただけであった。毎週水曜日には日本大使館前で「性奴隷抗議集会」を開かれても、ただひたすら我慢し続ける日本政府の対応は、余りにも事勿れ主義の腑抜けた対応である。大使館の尊厳を護る「ウィーン条約違反」は明確であるのに、条約の存在を韓国政府に指摘すらしない。「実際の行為は民間がやっている事」だとの韓国政府の言い訳は通らない。韓国政府には駐韓大使館の尊厳を護る責任があるのに、その責任を全うせず「民間がやっている事」だとの、通らない筈の「逃げ口上」を日本政府は認めてしまっている。日本政府は「朝鮮民族に握られてもいない弱味を握られているかのよう」な対応を、戦後ずっと続けてきた。


実際、自民党議員を中心に、ODA利権やハニー・トラップに嵌った政治家は大勢いるようだが、長年政権政党の座に就いている自民党所属議員の総てが、在日朝鮮人や韓国に対して、一言の言葉も返せず、彼等の横暴をやめさせようともしないのは、一体どうしてなのであろうか? 平成2381日には、自民党の新藤義孝衆議院議員、稲田朋美衆議院議員、佐藤正久参議院議員が、韓国の鬱陵島等を視察しようとしたが、ソウルの金浦空港に於いて、韓国側より韓国出入国法に基づき入国を認められない旨を通知された。韓国への入国は単なる視察目的であり、且つ合法的な手続を踏んでいるにも関わらず、我が国の国会議員に対してこのような措置が取られた事に、我が国は外交ルートを通じて口頭抗議しただけである。入国拒否をされた自民党の国会議員三人には、韓国側からは入国拒否の法的根拠の充分な説明も未だに為されないままになっている。その後、韓国からは韓国の国会議員が堂々と何回も日本への入国を許されている。日本の国会議員の入国拒否などまるで無かったかのようである。


河野洋平(当時)官房長官の売国談話を取り消しもせず、小泉・村山両首相の自虐談話を踏襲すると国際社会に宣言した安倍首相は、冤罪を二重三重どころか四重五重に認めるに等しい「日韓慰安婦合意」を(口頭とは言え)取り交わし、先人に負わされた冤罪に対して、全く必要の無い「謝罪と賠償」をまたも繰り返してしまった。「不可逆的」なる聞き慣れない言葉を用いて、「謝るのはこれで最後だぞ」と韓国に約束させたという。韓国が国と国との約束を守れないと見越した上での「日韓慰安婦合意」なのだから、これを「安倍政権の外交勝利だ」などと言う、愚かな評論家が何人もいるのは信じ難い事である。日頃から立派な評論をする事で、私も尊敬している櫻井よしこ氏も、「日韓慰安婦合意」を安倍首相の外交勝利だと褒め讃えている。「不可逆的」な国家同士の約束を反故にして、この問題を蒸し返そうとする韓国は、実際に櫻井よしこ氏が指摘した通り、国際社会からの信用を落としてはいるが、韓国を貶めたところで、日本が何度も冤罪を認めた損失は計り知れない。「冤罪を晴らしたい」のか、「韓国を貶めたい」のか、日本は本来の目的さえも見失なった外交をしている事に気付いてもいない。


「度重なる日本政府の不必要な謝罪や、名目を変えた実質的な賠償金の支払い」に追加して交わされた「日韓慰安婦合意」により、日本の為に散華された英霊と、ご苦労の末に生還された旧日本兵の方々の名誉は穢され放題である。それにも増して、外国で暮らす日本人の子供たちが、日本政府の愚か過ぎる自虐外交のせいで、どれだけ故無き虐めに遭っているかを考えようともしない政治家と評論家の無責任な想像力欠如は白痴的と言っても過言ではない。韓国の道徳観の欠如としか思えない、国家的民族的被害者詐欺行為を助長しているのは、こういう日本という国家の誤った歴史観に歪められた行為なのだという事に、為政者たる者気付くべきであるし、地に落ちた先人の名誉を一刻も早く取り戻す行動を起こさねばならない。今のままでは、心ある民間の研究者が、「慰安婦の強制連行など無かった」、「慰安婦は高給取りの追軍売春婦であった」と研究成果を幾ら発表しても、肝心の日本政府が謝罪や実質的賠償を繰り返すのだから、何をか言わんやである。河野、小泉、村山の売国奴たちと並んで、安倍晋三という政治家の歴史観・国家観を疑わざるを得ない。


1999年に日本でも公開されたハリウッド映画に「ダブル・ジョパディ(Double Jeopardy)」と言うのがあった。これは「一事不再理」という「一度有罪判決を受けた者は、同じ事案では二度と裁かれない」という、米国の法律を逆手にとった実に良く考え抜かれた復讐劇である。実際、面白い娯楽映画であったが、我が国の売国姿勢に当て嵌めて考えると、面白かったなどと呑気な事は言ってはいられない。我が日本の恥ずべき現行憲法の第39条でも、「何人も、既に無罪とされた行為については、 刑事上の責任を問はれない。 又、 同一の犯罪について、 重ねて刑事上の責任を問はれない」と謳っている。安倍政権は、存在自体が馬鹿ばかしい、この「日本国憲法」の改憲を目指しているが、これから改憲しようという「日本国憲法」の、「二重処罰の禁止」という概念すら理解していないと非難されても仕方あるまい。我が国が被っている冤罪に対して、「これが最後だ」と言って、一体何回謝罪し、幾らカネを払えば気が済むのだろうか?


日本を「道徳的に劣る国」だとの、特亜三国が望む誤った既成事実など、日本人として看過すべきではない事は言うまでもない。この日本に生まれた以上、この国の歴史と自分の生き方にだけは、誇りを失なってはならないと思うのが、日本人ではないだろうか? 米国の属領の状態を変えようとしない日本は、面と向かってこそどの国からも言われはしないが、本心では半人前の国家、米国の子分と見做されている。そんな風に見下されたまま、子供たちや孫たちにこの国を受け継がせるなど、私は絶対にあってはならない事だと思う。この国の在り方を変えようとしたところで、私ひとりにできる事など無きに等しいが、「継続は力なり」と言うではないか。気力と体力が続く限り、私は信念に基づく主張を続けて行きたい。この考えに同意してくれる日本人は、実際は大勢いると思う。


今の私を突き動かしている力は、百歳近くまで長生きした、今は亡き父の最晩年の一言である。「つい昨日まで、未だ未だ若いと思っていたのに、気がついたら、こんな爺じいになっていた」、誰に言うでもなく、ぽつんと呟いた父の言葉に私は衝撃を受けた。人生は短い。人間の生涯など一瞬で過ぎ去ってしまう。人によって受け止め方はそれぞれだろうが、善良でごく普通に、誠実に生きた人間にとって、生涯の終わりに感じる事は「自分が生きてきた人生を省みて、実にあっという間に過ぎ去ってしまったものだ」という、切ない真実であるのだと私は思い知らされた。年寄りの説教じみた事を、敢えて言わせていただくが、今の若い人には、何ものにも代え難い「若さ」を思う存分に、後悔しないように、活かし切っていただきたい。若い時期を無為に過ごす行為は、この世に産み出してくれたご両親と自らに対する罪である。


数十年も経った今でも、私は父のあの言葉を思い出さない日はない。だから今の私が、この国の在り方について、あれこれ理屈を捏ねる原動力となっているのは、間違いなく、あの時の父の言葉なのだと思う。あれ以来、「それまで自分が好き好んで選択し、専門としてきた分野は、果たして日本人にとってどれほど有意義と言えるだろうか?」という疑問が払拭できないまま悶々としていた。いい歳をして、いきなり、それまで打ち込んできた、職業としての専門分野を変える事は、責任ある男として軽々にするべき事ではないのは言うまでもない。併し、そういう言い訳で、自分を誤魔化して生きるのは、前述の、「生活の為の保身で、真実を語らない腑抜けた識者や評論家、政治家たち」と同じではないか。私は、日本の恥ずべき現状、日本の悪いところを、これからも徹底的に指摘し続ける事で、日本人の覚醒を促して行きたい。


平昌五輪では、竹島が描かれた南北朝鮮の統一旗が使われるというが、我が国の対応は十年一日の如く、言葉による虚しい抗議だけである。国が本気で自らの領土領海を取り返す気概が無いから、抗議したという事実を以って、この理不尽な統一旗問題は終わりである。「抗議した」という言い訳は立派につくったと言う訳である。長年、血の滲むような努力を続けられた選手の方々には耐え難いものだろうが、日本が本気で竹島の領有を主張するなら、開催国のそのような理不尽は、口頭での抗議だけに留めずに、迷う事なく出場ボイコットという行動を起こすべきである。戦後の日本は、「可は可、不可は不可」という、国家としての意思表示を一貫して避けてきた。勿論、口頭や文書での抗議なら何回もしてきたが、「武力以外にできる事は何でもする」という、国家としての毅然たる意思表示は一貫して避けてきた。


敗戦後以来の日本は、臆病な事勿れ主義に徹し過ぎている。嘘や偽善に目を瞑る事になんの痛痒も感じない国家に成り果ててしまった。一切の反論すら許されなかった、あの忌まわしい「東京裁判」に於いて問われた冤罪である、所謂「南京大虐殺」が、当時の南京市民総数の二倍にもなる40万人の犠牲者数を出したとして、中共により、UNESCOの世界記憶遺産とされた時も、中共に反論するどころか、UNESCOに対してだけ「分担金支払いを検討する」と、口頭で脅しただけで、結局はその分担金も、後から平然と支払うのである。これから登録申請を控えている、日本各地の世界遺産候補はたくさんある。UNESCOに世界遺産として登録されるのと、されないのとでは、地域住民の誇りや経済効果は全く違うだろう。併し、護り通すべき国家・民族の誇りを捨ててまで、世界遺産を増やして何になるというのだろうか? 今の日本と日本国民は、日本人としても「誇り」とか「名誉」の大切さを、余りにも簡単に投げ打ってしまう誤ちに思いを致すべきである。


国の為に散華された先人の魂が帰還されているという靖國神社への、首相を始めとした重要閣僚の参拝には、毎年決まって韓国と中共が猛抗議してくるという理由で、安倍首相は(私の記憶では)首相に就任されてから靖國神社への参拝を、外交的配慮の名の下にしていない。北朝鮮の核ミサイル開発問題で日米韓が共に力を合わせる必要に迫られている今の状況では、米国が日韓協調を求めてくるのは当然としても、そもそも何故、「靖國参拝が政治問題化したのか」を真摯に考える必要がある。実にくだらない理由から「靖國参拝」は政治問題化された。先ず、三木武夫(当時)首相が「私的参拝」などと言う必要のない言い訳をした為に、朝日新聞が中共にご注進報道をしたのが発端である。その後、中共の胡耀邦(当時)国家主席が、日本への弱腰外交を非難されないように、中曽根康弘(当時)首相が「靖國神社への参拝を自粛」した。「靖國参拝」を先頭だって政治問題化させたのは、例によって朝日新聞であるが、三木武夫、中曽根康弘の両首相の軽率な発言と行動の責任は決して少なくは無い。


その時点では既に、日本は国会で全会一致で、所謂「A級戦犯」の罪を赦免し、戦勝国総てを回って「A級戦犯の法的赦免」に賛同を得ていた。朝日新聞が騒ぎ、三木武夫首相が失言をし、中曽根康弘首相が胡耀邦中共主席に配慮した段階で、日本には所謂「A級戦犯」なる犯罪者は存在しなかったのである。更に、マスメディアはひた隠しにしているが、ブッシュJr.(当時)米大統領が日本訪問に際して、小泉純一郎(当時)首相と「靖國神社に共に参拝してもいい」との申し出をしてきたにも関わらず、外務省の所謂チャイナスクールたちが、「とんでもない」と断わってしまったという事実もある。この事実は、当然、小泉首相にも伝わった筈だが、彼も外務省の意見に従って、ブッシュ米大統領には明治神宮に参拝していただくという歴史的大失態を演じた。日米両首脳が共に靖國神社に参拝していれば、朝日新聞がどう騒ごうが、首相・閣僚の靖國神社参拝の政治問題化は、今とは全く異なった様相を呈していただろう。


信頼の置ける複数の情報によれば、小泉純一郎氏は日本国籍朝鮮人である。朝鮮民族とは、例え日本に帰化しても、一世にとどまらず、二世・三世~五世・六世になっても、所詮は朝鮮民族で、日本に好感など決して持ちはしない。その意味では、自民党のホープ的存在と持て囃されている小泉進次郎氏も要注意人物である。小泉進次郎氏は、信念なき渡鳥政治屋、小池百合子氏が「希望の党」を立ち上げた直後の自民党が苦しい時に、自民党を散々貶(けな)して、街頭で喝采を浴びていた人物である。如何にも朝鮮人らしいではないか? 朝鮮民族ならずとも、こういう人物に日本を任せてはいけない。公にされてはいないが、戦後の日本国 内閣総理大臣で、日本国籍朝鮮人と言われている人物は大勢いる。実は生粋の日本人の方が極めて少ないと知れば、呑気な日本人も事の重大性を無視できないだろう。


序でに言えば、石破茂、野田聖子の両氏も絶対に首相になどしてはならない人物である。野田聖子氏は中共に行っても、中共に言うべき領土問題や人権問題は一切口にせず、また、朝鮮人ヤクザの夫の子を米国人女性から卵子をカネで買い、体外受精で高齢出産している。韓国の統計によれば、朝鮮民族の半数近くは精神障害を持って生まれてくるが、野田氏のご子息も知能障害とダウン症だと言う。障がい者を貶めるつもりは更々無いが、野田氏の行為は余りにも身勝手で私は人間として容認できない。石破茂氏は、民族云々ではなく歴史観・国家観の欠如が政治家の要件を満たしていないから日本の首相には相応しくない。


野田聖子氏に対する評価で、誤解を避ける為に重ねて説明するが、障がい者を貶めたり、差別したりする気は、私には全く無い。嘗て、日本には「優生保護法」という法律が施行(しこう)されていた時期があった。立法された当時は、「劣性な日本人は予め生まれてこないようにした方が良い」と、そういう考え方が罷り通っていた時代であった。私が常々説いてきたように、常識とは、時代と共に変遷する。今の常識では「優生保護法」の考え方は明らかなる差別主義で間違っている。今、優生保護法の考え方を押し付けたら、障がい者施設に於ける大量殺人犯の在日朝鮮人ハン・ヨンイル(通名植松聖)なる畜生と同じである。誇りある日本人の端くれとして、私はハン・ヨンイルの考え方が狂っていると断言する。だから、野田聖子氏のご子息を問題視しているのではなく、人間としての野田聖子氏の身勝手さを嫌っているという事を強調したい。朝鮮人ヤクザの妻にして、カネにモノを言わせて母の座を手に入れた野田聖子氏の首相就任には絶対反対である所以である。


人生とは本当に短いものである。私は、父のあの言葉を聞いて以来、この短い人生で、自分は何を為すべきかを問い続けてきた。最終的な答えはまだまだ見つかってはいないが、あの言葉を聞いて以来、私は自分が追求してきた分野が、果たして日本人の為にどれほど役に立ってきたかを疑問視するようになった。そして、「歴史」と出会った。学ぶ環境にいた時は、歴史などつまらない学問だと思っていたが、歴史とは、真面目に勉強すればするほど、今の日本という国の在りようが間違っていると、嫌が上にも気付かされる、非常に大切な学問である。公教育では決して教えられない、自ら探求する者にしか理解できない、日本の有難さを知るようになり、この日本の為に余生を捧げようとの志を持つに至った。


日本が国家主権を失ったのは、今から七十数年前の大東亜戦争に敗戦した時からである。サンフランシスコ講和条約を結んで、占領軍が日本を去って、日本が国際社会に復帰した後も、日本は主権国家には戻らなかった。情けない事に、日本は自ら、米国に押し付けられた亡国憲法を有難く押し戴いて、日本を無力化した張本人である米国に軍隊を持てと促されても、亡国憲法を盾に断り続け、経済にのみ特化した歪な国家への発展を選んだ。自らを護ろうともしない日本は主権国家としての最低限の要件を満たしていない。そんな当たり前の事に、多くの日本国民は未だに気付いてもいない体たらくである。日本が正真正銘の主権国家に返り咲く為には、今ある「日本国憲法」を「破棄」するしか方法はない。これは断言できる。「軍隊無き国家など主権国家である筈がない」。主権侵害を排除する武力が無いでは、他国に生かされているだけの、風前の灯である。他国の胸先三寸で簡単に蹂躙されてしまう。


安倍首相は、所謂「保守層」の期待を一身に受けて、「現行憲法の改憲」を実現しようと努力されているようだが、そんな方法では、幾ら主権国家だと宣言しても、日本以外の国際社会は、日本の主権を尊重などしてはくれない。占領を解かれた直後から、在日朝鮮人たちに好き放題させてきた日本は、今では半ば以上を在日朝鮮人に支配されてしまっている。敵性外国人に国の中枢を明け渡したままでは、日本は決して甦りはしない。在日朝鮮人ではなくとも、例え生粋の日本人であっても単なる敗戦利得者の子孫には、この日本を復興させる事はできない。何故なら彼等は日本の行く末など何も案じてはいないのだから。在日朝鮮人に至っては、益々日本人に対する支配構造を盤石なものにしようと日夜画策し、その悪意を堂々と実行に移しているではないか。


主権国家の要件が「自国を独力で護れる軍事力を保持している事」であるのは、疑いようのない真実である。事実、北朝鮮の工作機関である朝鮮総連の存在と工作活動を許し、彼等の手引きの下、北朝鮮工作員に、この日本国内に於いて、大勢の日本国民を拉致されても、手も足も出せないという事実が、国家主権を侵害されても国民の生命すら護れない日本という国家が、主権国家ではないという事を如実に示しているではないか? 日本が軍隊さえ持っていたら、「北朝鮮による拉致事件」など決して起きなかった筈である。北朝鮮は、「日本の警察は滅多な事では発砲しない」、「日本は、例え国民が拉致されたという事が露呈しても、決して報復する力は無い」、という事を見透かされたからこそ「拉致事件」は起きたのである。「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、我らの安全と生存を保持しようと決意」しても、中共と韓国、北朝鮮などに、日本に対する「公正と信義」など微塵も無いのである。


百害あって一利なしの「亡国憲法」など、「一部改憲」したところで、日本はまともな国家になど生まれ変われはしない。「亡国憲法」など破棄するしか、これからの日本が、慌ただしく様々な価値観が転換しようとしている国際社会の荒波を乗り切って行く事はできない。安倍首相には、そんな簡単な現状認識もできないのであろうか? 「亡国憲法」に指一本触れようとしてこなかった、「自主憲法制定を党是とした、歴代自民党政権」よりは、改憲を訴えるだけ、安倍政権には救いがあるとは言え、現状認識が余りにも甘過ぎる。韓国贔屓が過ぎる安倍首相には、いい加減にここらで正気を取り戻して貰いたいものである。このままでは、日本は日本では無くなってしまう。必要な正しい憲法を制定し、正しい教育を復活させ、日本の中枢から朝鮮民族を排除し、政財界や法曹界、そして何より優先して教育界とマスメディア界を日本人の手に取り戻さない限り、今の日本に降り掛かる大国難は決して乗り切れはしない。


現行憲法の破棄を、非現実的だなどと否定する事しか頭に湧かない日本人には、日本を立て直し、波乱に向かう国際社会を乗り切る日本など絶対につくれはしない。「非現実的だなどという否定論」は、平時の戯論である。現状に不満のない愚か者の空論である。例え平時であっても、否定論から入っては、何事も成し得ない事は、大昔から変わらぬ普遍的事実である。私は、数年前は現行の「日本国憲法」を破棄して、「大日本國帝國憲法」を時間を掛けて改憲すれば良いと考えていた。併し、その考えは間違っていた。在日朝鮮人にここまで日本という国を荒らされてしまった今では、時間など掛けてはいられない。在日朝鮮人は日本人の精神的支えである皇室にまで潜り込もうとしている。また、今の皇室会議の委員たちの顔ぶれは絶望的である。このまま息を飲んで見守るだけでは、この日本は変質させられてしまう。日本が日本である本質的所以だけは、護り通さねばならない。


今から半世紀近く昔、三島由紀夫は、この日本を復興できるのは、政治家などではなく、本来は軍隊であるべき自衛隊だけであると信じて、東京都新宿区市ケ谷本村町の陸上自衛隊東部方面総監部の総監室に於いて割腹自刃を遂げた。自らの病と日本の行く末に絶望して自殺を遂げた老保守言論人とは本質の異なる自殺であった。「戒厳令」を敷く事で亡国憲法を停止できるのは、背水の陣を敷いた軍人のみである。併し、47年前の自衛隊は既に軍隊では無かった。檄を飛ばす事で理解を得ようとした三島に罵声を浴びせた自衛隊員たちに、三島は日本人の魂を遺すべく敢えて劇的な方法で自ら命を絶った。現行憲法は破棄するしかないと気付いた私は、あの時の三島の心情が理解できる気がする。憲法破棄や大日本帝国憲法を持ち出すと、「今まで改憲努力されてきた方々の努力を無にしてしまう」などと叱って観せる今時の保守言論人になど、絶対に日本は変えられはしないと確信する。


過激な憲法破棄という手法は、国際社会からは理解を得られず、日本国民は日本の魂を取り返す為の高い代償を支払う羽目になるだろう。新しい時代に則した「新しい平和憲法」が制定されるまでの「戒厳令」の期間中は、国際社会から厳しい経済制裁を受け、多くの国民が苦しむだろう。併し、それこそは「産みの苦しみ」である。「新しい本当の平和憲法」が、国際社会に受け容れられるまでの期間すら、その「産みの苦しみ」から逃げようとするようでは、本当の日本は再生し得ない。私には、今の日本の異常性の中で暮らす方が、ここでいう「産みの苦しみ」より余程つらく苦しい。今の異常な日本社会の方が、私が訴える「産みの苦しみの後にくる新生日本」より居心地が良いと、日本国民の総意が断ずるのならば、日本はこのまま滅びに向かうしかあるまい。「意志弱き民族」は「悪意強き外来民族」により、滅ぼされるべくして滅ぼされるのである。


忌まわしき「東京裁判史観」に歪められた「戦後教育」を、教えられるままに信奉し、歴史的のはころころ変わる価値観のひとつにしか過ぎない、今流行りの瞬間風速でしかない、「民族差別反対」や、「マイノリティ擁護」の美名の裏に隠された本質を見抜けずに、在日朝鮮人と日本国籍朝鮮人を、このまま野放しにして、好き放題させている限り、この日本は必然的に滅びる。「差別」されて当然の悪しき民族は確かにいる。日本にはそういう悪意を持った民族がうじゃうじゃ居座っているではないか? 私たちの祖父母や曾祖父母に対して鬼畜の蛮行を働き、その罪を償いもせず、日本に強引に居座って「被害者詐欺」を続ける在日朝鮮人や、帰化しても日本を憎み続ける日本国籍朝鮮人など、「差別」される原因をつくっているのは彼等の方である。真実は「日本人こそ被害者」なのである。私には、余りにも残された時間は少な過ぎるが、誤解を受ける事を恐れず、これからも信念に基づく主張を続けて行きたい。

日本人の気質を考える時、山本七平氏が1977年に文藝春秋から出版された「『空気』の研究」は欠かせない。ここで言う「空気」とは何か? それは、何かを決定する時も、後から振り返った時も、決して論理的とは言えないような決定をさせてしまう、「日本人を影で支配している力」の事である。私たち日本人は、常に「論理的判断の基準と、空気的判断の基準という」、一種のダブルスタンダードの下に生きている。ダブルスタンダードなら、支那人も欧米人も持っているが、彼等は「空気」に支配されたりはしない。彼等が持つ二重基準は「論理的判断基準と、欲望という感情的判断基準」である。そして、彼等は相反する判断基準の一方に支配されるどころか、寧ろ実に巧妙に使い分けて見せる。ある時は普遍的正義を語り、ある時は欲望の赴くまま行動する。我々日本人は彼等のダブルスタンダードには、歴史的に散々翻弄されてきた。

日本人と、支那人や欧米人とは全く別次元とも言える判断基準を持ち、それに支配されているのが朝鮮人である。ダブルスタンダードと言った場合、二つの判断基準は一般的に相反するものだが、朝鮮人には「論理的判断基準」と言うものは無く、彼等がいうところの「恨(はん)に穢れた判断基準と、妄想に基づく判断基準」しか無い。そして日本人が論理的判断基準とは相反する「空気に支配される」ように、朝鮮人は「恨と妄想」という、およそ論理とは掛け離れた、どちらも「感情的な判断基準」に支配されている。感情的判断基準とは相反する「論理的判断基準」というものを全く持っていない朝鮮人には、ダブルスタンダードは厳密には無いと言える。そこが、朝鮮民族が朝鮮民族以外の民族とは全く異なる特徴と言える。彼等は、「恨が生み出す薄汚れた感情を、原始的感情である妄想により肥大化させて」、その感情的判断基準にのみ支配されているのである。嘘をついている時も、本性を表している時も、朝鮮人には情念こそが全てなのである。これにも日本人は歴史的にずっと悩まされてきた。

「朝鮮民族には論理的判断基準というものが全く無い」と言い切ってしまうと、良識ある日本人の殆んどは、「そんな考えは間違っている」と、たいして深く考えもせずに反発するだろう。それこそは「一方的な人権擁護こそ善である」という「歴史的にはつい最近になって生まれた価値基準」を本音とは裏腹に、表向きは熱心に喧伝する現代国際社会の「趨勢」、現代日本社会の「風潮」という、「空気」に支配されて、真実を見誤っているからである。私が嘗てFacebookで主張してきた数々の朝鮮民族に関わる史実や、このBlogで主張している事柄の大部分に賛同していただける方々も、朝鮮民族だけを特別視する、私の主張には「賛成できない」という良識、或いは常識という、偽善という言葉にさえ言い換えてもいい「空気」に支配されている可能性が高い。立派な学歴や経歴を持ち、知的水準も平均以上の方であれば尚の事、「朝鮮民族は我々とは起源を異にする『黒い山葡萄原人』の末裔である」という、私の主張には眉を顰めるだろう。

この「朝鮮民族亜人種論」は、恐らくこの先もずっとアカデミズムには受け容れられないだろう。学術的にも充分に信頼に足る研究成果が発表されても、アカデミズムや権威主義的な人々、そして常識的な人々の考え方は、なかなか変える事はできないものである。私が若い頃、スイスの研究者、エーリッヒ・フォン・デニケンという人物が書いた古代文明に関する、当時思えばかなり胡散臭い書籍には、「数万年も昔に人類は『乾電池』をつくっていた」などと、炭素年代測定の結果と共に、幾葉もの写真が添えられていたが、そういう異端の研究成果は、アカデミズムの中心勢力が積み上げてきた研究成果と辻褄が合わないという、ただそれだけの理由だけで、完全に無視されてきた。「朝鮮民族は我々とは起源を異にする『黒い山葡萄原人』の末裔である」という、確たる研究成果も、結局はデニケン氏の研究成果同様に無視されてしまうのだろう。現代国際社会は、この研究成果を異端というよりは、悪しき「民族差別」として退けるだろう。

2017年2月2日、韓国 中央日報によると、蔚山(ウルサン)科学技術院(UNIST)ゲノム研究所は国際学術誌「Science Advances」で、韓民族(=朝鮮民族)は、3~4万年前に東南亜細亜から支那東部の海岸を経て極東地方に流れ込み、北方人となった南方系の狩猟採集民と、新石器時代が始まった1万年前に同じ経路で入ってきた南方系の農耕民族の血が混ざって形成されたと発表した。これまで人類学、考古学界の一部では、言語・風習・容姿などの共通点が多い事から、朝鮮民族がアルタイ山脈に始まり、モンゴルと満州の原野を越えて朝鮮半島に入ってきた北方民族であると推定してきた。併し、科学界の判断は違っており、2009年、UNISTは国際学術誌「Science」に「朝鮮民族が東南亜細亜から北東へ移動した南方系の巨大な流れに属している」と発表、今回の発表はこれを更に具体化した事になる。併し、この新説では、元々存在した朝鮮民族が、北方の原始人に入れ換わった事までは説明できない。また、朝鮮半島には、人類が生活していた証拠となる化石が一切発見できない、空白の年代が長く続いた事も全く不明なままである。韓国人が言うところの「古代朝鮮」の存在は、現在のところ、よく言って只の仮説、はっきり言えば只の妄想なのである。

古代朝鮮の妄想はともかく、比較的新しい朝鮮人の手掛かりは、ロシア・ウラジオストックの上方にある沿海地方の「悪魔の門(Devil’s Gate)」という名の洞窟で発見された7700年前の20代と40代の女性の頭蓋骨にあった。ここは朝鮮の歴史上、嘗ての高句麗・東夫余(ふよ)・沃沮(よくそ)の地と言われている。ゲノム研究所がスーパーコンピュータを利用してこの頭蓋骨のゲノムを解読・分析したところ、「悪魔の門の洞窟人」は3~4万年前に現地に定着した南方系人で、朝鮮人のように茶色い目とシャベル型切歯(shovel-shaped incisor)の遺伝子を持っていた事が明らかになった。また彼等は、牛乳を消化できない遺伝変異や、高血圧に弱い遺伝子、体臭が少ない遺伝子、耳たぶの薄い遺伝子など、現代の東亜細亜人の典型的な遺伝特性も持っていたという。悪魔の門の洞窟人は近くに住む「ウルチ(Ulchi)」族の先祖とされており、近くの原住民を除く現代人の中では朝鮮人がこれと最も近い事が判明した。

UNISTゲノム研究所のパク・ジョンファ所長は「ミトコンドリアDNAの種類が同じである事実は、母系が同じであるという事を意味する。長い時間差を考慮しても2つの人類の遺伝子は非常に近く、悪魔の洞窟人は韓国人(=朝鮮人)の祖先とほぼ同じだと言える」と明言した。「悪魔の門」と呼ばれた、当時の人々に恐れられていた暗い洞窟に潜んで生き延びていた者たちこそが、所謂「黒い山葡萄原人」である事は言うまでもない。このような、「学術的発見」と、それに基づく「研究成果」は、2008年から国際研究チームにより、幾度も発見・研究され、学術界に公式に発表されてきたが、史実として歴史教育に取り入れられる事は未だにタブー視されている。唯一、北朝鮮だけが子供たちに「我々は他の人類とは異なる『悪魔の門の洞窟人』の末裔で、それ故、他の人類より優れている」と学者が史実を広め、国家が教育しているのである。

何故、そのような名前を付けたのかは不明だが、いつしか「黒い山葡萄原人」と言われだしたのである。人類の進化の過程で、ホモ・サピエンスが誕生するまで様々なヒト科が出現した。ネアンデルタール人、ジャワ原人、北京原人、アウトラロピテクス・アフリカヌス、等々。新しいヒト科が出現すると、以前のヒト科は滅びるという繰り返しが何度となく続いた。最終的に残った現代人を人類とするならば、現代の人類に一歩近いところまできて絶滅したと思われていたヒト科がいた。それが「黒い山葡萄原人」と呼ばれる亜人種である。「黒い山葡萄原人」は、ホモサピエンスとは明確に起源を異にする。朝鮮民族は現代人と約950万個の遺伝子が異なると証明されている。遺伝子解析により明確になったのは、単に遺伝子が人類と異なると言うだけでなく、近親相姦の繰り返しでしか生じない遺伝子異常が400万個も発見された事である。暗い洞窟に隠れ棲み、狭い洞窟の中だけが全てであった原人たちは、糞尿に塗れながら、近親相姦を繰り返して生き延びたのである。

UNISTゲノム研究所のパク・ジョンファ所長が言う「悪魔の門の洞窟人」こそが、「黒い山葡萄原人」の事であり、朝鮮民族以外の人類は朝鮮民族とは起源を異にするのである。朝鮮民族が原人の末裔、つまり「亜人種」で、本来なら今の人類が出現した事で滅亡してしまう筈の原人の生き残りなのである。パク・ジョンファ所長が言う「ミトコンドリアDNAの種類が同じであるという事は、母系が同じである」と言う事で、「黒い山葡萄原人」たちが、最終的には朝鮮半島を支配してしまう過程で、そこに住んでいた男たちを皆殺しにして、女たちだけを凌辱目的で生かしてきた証である。韓国人が日本を指して、「組織的性奴隷制度を持った戦犯国家」と嘘に基づく非難をやめようとしないが、本来、朝鮮半島に暮らしていた原住民を殺戮し、性奴隷としたのは、今の朝鮮民族の祖先なのである。朝鮮半島南部は、嘗て倭人(日本人)が支配していた事は、古事記や日本書記に記されている。倭人の国と友好関係を結んでいた百済は、唐を後ろ盾とした高句麗・新羅軍に滅亡された。文字通り、一人残らず殺された為に、日系百済の血統は朝鮮半島には受け継がれなかった。倭人は少数の百済人と共に日本に逃げ帰ってきた。新羅は後に高句麗に滅ぼされるが、新羅人も高句麗人も共に「黒い山葡萄原人」に入れ換わった。

「黒い山葡萄原人」は、最初にエヴェンキ人の男を殺し、エヴェンキの女を襲ってエヴェンキ人に入れ換わり、その「偽エヴェンキ人」が、新羅人と高句麗人にも同様に成り済ましたのである。だから古代の支那やモンゴルと同様に、新羅も高句麗もそれなりの文化文明を持っていた筈なのに、「黒い山葡萄原人」に取って代わられた途端に、一切の進化・発展ができなくなってしまったのである。その「黒い山葡萄原人」に取って代わられた汚染された血脈を受け継ぐ朝鮮民族こそが、李氏朝鮮である。李氏朝鮮は大日本帝國により清から独立させて貰うまでの518年間と言うもの、一切発展できなかった。よく言われるように衣服を染色する技術も、木材を円形にする技術も、文字すらも無かった。王族と両班と言われた貴族階級だけが、支那の漢文を用いた。王族と両班を合わせても、朝鮮半島の住民の僅か4〜6%に過ぎず、その他の所謂「一般国民」は、100%の無学文盲のまま518年間、支配階級から奴隷扱いされ、洞窟生活こそしていなかったが、文字通りの原始生活を何の疑問も持たずに送っていた。明日をも知れぬその日暮らし。原始人の彼等にはそれが当たり前であった。

朝鮮民族のルーツは「黒い山葡萄原人」に取って代わられたエヴェンキ人なのである。百済や新羅の時代に半島南部に居住していた民族と、その滅亡後に北方から侵略してきた民族は全く別の民族なのである。その北方からの侵略民は、元の時代にモンゴル人とも混血が進み、現在の朝鮮民族のDNAが固まったのは精々14世紀以降である。韓国半万年の歴史などと、韓国人は何の根拠もなく胸を張るが、今の朝鮮民族はどう贔屓目に見ても、精々700年程度しか歴史を遡れないのである。韓国は日本に対し、日本人と韓国人はもとは同族で、 天皇も朝鮮からきたという無理な理屈を押し付けてくるが、日本人は真実に目醒め、朝鮮民族の妄想に付き合ってはいけない。本来の朝鮮民族など、とっくにこの地球上から滅び去ってしまい、今 朝鮮半島の南北と中共の一部に暮らす朝鮮族は、原始人である「黒い山葡萄原人の末裔」なのである。昔の支那人は、エヴェンキ人を指して「穢族(わいぞく)」と呼んだ。「穢」とは何と汚い呼び名であろう。他民族に付ける呼び名としては最低のものであろう。

併し、この呼び名が付けられたのには、それ相応の理由がある。彼等の日常生活は本当に汚く穢れていた。謂わば糞尿塗れ。糞尿を喰らい、糞尿を汚いとも感じない生活ぶりから、当時の支那人は「黒い山葡萄原人の末裔」を「穢族」と呼んだのである。事実、韓国には有名な「トンスル」や「ホンタク」がある。言うまでも無く「トンスル」とは、人糞を原料とした「酒」で、「ホンタク」とは、ガンギエイに人糞を擦り付けて漬け込んだエイの漬物である。世界広しと雖も「人糞を喰らう」民族は朝鮮民族以外には聞いた事がない。そして物理的な汚れとは別物の精神的穢れが朝鮮民族には歴然と存在する。犬猫を虐め抜いた挙句に喰らうのである。韓国人によると、犬猫は、苦しませ、虐め抜くほど美味になると言う。こういう非人間的行為を未だにやめる事ができない彼等を、私は日本人と同じ人類などとは思いたくないし、実際、彼等は普通の人類ではなく「亜人種」なのである。内面も外見も、日本人や支那人、その他の亜細亜人とは全然別物である。有名なところでは、美容整形前のキムヨナさんの写真をネットで検索してみると良い。牛乳が苦手かどうかまでは知らないが、典型的なシャベル型切歯(shovel-shaped incisor)の持ち主である。

「黒い山葡萄原人」たちは、今の人類が現れると、ロシアのアムール川下流一帯に存在する暗く淀んだ洞窟に隠れ棲むようになった。知らずに近づく人間を捕らえて洞窟に引き摺り込んで、人肉を喰らった。やがて、狭い洞窟内には糞尿が溢れたが、原人どもは気にする風もなく、糞尿に塗れながら近親相姦を繰り返し、時々手に入る人肉を貪った。現実と妄想の区別もつかぬ、そういう生活を続けていた彼等の遠い記憶が、今の韓国人には確かに伝わっている。「トンスル」や「ホンタク」という糞尿食の習慣、犬猫を苦しめてから喰らう悪癖、「試し腹」や「近親相姦」に見られる性風習の乱れ、「病身舞」に見られる障害者を人と見做さず笑い物にする悪癖、入浴習慣の無さ、埋葬・規律・言葉の軽視 …等々、これらの悪習は、彼等が懇願してきた「日韓併合」時に、日本人が悉く禁止したが、大東亜戦争の敗戦と同時に日本という道徳的重石が外れると、朝鮮民族の野獣性は剥き出しになった。在日一世どもによる、所謂「朝鮮進駐軍」や、朝鮮半島に於ける残留日本人や満州などからの引揚者に対する蛮行の数々に彼等の原始的野獣性が如実に現れた。

今の日本に不当に居座る在日どもは、「日本軍に強制連行されてきた」と嘘をついて、高給取りだった追軍売春婦を「性奴隷」と呼び、当時は日本人だった朝鮮徴用工すらも強制連行と言う。当時は生粋の日本人も徴用されたが、朝鮮人は大東亜戦争末期になってからの徴用であった。要するに、大日本帝國政府は生粋の日本人より朝鮮人に配慮していたのである。その国に潜り込むと何としても居座り、嘘をついてでも帰ろうとしないのは、「黒い山葡萄原人」がエヴェンキ、新羅、高句麗と民族乗っ取りを繰り返してきた歴史的習性をよく表している。何よりも、韓国本国は元より、在日どもと日本国籍を取得してしまった朝鮮人どもの性犯罪と凶悪犯罪の多さといったら、日本に居住する外国人の中でも飛び抜けて高い。年配者なら忘れる事のできない「金嬉老事件」、そして近年では「神戸連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇聖斗事件)」や、日本人と見れば見境無く殺傷に及ぶ獣どもが起こす数々の事件、最近では「相模原障害者施設大量殺傷事件」や「座間市9人殺害事件」が記憶に新しい。

「神戸連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇聖斗事件)」では、犯人の名は未成年の為に少年Aとされたが、仮に未成年で無くとも在日の犯人の名は通名である東慎一郎とだけ公表されただろう。「相模原障害者施設大量殺傷事件」でも、犯人ハンヨンイルは植松聖容疑者としかマスメディアは報じなかったし、「座間市9人殺害事件」も通名である白石隆容疑者としか報じない。東慎一郎と白石隆には見逃してはならない共通点がある。それは、性犯罪と人肉食というおぞましい共通点で、どちらも亜人種朝鮮民族に見られる悪しき民族性である。マスメディアを朝鮮民族に支配されてしまった日本では、このように朝鮮民族の同胞による犯罪を、あたかも日本人の犯罪としか報じないが、これからの日本人はマスメディアの隠蔽報道に騙されっ放しになってはいけない。朝鮮民族の狂った価値観によれば、日本人が被害者であってはならない。被害者は飽くまで朝鮮人であり、日本人は加害者であらねばならない。こういう狂った価値観に支配された在日が、この日本には公称で総国民数の凡そ1%弱居座っている。併し、その少数民族が、実は日本の支配的地位に就いているのである。

在日朝鮮人もしくは日本国籍朝鮮人は、既にその地位に就いている朝鮮人同胞の必死の工作活動により、優先的に日本の支配層に潜り込める構造が完成してしまっている。そこで、また今回も書かずにはいられないが、日本の「政界、財界、法曹界、教育界、マスメディア界、金融界、IT業界、通信業界、アミューズメント業界、芸能界、運輸業界、タクシー業界、風俗業界、ポルノ産業、広域暴力団、その他の殆んどの大企業」は朝鮮人の支配下にある。然も、この惨憺たる状況に公然と警鐘を鳴らす知識人がほぼ皆無であるという現実にも、呆れるが、呆れるなどと言って済まされる問題ではない。これを知った日本人は呆れたり、諦めたりするのではなく、「大和民族存亡の機」と確りと認識し、慄然と迫り来る危機を感じ取らなければならない。今の日本人は眠っているも同然である。生存本能を呼び醒まして、闘争心を掻き立てなければ、我々は生き残っても、子々孫々に素晴らしいこの日本を遺してあげられない。

外来の支配者は先住民を殲滅するか、或いは隷属させるのが常である。動物界でも植物界でも外来種は常に元々そこに生きる種に取って代わろうとする。サッカーの名監督であり、数々の名言を遺してくれているアーセン・ベンゲル監督は、ヨーロッパに移籍したがる日本人選手に対して、「狼たちが生存競争を繰り広げる国際社会に在って、日本人ほど清くかよわい者はいない」と忠告してくれた。だから挑戦をやめよと言うのではない。「安全が空気のように当たり前の日本の環境から、世界という修羅場に挑戦するなら、それ相応の覚悟と準備が必要だ」と忠告してくれているのである。そして私はベンゲル監督の忠告を思い出す度に、「安全が当たり前の日本の環境」など、既に過去のものであり、「安全な日本に凶悪な外来民族が棲みつき、あらゆる悪徳の果てに、日本人を奴隷の如き存在に貶めようとしている」という現実を思い知る。繰り返すが、「我々日本人はいい加減に目を醒まさなければ、大切なこの日本は獣どもに蹂躙され尽くしてしまう」のである。

昨年(2017年)ドイツに端を発した、「悪しき趨勢」である、「浅はかな民族差別反対と人権擁護の概念」に日本人は騙されてはいけない。善でも正義でも有り得ない、「国連人権理事会の勧告」になど、まともにかかずらわっていては、日本人は、やがては国を失なう羽目になりかねない。冒頭で、「日本人は『空気』に支配される」という話をしたが、日本人のこの弱点に着目したのは、何も山本七平氏だけではない。山本七平氏が「『空気』の研究」を出版された1977年を遡る事凡そ30年、既に白洲次郎氏が「日本人は自分の意見を持たない」と喝破された。戦争に負けた途端に、皆、戦勝国の言いなりになる日本人は、その場の状況に合わせて如何様にも態度を変える。その悲しい姿を言い得た巧妙な言葉である。正に、日本人はその場の「空気」に支配されるという、悲しき民族性を備えていると嘆いたのである。

現在も業績を伸ばし続けるSOFT BANKのテレビCMが描く、「犬のお父さん」シリーズは、その白洲次郎氏を揶揄して白戸家と一文字だけ変えて、白洲次郎氏の奥様の名前まで利用して樋口可南子演じる犬の奥様は白戸信子だそうである。兄には朝鮮人が最も差別する黒人を起用し、残りは娘役の上戸彩やSMAPと、全員を朝鮮人で固めている。日本人に絶大な人気のある全員が通名のSMAPの連中が歌い踊りながら出てくるところは、巨大な犬を模した建物のちょうど犬の肛門である。「犬のお父さん」シリーズの中でもこのCMは、在日朝鮮人が大いに溜飲を下げる傑作だそうな。全く朝鮮民族という奴は、この日本でやりたい放題である。朝鮮人が散々苦しめてから喰らうという犬は、韓国では軽蔑の対象であり、他人を罵る時に「この犬野郎っ!」というらしい。このCMシリーズの発案と最終決定権は当然、日本国籍朝鮮人の孫正義氏にある。この御仁は余程日本がお嫌いらしい。よくもまぁ、こんなCMを堂々とつくったものである。私に言わせれば「頭がおかしい」。このCMに込められた日本人蔑視を報じないマスメディアも狂っているが、知らぬとはいえ、このCMが日本人に大人気で、今度は劇場版の「犬のお父さん」が制作されるという。

在日の悪意もここまでくれば見上げたものである。それにしても、日本人の知恵遅れ的無邪気さとでも言おうか、この騙されっぷりは見事である。事程左様に日本人は在日朝鮮人の思いのままに操られているのである。テレビは地上波は元より、BSでは韓国ドラマが嫌と言うほど垂れ流されている。この状況を不審に思わない日本の大衆は、もはや救いようがないのではないかと諦めたくもなる。JRの駅名表示や高速のインターチェンジの標識、そして朝鮮人以外も多く訪れる観光地に氾濫するハングルを醜いと思うのは、本当に私だけなのだろうか? 在日朝鮮人には未だに日本に居住する正統性は無いと断言するが、声の馬鹿でかいマイノリティへの過敏なほどの配慮は、同じ日本人にとっては痛ましいと思えるほどの卑屈な日本人の態度である。Facebookなどでは、朝鮮人を朝鮮人と書いただけで、例え3年前の投稿文でも、コミュニティ規定とやらに抵触したと、直ぐに全文が削除され、在日の胸先三寸で、1週間とか30日間のアカウント停止処分を科してくる。全ては、ドイツの所謂「Facebook法」と、国連人権理事会を忖度した安倍政権が、所謂「ヘイトスピーチ対策法」などと言う「悪法」をつくったが為である。

日本に於いては「空気」なる無言の圧力は、立法府までも思いのままにコントロールするのである。異常な事を「異常」と言えない日本人は、本当に偽善的で臆病者の国民である。「国連人権理事会の勧告」には、日本では文字通り在日朝鮮人を指すマイノリティへのヘイトスピーチ禁止要求と共に、性的少数者、所謂「トランスジェンダー」への配慮も要求している。病としてのトランスジェンダーには、それなりに配慮は必要だろうが、テレビのバラエティ番組などでオカマを売りにしている芸人には、私は昔から嫌悪感を隠さなかった。それこそ美輪明宏が丸山明宏と名乗っていた頃から、気持ち悪い奴には「気持ち悪い」と堂々と言ってやった。「男らしい」とか「女らしい」と言う表現まで「言葉狩り」の対象になるに至っては、もはや「この国は狂っている」としか言いようが無い。黒いランドセルを男の子用に、赤いランドセルを女の子用に販売促進する行為さえも、モンスタークレーマーを気にして憚るデパートの販売促進部の気の遣いようも狂っている。

私が何よりも嫌う「東京裁判史観」と、そこから生まれた「戦後教育」は、日本の何もかもを狂わせてしまった。「東京裁判史観」は一時期、「自虐史観」とも言われた。「自虐史観」の対局には「皇国史観」があるが、「皇国史観」などという歴史観は、戦後の売国偽善左翼が考え出した歴史観であり、戦前には「皇国史観」などという歴史観は無かった。「東京裁判史観」に塗れた歴史学者が、戦前の在り方を批判的に攻撃する表現手段が無かったから、明治維新から大東亜戦争敗戦までの日本を悪し様に表現する道具として「皇国史観」なる歴史観を考え出したのである。白洲次郎は、非常に興味深い事を、事も無げに言っている。「日本人は、『空気』には支配されるが、その『空気』を簡単に切り替える事もできる」のだと言う。「欧米に見習え」、「産めよ増やせよ、お国が第一」という「空気」の下では、一丸となって大日本帝國を国際社会の一等国につくりあげ、敗戦により「お前たちが悪いのだ」と戦勝国に言われれば、必死になって先人を悪し様に言う材料を探し回り、無ければ捏造してでも戦前戦中の日本は悪かったと足並みを揃える。今の朝日新聞やNHKによる、異常なほど熱心な日本の粗探しが何よりの証拠である。白洲次郎は戦後日本の浅ましさを見事に見抜いていたのである。

「皇国史観」なる言葉は無かったが、「皇国」という言葉なら戦前もあった。天皇陛下を中心に戴いた国の在り方の事である。西暦2018年、平成30年の今年は、皇紀2678年である。人類史上これほど長く続いた王朝とも言える「皇室」は、日本を置いて他の何処にも存在しない。万世一系の皇統(男系男子の皇統)を、これほど長く続けた尊さを、日本を戦争で打ち負かした米英両国が一番よく知っている。米国大統領がタキシードにホワイトタイという最上級の出で立ちでお迎えするのは、日本の天皇陛下と英国のエリザベス女王のおふたりに対してだけである。その英国のエリザベス女王が下座に座るのは、日本の天皇陛下とお会いする時だけである。日本以外の国の元首には絶対に英国女王は上座を譲らない。米国大統領も英国女王の下座に座らざるを得ない。こう言う何気なく執り行なわれている皇室外交も、注意深く観察すれば、フランスもオランダも、米英両国の立ち居振る舞いを踏襲している事実に気付く筈である。残念な事に「戦後教育」では、これほど大切な「他国の国家元首が天皇陛下にどのように接しているか」すら教育しない。天皇嫌いのマスメディアも決して報じない。「東京裁判史観」に歪められ、「戦後教育」という偽りの贖罪意識に歪められた教育しか知らない現代の日本人より、戦勝国である米英両国を始めとした主要国の国家元首の方が余程 天皇陛下の尊さを理解しているというのだから皮肉な事である。勿論、特亜三国だけは例外であろう。

こんな事だから、日本にはまともな歴史学者は先ず見つけられない。いる事はいるのだろうが、そういう信念を貫き通す歴史学者は、所謂「戦後教育」が幅を利かす偽りの平和を謳歌する日本では絶対に陽の目を見ない。マスメディアに持ち上げられたり、何処ぞの大学の教授職を得たり、書籍の売り上げでメシが喰える歴史学者は、要は反日主義を是とするマスメディアの御用学者である。そういう「空気に過敏なほど目敏い」歴史学者にとっては、朝鮮民族が我々とは起源を異にする「亜人種」である「黒い山葡萄原人の末裔」であるなどという真実は実に都合が悪い。だから、例え真実と分かっていても「朝鮮民族亜人種論」を、日本のアカデミズムが受け容れる事は先ず無いのである。権力や、権威や、攻撃的なマイノリティに対する過度な遠慮や、ダブルスタンダードを恥とも思わない国連人権理事会の勧告などは、日本の歴史学会どころか、教育界も、政財界も、法曹界も、さながら絶対的な強制力を伴なう「空気」と見做し、それに逆らう者の出現を阻み続ける。況してや、朝鮮民族に半ば以上支配されてしまっている日本では尚の事である。この「空気」の中では、私のBlogを読んでいただいている方々の「常識」を変える事も、恐らく至難の技であろう。だから、私は自分の考え方を無理に他人様に押し付けたりはしない。心の何処かに引っ掛かってくれればそれでいい。

白洲次郎は、またこうも言っている。「日本の人はよく、ジイドはこう言った、ボオドレエルはこう言ったなんて言うけど、どうだっていいじゃないか、ジイドが何を言おうと。昔は盛んに、カントは、ゲエテは、と言ったもんだ。それじゃお前は何だって訊くと、何にも持ってないんだ。日本人のものの言い方は、もっと直接に、ダイレクトに言わなきゃいけないよ。そういう言い方を習わなきゃいけないよ」…と。白洲次郎とは、実に良い事を言うものだ。先日「自殺」された西部邁さんは、自説を論じる時、或いは反論された時、いつも議論を楽しんでいるかのように、悪戯っぽく笑みを浮かべながら、よく、プラトンはこう言っただとか、オルテガがどう言っただとか、やたらと偉人の言葉を引用されていた。また必要もないのに日本語で説明すれば済むものを、わざわざ英単語に置き換えて、英単語の語源に遡って日本語の議論をけむに巻いておられた。知の巨人を貶すのは烏滸がましいが、私は西部さんのそう言うところが何となく鼻について嫌いだった。勿論、どのような経緯があったにせよ、色々学ばせていただいた先生が、ああいう形で亡くなられた事は、悼むべきであるし、ご冥福を祈らずにはいられない。

併し、前回も書いたが、西部氏は「女系天皇」容認論者でもあった。私は日本人として、それだけは容認してはならないと思う。凡そ2700年も先人が護りに護ってきた男系男子の万世一系の皇統を、寿命僅か100年に満たない現代人の浅知恵で断絶させては、絶対にいけないと考える。西部氏は尊敬すべき知識人ではあったが、この一点に於いて間違った知識人であった。西部氏ご本人曰く、第一次安倍政権が世間から猛バッシングを受けて退陣した後、約一年間、「保守とは何か?」と言うテーマで月一回のペースで勉強会を開いて、安倍晋三氏を励ましたそうだ。そして、その西部氏が、第二次安倍政権以降の安倍首相の言動を批判して「真の保守では無い」と断言されていた。仄聞するに、安倍首相は「男系男子の皇統をお護りする」事にこだわっておられると言う。西部邁と言う今は亡き知の巨人に難癖をつけるのは、日本人として心が痛むが、西部氏より安倍首相の方が、天皇の在り方、皇室の在り方については、間違いなく保守の立場を大切にしていると思う。

安倍政権を含む歴代自民党政権という存在は、日本にとっては甚だ困った売国的政治集団であると、私は頭を抱える日々を送っている。併し、日本という国を大切に思う一人の日本人として、長い長い日本の歴史を宿命的に背負われた「天皇陛下あっての日本という国と日本人である」と確信している。その日本が、穢れた外来の寄生虫である「在日朝鮮人、日本国籍朝鮮人、背乗り朝鮮人」などに取って代わられようとしている逼迫した国難に遭っている正にその時代に、生を受けた日本国民が、2700年も続いた皇統を絶やして良い訳が無い。どんなに日本という国家が蝕まれようと、天皇陛下が在わす限り、日本は必ず復興する。敗戦からの「復興に費やす期間を米内光政は50年と見積もったが、それを聞いた昭和天皇は言下に300年はかかると言い切られたという。日々欠かす事なく、日本と日本国民の安寧に加えて、全世界の平和まで祈願されていた昭和天皇のお言葉である。安倍政権の韓国贔屓の売国政策には、いつもはらはらさせられるが、安倍晋三という政治家が男系天皇のお血筋を絶やすまいとされているなら、それを支持しないなどという選択肢は無い。

日本人は、「人権擁護第一主義」とも言える現状の「空気」に支配されてはならない。我々の祖父母や曾祖父母に鬼畜の蛮行を、朝鮮半島でも、この日本でも働いておきながら、その罪を償うどころか、史実を捏造し、先人を貶め、現代の日本をも呪うように貶め続ける朝鮮民族という「亜人種」などに負けてはならない。「被害者ビジネス」に味をしめさせたのは、我々日本人の落ち度でもある。その誤ちは、我々今を生きる世代で終わらせねばならない。「在日朝鮮人」は、弱くて保護を必要としたマイノリティなどでは決してない。我々生粋の日本人こそが真の被害者なのである。朝鮮民族が「黒い山葡萄原人の末裔」である「亜人種」だからと言って、総て死んでしまえなどとは思わないが、少なくとも大迷惑のかけ通しの、この日本からは積極的に追い返すべきである。国際社会や国連人権理事会、そして戦後の日本人を惑わす「悪しき常識」など、「間違った『空気』の支配から逃れよ!」という使命は、今を生きる我々が完遂して、次世代に伝えてはならない。その為にも、日本人ひとり一人の覚醒を切に願わずにはいられない。今年を、重要な勝ち戦の初年度と位置付けようではないか!

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