石川久遠の「日本人なら知っておきたい真実」

「陰謀論」とは、「陰の謀(はかりごと)を論じる」ものであり、「妄想論」とは異なる。歴史も現在の出来事も、常識として根付いている様々な事柄も、虚心坦懐に見詰め直せば、裏に隠された真実が自ずと見えてくる。そんな事を考えて、このブログを書いてます。

2018年07月

本稿1〜2章で、日本という国が、朝鮮人の思い通りの社会構造の国に改造されつつあり、今は既にその最終段階に突入しているとの危機的状況を訴えてきた。折しも安倍晋三首相は「経済財政諮問会議」で外国人労働者の受け入れ拡大を決定したが、果たして日本は移民大国へと舵を切ったのだろうか? 安倍政権は、これまでは単純労働者の受け入れには反対していたが、今回は即戦力として「介護・農業・建設・宿泊・造船」の5業種を対象に新たな在留資格を創設し、2025年までに50万人超の就業を目指すという。安倍政権は「移民政策」という言葉を極度に嫌い、移民ではなく飽くまでも「外国人労働者」だと説明している。移民の定義は、国連人口部は「出生あるいは市民権のある国の外に12箇月以上いる人」、自民党は「最初から永住権がある人」と定め、外務省・法務省は「日本では移民の定義は定めていない」としている。外務省・法務省の呆けた答えは、別に「自分たちは税金泥棒ですから仕事はしてません」と告白している訳ではない。日本が実質的な移民大国である事を認めたくないから言い逃れしているに過ぎない。移民とは普通は「外国から日本の永住権がない外国人が来て日本に永住した人」の事だから、安倍政権が外国人就労者を何人受け入れようと、これは「移民」には当たらない。帰国を前提にしてなら、何100〜何1000万人受け入れようとプラスマイナス=ゼロだからそうなる。併し、安倍政権を含む、歴代自民党政権は歴史的に、本来なら永住資格のない大勢の朝鮮人に永住権を与え、その子孫たちが日本で増え続けているのだから、実質的に日本は既に移民大国なのである。外務省・法務省(=日本政府)にはその事実認識があり、それを国民に気付かれたくないから、敢えて「日本では移民の定義は定めていない」などとシラを切っているのである。

安倍政権下で「経済財政諮問会議」が今回出した結論と「移民問題」とは全く別モノである。日本の「移民問題」とは、昨今取り沙汰されている「外国人労働者受け入れ問題」などとは関係無く、「在日及び日本国籍朝鮮人問題」の事なのである。

安倍政権は外国人労働者の在留資格を5年と定め、家族の帯同は基本的に認めないという。今でも過剰な朝鮮人移民に苦しめられているのに、この上、更なる外国人を日本に招き入れるのには反対だが、外国人労働者も人であるのに、まるで使い捨ての消耗品のような規制を課すのは人として如何なものかと思う。小池百合子東京都知事は就任直後に、「介護とか、家政婦とかの分野で外国人をツールとして活用して行きたい」と述べた事がある。ツールとは「道具」の事で、この人は外国人を人としてではなく道具扱いするのかと呆れたものだ。今回の安倍政権の「50万人の外国人労働者受け入れ方針決定」は、正に日本人としての道徳観を問われる問題を含んでいる。「高度人材」という、曖昧で人を階級化するような言い方にも違和感を感じるが、今回の「外国人労働者受け入れの為の拡大業種」には、「高度人材」とは対極にある、所謂「単純労働者」も含まれる。高度な技能を必要としない「単純労働者」は、恐らく日本語の会話能力なども無いまま日本に来るだろう。最初の1〜2年で最低限の日本語を習得し、後半の3年で漸く日本社会に馴染み、日本に愛着が湧いた頃を見計らうようにお払い箱とばかりに追い返す日本政府の政策は、反日外国人を量産する恐れがある。観光立国を目指しながら、一方で反日外国人を増やすのは、互いに相容れない政策で矛盾も甚だしい。移民には反対だが、就労人口減少対策を外国人労働者に頼るなら、少なくともモノとしてではなく、先ず人間として扱う覚悟と態勢を整えてから受け入れるべきだろう。安倍政権は、日本人としての根幹を成す道徳観が狂っている。

そもそも日本は、移民受け入れを頑なに拒んできたような印象操作を政府自らがしているが、実際には日本は歴史的に移民大国である。文禄元年(1592年)に豊臣秀吉が始めた「文禄・慶長の役」(朝鮮征伐)では、薩長が大勢の朝鮮人陶工や人足を家族共々日本に連れ帰って永住させた。明治43年(1910年)の「日韓併合」以降は、大勢の朝鮮人が自由渡航してきて住み着いてしまったし、「大東亜戦争」敗戦後は、GHQ/SCAPの日本無力化政策とも相俟って、朝鮮半島への帰還を前提として一時渡航してきていた在日朝鮮人が朝鮮半島への帰還を拒むのを追認せざるを得ない状況に置かれた。また、大勢の朝鮮人密航者が日本に押し掛けてもきた。朝鮮人密航者の中には「移民」というより「難民」と定義した方が正しい者たちも実際にはいた。李承晩の「共喰い政策」の魔の手から逃れて済州島から密航してきた朝鮮人は正しく「難民」であった。従って、日本という国は、少なくとも朝鮮人に関しては、移民・難民に関わらず極めて安易に受け入れてきたという歴史がある。日本は歴史的に相当数の朝鮮人(=外国人)を受け入れてきた国なのである。

今の在日朝鮮人たちは、「日本に強制連行されてきたと嘘をついて不当に居座った者共」であるというのは今更いうまでもない。然も、日本政府は彼等に「通名」を許してきたから、外国人として表に出てこない朝鮮人は、その子孫たちを含めると現在では恐らく1000万人単位に達している。外務省やマスメディアは、日本の総人口に占める在日朝鮮人の比率は0.5〜1%程度などとしているが、実態は10数%であると考えられる。事実上無審査で生活保護の恩恵に浴す在日朝鮮人世帯の出生率は、日本人世帯を大きく上回る。その在日朝鮮人の正確な人口動態を、日本政府・外務省・総務省・国税庁は正確に把握していないという。鼠算式とまでは行かないまでも、朝鮮人は400年前に日本に大勢定住し、戦前戦後の朝鮮人自由渡航者は帰国を拒み、更に密航してきて住み着いてしまった者も多い。日本で生まれた在日朝鮮人の子孫まで考えると、恐らく途方もない人口になるだろう。日本政府も所轄官庁も、正確な人口を把握していないなどと隠し立てする処をみると、実態は想像するだに、そら恐ろしい。

その上、緩過ぎる帰化要件をいい事に、形骸的に日本国籍を取得して「日本国籍朝鮮人」となった者たちの増加数も所轄省庁は詳らかにしていない。民団や総連によれば毎年5000人程度が日本国籍を取得し、その人数は年々増加傾向にあるという。更に、400年ほど昔に豊臣秀吉配下の大名が連れ帰った「陶工、人足たち」の子孫までも含めると、今、米国を除く世界一の移民大国と言われるカナダの、総人口の20%に比肩しうる朝鮮人が日本社会に紛れ込んでいると考えてもおかしくはない。難民をいちどきに大勢受け入れて社会問題化したドイツでさえ、受け入れた移民・難民の総人口に占める比率は10%程度である。メルケル独首相が主導した、1年間にドイツの総人口の約1〜1.5%、累積では10%超の難民・移民の受け入れには、ドイツ国民が猛反対し、メルケル首相は難民の認定要件と永住権取得要件の厳格化に追い込まれた。安倍政権が必死で移民とは異なるという「外国人労働者」は、本当に単身に限り、然も5年で追い返せるのなら、確かに移民には当たらない。併し、前述の通り、日本は既に「朝鮮人移民大国」なのである。大騒ぎするには当たらない程度の、「外国人労働者50万人受け入れ」に目を奪われて、日本が「朝鮮人移民大国」である事実を見逃してはいけない。日本国民が気付かぬ内に、日本に仇成す政策を実現してしまうのが安倍晋三の遣り口なのである。

ドイツと日本を安易に同列に比較する事はできないが、難民・移民の急激な流入により、ドイツでは様々な事柄が社会問題となり、ドイツ政府は治安維持を理由に、移民・難民に対しては、家宅捜索や、宗教施設(主にモスク)などの閉鎖に裁判所の許可を不要とした。それが、ドイツ在住外国人(=異民族)の反感を買い、更に新たな社会問題を引き起こしている。日本に通名で潜り込んでいる朝鮮人(=異民族)問題の本質とは、今、俎上にあがっている「外国人労働者50万人受け入れ決定」などという問題とは別次元の話である。本稿の主題である「朝鮮人による朝鮮人の為の日本改造への警鐘」を語る時、日本を我がものにしようと画策する「朝鮮人どもの真の姿」と、「朝鮮人による日本支配の実態」を詳らかにする事は極めて重要である。日本人にとって朝鮮人は明らかなる「敵」である。こういう事を主張すると、「戦後教育」で痴呆にされた少なからぬ日本国民から、「レイシストだ!」と非難されるが、朝鮮人との共存など、お人好し日本人の片思いでしかない虚しい幻影であり、そういう日本人の「博愛・友愛の精神」や「誠心誠意を旨とする日本人の国民性」に付け入ってくるのが朝鮮人の獣性なのである。日本人を心底憎み軽蔑する朝鮮人の側から見れば、「祖国の中枢の要職」や「子孫の将来」を差し出してまで、自分たちとの共存とか友情を夢見る日本人など滅びて当然という事になる。当の日本人が気づいていないだけで、今や大和民族とは絶滅危惧種のようなものなのである。

今後、最も日本に出稼ぎにくる外国人の筆頭は支那人と言われているが、日本には既に1000万人規模の朝鮮人が日本人に成り済まして、日本社会に密かに深く確実に、無視できないほどの権力を手に入れて住み着いている。ドイツが直面している社会問題とは、キリスト教国家にイスラム教徒が大勢難民として流入し、異教徒をテロ事件の元凶と見做すドイツ国民がイスラム教徒との融和に拒否反応を示したものである。日本では宗教問題での諍いは少ないが、日本国民が持つ「誠心誠意」とか「他人に迷惑を掛けない」「嘘をついてはいけない」という国民性が、どんどんと劣化してきているように見える。それこそが、成り済まし朝鮮人による日本への悪影響なのである。その悪しき現象を注意深く見詰めると、実は日本人の国民性が劣化しているのではなく、劣化しているのは日本社会だけである事に気付く。この日本社会を劣化させている元凶こそが、日本国籍朝鮮人と在日朝鮮人の存在である。日本人は、政治家は志を高く持ち、官僚は優秀で、世界に冠たるものづくり文化を継承した企業に誇りを持ってきた。併し、朝鮮人が日本の中枢である「政界・財界・法曹界・教育界・マスメディア界・芸能界…等々、を席巻するに至り、日本社会の誠実さは崩壊の一途を辿ってしまった。政治家も、官僚も、一流企業も、悉く平気で嘘をつき、資料を改竄して恥じないようになってしまった。日本人は代々「嘘をついてはいけない」、「他人に迷惑を掛けてはいけない」と親に教えられて育ってきた。今、社会で起きている「嘘」や「平気で他人に迷惑を掛ける」現象は、日本人には有り得ない、朝鮮独特の文化そのものである。

日本人は自分たちが劣化していると自戒する必要などない。この日本で「日本人に成り済まして悪事を働く朝鮮人が、非日本的なる害毒を撒き散らしている」という現実に、日本人が気付きさえすれば、日本は未だ未だ捨てたものではない。日本は長らく、政治家を束ねる内閣総理大臣や財界の頂点である経団連の会長職を朝鮮人の手に握られている。伊藤博文を始めとして、岸信介、佐藤栄作、小泉純一郎、安倍晋三は朝鮮人被差別部落の田布施町(及びその近辺)にルーツを持つ。先頃、経団連の会長職を退いた榊原定征は、崔定征なる本名を持つ在日朝鮮人であった。ワイドショウのコメンテーターに朝鮮人大学教授が起用され偉そうに嘘を垂れ流している姿に、日本国民は何の違和感も感じないほどに飼い馴らされてしまっている。長年テレビ朝日の討論番組「朝まで生テレビ」で司会を務めている田原総一朗も朝鮮人である。田原は辻元清美(日本国籍朝鮮人)に政治献金を続けていると自ら認めている。テレビ局の女子アナの殆んどが在日朝鮮人。TBSはつい最近まで女子アナ全員が在日だった。大した悪事も働かないのに、その非常識な金銭感覚と些細な嘘の積み重ねで都知事の座を追われた舛添要一も日本国籍朝鮮人。NHKを始めとしたマスメディアや電通、博報堂、そして一流企業や一流大学には在日枠が設けられ、弁護士や検事、裁判官になる為の司法試験にも在日枠があるなど、朝鮮人が日本社会を支配する社会構造が、一般の日本国民が知らぬ間にできあがってしまっているのである。こんな危機的な実態を、一刻も早く日本国民全員に知らせて、安倍晋三が進める「朝鮮人の為の日本の国づくり」ではなく、「日本人の為の日本を取り戻す」必要がある。

多くの日本人は今でも「他人に迷惑を掛けない」し、「誠心誠意」を旨として誠実に日々の生活を送っている。少し時代を遡れば、日本人の正直さを証明する逸話は幾つでも指折れる。現代の日本人が、先人が当たり前の事として行なっていた行為を知ると、他人事(ひとごと)のように感心するのは、今の日本人が先人の常識から離れてしまったからである。その最も大きな要因が「東京裁判史観」と、そこから生まれた「偽りの贖罪意識」と「歪められた戦後教育」である。およそ70年前に「東京裁判史観」を押し付けていった米占領軍の遣り口が如何に強引で悪辣であったとは言え、これだけ長い年月を「東京裁判史観」からの脱却努力に費やして来なかった誹りは、第一義的には我々日本人が負わねばならない。米占領軍はもういないのに、先人の信念と検診的行為を蔑ろにし続けて来たのは、他ならぬ我々日本人である。それでは日本人の何処がいけなかったのだろうか? 突き詰めて考えて行けば、日本人の不甲斐無さが先ずいちばんいけなかったのだが、米占領軍に徹底的に打ちのめされた日本人の弱みに付け入って、勝者の威を借り悪逆の限りの蛮行を振るい、その事実を隠蔽して今度は被害者の振りをして、強請り集り(ゆすりたかり)をしてきた在日朝鮮人と、150年も昔の「明治維新」を機に、日本人に成り済まして日本の中枢に潜り込んで、後続組の不当居座り朝鮮人や密航朝鮮人に日本を明け渡す努力を、実に狡猾に怠りなく演って来た日本国籍朝鮮人の存在に気付かされる。その詳細は本稿の4の4、最終章に譲るとして、ここでは日本人の「誠心誠意」という国民性に焦点を当ててみる。

安藤広重の東海道五十三次の浮世絵には「お伊勢参りをする犬」を題材にした作品がある。お伊勢参りをしたくてもできないご主人の身代わりに「お伊勢参り」をする犬がいたという。それも一匹や二匹ではなく、江戸時代には実際にそういう犬が各地から代参した。飼い主は犬の首輪に「代参」と分かる書き付けと共に、賽銭や路銀の銅銭を包んだ風呂敷を首に巻き付けた。餌を貰う茶店や途中で出会った人たちが、「感心な犬だ」と更に銭を加える事もあった。「銅銭で風呂敷が重くなり、犬が難儀をしている様子に、軽い二朱銀などに両替をしてやる人もいた」という。勿論、犬一匹だけの旅ではなく、旅ができない人が参拝に行く人に頼んで、犬を一緒に連れていって貰う場合もあったし、各地の街道すじの人たちに頼む場合もあった。犬は、旅人や街道すじの人たちや、参拝客や、伊勢の人から食事を貰ったりしながら、伊勢神宮に代参し、お札を貰い、無事家に帰り着いたという。犬の首に括り付けた書状を見ると、代参の証明に、きちんと伊勢皇太神宮のお札と、宮司の奉納金の受領書と、途中での食べ物の代金を差し引いた帳面も、持って帰っていたそうである。これは、江戸時代の参宮記「神宮参宮記大成」にも記載されている実話である。日本人には犬の風呂敷からお金を盗むなどという不届き者は誰ひとりいなかった。

富山十万石の二代目藩主・前田正甫(まえだまさとし)の「用を先に利を後にせよ」という精神から生まれた「置き薬の先用後利」の販売システムは、世界的にも画期的な商法であった。山河を越えて行く道中には、辿り着いた旅先で必ず薬を買って貰えるという保証などないし、利益を得る為には長い年月が掛かり、資金の回転も困難であった筈。こうした悪条件の中、不安や迷いを断ち切って商いを開始するには、しっかりとした「理念」がなければできない。江戸時代から大東亜戦争の頃までは、薬売りたちは、懐や行李の底に小さな仏像を納めて、全国を歩き回っていた。「仏が照らしてくださる、見ていてくださる、聞いてくださる、我々は決して独りぼっちじゃない」と、心に念じる事で、苦が苦にならず、死をも恐れぬ信念が生まれる。富山の薬売りたちは、その信念に支えられていた。背に仏を意識する事で「仏の教えに従って人々に薬のご利益を与える。人々は顧客となり、病気が治るというご利益に対して感謝の気持ちとして代金を支払う。それが薬売りに利益となって返ってくる」と考えた。こうした商法は、顧客との間に「互いに利を分かち合う真心と感謝の結びつき」をより強固なものにし、人間関係が永続するという効果を齎した。「一代限りと思うな。孫の代まで続けるという心掛けで、真心を込めて対応し、誠を尽くそう…」薬売りの間で、親から子へ、子から孫へ、代々語り継がれてきた言葉だそうである。これを実践する為に打ち出された考え方が、「信用三本柱」である。則ち「商いの信用」、「薬の信用」、「人の信用」である。

「置き薬」は、江戸時代に始まり、多くの人々の努力によって、全国に確かな地位を築いていった。併し、「明治維新」により中央集権体制を目指す明治政府の医薬行政は、西洋医学に基づく製薬の発展を期待し、漢方医学を根拠として長い年月を掛けて信用を勝ち取ってきた「置き薬」に対して、次第に懲罰的な厳しい政策をとるようになった。明治3年(1870年)12月には「売薬取締規則」が発布され、旧幕府の医学所であった大学東校での検査を受けて免状を貰わなければ営業は禁止された。また、開発された有効な薬は7年間の専売を認めるという項目を設け、商品の改善を迫った。明治10年(1877年)には、「売薬規則」によって売薬営業税や鑑札料などの税を定めて、売薬業界への圧力を強めた。更に、明治政府は、西南戦争による財政難を補う為に「無害無能で日用の必需品ではない売薬が莫大な利益をあげている」として、明治16年1月から売薬印紙税を課した。これは、売薬税と合わせて、売薬業者には致命的な打撃となった。売薬印紙税は、40数年後の大正15年になってようやく廃止された。昭和22年、戦時中に売薬統制が解かれ、自由に薬を製造し、配置できるようになり、「置き薬」は復活の兆しを見せたが、昭和36年から始まった国民皆保険制の実施で、国民はちょっとした病気でも医者に掛かれるようになって、富山藩から始まり、日本全国に行き渡った「置き薬」は次第に姿を消していった。

「犬のお伊勢参り」も「富山の置き薬」も、世にも稀有と言える正直な日本人の「誠心誠意」という国民性の下にしか生まれ得ない。現代では、街中に設置されている「自動販売機」の文化も、治安の良すぎる国、日本独特のものとして海外から注目を集めている。治安の悪い国から訪れた外国人観光客の目には、日本人が当たり前と思って利用している自動販売機が、「路上に放置された金庫」に見えるという。日本ならではの風景として、戸外の其処此処に置かれている自動販売機を外国人観光客が珍しがって写真に撮る姿は珍しくもない。自販機どころか、東京都内でも都心を一歩離れた郊外では、野菜などの「無人店舗」を見る事ができる。ほうれん草やキャベツ、トマト、時には人参の葉などが一袋100円と書かれて誰もいない店舗ともいえない小屋みたいな処に並べられている。日本人はちゃんと100円を備え付けの箱などに入れて野菜を持ち帰る。野菜も代金も盗まれない。「誰も盗まない」という大前提があるから、未だに日本にはこんな情景が見られる。朝鮮人に汚染され切る前に、日本人が至極当然の事として醸成した日本社会が垣間見せる「正直者」がつくりだした情景である。

既に、江戸時代の国学者たちは、「漢意唐心」と「和魂和心」の違いについて力説していたし、吉田松陰は、神代からの「純」と「誠」に着目して「至誠」の思想を説いた。神道でも「明(あけ)き心、清き心を持つべし」と教える。そういう日本人特有の徳目は、神話時代からの長い長い年月を掛けてかたちづくられてきたものである。何に対しても「誠心誠意」を以って事に当たるという、太古から育んできた魂こそが日本人の国民性なのである。併し、残念ながら「誠心誠意」が通用するのは古き良き日本社会のみとなる気配である。嘗て世界中を植民地として支配した白人諸国は未だマシな方で、「ノブレス・オブリージュの掟」を厳格に守ろうとする思想もある。日本の「位高ければ、穂高きを要す」という精神に相当する。勿論、白人諸国の利己主義も甚だしいが、「大中華思想」の支那人、「小中華思想」の朝鮮人は、実に露骨に「本音と建前」を使い分け、日本人の「誠心誠意」など彼等にとっては絶好の餌食でしかない。実際、日本以外の殆んどの国にとって、政治・経済・社会・外交に於いては、「本音と建前」を巧妙と言うよりは狡猾に使い分けて、臆面もなく正義を主張し、考えている事、言葉にする事、実際に行動する事の全てが異なるのが当たり前である。中でも支那人・朝鮮人は、他人の為とか弱者の為、社会の為という、利他的な行為は絶対にしない。その獣性に於いて朝鮮人は特にタチが悪い。

その「朝鮮人に日本が内部から蝕まれている」という自覚が、当の日本人に無いのだから事態は深刻である。「東京裁判史観」に塗れた「戦後教育」や、ほぼ朝鮮人に支配されてしまったマスメディアは、史実(真実の歴史)の露呈を隠し続けてきたから、多くの善良で常識的な日本人は容易に信じようとはしないが、この日本が「朝鮮人の為の日本に改造されてきた」のは、紛れも無い史実であり、現代に於いては「朝鮮人による日本支配は、ほぼ完遂の域に達しようとしている」のも真実である。私は、既に退会したFacebookや、現在も時々呟くTwitterに於いて、何年も前から「歴代自民党政権こそが日本の韓国化の元凶である」と主張してきた。当Blogでも既述の通り、400年前に長州藩(現在の山口県)に連れて来られた朝鮮人陶工や人足たちの末裔たちが、第一グループの日本国籍朝鮮人として日本の中枢に巣喰ってしまい、大東亜戦争敗戦後に朝鮮半島への帰還を拒み、不当に日本に居座り、更には敗戦後の混乱に乗じて次々と密航してきた第二グループの在日朝鮮人たちと相俟って、日本の社会構造そのものを、本来的な日本人の美徳を損なう形で改造してしまおうと画策してきたのである。現在の日本社会の劣化は、日本人の劣化ではなく、それだけ朝鮮人の悪しき民族性が表面化してきたものとみるべきなのである。
…(4の4)終章に続く。

知識人、言論人として飯を喰っているなら、米国で出版された『Legacy of Ashes The History of the CIA』くらいは読んでいても可笑しくはない。実際、多くの知識人、言論人がこの本を読んでいるだろう。そして、黙殺しているのである。この本の初版発行は2007年6月28日。NYタイムズで20年以上もCIAを取材してきたTim Weiner記者が、膨大な資料と関係者の証言を元にCIAが決して公表してこなかった裏の歴史を描いた本である。Tim Weiner記者は、1993年から2009年にかけて、メキシコ 、アフガニスタン 、パキスタン 、スーダンに赴任した外国特派員として、また、ワシントンDCの国家安全保障担当特派員として、NYタイムズに在籍していた時に「ピューリッツァー賞」を受賞している。現在もジャーナリストとして活躍するTim Weiner氏が、この本を出版したのは現役の記者としてNYタイムズに在籍していた頃であった。この本は日本でもKindle版なら僅か1600円、ペーパーバック版なら2500円払えばお釣りがくる、誰にでも簡単に手に入る本である。

日本で大きな顔をしているT俊太郎やA理などという “なんちゃってジャーナリスト” とは人種が違う本物のジャーナリストの本だから一読に値する。同書の序文では…
「この本の主張の根拠は匿名の情報源でも伝聞でも無いと断言」している。「全編が一次情報と一次資料によって構成された初めてのCIAの歴史を纏めた本」だという。全編に亘って大変興味深い書籍であるが、日本人として注目しなければならないのは、安倍晋三の祖父である「岸信介が児玉誉士夫と並んで、CIAが戦後の日本政府を意のままに操作する為に採用した最も有力な工作員である」と明記している部分である。その為に、「CIAは、岸と児玉に巨額の資金を提供した」とも指摘している …岸も児玉も、そして安倍晋三も「日本国籍朝鮮人」である。彼等は戦後の朝鮮人密航者などではなく、16世紀の豊臣秀吉による「文禄・慶長の役」(世に言う「朝鮮征伐」)の際に、朝鮮に出兵した薩摩藩によって、日本に連れて来られた陶工や人足たちの子孫で、明治維新を迎えるまで「朝鮮人被差別部落」(現在の山口県熊毛郡田布施町)にルーツを持つ人々である。大物政治家の先祖を辿ると田布施町に行き着く事から、田布施システムなどというものが存在すると指摘されている。

ここで「日本国籍朝鮮人」という言葉を説明したい。「日本国籍朝鮮人」とは、日本国籍を取得しようとも決して日本に馴染もうとはせずに、日本人を心の底から憎み蔑み、決して心から帰化しない朝鮮人の事を言う。朝鮮人以外の外国人は、普通は日本で帰化申請をして受理されれば、晴れて日本人となる。帰化英国人とか、帰化ベトナム人とか呼ぶ場合もあるが、一旦帰化したら、母国を明らかにする必要がある場合を除いて、帰化人だなどと呼ばずに普通に日本人と呼ぶのが良いだろう。帰化はしてみたものの、どうしても日本に馴染めない場合は帰化を取り消せばいい。そういったケースは極稀であり感情ある人間なら、そういう事が起きても致し方のない事だ。だから、肌の色や先進国か後進国かどうかなどは一切関係ない。思慮の浅い者は、単純な人種差別と混同して、「差別だ、民族差別だ、人権侵害だ」と騒ぐだろうが、そういう愚か者に一々関わって時間を浪費するのは勿体無い。馬鹿は放って置くしか無いというのが世の常である。問題なのは、厳然たる悪意を持った「日本国籍朝鮮人」や「日本国籍支那人」の工作員に、そういう馬鹿が利用されて、無視できない世論を構成してしまう事態が起こり得る事である。世論が悪意を以って扇動されて盛り上がれば、真っ当な日本人も惑わされてしまうだろう。ここでも「戦後教育」の弊害は甚大なのである。正しい歴史観、国家観、道徳観というものが如何に大切かを思い知る。

戦後の日本を統治した、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)の戦略は実に単純明快な理屈で説明できる。「朝鮮人は日本人を恨んでいるから、朝鮮人に日本を統治させよう」という戦略である。当時の日本人は朝鮮人を特に敵対視などはしてはいなかったが、事大主義の朝鮮人は戦争に敗けた日本人を弱者と看做し、朝鮮を「日韓併合」により、原始生活から救い出してくれた日本への恩義を感じる事ができないばかりか、弱いとみた日本人を見下し、果ては激しく憎み、蔑んだ。朝鮮人の多くが自ら希望し、朝鮮人の総意として国家が正式に懇願して実現した「日韓併合」も、戦争に敗けるような劣った日本人に植民地支配されていたのだと逆恨みしたのである。弱者に牙を剝くのが朝鮮人の習性だから、朝鮮半島でも日本でも、朝鮮人は日本人と見るや鬼畜の蛮行を働いた。朝鮮人の憎しみを見て取った米国が、白人宗主国が少人数で植民地を統治する為に考え出した「敵対する部族や民族を互いに争わせて、少人数の白人でも漁夫の利を得て原住民を統治できる」という手法、所謂「分割統治」を敗戦後の日本にも適用したのである。GHQ/SCAPは、先ず始めに数人の日本国籍朝鮮人を選抜し、彼等を権力の座に据え、影で支えて日本人を上手く手懐けて統治させ、戦後の日本に日本的なるものが育つのを妨げた。このまま日本人に国を再建させれば、日本はまた直ぐに復活して米国に楯突いてくるだろう。自分たちの想像を超えた日本の力の根源である、日本の日本的なるもの総てがGHQ/SCAPにとっては、理解不能で恐ろしかったのである。だから日本国籍を持つ朝鮮人に権力を与えて、日本が本当の日本人の手で復活するのを妨害したのである。

英国の経済学者で歴史家でもあるアーノルド・トインビーは、「12〜3歳くらいまでに建国の神話を学ばなければ、国民の愛国心は希薄になる」と主張しているが、GHQ/SCAPは正にその説に従って、先ず日本の教育制度から改造を始めた。「日本建国の神話教育」を禁じ、「公職追放令」に先立つ「教職員追放令」で師範学校を解体した。天皇を戦犯として裁く事も検討されたが、それでは却って日本人を従わせる事はできないと判断して、天皇の地位には手を付けない事とした。マッカーサーは靖國神社を焼き払い、更地にしてドッグレース場をその上につくろうと計画していたが、当時の駐日ローマ法王庁バチカン公使代理のブルーノ・ビッテル神父の箴言(しんげん)により靖國神社は残される事になった。今になって阻止できなかった事が返す返すも悔やまれるのは、日本に居座り、戦後も続々と密航してきた在日朝鮮人の母国への帰還事業を完遂できなかった事である。GHQ/SCAPは意図的に相当数の在日朝鮮人を日本に残し、その在日朝鮮人と反日左翼を集めて「日本教職員組合(日教組)」を組織させた。彼等により、「戦前の日本は暗黒の時代で、戦後こそが米国に与えられた民主主義による自由で幸福な社会である」との、所謂「勝者に都合の良い歴史(=勝者が史実を改竄してつくった正史)」の教育を徹底させた。それが現在も安倍政権が受け継ぐ、「東京裁判史観」の偽りの贖罪意識に塗れた「戦後教育」である。

何としても自らを正当化したい米国が、日本人を心底憎む在日朝鮮人と、旧来の日本政府に反感を持っていた左翼学者を敗戦利得者に仕立て上げ、彼等に「日教組」を創設させたのである。米国はありとあらゆる汚い手を使って偽りの歴史観を日本国民全員に教育してきた。安倍晋三の先祖は朝鮮にルーツを持つ。だから「美しい国、日本」「日本を取り戻す!」などと言いながら、安倍政権に首根っ子を押さえられた文科省は、未だに「日本は武力により朝鮮を植民地支配しました」などという大嘘を、日本の小・中学生の歴史教科書に記述させているのである。安倍晋三が保守層に支持されながら次々と反日的、売国的政策を実現できるのも、根っからの嘘つきだからである。嘘や裏切りは朝鮮民族の特技である。2006年、小泉純一郎(日本国籍朝鮮人)内閣でポスト小泉と目され、内閣官房長官を務めていた安倍晋三は、同年9月20日に予定されていた自民党総裁選の下地づくりの一環として、『美しい国へ』という題名の本を上梓し、総裁選出馬の時のスローガンも「美しい国、日本」とした。この「美しい国、日本」は、統一教会元会長の故 久保木修己(1998年死去)の書いた本からの引用だと当時週刊フライデーなどで取り上げられた。『美しい国へ』(安倍晋三著・文芸春秋)=『美しい国 日本の使命』(久保木修己著・世界日報社)、この両者の本を読み比べて見ると、ただ単にタイトルが似通っているだけだと言い逃れるにはかなり無理がある。

両書を読み比べて見ると、その根底に流れる「思想」「価値観」が同じなのである。例えば、日本の「皇室制」を両者が揃って「天皇制」などと間違った呼び方をしているのは序の口で、両者が言うところの「天皇制」に対する理解も同じなのである。意外にも統一教会という邪教の会長を務めた久保木が「日本の万世一系の天皇、国を愛し天皇を愛する、そのような国体と精神が貫かれてきたのが日本」だと、天皇を敬愛する事が日本人の基本精神で「あるべき姿」だと、とても本心とは思えない事を述べている。一方で安倍も「日本の歴史は、天皇を縦糸にして織られてきた長大なタペストリー」、「日本の国柄をあらわす根幹が天皇制である」という。ほぼ同じ価値観で、用語の誤りまで同じである。また、「教育を再生する為の基本は家族・家庭」という観点も同じである。この教育・家族に対する考え方は、統一教会の成り済まし出先機関である創価学会でも盛んに信者に説かれている。「教育は学校だけで行なわれるものであると錯覚している人が多くいますが、本来の教育とは親が子に対して行なうべきもの」(久保木)、「教育は学校だけで全うできるものではない。何よりも大切なのは、家庭である」(安倍)…安倍晋三の祖父である岸信介が統一教会の日本での布教に尽力した事を考え合わせると、単なる偶然では済まされない。統一教会の巧妙な処は、誰もが反対できない言葉で日本人の心の壁を取り払ってから本性を現す処である。標的が心の扉を開くまで、統一教会は絶対に正体を明かさない。標的を徹底的に垂らし込んでから牙を剝くのである。牙を剥かれた標的は牙を剥かれた事すら気づかない。そこが統一教会の恐ろしい処、安倍晋三の恐ろしい処なのである。

因みに、久保木の著書巻末には経歴紹介の中に「岸伸介元総理を始め、各界の有識者から高い評価を戴いた」というくだりがある。安倍晋三の実父の安倍晋太郎元外相や小泉純一郎元首相の親分に当たる福田赳夫元首相も統一教会のシンパであった。安倍晋三自身、2006年5月の統一教会合同結婚式に官房長官名で「祝電」を打ったという事で、当時、大いに物議を醸した。統一教会とは、言わずと知れた韓国を発祥とするキリスト教会系を僭称する新興宗教(カルト)で、その実態は如何わしくも恐ろしい邪教としか言いようがない。教祖、文鮮明は既にヘリコプター事故で凄惨な死を遂げている。日本でも「合同結婚式」や「霊感商法」に纏わる物議や数々のトラブルを起こし、90年代には芸能アイドルやオリンピック元選手が合同結婚式に参加し、話題のオリンピック元選手が「マインドコントロールを受けていた」などと告白して、当時大騒ぎとなった。統一教会は始めは統一教会の名を伏せて近づき、人の弱みに付け込んで、べらぼうに高額な安物を売り付けたり、信者に教祖文鮮明の精液を薄めたものを「聖水」だなとと偽って飲ませるという。知らぬ間に「聖水」を飲まされてしまった被害者が大勢いる。実に悍(おぞ)ましい常軌を逸した話だが、詐欺紛いの布教活動や資金稼ぎは下っ端にやらせ、教団幹部やエリート信者は、日本の政財界や法曹界、教育界、マスメディア界などに潜入させて日本支配を影でコントロールする役割を与えられる。統一教会とは現代版「朝鮮進駐軍」の司令塔なのである。統一教会を駆逐し切るまでは日本の再興は覚束ない。悪魔の心臓・頭脳が統一教会なのである。

このように戦後の日本の在り方と、日本の現在と将来を暗澹たるものにしているのは、米占領軍の悪辣な洗脳政策よりも、日本国籍朝鮮人と在日朝鮮人を取り仕切る統一教会の存在なのである。その統一教会の手先の日本国籍朝鮮人と在日朝鮮人を重用したのが、そもそも米占領軍の日本に対する工作活動の一環なのだから、米国の罪は免れないが、仮に統一教会の暗躍さえ無ければ、米占領軍の洗脳政策が如何に悪辣なものであろうとも、日本は既に目醒めていただろう。占領政策が解かれてから66年もの歳月が流れて尚、日本人が「偽りの贖罪意識」に絡め取られ、先人が武力で朝鮮を植民地支配し、支那を侵略して大勢の罪無き民を殺戮したなどと言う馬鹿げた偏向教育と偏向報道が罷り通っているのは、日本人に紛れ込んでしまった統一教会の手先の朝鮮人による日本内部からの乗っ取り工作(背乗り行為)の成果なのである。CIAの洗脳工作の中でも、最も罪深く取り返しのつかないものが、朝鮮人工作員の起用である。当Blogの過去の投稿で明らかにしているが、極めて重要な事なので、今後も何度でも取り上げていくが、日本に蔓延ってしまった朝鮮人には二種類のグループが存在する

およそ400年ほど昔に豊臣秀吉配下の武将が日本に連れてきた朝鮮人陶工たちの末裔が第一のグループに属する。このグループには今で言う専門職である「陶工」以外にも、何の特技もない人足たちも大勢いた。彼等の子孫は明治維新を迎えるまでは、日本人と隔離されていたが、明治維新を境に朝鮮人部落(山口県田布施町=古い地名は周防国)の隔離政策は解かれ、以後一挙に田布施町出身の志士が明治政府の枢要な地位に進出し、その流れが現在の安倍晋三に繋がっている。第二のグループは、「日韓併合」中や、「大東亜戦争」中に日本に自由意志で来ていて、敗戦後に朝鮮半島への帰還を拒否して不当に日本に居座った在日朝鮮人と、敗戦後の混乱に乗じて密航してきて日本に潜り込んだ朝鮮人である。第二グループの朝鮮人には、日本国籍朝鮮人と在日朝鮮人が共存している。

「日韓併合」は、日本にとってロシア帝國の南下政策への不可欠な対応策だったとしても、それだけの理由ならば、明治政府は朝鮮を台湾などと同様に植民地にすれば済んだ事である。要塞化して日本軍を駐留させれば、ロシア帝國の南下政策への対応は事足りた筈である。方や植民地、方や合邦(日韓併合=朝鮮人を日本人として招き入れる)の違いは何故生じたのか? その答えこそが、明治政府の要職に400年前に日本に連れて来られた朝鮮人志士が相当数いた事実なのである。それまで隔離政策で封じ込めていたつもりの朝鮮人部落を明治維新で開放してしまってから、大勢の朝鮮人志士が明治政府の要職に就いてしまったのである。厳密には朝鮮人部落の隔離政策は甘過ぎた。明治維新に突き進む江戸時代末期、倒幕の為に結集した各藩の志士の中には、歴史の表舞台に名を残した者にも、歴史の闇に忘れ去られて行った者にも、数多くの朝鮮人志士が紛れ込んでいたのである。大東亜戦争の勝者に加えて日本では第三国人に都合の良い捏造史観である「正史」が今も教育されているから、こういう史実は文科省が管轄し、日教組の流れを汲む教職員たちが教鞭を執る学校教育を通じては絶対に国民に伝わらない。大東亜戦争敗戦により、日本の枢要な各層に在日朝鮮人が数多く潜り込むのを自由にさせてしまったから、教育、報道、出版物などからも、真実に辿り着くには困難を極める。インターネットの発展普及により、真実が明るみに出て来はしたが、安倍政権の所謂「ヘイトスピーチ対策法」により、朝鮮人や支那人が望まない真実が再び封じられてしまった。FacebookやYouTubeなどは「ヘイトスピーチ対策法」施行(しこう)を機に自己検閲を余儀なくされ、明るみに出掛った真実を再び闇の彼方に追い遣っているのである。 …(4の3)に続く。

「歴史」には、「表の歴史」と「裏の歴史」がある。偽りで糊塗された「正史」(=勝者が改竄した歴史)と「真実の歴史」(=勝者に消し去られた歴史)がある。この「歴史」が持つ二面性は、人類史開闢(かいびゃく)以来ずっと並存してきたものであり、少なくとも文明化された社会に生き、ある程度の教育を受けた者なら、当然ながらこの事実に気づいている。謂わば、世間を渡り歩く為の「建前と本音」のようなもので、「建前」を語る者は、内心では「建前」とは相反する自らの「本音」を自覚していながら、「建前」を信じているかのように振る舞う。歴史にも「本音と建前」のようなもの、「史実と偽史」がある。古来より支那で繰り返されてきた政治思想である「易姓革命」は、「天子は天命を受けて国家を統治しているのだから、天子の徳が衰えれば天命も革(あらた)まり、他の有徳者(=他姓の人)が新たに王朝を創始する」という考え方である。だから支那(現在の中共)は中共以前の王朝を完全否定している。従って、前王朝の伝統文化を否定する中共に4000年の歴史など無い。そして小中華主義の朝鮮では未だに前大統領を投獄する。これが「建前の歴史、勝者に都合の良い歴史」で、所謂「正史(=偽史)」である。国家というものは、往々にして自国民にこの正史を教育するものだが、敗戦国である日本は、日本を正当化する正史ではなく、日本国民に日本を否定する、文字通りの勝者(=連合国、米国)に都合の良い「正史(=偽史)」の教育を強いられた。

それが所謂「東京裁判史観」であり、歴史観・国家観・道徳観に関しては嘘塗れの、偏向しきった「戦後教育」である。現在の日本国民を取り巻く教育環境は、米国を中心とした連合国(=戦勝国)に都合よく創作された嘘で塗り固められた歴史を正史として学ばされ、公的教育も私的教育も押し並べて皆、真実に甚だ不誠実な教育環境が完備してしまっている。「戦後教育」では、「日本建国の神話や史実」の教育は固く禁じられ、日本人が受け継いできた「道徳観」さえ教育の必要はないと断じられた。朝日新聞などは未だに「道徳は教育で強制されるべきものではない」との主張を変えない。そして「戦前=暗黒時代」という日本にとっては誠に馬鹿馬鹿しい歴史観が今や常識となってしまっている。この理不尽な「戦後教育」をより複雑にしてしまったのが第三国の存在である。第三国とは、「戦勝国でも敗戦国でもない国」を指す呼称であるが、この呼称は現在認識されているような差別語などではない。差別語とした方が都合が良い国があるから差別語と言われているだけである。第三国とは朝鮮(後の韓国・北朝鮮)と台湾などを指したが、本来ならこれらの国は第三国などではなく、日本と同じ敗戦国である。日本と共に戦い、日本と共に敗れた朝鮮と台湾だが、日本の植民地であった台湾はともかく、日本であった朝鮮半島を敗戦国から除外して第三国としたのは、戦勝国の悪意ある深謀遠慮と、恩義や感謝、友情という概念を知らない人の道を外れた朝鮮人の嘘であった。

ここで、現代の日本人が絶対に忘れてはいけない、「第三国人」という言葉が生まれた経緯(いきさつ)を確認しておきたい。敗戦後、日本に居た朝鮮人や、日本敗戦から三年後に建国されて韓国人となった、「日韓併合」時代を生きた朝鮮系日本人は、戦時中は多くは志願兵として日本兵と共に戦って、日本と共に敗れたのだから、本来は日本と同じ敗戦国・敗戦国民となるのが道理であった。併し、朝鮮人どもは自ら懇願して日本人となった史実を捻じ曲げて、「自分たちは武力を以って日本に植民地搾取された」と掌を返し、自分たちは米占領軍と同じ立場の「朝鮮進駐軍」だと僭称して、失意のどん底にいた日本国民相手に、略奪、暴行、強姦、麻薬密売、放火、殺戮、など悪逆の限りを尽くした。「オレたちは米国の進駐軍と同じ立場だ」 という嘘をついて徒党を組んで鬼畜の如き犯罪を繰り返す朝鮮人どもがいると聞いて、 当時、日本を占領していた連合国軍最高司令部総司令官マッカーサー元帥は、「いや、彼等は第三国だ!(=連合国とは無関係という意味)」 と言い放った。以後、台湾人を含む、主に朝鮮人を指して「第三国人」と呼ぶようになった。「第三国人」イコール「犯罪者」というのが当時の日本人の常識・肌感覚であったから、朝鮮人どもには後ろめたさという感情など無論ないが、日本人から見れば後ろめたさを感じるであろう呼称である「第三国人」という言葉が、差別語であるかのようになってしまったのである。実際、在日朝鮮人は「第三国人」と聞くと、今でも所謂「火病」を起こす。

マッカーサーは「無関係」と言い逃れたが、そもそも徒党を組んで乱暴狼藉の限りを尽くす朝鮮人どもを勢い付かせたのは、マッカーサーの発言であった。厚木に降り立った連合国軍最高司令官は、「今日は奴隷解放の日だ。日本人により奴隷化されていた朝鮮人が解放される日だ」と宣言したのである。日本には太古の一時期に「生口(せいこう)」と呼ばれた奴隷がいたが、日本人は奴隷制度が悪い事だと本能的に理解して、直ぐにこの「生口」の制度をやめた。それ以降、日本が奴隷制度を取り入れた事実は無い。例外的に、豊臣秀吉の時代に配下の諸大名が、日本人(主に女性)をポルトガル人の求めに応じて30人、50人と海外の物品と交換したという記録が残っているが、これを知った秀吉は直ぐに日本人を奴隷として売り渡す大名を厳しく叱り、同時に東南亜細亜諸国で行なわれていた、日本人奴隷の売買を厳しく禁じる通達を発した。リンカーンの「奴隷解放宣言」後も、アフリカ系米国人を公然と差別していた米国人であるF・ルーズベルト、H・トルーマン両大統領と、日本を占領統治すべく乗り込んで来たD・マッカーサー元帥らにとって、自分たちより日本人が道徳的に優れていては都合が悪かった。だから「奴隷国家だ、侵略国家だ、戦犯国家だ」などと徹底的に汚名を着せる事で、日本を占領統治する為の大義名分としたのである。大統領から命じられた通りに「虚偽の奴隷解放宣言」をしたマッカーサーであったが、在日朝鮮人どもの余りの低劣な鬼畜ぶりに驚いて、「自分たちとは関係無い」と逃げを打ったのである。

敗戦の3年後に建国した韓国は、日本が敗戦するまで、嘗て自分たちが執拗に明治政府に懇願した結果として、国際社会賛同の下で条約により極めて平和的に日本に併合された経緯、「日韓併合の真実」を都合良く忘れた。日本は朝鮮を武力により植民地支配した事実はない。日本には日本の安全保障上の都合が確かにあったが、何故か朝鮮人だけを、台湾人や南の島々の人々と異なり、希望通りに日本人として受け容れる政策を執った。詳細は後述するが、明治政府の中枢に意外なほど朝鮮贔屓の勢力(=日本国籍朝鮮人)が相当数存在したのである。全体の6〜7%程度にしか過ぎない王族や特権階級である両班(やんばん)を除いて、明日をも知れぬ原始生活を送っていた朝鮮人は、日本人になれば、自分たちも世界の一等国民になれると、併合を熱望した事実は、後になって幾ら打ち消したいと願っても、史実から完全に消し去る事はできない。百歩譲って韓国人や北側の朝鮮人が自分たちの力で発展できなかった事を悔しく思うのは理解できるとしても、嘘はいけない。朝鮮を近代化した日本の先人と、朝鮮系日本人となって共に努力した朝鮮の先人に失礼である。二百歩譲って、朝鮮(韓国)国内で妄想に溺れるのは勝手であるが、国際社会に向かって日本を貶め、妄想を史実であるかのように虚偽工作するのは許せない。朝鮮人を観るにつけ、人間として誠実になれと言うだけ無駄である事は分かるが、日本人として朝鮮人の嘘を黙認する訳には行かない。

大東亜戦争に於いては、朝鮮人は朝鮮系日本兵、然も朝鮮人自ら倍率の厳しい志願兵に応募して、日本人と共に連合国と戦った。洪思翊(こうしよく)という陸軍中将は、敗戦後に連合国軍から「君は朝鮮人だろう。日本兵に無理矢理 戦わされたに違いない。そう言えば命だけは助けてあげよう」と唆された。併し、洪思翊は「いや、私は大日本帝國陸軍中将だ」と言って自ら死刑を選択した。現在の韓国や北朝鮮の卑劣ぶりを見ると俄かには信じられない事だが、日本人に教育された朝鮮人の中には、このような立派な軍人も居た。だからからこそ、現在も尚、靖國神社には朝鮮系日本兵の御霊が祀られているのである。出撃前夜アリランを歌って沖縄に特攻出撃した朝鮮系日本兵の光山文博陸軍大尉や、李登輝元台湾総統の実兄の李登欽海軍上等機関兵など、およそ5万人の朝鮮・台湾出身者が靖國神社に祀られている。先人を敬うに日本人も朝鮮人も無い。今があるのは先人のご苦労あってのものだから、支那人も朝鮮人も日本人も、先人への尊崇に垣根など無いのである。それが分からず恩を仇で返す行為を続けるは、天に唾を吐くに等しいのだが、朝鮮人にはこの理屈が通らない。日本人に成り済まして日本社会の中枢に紛れ込んだ朝鮮人が、今では立派な日本人の振りをして、この日本人の真実の主張を封じ込める法律をつくってしまったのだから遣り切れない。

数万人の朝鮮人に武器を持たせて、嫌と言うのに無理矢理 連合国と戦わせる事などできる訳がないではないか。韓国や北朝鮮のように、敗戦後になってから、幾ら「自分たち朝鮮人は日本軍に無理やり植民地支配された」と偽っても、日韓併合中の朝鮮人の多くが、それまで味わった事もない幸福な生活を送ったという証拠は、当時の新聞などに幾らでも見出す事ができる。ひた隠しにしてはいるが、韓国政府や北朝鮮政府も「日韓併合の真実」の記録を隠し持っている筈である。当時の欧米の新聞記事などは何より客観的な証拠文献としての価値がある。米占領軍や朝鮮人の嘘を暴く事など、当の日本人がその気になりさえすれば簡単にできる事なのである。実際、当時は同じ日本人としての使命感や誇りを共有してくれた朝鮮人も大勢いた。だからこそ日本人と共に日本兵として大東亜戦争を戦ってくれたのではなかったか? 現在の韓国政府が建国以来一貫して自国民に国策教育しているような、華々しい「韓日戦争の勝利」など在りはしなかった。韓国が建国された時点では日本は既に敗戦国であったのだから、軍隊など解体されて丸腰であった。韓国とは戦いたくても戦いようがなかった事は自明の理である。その丸腰の日本から「竹島」を奪った事を韓国人は誇りにしているのだから呆れる。韓国は戦勝国などではなく寧ろ日本と同じ敗戦国であったのに、国民に偽りの歴史教育をしているのである。そういう嘘の教育を受けていない在日朝鮮人は自ら「強制連行」の嘘を思い付いて母国同様に被害者詐欺を繰り返す。朝鮮人とは生来、妄想に駆られる病的な嘘つきなのである。現在の韓国では総国民の約40%が統合失調症(昔は精神分裂病と言った)を患っているというし、「火病」寸前で思い止まった経験があると答えた社会人は総国民の99%に達するという統計もある。恩知らずで嘘ばかりついて興奮して喚き散らす朝鮮人の生き様を見るに付け、つくづく成る程なと合点が行く。

前述の通り、朝鮮では数%にしか過ぎない特権階級であった両班たちの中には、朝鮮では常識であった奴隷制度や階級制度を廃止し、王族を除く朝鮮人全員を日本人と同じに平等に扱うという日本の統治方針に反感をもった者もいた。自称独立運動家の卑劣で残忍な遊び人、李承晩は、1919年に上海で組織した「大韓民国臨時政府」が、日中戦争勃発後、中国国民党の蒋介石の支援を受けて、重慶で「韓国光復軍」を創設したと主張している。併し、「韓国戦争記念館」に掲げてあるように、李承晩が「祖国解放のため熾烈な抗日闘争を戦った」というのは事実無根である。実態は、何処にでもいる不満分子による只の散発的ゲリラ事件があった程度で、李承晩に戦闘実績など皆無だったと言っていい。当然、連合国側は李承晩の臨時政府を国として認めず、大東亜戦争末期の光復軍の対日宣戦布告も公式に無効とした。然るに、韓国は図々しくも「サンフランシスコ講和条約」の署名国としての地位を求めたが、これもあっさり連合国側から拒否された。李承晩の「韓国光復軍」の創設年が、日本がパリ講和会議の国際連盟委員会に於いて「人種差別撤廃提案」(基本的には民族自決と同義)を訴えた年と同じであるとは皮肉な偶然である。「戦後教育」で史実を隠蔽され、真実を教育されていない現代の日本国民も、韓国々民とは正反対の虚偽教育を同時に受けている現実も、また皮肉としか言いようがない。日本人たる者、最低限の知識として「日韓併合の真実」や、敗戦後の「朝鮮進駐軍」による犯罪、そして「第三国人」の謂れくらいは知っておくべきだろう。

敗戦後73年、日本はサンフランシスコ講和条約締結(占領軍からの独立)後、既に66年目を迎えている。一体いつになったら「勝者が創作した偽史」を学ぶ「戦後教育」や、在日朝鮮人や韓国への卑屈な優遇をやめるのだろうか? 根本から否定されてしまった「日本建国の神話」や「日本独自の社会構造」、「日本独自の社会規範=道徳観」を日本人はもう一度思い出すべきである。 …敷衍(ふえん)すれば、日本人は「身に付いてしまった間違った常識」から自らを解き放つべきである。勝者に押し付けられた偽りを盲信している限り、日本人は正しい歴史観も、正しい国家観も、日本人本来の道徳観も、取り戻す事はできない。言い換えれば今の日本人は、先人が築き上げてくれた「歴史観や国家観、道徳観」という、日本人が依って立つ精神的支柱を忘れてしまっているのである。今の日本人は、「強者」と「強者の振りをする敵対的外国勢力」に都合よく振り回されるだけの「根無し草」に堕している。だから日本国民の将来に亘っての幸福など二の次三の次ぐらいにしか考えていない、保守の振りをした安倍晋三に好き放題にやられながら、馬鹿な言論人の「安倍さんは正しい」などという戯言(ざれごと)を信じるのである。新聞やテレビなどのマスメディアは、ほぼ完全に朝鮮人に乗っ取られてしまっているから、観るだけ時間の無駄であるばかりか、寧ろ日本人としての人生に害毒しか及ぼさない。YouTubeなどで支持されている識者や言論人も、保守で在りたいと願う日本国民には全く役立ってはいない。「安倍政権への支持」や「GHQ憲法の部分改憲支持」を得々と主張する似非(えせ)保守言論人の人気が高いのは、日本国民の救いようのない愚かさを端的に表している。

保守主義の言論人として名の売れている者ほど、根本的な歴史観・国家観・道徳観を見失なっている。彼等の発言の全てが間違っているとは言わないし、成る程と同意できる主張も数多くあるにはある。併し、彼等自身が積み上げてきた知識の出発点とも言える「根本」が狂っているから、歴代自民党政権や現在の安倍政権の恐ろしさに全く気づいていない。保守の振りをした売国奴に騙されているのである。狂っている「根本」こそが、歴史観・国家観・道徳観なのである。だから保守論客として先人を敬うような言動を取りながら、一方では「日韓慰安婦合意」を追認したり、或いはそれを安倍首相ならではの政治的英断と褒め称えたりする。そして、平気で「GHQ憲法の改憲」に賛成するという愚かさを露呈する。何が識者だ?言論人だ?と問い質したい。重要だから何度でも書くが、「前文」からして滅茶苦茶な「GHQ憲法」など、第九条だけ部分改憲しても、本質的には日本に資する事は無きに等しい。「改憲」は、国際法違反の「GHQ憲法」に後付けの法的根拠を与えるだけである。さっさと「破棄」するのがいちばん良いのである。それを、挑戦する前から困難だと諦めて弥縫策(びほうさく)に走るのは怠惰というものだ。彼ら自称保守言論人に限って、所謂「ヘイトスピーチ対策法」「マイナポータル制」という、日本社会の根幹を揺るがす悪政に対しては表立った反論は何ひとつしていない。彼等は保守派論客などではなく、我が身の無知に気づかない愚か者か、無知なのに博識の振りをして小銭を稼ぐ只の臆病者である。「東京裁判史観」と「戦後教育」がつくり上げた虚構の上に職を得ている卑怯者である。

彼等、知識人・言論人が恐れているのは、日本の中枢を支配している朝鮮人実力者の無言の圧力である。権力を手にした朝鮮人に睨まれたら、日本での知識人としての地位は簡単に奪われてしまう。大学教授や評論家・ジャーナリストは抗いようのない目に見えない力で社会的に抹殺されてしまうと恐れているのである。多くの日本国民が気付いていない、日本を朝鮮人に住み良い国に改造する計画は、明治維新以降、着々と進んでいる。政治家やマスメディアやアカデミズムが渾然一体となって150年も昔から、良からぬ方向に改造してきた日本という国は、本当の日本人である大和民族が気を許しているうちに、いよいよ悪しき完成の域に達しようとしている。日本人の為ならぬ朝鮮人の為の国家、日本が完成されようとしているのである。この警鐘は、日本人にとって最後の警鐘であると断言する。常識を盲信するべきではない。敗戦後に学び身に付けた常識と異なるからといって、この警鐘を軽視して鼻で嗤う者は、それと気付かぬうちに朝鮮人に国を乗っ取られ、日本人としての生存の場まで奪われてしまうだろう。後には日本という朝鮮人の国が残り、そこでは日本人は貧しい底辺で細々と生かされ、豊かな日本人を名乗る朝鮮人に支配される、朝鮮人の為の日本が完成するのである。

大和民族滅亡の序章は既に終了し、今はクライマックスに差し掛かっている。現在も続く、韓国や北朝鮮のような悪しき階級社会が日本に移植され、完成してしまったら、日本人は生きる場を失なうのである。そこには幸福な人生など無い。そんな事を許しては、もはやこの国は日本ではなくなってしまう。日本に肉薄して、既に日本を我がものと思い込んでいる危機の正体に気付き、日本人が自己防衛の為に残された最後の戦いに立ち上がらないと、この大切な日本が、朝鮮人に背乗りされ、事実上滅亡してしまうのである。総ての日本人は、今のまま呑気に暮らし、みすみす座して死を待つのではなく、今こそ大和民族としての「生存本能」を最大限に発揮するべきである。 …(4の2)に続く。

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」との名言を遺したのは、初代ドイツ帝國宰相ビスマルクだが、噛み砕いて言えば、「たかが自分ひとりの経験に頼るよりは、過去の大勢の他人や数多くの他国の経験を、言い伝えや書物などを通して擬似体験した方が、より効率的に教訓を得て賢い選択ができる」という事だろうか。それは確かにその通りなのだが、殆んどの人の考えが及ばないのが、この「歴史」というもの胡散臭さである。古今の東西を問わず、「歴史」とは必ずしも真実とは限らない。「歴史とは、常に勝者によって都合良くつくられるもの」だからである。例えば、我々日本国民が学ぶべき歴史、依って立つ歴史とは、我々の先人が紡ぎ上げてきた歴史であるべきであり、大東亜戦争に敗れた後に米占領軍によって強圧的に上書きされた誠に不条理な歴史を指してはいない。況してや、強請(ゆす)り集(たか)りや物乞いを恥とも思わない、筋違いな敵愾心に燃える朝鮮人の反日国家や、或いは敗戦の混乱に乗じて日本に棲み付き、その殆んどが密航者でありながら、「強制連行されて来た」などと嘘をついて日本を貶め続ける在日朝鮮人の嘘に惑わされてはならない。ビスマルクの名言はその通りなのだが、戦後の日本国民が学ぶべき歴史とは、何はさておいても「真実の歴史」であるべきであり、突き詰めて考えれば、「民族的記憶に遺っている経験則」と理解した方が、戦勝国や第三国の都合の良いように、勝手に創作された「偽りの歴史」や「偽りの贖罪意識」よりずっと日本人の将来に資すると断言できる。言い方を変えれば、学問的な歴史を疎かにせよとは言わないが、戦後の日本国民が教育されている「歴史」には、実に恣意的な歪曲や嘘が多いという不条理を指摘しない訳にはいかない。


毎回のように取り上げるが、「日韓併合」を「過酷な植民地支配」と嘘で歪めたり、日本の将来を担う小中学生が学ぶ教科書に、「日本は朝鮮を武力により植民地支配しました」などと虚偽記載させる文科省や歴代自民党政権と、それを変えようともしないどころか、先人が負わされた冤罪を公然と国際社会に認めてしまった安倍政権は、その所業を売国的と非難する前に、嘗て誠実に、勇敢に、時に献身的に、己が人生を生き抜いてこられた先人に対して、誠に不誠実であると言わざるを得ない。敗戦後、既に73年も経過しているというのに、日本人の為に尽くすべき筈の日本政府(=安倍政権)と官僚機構に属する高給取りどもは、何故こうも先人を蔑ろにしたまま、日本国民が有する名誉と権利を延々と毀損し続けて平然としていられるのだろうか? これはもう安倍政権も各省庁の役人たちも含めて、日本の枢要な各層が、事実上、既に敵性外国人(主に朝鮮人)に乗っ取られているとしか思えないではないか? 純然たる日本人であっても、「戦後教育」を受けて育った日本人は、常識的であればあるほど、或いは学業で優秀な成績を収めた者であればあるほど、この日本の社会構造の中枢が日本人以外の敵性外国人の手に落ちてしまっている 朝鮮民族に半ば以上支配されている という現実を受け容れる事には抵抗するのが常である。冒頭で述べたビスマルクの名言は真実を言い当ててはいるものの、学ぶべき「歴史」とは、正しい歴史観を持った目で学ぶ事が大前提であるのだが、今の日本人の多くは、その正しい歴史観を持ってはいない。「戦後教育」が、正しい歴史観と正しい国家観を否定しているからである。


この偽りに満ちた歴史観と国家観を73年前に敗戦国となった日本に植え付けていったのが米占領軍であり、現在も日本政府を意のままに操る米国の悪意である事は言うまでもないが、当時、米占領軍に一切の抵抗を封じられ、弱り切り、混乱を極めた日本に付け入って来たのが、後に南北に分かれた朝鮮人と、日本に不当に居座った在日朝鮮人である事を忘れてはならない。今の日本社会で大手を振って被害者詐欺を続けている在日朝鮮人は、20065月に手を結んだ、韓国を母国とする民譚(在日本大韓民国民団)と、北朝鮮を母国とする朝鮮総連(在日本朝鮮人総連合会)に属しているが、元はと言えば敗戦直後に日本を我が物顔で荒らし回った「朝鮮進駐軍」を僭称した犯罪者どもの子孫である。現在の日本では、「朝鮮進駐軍」について語る事すら罪悪視され、平和呆けしたお気楽な日本人は「朝鮮進駐軍」が嘗て実在し、我々の父母祖父母の世代に塗炭の苦しみを与えた事すら知らない。朝鮮人の恐ろしいところは、自ら犯した犯罪にシラを切り通し、いつしか自らを被害者と偽り、歴史を捏造し、多くの日本人が気付かぬうちに、政財界や自治体(国家公務員・地方公務員)、法曹界や教育界、マスメディアや芸能界、果てはヤクザの世界にまで潜り込み、支配的地位を獲得してしまった事である。朝鮮人という輩は「成り済まし」「背乗り」が民族的特技なのである。この朝鮮人の恐ろしさに日本人は一刻も早く気付かないと日本という国は終わってしまう。日本の国会議員には日本国籍を取得した朝鮮人がおよそ200人ほどもいると言われており、戦後の内閣総理大臣にも日本国籍朝鮮人が何人もいる。経済界のトップである経団連(日本経済団体連合会)の会長職も日本国籍朝鮮人に握られた。こんな事を許して、日本を無力化する目的で米占領軍に押し付けられたGHQ憲法」を「平和憲法」だなどと未だに押し戴いている日本国民は大馬鹿者である。


戦後日本人の不作為の何もかもが後悔の種と言っても過言ではない。今更言っても遅きに失した感はあるが、戦後ときを置かずに教育界を朝鮮人に牛耳られてしまったのは日本としては返す返すも迂闊であった。朝鮮人の穢れた手から日本の将来を決定づける役割を担う教育界を取り戻さなかったのは、後悔と諦めるには余りにも痛過ぎる。現在の義務教育は元より、大学教育までもが、米占領軍の悪意により、所謂 敗戦利得者在日朝鮮人・日本国籍朝鮮人に乗っ取られてしまった。「教職追放令」に始まる大々的な「公職追放令」は、戦後日本の社会構造を回復不能なまでに変えてしまった。アカデミズムとは所謂「象牙の塔」であるから、戦後の常識(=捏造史観を基礎に置いた判断基準)に殺(そ)ぐわない考え方を絶対に受け容れない。総ての日本国民は真実とは懸け離れた歴史観を基礎に置いた「戦後教育」を受けて社会人になるのだから、教育とは正に「国家百年の大計」であった。そこを売国奴と敵性外国人の手垢まみれにされてしまったのだから、学術研究者は勿論の事、例外なく「戦後教育」に洗脳されてしまった日本国民の多数派に受ける発言しかしない知識人・言論人や、「愛国心」という言葉すら忌み嫌うマスメディア子飼いの評論家どもに、この日本が真の姿を取り戻す為の啓蒙的輿論誘導など期待できはしない。政治家も官僚も、真正面から「愛国心」について語ろうとはしないし、外務官僚に至っては、切実にして唯一の使命である「国益」の追求すら憚る風土にどっぷりと浸かっていると言うのだから呆れるしかない。外務官僚どもは、親日国家より反日国家の顔色を窺う事に汲々としているのである。現実問題として、国家公務員になると台湾への旅券(パスポート)は発給されなくなる。日本の国家公務員には、国際社会で嘘偽りで日本を貶め続ける韓国や中共に渡航する為の旅券は問題なく発給されるが、親日的な国家と言ってもいい台湾への渡航は許されないのである。


日本政府や外務省は、国際関係や外交の在り方・目的を見失なっているとしか思えない。国際社会に於いて「善隣友好」とは飽くまでも外交の結果であって決して目的ではないのだが、反日国家と仲良く折り合いをつけていく事、詰まりは常に一方的に我が国が国益を譲る事こそが外交であると、政治家も外交官も須(すべか)らく(=当然、為すべき事として)勘違いしているのである。こんな馬鹿げた、「東京裁判史観」に歪められてしまった「日本人の国民意識」を変える為には、何としても「教育」を立て直さないといけない。詰まりは、「象牙の塔」がどう反発しようが『真実を告げる』事こそが最重要なのである。これは今直ぐにでも始めないといけない。一年後でも一箇月後でもない。今日からでも可笑しな事は可笑しいと、間違った事は間違っていると正さないと日本という国が滅びてしまう。世過ぎ身過ぎには直接関係は無いから知らない人も居て当然だし、私も詳しくは知らないが、〈宇宙の成り立ちを解明する為、岩手・宮城両県に跨がる北上山地に建設が構想されている次世代加速器「国際リニアコライダー(ILC)」の全長が、当初計画の30kmから20kmに縮小される事になった〉という。「ILC」が日本にできれば世界中の科学者が何万人と日本に集い、数十年間も日本の科学が世界をリードすると言われている。併し、初期費用が8300億円掛かるという理由で日本政府が二の足を踏んでいるという。安倍首相がミャンマーに返済を棒引きしたODA(政府開発援助)は、一回の首相訪問の手土産として、日本への返済が滞っている債務のうち新たに2000億円を免除し、5000億円の債務を解消、円借款と無償資金を更に920億円も追加支援したと言うのにである。日本が韓国や中共などの反日国家に注ぎ込んだODAはこの比ではない。安倍晋三は日本の首相として110箇国を訪れ、54兆円の血税をばら撒いた一方で、「ILC」に掛かる8300億円の初期費用は惜しいという。肝心な国家の背骨が捻じ曲がってはいないか?


歴史観・国家観が狂うと国の根幹が可笑しくなってしまうのである。小泉純一郎は、2002年(平成14年)に北朝鮮の犯罪者、金正日と会談した際に「日朝平壌宣言」を発表した。「過去の植民地支配によって、朝鮮の人々に多大の損害と苦痛を与えたという歴史の事実を謙虚に受け止め、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明。国交正常化の後、双方が適切と考える期間に亘り、無償資金協力、低金利の長期借款供与及び国際機関を通じた人道主義的支援等の経済協力を実施し、また、民間経済活動を支援する見地から国際協力銀行等による融資、信用供与等が実施される事が、この宣言の精神に合致するとの基本認識の下、国交正常化交渉に於いて、経済協力の具体的な規模と内容を誠実に協議する」と、日本国民を日本国内から八百数十人も拉致して返さない北朝鮮の二代目独裁者に、数兆円とも数百兆円とも言われる筋違いな償い金を支払う約束をしたのである。馬鹿も休み休み言えと言いたい。小泉も朝鮮人である。同じ穢れた血を受け継ぐ安倍晋三もトランプに言われるままに日本国民の血税を支払う積もりだろう。朝鮮人にとって日本国民の財産などどうでもいいのである。安倍晋三首相支持者は、「我らの安倍首相が朝鮮人である筈がない」と反発するだろうが、安倍晋三がしてきた日本人には不可解としか言いようがない数々の所業をどう説明する気だろうか? 「日韓慰安婦合意」で先人の冤罪を認めたのは誰か? 「ヘイトスピーチ対策法」で、日本人に対する在日朝鮮人の故無きヘイトスピーチに、日本人にだけ反論の口封じをしたのは誰か? 「マイナポータル制」で、日本国民の個人情報の全てを韓国企業に売り渡したのは誰か? 単なる反日感情とすら言えない「日本に対する敵愾心を滾らせる特亜三国」からの大量移民を受け入れようとしているのは、いったい誰なのか?


現下の国際社会は、グローバリズムからナショナリズムへと向かう大きな端境期(はざかいき)に差し掛かっている。米国にトランプ政権が現れたのは、それを象徴する事象ともいえる。そのトランプと馬が合い、国際社会に日本の総理大臣が存在感を示すのは結構だが、派手なパフォーマンスに騙されてはいないか? この大きな端境期を指してパラダイムシフトと言い換える事もできる。パラダイムシフトに混乱は付きものなのは、それこそ歴史が証明している。中東やアフリカ大陸からの難民がどっと欧州に押し寄せた2015年、メルケル独首相は率先して難民・移民に門戸を開放した。併し、この方針は政治的な大失策とされ、ドイツ連邦議会(下院)選挙では、排外的な政策を持つ「ドイツの為の選択肢(AfD)」が初めて下院に足を踏み入れる事態を許した。オーストリアでも難民・移民の受け入れ厳格化を唱える「国民党」が第1党となった。欧州各地で反移民感情の畝(うね)りが伝えられる中、ドイツはいったい何故これほど多くの難民をいちどきに受け入れたのか? ドイツの有力誌シュピーゲルによれば、20159月以降の1年間で約80万人の難民が入ってきて住み着いたという。難民・移民問題の専門家でもあるシュピーゲルのコーデュラ・マイヤーは、後に出て行った者を含めるとドイツが受け入れた難民の総数はこの一年間に100120万人にも上ったという。人口8000万人のドイツの総人口の1.5%に相当する難民が僅か1年間に流入し、メルケルは総人口の1%相当の難民に永住権を与えた。奇しくも、これは戦後の混乱期に日本に居座ったり密航してきた朝鮮人の人口規模に当て嵌まる。今、ドイツ国民の過半数が1%相当の異民族の永住に反対の姿勢を明確にしているのに対して、日本では1%を超える、不当に居座り、或いは密航してきた朝鮮人について言及する事すら「差別」であるとタブー視する法律ができた。そして更に大勢の支那人や韓国人の移民に国を開こうとしているのが安倍政権である。


朝鮮人に対する日本人の反論を、全部が全部ヘイトだと決め付けて、話題にすらしてはいけない事と看做してしまう、今の日本社会の風潮は明らかに間違っている。前述の「ヘイトスピーチ対策法」は、この可笑しな風潮を追認し、法的根拠を与え、日本人にだけ反論を禁じる天下の悪法である。明らかに反道徳的・反社会的であったりするものを除いて、人の考え方や発言に対して異論をさし挟む事すら許さない悪法など日本には害悪しか齎さない。そもそも朝鮮人を指して朝鮮人と言う事すら「差別」だと言うのは可笑しくないか? 韓国や北朝鮮は元は李氏〈朝鮮〉であったし、韓国には〈朝鮮〉日報という新聞もあれば、韓国人が同民族だと認める北〈朝鮮〉の正式国名は、〈朝鮮〉民主主義人民共和国であるのだから、朝鮮と言う呼称そのものに侮蔑的意味がある筈が無い。韓国人は韓国人であると同時に朝鮮民族でもあるのだから、彼等を総称して朝鮮人と呼ぶのは当たり前である。韓国人が日本人をチョッパリと呼んだり、天皇陛下を日王などと呼び捨てるのとは訳が違う。朝鮮半島は朝鮮半島であり、韓国人や日本の現役の防衛大臣が幾ら韓半島などと呼び換えても、その政治的主張に後付けの正統性など生まれはしない。朝鮮の呼称についてはともかく、戦後の日本人に対して朝鮮人たちが為した鬼畜の蛮行について、客観的証拠と共に反論する日本人の正当な行為を封じる目的で「差別」という言葉を乱発するのは決して許される事ではない。韓国政府や韓国人が、日本から受けた被害として言い募る大嘘の数々に対しては堂々と反論するべきである。抗議すべき時に何の抗議も反論もせず、犯罪者の戯言でしかない「差別」という決め付けで、一切の反論を封じられるのは明らかに理不尽である。


前述した、「日韓併合」を「過酷な植民地支配」というのは、明らかに歴史歪曲であるし、「戦時中の追軍売春婦」或いは「公募に応じた軍人相手の高給娼婦」を指して「(従軍)慰安婦」とか「性奴隷」と呼び、日本軍が組織的に強制連行して、果ては口封じの為に大勢を殺害したなどというのも真っ赤な嘘、朝鮮人独特の誇大妄想による被害者詐欺と言っていい。徴用工についても同じ嘘を韓国人は主張している。そして、現在の日本に数多く棲み着いている在日朝鮮人や日本国籍朝鮮人(=日本に帰化して尚、日本を侮蔑する朝鮮人)たちが、日本軍に強制連行されてきた朝鮮人だというのも大嘘である。事実無根の中傷である「在日朝鮮人の大半は戦時中に日本政府が強制労働をさせる為に強制連行されて来たもので、不要になったからと言って勝手に送還するのは理不尽だ」などと言う大嘘こそ理不尽極まりない。外務省は「在日朝鮮人の引揚に関する経緯」について発表し、1959年(昭和34年)の朝日新聞は「大半、自由意志で居住」の見出しで、この事実に触れている。これによれば在日朝鮮人の総数は約61万人だが、そのうち戦時中に徴用労働者として日本に来た者は245人に過ぎないとされている。実際には、敗戦直後の日本には約200万人もの朝鮮人が自由意志で棲み着いており、そのうちの多くは帰国を拒んで日本人から土地家屋のみならず、GHQの記録に残っているだけでも4000人以上の日本国民が命さえ奪われた。


ところが在日朝鮮人たちは未だに「自分たちは日本軍に強制連行されて来た」と平然と嘘をつき続けている。数年前までNHKの「ニュースウォッチ9」のメインキャスターを務めていた、大越健介(在日朝鮮人)は、「在日コリアンの一世の方たちというのは、1910年の韓国併合後に強制的に連れて来られたり、職を求めて移り住んできた人たちで大変な苦労を重ねて、生活の基盤を築いてきたという経緯があります」と堂々と在日朝鮮人の嘘を追認し、既成事実化を図った。この発言の数日後、大越はNHKに匿われるようにニューヨーク支局に転勤となり、ほとぼりが冷めた頃合いを見計らって何喰わぬ顔で再来日した。NHKも大越も、「在日朝鮮人強制連行説」を否定していないのだから悪質である。「東京裁判史観」により歪められた「戦後教育」を受け、「偽りの贖罪意識」を刷り込まれた日本国民の多くが、朝鮮人の嘘に騙され続ける社会構造が現在の日本には既にでき上がっているのである。在日朝鮮人が、本来は国際法に基づいて条約により成された「日韓併合」について、あと知恵で悔しく思うのは勝手であるし、百歩譲って理解もできようが、今や「反日感情」とすら呼べない「侮日感情」に基づく誣告(ぶこく)行為に対しては、日本政府は堂々と反論し、誤りは正すべきであるのは言うまでもない。併し、公然と反論もせず、その場凌ぎで冤罪を認めて謝罪してしまうなど、真っ当な日本人のする事ではない。然るに、保守層の多くを占める国民が支持する安倍晋三なる政治家は、真っ当な日本人なら絶対にしないであろう政策を最(いと)も容易くやってのけるのである。小中学生に嘘の歴史を教える教科書を黙認し、我々の先人が負わされた冤罪を国際社会に公然と認めてしまったばかりか、「ヘイトスピーチ対策法」「マイナポータル制度」などの売国的悪法や社会制度を、国民的議論も経ずして立法化してしまったのである。


「マイナポータル制」についても既に何回も批判しているが、このような売国的制度を断行した安倍政権の日本国民に対する裏切り行為の数々に対しては、何度繰り返し批判しても批判し過ぎと言う事は無い。日本人の現在と未来を本当に大切に思うなら、日本を敵愾視する反日国家に、日本国民の個人情報の全てを開示してしまうなど、まともな政治家や政府いや日本人にできる事ではない。安倍首相は何故「先人の冤罪」を認めてしまったのか? どうして日本人だけ朝鮮人を批判してはいけないのか? 強制連行されて来て差別され続けた筈の在日朝鮮人が、どのようにして日本全国の駅前一等地にパチンコ屋を開業したり、価格の高い土地に自社ビルを所有しているのだろうか? ギャンブル依存症(=パチンコ依存症)患者が536万人もいるという推定値が、IR法案(カジノ法案)が議論され始めると何故いきなり280万人に半減したのか? このカラクリを知るとIR法案を推進し成立させた自民党議員たちの薄汚さが窺える。彼等は厚労省の役人を使って「自分をギャンブル依存症だと思う」という項目に「生涯を通じて」というキーワードを加えてIR法案への逆風を取り除く「再調査」をしたのである。調査方法を操作したのだから、日本国民を蝕むパチンコ依存症の深刻さには何の変わりもない。日本国民の健全性を図るよりもパチンコ利権、カジノ利権の旨味にハイエナの如く群がったのである。


だいいち日常生活にこれほど身近で有害な賭博であるパチンコが、未だに日本でだけ商売を許されているのは可笑しいではないか。通名の在日朝鮮人経営者が日本人に成り済ましている国会議員に賄賂を贈っているから日本からパチンコが無くならないのである。戦後に日本と同様にパチンコ屋が流行っていた韓国も台湾も、とうの昔に国を挙げてパチンコ撲滅に取り組み、法律でパチンコ賭博を禁止した。国民の人生を護る為に、韓国や台湾の政治家がパチンコを禁止したのは当然である。日本だけが、その当たり前の事ができないのは、日本にだけ在日朝鮮人を優遇する社会構造が出来上がっているからである。まともな思考力があると思っている日本国民は一度冷静になって考えてみるといい。日本の内閣総理大臣と経団連の会長が、揃いも揃って朝鮮人というのは狂っていると思わないか? 安倍晋三の屋敷も地元の事務所もパチンコ屋の成り上がり、東洋エンタープライズが所有する敷地の中にある。現在の所有権まで調べてはいないが、安倍家が在日朝鮮人の丸抱えである事は、今時なら誰にでも調べられる。岸信介も佐藤栄作も安倍晋太郎も朝鮮人。昭恵夫人がトランプ夫妻と一緒に食事した際に、メラニア夫人から韓国ドラマの話を夢中で捲し立てる昭恵夫人が「貴女は日本人なのに何でそんなに韓国の話ばかりするのですか?」と不快気な皮肉を言われたのは未だ記憶に新しい。経団連の前会長榊原定征(崔定征)も朝鮮人。新会長もかなり怪しい


日本が抱える社会問題の殆んどは、在日朝鮮人と日本国籍朝鮮人の一掃により解決できる。故渡部昇一氏は「国会議員は三代遡って出自を明らかにせよ」と力説されていた。そんな事はまともな国ならとっくにやっている制度である。何より、現に棲み着いている朝鮮人には「通名」を禁止すべきである。彼等が本名を隠すのは、日本人から差別されるのを恐れたからではない。敗戦濃厚となった朝鮮半島や総力戦で疲弊し切った日本本土で踠(もが)く日本人を弱者と見下して、鬼畜の如き犯罪・蛮行を働いた朝鮮人の後ろめたさが、朝鮮人である事を隠したのである。そして何より、朝鮮人というのは百済・新羅・高麗の昔から、元々は朝鮮半島に棲んでは居なかった原人たちが、恰(あたか)も背乗りするかのようにそこに住んでいた住民を殺し、入れ替わったという歴史があるから本性を隠すのである。勝者の歴史歪曲を是とするアカデミズムは決して容認しないが、今、朝鮮民族と呼ばれている者たちが、少なくとも我々普通の人類とは異なる事実は遺伝子研究の分野では既に明らかとなっている。よくよく考えて今の日本人が置かれている民族的危機に目を向け、危機を危機として認識して、必要な対処を施すべきである。日本は似非(えせ)朝鮮人にどんどん穢されて、緩み切った日本人もこのまま堕ちる処まで堕ちるしかないのだろうか? 


至る処で起きる日本人らしからぬ悍(おぞ)ましい犯罪は、調べてみると殆んどが在日の仕業である。誠実で機知に富んだ聡明な日本の「ものづくり文化」も次第に穢され始めている。ひと昔前なら考えも及ばない「悪事の改竄」は日増しに明らかにされる数を増加させている。日本人の劣化が取り繕えない程に深刻化しているのである。本来ならそのような不名誉を招く前に問題の芽を刈り取るか、或いは告発するべき社会の指導層政治家、教育者、知識人、言論人は、米占領軍による「公職追放令」や「焚書」、「歴史捏造」、「東京裁判史観」の犠牲になり、社会の表舞台から姿を消してしまった。卑劣な敗戦利得者と在日朝鮮人どもにとって代わられた日本社会の指導層は、心ある真正日本人が立ち上がらない限り、このまま劣化再生産を続けて、軈(やが)ては嘗ての李氏朝鮮や現在の南北朝鮮のように世界に取り残されるか、本来野蛮な列強諸国の喰いものにされるだろう。日本人はこの現状を追認してはいけない。坂を下り続ける日本を変えなければならない。日本国民を自堕落にする「GHQ憲法」は「部分改憲」してみたところで、日本再生は成し遂げられはしない。手遅れになる前に、誰かが猛烈な勢いで色褪せるこの日本に息を吹き込む必要がある。間違った教育と、可笑しな政治を正せるのは日本人自らを置いて他には居ない。戦後日本を堕落させた現在の指導層に、もうこの日本を任せては置けない。日本人が自己変革の意志を示し、今直ぐに行動を起こさなければ、この貴い国が滅び行くのは喰い止められないだろう。微温湯(ぬるまゆ)から抜け出し、生存本能を喚び醒まさなければ我々の子々孫々に明るい未来はない。

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