石川久遠の「日本人なら知っておきたい真実」

日本国民は『真実の近現代史』を教えられていない。当ブログでは『真実の近現代史』をメインテーマとして書き綴っていく。また、一人の愛国者として日々 思いついた事を形に捉われずに書き留めてもいきたい。 何より、「東京裁判史観」と「朝鮮人による日本支配」からの脱却を促したい。 肌の色や出自、文化文明の後進性を以っての人種差別には当然反対するが、日本を敵愾視する外国人を優遇する日本の行政の在り方は愚かであり、日本国民とは歴然と区別するのが本来あるべき権利の公平性と考える。 日本国民の精神性の発達の阻害要因を、「東京裁判史観」と「戦後教育」、及び「米国への隷従姿勢」と考える。 長文読解が苦手な方は対象外。…読むだけ無駄です。

2018年09月

当Blog(…敢えて「拙Blog」とは言わない)を発信する目的は、「真実の歴史」と「本来の日本人の生き方」を見失なってしまった多くの日本人に、「今のまま何もしないで悪意に基づく風潮に流されて、無自覚に暮らしていては、やがて日本という国は、この国に暮らす日本人諸共滅亡してしまう」という厳然たる国家民族存亡の機を、直近に迫った現実のものとして広く知らしめ、ひとりでも多くの日本人が真実に覚醒して、この日本全体を覆い尽くしている悪意を退け、日本という国と日本人が本来の形で生き延びる、という一事に尽きる。今の日本が抱える解決すべき諸問題は数限りなくあるが、中でも最も死活的なものは、所謂「東京裁判史観」から脱却できるか否かという事と、「日本に棲み着いた朝鮮人の悪意」に気付いて、毅然と正しい対処ができるか否かという、ふたつの問題に集約できる。併し、残念ながら現状では、それが全くできてはいない。ひとつ目の「東京裁判史観」については、「大東亜戦争」の敗戦国となった日本という国家が、連合国を名乗る米国一国による占領政策(=洗脳政策)により、その政治体制も教育体制も、そこから生じる凡ゆる社会構造の一切が、「偽りの歴史観(=東京裁判史観)」にすっかり歪められ、騙されているという、紛れもない現実に日本人が目を向ける事から始めなければならない。これは、多くの保守的と見られる言論人なども指摘するところであるが、現状では、そういう意見はあるものの、現実の政治も、教育も、社会構造も、何も変わらないという状態を半世紀以上も続けるばかりで、「東京裁判史観からの脱却」は今では単なるお題目でしかなくなっている。三選を決めた安倍晋三自民党総裁が、日本の内閣総理大臣に就任した当時から、口では「東京裁判史観からの脱却」を唱えながら、その行動の全てが「東京裁判史観」の枠内でしかない事に如実に現れている。安倍晋三が任期を全うした後も、この惨状は一朝一夕には変わらないだろう。

ふたつ目の「日本に棲み着いた朝鮮人の悪意」についても、安倍政権が野党の賛同を得て成立させた、所謂「ヘイトスピーチ対策法」により、事態は益々深刻さの度合いを増してしまって、日本人の立場は一層厳しいものになっている。私に言わせれば、「ヘイトスピーチ対策法」などという悪法を成立させた行為に表れているように、安倍晋三は有権者の無知蒙昧さをいい事に、日本国民を平然と裏切り続けている。年若い有権者ほど安倍政権を支持しているというから、事態は深刻である。「『東京裁判史観』からの脱却」といえば、賛成か反対か意見が別れはするものの、「東京裁判史観」そのものの意味を理解できない者は少ないだろう。だから脱却への道程(みちのり)にも何れは歩み出すだろうと期待したい。
併し、ふたつ目の問題である「日本に棲み着いた朝鮮人の悪意」については、その実態を理解している者は極めて少ないと言える。戦後生まれの比較的高齢の世代の多くが、日々無自覚に視聴し続けているテレビメディアでは、嘘塗れの韓国時代劇が毎日のように垂れ流され、若年中年を問わず、特に女性たちが、K-POPアイドルに黄色い声を張り上げている。韓国人アイドルたち自身が自国内では大嫌いだと公言する日本での出稼ぎコンサートは、常に在日と馬鹿な日本人で大入り満員という有様である。日本人を見下し、敵愾視する韓国人の心根も知らずに、家庭で毎日のように視聴される韓国ドラマを観て育つ次世代を担う日本の子供たちが、今では中高年となった戦後世代が、米国製のテレビドラマを観せられて、知らず識らずのうちに米国に憧れたように、やがては韓国に憧れ好感する日本社会の主流派となる恐れは充分にあるだろう。

一方、日本を敵愾視し続ける韓国では、未だに日本のドラマは放映禁止とされている。一部の有料ケーブルテレビなどでは年齢制限付きで、日本ドラマやJ-POPの日本語放送が許されているというが放映量全体から見たら無きに等しい。建国以来、韓国では日本文化は有害とされ、劇場で上映される日本映画も厳しく制限されている。来月(2018年11月)、韓国済州島で開催される「国際観艦式」では、日本から参加する予定の海上自衛隊に、自衛隊旗(旭日旗)掲揚を自粛するように申し入れるという非常識を、韓国政府は平然と日本政府に要求してきた。旭日旗=戦犯旗というのは、韓国人がつい最近になって思い付いて国際社会で繰り広げるようになったプロパガンダ(=嘘)である。そもそも、韓国人が旭日旗を戦犯旗だと言い出したのは、2011年(…僅か7年前!)に日本で開催されたサッカー・アジア杯の日韓戦に於いて、韓国選手の奇誠庸(きせいよう…現地読みではキ・ソンヨン)が試合中に日本人を侮蔑して猿真似パフォーマンスをし、試合後に真意を問われて、「日本サポーターが旭日旗で応援するのを見てカッとなった。旭日旗は日本軍国主義の象徴だからだ」と答えたのが始まりである。それ以前は韓国の若者やロックバンドなどが舞台装置やコスチュームに旭日旗を好んで使用していたが、韓国人は何も抗議はしていない。奇誠庸が苦しい言い訳(=嘘)をするまでは、韓国で旭日旗模様はクールだと言われていた。韓国人とは、実に都合良く物忘れしてしまうのか、大嘘つきかのどちらかなのである。いや、はっきり言おう。韓国人は生来の大嘘つきである。

サッカー選手が見せるゴールセレモニーには、しばしば人種差別的なものが見受けられる。欧州ではイエローモンキーと言えば東洋人蔑視の象徴だし、白人サッカー選手の中にはゴールを決めた喜び表現の時に、ふと本心を露呈してしまうらしく、東洋人蔑視のお決まりである両手で両目を吊り上げる者が後を絶たない。2009年には、英国の名門クラブであるマンチェスター・ユナイテッドが韓国遠征の際に、FWフェデリコ ・マケダが猿真似のゴールセレモニーを披露した。両耳を手でつまんで舌で上唇を押し上げる、奇誠庸がしたのとそっくりな猿真似である。多くの無教養な白人(フェデリコ ・マケダはローマ出身の生粋のイタリア人)にとっては、韓国人も日本人も同じ猿なのである。ところが、大金をはたいて招待したマンチェスター・ユナイテッドの選手の猿真似に腹を立てた韓国人が、その2年後には日本人サポーターに向かって猿真似をして退けるという、同じ東洋人としては理解不能な挙動に出た。日本人を蔑視する時だけ韓国人は瞬時に猿からヒトに進化するらしい。韓国ドラマやK-POPを楽しい娯楽と捉える無教養な日本人は、韓国人を含む朝鮮人がどれほど日本人を敵愾視し、蔑視し、嘘で貶めているか知らないのだから悲しいではないか。憎しみや蔑みの連鎖を奨励しはしないが、我々にだけ卑しい心根を向け、世界中で嘘を振りまく朝鮮人に対しては、常に毅然と構えていたい。韓国贔屓の日本人は、明治43年(1910年)の「日韓併合」以来、原始人同然の暮らしをしていた朝鮮人を、物心共に支援 …というより尽くしに尽くしてきた日本人が恨まれる不条理をどう考えているのだろうか?

「東京裁判史観」に便乗して日本を戦犯国家呼ばわりして戦勝国ヅラする朝鮮人には、日本人はもっと毅然と対峙するべきだ。本来なら日本人を名乗っていた朝鮮人も日本と同じ敗戦国民である。旭日旗の下で戦時捕虜を虐め抜いたのは、主に捕虜の監視役に就いていた朝鮮系日本兵であった。事大主義の朝鮮人は、自分が強い立場にいると思った途端に横暴になる。「日韓併合」時に、それまで朝鮮人だと馬鹿にしていた支那人たちに、「俺たちは日本人だぞっ!」とばかりに威張り散らしたという事例を探せば幾らでも当時の資料を見つける事ができるというのに、敗戦後の日本人は、そういう歴史的資料の収集と保存、真実の周知徹底の重要性を、米国を始めとした戦勝国群と第三国から、陰に日に封じられてきた。それこそが「東京裁判史観」であり、日本に巣喰った朝鮮人どもが戦勝国の威を借りて、日本国民に押し付けてきた「捏造史観」と「偽りの贖罪意識」に汚染された「戦後教育」なのである。旭日旗を戦犯旗と貶めるなど、偽りに満ちた「戦後教育」から離れて、少しでも自分で歴史を勉強した日本人からみれば、筋違いも甚だしく、許し難い愚かな言いぐさである。韓国を現在の先進国に引き上げてあげた日本に対して、恩を仇で返し続ける理不尽な歴史的事実を、「戦後教育」が教えず、マスメディアなどに潜り込んだ在日が嘘を垂れ流すなら、日本人は自らの力で歴史を学び直す自覚を持たないと、このまま済し崩し的に日本は駄目な国になってしまう。韓国ドラマやK-POPを、予断なく心を開いて娯楽と認識するのは決して間違とは言い切れないが、本当の歴史や韓国人の卑しい心根を想像だにせず、ただ単純な娯楽として楽しむ日本人は愚か者である。在日朝鮮人を中心として米占領軍が組織させた「日教組」(日本教職員組合)が牽引してきた「戦後教育」を盲信した日本人の成れの果てである。

朝鮮人について日本人が肝に銘じておくべき事は、彼等の卑しい心根を知る以外にも、とても重要な事がある。心すべきは日本人に成り済まして日本に仇なす朝鮮人の存在である。そして、そういう不届き者には幾通りかの種類がある事を知らねばならない。日本に居住する朝鮮人を一口に「在日韓国人」或いは「在日朝鮮人」と呼称するのは、実態を分かり難くする悪しき習慣である。当Blogでは、日本に暮らす朝鮮人は大別して、およそ600年前に豊臣秀吉の「朝鮮征伐」の際に、薩長が朝鮮からその家族共々連れ帰った大勢の朝鮮人陶工や朝鮮人人足たちの末裔と、「日韓併合」を機に日本本土に流入し、大東亜戦争敗戦後も帰国を拒み、勝手に日本に永住する道を選択した朝鮮人に大別して論じる必要性を訴えてきた。歴史的時間軸では厳密には三種類の朝鮮人が存在するのだが、大昔に渡来して日本人に同化した朝鮮半島の住人はこの際 問題視する必要はない。日本に同化して日本人となった者は日本人である。問題視すべきは、「朝鮮征伐」の時に薩長が連れ帰った朝鮮人と、「日韓併合」から「大東亜戦争敗戦後の数年間」に日本に不当に居座った朝鮮人という、二種類の朝鮮人がいる事である。話が些かややこしくなるが、600年前に連れてきた朝鮮人は、「明治維新」と共に日本国籍を取得したが、その多くは民族的アイデンティティを半島に残している。「日韓併合」以降に日本に居座った朝鮮人は彼等とは同じ朝鮮人でも、彼等の間でも歴然と一線を画しているという事実である。実際、彼等は仲が悪い。


ここでは先ず、新旧二種類の朝鮮人が日本に永住している事を明らかにしておく。よく覚えておいていただきたい。前者の朝鮮人の代表格が、伊藤博文安倍晋三である。これは権威ある書物にも教科書にも書かれていない事であるから、「ソースを示せ」という方には、「自分で調べろ」と言っておく。この論の進め方に納得できない方は、私のBlogは読むだけ無駄であるから、これ以降はお付き合いいただかなくて結構。
伊藤博文の出身地とされる周防国が朝鮮人被差別部落の田布施町に極めて近い現在の山口県光市(あの在日による光母子殺害事件が起きた場所)である事。また、伊藤が10回も名を変え、普通は死後に付けられる諱(いみな)まで生前に名乗った事。そして朝鮮人が出自を隠す為に好んで使う養子縁組という手法を使い、版籍・戸籍を遡り難くしている事。更には、我が国の初代内閣総理大臣にして、初代韓国統監であった伊藤の正装の写真では韓服を纏い、葬式も朝鮮の両班(やんばん)流なら、墓石も両班流である事。 …等々、伊藤博文の出自を疑うべき要素は実に多い。今回は詳しくは書かないが、明治政府が朝鮮を植民地にするのではなく、敢えて「国家同士の併合」を選び、日本と朝鮮の同化を図った「謎」も明治政府の要人に多くの朝鮮人が紛れ込んでいた証と考える事ができる。伊藤が「日韓併合」反対論者だった事を以って反論したい方もおられるだろうが、「朝鮮征伐」の際に日本に連行されてきた朝鮮人は、その後の李氏朝鮮の原始時代の継続に対して蔑視感情を持っていると分析できる。朝鮮人とは自らの立場が強くなると、同胞と雖(いえど)も軽蔑し、差別する民族なのである。だから李氏朝鮮でも、戦後に南北に分かれて建国した韓国や北鮮でも、未だに身分差別が激しい。安倍晋三が日本の内閣総理大臣として韓国や北朝鮮に殊更強く出てみせ、保守層の支持を得ながら、結局は南北朝鮮や在日の思うがままの政策を執るのも、相手は同胞だが蔑視の対象でもあるという、日本国籍朝鮮人が持つ自己矛盾の表れなのである。

細かく挙げていったらキリがないが、安倍政権による日本国民への裏切りとも言える代表的な政策や言動を幾つか指摘したい。日本国籍朝鮮人の自己矛盾丸出しである。先ず、平成27年(2015年)の「日韓慰安婦合意」新聞広告による公募に応じた高給取りの追軍売春婦でしかない、所謂「従軍慰安婦」とか「性奴隷」という根も葉もない先人に対する汚名、冤罪を、安倍政権は国際社会に対して、日本政府として公式に認めてしまった。そして、口ではあれほど拘っていた靖國神社への参拝を未だに実行していない。平成25年(2013年)には、硫黄島訪問に際して「飛行場で土下座」をして見せ、今後10年をかけて300億円の官邸費を投じて飛行場の地下に眠る先人の遺骨を収集すると芝居染みた台詞を発したは良いが、5年が経過した現在も未だ日本国民には何の経過報告も無い。残りの5年が経過した頃には安倍晋三は首相ではない筈だから、恐らくは誰にも追及されないと高を括っているのだろう。孫正義が東日本大震災の直後に「100億円のポケットマネーを寄付する」と発表しながら、とうとう鐚(びた)一文として個人名義で寄付をしていないのと一緒である。朝鮮人にとっては嘘は言ったもん勝ちである。「朝鮮人は息を吐くように嘘をつく」とはよく言ったものである。そして、所謂「ヘイトスピーチ対策法」の法制化では、朝鮮人による旧日本軍への謂れなき貶めに対する日本人の反論のみを封じて、朝鮮人には対日ヘイトの言わせ放題である。極め付けは、行政サービスを在日企業であるLINE(株)に委ねて、事実上、日本国民総ての個人情報を韓国に丸投げしてしまった「マイナポータル制」である。まだまだあるが、安倍政権の反日政策とも言える行為を糾弾する識者も言論人も現れない事には失望を禁じ得ない。安倍家に40年家政婦として仕えた久保ウメさんが安倍晋太郎を朝鮮人だと証言しているが、アカデミズムもマスメディアも相手にしない構えである。

安倍晋三の側近である甘利明が、今回の自民党総裁選の安倍応援の為にテレビ出演した際に、日本は国民皆保険制度により国民の個人情報のデジタルデータ化に於いては世界一進んでいると言っていたから、安倍晋三は一元管理された日本国民総てのデジタルデータの重要性を充分承知している事が分かる。現在でも病歴や寿命などの国民情報はデジタル化されているが、今後は益々詳細な情報が一元管理されて行くだろう。保険や薬剤、政治信条や個人の嗜好など、ほぼ全ての企業にとって一国の総国民の詳細な個人データは正に垂涎の的である。安倍政権はそれを敵対国家にして民間企業にとっては侮り難い競争相手である韓国に開示しようとしているのである。既に総てではないにしても、LINEを行政サービスに組み込んだ以上は、ある程度の国民情報は、既に韓国の手に落ちたと考えていいだろう。日本国民総てのビッグデータを手にした韓国政府に後押しされる、韓国企業・在日企業が相手では日本企業の惨敗は目に見えている。一元管理された国民情報は、安全保障の観点からも国家機密扱いとする法整備を一刻も早くしておくべきだ。デジタルデータ化は今、想像を絶するほど目覚ましい勢いで進歩している。やがては個人の遺伝子やゲノム情報も一元管理される世界が到来するかも知れないと言うのに、総国民の個人情報がLINEで遣り取りされてしまうのである。「マイナポータル制」にLINEが組み込まれてしまった今頃、警鐘を鳴らしても遅すぎるかも知れないが、今からでも国家レベルでの情報漏洩対策を講じるべきである。

私のBlogの論拠は、事実(=fact)を繋ぎ合わせた上での推理であるから、謂わば当然の帰結としか言いようがない。ソースはファクトである。政治家も、経済人も、教育者も、評論家も、ジャーナリストも、所謂 知識人も、総じて皆、「東京裁判史観」に基づいた誤まてる「戦後教育」の優等生たちであるから、「日本に棲み着いた朝鮮人の悪意」には絶対に触れない。寧ろ、今や日本の支配層を成すまでに力を付けた「日本国籍を持つ朝鮮人」の影響力を恐れさえしている。識者や言論人は保身に躍起である。日本のマスメディアのみならず出版界までもが、朝鮮にルーツを持つ政財界の大ものや、韓国などの敵対的な外国勢力に阿(おもね)る傾向が日本社会に蔓延しているのは本当に情けなくも恐ろしい実態である。今流行りの言葉で言えば「忖度」が日本を駄目にしているのである。「忖度」の裏には「偽善」「事大主義」がある。「事大主義」は強者に屈する臆病者の思想である。戦後日本は長足の進歩と共に凄まじい勢いで劣化している。この劣化を喰い止める為には、日本国籍や永住権の有無に関わらず、朝鮮人問題を避けては通れない。絶対に「日本国内の朝鮮人問題」を「タブー化」してはいけない。日本社会の諸悪の根源は、全て日本に不当に居座り続ける朝鮮人に帰するのであるから。日本国民は声の大きい者に「遠慮」「忖度」してしまう傾向があるが、腹を括って日本再建に取り掛からないと、このままでは大変な事になるだろう。

つい先日も、「LGBTには生産性が無い」という事実を述べただけの自民党の杉田水脈議員を擁護する論陣を張ったとして『新潮45』という雑誌が廃刊になった。私は杉田水脈議員の発言を正確には聞いていないし、問題とされた『新潮45』という雑誌も読んでいない。従って、この問題に関しては、新聞の見出し程度の知識しか持ち合わせてはいないが、常識的に考えて、LGBTといわれる方々は、どう努力されようとも「出産」はできないのだから、その意味に於いて「生産性が無い」というのは、紛れもない事実であろうに…。勿論、LGBTといわれる方々であろうとも、人口を増加させる行為(=出産)が不可能な事を除けば、一般の人々と同様に、仕事や実生活の面で生産的に暮らせる事は言うまでも無い。「LGBTの方々には出産は不可能」という事実を以って、そういう方々の人間性や人格を全否定するのは好ましくないし、LGBTに対する偏見や差別もいけない事である。併し、杉田議員も『新潮45』誌でこの件について持論を述べた方々も、よもやそんな理不尽な意図は更々無かった事だろう。ところが今の日本社会は「マイノリティを差別した!」、「弱者である少数者へのヘイトだ!」と糾弾しさえすれば、実に簡単に言論封殺が罷り通ってしまう、誠に困った世の中になってしまっている。そうして、本来なら白日の下で議論を戦わせるべき事柄の全てを、己れの主義主張に合わないからと、次々にタブー化してしまう身勝手こそ「生産性が無い」のではないか? 改めて「言論の自由」など持ち出すまでもなく、マイノリティの名を借りたモンスタークレーマーの跳梁跋扈を許す今の日本社会の在り方こそ余程おかしいと気付くべきである。

『新潮45』誌廃刊の報に接して、私は1995年の、雑誌『マルコポーロ』廃刊事件を思い出した。『マルコポーロ』誌は、その年の2月号で、「戦後世界史最大のタブー ナチ『ガス室』はなかった」というナチス・ドイツが行なったとされるユダヤ人の大量虐殺「ホロコースト」の実態に疑義を呈する特集記事を掲載した。そこへ米国のユダヤ人からなる人権団体である「サイモン・ヴィーゼンタール・センター」がヒステリックな過剰反応をし、広告掲載社に圧力をかけた。その騒動に、事勿れ主義に徹する戦後日本社会が応じるように『マルコポーロ』誌を廃刊に追い込んだと言うのが事件の顛末である。故なく人を傷付けたり、犯罪に加担した訳でもないのに、出版物が廃刊に追い込まれるなど、決して許してはならない事である。「戦後教育」で「日本国憲法(=GHQ憲法)」を盲信するように一方的に教育された戦後生まれに多い、「東京裁判史観」に何の疑問も持たない、お気楽な念仏平和主義者に限って、GHQ憲法の条文を自分に都合よく摘み喰いする傾向がある。そういう輩が、日本の出版史に泥を塗るに等しい、出版物を廃刊へと追い込む狂気を断行し、本来なら雑誌掲載を機に議論を活発化させて、広く認識を共有できる好機をあたら無駄にして、問題をタブー化してしまうのである。ユダヤ人団体が何と難癖を付けようとも、『マルコポーロ』誌は、故なくユダヤ人を傷つけた訳ではない。ナチスのホロコーストに関しては、被害者数とされる人数と被害国の人口動態の辻褄が合わないという事実が歴然と確認できる。物事には多様な見解があって然るべきところを、その見解が気に喰わないからといって、その都度 出版物を廃刊に追い込むなど、仮初(かりそめ)にも自由主義を標榜する日本では許されてはならない事である。今回の『新潮45』誌廃刊には、嘗て『マルコポーロ』誌を廃刊に追い込んだのと同じ胡散(うさん)臭さ、日本社会に蔓延する偽善を感じる。

「日本に棲み着いた朝鮮人の悪意」について話を戻すが、「日本人社会が在日朝鮮人を差別視している」という戯言こそが、敗戦国民の弱味に付け入って蛮行の限りを尽くした朝鮮人の悪行をタブー化して闇に葬り、日本人だけが悪者にされるという、敗戦後の理不尽なステレオタイプである。「日本が抱える朝鮮人問題」は、学者でも研究者でもない、ごく普通の日本国民にとっては、よほど真剣に、丹念に、事実だけを積み重ねて、色眼鏡に歪められる事なく判断を下していかないと、真実は中々解明できない。何より朝鮮人は極め付けの嘘つきであるから、事態は益々紛らわしく真実に辿り着くのは容易ではない。「東京裁判史観」共々、今の日本社会に蔓延る諸悪の根源は、日本に棲み着いた朝鮮人たちが引き起こしていると言っても決して過言ではない。安易に国籍やら永住権やら在日特権やらを与えてしまう日本政府の腑抜けた政策にも問題があるが、最も厄介なのは生来嘘つきな朝鮮人の悪意である。こういう真実を指摘すると決まってまた「差別だ!ヘイトだ!」と大騒ぎするのが朝鮮人である。声高に嘘を言い募る朝鮮人に迎合して恥ずべき偽善を働く日本人が年々増加している現実は、真実を知る者には怖気立つ風潮としか言いようがない。旧日本軍に強制連行されてきたとの大嘘をついて、日本の敗戦を境に朝鮮人たちにとっては明確に外国となったこの日本に、彼等が自分たちの意思で不当に棲み着いてしまった事実は何度明らかにしても、嘘と偽善が真実を葬り去ってしまう。正に鼬ごっこである。「戦後教育」を鵜呑みにする日本人は、日本に棲み着いている朝鮮人たちを、日本人を加害者とする、か弱き被害者と見立てるという誤ちを犯している事実に一刻も早く気付き、先人を貶め、日本人の未来を奪う朝鮮人の恐ろしさに毅然と対峙するべきである。

個人的事情により、またしても随分とBlog更新の期間を開けてしまいました。個人Blogであるから、更新ペースについては、誰に気兼ねする必要も無く、何の義務も責任も無いとはいえ、それでも当Blogの更新を期待されて訪問し続けてくださった多くの方々のご期待を裏切ってしまったのは事実です。唯々深くお詫び申し上げるしかありません。
でき得る限り、週一回はBlog更新を続けていきたいと考えてはいますが、事情により今後はそれも叶わぬ場合が、ままあると言わねばならない状況です。
併しながら、私が今の日本社会に訴えて行かねばならない「日本人が知っておくべき真実」は、誰に何と批判されようとも、「日本人と日本国にとって死活的に重要な命題である」と堅く信じている事なので、状況が許す限り、という事は、私の志が砕けるか命を断たれでもしない限りは、これからも「真実の発信」は続けて行くという事です。


Blogの運営会社であるlivedoorは、2010年に親会社が韓国企業であるNHN Japanに買収され、2013年にはLINE(=韓国)の完全子会社となりましたが、幸いな事に現段階では私のBlogの内容に干渉してくる事は殆んどありません。私が真実発信の場をFacebookに移し、事実上、開店休業中だった頃に、「キムチ」に関する記事を勝手に削除された事はありましたが、検閲を始めたFacebookを私が退会し、Blogに重点を置いて「真実の発信」を始めてからは、livedoorからの干渉は、私の知る限りありません。

Blogへの投稿文は全て記録をとってありますから、今後起こり得る最悪の事態への備えとしての「Blog引越し」の準備はできています。従って、私の体力と精神力が続く限りは、このBlogをやめる事はありません。


先ずは長らくBlog更新をできなかったお詫びを申し上げ、近日中にも再開させていただく事をご報告申し上げます。

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