本年は「御代がわりの年」である。歴史を顧みて、今の世を見直し、未来を眺望するのに、これほど相応しい年はない。このBlogでは、常に「東京裁判史観からの脱却」GHQ憲法の破棄」の必要性を説いてきた。そして、朝鮮人に半ば以上支配されてしまっている我が国の惨状に強い警鐘を鳴らしてきた。これらの問題は決して一朝一夕に解決できるものではないし、日本という国が追い詰められている惨状は決してひと口に表現できるほど簡単なものではない。併し、先入観なく耳を傾けてさえくれれば、私は特に難解な事を主張している訳でもない。殆んど全てが「戦後教育」と異なるだけに、戦後の日本社会の常識となってしまった嘘とは真っ向から反する、謂わば異端の主張と受け取られてしまうだけである。だから本来意図した内容とは全く異なる意味に履き違えられてしまう恐れがあるので、慎重を期する為には文章が多少長くなってしまっても致し方ないと思っている。そういう訳だから、長い文章が苦手な方や、日本の行く末を真剣に案じる気など更々ないという方には、無理をしてこのBlogは読んでいただきたくはない。読むだけ無駄である。特に偉ぶる訳ではないが、イデオロギーの左右中道に関わらず、敗戦後の日本には驚くほどの愚か者が実に数多く存在する。一般論としては、所謂 左翼には馬鹿が多いと私は考えているが、残念な事に保守主義者を自認する方の中にも信じられないほどの愚か者が沢山いる。自分のご先祖様を悪し様に言う偽善者や恩知らずは、右にも左にも真ん中にも大勢いるという事だ。


今の自分がこうしてこの世に生を受けて、平和で豊かな社会で普通に暮らしていけるのは、全てご先祖様の真っ当なご苦労の賜物である。私たちのご先祖様は実に真っ当な方々だったのである。この考え方自体は実に当たり前の事で、別に異端でも何でもないのだが、先人が不当に負わされた冤罪を国際社会に対して認めてしまったに等しい所謂「日韓慰安婦合意」や、先人を不当に貶める特亜三国(特に朝鮮人)に日本人が反論する行為だけを一方的に封じる所謂「ヘイトスピーチ対策法」などを決めた安倍政権を売国的政権だと非難すると、それまで反左翼という立ち位置で共存していた筈の自称保守主義者からも、途端に白い目で見られてしまう。マスメディアは「日韓慰安婦合意」にも「ヘイトスピーチ対策法」にも諸手を挙げて大賛成で、似非ジャーナリストや保守的と見られている知識人・言論人も殆んどこれらの大間違いに対して反論らしい反論をしない。戦後の日本社会は一から十まで「戦後教育」を是として成り立っているから、与党自民党の如何にも良識のありそうな議員が、「朝鮮の人々を植民地支配した過去は、日本人として真摯に反省しなければならない」などとテレビの報道番組の中で平然と発言する。実際、今でも日本の中学生が学ぶ歴史教科書には、「日本は武力で朝鮮を植民地支配しました」と、事実無根の「冤罪史観」が書いてある。私たちの祖父や曽祖父が侵略戦争をしたと洗脳教育されているのである。今日の日本には、国会議員も大学教授も保守言論人も、そして一般の国民も、こうした嘘塗れの「戦後教育」を受けた者だけしか現役世代は存在していない。寧ろ嘘塗れの「戦後教育」の中で優秀な成績を修めた者だけが、知識人として飯を喰って行けるのが戦後の日本社会なのである。「戦後教育」を否定する者は、そもそもテレビに出たり公の席で発言などできはしない。


様々な点で実に的を射た発言をされる名の知られた元外交官や大学教授、評論家なども、愚かな左翼を除いて安倍政権を扱き下ろすような発言は決してしない。寧ろ安倍首相の外交手腕には高い評価をして、「戦後の日本で安倍首相ほど国際社会で一目置かれた日本の内閣総理大臣はいない」などと持ち上げる始末である。昨年末になって漸く「安倍政権の功罪を問う!」などと題してYouTubeなどで安倍政権の個別政策に対する批判を見かけるようになったが、この現象は遅過ぎとはいえ期待を持てる大きな進歩と言えるだろう。従来からあった野党政治家やマスメディアの政権批判は「為にする批判」で取るに値しないが、言論界で比較的早くから政治家 安倍晋三を疑問視していたのは、私の知る限り西尾幹二 電気通信大学名誉教授ぐらいである。繰り返すが、私の知る限りである。氏は皮肉を込めて、「今は仕方なくこう振舞っているが安倍さんならきっと我々の期待を裏切らない筈だ」と「日本の保守層は安倍さんに過大な期待をしている節がある」として、「日本の保守層は政治家 安倍晋三を甘やかし過ぎである」と不満を述べておられた。「美しい国づくり内閣」と銘打って第一次安倍内閣が発足したのは2006年(平成18年)の事であるが、恥ずかしい事に私も当初は安倍晋三という政治家に期待した時期があった。その後、安倍晋三の著書『美しい国へ』(文芸春秋)が、実は朝鮮カルト教団、統一教会の初代会長 久保木修己(98年死去)の著書『美しい国 日本の使命』(世界日報社)の丸写しであるとの雑誌記事を知って愕然とした。因みに、世界日報社とは、韓国の全国新聞「世界日報」(1989年創刊)の発行社で、日本の首都圏では韓国より14年も古い1975年に創刊された「世界平和統一家庭連合」(旧 世界基督教統一神霊協会=所謂 統一教会)の機関誌である。


安倍晋三の著書『美しい国へ』と久保木修己の『美しい国 日本の使命』を実際に読み比べてみたが、両著の酷似性への指摘が、後に巷間言われるようになった安倍政権への勇み足だなどと軽視するのは間違いだと確信している。政権側が火消しに回って打ち消そうと動いたに過ぎず、安倍晋三とカルト教団である統一教会との只ならぬ繋がりを軽んじるのは余りにも危険である。この問題を知る人でも一方は朝鮮カルト本なのだから、わざわざ両著を入手して読み比べてみた人はそれほど多くはいないだろう。世の中とはそういうものである。権力を持つ側が明確な意図をもって火消しに回れば情報操作に乗り出せば、暇人ばかりではない世間では悪い噂などいとも容易く一蹴されてしまうのである。併し、日本の内閣総理大臣である安倍晋三の著作の根底に流れる思想が朝鮮カルト教団の思想と酷似している事実は聞き流してしまうには余りにも重大であると言えよう。朝鮮カルト本では、「日本の万世一系の天皇、国を愛し天皇を愛する、そのような国体と精神が貫かれてきたのが日本」だと天皇を敬愛する事が日本人の基本精神で、日本人の「あるべき姿」だと何ともいけしゃあしゃあと述べ立てられている。安倍晋三も「日本の歴史は、天皇を縦糸にして織られてきた長大なタペストリー」、「日本の国柄をあらわす根幹が天皇制である」と、皇室制度について日本人なら反論できないような事を同じように書いている。しかも安倍晋三は「皇室制度」或いは百歩譲ったとしても「象徴天皇制度」と書くべき所を「天皇制」と書き間違いをしている。


大原康雄 国学院大学教授の名著『天皇~その論の変遷と皇室制度』によれば、「天皇制」は戦前、ソビエト連邦の国際共産主義組織であるコミンテルンがつくった言葉だそうである。コミンテルン日本支部であった日本共産党が、帝政ロシアのツアーリ専制支配体制と同様のものとして批判的に「天皇制」という俄か造語を用いた。日本の共産主義革命を目指した32年テーゼ」が初出である。「天皇制」という呼称が岩波書店などに見られる左翼用語と知ってか知らずか、それに替わる正しい言葉を知らないが為に保守主義的な日本人の中にも「天皇制」という呼称を無自覚に遣(つか)っている人が多い。NHK、朝日新聞を始めとしたマスメディア勢も押し並べて皆この左翼用語を遣って日本社会に浸透させている。毎日接するテレビや新聞がこの左翼用語を用いるのだから、普通の日本人は何の違和感も感じずに、この間違った呼称を用いてしまうようになってしまった。「天皇制」ではなく「皇室制度」と呼ぶのが伝統的な正しい用語である。実際、「天皇制」が左翼用語であったとしても、今は日本社会に浸透している用語なのだから、目くじら立てる事は無いではないかという意見もあろうが、「皇室制度」を古来より護られてきた伝統に則ってその在り方を真摯に考察するべき立場の内閣総理大臣までもが、「天皇制」などと自著に書くのは看過されるべきではない。日本の「皇室制度」を論ずるならば、せめて名著と言われる『天皇~その論の変遷と皇室制度』くらいには目を通して欲しいものだが、安倍晋三首相は意図的に反「皇室制度」用語を遣ったのかも知れない。安倍晋三は恐らくは只の無知蒙昧な輩ではないだろう。何せ朝鮮カルト本に酷似した自著『美しい国へ』を上梓し、統一教会の如何わしい式典に公式に祝電を送ったり、反社会的な在日朝鮮人活動家や独裁国家北朝鮮の資金源であるパチンコ業界と癒着して、地元選挙事務所を間借りしたり、自らもパチンコ御殿を受け継いでいる政治家である。


「皇室制度」以外にも、家族の重要性についても、安倍晋三と久保木修己は「教育を再生する為には基本は家族・家庭」だという。これは統一教会傘下の創価学会の教えも同じである。朝鮮カルト本は「教育は学校だけで行なわれるものであると錯覚している人が多くいますが、本来の教育とは親が子に対して行なうべきもの」だと書き、安倍晋三は「教育は学校だけで全うできるものではない。何よりも大切なのは、家庭である」と書いている。当たり前過ぎて誰も批判できない事を殊更敢えて書き出している所が前以て反論を封じる朝鮮カルトの信者獲得手法と同じなのである。統一教会も創価学会も決まって人の不幸に付け入ったり、こういった誰も反論できない事を教団の理念だと偽る事で、人の心の隙を突いて信者を増やしてきたのである。朝鮮カルトの久保木の著書『美しい国 日本の使命』の巻末には経歴紹介で「岸伸介元総理をはじめ、各界の有識者から高い評価をいただいた」と書かれている。岸伸介は安倍晋三の祖父である。安倍晋三の父の安倍晋太郎元外相や「自民党をぶっ壊す」といって日本をぶっ壊してしまった小泉純一郎元首相の師匠筋にあたる福田赳夫元首相も統一教会のシンパであったと言われている。20065月の統一教会「合同結婚式」に、当時の役職であった内閣官房長官名義で「祝電」を打ったという事実が漏れて安倍晋三は大いに世間を騒がし批判に晒された。何で日本の内閣官房長官が公式に朝鮮カルトの如何わしい「合同結婚式」などに祝電を送ったのか? 無関係ではないからだろう。「安倍晋三という政治家は朝鮮カルト教団と明確に関係がある」という事だ。安倍晋三官房長官(当時)はマスメディアの取材に対し、「私人としての立場で地元事務所から『官房長官』の肩書で祝電を送付したと報告を受けた。誤解を招きかねない対応で、担当者に注意した」と、釈明している。


安倍晋三は言うに及ばず、歴代自民党政権が日本の戦後復興と称して脈々と日本国民を騙し続けて、如何に日本を害する朝鮮人どもに良いように利用して来たかという問題を深刻に受け止めている有権者は余りにも少な過ぎる。朝鮮人に利用され、日本国民を騙し続けてきたという以前に、安倍晋三を始めとした自民党政治家は、国籍こそ日本であっても、出自を朝鮮半島にもつ者が実に大勢いる。だから、本人の意思と後援者の思惑は決して「日本人が幸福に暮らせる日本の国づくり」などという代物とは程遠いのである。そういう売国政治屋の集まりでしかない自由民主党を日本の保守政党だと信じて疑いもせず、次々と反日的な政策を実現していくのを自らに迫る危機と感じ取る事ができない戦後の日本人には、まるで「生き延びよっ!」という、生きものすべてが生まれながらに従う筈の「本能の声」が聞こえなくなってしまっているかのようだ。私は歴代自民党政権こそが如何に日本の韓国化(朝鮮化)を招いて来たかをFacebookをやっていた時代から言い続けて来たが、安倍政権が法制化した「ヘイトスピーチ対策法」の追い風を受けた朝鮮人どもの工作でFacebookから十数回もアカウント停止のペナルティを受け、結局退会する羽目になった。Facebook日本法人のセキュリティ全般を在日韓国企業のエフセキュアが請け負っているのだから、私のような日本の韓国化汚鮮に警鐘を鳴らす者は真っ先に言論を封じられたのである。朝鮮人の嘘を指摘し、先人の汚名を晴らす発言の全てを「ヘイト」と決め付けられては、日本人の本音など何も発言できはしない。SNSでは比較的言論統制が緩かったTwitterも数箇月前から23年遡って検閲を実施するようになり、問題視されたtweetを削除しなければ一方的にアカウントを凍結するというFacebookの方針に追随した。私は筋の通らない削除命令を無視しているから、Twitterのアカウントも凍結されたままである。今はSNSから締め出されてしまっている。「戦後教育」の嘘を指摘し、真実を訴えると「ヘイト」と見做されてしまうのだからお手上げである。


事程左様に現代の日本社会は、悪しき「戦後教育」に汚染され、「GHQ憲法」が保証している筈の「言論の自由」まで侵されているのである。所詮「GHQ憲法」など「大東亜戦争」の戦勝国 米国が日本の弱体化を企図して、国際法を無視して押し付けてきた「憲法」と呼ぶには余りにも不法な代物なのである。安倍晋三の主張する「改憲」だか「加憲」だかを支持する保守言論人は、「偽りに満ちた『戦後教育』の先導者」と言わねばならない。戦後の日本人が、日本国民総白痴化を狙った「戦後教育」の犠牲者だと考えると特亜三国のみならず、日本を「大東亜戦争」に引き摺り込んで、先人たちを大虐殺した挙句に在りもしない冤罪を負わせて、日本を国ごと大改造し、言葉を削り、日本人の背骨を抜き去った米国の罪深さをひしひしと感じずにはいられない。削られた言葉の代表例が「大東亜戦争」という先の大戦の大義を込めた呼称である。占領軍は日本が国会決議を経て決定した戦争の呼称を禁じて「太平洋戦争」と呼ばせた。敗戦後74年を経過した現在でも日本人はこの「太平洋戦争」という偽りの戦争名を変えようともしない。「大東亜戦争」などと呼ぶとまるで戦争賛美者のように同じ日本人に詰(なじ)られてしまう今の日本社会の在りようは明らかに間違っているのだが、主張すればするほど「右翼だ」「軍国主義者だ」と決め付けてしまう今の日本社会は何としても正常化しなければならない。日本人たるもの貴い命を我々子孫の為に捧げてくださった先人の、避けようのなかった献身に報いる為にも、先ずは言葉を正そうではないか! 難しい理屈など要らないから、最低限度の誠実さをもって歴史を語るべきである。「太平洋戦争」を「大東亜戦争」と、「朝鮮を武力で植民地支配した」などと言わずに「朝鮮人に懇願された日韓併合である」と、「従軍慰安婦」や「性奴隷」は「公募に応じた高給娼婦」或いは「追軍売春婦」と言い換える事から始めよう。そして「天皇制」などとは言わずに正統な呼称である「皇室制度」と言い改めよう。私たち日本人は、今年こそ確りと自覚した上で、押し付けられた「嘘」を有りのままの「真実」に置き換えるべきである。正しい行為がなぜ責められなければならないのか?


Blogの主張は、内容が内容だけに、松の内にアップするのは控えた。昨年は体調不良もあり、長らくBlog更新できなかった事態は慙愧に耐えない。今年は安倍政権が断行した数々の売国政策を個別具体的に糾弾し、できれば批判だけに終始せず解決策を模索していきたい。