石川久遠の「日本人なら知っておきたい真実」

「陰謀論」とは、「陰の謀(はかりごと)を論じる」ものであり、「妄想論」とは異なる。歴史も現在の出来事も、常識として根付いている様々な事柄も、虚心坦懐に見詰め直せば、裏に隠された真実が自ずと見えてくる。そんな事を考えて、このブログを書いてます。

2019年03月

前回は、「明治維新」及び「大東亜戦争敗戦」という歴史の大きな節目に、時の権力者によって「大嘘」が考え出され、日本国民は好むと好まざるとに関わらず、その「大嘘に洗脳」されてきたという話をした。この「二つの嘘を」白日のもとに晒し、日本人が真実に目覚めなければ、我々大和民族は早晩この地球上から滅び去ってしまうという話もした。嘘に騙されただけで我が国家・民族が滅びてしまうなどというのは些か大袈裟すぎると思われる方も多いだろう。併し、前回に続いて念押しするのは如何にも諄(くど)いようだが、日本人が滅びてしまうという表現は決して大袈裟な表現などではない。近年、その恐れは限りなく現実味を帯びてきたと言える。現下の我が国は事実上日本人にではなく異民族(=朝鮮民族、ユダヤ人を中心としたグローバリスト、及び米国人を始めとしたアングロ・サクソン=白人)とその手先に支配されてしまっている。このBlogに目を止め、読んで下さっている方々の大多数は「何を馬鹿な事を書いているんだ?」「幼稚な陰謀論か?」或いは「単なる差別主義者だろう」と思われる事だろう。併し、現実にはこの「二つの嘘」に騙され、悪意ある「異民族」に喰い物にされている限り、早晩 日本は滅びてしまうという話は、架空の物語でもなければ誇大妄想でも何でもなく、勿論、人種差別でもない。間違いなく日本人が真摯に向き合わなければならない現実の課題であると私は信じている。だからその現実を一人でも多くの日本人に理解していただき、今すぐに対抗策を講じて欲しいという思いから、このBlogを通して真実と信じるところを訴えかけている。


皆さんには是非、頭ごなしに否定するのではなく、例え半信半疑であっても大切な日本という国と自分の子供たち、ひいては私たちの子々孫々の為に、少しの時間を割いてこのBlogを読み続けていただきたい。とは言え、人は十人十色であり、「好き嫌い」とか「主義主張」も異なれば、厄介な「先入観」なども加わり中々一度正しいと思い込んでしまった考え方は簡単には覆せない事も知っている。だから私の主張が全ての人に受け容れられるなどとは考えていない。馬鹿らしいと一笑に伏す方はいらして当然である。所謂「戦後教育」を正しい学業と信じて真面目に学び、優秀な成績を修めた人ほど私の主張は如何わしいと反発されるだろう。併し、「常識を疑ってみよう」という方が例え一人でも二人でも増えてくだされば、それで良い。そういう小さな積み重ねが、やがては日本を救う重要な大事業に繋がると信じるからである。私が子供の頃、竹村健一という評論家が「日本の常識は世界の非常識」と喝破されたが、大人になった今でも私はその言葉が真実を言い当てていると信じ、その言葉の重みと恐ろしさを日々ひしひしと感じている。


日本国民の多くは「絶対的平和主義」を唱えるが、それは耳に聞こえは良いものの只の願望に過ぎず、何ら現実的な効力を伴わない夢物語である。ジョージ・オーウェルは「暴力を行使しないでいられるのは、誰かが代わりに暴力を行使してくれているからだ」と書き残している。日本人が軍事力を忌避していられるのは、日本の代わりに米国が軍事力を行使してくれると日本人が勝手に思い込んでいるからに過ぎない。何と危うい平和だろうか?


「絶対的平和主義」なる願望は、古代都市カルタゴの滅亡と歩調を合わせる「危険思想」である。歴史とは過ぎ去った過去であると同時に未来でも繰り返される必然である可能性が極めて高い。「歴史 必然」なのである。高校の世界史Bで学ぶポエニ戦争の顛末は、未来に何度でも起こり得るのである。フェニキア人が北アフリカに建てたカルタゴは、新興のローマ帝國と三度戦って三度敗れた。最後の戦いで致命的大敗を喫したカルタゴは、勝利したローマ帝國に領土を没収され、武装解除され、自衛を含む戦争行為の全てを禁止された上で、銀1万タラントの賠償金を50年間かけて支払うよう命じられた。見せしめのように、カルタゴ市民の眼前で500隻の軍艦が焼き払われたともいう。日本の大東亜戦争敗戦に瓜二つではないか? 日本は国軍の保持と国際紛争の解決手段としての交戦権の一切を奪われ、神道・神話教育・真実の歴史教育・古来より培われた武道まで禁止され、7000冊もの書籍の焼き払い(焚書)すら行なわれた。それまで正しいと信じて学んでいた教科書は至る所に墨を塗られた。そんな惨めな体験を積んだ世代が徐々に社会の第一線を退き、今の日本は所謂 戦後世代が動かす社会になっているが、戦勝国側から命じられた禁止事項は顧みられる事無く今も一言一句同じままで堅く守られている。カルタゴは「絶対的平和主義」を掲げ、貿易に専念して経済大国になったが、戦後日本も同じ道を歩んできた。「サンフランシスコ講和条約」発効後、僅か7年にして経済力は戦前の水準に回復し、23年目にして世界第二位の経済大国になった。経済大国になったカルタゴは常にローマの監視下にあったが、日本も米国の監視下に置かれている。


我が国は国際社会に於いて先進7箇国(G7)の地位にいるが、そういった国際社会での表面上の待遇に反して、実際は米国の許可無くして国際社会に於ける重要な事案を日本一国で決める事は何ひとつとして許されていない。国際社会の主要国で日本を真の主権国家だと認めている国は恐らくは一国もない。それに反して、日本の主権国家としての地位を疑う日本人は殆んどいないだろう。一筋縄では行かない国内事情があるにせよ、領土問題に絡めてプーチン露大統領に「日本には主権がないなどと言われてしまった現実を日本国民は確(しか)と知るべきである。実際、我が国は半主権国家、否、米国の属領・属国なのである。それが敗戦後の日本政府と日本国民の選択であった。多くの日本国民は日本が米国の厳重な管理下に置かれている事に気付いていないか、気付いてはいても然(さ)して気にもとめていない。戦に敗れていきなり奴隷にされた者が、今に見ておれと反骨精神を滾(たぎ)らせながら奴隷の境遇に甘んじているなら未だしも、奴隷が奴隷である事に何の悔しさも疑問も持たなくなってしまったら救いようがないではないか? 今の日本人は自らが置かれた奴隷の境遇を生まれながらに受け容れてしまっている奴隷の子と同じ精神状態なのである。しかも日本人が享受しているのは、歴史的にみれば、勝者の胸先三寸という、実に危うい奴隷の平和である。日本がローマ帝國に隷従する事で経済大国に上り詰めたカルタゴと同じ轍(わだち)を踏んでいるとしたら、ローマ帝國の強硬派の意見で滅ぼされてしまったカルタゴと同じ運命が日本にも待ち受けていると考えた方が筋が通る。


我が国が民族史上初めて全面戦争に敗れて焼け野原にされたのち、復興を始めて間もなく、まだまだ発展途上にあった苦しい時代に、韓国にありったけの大金と漸(ようや)く獲得した当時の先端技術のみならず、自ら開拓した工業製品の販路をも惜しみなく与え指導したのは、米国の意向を踏まえてのものであった。日本は「竹島」という島嶼群と罪なき漁民の命を奪われて、尚4000人近い罪なき漁民を拉致され、13年間も人質に取られた状態で、常軌を逸した数知れない朝鮮人の罪を不問に付して、謝罪も賠償も竹島返還も条件にする事なく莫大な援助をさせられた。そして「日韓国交正常化」という「戦後教育」が教える欺瞞を信じているのが今の日本人なのである。あれは断じて「国交正常化」などではなく「異常なる国交樹立」であった。それが証拠に、おかしな話で韓国側は一貫して被害者を騙り続け、日本政府も日本国民も、朝鮮人から受けた被害を語る事無く、負わされた偽りの贖罪意識、謂わば冤罪を覆そうとの意思すら喪なってしまっている。近年になって、所謂 嫌韓感情が日本国民の中に確かに芽生えた兆しが窺えるのは幸いである。併し、日本政府は「竹島は日本固有の領土である」との主張は堅持してはいるものの実効性ある対応は何もできない。北朝鮮に拉致された自国民の返還を米国大統領の口から返してくれるように頼むのも、日本人があると信じている主権が踏みにじられている証しである。また、中共政府は尖閣諸島は愚か沖縄県までも自国の領土と言い出し、安倍政権は北方領土返還を拒むロシア政府に対して「北方領土は日本固有の領土」という言葉を封印してしまった。これら我が国が抱える領土問題に対して、我が国の同盟国にして最大の友好国とされる米国は中立不介入の立場を崩そうとしない。要するに知らんぷりである。


いったい複数の外国から毎年数百回も領空領海への侵犯を繰り返されたり、安全だと信じられている自国内から国民を883人(2018年度「警察白書」)も北朝鮮に拉致され、大東亜戦争敗戦後にそれまで半世紀以上に亘って多大なる損失を覚悟で献身的に尽くした隣国に漁民を殺害されるわ、4000人近くも拉致されるわ、挙句に「竹島」を強奪されながら、領土を取り返す為に何ひとつ有効な手立てを打てない国を一人前の主権国家などと言えるだろうか? 小国レバノンさえもベイルートから拉致されたのちに自力で脱出した自国民二人の証言により、まだ三人の女性が拉致されていると知ると、北朝鮮に対して「三人を返さないならば、政府としてあらゆる手段を講じて女性たちを取り戻す」と詰め寄って国民を取り返したではないか? 勿論、あらゆる手段の中には実力(=軍事力)行使が含まれるのは当然である。日本政府に実力行使など絶対にできないし、日本国民にもそのような気概はない。「東京裁判史観」に染め抜かれた「戦後教育」で育った日本の現役世代の殆んどが、理由の如何に関わらず軍事力を行使する事はいけないと堅く信じているからである。日本を無力化して再び白人列強諸国に逆らえない国にするべく米国が数多く工作していったひとつである国際法違反のGHQ憲法」を未だに「世界の宝」などといって73年間も一言一句変えようともせず、嘘に塗れた「東京裁判史観」の呪縛から自ら逃れようともしない、この人畜無害な無気力状態から、何とか自力で脱却する以外に、日本がまともな国家と国民に立ち戻る方法はない。当事者である日本人以外に日本を底知れぬ負のスパイラルから救い出す者は誰もいないのである。


国際社会とて所詮は人間同士がつくりだした世界であるから、人間が持つ善と悪、正と邪、強と弱のせめぎ合いの場でしかない。弱い国は強い国に虐げられ、力こそが正義であったのは歴史を振り返れば一目瞭然である。スペイン、ポルトガルに始まった大航海時代には、幾つもの民族や文明が高が黄金の為に非白人であるが故に抹殺されたし、香辛料や砂糖などを栽培させる為に植民地として侵略搾取され、主にアフリカ人たちを犠牲とした奴隷貿易が盛んに行なわれた。そこに、ベルギーや英仏蘭が、そして遅れて続いたのがヨーロッパからの一大入植地アメリカ大陸に生まれた新興国家 米国であった。北米大陸や南米大陸ではアメリカ・インディアンやインディオが大殺戮され、また、大勢のアフリカ人奴隷が輸入され牛馬の如く苦役させられた。西部劇というプロパガンダ映画やドラマが盛んにつくられ、そこでは平和的な白人入植者が獰猛なアメリカ・インディアンに生きたまま頭の皮を剥がされた事にされていたが、事実は全くの逆であり、広大な土地欲しさ、或いは黄金を手に入れる為に、或いは温順しく奴隷とならなかったが為に、白人がアメリカ・インディアンの頭の皮を剥いだというのが真実である。全世界が正しく「白人に非ずんば人に非ず」の時代であったが、そこに一石を投じたのが白人帝國主義を手本に目を見張る躍進を遂げ、白人列強に伍して世界の五大国に上り詰めた大日本帝國であった。併し、日本人はいつも損をするお人好しである。生来の道徳観から人種差別を悪しきものと弁(わきま)え、1919年の「パリ講和会議の国際連盟委員会」に於いて、白人諸国に対して「人種差別撤廃提案」をした。これが、大日本帝國が、人種差別に基づく植民地経営で世界のほぼ全てを手中に収めていた白人列強諸国の不興を買った決定的瞬間であった。


明治・大正と昭和初期という、我が国の長い歴史からみれば極めて短い期間に限って日本は白人列強諸国に伍して強い国家になろうと、主に薩長閥(この中に朝鮮人が紛れ込んでいた)が中心となって国策を誤り国民を苦しめてきたのだが、それも遂に「大東亜戦争敗戦」を以って日本が国際社会で仮初(かりそめ)の勝者の側に立つ時代は終わった。敗戦により全てを失なったと言ってもいい日本国民であったが、勝者米国の都合の変化と、何につけても誠実で物事に真摯に向き合い、誠実に努力を重ね、労働を苦役ではなく喜びとする日本国民の努力の甲斐もあって、我々は今、先進国の一員となった。国や民族が異なれば価値観も様々である。併し、一部の例外を除けば、人間とは「衣食足りて礼節を知る」生きものである。従って、助けられれば恩義を感じ、そのお陰で豊かになれば、自然に受けた恩は返そうとする。更に、富める国は貧しい国・遅れた国を助けてこそ人というものである。併し、恩を仇で返す民族・国家もあれば、受けた恩のお陰で恵まれた境遇と強い力を得て尚、弱いものを虐(しいた)げ、一方的に搾取する民族・国家も存在する。今の韓国中共がそうだが、大航海時代以降の白人列強諸国による植民地経営も正に充分に富める強者による弱者からの搾取の時代であった。白人による蛮行の根底には、宗教や人種偏見というものが確かにあった。そこに一石を投じたのが、非白人にして初めて産業革命の恩恵を取り入れ、独自に昇華し、先進文明の恩恵に浴した唯一の有色人種、日本人であった。当時、世界の大部分を手中に収めていた白人列強諸国に伍して共に国際社会で勝者の側に立ったのが大日本帝國である。白人列強の中には日本人というだけで差別視する風潮もあったが、日本人を認め、或いは認めないまでも利用価値を見出す白人国家もあった。併し、彼等の怒りを買う決定的出来事が起きた。1919年の国際連盟委員会のパリ講和会議に於いて、日本は「人種差別撤廃提案」を発議したのである。


この出来事にこそ、四半世紀後に民族史上初の総力戦に於ける大敗を喫した遠因があった。「人種差別撤廃提案」とは、第一次世界大戦後の「パリ講和会議の国際連盟委員会」に於いて、大日本帝国が主張した、「人種差別の撤廃を明記するべき」という提案である。大英帝國の自治領であった豪州や米国上院が強硬に反対し、ウッドロウ・ウィルソン米大統領の議長裁定で否決された。国際会議に於いて人種差別撤廃を明確に主張した国は日本が世界で最初である。議長を除く16名が投票を行ない、仏、伊、中(中華民国)代表など計11名が賛成したが、英・米・ポーランド・ブラジル・ルーマニアの計5箇国の委員が反対した。過半数の賛同を得たものの、議長を務めた米大統領ウィルソンは「全会一致でないため提案は不成立である」と宣言した。大日本帝國は当時は例を見ない総勢60名以上という大代表団をパリに送った。首席全権に就任したのは西園寺公望、実際に外交折衝に当たったのは全権委員の代表格の牧野伸顕であった。牧野は多数決で決すべきではないかと詰め寄ったのだが、ウィルソンは「このような重大な議題については、全会一致で決すべきである」と譲らなかったという。 牧野は最後に「今晩の自分の陳述および賛否の数は議事録に記載してもらいたい」と述べ、ウィルソンもそれを了解した。パリ講和会議は第一次世界大戦後の国際秩序再建を討議する国際会議であったが、大日本帝國は戦勝五大国として初めて国際舞台に登場した新参者であり、会議を主導したのは英米仏の三箇国であった。主要議題である連盟規約も英国が前以て草案をまとめており、新参でしかも初の有色人種国家であった大日本帝國が国威を示す事は難しかった。英国は修正案には賛成の意向を示すも移民政策に関わると反発する豪州と南アフリカ連邦の意向を受け、結局は反対に回った。特に白豪主義を採る豪州は内政干渉であるとして強く反対し、米国も自国の亜細亜系移民排斥運動と奴隷輸入した黒人問題を抱えており人種差別撤廃など論外であった。結果を見れば仏・伊が賛成したとは言うものの事実上、世界の殆んどを支配していた白人たちは新秩序構築に非白人の口出しを許しはしなかったのである。実際、賛成した仏・伊両国ともアフリカ人を奴隷として買い付けていた。


大和民族および日本国存亡の機を論じるに当たって、「明治維新」と「東京裁判史観」の嘘を暴く事が最重要であるが、江戸時代を最後に我が国が異民族に蝕まれ、日本という国に住みながら日本人が何故こうも蔑ろにされ、やがては生きる術を失なってしまいかねない立場に何故追い詰められてしまったのかを紐解こうとする時、(1)大日本帝國対白人列強諸国、(2)大和民族対朝鮮民族、の二つの命題は避けては通れない。今回は、日本がまともな主権を奪われたままである事実と、(1)大日本帝國対白人列強諸国 問題の端緒である「大東亜戦争敗戦の遠因」について書いた。次回も(1)の続きとして「大東亜戦争開戦に至る道筋」について論考したい。

始める前から勝ち負けの見えた勝負ほどつまらないものはない。況してや、負け続けている側に立つ者としては つまらないなどと他人事(ひとごと)のように言って済ませられる訳もなく、日本人としては全く遣り切れない思いである。併し、殆んどの日本国民は自分たちが今なお負け続ける戦いの最中(さなか)にいるとの自覚すら持っていない。実際、近代を迎えて以降 現代に至るまで、歴史的に日本国民(=大和民族)は、卑劣で狡猾な異民族や 悪意ある強大な国に好き放題に喰い物にされ続けてきた。「明治維新」を機に一気に大和民族とは異なる民族に政治の中枢に潜り込まれ、国民の幸福な生活とは異なる方向を目指して国際社会に船出した大日本帝國は、表面的には優位に立ちながらも、内実はそういったならず者の民族や国家に集(たか)られ、乞われ、利用され、搾り取られ、顧みれば散々辛酸を嘗めさせられてきた。併し、肝心の日本国民にその自覚・当事者意識・被害者意識がないのは、本来、大和民族の精神性(建国の神話や正しい歴史観・国家観)と日本国民の生命財産を護る責務を負っている筈の日本政府が、150年余の長きに亘って、一貫して「偽りの歴史観」(歪められた皇国史観、東京裁判史観、所謂 戦後教育、等々)を率先して自国民に刷り込み続けてきたからである。ここで肝心な事は、現下の日本社会を蝕む「偽りの歴史観・国家観」を自国民に刷り込んできた日本政府(大日本帝國政府と現在の日本政府)が、「明治維新」及び「大東亜戦争敗戦」という二つの大きな時代の節目に捏造された「二つの嘘」で日本国民を騙し続けてきたという事実を認識する事である。


先ず、日本人として決して侵すべからざる「天皇」を政治利用して「現人神」などと殊更 神格化して、日本国民に計り知れない犠牲を強いる国家体制をつくった明治政府の罪は限りなく深く許し難いと言わねばならない。そして、その明治政府の嘘を引き継いだ大正・昭和初期の政府がつき通してきた嘘の上に、「大東亜戦争」(「太平洋戦争」なる呼称は米国の都合に合わせたまやかしである)に勝利をおさめて日本を占領統治し、日本の弱体化だけを企図して日本人の精神を挫(くじ)く為に新たな嘘の上塗りを強いたのが戦勝国米国である。その米国に迎合したのが、物心共に米国に組み伏せられた敗戦国日本の政府であった。自らの意思を持たない傀儡政府の不甲斐ない宦官の如き性根は、現在も尚 自由民主党の安倍政権に受け継がれている。世界の主だった国は表面的にはともかく、本音では決して日本をまともな主権国家だとは考えていない。国際社会は、日本はいつも主人(あるじ)の顔色を窺う米国の属国と看做している。命じられるままにカネを払うATM程度にしか考えていない。1991年の湾岸戦争終結の際に、クウェートが米国の主要新聞紙上に出稿した感謝広告には、総額130億ドル(当時のレートで15500億円)を支援した日本の名は無かった。舐められた話だが、それが国軍を持たない国の宿命である。それが国際社会から見た日本という国なのである。国際社会に於いて日本を主権国家であると信じているのは日本人だけと言い切るのは些か言い過ぎだが、中(あた)らずと雖(いえど)も遠からずであろう。


微妙(いみじ)くも安倍晋三首相と馬が合うと言われている米露両首脳のひとりプーチン露大統領は、日本の北方領土返還交渉の前のめりの姿勢に反発して見せる必要(国内事情)に迫られてか、つい先頃、世界中の記者を前にした演説で「日本には主権が無いなどと発言したが、これについて案の定、日本政府は何の反論もしていない。また、「北方領土・日本固有の領土」という呼称についてラブロフ露外相に難癖を付けられた安倍晋三首相は、今年1月モスクワに於けるプーチン大統領との首脳会談後の記者会見で「北方領土は不法占拠された日本固有の領土」という言い方を封印してしまった。日本の内閣総理大臣の立場でのプーチン大統領との会談は今回で25回目を迎える安倍首相が「主権が無い」とか「固有の領土と言うな」などと言われるままに口を噤んだのである。安倍首相はさながら横っ面を叩(はた)かれたような思いであっただろう。日本の保守層の多くが「安倍首相は外交分野が得意だ」と評価しているようだが、果たして本当だろうか? 敗戦後の日本の外交交渉の基本は「舐めるな!ふざけた事をぬかすと黙ってしまうぞ!」、或いは「日本を侮辱するなら話し合うぞ!」という姿勢であり、「そこまで日本を嘘で貶めるならカネで解決しよう」ともちかけるものであった。このような馬鹿馬鹿しい外交路線を是とするなら確かに安倍晋三首相は戦後最も外交交渉が得意な政治家と言えよう。何しろ安倍政権が海外に支援した金額は、新聞報道された目ぼしいものだけを累計しても284105.5億円に上る。これはスウェーデンの国家予算の約2.2倍にのぼる。私は統計の専門家ではないし、素人でも確認できる数字を大雑把に累計しただけだから多少の誤差はあるだろう。この数字には表明しただけで未だ支払っていない分も含まれていようが、何れにせよ尋常な金額ではない。海外に一切支援するなとは言わないが、バラマキと言われる首相外遊の手土産を半分でも節約すれば、景気冷え込みの決定打になる事必至の消費増税をあと何年も先延ばしできるだろうに


否、そもそも、何年先延ばししようが消費増税には百害あって一利無しなのは言うまでもない。財務省が目指すプライマリーバランスの黒字化のまやかしや、OECD諸国の中で日本だけが20年以上も給与所得が横ばいで、相対的に貧しくなっている事など、言いたい事は山ほどあるが、本稿の趣旨とは異なる為、経済問題については別稿に譲る。


話が逸れたが、「大東亜戦争」開戦の凡そ半世紀も前から米国は対日長期戦争に備えて戦略を策定し始めた。国を開いた後 短期間のうちに白人列強諸国に伍して世界五大国に指折られるまでに発言権を有してきた有色人種国家、大日本帝國を米国は、白人国家より数段劣った民族の国と見下して、日本を壊滅させようと具体的な戦争計画を練り始めていたのである。実際、日本への原子爆弾投下計画である「マンハッタン計画」を開始したフランクリン・ルーズベルト米大統領は、日本人を劣等人種として激しく差別していた事で知られている。当時の米海軍司令長官ウイリアム・F・ハルゼーなども「ジャップを殺せ、ジャップを殺せ!ジャップをもっと殺せ!首尾よく任務を遂行すれば、黄色い奴らを殺せるぞ!」更に、日本軍との戦闘に際しては「敵を殺せ、敵をもっと殺せ! 猿肉をもっとつくれ!」など度々過激な発言を繰り返したという。オーストラリアの軍人トマス・ブレーミー将軍も多くの米国軍人同様にこう演説していた。「諸君らが闘っているのは奇妙な人種である。人間と猿の中間にあると言っていい。文明存続の為に我々は最後まで戦い抜かねばならない。日本人を根絶しなければならない」。当時の一般の白人列強諸国の間にも、日本人に対する人種差別意識が蔓延していた。 米国では、「アメリカ人はドイツ人を憎む事を学ばなければならないが、日本人に対しては憎しみが自然と湧いてくる。これは嘗てインディアンたちと戦った時と同様に自然なものだ」と堂々と一般の雑誌に掲載していた。米国に押し寄せてきたヨーロッパの落ち溢(こぼ)れたならず者たちは、数千万人は居たというアメリカ・インディアンを誇り高く奴隷に不向きであると、ただそれだけの理由で事実上皆殺しにしてしまった。その鬼畜の行為を今度は日本人で再現しようとしたのである。


実際、原子爆弾の実験投下は勝利を目前にした戦況や人道的見地から不必要だったと断言できる。米国は「都市部への絨毯爆撃」と「二種類の原子爆弾の実験投下」以外にも、日本本土の都市部に対する「大規模な毒ガス攻撃」をも計画していた事が現在では明らかになっている。何れも軍事施設に限った攻撃ではなく民間人諸共日本人を根絶やしにする攻撃計画だったのである。民間人とは文字通りの非戦争従事者(女性・子供・老人・病人など)である。『昭和天皇実録』には、天皇陛下の御英断として「敵の保障占領には一抹の不安無しとしないが、戦争を継続すれば国体も国家の将来も無くなる事、これに反し、即時停戦すれば将来発展の根基は残る事、武装解除・戦争犯罪人の差し出しは堪え難きも、国家と国民の幸福の為には、三国干渉時の明治天皇の御決断に倣い、決心した」旨を仰せられ、各員(御前会議出席者)の賛成を求められた。また、陸海軍の統制の困難を予想され、自らラジオにて放送すべき事を述べられた後、速やかに詔書の渙発により心持ちを伝える事をお命じになったとある。現在の感覚では遅きに失したと言えなくもないが、昭和天皇が主戦論(降伏反対)派の意見を押し切ってご決断されなければ日本人は本当にアメリカ・インディアン同様に絶滅させられていただろう。許し難いのは一斉に武装解除して一切の抵抗を示さなかった日本人に対する悪辣な洗脳工作である。検閲・投獄・焚書までして退け、更に日本国再興の芽を摘む「教職追放令」に始まる所謂「公職追放令」の実施と、日本社会の要所要所に在日朝鮮人を潜り込ませた事である。牙を抜かれた日本人を憎む民族が中枢を仕切る敗戦後の日本社会は「亡国憲法」や「戦後教育」など、充てがわれるもの全てに対して抵抗力の一切を失なってしまっていた


日本を占領統治してその任から離れる際には多くの日本国民から感謝されたという連合国軍最高司令官総司令部(GHQSCAP)のマッカーサー元帥は「科学、美術、宗教、文化などの発展の上からみて、アングロ・サクソン民族が45歳の壮年に達しているとすれば、ドイツ人もそれとほぼ同年齢である。 併し、日本人はまだ生徒の時代で、12歳の少年である。 ドイツ人が現代の道徳や国際道義を守るのを怠けたのは、それを意識してやったのであり、国際情勢に関する無知の為ではない。ドイツが犯した失敗は、日本人の失敗とは趣を異にするのである。ドイツ人は、今後も自分がこれと信ずる事に向かって行くであろう。日本人はドイツ人とは違う」などと平然と述べていた。当時の白人が有色人種を如何に蔑んでいたかが分かる。マッカーサー率いるGHQSCAPの洗脳が余程徹底していた為か、日本人が元々持つ国民性か定かではないが、とにかく敗戦後の日本人というのは自虐的であり憎悪と友好・親近感や感謝の感情が倒錯している。日本国民に絶大な人気のあったマッカーサー然(しか)り、東京大空襲に代表される全国数十箇所に及ぶ都市部大空襲を指揮したカーティス・ルメイ然りである。ルメイは当時38歳の最も歳若い将軍であった。ルメイの伝記を書いた歴史家のウォーレン・コザックによれば、ルメイは僅か10日間で一万トン、150万発の焼夷弾を無辜の民に対して投下し、更に膨大な量の焼夷弾の補給を続けた。その上でルメイは毒ガス攻撃計画を積極的に推進していた。明確に一般市民を攻撃目標に据えた戦争犯罪の遂行である。そのルメイに日本政府(時の首相は安倍晋三の叔父に当たる佐藤栄作)は1964年、『勲一等旭日大綬章』を贈った。「航空自衛隊の育成ならびに日米両国の親善関係に終始献身的な労力と積極的な熱意とをもって尽力した」というのが理由という。ルメイ自身は「もし我々が負けていたら、私は戦争犯罪人として裁かれていただろう」と振り返っている。自覚した鬼畜である。


米国ではリンカーン大統領は奴隷解放をした英雄とされているが、そのリンカーン家では奴隷を使役し続け、リンカーンは見せかけの奴隷解放後も、アメリカ・インディアンの頭の皮に高額な賞金を支払う契約書にサインしていた。そういう不届き者国家である米国が、東洋の黄色い猿を根絶しようと、あの手この手を用いて巧妙に日本を戦争に引き摺り込んだのである。そして、予(かね)てからの計画通りに日本人大殺戮を敢行した挙句に、お得意の勝者のリンチで数々の冤罪をでっち上げ、有りもしなかった正義を振り翳して世界中に喧伝し、日本を二度と再び自分たちに刃向かえない奴隷国家に改造して、新たな嘘が暴かれないように日本社会を洗脳し、自分たちに都合の良いように歴史観・国家観・社会構造を改造(改悪)したのである。米国は、「明治政府が始めた嘘」を葬り去り、「新たな嘘」で日本人を洗脳したのである。この「二つの嘘」を確りと認識する事が肝要である。歴史観・国家観という観点からは、この「二つの嘘」は大きな振り子の如く対極に位置するが、何れも時の権力者・支配層に都合よく真実を捻じ曲げた偽りである事に変わりはない。対極的なこの二つの「捏造史観・反国家観」を骨の髄まで信じ込まされてしまった日本国民の認識を一度機に完全に覆すのは、今となっては恐らく100%不可能だろう。特に二つ目の嘘である「東京裁判史観」とその偽り一色で洗脳する為の装置としての「戦後教育」に毒された日本社会の行く末は日本人(=大和民族)にとっては余りにも過酷である。このまま行けば私たちは何れは滅び去る運命にある。この過酷な現実を正しく認識している日本人は極めて少ない。総ての日本人は一度立ち止まって「正しい歴史観・国家観」だと信じ込まされてしまった「捏造史観・反国家観」が全くの偽りであると認識し直す必要がある。


「真に正しい歴史観・国家観」に辿り着く為には、この二つの「捏造史観・反国家観」の建て付けの為に幾重にも塗り固められた嘘を、一つひとつ覆して行くしか方法は無い。そのような弛(たゆ)まぬ真理探究を意識的に続けなければ、世代を超えて嘘を信じこまされてきた日本人が真実に辿り着く事は到底できはしない。我々日本人(=大和民族)は、「民族滅亡の機」を回避する為に、絶対に諦める事なく根気強くこの難題に対峙しなければならないのである。その手始めとして、何はさて置いても今から71年前に生まれた「東京裁判史観」の嘘を見抜き、その軛(くびき)から脱却する必要がある。それが日本再興への第一歩である。真実への一里塚である。そのようにして真実への探究心に日本国民が目覚めた暁には、自ずと「明治維新の嘘」も暴かれる事だろう。何事につけても物事には順序というものがある。「明治維新の嘘」を暴くのは後回しでいい。日本人がそれと知らずしてひたすら邁進している「大和民族滅亡の機」を逃れて生き延びる事が日本人にとっては何より重要であるが、そこへ行き着く為には、先ず「東京裁判史観」から脱却する必要がある。GHQSCAPが裁判などとは到底呼べない国際法を無視した私刑(リンチ)を強行し、厳しい言論統制を敷いた占領統治から解放されてから、尚66年もの長きに亘って自国民に甚だ不誠実な日本政府と日本国民を腑抜けにする為に改造されてしまった社会構造によって洗脳され続けているのだから、日本人がその軛から逃れるには大変な困難を伴なう事は言うまでもないが、如何に困難で根強い抵抗に遭おうとも、「東京裁判史観からの脱却」は、どうしても避けては通れない道なのである。


教育界やマスメディアが広める理不尽な「東京裁判史観」という嘘の拡散に対して、本来なら真っ先に日本政府が注意喚起をし、法整備を進める事で嘘を改め、方向性を正すべきであろうに、日本政府は国内に広がる精神的腐敗を全くと言っていいほど喰い止めようとはしてこなかった。日本に不当に居座る異民族が日本を嘘で貶める行為に抗議する日本人だけの口封じをし、異民族の嘘はつき放題に見逃すという甚だ公平性に欠ける「ヘイトスピーチ対策法」を施行(しこう)するなど言語道断である。日本国民は望まぬ国家体制に組み敷かれ、望まぬ帝國主義政策によって最終的には敗戦の憂き目に遭い、望まぬ占領統治によって昨日までの常識を180%覆されてしまった。併し、被占領統治中は止むを得ないとしても、「サンフランシスコ講和条約」締結により一応は主権国家として国際社会に復帰した後も、日本国民を正道に導くべき日本政府は何の施策も講じずに、GHQSCAPが残していった儘の「捏造史観・反国家観」を追認してしまったのである。否、寧ろ率先してまたぞろ日本国民に新たな洗脳教育を施したと言った方がいい。実際、今の政治家や官僚、教育者の中に「東京裁判史観」を否定しようとする機運は全く見られない。歴史研究者さえも偽りに満ちた「東京裁判史観」を肯定している始末である。だから日本社会全体が「偽りの歴史観・国家観」を正しいものであると思い込まされている。民族史上初めての敗戦を喫してから今年で74年目を迎えるが、日本社会全体が未だに「東京裁判史観」から脱却していないのは本当に情けない限りである。戦争により焼け野原にされ、300万人以上もの貴い国民の命を失なった日本は、戦勝国である米国の都合の変化と、私たちの祖父母の世代が知恵を絞り身を粉にして働いた結果、高度経済成長を遂げる事ができた。我々日本人は結果的には物質文明の恩恵に浴しはしたが、何か途轍もなく大切なものを失なってしまった事に気付いていないのではないだろうか?

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